ひとり旅への憧憬

気ままに、憧れを自由に。
そしてあるがままに旅の思い出を書いてみたい。
愛する山、そしてちょっとだけサッカーも♪

シーズンを締めくくる:何が何でも・・・

2016年05月26日 00時47分58秒 | Weblog
今シーズンの雪山登山は、序盤から降雪量が少なくあまり期待できない感があった。
ましてや自分自身が直前でインフルエンザとなったり、季節外れの大雪警報で赤岳すら登頂できないシーズンだった。
せめて残雪期のラストくらいは、何が何でも3000mは越えたいという強い思いがつのっていた。

GW最後の日、5月8日(日)の夜行バスで上高地に向かった。
目指す山は奥穂高岳だ。
昨年、台風の洗礼を受け登頂を断念したあの山だ。
そして今年のGW期間中にも多くの事故や遭難救助で有名になってしまった。
もちろん死亡者も出てしまった。

直前まで情報収集をしたが、やはり例年よりも雪は少ない。
が、しかし表面の雪が溶け、いたる所アイスバーンらしい。
本来であればベーシックタイプのピッケルでも登攀できるのだが、今回はテクニカルタイプのピッケルを準備した。
また、アタック予定日の天候が悪いことと、ほぼ垂直に近い雪壁登攀が二ヵ所あることから、万が一を想定しアイスバイルも持参することにした。
オーバースペック気味にも思えたが、結果から言えばテクニカルタイプのピッケルとアイスバイルにかなり助けられたことになった。


21時頃に新宿に到着。
この4月にオープンしたばかりの新しいバスターミナルビルである「バスタ新宿」へと向かった。
チケットカウンターで予約したチケットを受け取り、腹ごしらえに出かけた。
再びバスタへと戻り、乗り場でバスを待機した。
徐々に同じバスに乗るであろうと思われる乗客が増えてきた。
中には登山スタイルの方もいたが、あまりの軽スタイルであったこともあり、おそらくは上高地周辺を散策するのであろうと勝手に推測した。


夜行バスでまともに熟睡できたためしはない。
それでも上高地に早朝5時過ぎには到着できることがありがたい。
一日を有効活用できるだけではない。
今回は涸沢泊まりではなく、思い切って一日で3000mを登り、穂高山荘まで行く計画だからだ。
そのためにも可能な限り上高地を早く出発したかったのだ。

案の定熟睡はできなかったが、それでもトータルで3時間程は眠れただろうか。
上高地の朝はまだ寒い。
バスの室内温度は適度な温度に設定されてたこともあり、ジャケットを着込む程ではなかったが、到着し下車すればどうなるかは経験で分かっていた。
予め持ち込んでいたジャケットを着込み上高地への一歩をおろした。

「やっぱり雪は少ないなぁ・・・」
開口一番に出た言葉だった。

登山届けの提出、水の補給、準備体操、そして5時50分に出発。
朝食はもう少し歩き、体が十分に目を覚ましてからにした。

河童橋まで来ると、観光で来ていた方が早朝の散歩をしていた。
「シャッターお願いできますか?」と言われ、自分もお願いして撮っていただいた。
「どちらの山まで行くんですか?」
「明日、奥穂高岳に登る予定です」
「高いんでしょうねぇ」
「そうですね、3190mありますから」
「やっだぁー、私なんか全然想像できないです。どうぞ気をつけて登ってください」

ありがたい言葉を頂き、明神へと向かった。

40分で明神に到着。
水分補給と煙草を一服し休憩は終了。
ほんの5分程度だったが、できる限り早く涸沢まで行くことが第一の目標だった。
涸沢から先のザイテングラード登攀が最も時間と体力を使うことは明白なことだけに、休憩時間は少なめとしたのだ。
その分ザイテンで時間を使うことができる。


やっと見つけた「ニリンソウ」の群生。
残念ながらまだ十分な開花ではなかったが、これがまた可愛い♪
残念なことがもう一つあった。
去年も一昨年もこの辺りで野生の猿の群れと出会ったのだが、今年は出会うことがなかった。


はっきりと見覚えのある桜の木だ。
と言うことは徳澤園が近いと言うこと。
腹も空いてきたし、体も十分出来上がってきたし、徳澤園で朝食を食べよう。

少しだけ遅い桜

2016年05月25日 00時39分51秒 | Weblog
自分の住んでいる地域の「ソメイヨシノ」は、毎年4月の上旬頃に開花する。
そして遅れること数週間、GWの頃になると「八重桜」の季節となる。

近所の遊歩道は、我が家の愛犬である「宗次郎」の散歩コースであり、八重桜の並木が見事な所でもある。
今年も例年の如く一斉に八重桜が開花し、そして桜吹雪が舞った。
桜並木は我が家から数十メートルほどしか離れていないこともあり、風の強い日になると庭にも舞い散る。

「今年も来たか・・・。宗次郎、行くか!」
宗次郎にとってやや早めの夕食となったが、日が暮れる前に桜色に染まった道を歩こうと思った。

水路沿いの階段を降りるが、いつもと少し違った川の様子をじっと見入っていた。

「宗次郎!」と呼びかけても見向きもしない。
そんなに珍しいかな(笑)。

階段を上がり遊歩道を歩くが、今日は風が強く桜吹雪も一段と激しさを増していた。
自分の目の前を「ふわぁ~」ではなく、「ぶぉー」ってな勢いで舞う。
当然宗次郎の小さな体は花びらまみれだ。
それを払い落としてやるのだが、空を舞う無数の花びらが気になるのか、右に左にキョロキョロと落ち着きがない。
この時期だけの微笑ましい仕草だと思う。


今年の5月23日で7歳になった。
我が家に来てもう7年が過ぎた。
正確はいたって明朗快活。
人間が大好きで、誰にでも近づきすぐにペロペロと舐めようとする。
空腹時以外は滅多に吠えることはない。
だから番犬としてはちょっと頼りがない。
「おまえなぁ、人間だったらもう中年だよ。そろそろ落ち着けよなぁ(笑)。」
と言って頭を撫でるが、行動は一向に落ち着く気配はない。


「お~いい、そろそろ帰るよ」
チラッと振り向くが、自分の行きたい方角はまだ先のようだ。
しょうがないと思いながら、この日ばかりは宗次郎のお気に召すまま付き合った。

大雪警報発令!:長く登り続けるために・・・

2016年05月20日 01時00分22秒 | Weblog
身の危険を感じ下山を開始。
降雪量は明らかに増えてきていることを思えば「これでいい」と納得できたが、それでも僅かながらの悔しさを持ちながらの下山であった。

膝近くまで掘られたはずの登攀時のトレースはかなり埋もれてしまっており、急に怖さも感じた。
「樹林帯まで下りれば大丈夫だ」
やはり単独での登山は不安を背負いながらが常となる。

時間に余裕があったこともあり、行者小屋からの南沢ルートでの下山ではなく、鉱泉小屋で食事を摂り、北沢ルートで帰ることにした。
鉱泉小屋への樹林帯ルートも今朝付けたはずの自分のトレースは殆ど埋もれてしまっていた。

鉱泉小屋に入りやや遅い昼食を食べたのだが、今朝早く着いた他の登山者達はみな登頂を断念していた。
「どこまで登ったんですか?」
「赤岳を目指したんですが、吹雪がすごくて山頂手前で諦めました。」
「いやぁ正解ですよ。ついさっき大雪警報が出たんですよ。この時期にですよ。」
(「どうりで・・・」)
まさか残雪期のこの一帯に大雪警報とは・・・。

山の天候は予測がつきにくい。
ましてや雪山ともなれば尚更のことであることは分かっている。
分かってはいるが、大雪警報だなんてまさかあり得ないと思っていた。
それでもそのまさかは現実として起きている。
改めて雪山の怖さを痛感した時であった。

翌日、自分が登攀した南壁ルートのすぐ隣の南壁で雪崩が起き、三名が巻き込まれた。
そして一名が死亡。

ゾッとした。
確か四年前のGWにも似たような経験がある。
自分が登ったのは「唐松岳」の比較的楽なルートであったが、一泊しての下山時は嫌な黒い雲に追われるようにしながらの下山だった。
ほぼ同時刻、すぐ近くの白馬岳付近で、低体温症により六名が亡くなられた。
もしあの時、下山時刻がもう少し遅れてしまっていたら・・・。

雪山の怖さは知っているつもりである。
ちょっとした滑落、転落、低体温症(意識障害も含む)、極度の低血糖症、軽度の凍傷、吹き溜まりに落ちアイゼンの前爪で自分の足を刺す、ホワイトアウトによるルートロストなど、それなりに何度も「恐怖」を突きつけられてきた。
「それが何なんだ。それくらい当たり前だ。誰だってそれくらいのことは・・・。」
そう言われてしまうかも知れないが、事故や怪我は無いに越したことはない。

山に登ると言うことは、大袈裟に言えば「自然に立ち向かう」と言うこと。
人間が勝てるはずのない自然に立ち向かうのだ。
有り余る体力と強いメンタルを持ち、発達した最高のギアを駆使し、山を知り尽くした者たちでさへ自然には勝てない。
ましてや自分のようなへたれな者など恐れ多いことだ。

それでも時として自然に抗うように登ることだってある。
だからこそ、その時その時の判断力が生死を左右する。
そして経験がものを言う世界かも知れないが、経験だけが絶対ではない。
怯えや怖さを感じることが経験や勇気よりも大切な時もあるのだ。
「自然と共に生きる」と言うよりは「自然に逆らわず、自然によって生かされている」と思えてならないからこそ、やっぱり山にはあまり逆らわない方が長く登れそうな気がする。



大雪警報発令!:結果に対する責任

2016年05月16日 21時13分35秒 | Weblog
中岳、阿弥陀岳への分岐点にやっと到着したが、ここは将に吹きさらしのど真ん中。
向かい風が容赦なく顔面に吹き付け、顔を上げることがつらい。
それでも「やっとここまで来たか・・・」という思いがあり、登頂への意欲が更に湧いてきた。

「この先の岩稜地帯を登り切れば山頂か・・・」
そう思い、休憩もそこそこに先へと進んだ。
風が強いその分、幸い積雪はそれほど無く、今までと比べ登りやすかった。
これは本当に助かった。
体は左へ左へと煽られるが、登山靴がズボッと埋もれてしまうことがない。


いよいよ最後の難所が見え始めた。
左側は岩、右側は谷といういたって単純なルートではあるが、勾配はきつい。
そしてそのきつさは山頂に向かうに連れ厳しくなってくることは分かっていた。

「この南斜面さへ越えれば・・・」

再び積雪が増し始め、膝まで埋もれるようになってきた。
一端止みかけた吹雪だったが、体の右側から容赦なく吹き付ける。
何となく嫌な予感がした。
それはこれから岩稜地帯の南壁を登攀することになることが分かっていたからだ。
風は右(南)側から来ている。当然雪も南側から吹き付けており、南壁の岩壁にぶち当たり、そこで止まる。
「こりゃぁへたすれば吹き溜まりかなぁ・・・」
そんな嫌な予感がした。

通り過ぎることのない吹雪。
岩壁に当たってしまえばどこにも逃げ場はなくそこに積もるだけ。
素人でもわかる理屈だ。

南壁の岩に沿って僅かに鎖が覗いて見えた。
ルートはしっかりと分かっておりそれだけはホッとした。
しかし、岩と鎖の間の数メートルにはこれでもかと雪が積もっていた。
当然誰一人通った形跡のないあまりにも綺麗な積もり方だった。

吹き溜まりであることはすぐに分かった。
一歩目を踏み入れる。
膝くらいまでズボッ。
2~3m程登っただけで、すぐに腰まで埋もれた。
一端そこから抜けだし、岩の上に腰を下ろした。
「予想以上だ・・・」
それでもルートが分かっているという安心感があり、登攀を開始した。
ラッセルをしながら数歩登ったが、いきなり体のバランスを失い右の谷側へと崩れていった。

岩の突起物の様なポイントに足が乗ってしまった。
数m程の滑落で済んだものの、吹き溜まりの雪をかき分けてルートに戻るのに苦労した。
吹き溜まりの雪にはピッケルがあまり効いてくれないからだ。

落ち着いてルートへと戻り、少しルートから外れて岩の上に腰を下ろした。
考えた。
ガスで視界は悪いが、見えている範囲のルートはこれから先ずっと吹き溜まりだ。
少し怖くもなった。
自分の技量に完璧な自信も無い。
それでも、もうほんの数十m標高を稼げば間違いなく登頂できる。
ある意味駆け引きのようなものだった。

PEAKを目前としての撤退ほど悔しいものはない。
「この根性無しが!」
自分をそうも思った。
「いや、これは根性論なんかじゃない。生死の問題だ。」とも思った。
ガスで見えない先をしばし見つめながら、できる限り冷静になり考えた。

以前、「単独登山」について自分なりに考えたことがあった。
「迷う」→「思考する」→「判断する」→「決断する」→「実行する」→「結果に対する責任」

最後の「結果に対する責任」が重く感じた。
「止めよう。下りよう。」

降雪量が多くなってきている現実も決めての一つだった。
また、登頂できたとしても、そこから下山しなければならないことを含めての決断だった。



分岐点まで戻った。
「残雪期のこの時期にこの吹雪かぁ・・・」
荒天は初めてではない。
ないが、悔しさは必ず残るものだ。
たとえ大自然にはかなわないと分かっていてもどこかに残る。

そのことはできるだけ考えず、安全を優先して下山しようと決めた。

大雪警報発令!:ガスと吹雪の中で 

2016年05月14日 00時03分32秒 | Weblog
やっと樹林帯を抜けるもしばらくは斜度のある登攀が続いた。
ガスと吹雪の中、視界はやや良くなったり悪くなったりの繰り返しだった。

地図とコンパスでルートを確認しながら登るが、やはり単独は不安だ。
「孤独なんて好きじゃない・・・」
そのくせ単独での登山ばかりしている自分。
どっちが本当の俺なのか・・・いや、どっちも本当の俺。
そんなくだらないことを考えてしまった。

ふと西の方を見ると、黒っぽい人影が見えた。
「えっ、そっちはルートじゃない。あの人危ないぞ、滑落するぞ! ひょっとして自分の方がルートを間違えてしまっているのではないか・・・。」
そんな不安というか恥というか、そういう思いがあったのは確かだが、声を掛けた方がいいに決まっている。
「おーい! おーい!」
何度大声で叫んでも返事がない。
濃いガスではっきりとは目視できてはいないが、さっきからずっと身動き一つしていないことが心配だった。
近づきたくても、やはりそっちはルートから外れてしまっているという確信があり、それだけはやめておいた。

もう一度「おーい!」と叫んだが反応はない。
これだけの吹雪の音で自分の声がかき消されてしまっているんだと思った。
しばらく自分も立ち止まりその人の方だけを見続けた。
一瞬のガスの切れ間にハッキリと目視することができた。

ホッとした・・・。
いや、ものすごく恥ずかしくなってしまった。

登山者ではなく、一本の樹木だったのだ。
「まったくややこしい形の木なんだよ。ガスの中じゃどう見たって人にしか見えないだろうが。」
と、自分の見間違い勘違いを樹木のせいにした。

自分で自分がバカバカしくなり休憩をとった。
チョコレートを食べながら思ったこと。
「バカバカしいけど、なんか面白いかも・・・。ハッキリ言ってこれは笑い話のようなものだけど、人じゃなくて良かったし、自分もルートを間違えていなかった訳だし、それで良しとするか。」

勝手に納得しながら、風が弱まった隙を見て写真を撮った。
せめて一枚くらいは全身の写真を撮っておきたかった。


この先を右方向に折れ、しばらく登れば分岐点(のはずだ)。
記憶が正しければ鎖があったはずなのだが、まだ見えてこない。
と言うより、さっきよりも足が埋もれてしまってきていることに気付いた。
すでにトレースっぽいものさへ無く、地図と高度計とコンパスと記憶だけが頼りとなっていた。
決して上級者などではない自分の経験と知識と技術を信じてこのまま登るしかなかった。

どうしても足下の雪の深さが気になり、下ばかりを見ながら登攀した。
そして「まだか・・・」と思い顔を上げた時にやっと指標が目視できた。

自分のやっていたことが正しかった・・・なんてこれっぽっちも思わなかった。
「(指標が)あって良かったぁ」
ただそれだけだった。

ここからもう少し登ればいよいよ核心部となる。

GWの山岳事故・遭難

2016年05月03日 20時12分12秒 | Weblog
今年のGWにおいても、例年の如くあちこちで山岳事故・遭難が相次いだ。
特筆すべきは穂高周辺であろう。
前穂高岳、北穂高岳、奥穂高岳で2名死亡、17名救助、1名救助不可らしい。
            (5/3現在の情報。不正確であったらご容赦を)

17名という数字には驚愕した。
しかし、その原因をよく調べてみれば「なるほど」と納得がいく。
むろん良い意味での納得ではなく、「これじゃ当たり前だ」という方に思いが傾いた納得だ。

事故や遭難はどれだけ熟練した登山者であっても起きる時は起きてしまう。
それが自然の厳しさからくることが要因であればまだ分かるのだが、今回の17名については、その殆どが登る以前に要因は既に準備されてしまっていたようにも感じる。
つまりは各自の技量、経験値、楽観的思考等がそれだ。
グループでの登山だったらしいが、そのグループのリーダーにも問題があるのではないか。
その場その場での判断力や決断力だけでなく、グループの人数そのものがあまりにも多いと感じてならない。
ジャンダルムあたりでの救助要請があったグループは、なんと「9名」のグループだったらしいではないか。
何をどう考えて9名ものグループ編成としたのか。
これは自分のようなレベルの者であっても理解できない。

残雪期の北アルプス登山で、ジャンダルムあたりということはバリエーションルートである。
その場所に一挙に9名で挑む。
それだけで軽挙、無謀、愚行・・・いろいろな負の言葉が連想できる。
何故その様な大人数でこの時期のあのポイントに挑んだのか。
計画の段階で無理だとは思わなかったのだろうか。
何とかできると思ったのだろうか。
9名もの人間がアンザイレンをして行動するということがどういう事を意味し、どれだけ事前に起こりうることを想定したのだろうか。
仮に2グループに分けてアンザイレンしたとしてもそれは同じだ。
一定区間の移動に要するルートタイム、各自の技量の差、体力の差、刻一刻変化する想定外の天候。
そして何よりも言いたいのは、雪山ルートは毎年同じ状況ではないということだ。
毎年どころか、一日ごとにルート状況は変化していると言っても過言でないのだ。
「夏山じゃないんだよ。5月の穂高はまだ冬なんだよ。」
そう叫びたい。
リーダーであればそんなことくらい分かっていたはずだ。
ならば何故9名もの大所帯で・・・。

救助されたことはそれはそれで良かったのだが、結果が良かったからと言って済まされるべき事ではない。
無論それもリーダーであれば分かってるはずだろう。(リーダーでなくても)

ついでに綴っておくが、こんな記事を読んだ。
とある山小屋でのこと。
ピッケルワークについて小屋の方がある登山者に説明していた時、それを聞いていた他の登山者が不安そうに言ってきた。
「あのぅ、僕たちピッケル無くって、これなんですけど…… 奥穂、登れますか?」
そう言って見せたのは2本のストックだったそうだ。
説明をしていた小屋の方は椅子から落ちそうになったらしい。

見方によっては大したものだとも言える(かもしれない)。
何故なら、ピッケル無しで涸沢からザイテングラードを登攀してきたということになる訳だし・・・。
一体何を考えて登ろうと決めたのか。
「大バカ野郎!!!」と怒鳴られても当然のことだ。

もう一つついでに綴っておく。
これはつい最近実際に自分が体験したこと。
とある2名の若者がいた。
持っている登山靴はソールやシャンクが柔らかい夏山仕様。
アイゼンやピッケルは持っていない。
もちろんアルパインジャケットも無い。
そこでピッケルの種類や選択の仕方、基本的な持ち方を説明した。
「どこに登るんですか?」
「はい、GWに奥穂高岳に登ろうと計画しているんです。」
「・・・・・・」
開いた口が塞がらず、次の言葉が見つからなかった。
「俺は何と言ってあげればいいのか・・・。何をどのように、どこから説明してあげればいいのか・・・」
GW期間中の雪山事故が一向に無くならない訳だ。

山岳事故が無くなることは永遠にあり得ないだろう。
だから自分をも含め、どうか山岳事故が少なくなりますように。

「山を知り、自然を理解し、そして己を知る」
憧れだけでは絶対に登れないのが「山」なのだ。
体力やセンスがあっても、努力がなければダメ。
そして山を愛していれば、本気で登りたい人には、その努力は努力ではなくごく普通の楽しみとなってくれる。

大雪警報発令!:こんなにピーカンなのに・・・

2016年05月01日 01時18分51秒 | Weblog
3月の赤岳登攀記録をもう少し詳細に綴っておきたい。

結果から言えば登頂はできなかった、ではなく、自分の決断で「しなかった」のだが、過去の苦い経験が大いに役立っていたからに他ならない。
この時程如何に経験が大切であるかを思い知らされたし、自分の判断が間違ってはいなかったことに嬉しささへも感じた。


美濃戸口からの縦走ルートはあまりにも快適で、汗ばむ程の好天に恵まれた。
ルートにはそれなりに積雪はあるのだが、事前の情報通りアイゼンは必要ない程であった。
しかし北沢を過ぎてからしばらくして、万が一を考慮しアイゼンを装着。
いよいよ本格的な樹林帯へと入った。

みごとに晴れ渡った碧空。
すれ違う下山者も多く、最新のルート情報には事欠かなかった。
「だけど明日は雪なんだよなぁ・・・」
そんな愚痴ばかり思いながら赤岳鉱泉小屋へと登り続けた。

明日は降雪。
しかし今はもう3月も半ばだし、そう大しては積もらないだろうと思い込んでいた。
ましてや八ヶ岳は太平洋高気圧の影響を受けるため、この時期になってまでの大雪は考えにくい。

小屋に到着した。
ここでも見事な碧空に雪山が映えている。

明日のことはそれほど懸念しなくても大丈夫だろうと、尚更思えてならなかった。


雪は夜になって降り始めた。
周囲が樹木で囲まれているここは風も穏やかであり、そのことが降雪の不安をやわらげてくれた。
だがそれはやわらげてくれたではなく、「不安をやわらげてしまった」と言った方が正しい。
そもそも、風の穏やかさに惑わされてしまっていたのだ。
自然はそんなに甘くはないのだ。

翌朝は吹雪だった。
計画していた「硫黄岳→横岳→赤岳」の縦走はすぐに諦めがついた。
硫黄岳は初級の雪山だが、PEAKの手前付近は雪崩の巣であり、過去には死亡者も出ている。
横岳は降雪時や降雪直後がどれほど危険であるかは嫌という程身に浸みている。
「赤岳で十分だ。」
すぐに自己決定した。

行者小屋に向けてスタートした。
トレースは一切無く場所によっては膝まで埋もれたが、勝手知ったるルートであり問題はなかった。
行者小屋に着き山を見上げるも何も目視できなかった。
風も幾分強くなってきているのが分かる。
何となく不気味さを感じた。

ここで、地蔵尾根ルートをとるか、文三郎尾根ルートをとるか悩んだ。
「おそらくそれなりにラッセルはあるだろう。しかし、厳冬期程のラッセルではないはずだし、地蔵尾根からは何度も登攀している。今日は文三郎コースで登ろう。」
そう思った。


このルートもトレースは完全に埋もれていた。
「昨日あれほどの登山者がいたのに・・・」
そんな軽い不満を持ちながら登攀を始めた。

登り始めの樹林帯はまだ風が弱い。
強いて不安材料と言えば、降ってくる雪の多さが増してきているように感じること。
「この程度ならまだ大丈夫だろう。この先、風が強くなることはあるだろうけど、稜線上の強風を思えばどうってことはない。」
決して慢心ではなかった。
過去の経験がそう感じていたからだ。


もうすぐ樹林帯を抜けるポイントまで来たが、かなりの斜度となった。
おまけに膝まで雪に埋もれながらの登攀はかなり体力を消耗する。

途中で一息入れながら樹林帯を抜けたが、途端に強風の洗礼を受ける羽目となった。
すぐにフードを被り、そのフードを絞ったにも関わらずバタバタと音を立てている。
おまけに吹雪となり視界も極端に悪くなってきた。
それでも時折ではあるが、行者小屋付近の樹林帯や阿弥陀岳が目視できることが何より嬉しかった。