ひとり旅への憧憬

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サッカー五輪アジア予選に思う:決勝編

2024年05月14日 20時43分51秒 | Weblog
大会の感想が大きく遅れてしまったが、改めて今大会の個人的感想を綴ってみたい。

先ずは日本代表チーム、アジア大会優勝そしてパリオリンピック出場おめでとう!
そしてありがとう!
冷や冷やさせられた部分もあったが、これはすべてがゲームプラン通りには行かないという、ごく当たり前なことである。
FW陣があまり結果を出し切れていないという課題は残るが、それはこれから解決すべき事であり、選手個々と代表チームとしての錬成が注目される。
また、オリンピック大会そのものはオーバーエイジ枠が採用されることにより、戦術的にも今回とは違ってくるかもしれない。
楽しみでもあり、逆に不安要素になりかねない部分もあるが、それはいつの時代でも何処の国でも同じだろう。

さて決勝戦についてだが、ある意味選手達より目立ってしまっていたのが審判だったというおかしな試合だった。
偏り気味のジャッジは今に始まったことではないが、ピッチ上で選手達が判定への文句を言ったところで覆ることなど絶対にあり得ない。
(まぁVARが採用されてからは少しはましになったが)
その偏り気味のジャッジに対して日本の選手達が審判に詰め寄り判定へのクレーム的な事を言うような場面は殆ど無かったと思う。
それは何故か・・・
自分が思うに、言ったところでどうにもならないという諦め・・・ではなく、日本チームへの、或いは選手一個人への心象を悪くすることで余計に不利になるということを避けたかったからだと思う。
分かっていたからこそ冷静に対処し試合に集中したのではないだろうか。
如何にデメリット的なものを少なくし、文句などは試合が終わってから申し出ればよい。
若い選手達ではあったが、プレイ以外でも大人の展開ができていた。
おそらくは試合前のミーティングにおいて選手とスタッフ全員が共通理解し、それを共有して臨んだのだろう。
試合に集中することを最優先したのだ。
しかしそれでも後半のATはあまりにも長すぎた。
笑って済まされるレベルの長さではない。
アジアの審判のレベルの低さを世界中に見せたことになる。

もう一つ忘れてはならないジャッジがある。
ハンドの判定だ。
どっちのチームの選手がやったにせよ、あのハンドの判定をVARで確認判断するまでに何分間経過していただろうか。
VARを利用するのなら、できるだけ早く行うべきだ。
もし、流してしまっているその時間帯にゴールがあれば、その得点は無効になってしまう可能性があるし、どちらのチームかのゴールによってはとんでもない試合結果に繋がってしまうからだ。
おそまつな判断だったとしかいえない。

さて最後に毎度毎度のことで辟易していることだが、お隣のK国について一言。
これはサッカーに限ったことでなく、日本にだけはどうしても噛みつきたいようだ。(笑)
しかもこれでもかと執拗なほどに。(笑)

「我々がインドネシアに負けるはずがない」という驕り。
勝って当たり前であり、眼中にはないという驕り。
自分たちの計画性はすべて正しく決して間違ってはいないという盲目なまでの驕り。
しかし一端自分たちにとって都合の悪い結果が出れば、それは自分たちのせいではなく他国のせいであり、特に日本が悪いと子供じみた言いがかりばかり。
そんなあまりにも哀れな感情が今回の大会後にもかなりの数であふれかえっていた。

一言で言うなら惨めだなぁと痛切に思う。

K国の各メディアたちは、こぞって「K国に負けた日本が優勝」「K国に負けた日本がオリンピック出場」という決まり文句の見出しだった。
日本に勝ったことだけが成果であり、それしか強調できる部分がない。
そしてそれを強調することで、言葉と文字で自分たちを慰めている。
実に哀れな民族であると思わざるを得ない。
サッカーを、スポーツを純粋な競技として捉えることができず大会に臨む。
「日本にだけは絶対に!!!」という雑念、否! 邪念を優先し、結果が伴わなければ素直に負けを認めず、戦犯探しに明け暮れる。
もちろんその矛先は日本だ。

以前にもこのブログで綴ったことだが、すべては反日教育の負の賜だ。
グローバルな視点で長期的な計画性もなく、「先ずは日本にだけは!」で始まり結局はそこで終わる。
その考えに進歩がないことは分かっていても、感情がそれを許さない。
そしてまた次期政権が変われば「No Japan!」のオンパレードになることは明らかだろう。
せめてスポーツだけはと願ってはいるが、かなり遠い未来になりそうだ。

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