ひとり旅への憧憬

気ままに、憧れを自由に。
そしてあるがままに旅の思い出を書いてみたい。
愛する山、そしてちょっとだけサッカーも♪

嗚呼! ジャンダルム・・・「一気に高所へ!」

2013年10月31日 22時28分45秒 | Weblog
たいそうなタイトルだが、これは今年の元旦、職場において書き初めをした際に書いた言葉だ。
今年の山に関する目標を各自思い思いの言葉で書くのだが、27年振りに臨む縦走としては申し分のないコースだと自負している。

嘗て二度縦走したコースだが、その殆どは記憶にない。
写真を撮った場所はある程度覚えているが、あとは点と点の記憶に過ぎない。
その点でさえもおぼろげであり、いい加減なものだ。
今回は何としても記憶と記録に残しておくことが目標の一つだ。
ただ一つ心配だったのは痛めた右膝だ。
6月末から8月末まで、日割りにして六日に一度の割合で山に登っていたことになる。
結果今まで何ともなかった右膝を痛めてしまった。
ジャンダルム縦走に向け、数日前から膝に針を打ち少しでも痛みを緩和させた。
あとはキネシオテープで固め、サポーターで更に固定することにした。

今回のコースは涸沢を目指すのではなく、上高地から「重太郎新道」を経由し、初日に穂高岳山荘まで行く。
そして翌日に奥穂高岳からジャンダルムを経由して西穂山荘まで行くコースを選択した。
理由はただ一つ。
「横尾経由はもういいかな・・・」というだけで、まだ登攀したことのない重太郎新道を選んだ。
かなりハードな登攀になることは分かっていたが、単独だし、何よりも自分のペースで進めることが決め手となった。

8月26日、仕事を終え東京へと向かった。
今回も夜行バスを利用して上高地へと向かうが、いつもと違うのはバスターミナルの場所だった。
新宿駅の西口と南口との中間あたりで、ターミナルに着くと全国各地へと向かう長距離バスが頻繁に出発していた。


待ち時間は1時間以上あった。
だがさすがは大都会新宿、暇をつぶす場所はあちこちにあった。
アイスコーヒーを飲んだり、遅い夕食を食べたり、コンビニで立ち読みをしたりと、あっという間に出発時刻となった。
いつものアイマスクに耳栓をしすぐに就寝・・・とはいかない。
疲れてはいるのに、やたらと目が覚めた。
なんとか数時間は眠れたが、いい加減に夜行バスで熟睡できる方法を考えねばこれから先もきつい山行となるだろう。

上高地バスターミナルに到着し下車すると、思っていた以上に肌寒いことに驚いた。
まぁ歩き出せば体は暖まり、すぐに汗をかくことは分かっている。
おにぎりを食べ「岳沢」にむけいざ出発!


河童橋から見えるはずの稜線はガスの中で、決して悪い天候ではないが少し残念だった。
ここから先はすべてが初めてのルートとなる。
地図を確認しながら進むが、どうも標識が当てにならないものばかりで、果たして岳沢に向かっているのか心配になった。
ここは地図と自分の判断を信じよう。


早朝の上高地は静かで、深い緑色がよく似合う。
思わず立ち止まりシャッターを切った。

岳沢小屋方面の分岐点に来てやっとまともな標識を見た。
「さて、先ずは岳沢小屋か・・・。」
日の当たらない鬱蒼とした樹林帯、と言うよりは「樹海」の様だ。
いたる所に「苔」を見ることができた。


すれ違う人はまだ誰もいない。
もう少しすれば岳沢小屋を出発した人が下山してくる(だろう)という何の根拠もない推測をしながら登攀を続けた。


「風穴」と呼ばれるポイントに来たが、「はて、何処が風穴? 風は何処から?」
特に探すほどのことでも無いと思い、煙草を吸って休憩終了。
この後「重太郎新道」が待ち受けているだけに、ここは早めの出発を決めた。

相変わらずの樹林帯で、かなり蒸している。
ややルートから外れ、ガレ場へと出ると心地よい風が肌をなでてくれた。
そして振り返れば上高地が遥か彼方に見えた。

眺めは良いが、標高差はまだたかが知れていた。
「今日は一気に3000メートルまで登らなきゃならないけど、焦って急げば高山病になってしまうかもしれないなぁ。」
心配は右膝だけではなく、高所順応なしで一気に3000メートルまで登るということもそうだった。
しかし上高地から重太郎新道を経由し、一日で穂高岳山荘まで行くにはのんびりとはしてはいられないのは確かだ。
高山病の心配はあれど、ある程度のスピードも必要となる。
幸いなことは、体は十分に仕上がっているということ。
右膝だけは別だが、それ以外は十分に仕上がっている。
「やっぱり高山病覚悟で予定通りの時間配分で行くか。」

ほどなくして岳沢小屋が目視できた。

喉を潤したい。煙草が吸いたい。行動食も食べよう。
独りの山行は何でもOKだ。
休憩時間だって好きに決められる。
ザックを下ろし、ゆっくりと煙草を吸った。
さぁて、ここからが大変だ。
「いよいよ重太郎新道かぁ。ちょっと楽しみだな。」

ところがどっこい、想像していた以上の急登攀ルートだった。



単独登山に思う・・・まとめ(っぽい考え)

2013年10月25日 23時05分00秒 | Weblog
あーだこーだと単独登山についてうんちくめいたことを綴ってきたが、何も単独登山だけが素晴らしい訳ではなく、グループ登山に登山の素晴らしさを見い出すことだってできる。
つまりは単独であれグループであれ、それは選択肢(形態)に過ぎないと言うこと。
どちらを選ぶかはその人の好き好きで良いのだ。
ただ、今まで数々の山を登ってきた自分にとって、より自分に合っていると思うのはやはり「単独」となる。
その最たる理由は・・・・・。
一言で言うのなら「そこに自由があるからだ」としか言えない。

「自由」とは何か。
アクセスやルートの選択、登攀ペース、食事メニューなどなど数え上げたらきりがない。
しかし、そんなことははなから分かりきった自由であって、自分の考える自由とちょっと違う。
敢えて「自由」と表現したが、その自由とは「すべてを受け入れる覚悟の中に自由がある」ということだ。

即ち・・・
*大自然の感動を独り占めできる自由。
いろいろな思いがあって山に登る。
周りに誰がいようとそんなことはおかまいなしだ。
一人でここに来たからこそ、自分自身だけが分かっている悩みや苦しさがあるからこそ、感動や雄大さを自分だけのものとして噛みしめ味わうことができる自由がある。

*自己満足の達成感を堪能する自由
例えば、極めて難易度や危険度の高いルートを縦走し、途中途中でめげそうになりながらも何とか無事越えたとする。
そしてそのルートを振り返った時「俺ってすげぇ~!!」と思う。
この充実感は将にソロでなければ感じ取るはできないだろう。

*自分流のスタイルを形成して行く自由
ギアやウェアだけに限らず、様々な部分で自分なりの登山スタイルを考え、カスタマイズし、徐々に自己流を作り上げて行く楽しみだ。そしてこれに終わりは無い。

*リスクを受け入れる覚悟
例え夏山であろうと、濃いガスの中で初めてのルートともなれば不安や戸惑いは大きい。
そんな小さなリスクもあれば、ちょっとした滑落、出血を伴う怪我、道迷い、落石事故、高山病、極度の低血糖症(シャリバテ)、低体温症など、これらすべて過去に自分が経験したものもある。
あってはならないことではあるが、山に登る以上、絶対はない。

*意思決定をする覚悟
一人である以上は誰にも頼れないことが殆どだ。
大なり小なりアクシデントに遭遇した場合、「迷う→考える→判断する→決断する→実行する」。
決定権は自身にしかないのだ。
このことは、昨年の夏「槍ヶ岳」で知り合った腹ペコ山男さんが自分に言ってくれた言葉をそのまま引用したい。
『「ただひたすらに自己との対話」かなと。登山というプロセスを通じて自らの思考、意思、行動を問い続けることではないかと。それは苦しくもありますが、そこから逃げることは山では極限まで行けば死につながるわけで、もうすこし簡単に言えば、普段身をおいている日常社会がいかに安全で守られていて、生きるということがかくも様々な自己との対話が要求されるものかに手っ取り早く気付き、体感し、そしてその対話に耐えた自分と新たな自分を見つけるのが、媒介としての単独登山なのかもしれませんね。』

今さらながら教えられたことだった。
決して大袈裟なことではなく、過去の単独登山を振り返ってみれば将にその通りだった。

*責任を負う覚悟
すべてが自分自身だけの意思決定であれば、その結果がどのような状況になろうとも言い訳は存在しないということ。
ただし、家族、親類、職場、友人へ心配や迷惑をかけずに無事下山することこそが最も責任のある登山である。

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さて、いかにも偉そうに単独登山について勝手に綴ってみたが、こうまで難しく考えなくても山には登れるわけで・・・。
ましてや、自立した単独登山ができるからと言って、それが偉いわけでも凄いわけでもない。
あくまでも趣味の世界であるのだから、程度の差はあってよいのだ。

だが、それでも自分はこれからも単独登山を中心に目指して行きたい。
独りきりで終えた山行は、決して「張りぼて」ではない本物に近いスキルを身につけることができる。
自分のスタイルを自由に向上させることができる。
本気で自分自身や山と対峙できる。(せざるを得ない)
どれほど覚悟と責任を必要としても、単独でなければ絶対に得られない自由と出会いと濃密な体験が必ず待っている。
自分自身が成長したり変わる訳ではないが、どんなに惨めな思いをしても、それでも単独登山を繰り返すことで、僅かながらにも確実に経験と自信に繋がっていることだけは確かだ。

単独登山に思う・・・3

2013年10月24日 21時56分38秒 | Weblog
準備(道具)については、単独登山であればこその大前提がある。

その一つは「取捨選択」だ。
このことは前にも少し触れてきたが、一人ですべての荷物を背負うからこそパッキング以前に考慮しなければならない。
可能な限り一人用、もしくは少人数用のギアを選択するのは当然だが、予算的な部分があるので「どうしてもこれしかない」という場合は別。
また、嵩張る物を避けることも大切になってくる。
例えば「シュラフ」。
夏山であれば問題なく軽量のもので事足りるだろうが、春や秋となるとこれがまた難しく、経験だけでは決められない。
テント場の標高から大まかな気温を想定したり、あらゆる情報から判断してどの程度のシュラフを用いるかを考えなければならない。
仮に持参したシュラフでは寒さに耐えることが厳しい状況であった場合は、予備のミドルウェアすべてを着込み、ひたすら我慢する以外術はない。
まぁ一晩程度なら眠らなくても何とかなるだろうが、そうならない為にも「取捨選択」は大切になる。

もう一つのポイントは「使いこなせること」だ。
高額な金額を支払い手に入れたギアが宝の持ち腐れにならないよう、事前に使いこなせるまでになっておくことが、実際の場で如何に快適に(安全に)過ごせるかに繋がる。
そのいい例が「テント」だ。
購入後すぐに自宅の部屋か庭で設営し、できればペグ打ちまで練習しておくことだ。
テン場に来て始めて設営するようなことになれば、ましてや雨の中の設営だったら結果はどうなるか考えるまでもあるまい。

他にも「アイゼン」や「コンパス」などもある。
単独で臨む雪山であれば装着の事前練習はことのほか重要であり、グローブをはめたままの状態で装着できなければならない。
また、靴底に雪が付着したままでアイゼンを装着すれば、数歩あるいただけでどうなるかは雪山経験者ならおわかりだろう。

コンパスについては今さら言うまでもあるまい。
ごく基本的操作の2~3程度を理解しているだけでもかなり違う。
地図記号を知り、コンパスを操りルートファインディングをする。
これぞ登山の醍醐味の一つではないだろうか。
すれ違う人にルートの確認をすることも手段の一つだろうが、自立した登山を目指すならば、そして単独であればこそ、最後に頼れるのは自分と道具だけの場合が必ず生じることを忘れてはならない。
古参兵の独り言として言わせてもらえば、地図を広げ、地図の真上が「北」と思い込んでいる人は、決して一人では山に登ってはならない。
ついでに言っておけば、「使えないギアは持って行かない」と割り切ること。
特に「これさえあれば安心!」「これがあれば便利!」という謳い文句に騙されてはいけない。
「安心・便利」以前に、代用が利くギアがあるかどうかを考え、使い慣れ、使いこなせるギアを優先すべきだ。



単独登山に思う・・・2

2013年10月17日 21時36分41秒 | Weblog
「計画と準備」についてもう少し考えてみたい。

「登山スタイル」。
と言っても服装やカラーのことではなく、日帰りか泊を伴うかのこと。
それによって準備すべき物は大きく違ってくる。
もちろん同じ山であっても季節によって更に大きく違う。
先ずは「計画」だが、「登れる山」をどのようにして考え決めるか。
場数を踏めばある程度は自由に決めることも可能だが、ここは自分を基準にして考えてみたい。

計画で大切なことは、自分のレベルを知っておくことが最も重要であることは先に述べた。
その中の一つとして、自分の体力や持久力を客観的に把握できているか否かだ。
今でこそ多くの山岳書には「体力」「難易度」などの目安となる数値が表記されているが、それはあくまでも目安に過ぎない。
未だ登ったことのない山と泊数を基にして候補を挙げ、そこに体力と難易度を照らし合わせてみる。
とんでもない体力を必要としないのであれば、その山が候補となるわけだ。
難易度はその次に考えている。

山が決まれば次は地図を読み取ることだろう。
25000分の1の地図を広げ、大凡のルート状況を読み取る。
(読み取る知識はまた別の話とする)
樹林帯なのか、稜線なのか、はたまた崖に沿って登るのか。
そして1cmの中に等高線は何本あり、それによって斜度の検討をつける。
また、自分にとって大切なことは、各ルート間の参考タイム+休憩時間だけでなく、自分の体力のレベルをそこに加えるということ。
他にも「水場」「エスケープルート」「登山口や下山後のアクセス」を踏まえてやっと計画の半分が終わる。
残りの半分は準備物のリストアップだ。

単独登山において、自分を導いてくれるのは自分以外の何ものでもない。
「もし・・・」を考えたらきりはないが、かといってあれもこれも持って行くには限界があるし、荷物は重くなるばかりだ。
衣食住のすべてを一人でまかなう以上は、絶対に外せない物、必要な物は確実に持って行くことを優先してリストアップをすることから始めた方がよいだろう。
次に「代用できる物はないか」を考える。
幾つか例に挙げてみよう。
「エアー枕」ならば、スタッフバックに予備の衣類を詰めることで代用が可能。
また、スタッフバックの代わりにザックカバーを用いることもできる。
小屋泊であれば火器は「携帯固形燃料」で十分だし、雪山テントなら「ぞうさんの足」よりも、予備のソックスを二重履きし、使い捨てカイロをつま先に貼るだけで十分だ。

他にもいくつか代用案はあるが、自分の場合、予測してリストアップしておきながらいつも持ち過ぎてしまっている物がある。
「行動食」と「予備食(非常食)」だ。
事細かに一つずつその量や個数・本数まで書き出すが、結果として常に余ってしまっている。
「使わなかった(食べなかった)」ではなく「食べるような状況にならなくて良かった」と自分に言い訳しているが、本音を言えば「持っていって無駄だったなぁ。この分だけ軽量化できたのになぁ。」としみじみ思っている。

「使わなかった」と「使うような状況にならなくてよかった」は、これからも課題として残るだろう。



単独登山に思う・・・1

2013年10月15日 23時53分31秒 | Weblog
この歳になってこっぱずかしいことを言うなら、自分は社交的人間だと思う。
何を基準にしてそう思うのかはこの際置いといて、内向的でないのは確かだ。


考えてみれば、もとより「ひとり旅」が好きで、このブログのタイトルを決めたのもひとり旅がしたいという欲求からだ。
「ひとり旅」
何処へ行く。何で行く。何を持っていく。服装はどうする。何時の列車に乗る。何を観る。何を食べる。何処に泊まる。何を買う。
それら計画のすべてを一人で考えることがたまらなく楽しい。
そう、ひとり旅はそこから既に始まっているのだ。
では社交的な自分が何故ひとり旅を好み、憧れるのか。
「すべてが自由」だからと考える。
ただし、大人としての「自立した自由」でなければならない。
何故なら、自由と責任は表裏一体であるからだ。

ひとり旅と単独登山には幾つかの共通したものが存在する。
決定的な違いのひとつに「体力の消耗」があるが、それはさておき・・・だ。
よく言われていることだが、単独登山は「自立した登山」とされている。
自立とはどのようなことを指して言うのか。
おそらくはとてつもなく長~い文章になりそうだ(笑)。

山に登るとき、大切なことは目標を少々高く設定することも含めて、「登りたい山」ではなく「登れる山」であること。
だからといっていきなり単独登山をする必要など無く、ある程度のグループ登山を経験してからが望ましい。
経験を積むことによって得たものが、やがて血となり肉となって単独登山への下地を作って行くからだ。
そしてそれにより、「自分自身の山のレベル」が見えてくる。
だが、そこから先にはあまりにも大きな分岐点が待っている。
「このままでいい」と「いつかは独りで登ってみたい」という感情だ。

もうかなり前の事になるが、以前の職場で山仲間がいたときのことだった。
彼とは5~6回は一緒に山に登った。(連れて行った)
だが、何度一緒に登っても地図を持参してきたことは一度もなかった。
確かに地図の読解には知識は必要だが、計画説明の段階で地図を広げ、ルートの状況やタイム、記号などの説明はその都度行ってきた。
にもかかわらず、ただの一度さえも地図を持ってきたことはなかった。
「おまえなぁいい加減金魚のふんから卒業したらどうだ。詳しい見方が分からなくても途中途中で簡単に説明してやれるし、いつまでもおんぶに抱っこじゃつまらないだろう。」
と言ったことがある。
すると「おんぶに抱っこでもいいんです。いい景色が見られれば。」
という返事だった。

何か趣味を持ちたいという、最初の彼の願いを叶えたく幾たびと連れてきたが、大切なことを伝えるのを忘れていた自分だった。
それは山のリスクだ。
「何故登山靴なのか」「何故この服装なのか」そして「何故地図が必要なのか」という基本だ。
すべてはリスクに備えるためであり、それをあまり教えていなかった自分にも責任はある。
その後彼はいつしか山に登らなくなった。
理由は敢えて聞かなかったが、登山が彼の趣味に向いていなかったのかも知れないし、一緒に登ることに臆してしまったのかも知れない。
いずれにせよ、「このままでいい」と「いつかは独りで登ってみたい」のどちらでも無くなってしまった。

話を戻そう。
山を決め、日帰りか泊か、小屋かテントか、ルートはどれにするか、それに見合った準備物は何か、食料はどの程度か、水は、行動食は・・・。
慣れれば何のことはないことだが、そこに至るまでが大変だ。
確かなことは、分岐点から「いつかは独りで登ってみたい」という方向に向かった者の方が苦労と感じることは少ないだろう。
そしてそれは「自立した登山」へと歩き始めていることになる。

ついでに書いておこう。
自分は自立した登山者ではない。
(ほんの少しは自立してはいるのだろうけど)
山に登って感じることは、感動よりもむしろ惨めさの方が圧倒的に多い。
独りでいることの淋しさや怖さや辛さをはじめ、「俺、なんでこんなことしているんだろう。なんでこんなところに独りで来てしまったんだろう。」
何度も嫌というほど感じたことだ。
そのくせ、とんでもない難所をクリアしそこを越えて振り返ったとき、「俺ってすげぇ~!」と思ってしまう。
思い違いや自己満足も甚だしい限りだ(笑)。


***「思い出のアルバム」***

昭和62年・夏 「涸沢にて」




劔・立山2013:下山、そして・・・

2013年10月14日 20時13分31秒 | Weblog
夕食までにはかなりの時間があり、のんびりと後片付けや明日に備えて下山の準備をすることができた。

部屋の窓からは劔が見える。
雨は上がっていたが、まだ上の方はガスっている。
「今回もずっと雨だったなぁ・・・」
天候を恨んでも致し方ないことを十分分かってはいてもやはり残念だ。

夕食前になってやっと劔の全容が見えてきた。
「そっか、今年もあそこに登ったんだ」
たとえ自己満足であっても登頂したという喜びはひとしおだ。

もう初めて見た時の不気味さは無いが、それでも圧倒的存在感は迫ってくる。
今度来る時はてっぺんからの絶景が見たいものだ。

女性ガイドさんが庭に出てこられ一緒に劔を見た。
プロのガイドさんと同じ日に登り、登った山の話をするなど初めてのことだった。

こうして一緒に写真を撮っていただくことだけでも実に光栄だった。
プロならではの言葉一つ一つには、自分にはとてもたどり着けない重みがあった。
自分などには分からない辛さや責任感が、その小さな肩に背負っているような気がした。

最終日、やはり雨だった。
劔沢小屋のスタッフにお礼の挨拶をし、小屋を出発。
先ずは雪渓の劔沢を登る。

振り返っても劔岳は見えなかった。
「また来年こよう」
そう思いながら別山乗越へと登る
不思議なことだが、初めてこのルートを上った時のしんどさは殆ど感じなかった。
前回よりもザック自体が小さいこともあろうが、あの時感じた急登攀がごく普通の坂道に感じた。


雷鳥坂を下りる。
僅かながらやっとガスが切れ始め、雷鳥平が見えてきた。
「そうそう、5月に来た時はシリセードで下りたんだ」
そんなことを思い出しながら雪の上を進む。
もうすぐ山ともお別れだ。


7月とは思えない雪の量だ。
標高のせいだけではないが、やはり日本は広いとしみじみと感じる。


今回の山行も単独で挑んだ。
多くの人達との出会いがあった。
ソロならではの出会いに感謝したい。
そして単独で山に登ることの意味とか意義を考えさせられる山行でもあった。

「何故独りで山に登るのか」
答えの出ないまま何年、何十年も過ぎている。
いや、答えが出ないのではない。
答えを考えようとしなかっただけなのだ。

一か月後の8月の末にジャンダルムコースを縦走した。
その時も単独縦走だった。
あくまでも一定レベルだが、それがあったからこそ独りで山に登ることの自分なりの意味が分かりかけてきた。

天候に恵まれれば絶景を味わう感動があり、時に暑さに辟易する。
雨が降りガスれば疲労感は倍増する。
ルートファインディングへの不安もある。
そして、雪山であれば不安は恐怖へと変貌する。
感動も辟易も不安も恐怖も、それらすべてが自分一人に降りかかり、それらすべてを受け入れなければならないし、逆に受け入れることができる。
「計画する→実行する→迷う→思考する→判断する→決断する→実行する→結果に対する責任」
単独であるが故に、そこに言い訳は存在しない。
だからこそストイックではあれ、「自由」がある。

もう少しそのことについて考えてみたくなった。

久々に山へ

2013年10月05日 23時43分58秒 | Weblog
明日から南アルプスにテント泊に出かけます。
と言っても一泊ですが・・・。

南アルプスは本当に久しぶりなので嬉しいですね。
ただ、夏の終わりに痛めた膝の回復が思わしくなく、まだ階段昇降時に痛みが走ります。
本当であれば山小屋泊ならザックも軽くなるし、楽になることは分かっているのですが、テント泊自体7月以来だし、それはそれで楽しみです。

鳳凰三山は今が紅葉の見頃。
あとは好天を祈るだけです。