たいそうなタイトルだが、これは今年の元旦、職場において書き初めをした際に書いた言葉だ。
今年の山に関する目標を各自思い思いの言葉で書くのだが、27年振りに臨む縦走としては申し分のないコースだと自負している。
嘗て二度縦走したコースだが、その殆どは記憶にない。
写真を撮った場所はある程度覚えているが、あとは点と点の記憶に過ぎない。
その点でさえもおぼろげであり、いい加減なものだ。
今回は何としても記憶と記録に残しておくことが目標の一つだ。
ただ一つ心配だったのは痛めた右膝だ。
6月末から8月末まで、日割りにして六日に一度の割合で山に登っていたことになる。
結果今まで何ともなかった右膝を痛めてしまった。
ジャンダルム縦走に向け、数日前から膝に針を打ち少しでも痛みを緩和させた。
あとはキネシオテープで固め、サポーターで更に固定することにした。
今回のコースは涸沢を目指すのではなく、上高地から「重太郎新道」を経由し、初日に穂高岳山荘まで行く。
そして翌日に奥穂高岳からジャンダルムを経由して西穂山荘まで行くコースを選択した。
理由はただ一つ。
「横尾経由はもういいかな・・・」というだけで、まだ登攀したことのない重太郎新道を選んだ。
かなりハードな登攀になることは分かっていたが、単独だし、何よりも自分のペースで進めることが決め手となった。
8月26日、仕事を終え東京へと向かった。
今回も夜行バスを利用して上高地へと向かうが、いつもと違うのはバスターミナルの場所だった。
新宿駅の西口と南口との中間あたりで、ターミナルに着くと全国各地へと向かう長距離バスが頻繁に出発していた。
待ち時間は1時間以上あった。
だがさすがは大都会新宿、暇をつぶす場所はあちこちにあった。
アイスコーヒーを飲んだり、遅い夕食を食べたり、コンビニで立ち読みをしたりと、あっという間に出発時刻となった。
いつものアイマスクに耳栓をしすぐに就寝・・・とはいかない。
疲れてはいるのに、やたらと目が覚めた。
なんとか数時間は眠れたが、いい加減に夜行バスで熟睡できる方法を考えねばこれから先もきつい山行となるだろう。
上高地バスターミナルに到着し下車すると、思っていた以上に肌寒いことに驚いた。
まぁ歩き出せば体は暖まり、すぐに汗をかくことは分かっている。
おにぎりを食べ「岳沢」にむけいざ出発!
河童橋から見えるはずの稜線はガスの中で、決して悪い天候ではないが少し残念だった。
ここから先はすべてが初めてのルートとなる。
地図を確認しながら進むが、どうも標識が当てにならないものばかりで、果たして岳沢に向かっているのか心配になった。
ここは地図と自分の判断を信じよう。
早朝の上高地は静かで、深い緑色がよく似合う。
思わず立ち止まりシャッターを切った。
岳沢小屋方面の分岐点に来てやっとまともな標識を見た。
「さて、先ずは岳沢小屋か・・・。」
日の当たらない鬱蒼とした樹林帯、と言うよりは「樹海」の様だ。
いたる所に「苔」を見ることができた。
すれ違う人はまだ誰もいない。
もう少しすれば岳沢小屋を出発した人が下山してくる(だろう)という何の根拠もない推測をしながら登攀を続けた。
「風穴」と呼ばれるポイントに来たが、「はて、何処が風穴? 風は何処から?」
特に探すほどのことでも無いと思い、煙草を吸って休憩終了。
この後「重太郎新道」が待ち受けているだけに、ここは早めの出発を決めた。
相変わらずの樹林帯で、かなり蒸している。
ややルートから外れ、ガレ場へと出ると心地よい風が肌をなでてくれた。
そして振り返れば上高地が遥か彼方に見えた。
眺めは良いが、標高差はまだたかが知れていた。
「今日は一気に3000メートルまで登らなきゃならないけど、焦って急げば高山病になってしまうかもしれないなぁ。」
心配は右膝だけではなく、高所順応なしで一気に3000メートルまで登るということもそうだった。
しかし上高地から重太郎新道を経由し、一日で穂高岳山荘まで行くにはのんびりとはしてはいられないのは確かだ。
高山病の心配はあれど、ある程度のスピードも必要となる。
幸いなことは、体は十分に仕上がっているということ。
右膝だけは別だが、それ以外は十分に仕上がっている。
「やっぱり高山病覚悟で予定通りの時間配分で行くか。」
ほどなくして岳沢小屋が目視できた。
喉を潤したい。煙草が吸いたい。行動食も食べよう。
独りの山行は何でもOKだ。
休憩時間だって好きに決められる。
ザックを下ろし、ゆっくりと煙草を吸った。
さぁて、ここからが大変だ。
「いよいよ重太郎新道かぁ。ちょっと楽しみだな。」
ところがどっこい、想像していた以上の急登攀ルートだった。
今年の山に関する目標を各自思い思いの言葉で書くのだが、27年振りに臨む縦走としては申し分のないコースだと自負している。
嘗て二度縦走したコースだが、その殆どは記憶にない。
写真を撮った場所はある程度覚えているが、あとは点と点の記憶に過ぎない。
その点でさえもおぼろげであり、いい加減なものだ。
今回は何としても記憶と記録に残しておくことが目標の一つだ。
ただ一つ心配だったのは痛めた右膝だ。
6月末から8月末まで、日割りにして六日に一度の割合で山に登っていたことになる。
結果今まで何ともなかった右膝を痛めてしまった。
ジャンダルム縦走に向け、数日前から膝に針を打ち少しでも痛みを緩和させた。
あとはキネシオテープで固め、サポーターで更に固定することにした。
今回のコースは涸沢を目指すのではなく、上高地から「重太郎新道」を経由し、初日に穂高岳山荘まで行く。
そして翌日に奥穂高岳からジャンダルムを経由して西穂山荘まで行くコースを選択した。
理由はただ一つ。
「横尾経由はもういいかな・・・」というだけで、まだ登攀したことのない重太郎新道を選んだ。
かなりハードな登攀になることは分かっていたが、単独だし、何よりも自分のペースで進めることが決め手となった。
8月26日、仕事を終え東京へと向かった。
今回も夜行バスを利用して上高地へと向かうが、いつもと違うのはバスターミナルの場所だった。
新宿駅の西口と南口との中間あたりで、ターミナルに着くと全国各地へと向かう長距離バスが頻繁に出発していた。
待ち時間は1時間以上あった。
だがさすがは大都会新宿、暇をつぶす場所はあちこちにあった。
アイスコーヒーを飲んだり、遅い夕食を食べたり、コンビニで立ち読みをしたりと、あっという間に出発時刻となった。
いつものアイマスクに耳栓をしすぐに就寝・・・とはいかない。
疲れてはいるのに、やたらと目が覚めた。
なんとか数時間は眠れたが、いい加減に夜行バスで熟睡できる方法を考えねばこれから先もきつい山行となるだろう。
上高地バスターミナルに到着し下車すると、思っていた以上に肌寒いことに驚いた。
まぁ歩き出せば体は暖まり、すぐに汗をかくことは分かっている。
おにぎりを食べ「岳沢」にむけいざ出発!
河童橋から見えるはずの稜線はガスの中で、決して悪い天候ではないが少し残念だった。
ここから先はすべてが初めてのルートとなる。
地図を確認しながら進むが、どうも標識が当てにならないものばかりで、果たして岳沢に向かっているのか心配になった。
ここは地図と自分の判断を信じよう。
早朝の上高地は静かで、深い緑色がよく似合う。
思わず立ち止まりシャッターを切った。
岳沢小屋方面の分岐点に来てやっとまともな標識を見た。
「さて、先ずは岳沢小屋か・・・。」
日の当たらない鬱蒼とした樹林帯、と言うよりは「樹海」の様だ。
いたる所に「苔」を見ることができた。
すれ違う人はまだ誰もいない。
もう少しすれば岳沢小屋を出発した人が下山してくる(だろう)という何の根拠もない推測をしながら登攀を続けた。
「風穴」と呼ばれるポイントに来たが、「はて、何処が風穴? 風は何処から?」
特に探すほどのことでも無いと思い、煙草を吸って休憩終了。
この後「重太郎新道」が待ち受けているだけに、ここは早めの出発を決めた。
相変わらずの樹林帯で、かなり蒸している。
ややルートから外れ、ガレ場へと出ると心地よい風が肌をなでてくれた。
そして振り返れば上高地が遥か彼方に見えた。
眺めは良いが、標高差はまだたかが知れていた。
「今日は一気に3000メートルまで登らなきゃならないけど、焦って急げば高山病になってしまうかもしれないなぁ。」
心配は右膝だけではなく、高所順応なしで一気に3000メートルまで登るということもそうだった。
しかし上高地から重太郎新道を経由し、一日で穂高岳山荘まで行くにはのんびりとはしてはいられないのは確かだ。
高山病の心配はあれど、ある程度のスピードも必要となる。
幸いなことは、体は十分に仕上がっているということ。
右膝だけは別だが、それ以外は十分に仕上がっている。
「やっぱり高山病覚悟で予定通りの時間配分で行くか。」
ほどなくして岳沢小屋が目視できた。
喉を潤したい。煙草が吸いたい。行動食も食べよう。
独りの山行は何でもOKだ。
休憩時間だって好きに決められる。
ザックを下ろし、ゆっくりと煙草を吸った。
さぁて、ここからが大変だ。
「いよいよ重太郎新道かぁ。ちょっと楽しみだな。」
ところがどっこい、想像していた以上の急登攀ルートだった。