ひとり旅への憧憬

気ままに、憧れを自由に。
そしてあるがままに旅の思い出を書いてみたい。
愛する山、そしてちょっとだけサッカーも♪

みちのくひとり旅:やっと鶴ヶ城

2012年01月31日 23時37分29秒 | Weblog
顕彰碑から少し戻り、お堀に架かる橋を渡れば目の前には鶴ヶ城が。



やっと念願の雪の鶴ヶ城をこの目で観ることができた。
特に今年は幕末当時の「赤瓦」へと全面吹き替えされ、是非観てみたいという思いは強かった。
もっとも、雪化粧で「白瓦」であろうことは予測できたのだが・・・。



鉛色の空から降りしきる雪は、静かにゆっくりと、そして美しく城を化粧してくれていた。
幸い風はほとんど無く、舞い降りる雪のスローさがより美しさを増している様な気がした。
震えるほど寒く、手がかじかんでいる。
手袋はしていたが、ポケットから手を出して歩くことがちょっと辛いなぁ。
だが、この寒さなければ雪の鶴ヶ城を拝むことは叶わない。



城の周りを歩き、震えながら情緒を楽しんだ。
場内は資料館となっており、ここでしか購入できない書籍なども売られている。
入場料金を払ってまで本を買うのはどうかなぁ・・・と思ったが、致し方あるまい。まぁ暖房も効いていることだろうしと思い城内へと進んだ。

ここは嘗て何度か訪れてはいるので、敢えて天守閣までは登らず書籍のみの購入とした。
残念ながら目的としていた「佐川官兵衛」の書籍はあまり無く、かといって土産コーナーのTシャツなんぞはいらない。
買ったのは数冊の書籍と温かい缶コーヒーだけだった。



傘は持ってはいたが、敢えてささずに歩いた。
雪化粧の城を見上げながら歩くにはかえって邪魔だからだ。
そして、バス停まで戻る道すがら、時折振り返り鶴ヶ城を見る。
冬の静寂さが嬉しくて、思わずにんまりしてしまった。


みちのくひとり旅:「鬼の官兵衛」という男

2012年01月29日 00時25分29秒 | Weblog


北門からお堀沿いに南下すると、目指す物はあった。
旧会津藩家老「佐川官兵衛顕彰碑」。
幕末の会津藩を支えた家老の一人で、新選組の隊員からも「鬼の官兵衛」と呼ばれ一目置かれた存在だっだ。
だが、自分としては、明治新政府となりその10年後の彼の最期を知ることで感慨深い存在となっている。

慶応4年の戊辰戦争で会津藩を含む旧幕府軍が破れ、新たな明治政府が誕生した。
しかし、10年後に旧士族達の不満、そして維新の矛盾というものを一気に爆発させた形となった西南戦争が勃発。
嘗て賊軍と言われた旧幕府軍の生き残りは、新政府が募集した軍隊とは別の警察隊にこぞって入隊。
そこで腕に覚えのある旧武士達によって編成されたのが、対薩摩軍のゲリラ戦部隊である「抜刀隊」なのだ。

官兵衛は西南戦争以前から警察幹部として国に従事しており、鹿児島の最前線へと出向いた。
だが、個人的に思うに、旧幕府軍の彼等は新政府軍にいいように利用されただけなのではないかと思う。
つまりは戊申戦争で敗れた後、10年もの間ずっと「賊軍」のレッテルを貼られ虐げられてきた部分があったはずだ。
どこか「日陰」的な生活を送らざるを得なかったはずだ。
だが今度は政府軍、つまりは「官軍」として嘗ての戊申の恨みをはらすべく、賊軍となった薩摩軍と正々堂々と戦えるのだ。
このような逆転の状況を政府が見逃すわけがあるまい。

そのとき流行っていた歌がこれだ。
「勝てば官軍負ければ賊軍、油断しゃんすな順めぐり」

熊本の田原坂の戦いにおいて、官兵衛は敵の銃弾を受け戦死した。
制服の下には、戊辰戦争で死んでいった仲間、会津藩士の名前がびっしりと書かれた肌着を着ていたという。

残念ながら会津藩や佐川官兵衛に関する書籍はあまり持っていない。
詳しいことは何も知らないといった方が正しいのだが、できることなら田原坂の旧戦場跡を一度は訪れてみたいと思っている。




みちのくひとり旅:雪の会津

2012年01月26日 22時36分38秒 | Weblog
喜多方駅へ着くと、会津方面行きの臨時便が出るという。
予定していた時刻よりも早めに会津に行けるのであればと思い、臨時便に乗車した。


列車のボディにはこのようなスローガンが書かれていた。
「そうだ、福島は被災地だったんだ。」
ついひとり旅のお気楽さに忘れていた現実だった。

車内はクリスマスカラーに装飾されていたが、それよりも車窓からの雪景色に目が行く。
再び降り始めた雪が、思い描いていた旅への憧憬を一層深めてくれる。
同時に去年の苦い思い出も蘇ってきた。

ほどなくして会津若松に到着。
駅を出て市内循環バス「ハイラカさん号」に乗車。

かなり狭い車内だったが、これも観光の目玉の一つなのであろう。
鶴ヶ城へは歩いても行けないことはなかったのだが、この降雪状況ではちょっと厳しいと判断。
ここは雪山ではないのだからと思い、バスにした。

すぐに鶴ヶ城へは行かず、敢えて北門付近で下車した。
事前に調べておいたあるポイントに行くためだ。
10分ほど歩かねばならないが、これもまたなかなかおつなものだった。


鶴ヶ城のお堀沿いに歩く。
思わず足を止めたのは鮮やかな朱色に染まった「柿」だった。
真っ白な雪とのコントラストが素晴らしい。
しばし見とれてしまった。



更にお堀沿いに歩く。
ここを真っ直ぐに行けばあるはずだ。

雪国の地元の人には申し訳ないのだが、このときはいやが上にも気分は盛り上がっていた。
こんな雪景色のところを歩いてみたかったのだ。
その夢が叶った瞬間だった。
そしてその瞬間は、実際に鶴ヶ城を見終えるまで続いてくれた。

「やだっ!」

2012年01月24日 22時24分01秒 | Weblog
「坂の上の雲」というTV番組をずっと見てきた。
ストーリーは司馬さんの小説で既読して分かってはいたが、最新のCG技術を駆使した映像は迫力があった。

だが、何よりも楽しみにしていたのはエンディングロールの映像だった。
場所は白馬岳へとつながる「小蓮華尾根」。
TV映像だけに「いいとこ撮り」で、より素晴らしく映し出されているのは分かる。
分かっていてもいいものはいい!

坂の上の雲が放映されてからずっと温めておいたマル秘企画。
『小蓮華尾根を縦走して白馬岳に登ろう』
それを今年の初夏に実行しようと決めた。
ガイドブックを読めば2泊3日でOKだし、大好きな縦走が楽しめそうだ。
レベル的にもいたって楽ちんだし、是非「テント泊」で実施したい。



できれば女房を誘って歩きたいと思い、今夜計画を話した。
「えっ、白馬! 行きたいなぁ♪ 連れてって!」
ちょっと意外な返事だったが、果たしてどれほどのコースなのかなどは全く関心がないようだった(笑)。

以下夫婦の会話。
「2泊で行けるんだよ。1泊目は麓の宿で、2泊目は山頂かな。」
「山小屋かぁ、いいね。一度どんなところか泊まってみたかったの。」
「違うよ、テントだよ。」
「やだっ!」

どうやら話は振り出しに戻りそうだ(笑)。
やっぱりソロでテント泊にしようかな・・・。

みちのくひとり旅:下戸ではないが・・・

2012年01月21日 20時17分28秒 | Weblog
ドライバーさんから頂いた会社名刺に記載されている携帯番号に連絡し、神社まで迎えに来てもらった。

時間的にちょっと厳しいかなとも思ったが、事前に地図で調べてあった「酒蔵」であれば駅までそう遠くはない。
「すみませんが、ほまれ酒造に寄ってから駅に向かってください」とお願いした。

酒、とくに清酒に関しては味はよく分からない。
下戸ではないが、日本酒はあまり呑まない方だし、自分から購入することはまずなかった。
それでも「やっと来た喜多方だし・・・」という思いと、「唐橋ユミ」さんの実家であるという興味もあって行くことを決めていた。

唐橋ユミさん。
フリーのアナでTVやラジオにも出演しており、毎朝車の中で聴いている文化放送の番組コーナーでは、自分が出したメールがよく読まれていることもあり、勝手ながら親近感はあった。

個人で酒を購入できる販売所があると聞き、敷地内をあちこち歩いたのだが、あまりにも広大な敷地に驚いた。
酒蔵と呼ぶよりは、ファクトリーといった方が合っている。
途中従業員の方々とすれ違ったのだが、すべての人から丁寧にお辞儀をされ、「いらっしゃいませ」と挨拶をいただいた。
当たり前のことのようだが、会社としての一つの方針が徹底されている。



販売コーナーを案内してもらい、のれんをくぐった。
酒蔵は何度か訪れたことはあるが、ここまで明るく落ち着いた雰囲気の店は初めてだ。
大きな窓の外には立派な日本庭園があり、ましてや雪景色。
由緒ある日本旅館にでも来ている錯覚だった。


「正直言って日本酒の味はよく分からないのですが・・・」
と言うと、比較的味の違いがはっきりとしている数種類を出してもらい試飲をした。
甘口、辛口、マイルドさ、すっきり感、これなら自分でも分かる。
好みとしては「辛口ですっきり」。
自分用のものと、明日東京で友人と会うことになっていることもあり、その土産として数本を買った。

店内をよく見てみると、唐橋さんのポスターがあった。
令嬢さん直々に商品のポスターとなっている。



「よければ是非庭園を見ていってください」と言われ、和室に案内された。
こんな自分でも思わず畳の上に正座してしまう雰囲気で、しばし見入ってしまった。
本当に雪がよく似合う静かな庭園だった。



だが残念ながらもう時間がない。
会津行きの発車時刻が迫っていた。

店の方にお礼を言い、タクシーで駅へと向かった。
「ん、なんか体が温かいぞ?」
思い返してみれば、さかづきで8杯ほど呑んだかな(笑)。
たったそれだけでわずかながら体に火照りが出てきた。
なんとも安く酔える体質だ。

みちのくひとり旅:長床

2012年01月19日 22時21分37秒 | Weblog


タクシーで10分も走っただろうか。
第二の目的地である「新宮熊野神社」に着いた。
本来であれば7年ほど前に訪れていた場所なのだが、ちょうど息子と喜多方・会津方面の幕末歴史探訪旅行に来ていたとき、義父が亡くなったという知らせを受け、急遽帰宅した。そして二年前、年末の大雪で再び訪れること叶わず・・・。

平成17年3月31日付の朝日新聞の特集記事として、会津・喜多方方面への春の旅が掲載されていた。
そのときに見た写真が忘れられず、いつかは訪れてみたいと願っていた場所だった。
自分は決して寺社仏閣に興味や関心があるわけではない。
ただ何となくその写真を見て心惹かれるものがあっただけのことだ。



タクシーを降り、参道を歩いた。
「長床は・・・」と思っていると、正面奥に見える建物がそうらしい。
「やっと来たか」
ひとり旅であるが故に、そして長い間の思い入れがあっただけに、感動がゆっくりと湧いてきた。


初めは長床には上がらず、ぐるっと建物を一周して歩いた。
総ひのき、神殿造りの主殿形式。
四方が吹き抜けとなっており、44本もの太い柱がすべてを支えている。


あまりの静けさに不気味ささえ覚えそうだった。
それは、人里離れた場所であるということだけではない。
冬という季節であるが故の静けさも加わってのことだ。



長床に上がってみた。
何の音も聞こえないのだが、敢えて言うのなら雪の降る音だけが聞こえていた。
(そんな気にさえなってしまうということ)

荘厳で雄大、それでいて素朴。
吹き抜ける風と共に雪が舞い込んでくる。
それがまたいい。



不謹慎とは思ったが、訪問者(参拝者)は自分の他は誰もおらず、足を伸ばして座った。
そして、しばし大の字になって寝た。
天井を見つめ、静かに目を閉じる。
風が冷たい。
粉雪が頬にあたる。
頭の中は完全に空っぽ。
「無」と言うには大袈裟だが、ひとり旅を堪能させてもらった。

みちのくひとり旅:やっと喜多方ラーメン

2012年01月18日 22時33分02秒 | Weblog

喜多方の手前、「塩川駅」に停車。
忘れもしない。昨年はこの駅で3時間以上も緊急停車し、戻ることを余儀なくされた。
しんしんと降り積もる雪。次第に日は落ち、不安に駆られたものだった。


喜多方に近づくにつれ、山並みは白銀に輝いて行った。
山岳地図こそ持ってこなかったが、間違いない「吾妻連峰」だ。
今日は「山」を忘れて、静かにひとり旅を満喫しようと思っていたのだが、なかなか大自然がそうはさせてくれなかった。
(勝手に自分が想像を膨らませているだけなのだが・・・)

終点「喜多方駅」へと到着。
ここまで約4時間の鈍行列車の旅だった。
4時間ともなれば、乗車しているだけで飽きてしまうと思われがちだが、自分の場合全くそんなことはない。
眠たくなれば眠り、本を読みたくなれば本を読む。
車窓を眺め、いろんな想いを巡らす。
今日も雪山登山に関する書籍を2冊持参しての旅だ。
(結局は山を忘れることはなかったなぁ・・・)

以前に、乗り継ぎで14時間も鈍行列車に乗ったが、そのときも楽しくて仕方がなかった。
14時間も自由に使える時間があると思うと、車内で何をしようかと計画段階からワクワクしていた自分だ。



列車を降りるやいなや猛烈に冷たい風の洗礼を受けた。
ここが北国であることを真っ先に思い知らされたわけだ。
手袋、ネックウォーマー、ウールキャップを持ってきて正解だった。

喜多方での目的は三つ。
*喜多方ラーメン
*新宮熊野神社「長床(ながどこ)」
*地酒

先ずは腹ごしらえだ。
予定では3時間足らずで3つの目的を達成しなければならない。
何故なら会津若松にも寄るし、更には磐越西線の本数が少ないこともある。
是非食べてみたい店のラーメンもあったのだが、できるだけ駅から近い評判の店を事前に決めていた。

駅から歩いて10分足らずの店なのだが、歩いていてとにかく寒かった。
時折吹く風は頬を切るような冷たさで、思わず背中を丸めて歩きたくなった。



「源来軒」という店に入った。
時刻はまだ10時を過ぎたばかりということもあり、客は誰もいない。
少々入りづらかったのだが、空腹感が勝ってた。
注文したのは「ワンタン麺」。
登山の時にPEAKで飲むスープは中華系が多く、ワンタン麺が好きだから。

先ずはスープを3~4口飲む。
うん、美味い!
麺は細打ち縮れ麺。やっぱり喜多方ラーメンはこれだ。
あっという間に一滴のスープも残さず食べ終えた。
正直に言えば、スープにちょっと物足りなさがあった。
動物系と植物系の両方の味がしたのだが、やや植物系の味が勝っていたような感じだ。
素人の自分が言うのも何だが、好みとしては動物系6割、植物系4割のスープが好きなのだ。
その点で言えば同じ喜多方ラーメンでも「まるや」が好みとなる。

腹を満たしたところで駅まで戻り、タクシー利用で「熊野神社」へと向かうことにした。
駅へ戻る途中で、おもしろい店を発見。


「アマゾン」という名の店なのだが、初めは店の看板だけがやけに目立ち、「へぇ~、ブラジル系のパブかぁ」などと勝手に思いこんでいた。
よく見れば「熱帯魚店」。

なぁるほどアマゾンね。そりゃそうだ(笑)。
恥ずかしくも情けない思い込みだった。

みちのくひとり旅:今年こそは・・・

2012年01月17日 21時55分18秒 | Weblog
二年前の暮れに出かけた「年末鈍行ひとり旅」は、目的の半分も達成できぬままの帰宅となった。
「今度こそは!」と変に意気込み、若干の計画変更をして出かけた。
本来であれば、新潟発の夜行列車「ムーンライトえちご」を利用したかったのだが、大雪で足止めをくらい、陸の孤島と化した「会津若松」で一夜を過ごしたことを思い、今回は郡山に宿をとることにした。

年末の多忙な時期ではあったが、大掃除や雪山登山の計画上、この時しかなかった。
12月23日、始発の電車に乗り、「黒磯」まで向かった。
早朝の冷えは厳しく、駅のホームで列車を待つ間が長く感じたが、幸い暖房の効いた待合室があり、そこで待つことにしたがそれでも寒い。
「こんなことで雪山なんて行けるのか・・・」と思いつつも、寒いものは寒い。


始発列車内は閑散としており、まだ日の出前だっただけに、夜の列車内と同じに感じる。
ポケットに手を入れ、目を閉じる。
鈍行列車であるため当然すべての駅に停車するのだが、ドアが開く度に冷たい空気が入り込み思わず目を開ける。
だが、朝が早かったこともありいつの間にか眠り込んでしまった。

東側を向いて座っていたことが幸いし、明るい日差しで目が覚めた。
周囲を見渡すが、車内には誰もいない。
「ん、ここは何駅だ?」とホームを見ると・・・。
「やばい、黒磯駅だ!」
腕時計を見て焦った。
乗り換え列車の発車まであと2分しかない。
猛ダッシュで郡山方面のホームへと駆けだした。
黒磯での乗り換え時間は5分ほどしかなく、降りるのが終点とはいえ、眠ることは危険と分かっていたのだが・・・。
将に間一髪セ~~フってところだった(笑)。



にもかかわらず、郡山へ向かう列車ではまた眠り込んでしまった。
昨夜は仕事に追われ、眠ったのが午前2時頃で、睡眠時間は3時間程度だ。
「まぁ列車内で眠ればいいか」と、気軽に考えていた。



郡山駅で、今度は「磐越西線」に乗り換える。
ここから「喜多方」までは乗り換えなし・・・のはずなのだが、列車には「会津若松」行きと表示されているではないか。
時刻表で何度も確認したはずなのだが・・・。
駅員さんにきいてみたところ、5両編成の列車の内、先頭の2両だけが喜多方まで行くそうだ。
「なるほどね」と思いながらもなんか面倒だ。


ようやく眠気も去り、楽しみにしていた車窓からの雪景色に胸が躍る。
西に向かうに連れ風景は徐々に白さを増し、窓ガラスが曇ってきた。
去年はこのあたりで雪のため何度も列車が停車してしまった記憶がある。
「今日は大丈夫かな・・・。」
一抹の不安はあるが、まだ青空が覗いているだけに、ほどよい雪景色で終わってくれることを願っている。



しばらくして「会津磐梯山」が見えた。
ゲレンデもよく見える。
「滑りたい。じゃなく、登りたい。」
でも、雪山を楽しむにはまだ十分な積雪でないことははっきりしている。

朝が早かっただけに腹が減った。
早く喜多方ラーメンが食べたいぞ~

時にはのんびりと:またまた子供と・・・

2012年01月15日 22時34分56秒 | Weblog
ちょっとくつろぎ過ぎてしまったかも知れないと思うほど、のんびりとした昼食だった。
まぁたまにはこんなソロトレッキングがあってもいいんじゃないかな(笑)。

三度分岐点へと戻り、そこから茶臼岳外周コースへと歩き出した。
マイナーなルートではあるが、初めてのルートであり楽しみだ。


火山ガスがルートのすぐそばから出ており、風向きによってはむせかえるほどの臭いがした。
なかなかの迫力だ。
西側の遥か彼方の稜線を眺めつつ歩く。
ほぼフラットなルートだけに景色を愛でる余裕があった。
いいものだ。こんな景色を見ながらのんびりと登山ルートを歩けることに小さな幸せを感じる。


栃木の山も捨てたものじゃないなぁと、しみじみと思える瞬間だった。

特に疲れはなかったのだが、思わず立ち止まりしばし見とれてしまう風景だった。
腰を下ろすのではなく、立ち止まったままがいい。
一人であるが故に、好きなところで立ち止まり、好きなだけ思う存分風景を堪能した。

茶臼岳を一周し終え、避難小屋に到着。
時刻はまだ午後の2時だが、ここで休憩することなくそのまま下山ルートへと向かった。
約1時間ほどで登山口へと戻る予定となる・・・のだが、ちょっとしたアクシデントに遭遇した。



下山ルートの左手は崖で、その先には「朝日岳」がそびえている。
歩きながらもついついよそ見をして見上げてしまう勇姿だ。
自分も下山しながら時折左手を見上げた。

ある家族連れが登ってきた。
登山ではなく、那須まで観光で来たついでに途中まで登っているのだろうと、服装から推測した。
小学生と思われる男のお子さんが二人いた。
元気いっぱいで駆け足で登っているのだが、「危ないなぁ」と思わざるを得ない。なぜなら、片側は山肌だがもう片側はガレ場の谷となっているルートだ。

そしてそれは起きた。
その男の子とすれ違うときに自分は谷側によけたのだが、その子はなんと更に谷側に自分をよけてすれ違おうとした。
「あっ!」と思ったときはもう遅く、その子は斜面の細かなザレ石に足を滑らせ滑落しそうになっている状態。
「やばい!」と思い、とっさに左腕を伸ばしその子の腕をわしづかみにした。
同時に自分の体も確保しなければならないわけであるから、右腕ですぐそばにあった岩をホールドしようとしたのだが、やはり自分もあせっていたのだろう。ホールドする前に、思い切り岩に右腕の上腕をぶつけるようにこすりつけてしまった。
それでも何とかセルフビレーの形を取りながら男の子を引っ張り上げた。

幸いその子に怪我はなかったが、ちょっとべそをかいている(笑)。
泣きながら「ごめんなさい」と何度も言ってきている。
両親もその子を叱りながら自分には平謝り。
自分の怪我のことをしきりに気にしてはいたが、面積は広いもののたかが擦過傷だ。
多少ズキズキしてはいるがどおってことはない。
「いえいえ、北アルプスへ行ったらこんなもんじゃ済まされませんから。大丈夫ですよ。ははは!」
そして男の子に一言。
「山はやっぱり歩こうね。歩いて周りをよく見て安全に楽しく登ろうよ。」
でもって別れ際に思い切りかっこつけて一言。
「また、山においでよ!」
手を振ってわかれた。

「また、山においでよ」とは・・・。
そう、あの「岳」の映画で主人公役を演じた「小栗 旬」の名台詞なのだ(笑)。
(「なぁにいい歳してかっこつけてんだよ俺は。バカか」)
そう心で笑い、ティッシュで血を拭き取りながら下山した。

振りかえれば茶臼岳に太陽が重なりかけている。
もうじき夕暮れだ。

のんびりと歩いたソロトレッキングだったが、最後になってアクシデントが発生してしまった。
子供に怪我がなかったことが何よりだったが、どうも自分は子供と出会うと怪我をしやすいようだ。
4月にソロで登った筑波山のときもそうだったし・・・。
まぁ単なる偶然だろうが、これも山の経験値と思っている。
 




時にはのんびりと:贅沢な昼寝

2012年01月14日 21時45分35秒 | Weblog
分岐点へと戻り、姥ヶ平方面へと下った。
もちろん初めて歩くルートであり、心躍る思いだ。

下ると言っても20分程度の下りであり、すぐ平地が広がっていた。
ここから振り返る茶臼岳がまた美しい。


ここ姥ヶ平にはテーブルと椅子が設置されていた。
「まるでここでお昼を食べて下さいって感じだな。」
昼食にはちょっと時間が早かったが、『飯は食えるときに食っておけ』という以前の反省を思いだし、ここで食べることにした。

それにしても今日は暖かい。いや暑いほどだ。
薄手のシャツ2枚を着ているだけだが、休憩時でも体は冷えることなく過ごしやすかった。

早速テーブルの上に食事のギアを並べた。
今日のメニューは簡単にFDの「牛飯」と味噌汁だが、デザートに「マンゴープリン」を持ってきた。
もちろんドリップの珈琲付き!


茶臼岳を見ながら食べる昼飯の美味いこと美味いこと♪
時間もたっぷりとある。
だが、ゆっくりと珈琲を飲むのはいいが、いい歳をした山男がマンゴープリンを食べる姿は端から見れば笑えるんだろうなぁ・・・。

ベンチ式の椅子は体を横たえるにはもってこいだった。
このポカポカ陽気に誘われいつの間にか眠ってしまった。
今にして思えばちょっと不用心だが、最高に贅沢な昼寝だった。
天候と風と気温の一定条件が揃わなければ決してできない昼寝だ。

姥ヶ平から5分も歩けば「ひょうたん池」という小さな池に着く。
せっかくなので食後に足を伸ばしてみた。
確かに小さな池ではあったが、綺麗に澄んだ水が静かにたたずんでいる。
まったくひとけのないところに見つけた池には「逆さ茶臼」が見事に映し出されていた。


自分以外は本当に誰もいない。
人がささやく声も、足音さえも聞こえない。
ひっそりと静まりかえった自然の中にある小さな池だった。