ひとり旅への憧憬

気ままに、憧れを自由に。
そしてあるがままに旅の思い出を書いてみたい。
愛する山、そしてちょっとだけサッカーも♪

厳冬期になったら・・・ 「何と山ガール!」

2014年04月25日 20時46分15秒 | Weblog
年も明ければ山はいよいよ厳冬期に突入する。
厳冬期でなければ楽しめない山もあれば、厳冬期故に危険度はMAXともなる。
しかしこの時期楽しめるのは山だけとは限らない。
ましてや「雪」だけとも限らない。
そう、日光の最深部にある氷の世界「雲龍渓谷」が待っている。

今年は何とも不思議なメンバーとなった。
何と、この自分が山ガールを連れて案内することになったのだ。
今まで想像すらしたことのないことが現実となった(笑)。
何故一緒となったのか・・・。
理由はさておき3名の山ガールだが、一人は「J」さんと言って、日頃自分の体のケアをしていただいている女性。
腰や膝が痛い時には本当にお世話になりっぱなしの人だ。(ピンクのジャケット)
もう一人はそのお姉さんで「M」さん。(青いジャケット)
そしてJさんの友人である「N」さん。(緑のジャケット)
この4名で雲龍渓谷、そして雲龍瀑を目指すことになった。

3名については雪の季節の山は初めてだが、雪面を登攀し続けるといったルートではないのでそれほど心配はしていない。
もちろん危険箇所はそれなりにあるのだが・・・。

6時過ぎに駐車場に到着した。
あたりはまだ暗く1月下旬の日光は相当寒い。
車内で軽く朝食を食べ、身支度を整えた。
さて、行こうか!

しばらくは雪のない路面だったが、ゲートを越えたあたりから徐々に雪面となってきた。
まだアイゼンは不要だが、油断をすればスリップ転倒は免れない。

かといって緊張ばかりしていては楽しい渓谷トレッキングもつまらなくなってしまう。
などと気にかけてはいたが、三人でおしゃべりしながら楽しくやっているようで安心した。

最初の休憩ポイントからは女峰山が目視できた。
スキーとはまた違ったワイルドな雪山に感動してくれたようで自分も嬉しい。
このままもう少しアイゼン無しで行こう。

スタートから約2時間30分で「洞門岩」に着いた。
少々予定していた時間よりオーバーしてはいるが、ここからはアイゼン装着となるだけに、あまり焦るようなことは言わない方がいいだろう。

自分は12本爪だが、彼女たちは6本爪の軽アイゼン。
滝壺へ向かう急登攀のポイントが最も心配だが、幸い今年は積雪量が少なく何とか登れそうだ。

再スタートしてすぐ渡河となる。
渡河と言っても幅僅かに4~5mのせせらぎのような所で、先ずは自分が安全に渡れそうな岩にアイゼンを乗せて通過した。

アイゼンを装着し岩の上を行くのは初めてだろうが、彼女たちも難なく渡りきることができた。
自分が考えている以上にしっかりしているので安心だ。

ほんの少し登り、次は下りとなる。
下りの方がアイゼンワークは難しく危険度も増す。
ここは体を横向きにしたり「9(ナイン)オックロック」or「3(スリー)オックロック」で下りてもらった。
うん、いいぞいいぞ。上手い!


この先また川を渡り、登攀となる。
先ほどの登りよりややきついが、ダブルストックで一歩ずつ。
何度も振り返りながら、そして状況に応じてアイゼンワークのアドバイスをしながら進んだ。

よく見ると、彼女たちけっこう楽しんでるようだった。

もう少し行けばザックをデポできるポイントだ。
そこからは身軽なスタイルで済むが、いよいよ氷の世界へと突入する。

開校記念祭 「真剣勝負」

2014年04月21日 22時40分53秒 | Weblog
さて、久々に防大の思い出を綴りたい。

観閲式の行進に続いて、待ちに待った「棒倒し」が間もなく始まる。
この棒倒し、防大生が最も力を入れて練習に汗を流しているイベントらしい。
綿密な作戦を練り、時に敵情視察として他の大隊にスパイを送り込む。
「攻」と「防」とに分けた一つのチーム(大隊)が、どれだけ作戦通りのバトルを展開できるかがキーポイントになっている。
また、状況に応じた臨機応変さも重要で、瞬時の判断と機敏な動きが勝敗を左右することもあるらしい。


手前の緑が第三大隊で、奥の青が第二大隊。
自分はごく自然に「青」の第二大隊を応援した。

丸太のてっぺんに乗っている者だけは足(蹴り)を使って防御することが許されている。
勝敗の決着は、一定時間内に丸太を30°以上傾けられれば「攻」の勝利となる。

開始前には、各大隊がオリジナリティー溢れる気合いの雄叫びを上げる。
これがまたおもしろい。
後日「YouTube」でも見たが、何度見ても笑ってしまった。


いざ始まれば、見ている観客も手に汗握る熱い戦いだ。
まさかこれほどのバトルになるとは・・・予想以上の熱い戦いだ。
よく見れば、固まりの外では一対一の取っ組み合いも。
決められたルール内での戦いなのだが、どう見ても喧嘩にしか見えなかった(笑)


これは青の第二大隊が優勢に攻めているところ。
一人の学生が、丸太の先端をつかみ、足を伸ばしている。
その足を同じ大隊の学生達がつかみ引っ張ることで棒を傾けようとしてる。

周囲にはもちろん数名の審判がおり、どの角度からでもジャッジが下せるようになっている。
そして、一般の棒倒しと決定的に違っているのは「救護班」がすぐ傍で待機していると言うこと。
運動会などでの棒倒しであれば、本部席の隣に保健室の教員が座っている程度だろうが、この時は即座に担架を移動できるように体勢を整えていた。
戦うも、ジャッジを下すも、傷の手当てをするも真剣そのものだった。

決勝に進んだのは「赤」の第一大隊と「青」の第二大隊だったが、優勝は第一大隊のものとなった。
う~ん、ちょっと残念!
それでも戦いが終わってみれば、勝者にも敗者にも等しく拍手をおくることができるほど感動的だった。

棒倒しが終わり、最後に学生舎の内部を見学した。
たまたま入ったのが青の第二大隊学生舎であった。
すると中庭ではボロボロになった白いシャツの学生達が集まっており、その中のリーダーとおぼしき学生が大声で叫んでいた。

よく話を聞いてみると、どうやら優勝できなかったことに対する謝罪の言葉だった。
最後は涙まじりの言葉となり、他の学生達もその殆どが泣いている。
しらけた若者の多いこの時代、これだけ真剣に熱くなれることが素晴らしい。
周りからどのように思われても、たかが棒倒しと言われても、二度と無い学生時代を、青春時代を謳歌してほしい。

初めて訪れた防衛大学校。
是非次回も防大生達の真摯さと熱さに触れたいと思う。

三度(みたび)赤岳へ 「出会い」

2014年04月16日 23時36分38秒 | Weblog
行者小屋をスタートし、文三郎尾根を経由して頂まで。
途中休憩を含め2時間20分だった。
まぁグローブのアクシデントはあったが、それほど悪いタイムではない。


やっぱり紺碧の空っていいものだ。
8度目の赤岳、そして4度目の山頂で初めて見た360°の絶景はこの先ずっと記憶として残ることだろう。
ピーカンであるにも関わらず、残念ながら富士山を拝むことができなかったが、十分満足できる。
本当に気持ちがよく清々しい思いだった。

山頂には小屋の同室者であった青年がおり、お互いに写真を撮りあった。
話を聞けば登山を始めてまだ二年目だという。
正直ちょっと驚いた。
わずか二年目で雪の赤岳とは・・・。
自分であればまず無理難題で、挑戦しようとなど絶対に思わないだろう。
若さとは実に羨ましく、素晴らしい冒険心を育むものなのだと感じた。


下山を前に、「赤獄神社」でここまで来られたことへの感謝と下山の安全を祈願した。
(「いろいろありましたが、何とか自力でここまで登ってくることができました。
また、初めてここから素晴らしい景色を眺めることができました。諦めずに挑戦した甲斐があります。感謝します。下山は慌てずゆっくりと行きますのでよろしくお願いします。」)
と祈願したものの、予定していた時間よりややオーバーしてしまっている現状を考えれば、そうゆっくりとはできない。
頂にいたのはほんの10分程度で、早速「地蔵の頭」方面へ向けて下山開始だ。


積雪量から考えて、もう少しナイフリッジの様なポイントが発達しているかと思ったが、比較的スムーズに下山することができた。
むしろ、ちょっと拍子抜けするほど楽な下山だった。

横岳や大同心がよく見えた。
横岳から赤岳にかけてのルートは、雪の八ヶ岳縦走においておそらく最も危険で難易度の高いルートだと思っている。
何となくではあるがメラメラと燃えてくるものがあった(笑)。


地蔵の頭まではほんの30分程で下りてきた。
振り返れば赤岳の勇姿が・・・。
ここで地蔵尾根から登ってきた方にシャッターをお願いした。
少し休憩していると、同室だった青年も下りてきた。
話を聞けば美濃戸まで下山ルートは一緒ということで、ここからふたりで下山することになった。
山というのはこんな唐突な出会いに溢れている。
そう言えば去年の夏に劔岳に登った時もそうだった。
前劔で休憩していると、後から登ってきた二人の方にガイドをお願いされたことがあった。
劔をガイドできるような力など自分にはあるはずもなかったが、それでもあの時の山行は楽しいものだった。
単独であるが故に遭遇する不思議な出会い。
それも山の魅力の一つであると考える。

さて、ここからの下山だが、いきなりの「ナイフリッジ」登場だ。
「おぉ~遂にナイフリッジだ。雪山の醍醐味は将にこれだね!」
危険であることは分かっているが、心ウキウキ。

ゆっくりと慎重に一歩ずつ。
左右ではなく、前後の体重移動とバランスを意識しながらの移動だ。
もちろんアイゼンはインサイドを中心にフラットフッティング。

進行方向がスパッと切れ落ちているかのようにも見えたが、そこから先は右側にまるで落ちるようにナイフリッジを下って行く。
不謹慎な考えではあったが「やはりこのスリリング。これぞ雪山だ」と嬉しかった。

二ヵ所程シリセードで一気に樹林帯へと下山。
行者小屋まではあっという間だった。
ここからはのんびりと樹林帯の中を美濃戸口まで下る。
危険地帯はもう無いと言ってもよい。
愛知県からきた青年と会話をしながら歩いた。
彼はまだ劔岳には登ったことはないと言う。
「あれだけの文三郎尾根を登攀できたのだから、きっと登れますよ。是非チャレンジしてください。」
うん、彼なら大丈夫!

15時頃に美濃戸口に戻ってきた。
車で来た彼が、茅野駅まで送ってくれるという行為に甘え、同乗させていただいた。
ここからタクシーを使えば5000円以上かかってしまうだけに本当にありがたい。

駅で彼と別れたが、去りゆく車に向かって一言。
「今年の夏は劔だよ♪」
もちろん聞こえるはずは無かろうが、山を愛する一人の青年のこれからの大いなるステップアップを願った。

山での出会い。
その多くは一期一会だろう。
単独登攀であるからこそ、だからこそ大切にしたいといつも思っている。

三度(みたび)赤岳へ 「風と共に去りぬ」

2014年04月14日 21時35分40秒 | Weblog
分岐点から少し登り、見上げれば目指すルートがよく分かった。
「そっか、こんな感じだったんだ。当たり前だけど確かに写真の通りだな。」

ただ違っているのは。前回とはうって変わっての積雪量。
この辺一帯は間違いなくアイスバーンがそこここにあり、緊張しながらの下山だった。
そしてアイゼンの爪をくさりに引っかけて数m転がり落ちてしまったのもこのすぐ上当たりだ。

「やなことを思い出しちまったなぁ・・・」
そんなことを考えながらいざ核心部へと踏み出した。

斜度は徐々にではあるがきつくなってきている。
一歩一歩確実なアイゼンワークで登攀した。
だが不思議なことに「こんな所嫌だなぁ」とか「登りたくないなぁ」とかいった感情は全くなかった。
むしろ「てっぺんからの景色が見たい」という思いだけだったような覚えがある。
これも好天の成せる業なのかな(笑)。

一人の登山者がこっちに向かって下りてくるのが見えた。
斜面のルート上を見上げれば、このままではすれ違うポイントはどちら側も(相手も自分も)安全に避けきれるような場所ではないと推測できた。
マナー(ルール)的に言えば、登攀している側の自分が優先して通れるのだが、どう考えても危険なのは下ってくる相手の方だ。
僅かだったが岩にしがみついていられそうなポイントがあったので、ちょっと休憩も兼ねてそこで相手がすれ違うまで待つことにした。
もちろん一服のチャンスと思いグローブを外し煙草に火を付けた。
時折吹く突風ではあったが、指先がかじかむ程ではない。

「ゆっくり、どうぞゆっくり来てください。」
そう言って一服。
すれ違いざま、下山者の方は恐縮しながらお礼を言っていたが、またまたあまり聞きたくない言葉を聞いてしまった。
「ここから先が見た目以上に厳しいですね。どうぞお気を付けて。」
う~ん、そりゃぁ見れば分かることなのだが・・・。

煙草を吸い終え、気を取り直してさぁ登るか!
外していた右手のグローブをジャケットの懐から出したその瞬間だった。
ゴーッ! ブーン!
という音の突風が吹き、その音と共にグローブが空に舞いそのまま南側の崖の方へ・・・。
「あっ!あ~~・・・」
普通に考えれば、この先どうしようかと悩み思考するのが一般的なのだろうが、この時自分が思ったことと言えば「あ~~1万円が飛んで行く・・・」だった。
「あっちゃー、また買い換えかぁ・・・」
楽観的と言えば少しは笑えるが、すぐにお金のことが頭をよぎるとは我ながら情け無かった。

風と共に去りぬグローブではあったが、幸いなことに予備のウールグローブ(厚手)とオーバーミトングローブを持参してきている。
今日の天候であればそれで十分間に合うだろう。
ただ問題は今自分がいるポイントだった。
つまり、腰を下ろしてザックを開けグローブを取り出すという動作を安全にできるポイントではないということ。
このまま安全な場所までグローブ無しで登攀するべきか。
それとも何とかしてこの場所でグローブを取り出すか。
ここは冷静に考え判断しなければならないところだ。
自分の出した答えはこの場でザックからグローブを取り出すことだった。
安全なポイントと言っても、ここから見える標識まではまだ距離があった。
そして突風だ。
素手でピッケルを握ったまま登攀を続けるには厳しいと判断した。

先ず左手は基本的に岩肌の突起部につかまったまま自己確保。
次に右手だけでザックのベルトを外しストラップを緩め膝の上に置いた。
(左腕からショルダーハーネスを外す時は、アイゼンのみで自己確保)
そしてアルパインパンツのサスペンダー部分に付けておいたカラビナを取り外し、ザックのサイドストラップに通し、再度サスペンダーベルトに確保。
この作業を右手だけでこなすことが結構きつかったが、これでザックが滑落してしまうことだけは避けられた。
もう一つ幸いなことがあった。
「今日の天気においては必要ないだろう。でも・・・。」
そう思い、バラクラバと予備のグローブを雨蓋内に入れておいたことだった。
そのおかげで比較的楽に、素早く取り出すことができたのだ。
「ふーっ、何が幸いするか、やっぱり山ってわからねぇなぁ。」
しみじみと思ったことだった。

とりあえずウールグローブだけをはめ登攀再開。
ピッケルを握る右手は少し滑りやすいが、十分に寒さをしのぐことができていた。


ご覧の通り右手にはウールグローブが。
顔は笑っているように見えるが、愚かな(迂闊な)行為だったと反省している。
「グローブリーシュ」を持ってこなかったことがそもそもの原因なのだ。


この辺りは、1月末の時は至る所アイスバーンだらけだった。
今回の雪の急斜面は、写真で見るより遙かに斜度がきつく、この時はまるで「壁」に思えた程だった。
キックステップの連続だったが、やっと標識の文字が見えるポイントまで来た。
あとは左側の岩を登ればPEAKだ。
「浮かれるなよ。」
そう自分に言い聞かせた。

三度(みたび)赤岳へ 「文三郎尾根」 

2014年04月13日 22時30分02秒 | Weblog
明日のピーカンを信じつつ、20時過ぎに就寝した。
夜中に2度程目が覚めたが、5時前にはスッキリと起床。
すぐに窓辺に行き天候を確認。
「おぉ~期待通りだぜぃ!」
一刻も早くスタートしたい思いはあったのだが、やはり朝食は大切。
カロリーだけは十分に摂取しておかねばならない。

この小屋を7時に出て行者小屋まで行き、そこから文三郎尾根を経由して頂へ。
地蔵尾根から下山し行者小屋には12時頃までには戻ってくる予定だ。
小屋のスタッフにお礼を言い、アイゼンを装着。
日の差さない樹林帯の雪道を登り始めた。
途中左手を見上げれば、「大同心・小同心・横岳」の岩稜地帯の上部から徐々に日が差し始めてきていた。


行者小屋には2名の登山者がおり、これから自分と同じルートで登攀するらしい。
そう言えば、同宿者の若い男性も単独で文三郎コースを登ると言っていた。
自分よりも1時間程早く小屋を出発していたから、今頃は尾根道の樹林帯を越えたあたりだろうか。

7時55分に行者小屋をスタート。
前回とは逆コースとなるが、気になるのは雪の状態だ。
残雪期の雪の状態とか量なんてものは、はっきり言って行ってみなければわからない部分が多い。
たとえ一週間の間まったく降雪が無かったとしても、わずか7日間の間に状況は一変してしまうことだってあり得る。
本当につかみどころがないと言っても過言ではない。
それが残雪期なのだ。

樹林帯は相変わらずの雪の多さだった。
幸いトレースがきっちりと残されており、踏み固まった状態だった。
そして前回わずかに見えていたメッシュの金属階段は完全に雪に埋もれており、アイゼンの爪を引っかけてこけてしまう心配は無かった。

それにしても今日は暑い。
それを予測してのレイヤリングだったが、汗がしたたり落ちてくる。
ほぼ真正面からは太陽が照りつけている。
「だぁ~あつぅ~。でも気持ちいい~。りょうちん分かるか?ピーカンだよピーカン。たまんないね!」
思わず超の付く程の雨男を思い出し、一人で笑ってしまった。


雪はほどよくしまっているのだが、近くに来てみて改めて積雪の多さに驚いた。
この先は雪のため斜度が増していることは明らかでも、この好天がその不安を僅かに払拭してくれていた・・・のだが。

ここで小休止。
水が美味い! 煙草もこの上なく美味い
早くも下山してくる人がいたのでシャッターをお願いした。
「この先の最後の登攀が厳しいですね。なんともいやらしい状況でしたよ。」
う~ん、静かながらも真綿で首を絞めるような不安を煽る言葉を頂いてしまった。


とりあえずこの先の分岐点まで登ろう。
見上げたルートには当然一面の雪。
このポイントは、1月末に下った時の状況をよく覚えている。
雪らしい雪は殆どなく、むしろ岩肌が多く露出していたところだ。


標高が2700mを越えたあたりから急に風を感じ始めた。
そして時折突風となって襲ってくる。
実はこの突然の突風により、この後「おいおい、冗談じゃないよ!」と言う程のトホホなアクシデントが起きてしまった。(あぁ情け無ぁい)


遙か先には南アルプスが見えた。
もうそれだけでも心は躍った。
ここから見る眺望はもちろん初めてでも、山頂からの眺望はやはり冬がいい。
引き締まる寒さの中だからこそ、夏とは全く違った感動を与えてくれる。

さぁて、もうすぐ核心部(危険地帯)だ。
慎重なアイゼンワーク、ピッケル操作術が試されるだろう。

三度(みたび)赤岳へ 「嬉しくて眠れない夜」

2014年04月11日 23時30分15秒 | Weblog
まだ「開校記念祭」を書き終えていないのだが、今季三度目の赤岳登攀について綴っておきたい。
何故ならば・・・。
遂に、やっとピーカンの赤岳となったのだ!
思えば今から28年前だった。
初めて八ヶ岳を縦走し、赤岳を目指した夏。
ベースキャンプ地に着いた初日は曇り空で、肝心のアタック日は終始雨だった。
それ以降、夏・冬通算7回登っても天候が悪く、PEAKからの眺望は叶わなかった。
また、自身の体調不良などもあり、登頂を断念したこともあった。

今季、1月末の単独登攀では吹雪。
そして、実は3月の初めにもアタックしたのだが、1月の時よりも天候が悪く登頂を諦めた。
諦めたと言うよりは、一緒に行ったのがりょうちんであったこともあり、初めから「無理かなぁ・・・」と予測はしていた(笑)。
そう、りょうちんは自他共に認める「低気圧を呼ぶ男」なのだ。
ちなみに、彼とはかなりの回数一緒に登った仲であるが、曇りも含め雨や雪が降らなかった日の確立は「1割4分6厘」という驚異的な低確率だ。
これがプロ野球選手の年間打率だったら、間違いなく解雇処分を喰らっているだろう(笑)

雨を呼び、吹雪を呼び、台風までも呼ぶ男、その名は「りょうちん」。
とは言ってもやっぱり彼との山行は楽しかったなぁ~。
お互い気兼ねすることなく、馬鹿をやりながらの登山は本当に気持ちを解放できるものだった。
また一緒に登りたい。

さて、どうしても赤岳からの眺望を叶えたく、残雪期の4月7日に単独登攀に挑んだ。
1週間前から毎日何度か週間天気予報を確認。
出発当日、自宅を出る直前にも確認し思わずニンマリだった。
「よっしゃぁ~ ピーカンの赤岳じゃぁ!」

いつものように美濃戸口からスタートしたが、この時期路面の雪はすっかり溶けて歩きやすくなっていた。


今更地図を広げて確認する必要は無く、一気に北沢コースへと入った。
「暑い・・・」
同じ独り言が何度も出てしまうほど汗ばむ陽気だった。

今日の昼食はFDのスープとみそ汁。
そしておにぎりとベーグルだ。

食事を摂っている間に2名の登山者が追い越していった。
この時間帯で同じコースを行くのであれば、目的地は間違いなく「赤岳鉱泉小屋」だろう。
同じ宿の利用者ってことになる。
いやぁそれにしても今日の昼飯は実に美味い!
いつもと変わり映えしないはずなのに、明日の天候を考えただけで美味さが引き立つってものだ。

ここからゆっくりと登っても1時間足らずで小屋に着く。
はやる気持ちを抑えながら、まだ残雪の多い登山道を登った。


さすがに4月ともなれば名物の「アイスキャンディー」は既に利用中止だったが、その向こうに見える青空と赤岳に目を奪われた。

1月に登った時よりも明らかに雪をかぶっていた。
頂上付近は、おそらくはアイスバーンが少なくなっている分、積雪はあるのだろう。
と言うことは、状況やポイントによっては斜度が増している可能性は高い。
アイゼンワークが試される登攀になりそうだ。

今夜の宿泊者はみんなで5名。
明日赤岳を目指す人は何人いるのだろうか。

昨夜は殆ど眠らなかった(眠れなかった)こともあり、明日の準備が終えると急に睡魔に襲われた。
夕食までにはまだ時間はあるし、たとえ昼寝をしても夜は夜で眠れるだろう。
一時間ほど昼寝をして過ごした。

今夜のメニューはご覧の通り。
トンカツをだし汁で煮て卵とじにしたもの。
まぁカツ丼のプチ贅沢版ってところかな。

この小屋の夕食は三度目になるが、毎回必ず温かい(熱い)ものがメインディッシュとなっている。
雪の季節には本当にありがたいものだ。

食事を終え、外へ出て一服した。
まだダウンジャケットが欠かせないほどの寒さだが、1月に訪れた時の夜ほどではなかった。
やはりもう4月。
こんな雪深い高所の山奥でも、明らかに春なのだと感じた。


山小屋の灯りの向こう。
白い赤岳がうっすらと見えた。
空を見上げれば星が・・・。
八度目の赤岳、どうか明日は晴れますように。

開校記念祭 「家族」

2014年04月05日 22時22分59秒 | Weblog
学生会館の売店で、あれやこれやと防大グッズを買いあさった。
防大のネーミングが入った100円ライターを1ダース。
他にマグカップやクリアファイルなど実用品もあるが、一番のお気に入りは実際に自衛隊員も使用しているキーカラビナだ。
これは将に登山でも役立つアイテムと言って良い。
自衛隊カラーがまたいいね!

職場へのお土産は「防大カレーせんべい」。
自宅へは「防大チョコレート」だが、れっきとした「Mery’s」製だった。(スッゲー!)

さて、昼食を食べようにもどこもかしこも混んでおり、「はてどうしたものか・・・」と困っていた。
学生会館の最上階にレストランがあると聞き行ってみたところ、ラッキーなことにそれほどの混雑ではなかった。
お弁当タイプのものではあったが、ハンバーグ弁当と生ビールを注文しロビーの椅子に座って食べ始めた。
周りを見るとその殆どが家族単位で食べていた。
家族と言ってもただ開校記念祭を観に来ただけの一般来校者ではなく防大生のご両親をはじめとした家族だったのだ。
遠く故郷を離れ、年に数回しか会えないであろう家族とのほんの刹那的団らんのひとときなのだと思った。
時折聞こえてくる会話は「授業はどうだ? 訓練はきついか?」などと言ったものだった。
食べ終えた後もできればゆっくりとしたかったのだが、空いた席を探している家族がいたのですぐに席を譲った。
(「つもる話もあるでしょう。どうぞゆっくりと話をしてください」)
そんな思いに駆られた。

さて、棒倒しまでに時間はまだある。
今度は作品展示団体を見に行った。
もちろんお目当ては「山岳部」と「ワンゲル部」だ。


それぞれの活動内容を聞いたが、その真摯で丁寧な応対に改めて防大生の素晴らしさを感じた。

こちらは屋外に常設されている実物。

りょうちんお気に入りに「シャーマン戦車(米製)」
う~ん、御満悦♪


自分はもちろん自衛隊の「74式戦車」
実に美しい!

などとテンションが上がりっぱなしの時間が続いたが、まもなく「棒倒し」となる。
再度グランドへと向かい、全体が見渡せる中央辺りに陣取った。
「いやぁりょうちん、楽しみだね!」
「たかが棒倒しかも知れませんが、気合いが違うんですよね。見ている方も思わず力が入ってしまうんですよ。」

いざ、真剣勝負がもうすぐ始まる。