ひとり旅への憧憬

気ままに、憧れを自由に。
そしてあるがままに旅の思い出を書いてみたい。
愛する山、そしてちょっとだけサッカーも♪

再びの横岳縦走:苦い記憶

2015年04月30日 23時56分25秒 | Weblog
あと一ヵ所、西側を大きくトラバースし、ルンゼを下るための登りがあるはずだった。

見下ろせば赤岳鉱泉小屋が見えた。

ここも危険なポイントであることには違いない。
5分間だけ小休止をし煙草に火を付けた。
「あのリッジはどうなっているかなぁ・・・」
二ヶ月前の苦い思い出、辛い経験が急に蘇ってきた。
思い出したくもないことではあるのだが、ほんの少しだけ「経験値」として受け入れられる気持ちのゆとりがあった。

西側へのトラバースポイントに出た。
ここもよく覚えている。
猛烈な強風に、体を岩に叩き付けられるようにしながら越えたところだ。
今日も風は強いが、前回よりははるかにましだった。

「ここを登ればルンゼに出るんだったな。そしたらあそこか・・・」

登り詰めたことろからは、再び赤岳が目の前に迫ってきた。
・・・が、それよりも自分の視線はピンポイントであのリッジを捉えていた。

(赤丸部分が、前回苦労したトラバースポイント)

「先ずはここ(ルンゼ)を下りよう。」
かなりの急斜面であることは分かっていたが、雪面の固さが味方してくれている。
バランスとアイゼンワークを間違わなければ大丈夫だ。
さらさらの雪質は、登攀においても下降においても嫌なもので、アイゼンの爪もピッケルのピックもあまり役に立たない時もある。
前回がそうであったように、単独ラッセルではかなり体力を消耗させられた。

下りながらも時々立ち止まっては、視線を上げあのポイントを見つめた。
しっかりとしたトレースがはっきりと目視できた。

大丈夫と分かっていても、緊張感が膨らんできていた。
そして、一歩一歩リッジに近づくほど、東側の谷の深さにあらためて驚いた。


トラバースへの怖さは無かったが、今回はじっくりと目の前のルートを確認するように凝視した。

一歩が踏み出せないわけでは無かった。
ただ不思議とあの苦い経験を噛みしめるような思いだった。

途中で立ち止まり、右手の岩肌を見た。
「ここにピッケルとバイルを刺して、向かい合うようにしながらのトラバースだったんだ・・・。」
そんなことをどこか懐かしむような思いで通過した。

今回の通過タイム。
なんと、1分!!
「なんじゃぁこりゃ~」ってな感じのトラバース(笑)。
二十三峰でリッジを振り返った。
「初めから残雪期にすればよかったのかなぁ・・・(苦笑)」
そんな思いもあったのだが、厳冬期のあの経験は無理にしなくてもよかったはずだ。
何とか下山できたからこそ言えることだが、だからといって決して無駄ではないはずだ。
多くのことに気付かされ、己と対峙し続け、そして努力もした。
無駄なはずがなかろう。

再びの横岳縦走:ルート半ば

2015年04月20日 23時21分38秒 | Weblog
奥の院を越えれば、確かすぐに杣添尾根との合流地点となる。
ほどなくして三叉峰を示す道標が左手の先に見えた。
当然この先のリッジを左手に進むのだが、リッジの反対側(右手)を覗いてみた。
かなりの急斜面、と言うより「崖」そのものだった。
だが、雪はたっぷりと残されていた。
「これなら・・・」と思い、本来のルートではなく、ある意味バリエーションルートでリッジ越えを試みた。
が、その前に冷静に考えた。
「これはチャレンジか。それとも蛮勇か。はたまた単なる愚かな行為か・・・」
「いや、行ける! 不可能と判断したらすぐに引き返そう。」

当然トレースなど何処にもない。
ピッケルで一歩先の雪を刺し、状況を確かめながらトラバースを始めた。
「無理なら戻る。無理はしないで戻る。」
何度も考えながら一歩ずつ進んだ。
トラバースは無事終えた。
しかし、今度は岩壁を登らなければならず、上を見上げルートを考えた。
自信があったわけではない。
それでも確証はあった。
ポイントによってはピッケルを伸ばし、ピックの先端を岩の僅かな窪みに引っかけて体を持ち上げなければならなかったが、何とか正規のルートに戻り一息ついた。

「あぁ~ここもよく覚えているなぁ。ガスで何にも見えなかった時、この道標を発見して心底嬉しかったっけ。」
ちょっとはにかみながらあの時の心境を思い出した。

赤岳が近づいてきた。
展望荘も目視できるまでの距離にいる。

「そうそう、この鎖だよ。殆どが雪で埋もれてったっけ。反対側が崖になっていることだけは分かったけど、道幅が分からなくてちょっとビビったなぁ(笑)。」
今日は雪は溶けていたが、実際に道幅がこれほど細かったとは・・・。
けっこう際どいポイントであることをこの時知った。

奥の院を振り返った。

まだルート半ばではあるが、やはり嬉しさはこみ上げてきた。
もちろんそんなことは唯の自己満足に過ぎないが、自己満足を得るために登っているようなものだ(笑)。
「さぁて、まだまだ先がある。頑張ろう。」
雪の岩稜群の真っ只中に独りぼっちでいることが、かえって充実感を満たしてくれている様な気がした。
それは、先の失敗があるからに他ならない。

再びの横岳縦走:自己との対話

2015年04月16日 21時32分18秒 | Weblog
 奥の院のリッジへは短い登りであり、遠くからの見た目ほど厳しい状況ではなかった。
むしろあっけなく奥の院へ登ることができた。

前回とはうって変わっての天候、そして自分自身の安定した心境だった。

突発的な強風は相変わらずだったが、ここで小休止をとることにした。
赤岳の少し東には富士山が見え、西には諏訪湖が目視できた。
贅沢な風景に囲まれての休憩、煙草も美味い。

ちょうど二ヶ月前にも俺はこの場所に居た。
ここにいたのは一分にも満たなかったが、何の感動も充実感も、そしてささやかな自己満足すら感じることはなかった。
「すべてを受け入れる覚悟の中に自由がある」などと、まるで単独登山を知り尽くしたかように偉そうに嘯いていた自分は、孤独感、虚無感、敗北感にこれでもかと痛めつけられ、ただひたすらに「帰りたい、戻りたい」と願っていた。
「生」に対してしがみつくように喘いでいたような気がする。

行動食を食べながら、腹ペコ山男さんが言っていた言葉を思い出した。
『登山というプロセスを通じて自らの思考、意思、行動を問い続けることではないかと。それは苦しくもありますが、そこから逃げることは山では極限まで行けば死につながるわけで、もうすこし簡単に言えば、普段身をおいている日常社会がいかに安全で守られていて、生きるということがかくも様々な自己との対話が要求されるものかに手っ取り早く気付き、体感し、そしてその対話に耐えた自分と新たな自分を見つけるのが、媒介としての単独登山なのかもしれませんね。』

今振り返ってみて分かったことがある。
大袈裟な言い方になってしまうが、あの時の俺はただ死にたくない、生きて帰りたいという思いだけだったような気がする。
日常生活では決して感じることのない、味わうことのない「生きること、そして生きて帰ることへの思い」だけだったような気がする。

自ら望み、計画し、実行しておきながらも「吐きまくった弱音」。
だからこそ、今までただなんとなくぼんやりとしか分からなかった「自己との対話」がどういうものであるのかが見えてきた。
あくまでも趣味の世界に過ぎない登山であるが、人との出会いや、大自然の過酷さや、己の弱さを知ったことから分かりかけたことだ。
そしてこれは間違った考え方かも知れないが、もう一つ分かりかけたことがあった。
天候やルート状況に恵まれ、何のアクシデントも無くすべてがスムーズに上手く行った登山の場合だと、ここまでの自己との対話はあり得ないのではないかということだ。
安全にスムーズに事が運ぶことが悪いと言っているのではない。
辛く厳しい状況だからこそ、そのから分かることや見えてくるものがあるのではないかと思うのだ。
改めてそれを教えてくれた腹ペコ山男さんに感謝した。

柄にもないことを考えながらしばし休憩をとった。

こんな笑顔、前回ではただの一度もなかったっけ(笑)。

この先、まだ気が抜けないポイントはいくつかある。
独りであるが故に、大いに自己との対話をしながら進もう。



再びの横岳縦走:奥の院へ

2015年04月15日 01時53分36秒 | Weblog
雪庇を右手にして硫黄岳山頂を目指した。
遙か遠くにはケルンがほぼ等間隔で建っているのが見えた。
もう30年近くも前の夏にここを通過した時は、確かあのケルンのどれかにもたれかけ休憩を取った記憶が蘇ってきた。
(ん? あの時は山頂のケルンだったかな・・・。確実なことは忘れてしまった。)

硫黄岳山頂は将に吹きさらしだった。
かといって常時強風が吹き荒れているわけではない。
ただ、かえってそれがやっかいだった。
つまり、いつ何時強風にさらされるかまったく予測がつかなかったのだ。
幸いにして山頂は広く、風に煽られ倒れても落ちるということはないだろう。

ここはそのまま通過し、横岳へと向かった。
ケルンに沿ってなだらかな道を下ると硫黄岳山荘が見えてきた。
ここも休憩無しで通過し、今度は登り道となった。
気のせいか、時折吹く強風が更に勢いを増してきている感じがした。
体の煽られ方が今まで以上なのだ。


アイスバーンが目立ち始めた。
ここは慎重に登攀をしなければならない。
ただただ足もとを見て登り続けるが、今日のルートにおいて登りらしい登りのポイントはここが最後のはずだ。
そう思えば足取りも軽かった。

登りが終わりフラットな場所に出ると、なんと登山者がいたではないか。
自分と同じ単独者のようだ。
すれ違いざまにこれからのルートの状況について確認した。
雪質は大丈夫のようだが、やはり突発的に訪れる強風に手こずっているようだ。
「この先の奥の院手前はかなり細いリッジになっています。あそこで強風にやられると落ちますから慎重に進んでください。」
一応ありがたいアドバイスとして頂いておいた。

この日、横岳縦走で唯一すれ違った方に撮って頂いた写真だ。

奥の院手前に極端に細いリッジがあることは下調べて分かってはいたが、いざあの様な言葉を聞くとちょっと・・・。
「落ちますから・・・か。う~ん、一歩一歩だな。」

奥の院のリッジが見えた。
「確か鎖が設置されているはずなのだが・・・」
ここからでは目視できなかった。
近づけば近づく程にそのいやらしさが分かるリッジだった。

「ちょっと待ってくれ。どこからどうやって攻める?」

進むしかなかった。
強風が一端止み、微風になったタイミングを見計らい岩肌に近づくことにした。

「まだ雪だけの方がいいかも・・・。」
そんなことを考えながらゆっくりと一歩ずつ進んだのだが・・・。

こんなことはただの偶然であり、運が悪いとかではないと信じたい。
いきなりだった。
自分の右手後方からの突風に襲われた。
よりによって一番細いポイントでだ。
思わずその場で膝を突き、四つん這い状態となった。
それ以外の対風姿勢が思いつかなかった。
強風はほぼ一瞬で過ぎてくれたが少々ビビってしまった。
「あっぶねぇー」
距離は短かったが、先ほどの方が言った通り確かに「落ちますから」だった。

奥の院のリッジに取り付いた。
「なるほど鎖だ。これなら大丈夫。」

ここまで来て初めて分かるルートだった。
遠くからではかなり厳しそうなリッジ越えになるかと思えたが、実際に取り付いてみれば比較的楽なリッジ越えであった。


再びの横岳縦走:目に焼き付けておきたい風景

2015年04月12日 14時07分09秒 | Weblog
枝分かれしたルートに悩まされながらも、次第に周囲の樹木が減ってきているのが分かった。
「そろそろ森林限界線を越えるかな?」
眩しい程の太陽が覗いている。
風は?・・・
樹木の枝先の揺れや音から判断すれば、時折突風の様な風が吹いているのが分かった。
「ずっと吹き続けられるよりはいいか。」
そう思い登り続けた。
そして樹林帯を突破し、左側が一面の急斜面になっているポイントへと出た。
「赤岩の頭は左手だから・・・」

雪の急斜面を見渡してみたが、「赤岩の頭」のポイントを見つけるより先に目に付いたものがあった。
「あれか・・・」
そう、自分が今立っているポイントこそが雪崩の可能性が最も高いと言われている場所だった。

横一列に綺麗に雪庇が発達していた。
雪崩が最も起きやすい斜度は32°~45°であり、確かにこの斜度ではそれは言えていた。
過去にはこの場所で雪崩に巻き込まれ亡くなられた登山者もいる。
弱層テストこそしなかったが、今日に限って言えば表層雪崩はありえない。
あるとすればやっかいな全層雪崩だろう。
ましてや今の時期の雪は、一年で最も重く湿っている。
踏み抜きをしてしまっただけでも、スムーズに引き抜くことはできるはずもない。
その重く湿った雪が、体の上にのしかかったことを想像するだけでゾッとする。

先ずは少しでも早く雪庇から外れたコースを登攀しなければならない。
地図では最も西側あたりが「赤岩の頭」らしいのだが、下から見上げただけでは指標らしい物を目視することができなかった。
雪庇を外れ稜線に向かい登った。
するとその途中で赤い人工物と思われる物が目に入ってきた。
おそらくは何かしらの指標でありポイントとなる目印に違いなかった。

赤い旗だった。
そしてすぐその先には「赤岩の頭」と書かれた文字入りの道標が立っていた。
「やっとここまで来たか。これから先は吹きさらしだな。」

今のところ風は穏やかで休憩するにはもってこいだった。

太陽はあまりにも眩しいが、その眩しさがたまらなく嬉しかった。
阿弥陀岳、赤岳、横岳の峰々が一望できた。
すぐにでも何か行動食を摂りたいところだったが、硫黄岳側から見る初めての雪の南八ヶ岳に魅せられてしまった。


小休止をとり硫黄岳山頂へと進む。
自分の右手に見える絶景と平行して進んでいるが、やはり横岳のリッジ群は圧倒的だった。
前回ガスで見えなかった大同心、小同心、奥の院、鉾岳がくっきりと視界に入ってくる。

「素晴らしい」の一言であるが、硫黄岳を越えてからの縦走が近づいてきていることが確かなだけに、気を引き締め直さなければならなかった。
だが、やはり美しいものは素直に美しい。
もし、再びこの場所に来るとすれば、おそらくは一年後になってしまうだろう。
一服しながらこの大自然の白銀の造形美を目に焼き付けた。


奥の院手前までは一気に縦走できるだろう。
足下は比較的安定しているはずだが、問題はこの風だ。
これほど緩急がはっきりとしている日は珍しく、微風かと思えば瞬時に体を持って行かれそうな突風へと変わる。
リッジ越えの時は特に要注意になるだろう。

さて、先ずは硫黄岳だ。

再びの横岳縦走:もう一度

2015年04月11日 01時00分09秒 | Weblog
中途半端な形で終えた横岳縦走だった。
帰宅し通常の生活に戻っても、漠然とした口惜しさと不完全燃焼さはしばらくくすぶっていた。
すべては自身の判断の誤りからだった。
そして精神的にも追い込まれた縦走だった。
もやもや感が居座ったままではあったが、「またいつか・・・。今度こそ。」という僅かな思いはあった。
「雪が安定した残雪期なら・・・」
そう考え、再び計画を練った。

3月24日。
再び美濃戸口からのスタート。
一週間前から毎日天候を確認し、そしてもう一度予定しているルートの下調べをした。
今回は前回とは逆のコースとなるが、硫黄岳から入り横岳へと抜ける本来予定していたルートだ。

赤岳鉱泉小屋まではまだかなりの積雪はあったが、アイゼンもピッケルもストックも使用せず着いた。
途中すれ違う下山者の方々は多く、横岳の情報を聞こうとしたが、やはり殆どの人達は赤岳か硫黄岳への登攀であり、横岳に行った人は僅かに2名だけだった。
その中の一人に、偶然ではあったが去年の3月に小屋で知り合った方がいた。
「あれーっ、そうですよね! 一緒のテーブルで食事した方ですよね!」
お互いにビックリ、そして急に嬉しさがこみ上げてきた。
その方から最新の横岳のルート情報を詳しく入手することができた。
本当にありがたいことだった。
握手を交わし別れた。
「よし、雪質は問題ない。このままであれば縦走できるぞ。」
不安だらけの中に、僅かに期待感が生まれてきた。

小屋に着き早速明日の装備の確認作業をした。
今のところ天候は心配ないが、問題は「風」だった。
特に硫黄岳から横岳へと向かう縦走ポイントは横風を防いでくれる遮蔽物が全くないと言ってもよい。
また、小屋の方に確認したところ、やはり「赤岩の頭」付近は雪庇が発達しており、越えるのなら少しでも気温が低く雪質の安定している朝が良いでしょうということだった。


小屋の窓からは「大同心」を初めとした横岳の岩稜群が見えた。
「すぐ近くに見えるんだけどなぁ・・・」
そんなことを思いながら縦走への思いを馳せた。

翌25日、しっかりと朝食を食べ、7時30分にスタート。
先ずは「赤岩の頭」へ向け、樹林帯の中をひたすら登攀する。
ここはストックを使用した。
トレースはしかっりと残されていたが斜度はそれなりにきついポイントが多くあった。
また、右に左にとつずらおりになっているが、積雪期ならではの迷い道になりかねない、判断に悩むことが何度もあった。
それは「どうせ雪なんだからこれでも行ける」という思いで、カーブを曲がらずに敢えて直進してしまう人がいることだ。
結果として辿り着くポイントは同じであっても、直進のトレースがあることでルートが二つに分かれてしまっているのだ。
幸い樹木には赤やピンクのテープが巻かれている所が多く、それらのテープを確実に確認しながら登攀するが、それでも分かれ道の多さには辟易した。

「そりゃぁ慣れている人はそれでもいいだろうけど、俺みたいなのもいるんだよなぁ。やっぱり決められたルート通りに行ってほしいよ・・・。」
そんな愚痴の一つも出てきそうだった。

汗は殆どかいていない。
長時間になるであろう縦走を考え、レイヤリングは極めて最低限のものにしたのだ。
アンダーとミドルを薄手のものにし、アウターを着ただけだが今のところ正解だった。

上を見上げれば、樹木の隙間からは眩しい程の太陽の光が漏れ始めている。
早くここ(樹林帯)を抜け出したい。

限界を感じて・・・帰路

2015年04月06日 00時16分43秒 | Weblog
行者小屋に着いた時は、すでに15時を過ぎていた。
北沢コースを辿っても、美濃戸口までは2時間30分はかかるだろう。
だが、林道までなら1時間あれば何とか着けるし、そこまで出られれば何の心配もない。「よっしゃ、飯を食べるか。」
食事と言ってもいつものカップ麺だ(笑)。

ガサゴソとザックからコッヘルとバーナーを取り出し、お湯を沸かし始めた。
今回はカレー味のカップヌードル。
たかがカップ麺であるはずなのだが、今日に限ってはスペシャルな感じがした。
「やっと食べられるのか・・・はぁ~長かったな・・・」
そんな思いだった。

朝、ここに来た時にはテントは5~6張りはあっただろう。
今はすべて撤収されており、誰もいない。
熱いスープを一口すする。
そして麺を一口。
「がぁーっ!うっめぇー!!」
どうせ誰もいないのだ。
でかい声で言ってやった。

大きな声を出したのは、安堵感からだけではなかった。
あの時の自分の感情を言葉や文章で表現することは難しいが、「むなしさ」の様なものがあったからだった。
計画していた通りの縦走ができなかったこと。
新雪に阻まれ続け、体力的に厳しかったこと。
地蔵の頭から無理に横岳に向かったこと。
本当に死ぬんじゃないかと思った程きつかったポイントがあったこと。
総じて言えば、己の弱さをまざまざと痛烈に感じたこと。

そんな複雑に絡み合った「負の思い」が一気に爆発したのだ。
だからあの時のカップ麺は涙が出そうになる程美味かった。

最後の1時間はヘッデンを灯し、とぼとぼと歩いた。
歩きながら考えた。
「行くべきじゃなかった。地蔵の頭から赤岳に向かうべきだった。何故あのとき俺は無理をして・・・。完全な判断の誤りだ。」
何度も何度も同じことを考えながら独り雪道を歩いた。

美濃戸口には19時頃着いた。
仮眠のできる部屋に入り、あとは眠るだけなのだが、疲れているはずの体は目を閉じても睡魔が来ず、頭の中は今日一日の出来事がグルグルと回っていた。
「こんなこともあるさ」と、いくらポジティブに考えようとしても無駄だった。
経験、技術、知識、体力、そのどれをとっても自身の限界を感じざるを得なかった。

「そうだ、家にメール(ライン)を出さなきゃな・・・」
『さっき、美濃戸口に着いた。何とか無事下山した。明日帰る。』

何とか無事下山。
苦笑いをしてしまった。
でも、家族にはこれでいい。



限界を感じて・・・復路

2015年04月04日 17時01分01秒 | Weblog
二十三夜峰まで戻ればあとは何とかなる。
トレースは自分が残したものがあるから、それを辿って行けば良い。

無意識で急ぎ足の戻りとなっていた様な気がする。
急いでも良い事なんて何にも無いことは分かってはいても、「戻りたい。帰りたい。あのリッジを越えなければ・・・」
あの時の自分はあきらかに焦っていた。
危険区域を戻らなければならないということもあったが、焦りのもう一つの理由は「時間」だった。

このままスムーズに下山でき、美濃戸口まで戻ることができても、おそらくはヘッデンのお世話になってしまう。
だとしても、できるだけ早い時刻に戻りたい。
行者小屋まで下山したら、南沢ではなく北沢で下山することに決めていた。
それは少しでも道迷いの可能性を無くしたかったからだ。
行者小屋から美濃戸までの樹林帯がやや不安だった。
おそらくトレースは期待できまい。だとすれば道幅が広く、そして記憶に新しい北沢ルートで下山すべきだろう。

気持ちの焦りは、アイゼンワークやピッケルワークを無視し、雪山におけるリスクマネージメントをないがしろにした縦走となってしまっていた。
今にして思えばよく滑落しなかったと・・・。
これは今回の縦走で最も反省しなければならない事だ。

ルンゼを下る。
登った時には感じなかった斜度の厳しさを目の当たりにした。
「ここを下るのか・・・。北穂と同じかそれ以上かも。」
雪の北穂高に登ったことが少しはメンタル的にも役立ってくれていた。

再びあのリッジへと戻ってきた。
不安は大きく、尻込みしそうな程だった。
「越えなきゃ。戻らなきゃ。」
一つだけラッキーだったことは、もうピッケルでラッセルする必要は無いということ。
それでも雪面は柔らかく、ホールドポイントも殆ど無かった。
握れそうなポイントは幾つかあったのだが、岩の突起部に氷がまとわりついており滑って握れなかった。
体を岩肌に向け、カニのヨコバイスタイルでトラバースすることにした。
今度は右手にピッケル、左手にバイルを握り、二つを岩肌に引っかけてのトラバース。
我ながら良いアイデアだった。
「よし、これなら全体重をかけることもない。」
一歩一歩の歩幅は短く、時間は要したが往路よりは遙かに短時間で越えることができた。

二十三夜峰が目の前に立っている。
「もう少し・・・」

気を抜いた訳ではないのだが、安堵感が湧いてきた。
「もう大丈夫。ここまで来ればもう・・・。」
地蔵の頭に戻ってきた時、脱力感を感じた。
腰を下ろし、暫くはうつむいたままの状態が続いた。
「良かった。ここまで戻ることができた。もう一服してもいいだろう」
煙草に火を付けたのは久しぶりのような気がした。
特に美味いとは思わない。
むしろホッとした思いでの一服だった。

風は強く、東を向いて座っている自分の背中をこれでもかと押してくる。
「そっか、何か食べなきゃな。」
行動食の入ったポーチから、ようかん、魚肉ソーセージ、ベビースターラーメンを取り出し食べ、そしてBCAAを摂取した。
ゆっくりと安堵感を噛みしめるように食べた。
ぬるくはなってしまっていたが、チャイも飲んだ。
「腹ペコ山男さんも、こんな思いをして登っているのかな。いや、こんなバカなことはするはずがない・・・」
甘いチャイを飲むと、やはり腹ペコさんを思い出す(笑)。
そして、またいつもと同じことも思った。
「なんで俺はこんなことをしているんだろう。なんで独りでここに居るんだろう。」
勝手で我が儘な思いだと分かってはいても、いつもこう思う。

振り返り地蔵尾根を見下ろした。
とにかく行者小屋までは気を引き締め直して下りよう。


やや日が差してきているのが分かった。
雪山は厳しくも美しいと改めて感じた瞬間だった。