ひとり旅への憧憬

気ままに、憧れを自由に。
そしてあるがままに旅の思い出を書いてみたい。
愛する山、そしてちょっとだけサッカーも♪

鳳凰三山「縦走」

2014年02月28日 00時35分46秒 | Weblog
鳳凰三山とは「地蔵岳」「観音岳」「薬師岳」の三つの山のことを指して言う。
縦走とは言っても、この三山は比較的距離は近く、頂の間を縦走するだけであれば数時間で歩くことができる。
むしろ初めのどこかの頂にたどり着くまでが結構きつい。

地蔵岳を後にし、観音岳へと歩き始めたが、どうもHさんの様子がおかしい。
本人は心配をかけまいとしているだけに返って気になった。
ローペースで登ってはいるが、ここで引き返すにも「運悪く」と言うか、予定しているルートのほぼ中間地点にいるわけで、どっちへ行くにも時間も距離もほぼ同じだ。
判断に迷う。
本人は「大丈夫です」と言っているが、本人が言う大丈夫ほど大丈夫でない時が多い。
何故なら自分がそうだからだ。
幸いきつい登りは殆ど無く、薬師岳さえ越えれば後はひたすら下山するのみ。
様子を見ながらゆっくりと進むしかないだろう。


ここは「アカヌケ沢の頭」と呼ばれるポイント。
天候は最高に良いのだが、良かったのはここまでで、この後徐々にガスにやられることになる。

緩やかなアップダウンを数回越え、観音岳へと着いた。
残念ながら景観は殆ど望めなかった。
が、Hさんの体調が回復してきたようで何より。
先ずは一安心だった。

ここでは行動食を摂り小休止とした。

Hさんの体調が回復してきたのはいいのだが、今度は自分の膝が心配だった。
9月一杯を山の休暇月間としたが、それでも完全に痛みがひいたわけではなかった。
キネシオテープとサポーターでガッチリと固めてはいるが、薬師岳が終われば今度はひたすら下山となる。
トレッキングポールを用い、膝への負担を軽減したとしても果たして・・・。
まぁいい、今は三山巡りを楽しもう。


薬師岳の頂へと着いた。
なだらかに広がる広い山頂だった。
「そっか、もう縦走は終わりか・・・。」

いつもは下山後に感じる淋しさなのだが、今回に限っては既にそう思い始めていた。
おそらくは、再びひたすら樹林帯の中となるであろう。
そのことは事前の調べてある程度は分かっていた。
分かっていただけにどこか「下りたくないなぁ」という勝手な思いにかられる。

ところがだ。
少し下山したら、なんとまぁ!

見事な紅葉ではないか!
思わずシャッターを切った。
だが、自分はこの構図には入りたくなかった。
だって、どう考えてもミスマッチだし、周りは赤ばかりだし。
やはりここは女性に限るというもの。
Hさん、ありがとうね♪

鳳凰三山「発散!」

2014年02月19日 00時18分11秒 | Weblog
砂地を上り詰めて行くに連れ、徐々に目の前に現れた「甲斐駒ヶ岳」。
「ここが賽の河原かぁ・・・」ってな思いよりも、やはりド~ンと腰を据えている目の前の山に視線は行きっぱなしだった。

空は文句なしの碧一色、将に秋晴れだ。

やや風はあったが、寒いと感じるほどでもなく、程よくかいた汗の後にはもってこいの風だった。
「さぁて、溜まってたものを吐き出そうか!」
そう言うやいなや、カメラだけを持ちさっそくオベリスクの岩肌へと手をかけた。
「うんうん、そうそう、この感触だよ」
そう思いながらルートを考え登り始めた。

今思い返してみても、あの時は相当鬱積したものがあったようだ。
事前に鳳凰三山のルートや景観を調べ、ある程度は仕方がないとあきらめてはいたものの、やはりずっと樹林帯の中ってのは辛かった。

誰が吊したのか分からないスリングが数本繋がっててっぺんから下がっていた。
本当はオベリスクのてっぺんまで登りたかったのだが、スリングをよく見ると両端がすり切れており、しかも相当古そうだった。
どうしようか迷ったが、ここは身の安全を優先しあきらめた。

それでもやっぱり岩山はいい♪
周囲の景観を堪能しながら、ゆっくりと煙草を吸った。


「北岳」もくっきりと見える。


Hさんはオベリスクの途中まで登攀した。
甲斐駒をバックに「ハイチーズ♪」
気分はもう山ガールかアルプスの少女ハイジってところだろうか(笑)。

本音を言えばもっとこの場にいたかったのだが、この後まだ二つ登攀が残っている。
再び重いザックを背負い観音岳へと向けて出発した。
時折振り返り、オベリスクを見つめる。
何度見ても不思議な山だ。

途中、思い切り山男のポースに浸れそうなポイントがあり写真を撮った。



敢えて後ろ姿で撮ってみた。
(あれ~、いつもの山ガールポーズはどうしたんだろう(笑))

気になることがあった。
Hさんの体調が今ひとつのような感じなのだ。
ペースをやや遅めにしながら観音岳へと向かった。

鳳凰三山「朝食は目一杯!」

2014年02月15日 23時09分01秒 | Weblog
起床は4時、朝食は5時、そして出発は6時を予定している。
いわゆる「し・ご・ろ(4・5・6)」ってやつだ。
4時前に目は覚めており、テントの外で一服した。

お隣のOさんも起床。
これから朝食を作るにしてもまだ時間があり、やや眠い目をこすりながらお湯を沸かし珈琲を飲んだ。
甘い珈琲がまた美味いんだな♪


食材などの朝食作りに必要な準備物はすべて出してあり、慌てることはない・・・と、思っていると、Hさんがテントにやってきた。
まだ時間はたっぷりとあったが「さっそく作りましょう」ということで、調理のほとんどをお願いしてしまった。
自分はといえば皿やカップを準備した程度だった。

狭いテントの中に夜明け前からいい匂いが満ちてきた。
さっき珈琲で胃を刺激したせいか急に腹が減ってきた。

アスパラベーコンとスクランブルエッグのサンドイッチとスープ。
これから山を登るのに「パン」はどうかな・・・とも考えたのだが、どうしてどうして結構腹一杯になった。
しかも美味い♪
いやぁーきつい思いをしてここまで持ってきた甲斐があった。

10月の初めとはいえ、標高が2000mを越えていればそれなりに肌寒く感じる。
ジャケットを着てテントの撤収だ。

そうそう、この写真を撮りたかったのだ。
某パンフレットに掲載されているポーズを真似てのものだが、いかにも「テント泊をしました」と言わんばかりのポーズ。
ちなみにこれは、テント内に残っている小さなゴミや木の葉などを外に出す作業。
後は帰宅後にテントを洗って陰干しすればOKだ。


6時07分、出発準備が整った。
Oさんはこれから観音岳へと登攀する。
自分たちは何はなくとも「オベリスク」の地蔵岳へ。
だからここでお別れだ。


テン場から地蔵岳まではそう時間はかからない。
かからないのだが、またしても深い樹林帯の中をひたすら登るだけ。
「今日も朝の一発目から樹林帯かぁ・・・」
本当に辟易しそうになるほどだったが、標高を上げるに連れ時折木々の合間から覗いて見える頂に励まされた。


「もうすぐもうすぐ。ここからここから。一歩一歩。ガンバガンバ。」
久しぶりに出た言葉だった。

小さな谷を越えると、足場が急に悪くなった。
岩ではなく、砂だった。

オベリスクが手の届くところに見えているのだが、どうにもこの砂のルートに足を取られてしまっている。
つまり踏ん張りが効かないのだ。

ザックが大きく重いせいもあってか、このように登山ブーツが埋まってしまうほどだった。
「くっそう~」と思いながらも、この急斜面を登らなければオベリスクはおろか「甲斐駒ヶ岳」「仙丈ヶ岳」をこの目で拝むことはできない。
これだけのピーカンであれば、今日は間違いなくドドーンと自分たちを迎えてくれるはずだ。

ちょっと心配なのはHさん。
昨日と比べペースが遅くなっているし、顔色も良くない。
僅かに2700m程度で高山病とは思えないが、足取りは明らかにスローペースとなっていた。


振り返れば青空が。
そして眩しいほどの太陽が照りつけている。

早く頂にたどり着きたい。
と言うよりは、いい加減この樹林帯からおさらばしたい思いで一杯だった。

一人きりの赤岳(ダイジェスト②)

2014年02月02日 22時47分54秒 | Weblog
この山を選んだのは、もちろん一年前のリベンジもあるが、もう一つの理由として雪山の自己記録更新があった。
残雪期も含めてだが、およそ2750mの雪山が標高としては最高になる。
だからそれ以上の標高の雪山をどうしても登りたかった。
だが、なにも誰もいない山を選ぼうなどとは考えたことはなかった。

登山者と出会う。
すれ違いざまに挨拶を交わす。
時にルートの情報交換をし、そのついでにお互いにシャッターをお願いする。
更にはお互いの山談議に花が咲く。
たったそれだけのことだが、ごく自然に心は和むものだ。
ましてや登山者が極端に少ない冬山ともなれば、人と出会うことそれ自体でホッとする。
心の何処か片隅で、人に頼ってしまっている部分があるのだろう。

いずれにせよ、今日はまだ誰とも出会っていない。
(「どうせ初めから単独登攀だったし・・・」)
情け無い自分ではあったが、今はそんなことよりも目標を達成することだけを考えるべきと開き直った。

高度計は2900mを僅かに越えていた。
気圧の変化により若干の誤差はあるのだが、「もうすぐもうすぐ」と期待した。
そしてうっすらと目に入ってきたのは赤岳北峰を示す標識と頂上山荘の建物だった。
「やっと来たか・・・」
そしてそこから数十メートル先には頂を示す「赤獄神社」があった。
嬉しさはあった。
確かに登頂したという喜びや安堵感はあったのだが、不思議なことにその思いを上回る焦りのような感情があった。
(「早く下山しなきゃ・・・」)
神社に手を合わせお礼をし、頂上を示すポイントに立ち自己撮り。
数枚を撮りさっさと下山を始めた。
頂上にいた時間は、おそらくは10分足らずだったろう。


ここでルートを間違っては元も子もない。
天候が悪化してきている今、権現岳へ抜けてしまえば大変なことになってしまう。
昨日、小屋の人に教えていただいたルートを思い出しながら「文三郎尾根」に向かって下りた。


結構な急斜面、そしてアイスバーン。
登攀以上に慎重さが求められる下山だった。
ある程度まで下りればアイスバーンは無くなるはず。
先ずはそこまでゆっくりとピッケルのピックとスピッツェを有効に用いた。
くさりがあったが、力を入れて握っても滑ってしまい意味がなかった。
ルートであることの証だし、それだけでいい。

夏場であれば、本来くさりの位置は自分の腰あたりの高さなのだろうが、積雪と氷の分だけくさりの位置は低くなっており、ちょうど自分の足首あたりの高さだった。

そのくさりを乗り越えようと、先ず左足を上げ越えた。
次に右足を上げくさりを越えたつもりだったのだが・・・。
自分の体は急に前のめりに倒れ、前転するような形で急斜面を転落した。
「あっ!」と思った時には何が何だが全く分からない状況になってしまっていた。
おそらく数回転はしたかと思う。
「ドン!」という小さな音で自分の体は止まってくれた。
高さ1mほどの岩の壁にぶつかって停止したのだった。

上半身を起こし、つまずいてしまったポイントあたりを見上げた。
距離にして僅かに4~5mほどしかなかった。
雪面から数十㎝程の高さのくさりに、アイゼンの爪を引っかけてしまったのだと分かった。
幸いだったのは、すぐ先に岩の壁があったこと。
転落した距離がごく短かったことで勢いはそれほど無く、ぶつかっても怪我がなかったこと。
ピッケルやアイゼンの爪で自分の体を刺さなかったこと。
すべてがラッキーだったとしか言いようがなかった。
そしてもう一つラッキーなことがあった。

立ち上がろうとした時だった。
自分の足下のすぐ横、つまりぶつかった岩壁に向かって左側はゾクッとするような谷底だったのだ。
恥ずかしいことだが、それを見た瞬間腰が抜け血の気が引いた。
偶然でしかあり得ないことだが、運が良かったと思う。

登頂したということで、やはり心に隙があったのだろう。
早く下山したいという思いが焦りを生んだのだろう。
慎重に動いているつもりでも、集中力に欠けていたのだろう。
あらためて思った。
山は自己責任の世界なのだ。

気を取り直し進んだ。
もちろん今まで以上にゆっくりと慎重に一歩一歩だ。
やがて岩場が終わり、雪の上を下り始めた。
後ろを振り返るも、吹雪でほとんど何も見えなかった。
危険地帯を終えたことで小休止をとった。
雪の固まりの上に腰を下ろし、何とか一服しようとしたが吹雪でライターが着火しない。
5分ほどかけてやっと一瞬だけ火が着いた。
安堵感の一服だったが、数口吸ったと思ったら吹雪で煙草が飛ばされてしまった。

「ダメかぁ・・・」
吹雪の先に樹林帯と思われる灰色の一帯が見えた。
あそこまで下りれば吸えるだろうと、今回はあきらめた。

ゴーグル無しでは目を開けていられないほどの吹雪だったが、樹林帯の中に入った途端風は嘘のように静まりかえった。
「ここまで来れば大丈夫だろう」
やっと落ち着いて煙草を吸った。
気付けば喉はカラカラで、水分補給もした。
もう焦る必要はない。
新雪が積もりトレースの消えたルートとなってしまっていたが、間違うことなく行者小屋へと着いた。

小屋の周辺には、朝と同様に一つのテントもなかった。
もちろん誰もいない。
小屋の隅に座り、とっておきの行動食であるバームクーヘンを食べた。
あの柔らかなスポンジが信じられないほど固くなってしまっていた。
だが美味い!
エスビット固形燃料でお湯を沸かし、甘い「チャイ」を飲んだ。
熱さが喉から胃袋まで移動して行くのが分かる。
「そっか、本当に単独登攀だったんだなぁ・・・」
そんなことを思いながら甘いチャイを飲み干した。

ここから美濃戸口までは3時間もあれば着くことができる。
南沢の樹林帯の中を下山し、やがて北沢との分岐点へと着いた。
数軒の店(小屋)は開いていたが、外には誰もいなかった。
結局美濃戸口のバス停まで、人と出会うことも見かけることも一度もなかった。

無事下山してしまえばいい加減なもので、孤独感や腰が抜けるほどの怖さも、まるで何も無かったのような気持ちだった。

帰りの電車の中、デジカメで撮った画像を見ながらいつしか眠ってしまった。

一人きりの赤岳(ダイジェスト①)

2014年02月02日 00時03分55秒 | Weblog
帰宅し冷静に考えてみれば、無謀な山行だったかも知れない。
単独であったが故に、すべての判断と決断は自分自身で下すしかない。
不安、迷い、意地・・・。
終始それらにつきまとわれての登山となった。

詳細は後日綴りたいが、先ずはダイジェスト的にまとめる。

一年前の二月。
グループで挑んだ厳冬期の赤岳は、自分の体調不良と怪我のため途中で登頂を断念せざるを得ない状況となった。
この一年、そのことは決して頭から離れることはなかった。
再び同じメンバーで臨むことは難しいかも知れない。
だからせめて自分独りで厳冬期の赤岳に登ろうと決めていた。
本音を言えば「登ろう」ではなく、「登らなければならない」と言った方が合っている。
トラウマであり、義務でもあるような気がしてならなかったのだ。

1月29日。
文句なしのピーカンの中、「赤岳鉱泉」を目指し美濃戸口をスタートした。
汗ばむほどの好天で、アルパインジャケットを脱いでの登攀となった。

小屋に着き、明日に向けての準備を整えた。
明日の天候は残念ながら今ひとつで、午後は降雪となっていた。
「まぁ他の登山者もいるだろう」
そんな軽い気持ちで珈琲を飲みくつろいでいた。

1月30日、曇り空。
7:50に「行者小屋」到着。
周囲にテントは張られておらず、誰もいない。
あまり気にすることなく地蔵尾根に向けスタートした。

樹林帯の中はほぼ無風だったが、初めは見えていた赤岳と稜線はいつの間にかガスで全く見えなくなっていた。
左側の谷では、大きくそして不安を煽るかのように、強くたくましいまでの強風がガスと雪の渦を作っていた。
もうすぐ森林限界線を越える。
バラクラバ、ウールで厚手の帽子、ヘルメット、ゴーグルを装着。
そしてトレッキングポールからピッケルへと交換した。


樹林帯を抜けた途端、予測していた以上の猛烈な風に煽られた。
体が振られる。
上体を起こしての登攀は少し厳しく、やや腰を曲げながらの登攀となった。

雪に埋もれた階段が僅かに覗いていた。
今のところトレースも確実に目視できているし、人工物の階段や梯子はルートファインディング上ありがたい存在だ。

突然トレースが途絶えた。
どこを見ても見あたらない。
10m程先には鉄梯子があるのだが、そこに至るまで完全にトレースは消えていた。
尾根の左右は谷で、ルートは間違いなくここだけ。
そのまま進もうとしたが、雪面が緩く体が埋もれてしまった。
トラバースしながらピッケルで刺すものの、どこを刺しても肘まで埋もれてしまった。
仕方なく鉄梯子までの最短距離をラッセルしながら進むことにした。

だが、よりによってかなりの急斜面。
腰あたりまで雪に埋もれながら登るが、アイゼンが刺さってくれなかった。
二歩登っては一歩ずり落ちる。
足下を踏み固めキックステップで登ろうとしてもどうしても足は埋もれるばかり。
とにかく息が切れた。
まるで無駄に体力を使っているだけの様だった。
距離は僅かに10mほどなのに、雪の深さ、柔らかさ、そしてあまりの急勾配で一向に距離が縮まらない。

何とか鉄梯子までたどり着き登った。
もう少し安定した場所まで四つん這いで登りしばしの休憩。
久しぶりに味わう心臓バクバク状態(笑)。

気がつけば、風はより一層強さを増しているように感じた。



相変わらず稜線は見えなかった。
幸いに要所要所にくさりが張られてあり、それに沿って登ればいいだけ。
問題はこの風だ。
時折猛烈な勢いで体を持って行かれそうになった。


風が弱まった僅かな隙を見て写真を撮った。
三脚の足を一まとめにし雪に刺して固定するも、風でカメラの向きがすぐに変わってしまった。

標高を上げる毎に風が強くなってくる。
「果たしてこのまま登り続けることがいいのか。俺は間違っているんじゃないか。でも、元旦の書き初めで『赤岳厳冬期単独登攀』って書いたばかりだし・・・。」
だが、何よりも一年前のリタイアのことが脳裏を掠める。
「俺のせいだったし・・・」
ルートと天候の状況判断をしながらも、迷いと不安、悔しさと申し訳なさ、そして意地とが混沌としていた。

高度計で標高を確認。
そろそろ「地蔵の頭」なのだが・・・。
ガスと雪と強風、つまりは吹雪の先にかすかに道標と思われる人工物が見えた。
「やっとここまで来たか・・・」
とにかく一安心だった。


道標の下にはお地蔵様が置かれてあった。
膝まつき、思わず両手を合わせて感謝の言葉を述べた。
無意識でとった行動。
何も考えず自然に口から出た感謝の言葉だった。
ガラにもないことだが、自分にとってはそれだけ厳しい状況の中での登攀だった。

ここからほんのしばらくはフラットな稜線上を歩く。
すぐに無人の天望荘があった。
「少し休めるな・・・」
風を遮ってくれるポイントを探し腰を下ろした。
ホッと一息し、煙草を吸った。
使い捨てカイロで暖めておいたおかげで、ライターはすぐに着火してくれた。
水を飲んだ。
塩飴とチョコレートを食べた。
チョコレートは恐ろしく固くなっていた。

温度計で気温を確認すると、-17℃ほどだった。
この風を含めて考えれば、体感気温はおそらくは-30℃以下だろう。
「ソックスをウールの二重履きにしておいて正解だったなぁ」
予測に対する自分のとった準備が正しかったことに対し、僅かに口元が緩んだ。
些細なことだが、何か嬉しい気持ちにならないとこれからやっていけないような・・・そんな弱気になってしまっていた。

ここから先が頂上に向けての最後のアタックとなる。
頂上は見えないが、一時間も登れば辿り着くだろう。
ところが、遂に見たくないものを見ることになってしまった。
アイスバーンだ。
そこここ、いたる所にアイスバーンがあった。
できるだけ避けて通りたいところだが、そうは上手く行くはずがない。
アイゼンの爪を確実に噛ませ、慎重に登った。

岩の上を登っているような鈍い音がする。
だが、右からのもの凄い風の音で氷を噛む音などすぐにかき消された。


か細い稜線が見えた。
右手からの強風は、時折更に突風となって襲ってくる。
その度に体は左側に煽られた。
可能な時はくさりを握りながら登攀した。


かなり際どい稜線を通った。
写真を撮るにも慎重さが必要だった。


高度計で標高を確認しながら登る。
さっき、天望荘のポイントで標高を合わせたのだからほぼ間違いはないはずだった。
それでも不安要素があった。
「大丈夫、ルートは間違っていないはずだ」
稜線に沿って登ればいい。それにくさりがある。
自分にそう言い聞かせながらも、ごまかしきれない不安とは・・・。
そう、スタートからここに来るまで、未だ誰一人として登山者に出会っていないという事実だ。
いくら悪天候とは言え、冬山を代表する名峰である赤岳に一人二人くらいは登っている人がいてもおかしくはない。
そう信じていたのだが、現実は自分独りきりだった。
「俺がバカなのか。無茶し過ぎなのか・・・。」
何度も思ったことだが、ここまで来てしまったし、PEAKはもうすぐのはず。

「俺はそんなストイックさを求めるような男じゃないのに・・・」
嫌でもストイックにならざるを得ない状況に自分を追い込んでしまった。
独りで来たことを、ほんの少し後悔した。



鳳凰三山「テン泊の楽しみ♪」

2014年02月01日 22時16分13秒 | Weblog
日が落ちる前に夕食の下準備だけはしておきたかった。
まぁテントも設営したし、着替えも済んだし、一服もしたし、明日の準備も済んだし、のんびりとやろう。


自分のテントは右手の黄色。
お隣のテントは山仲間の「Oさん」。
小屋のテン場で合流し、明日は別行動をとる予定だ。
今夜一晩は三人で過ごすことになっている。
おっと、断っておくが一緒に登ったHさんは小屋泊。
まさか一緒のテントで寝るわけではない(笑)。


テントの中はこんな感じだ。
約1/3を荷物のスペースとし、残りの2/3は寝るためのスペース。
これはモンベルの「ステラリッジ2型テントで、一人で過ごすには十分すぎる広さだ。
汗で濡れてしまった衣類が乾くとは思えなかったが、一応フライシートの上とテント内に張った紐に干しておいた。

さて、ここからがテン泊一番の楽しみである夕食だ。
豪華さとは縁はないが、テン泊ならではの面白さがある。

先ずはビールで乾杯。
大汗をかき続けた体には冷えたビールがたまらなく美味い!
ほぼ一気のみだった。


Oさんは「もつ煮込み」。
もつが十分に柔らかくなるまでやや時間は要するが、その間ビールを飲みながら待てばよい。
しかも酒肴は鯨肉。
なかなかおつな酒肴を持ってきたものだと感心した。


自分はと言えば相も変わらず・・・いやいや、得意の「洋風中華餃子スープ」。
先にアスパラガスを茹でてから中華スープを入れる。
次に冷凍してきた水餃子とコンソメを入れる。
最後の仕上げに生卵を入れかき混ぜればできあがり。
いたって簡単な山料理だ。


ご飯にはFDの麻婆なすをのせてできあがり。


山小屋で出る食事も好きだが、手料理もこれまたいいものだ。
ではいただきま~す♪


日が落ちればやや肌寒いが、三人でおしゃべりをしながらの夕食は寒さを忘れさせてくれた。
しかし、楽しいひとときはあっという間に過ぎて行く。
後片付けを済ませ、早めに就寝することにした。
体はやや疲れを感じてはいるが、まだ20時前。
テントに戻り持参してきた文庫本を読みながら過ごした。
こんな時間の流れが好きだ。

実を言えば、時々家の中にテントやツェルトを張り、シュラフに入って寝ることがある。
好きでやっていることではあるが、気分だけでも山に浸りたいのだ。
だが、やはり現場は違う。
汗を流してヒィヒィ言いながら来ただけのことはあるというものだ。
この静寂。この肌寒さ。
何よりもテントの中はザックや料理器具が置いてあり、衣類が干してある。
生の山行ならではの贅沢な雰囲気の中で読む本は実に楽しい。



明日は鳳凰三山を縦走する。