ひとり旅への憧憬

気ままに、憧れを自由に。
そしてあるがままに旅の思い出を書いてみたい。
愛する山、そしてちょっとだけサッカーも♪

事故、そして怒り

2009年11月27日 23時44分45秒 | Weblog
先日の22日の日曜日のこと、母が交通事故に遭った。
時刻は夕方の6時過ぎ。近所の家に夕食のおかずをおすそわけに行った帰り、横断歩道を渡っているときに車にはねられた。
ひき逃げだった。
現場から家までは約30メートルほどか。はねられた後、母は一人で家まで足を引きずって帰った。
自分では打撲程度の傷と判断し、一晩そのまま一人で過ごしたのだ。

翌朝、電話をもらい急いで実家へと向かった。
当然ひき逃げ事故であるため警察へ連絡したが、それより怪我のことが先決。幸い近所の町医者が休日の当番医であり診てもらった。
しかしそこは内科医。詳細な診察はできず、翌日総合病院の整形外科へと向かった。
精密検査の結果は、左胸部の肋骨が7~8本骨折。左腕の打撲。両足の打撲。左足首くるぶしの骨折だった。
予想していた以上の重傷だったが、内臓や頭部への影響が無いことだけは不幸中の幸いだろう。
現在は痛みも和らぎ、安静にしているが、足首の骨折だけは手術が必要であり、12月1日に行うことになった。

正直この程度の怪我でよく済んだものだと思う。
とはいえ、骨折と打撲の痛みを76歳の老人がたった一人で堪えていたのだ。
一晩たった一人で堪えていたのだ。
大したことはないと、息子に心配はかけまいと、電話をせずにいたのだ。
どんなにか痛かったことだろう。どんなにか心細かったことだろう。
知らなかったこととはいえ、自分が情けない。おふくろに申し訳ない。
そして、ひき逃げをした加害者。否、犯人が許せない。
今頃どこでどうしているのか。
ひき逃げをし、警察の手がせまることに怯えているのか。それとも大したことはないと酒でも飲んでいるのか。

いい湯だな♪(6)

2009年11月22日 00時22分50秒 | Weblog
TVで、山の奥深い露天風呂温泉に「猿」が入っているCMを見た記憶がある。
この時は、将にその状況に似ていた。
見上げれば抜けるような青空。山中深く入り、周囲は樹木(正確には崖)に覆われた露天風呂温泉。
実にいい湯だった♪
確かに熱いのだが、外気が低いためだろうか、それほど苦にはならなかった。
肌が赤くなるほど温まれば、湯船から出て岩に座る。外気に当たることが心地よかったなぁ・・・。

ツーリングで温泉(風呂)に入ることは今までにも何度かあった。
経験として言えることは、帰宅前の時間帯には入浴しないほうがベターだということ。
朝から走り続けているということは、風の抵抗を長時間体中に浴び、同じ体勢を維持し続けているわけで、それだけで疲労は蓄積している。
帰りがけの入浴は、疲労や体温の回復には良いのだが、かえって体がだるくなりやすく、結果として眠気さえをも導いてしまうのだ。
何度ウトウトしながらアクセルを握っていたことか。

今日はまだ日中の昼前。ちょうど良い気分転換にもなった露天風呂だった。
「ババンババンバンバン♪」っと。

いい湯だな♪(5)

2009年11月21日 00時22分44秒 | Weblog
突然薮の中から野生の動物が飛び出し、ハンドル操作を誤ってしまっても致し方のない状況だった。
そのうち着くだろう・・・と思っていると、斜面が崩れ落ち、岩肌がむき出しになっている山が見えた。
「まさかね。ここじゃないだろう・・・・え゛っ! ここかよぉ~(汗)」
こんなところに温泉が・・・。こんな所に人が・・・。こんなところに宿が・・・。
それなりに覚悟は決めて来たつもりだったが、まさかこれほどとは。
秘境中の秘湯そのものだった。

バイクを止め、タオルを持って露天風呂へと向かった。
周囲は見上げるような山々。吊り橋を渡り、宿の受付で入湯料を払う。
さて、露天風呂は・・・・・・・・・・・・う゛っ! いつ死んでもおかしくない。
来る途中で見えていたむき出しの岩肌は、露天風呂を囲むように我々を見下ろしていた。
「いつ崩れだしてもおかしくないなぁ。」
おそらくは全員の脳裏に共通して浮かんだ言葉だろう。
もし入浴中に岩が崩れてきて・・・。最悪のケースを想像した場合、すっぽんぽんでは恥の上塗りだ。
そう思いつつも服を脱ぎ、乳白色の湯船に足を入れた。
「熱っ~~!!!」

いい湯だな♪(4)

2009年11月20日 02時16分03秒 | Weblog
東栗子トンネルを抜け大きく左折。
しばらく走ると線路が見えてきた。そして建物の合間から一瞬だが山形新幹線の車体が見えた。
「そっか、奥羽本線に沿って走っているんだ。」
間近で見る山形新幹線は初めてのこと。なんか得した気分♪
などと、お気楽気分はここまでで、いよいよ細い山道へと入って行く。
事前にネットで調べた通り、かなり奥深くまで入るようだった。
「林道」なのか「山道」なのか。そんなことよりは、こんなに細い道で急カーブが続く。しかもカーブにはガードレールなんぞ設置されていない箇所が殆どで、「お~いい気分」なんて浮かれているとそのまま崖下まで一直線ってな感じだった。
更には急勾配の上り坂。いや、上り坂程度なら何のことはない。上り坂プラス90°を遙かに超えるカーブになっているのだ。
いや、それならまだいい。何故かそんな急勾配急カーブの箇所に限って対向車がやって来る。
大きめのワンボックスカーほどにもなれば、おそらくは一度で曲がりきれないのではないかと思うほどだった。いわゆる「スイッチバック」でもしなければ曲がれないのではないか・・・。
う~ん、姥湯温泉恐るべし。
しかし、その恐るべしはまだまだ序の口だったのだ。

木漏れ日の中を走る。
一見いい感じのライディングを楽しめそうだが、これが何とも路面を認識しづらかった。
つまり、路面には陽の当たる部分と、樹木や木の葉でできた日陰との部分とがお互いに混じり合い、これがグレー調の迷彩模様を織りなしていたのだ。
しかもしかも、眩しいほどの木漏れ日が断片的なフラッシュライトとなって視界に入ってくる。
将に光彩陸離状態。思い切りでかいミラーボールの反射の様であり、目を細めるしかなかった。ハイキングであれば最高の森林浴となってくれるのだろうが、バイクで走っている以上、ただ視界を妨げるものにほかならない。
それでなくても細い道。道路脇の溝にはまりそうだった。
そして奥へ奥へと進むにつれ、リス、たぬき、きつね、ムササビ、モモンガ、鹿、イノシシ、熊、「出てこいや~!!!」の世界となって行くのだった。

いい湯だな♪(3)

2009年11月17日 23時20分05秒 | Weblog
予定より15分ほど遅れて到着。S氏とSU氏が待っていてくれた。
SA(サービスエリア)の駐車場は行楽の車でほぼ満車。
バイクとて駐輪場は一杯で、停めるのに一苦労した。

なによりも今日は天候に恵まれた。
今の時刻は8時45分。まだ肌寒いが、これから気温が上がって行くことは間違いない。助かるなぁ。
さて、全員集合したところで出発。目指すは秘湯中の秘湯「姥湯温泉」だ。

と、高速はいきなりの渋滞。4人そろって走るには無理があった。
次の休憩ポイントは事前に決めていたので、少々時間がずれてもOKだから各自が各自のペースで走り合流することにした。
しかしすごい渋滞だ。車線の間をすり抜けながら走っており、せいぜい60キロのスピードが限界だろうか。
たまにかなりの猛スピードですり抜けて行くバイクがある。それなりに腕に覚えのある奴なのだろうが、お世辞にも「カッコいい」とは思えない。無謀、蛮勇なだけだ。

安達太良SAで休憩。
ちょっと珍しい物が売っていた。う~んいいにおいがする。
値段は少々高めだったが誘惑に負け買った「牛タンまん」。具はたっぷり入っている。これがまた美味!
仙台が近いこともあり、仙台名物の牛タンを使っての便乗商売なのだろうが、美味いにこしたことはない。

安達太良SAから先の高速は、思ったほどの渋滞ではなかった。
おそらくは「磐梯・猪苗代方面」へと多くの車が流れていったのだろう。
福島、宮城へは何度も訪れているが、バイクでこの辺りまで来たのは久しぶりのことだ。

福島飯坂ICで下り、R13号を走る。
まだ紅葉には早かったが、素晴らしい秋の景色が道の両脇に広がっていた。混雑など全く縁のない見通しの良い道。こんなロケーションの中を走れるなんて・・・。
道端には果物屋が目立つ。農家直営の無人の店もあった。
さすがは果物王国の福島、山形だ。
こんなとき道端にバイクを止めて食べる秋の味覚って、やっぱり美味いんだろうなぁと思いつつ、姥湯温泉へと走らせた。

この日がきた・・・・・4

2009年11月16日 22時35分31秒 | Weblog
スポーツニュースでゴンのことが盛んに報道されている。
ネットを含めて限られた情報源から、最新の情報が知りたくて疼く。
流されまい、おどらされまいと思っていても疼く。

クラブに求められるのは総合的多角的な経営であって、過去の栄光と偉大なる記録は、記憶と数字としてのみ残る。
その象徴の一つが、カップ戦を制し、チャンピオンになったクラブがJ2へ降格。
あれだけマスコミやスポーツ界がもてはやしておいて、格下のカテゴリーへ落ちると決まってからは、素知らぬ顔。
まぁ今に始まったことではないが・・・。
それにマスコミにおどらされるほど俺だって落ちぶれちゃいない。
参考になる言葉や確かな情報はあっても、勝手にあだ名や呼び名を付け、勝手な感想や御託を並べ、読み手を煽る。
まだ俺の方がましだよと、言いたくもなることが多い。

ゴンの進退についても、マスコミの意見は一切読まないことにした。
TVのキャスターや解説者の意見も聞かないことにした。
最終的には彼自身が決めること。
俺は彼の決めたことを信じ、それを支持しようと思う。
仮に、俺が最も嫌いなチームに移籍したとしてもだ。(たぶんそれはあり得ないと思うが)

この日がきた・・・・・3

2009年11月15日 01時46分57秒 | Weblog
「アンドリュー・シェフチェンコ」
私の好きなサッカー選手の一人だ。
彼がセリエAのミランからプレミアのチェルシーへ移籍したとき、正直言って「してやったり」と飛び上がった。
好きな選手が好きなチームに来てくれた。こんな嬉しかったことはない。
が、結果として再びミランへ戻った期間を含めれば、数年間を無駄に過ごしてきたとも言える。
今は古巣の「ディナモキエフ」に戻り落ち着いているが、選手生命の短いサッカー選手にとって、数年間はあまりにも大きいロスだ。

移籍は本人の意思があって、両チームの経営と監督の戦略とがかみ合って合意に至る。ファンやサポーターの想いや願いは、直接的には関係ない。
もちろんゴンはジュビロに残って欲しい。サックスブルーのユニ以外に考えられない。
それでも彼がサッカーを続けるには他のチームに移籍する以外にないのだ。

俺はジュビロでのゴンが見たいのか・・・。
それともサッカーをしているゴンが見たいのか・・・。
俺にとってのベストの形が叶わないのなら・・・答えはわかっている。
わかっていてもそれを口に出すことが、文字に綴ることがつらい。
なぜならジュビロもゴンもかけがえのないものだから。

この日がきた・・・・・2

2009年11月13日 22時07分02秒 | Weblog
諸行無常。万物流転。
そんなありきたりの言い尽くされた言葉が身にしみて痛い。

他人の俺がそんなに凹んでどうする。
俺のことなどゴンが知るはずもないだろう。
サッカーの応援など、たかが趣味の世界じゃないか。

できることならそう思い続けていたい。
そう思えたならどんなにか楽だろう・・・。

今でも忘れることができないゴンの思い出がある。
2002年シーズン。
当時は2シーズン制になっており、ジュビロの黄金期でもあった。
ファーストステージを圧倒的な強さで優勝したジュビロ。セカンドステージもそのままの勢いで勝ちまくっていた。
そしてこの試合に勝てばセカンドの優勝か決まるという日の夜。俺はホームスタジアムの最前列にいた。
セカンドでの優勝は、つまりチャンピオンシップの行われない、Jリーグ史上初の完全制覇での優勝を意味した。

「産みの苦しみ」とでも言えばよいのか、90分では決着がつかず、延長戦となった。
先に点を入れた方が勝つ「ゴールデンゴール方式」での延長戦。
目の前での完全制覇を願いながらも、オウンゴールすら絶対に許されないという気の焦りはあった。
だが史上最高の歓喜は、俺のすぐ目の前で起きた。
福西が放ったシュート。そのボールが俺のほんの数メートル前でゴールネットを大きく揺らしたのだ。
「ウオーーッ!!!」と両握り拳を高く突き上げようとしたそのときだった。
一人の選手が看板を飛び越え、俺の方に向かって猛ダッシュして来るではないか。
「えっ、なに?・・・誰?・・・な、なんだ?」
その数秒後、俺は中山雅史という一人の男に抱きしめられていた。
丸太のようなぶっとい腕。その腕が俺を含めた数人の体をがっしりと掴んでいた。
何が何だかわからないまま、ただ「離すもんか。離すもんか」とだけ、そう思い俺も彼の体をわしづかみにしていた。

頭の中は真っ白だった。
ほんの刹那の出来事が、事実であるはずの出来事が夢を見ていたかのように思えた。
俺の隣にいたスキンヘッドの某氏も「かぁ~たまんない!」といった満面の笑みを浮かべていたっけ(笑)
やっと興奮が冷め、気づけば俺のシャツが、腕が、手のひらが、そして首や顔までが汗でべっとりに濡れていた。
自分の汗でないことはすぐにわかった。
そう、彼の、中山雅史の汗が俺の体とシャツに染み込んでいたのだ。

いったんホテルへ戻り、着替えをして応援団仲間との優勝祝賀会へと出かけた。
その夜は、朝の4時頃まで飲んだ。
もちろん顔は洗っていない。手も洗っていない。当然シャワーも浴びていない。
そして応援の時着ていたシャツは、確か一週間ほど洗濯しなかった。
彼の汗を落とすことなどできるはずがなかろう。

中山雅史に抱きしめられた夜。
サッカー史上最高の歓喜を二つも味わうことができた幸せな夜だった。

この日がきた・・・・・1

2009年11月12日 23時53分31秒 | Weblog
中山雅史。
サッカーファンでなくとも、聞いたことのある名前のはずだ。

中山雅史42歳。Jリーグ「ジュビロ磐田」所属。ポジションFW。背番号9。
40歳を過ぎて現役でプレーしているサッカー選手は、世界的に見てもそうはいない。
だからこそ、ここ数年この時期になると彼の移籍や来期の契約などのことが気になっていた。

クラブチームは経営であり、そのために営業しなくてはならない。利益を追求して運営して行かなければ成り立たない。
その運営のために出された戦力外通知。事実上の引退勧告だ。
そう、ついにこの時が来てしまったのだ。

彼に対するいろんな思いがある。
*ボロボロになるまで走り続けてほしい。いや、ボロボロになっても走り続けてほしい。
*綺麗な形で引退し、指導者になってほしい。
*いつまでもジュビロにいてほしい。
*栃木(J2)にきてほしい。
そんな相反する勝手な思いがあるのだ。
そして俺自身の中では、ある意味神格化した存在でもある。
彼だけは、絶対に引退勧告はされない。いつまでも現役で走り続けることができる選手なんだ。
そんなバカげたことを真剣に思うことすらできる。

ここ数シーズン、彼の出場試合回数は極端に減った。
年齢から来る身体能力の衰え・・・そんなこと俺でもわかる。
そろそろ戦力外通知か・・・わかってるんだって、そんなことくらい。うるせーんだよバカ野郎が!!!
事実を受け入れたくなかったんだよ。認めたくなくて仕方がなかったんだよ!!!
そう自分に言っている自分がいたのだ。

ゴンよ、まだ走れるだろう。
巧くなりたい思いがあるって言ったじゃないか。

いい湯だな♪(2)

2009年11月12日 00時17分39秒 | Weblog
休日の朝の田舎道は最高のライディングを味わうことができる。
空いてはいても、決してスピードを出さずにツーリングの醍醐味を体感できるのだ。
見上げれば雲一つ無い青空。遥か遠くには日光那須連山が屹立し、そんな田園地帯を走る。走ることができるのだ。
だがこの爽快感も、つかの間の歓びに終わった。

この先のICから東北自動車道に乗り、合流ポイントへと向かった。
さすがは狭い日本だけある。乗ってしばらく走ると、いきなりの渋滞にはまった。
まぁそこはバイクのメリットとでも言うか、車の間をすり抜けるように走り、渋滞による停車までには至らなかった。

「今日はやばそう。福島方面は混むぞ~」
という予測は容易に立った。
お~い、ドライバーのみなさ~ん。せまい日本、そんなに急いでどこへ行く!
何をおばかな事を言ってる。俺だってその一人じゃないか。