ひとり旅への憧憬

気ままに、憧れを自由に。
そしてあるがままに旅の思い出を書いてみたい。
愛する山、そしてちょっとだけサッカーも♪

裏銀座へ:なぁ~んにもすることがない Ⅱ

2017年12月30日 00時52分49秒 | Weblog
フライシートのばたつきは相変わらず強く、雨粒の当たる音も激しかった。
メインの縦走ができなくなったことは残念ではあったが、ある程度は覚悟していたことであり、膝の痛みを考慮すればむしろそれでよかったのかも知れない・・・。

二度寝をし目が覚めたのは10時を過ぎてからだった。
もう一度珈琲を飲みジッパーを開け外の天候を確認した。
「やっぱり無理かぁ・・・」
こうまで風雨が強ければ諦めもつくというものだ。


雨あしが弱くなった時を見計らい外へと出てみた。
鷲羽岳はガスの中。
せめて全容が見えていれば気持ちも違ったものとなるのだろうが、これから先、今日一日をどう過ごすか悩むところとなった。

ゆっくりと煙草を吸いテントへと戻った。
再び本を読み始めるも、何故か落ち着かない。
テントの中ではできる「姿勢」は限られており、座位で読むか寝そべって読むかのどちらかしかない。
なんとなく飽きてしまった頃、丁度昼飯の時間となった。
二人を誘い小屋へと向かった。
中に入る前にせっかくの小雨状態でもあるので小屋の周辺を歩いたが、時間を潰すにはたかが知れているし肌寒かった。

「午後、どうします? なんか飽きちゃいました(笑)」
「俺もそうなんだけど、かといってすること無いしね・・・・」
みんな同じような思いだったようだ。

昼食は「あんかけラーメン」を注文した。
出てきたものはレトルトの中華丼の「あん」をラーメンの上にのせただけのものだったが、これはこれで良いアイデアを頂いたと思った。
「なるほどね、こりゃいつか自分でもやってみよう」
とうなずけるものだった。

食後の珈琲は自分のテントでみんなで飲んだ。
飲みながら登山の話をしばし時間を忘れて語り合った。
それでもまだ14時を過ぎたばかりだし、昼寝をしてしまったら肝心の夜に眠れなくなってしまいそうだった。


降雨の合間をぬってレインウェアを干しているKMさん。
「そっか、何でもいいから体を動かそう」
再び降り出すことは間違いないが、せめて今だけでも干しておこうと外へと出た。
完全に渇いてくれることは無理だろうが、何かしら体を動かしたかった。
それもできればテントの外でだ。

せっかくなので散歩がてら近くを歩いたが、そんなときに限って再び雨が降ってきた。
慌ててテントへと戻り、干したウェアを中に入れた。
夕食までまだまだだが、体を動かすことは諦めた。
何故かふと北方稜線縦走から今回の山行に至るまでの自分の気持ちをふり返ってみようと思った。

「しばらくは山には登りたくはない」とまで思ってしまうようになった北方稜線。
確かに、今回の裏銀座までの一か月半は一切山には登っていない。
この一か月半の間ずっともやもやとした思いでいたような感じだったし、「登りたい」という強い願望を抱くことはなかった。
それでも「のんびりと裏銀座縦走くらいだったらいいかな・・・」程度には回復(?)してきたが、本格的な岩稜地帯の登山だけはまだ出かける気にはなれていなかった。
そこまでの登山をする気にはなれていなかった。

悔しいとかリベンジとか、今まで何度も感じてきた湧き上がるようなそんな想いに至らなかったのは初めてのことだった。
北方稜線とは、自分にとってそこまでインパクトのある縦走ルートだった。
「来年、もう一度行ってみようかなぁ。今度こそ単独で縦走してみよう。」
この時はまだそこまでの気持ちにはなれていなかった。

繰り返し何度もあの時の縦走をふり返ってはみたが、気持ちの整理はつかなかった。
そのうち考えることが面倒にさへなってしまった。

「あぁ~まだ4時(16時)過ぎかぁ・・・。 暇だ!」


裏銀座へ:なぁ~んにもすることがない Ⅰ

2017年12月25日 01時24分35秒 | Weblog
明日の縦走に備えて、21時頃に就寝についたのだが、気持ち的には半ば諦めていた。
「間違いなく荒天だろうなぁ・・・。」
ウトウトとしながらいつの間にか眠ってはいたが、強風によるフライシートのバタつく音で何度も目が覚めてしまった。
時計を見れば11時を過ぎたばかり。
強風は相変わらずであったが、幸いに雨は降っていないようだ。
テントの中にいてもそれだけは確実に分かった。
雨粒がフライシートに当たる音がしていないからだ。

目が覚めてしまったついでに一服をするために外へ出た。
やはりまだ雨は降ってきてはいない・・・が、夜空を見上げてビックリ!
満天の星空ではないか。
しかも、しかもである。
どう見てもあれは「天の川」としか思えない星の帯が90°真上の夜空を縦断していた。
天の川では無いかも知れないが、そんなことはどうでもよかった。
こんな素敵な星空を見ることができただけで感激であった。

ここは標高2550mの山の中、北アルプスの中央最深部。
ここに来なければ見ることのできない夜空であることに違いはない。
「こりゃひょっとして晴れるかな・・・」
などと予報がひっくり返るかもしれない思いにさへなってしまった。

あまりの寒さにテントへと戻り、シュラフにくるまった。
「おぉ~暖ったけぇ~」
シュラフの中で体をさすりながら再び眠った。

翌早朝、時間にして4時過ぎに目が覚めた。
残念ながらアラームの音で目が覚めたのではなく、フライシートに当たる雨粒のあまりにも大きな音で目が覚めた。
瞼はまだ閉じたまま、「くっそ~やっぱりかぁ。ぬか喜びだった・・・」と思った。

一応ジッパーを開き外の様子を見たが、まだ真っ暗闇であり詳しい状況は確認できない。
だがヘッドランプで暗闇を照らすと、一直線の光の範囲には間断なく降り続く雨粒がハッキリと見えた。
出発予定時刻は6時。
「無理だろうなぁ・・・」と思いつつ、バーナーでお湯を沸かし珈琲を飲んだ。
少しずつ体が目覚めてくるのが分かった。
この後の天候がどのように変わってくるのか、それは分からなかったが最終決断まではまだ時間がありすぎるし、朝食は食べておくべきだ。
FDのかに雑炊と行動食の残りのパンを食べ、準備だけは整えておいた。

徐々に周囲が白み始め朝を告げてきた。
ジッパーの開いた部分から見える外の景色はガスで真っ白、そして大雨。
6時15分前になり、みんなに告げた。
「無理だ。今日の縦走は中止。残念だけど危険すぎる。とりたててすることは何にもないけど、午前中まではゆっくりしよう。 お昼は小屋に食べに行こうか。」
他の二人もさすがにこの天候では了承する以外になかった。

と決まれば本当に何もすることがない。
「じゃぁ寝るか」
ザックに入れてきた山の本(エマージェンシーに関するもの)を取り出し、シュラフの中で読み始めた。
まさかこんな形で読むことになろうとは・・・。
「はて、この先どうするか・・・。」
考えてもすること、できることが何も思い浮かばなかった。
本を読みながらそのまま二度寝となった。

裏銀座へ:これは美味!

2017年12月24日 00時25分03秒 | Weblog
さて、先ずは材料だが、今回は去年の反省を生かし、より本来の青椒肉絲に近い物を担ぎ上げてきた。
・牛肉~生は無理なので、コンビーフで代用
・ピーマン
・タケノコ~国産の水煮(既に刻んであるもの)
・パプリカ(赤)~彩りとして最高!
・青椒肉絲の素

以上の材料で早速調理開始。
テント内は確かに狭かったが、狭けりゃ狭いなりに不思議と楽しいものであった。



コンビーフの缶を開け、ある程度崩しておく。(後で炒める時に楽)


その間にピーマンやパプリカを切る。
まな板はいつもの牛乳パックで代用したが、これはいつもなかなか重宝している。


フライパンそのものが小さいので、今回は三人分を二つのフライパンを使って炒めた。
油はオリーブオイルを使用。
もうこの時点でテント内はいいにおいで満ちあふれていた。
ますます空腹に響いたなぁ(笑)。
それにしてもパプリカの「赤」が食欲をかき立てる色合いを出してくれていた。
これは持ってきて大正解の食材だった。


続いてタケノコを入れて炒める。
果たしてこの順番が正しいのか否かは分からないが、そこまで突き詰めるものではないし、気にせず継続した。


次にコンビーフを入れ少し炒めた後、最後に青椒肉絲の素を入れ、軽く炒めて出来上がり。

一口つまみ食い・・・ではなく味見をしたが、実に美味かった!
「これ、本当に俺が作ったのか?」と、自分を疑いたくなるほどの美味さだった。

「やっぱコンビーフとは言え、牛肉を使って正解だったね」
「早く食べましょうよ!」と、空腹のKMさん。

ではみんなでいただきま~す♪

今回の料理は、師匠のKMさんの手を煩わすことなくなんとか上手く行ったようで、内心ホッとした。

しかしこれは本当に美味かった。
家に帰ってから家族に作ってあげても、そこそこほめられるのではないだろうか(笑)。
まぁ実際にはやらないだろうが・・・。

食べながらの会話も楽しかった。
話題はもっぱら劔沢でのテント泊の時のこと。
あの時の料理の出来映えは今でも笑えるネタだ。
だが、失敗も思い出の一つであり、笑い話として大いに盛り上がった。

食後に珈琲を飲み、明日の予定を確認した。
はっきり言って天候は期待できない。
むしろ双六、三俣蓮華、鷲羽への往復縦走は危険かも知れないほど荒れる可能性が高かった。
予定の時間に起きてみて最終判断は自分がすることに決めた。
決して無理はしない。

でもなぁもし無理だったとしても、そうなると丸一日何もすることがない。
テントの中でじ~っと、ぼ~っとしているしか術がなく、これはこれである意味苦痛かも知れない。

夕方よりも風はまた一段と強くなってきたようで、テントのばたつきが激しい。

寝る前にペグのチェックをしたが果たして・・・。

20時を過ぎて、一人ココアを飲んだ。
10月の半ばともなれば、さすがにこれだけの標高では寒さを感じる。
ココアの温かさがしみ渡った。
「明日はどうかなぁ・・・たぶん無理かもなぁ」
そんな想いが強くなるほどフライシートのばたつく音が響いていた。


裏銀座へ:テントが張れない!

2017年12月13日 00時48分17秒 | Weblog
鏡平の小屋から今日最後の急登攀となった。
ここから弓折岳手前の弓折乗越までは時間にして1時間程度の登攀だが、やはり膝のことが気になっていた。
「AM君、すまないけど途中休憩を入れてもらってもいいかな?」
そう言って、トップを交代してもらった。

ガスが濃い。
午後になれば雲がかかってくることは当然のことであり、それが故に登山では早め早めの行動を心掛けることが常となる。

ほぼ1時間ほどで乗越まで登った。

ここまでくればあと1時間ちょっとで双六小屋だ。
決して慌てることはないが、テントを設営したり夕食の準備をしたりのことを考えれば1時間くらいはロスしていることになる。


やはり左膝は痛かったが、全体のことを考えれば少しでも早く出発したいところだ。
「膝、どうですか?」
AM君が聞いてきた。
「まぁここまでくればテン場まですぐだし、それに一晩休めば大丈夫だよ。」
一晩寝ればと言ったのは、今までの経験から来たものだが、もちろん大丈夫だなんて確証はない。
それでも二人にはあまり心配を掛けたくはなかった。

テン場へ向けて最後の縦走だ。

徐々に風を感じるようになってきた。
(「この分じゃテン場はかなり吹いているかも・・・」)
何となくだが嫌な予感がしていた。


緩やかなアップダウンを何度か繰り返し、少しずつテン場へと近づいて行く。
すると・・・

今回も雷鳥さん達との出会いがあった。
見られることは嬉しいのだが、雷鳥が活発に動き回ると言うことがどのようなことを意味しているのかは承知の通りだ。
はっきり言って微妙な心境だった。

遂にテン場(双六小屋)が見えた。

残念ながらその先の鷲羽岳はガスの中でありその姿を見ることは叶わなかったが、正直今日のゴールが見えてホッとした。
やはりテントを担いでの縦走は膝に堪えた。


小屋に隣接しているテン場が見えた。
敷地はそこそこ広いのだが、嫌な予感が当たってしまい、かなりの強風だった。

先ずは受付を済ませ、すぐにテントの設営に取りかかった。
強風時の設営の仕方は慣れているつもりだったが、この時ばかりは思うように張ることができなかった。
理由は膝の痛みだ。
設営する時はしゃがんだり立ったりの繰り返しであり、一端しゃがんでしまうと立つ時に膝にかなりの痛みが走った。
(「やっべぇ。こんな事は初めてかも・・・」)
他の二人もそれなりに苦労していたようだが、自分よりも早く設営が終わっており、自分はこれからやっとフライシートを張るところだ。

時刻はすでに16時をまわってしまっている。
せめて日が暮れる前に夕食の準備だけでも済ませておきたい。
なんとか設営を終え一息つきたいところだが、すぐに夕食の準備にとりかかった。
一人一張りのテントだが、食事作りは自分のテントですることにした。
少々狭いがそれもまた楽しいものだ。

今夜のメニューは得意の「青椒肉絲」。
去年の秋に涸沢でも作ったが、今年はバージョンアップしたものであり自分としても楽しみだ。

忘れていた!

2017年12月12日 01時15分49秒 | Weblog
このブログをスタートし、何だかんだで10年という歳月が過ぎていた。

2007年10月、勧められるがままに開設をしたものの、果たしてこんな自分がどこまで続けられるか全く自信はなかった。
「まぁ気ままにのんびりとやればいいか」程度の気持ちだった。

あれからもう10年が過ぎていた。
当初は「ひとり旅」的な内容を綴るつもりでいたのだが、今じゃ山のことばかり。
本当はサッカーへの想いをもっと自由に書きたいと考えてはいるが、登山が生活や仕事の一部のようになってしまっている現状。
もっとシンプルに山の思い出を書けば一つの山行などすぐに終わるのだろうが、いろんな想いがありすぎてしまいどうしても長くなってしまっている。
まぁそれはそれで本音で綴っているわけだし、一つの登山には多くの喜怒哀楽が詰まってもいる。

これからも山のことが中心になるブログになるだろう。
いつまで続くか自分にも分からないが、とりあえずは15年目を目指してみたい。

裏銀座へ:痛みも忘れる料金設定

2017年12月09日 03時15分28秒 | Weblog
鏡平山荘へと向かう登り道。
左膝は、既に疼きから痛みへと変わってしまっていた。
(「今日は何とかなったとしても明日が・・・。それでも明日はアタックザックのみだし身軽だ。落ち込むことはない。」)

今この時、そしてテント場までをどうするかよりも、明日のことが気になって仕方がなかった。
そんなことを考えている内に、登攀が終わり急にフラットなポイントへ来た。
「おぉ~! 槍だ!」

池の向こう側には槍ヶ岳を始めとした穂高連峰が一望できた。
この絶景を見るのは本当に久しぶりのことであり、忘れかけていた風景でもあった。


残念ながら槍の穂先部分にだけ雲がかかっており、その全体像を見ることはなかなかできなかった。


初めて生の槍を見て感動しきりのKMさん。
何とか槍を写真に残そうとしているのだが・・・。
「あ~見えない! あ~雲が・・・。 あ~邪魔! んもぉ~!」
聞いているこっちの方が笑ってしまう独り言のオンパレードだった(笑)。

池から数分で小屋が見えてきた。

自分にとっては、槍や穂高連峰のことよりも、これからの登攀ルートのことが気がかりだった。
「あの稜線までは大して時間はかからないけど、一気には無理かもなぁ・・・。」
稜線を見上げながら膝を気にした。


ほんの一瞬の隙を狙ってやっと撮れた槍ヶ岳。
確かにどこから見ても目立つ山ではあるが、それほど興味や関心があるわけではない。

北アルプスに行ってみたい。
そしていつかは槍ヶ岳に登ってみたいと思っている人は相当数いることは知っていた。
だが、何故か槍そのものからは山の魅力が感じられない。
仕事柄「槍に登ってみたいんです。どうしても槍ヶ岳に行ってみたいんです。」
という人たちと大勢会う。
「はて、そんなに行きたい山なのかなぁ・・・」
と疑問に感じつつも、懇切丁寧にルートやアタックの状況を説明するのが常だ。

自分流に言わせてもらえば、槍そのものに登ることよりも、どのルートで槍の肩口まで行ったかが重要なのである。
まぁこれ以上は我が儘な蘊蓄にもなってしまいそうなのでやめておこう。

小屋について一息ついた。

ホットカルピスを飲むAM君。
たしか一杯のホットカルピスの値段が500円くらいだったような・・・。
「これってまるまるぼろ儲けじゃんか」
でもって、KMさんはホット珈琲をご注文。
「ホットを飲むの? 寒いの?」
「う~ん、やっぱり休憩すると寒さを感じますね。」
休憩時だろうが暑さを感じているのは自分だけのようだった。
なんかとても恥ずかしいような気がしてきた。
ということで、「高っけ~!」と思いつつも自分が注文したのは普通のカルピス(もちろん氷入り)。

山小屋において、食事関係の料金設定が高いのは当然のことであるが、カルピス一杯が500円で、ラーメンが700円。
やっぱりラーメンの方が徳をしたような気分になる。

つかの間だったが、膝の痛みを忘れさせてくれた料金設定だった。

裏銀座へ:虫はいなかった

2017年12月07日 01時51分01秒 | Weblog
秩父沢へ向け登り続けた。
ルートは徐々に石が目立ち始め、やがて岩のルートとなった。
それでもまだ樹林帯の中であり、ルートのすぐ両サイドには紅葉が広がっている。

心配なのは自分の古傷である左膝だった。
「なんでこんな時に限って・・・」と、愚痴っぽくはなったが、まだ仲間には言っていない。
(「言っておいた方がいいのだろうか・・・。」)
このまま今の程度で治まってくれればいいが、果たして・・・。

秩父沢に到着した。
殆どの登山者はここで休憩をするようで、登攀者や下山者の数名がザックを下ろし体を横たえていた。
また、このポイントを水場だと思い込んでいたが、あながち間違いでは無さそうだった。
水道が設置されている訳ではないが、上流から流れ落ちる沢があり、その縁がやや広くなっていることから自然と休憩ポイントとなったようだ。


「暑い~!」の一言。

ハイドレーションの水よりも明らかに冷たいであろう沢の水を数口飲んでみた。
「うおぉ~~冷てぇ~! 美味いなぁ」
結果として数口どころかゴクゴクと飲んでしまった。

さて、再び登攀開始だ。


色鮮やかな色彩の中をひたすら標高を稼ぐ。
気持ちは良いのだが、膝の痛みは確信的となってきていた。
このまま黙っているのも限界だろうし、次の休憩ポイントではっきりと言ってしまった方が良いと判断した。

イタドリヶ原を越え、シシウドヶ原へと着いた。
確かこの辺りで小さな虫に悩まされたような記憶が蘇ってきた。
刺される訳ではないのだが、顔にまとわりついて離れないやっかいな虫だった。
だがあの時は真夏。
今はもう秋であり、うざい虫はいなかった。


緑と黄色、朱色の入り交じった休憩にはもってこいのポイントだ。
そして何よりも空気が美味い!

見上げれば・・・

「来て良かった~!」
の一言が思わず出てしまう。

「今日はもうここでテント張りたいくらいだね。」
二人とも「賛成」の返事(笑)。
水の確保さへできるのであれば、本気でここにテントを設営してしまいたいくらいだった。

スタートを前に二人に膝のことを打ち明けた。
できるだけ心配させたくはないし、余計な不安を持たせたくもなかったで、ジョークを交えながら言ったつもりであったが、ペースが落ちてしまうことだけは避けられそうもなかった。
「本当に申し訳ないとしか言えない。明日だけじゃなく下山のこともあるので絶対に無理はしないけど、予定していたコースタイム通りには行かなくなってしまうかもしれない。本当に申し訳ない。」

胸につかえていた物は取れた。
ここから先にある鏡平小屋までは、幸いにトラバース気味でもあり、大した登りもない。
問題は小屋を過ぎてからの登攀だろう。
せめて楽なルートの時だけはペースを上げて頑張ろう。

裏銀座へ:素晴らしき紅葉

2017年12月04日 20時27分32秒 | Weblog
夏山シーズンも終わり、山は紅葉シーズンへと移り変わった。

「はて、どこに行くか。どの山に登ろうか・・・。」
地図を広げ、紅葉を愛でることと登山とを兼ねることのできるルートを探した。
行ってみたいルートは幾つかあったのだが、ふいに20数年振りに裏銀座へ行ってみたいという思いに駆られた。
「できれば水晶あたりまで行ければいいなぁ」などと暢気に構えていたが、裏銀座の紅葉シーズンはもう終わりかけている。
職場の仲間を誘い、双六、三俣蓮華、そして鷲羽の往復ルート計画を立てた。
メンバーは夏に劔に行った仲間と同じで、AM君とKMさんとの三名。
初日は双六のテント場までであり、そこからだと水晶までの往復はかなり厳しく、鷲羽までの往復と決めた。

10月10日、仕事を終えてから合流し、劔号(自分が勝手に名付けた我が愛車の別称)で一路新穂高温泉まで走らせた。
車中での仮眠は僅かに数時間だけだったが、目覚めた時の太陽の眩しさが嬉しくてモーニング珈琲はことのほか美味かった。


今日これから自分たちが登る方面の山並みが輝いている。
「紅葉もいいけど、汗かくかも・・・」

この予感は的中していた。
事実、薄手のトレッキングパンツであるにもかかわらず、裾をまくし上げ肌を露出しながらの登攀となった。

登山届けを提出し、新穂高温泉を出発。
しばらくは林道の中を緩やかに登って行く。

ここは標高1200m程度だが、紅葉はまだ十分に楽しめた。
うる覚えの登山道を歩きながら、右に左に点在する朱色黄色の葉に目移りしっぱなしだった。

ここから槍ヶ岳方面への分岐点辺りまではのんびりムードだが、そこから先は徐々に勾配がきつくなり、岩場の登攀へと変わる。
厳しくなってくることが分かってはいたが、森林限界線を越えるまでの樹林帯だけに許された大自然のグラーデーションに満足していた。


この青空。
やはり今日は暑くなりそうだが、明日以降は天候の悪化が見込まれる。
おそらくはガスの洗礼も受けるだろう。
だから今日だけでも年に一度のこの時季を楽しもう。


ほどなくして今日最初の休憩ポイントである「ワサビ平小屋」に着いた。

恥ずかしながら既に喉がカラカラだった。
小屋の外には天然の水で冷やされた飲み物が売られていた。
スタッフに聞くと、売っているのは外で冷やされている物だけだそうだ。
「なるほどね。もうすぐ小屋を閉めるし、今更仕入れることはしないよなぁ。」
商品の数は少なかったが、朝からコーラを買って飲んでしまった。


「小池新道」と思われるルートが見えてきた。
テントを背負ったザックの重さが身に浸みる登攀となるだろうが、この紅葉と青空に癒されながらの登攀が不思議と楽しみだった。

ところがだった。
この辺りから急に古傷の左膝の痛みが出始めた。
(おっと、勘弁してくれよ。せっかくの本番当日になって何故疼くんだ。」)
まだはっきりとした痛みではなく、この程度の疼きだったら問題ないだろうと思い仲間には言わなかった。

途中、多くの下山する人たちとすれ違い、写真を一枚お願いした。

バックに見える稜線は、おそらくは槍ヶ岳へと通じる西鎌尾根だろう。
もう何年どころか、何十年も通っていない稜線だ。

それにしても暑い。
汗がしたたり落ちてくる。
だが、真夏の劔岳の時と比べれば、喉の渇きには明らかな違いがあった。
そして時折吹く微風でさへも、どことなく肌がひんやりと感じる。
やはり秋の北アルプスだ。


バックに見えているのは「抜戸岳」だろうか。
笠ヶ岳は更に奥になるので、おそらくは抜戸岳ではないだろうか。


相変わらずの痩躯だが、劔を制しただけあって自信に満ちているKMさん。
もう完全なる「脱・山ガール」だ。


西に見えるルンゼをバックに撮ってもらった。

あのルンゼを見た瞬間、池ノ谷ガリーを思い出した。
「そう言えば、あんな感じだったなぁ。」
「えっ、何がですか?」
「北方稜線の池ノ谷ガリーだよ。おそらくはもう少し急だったと思うけど、ガリーによく似ているんだよ。」
「人間が登るところじゃないですよ(笑)。」
KMさんは笑っていたが、その気になればKMさんだって登れると思う。
何故なら彼女は既に「劔人(つるぎびと)」だからだ。

この先には「秩父沢」というポイントがある。
よくは覚えていないが、水場の休憩ポイントだったような覚えがある。

樹林帯の中を出たり入ったりの登攀ルートが続く。
気にしていた左膝の疼きは、少しずつ痛みへと変わってきていた。