平蔵谷を登り始めて2時間近くが過ぎていた。
「ふぅー、やっと腰を下ろせるな・・・。」
岩の上にどっかりと腰を下ろし、ゆっくりと水分補給をした。
万年雪の雪渓とはいえ、夏の直射日光がまともに当たればそれなりに暑い。
額から流れ出る汗を拭い喉を潤した。
これから先、雪渓はあと僅かだが、すぐにカニのタテバイが待っているし、何か食べておこうと思った。
見上げれば平蔵の頭を下りてきた登山者がコルで休憩しているのが見えた。
話し声さへも聞こえてくる。
一服してから装備を確認。
アイゼンよし。ピッケルよし。ヘルメット(あご紐)よし。忘れ物無し。
雪渓のラストスパートだ。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/7c/bb/c37fd13f731d79de61675275dfabb58a.jpg)
相棒のモン太君。
モン太君の後方に写っているのが休憩したガレ場。
いよいよもって勾配がきつくなってきたが、雪渓の終点は既に見えている。
「ここまで来ればもうちょっとだし、アイゼンを外せるなぁ。」
少し嬉しくなってきたが、ここに来て最後の難所が待ち受けていた。
雪渓を横断するように真横に一直線の亀裂が走っていた。
しかも幅は広く、どう見ても一端下りなければならなそうだった。
一本目の亀裂(段差)を下りる。
壁の高さはそれほどでもなくピッケルを振りおろせばピックの先端は上に届いた。
全体重をピンポイントのピックの先端だけに預けることになるのだが、しっかりと雪に食い込んでくれており安心してキックステップをすることができた。
「去年の長治郎雪渓でもこんなことまではしなかったなぁ。」
感心するような思いで雪壁を登り越えた。
すると2本目の亀裂(溝)が走っていた。
ここもそれほどの深さはなく、ピックの先端は何とか届いてくれた。
しかし、真夏の雪壁はかなり思い切ってキックステップをしなければアイゼンの前爪を十分に差し込むことはできなかった。
「ガシュ! ガシュ!」ってな感じで、力を込めた。
本来であれば「振り子」の要領程度でも十分なのだが、それではすぐに雪が崩れ落ち、足が宙ぶらりんとなってしまった。
「ガンバレー!」
突然左の方から声が聞こえた。
顔ははっきりとまでは見えなかったが、他の登山者が自分を応援してくれたのだった。
「ありがとー!」と言って返すが、この時は正直言ってしんどかった。
2本目の溝を乗り越えたと思ったら、なんとまたまたあるではないか。
「おっと、3本目か・・・え~なんじゃこりゃぁ。」
溝の手前で立ち止まり、その深さに困惑してしまった。
「下りたとしても、どうやってこの高さの壁を・・・」
しばし考えた。
そして右に左に移動しながら、安全に下りられるポイントと、登る時にできるだけ低い雪壁のポイントを探した。
本来であれば危険なことであり、近づかないほうが良いことは知っていたが、右側(タテバイ方向)へと雪渓を移動し、シュルンドへと潜り込んだ。
思っていた以上に深さがあり、身の危険を感じた。
素早く亀裂の中央部方向へと移動し、乗り越えられそうなポイントを探した。
「まいったなぁ、最後に来てこれかよ・・・。」
ため息が出そうな高さの雪壁だった。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/73/42/8d656d30dd3521db7559eaa99e22b7ac.jpg)
どこを見ても3mは越えている。
いや、どこかにはあるはずだと思い、奥へと溝の中を移動した。
平蔵の頭方向へと移動していると「ここだったら」と思えるポイントを見つけた。
手を伸ばしてみる。
おそらくは2m50㎝程の高さと推測した。
こんな時、バレーボールをやっていたことが役に立った。
つまりネットの高さとほぼ同じだったのだ。
「ここなら・・・ここしかない。」
一番奥の岩へ登ってしまおうかとも考えたのだが、さすがにシュルンドが怖く、それだけはできなかった。
腕を思い切り伸ばしピッケルを振り下ろす。
壁の上の方には届いたが、今度ばかりは余っている左手も使わなければ登れそうになかった。
左手で壁の雪をホールドしようとするが、為す術無し。
何度か繰り返したが結果は同じだった。
ダブルアックスでもあればクリアできるのだろうが、まさかそこまでの装備は持ち合わせてはいない。
「焦るな、考えろ・・・考えろ。何か方法はあるはずだ。」
自分に言い聞かせながら、無い知恵をめぐらせた。
「ひょっとしてこれなら。」
そう思って取り出したのは、三脚だった。
短く縮めても25㎝ほどはある三脚だ。
右手にピッケル、左手に三脚。
あとは思い切り前爪をけり込み、目の前の雪の壁を乗り越えるだけだ。
我ながらいいアイデアだった。
三脚の先端は丸みを帯びており、それほど深くは刺さってくれなかったが、あくまでも補助的な役割を果たしてくれれば十分だ。
ピッケルの2発目は雪渓の表面を刺すことができた。
すると再び「ガンバレー!」という声援が聞こえた。
う~ん、返事をしたくてもちょっと・・・。
「ピッケルが見えた。もうちょっと! もう少し!」
今度は女性の声だった。
よ~し、がんばっちゃおう♪
その時の体勢は、ちょうど上半身だけが雪渓の上に出ており、下半身はまだ溝の中だった。
アイゼンの両方の前爪は、雪の壁に深く突き刺さっている。
あとはどちらかの前爪に力を入れて踏ん張り、片足を雪渓の上に出しさへすれば乗り越えられる・・・はずだった。
左足の前爪で踏ん張り、右足の前爪を外して上まで出そうとした時だった。
一瞬顔が歪んだ。
激痛と言っても過言ではない痛みが右足のふくらはぎあたりに走った。
「ひょっとして刺したか・・・」とも思ったが、こんな時に限って「がんばってぇ~♪」という黄色い声が(笑)。
「いっ痛ぇー!」と声を出すことを恥じらい、我慢した。
左足の前爪は、雪の壁の中には踏みとどまってくれず、はずみで右足を刺してしまったことは間違いないだろう。
だが、どの程度の傷なのかは分からない。(見えないし、この体勢では見ることは無理)
思い切り踏ん張ってしまっただけに不安だったが、とにかく今はここを乗り越えて雪渓の上に全身を置くことだけを考えた。
痛みはかなりあったのだが、再びキックステップで蹴りこみ、壁を越えることができた。
「おぉ~やったー」
という声が聞こえてきたが、その声に応えるだけの気持ちの余裕は無かった。
急斜面の雪の上に仰向けになり、「ハーハー」と荒い息づかいを整えるのが精一杯だった。
「やっちまったかぁ・・・。傷が気になるな。」
心臓の鼓動と同じリズムで右足にズキンズキンと痛みが走る。
そのくせ夏の太陽と澄み渡った碧空が、これでもかという程に眩しかった。
仰向けになりながら、碧空を見つめたままそっと傷口付近を指で触れてみた。
雪が付着して濡れた感じとは明らかに違う湿り気と、ヌルッとした感覚があった。
指先を目の前に持ってくると赤いものが付着していた。
「やっぱりか・・・。」
上半身を起こし右足を見た。
スパッツのすぐ上、ふくらはぎの上部のトレッキングパンツに穴が空いていた。
そしてその穴の周りは赤黒く染まっていた。
「ふぅー、やっと腰を下ろせるな・・・。」
岩の上にどっかりと腰を下ろし、ゆっくりと水分補給をした。
万年雪の雪渓とはいえ、夏の直射日光がまともに当たればそれなりに暑い。
額から流れ出る汗を拭い喉を潤した。
これから先、雪渓はあと僅かだが、すぐにカニのタテバイが待っているし、何か食べておこうと思った。
見上げれば平蔵の頭を下りてきた登山者がコルで休憩しているのが見えた。
話し声さへも聞こえてくる。
一服してから装備を確認。
アイゼンよし。ピッケルよし。ヘルメット(あご紐)よし。忘れ物無し。
雪渓のラストスパートだ。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/7c/bb/c37fd13f731d79de61675275dfabb58a.jpg)
相棒のモン太君。
モン太君の後方に写っているのが休憩したガレ場。
いよいよもって勾配がきつくなってきたが、雪渓の終点は既に見えている。
「ここまで来ればもうちょっとだし、アイゼンを外せるなぁ。」
少し嬉しくなってきたが、ここに来て最後の難所が待ち受けていた。
雪渓を横断するように真横に一直線の亀裂が走っていた。
しかも幅は広く、どう見ても一端下りなければならなそうだった。
一本目の亀裂(段差)を下りる。
壁の高さはそれほどでもなくピッケルを振りおろせばピックの先端は上に届いた。
全体重をピンポイントのピックの先端だけに預けることになるのだが、しっかりと雪に食い込んでくれており安心してキックステップをすることができた。
「去年の長治郎雪渓でもこんなことまではしなかったなぁ。」
感心するような思いで雪壁を登り越えた。
すると2本目の亀裂(溝)が走っていた。
ここもそれほどの深さはなく、ピックの先端は何とか届いてくれた。
しかし、真夏の雪壁はかなり思い切ってキックステップをしなければアイゼンの前爪を十分に差し込むことはできなかった。
「ガシュ! ガシュ!」ってな感じで、力を込めた。
本来であれば「振り子」の要領程度でも十分なのだが、それではすぐに雪が崩れ落ち、足が宙ぶらりんとなってしまった。
「ガンバレー!」
突然左の方から声が聞こえた。
顔ははっきりとまでは見えなかったが、他の登山者が自分を応援してくれたのだった。
「ありがとー!」と言って返すが、この時は正直言ってしんどかった。
2本目の溝を乗り越えたと思ったら、なんとまたまたあるではないか。
「おっと、3本目か・・・え~なんじゃこりゃぁ。」
溝の手前で立ち止まり、その深さに困惑してしまった。
「下りたとしても、どうやってこの高さの壁を・・・」
しばし考えた。
そして右に左に移動しながら、安全に下りられるポイントと、登る時にできるだけ低い雪壁のポイントを探した。
本来であれば危険なことであり、近づかないほうが良いことは知っていたが、右側(タテバイ方向)へと雪渓を移動し、シュルンドへと潜り込んだ。
思っていた以上に深さがあり、身の危険を感じた。
素早く亀裂の中央部方向へと移動し、乗り越えられそうなポイントを探した。
「まいったなぁ、最後に来てこれかよ・・・。」
ため息が出そうな高さの雪壁だった。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/73/42/8d656d30dd3521db7559eaa99e22b7ac.jpg)
どこを見ても3mは越えている。
いや、どこかにはあるはずだと思い、奥へと溝の中を移動した。
平蔵の頭方向へと移動していると「ここだったら」と思えるポイントを見つけた。
手を伸ばしてみる。
おそらくは2m50㎝程の高さと推測した。
こんな時、バレーボールをやっていたことが役に立った。
つまりネットの高さとほぼ同じだったのだ。
「ここなら・・・ここしかない。」
一番奥の岩へ登ってしまおうかとも考えたのだが、さすがにシュルンドが怖く、それだけはできなかった。
腕を思い切り伸ばしピッケルを振り下ろす。
壁の上の方には届いたが、今度ばかりは余っている左手も使わなければ登れそうになかった。
左手で壁の雪をホールドしようとするが、為す術無し。
何度か繰り返したが結果は同じだった。
ダブルアックスでもあればクリアできるのだろうが、まさかそこまでの装備は持ち合わせてはいない。
「焦るな、考えろ・・・考えろ。何か方法はあるはずだ。」
自分に言い聞かせながら、無い知恵をめぐらせた。
「ひょっとしてこれなら。」
そう思って取り出したのは、三脚だった。
短く縮めても25㎝ほどはある三脚だ。
右手にピッケル、左手に三脚。
あとは思い切り前爪をけり込み、目の前の雪の壁を乗り越えるだけだ。
我ながらいいアイデアだった。
三脚の先端は丸みを帯びており、それほど深くは刺さってくれなかったが、あくまでも補助的な役割を果たしてくれれば十分だ。
ピッケルの2発目は雪渓の表面を刺すことができた。
すると再び「ガンバレー!」という声援が聞こえた。
う~ん、返事をしたくてもちょっと・・・。
「ピッケルが見えた。もうちょっと! もう少し!」
今度は女性の声だった。
よ~し、がんばっちゃおう♪
その時の体勢は、ちょうど上半身だけが雪渓の上に出ており、下半身はまだ溝の中だった。
アイゼンの両方の前爪は、雪の壁に深く突き刺さっている。
あとはどちらかの前爪に力を入れて踏ん張り、片足を雪渓の上に出しさへすれば乗り越えられる・・・はずだった。
左足の前爪で踏ん張り、右足の前爪を外して上まで出そうとした時だった。
一瞬顔が歪んだ。
激痛と言っても過言ではない痛みが右足のふくらはぎあたりに走った。
「ひょっとして刺したか・・・」とも思ったが、こんな時に限って「がんばってぇ~♪」という黄色い声が(笑)。
「いっ痛ぇー!」と声を出すことを恥じらい、我慢した。
左足の前爪は、雪の壁の中には踏みとどまってくれず、はずみで右足を刺してしまったことは間違いないだろう。
だが、どの程度の傷なのかは分からない。(見えないし、この体勢では見ることは無理)
思い切り踏ん張ってしまっただけに不安だったが、とにかく今はここを乗り越えて雪渓の上に全身を置くことだけを考えた。
痛みはかなりあったのだが、再びキックステップで蹴りこみ、壁を越えることができた。
「おぉ~やったー」
という声が聞こえてきたが、その声に応えるだけの気持ちの余裕は無かった。
急斜面の雪の上に仰向けになり、「ハーハー」と荒い息づかいを整えるのが精一杯だった。
「やっちまったかぁ・・・。傷が気になるな。」
心臓の鼓動と同じリズムで右足にズキンズキンと痛みが走る。
そのくせ夏の太陽と澄み渡った碧空が、これでもかという程に眩しかった。
仰向けになりながら、碧空を見つめたままそっと傷口付近を指で触れてみた。
雪が付着して濡れた感じとは明らかに違う湿り気と、ヌルッとした感覚があった。
指先を目の前に持ってくると赤いものが付着していた。
「やっぱりか・・・。」
上半身を起こし右足を見た。
スパッツのすぐ上、ふくらはぎの上部のトレッキングパンツに穴が空いていた。
そしてその穴の周りは赤黒く染まっていた。