ひとり旅への憧憬

気ままに、憧れを自由に。
そしてあるがままに旅の思い出を書いてみたい。
愛する山、そしてちょっとだけサッカーも♪

シーズンを締めくくる:「後書き」・・・のようなもの

2016年06月29日 00時36分14秒 | Weblog
自宅へと帰り、いつもの生活に戻った。
すぐにハチローさんのブログを開き、何はなくともお礼を一言言いたかった。

悪天候での単独登頂を目指すに当たっての諸々のアドバイスへのお礼や自身の不安等々、その時の気持ちを正直に綴った。
数日後、ハチローさんからの返事があった。
「おっ、ハチローさんからだ。わざわざ返事をくれるだなんて嬉しいね♪ 」
と思いつつも、ひょっとして「無謀すぎる」とおしかりの言葉を頂戴されたか? とも
思い、恐る恐る読んだ。

『あの天候では、正直山頂へは厳しいものがあると私個人は感じておりました。
でも、事前の周到なご準備と、ご自身の技量を十分にお考えになっての状況判断で、果敢に山頂アタックされたのは素晴らしいと思います。
お帰りの際にはお話できませんでしたが、デポしてあったザックがなくなっているのを目にして「無事、下山されたのだな」とお察しいたしました。
そして「あの悪天下で、よくぞ!」と、感嘆した次第です。』

ハチローさんから・・・あのハチローさんからお褒めの言葉を頂いてしまったではないか!
これはもう感動どころの話しではない。
大いなる不安と若干の後悔心を抱きながらの登頂と下山だっただけに、正直意外な返事でもあったのだ。
そして「俺は間違ってはいなかった。」とも思った。

選択した山が、時期や自身の登山レベルの身の丈に合っていたのか。
登頂し、無事下山できたことは「運」ではなく、自分の技術と経験から成せたものなのか。
そんな不安と疑問に対してハチローさんが答えを出してくれたような気がした。
だからといって天狗になってはいけない。
成功したからこそ、次に繋げるための戒め(反省)が大切だ。

もう一度ふり返ってみよう。

        ***登山五省ノ訓***
一 「己を知り足りてなかりしか」
己の体力、技量、知識、総じて経験を十分且つ客観的に理解評価し、足りないものが何であるのかを知ると共に、己が如何に非力で未熟であるかを認め、決して驕らず身の丈に合った山であったか。

一 「備えし努力に憾みなかりしか」
目指す山に登り、無事下山する為には何が必要であるのか。
人の意見に真摯に耳を傾け、そして危機回避のための十分な下調べと情報収集に努め、準備装備に不足や怠り、選択の誤りはなかったか。

一 「蛮勇とならずしてなかりしか」
迷いや不安に駆られたとき、危機に遭遇したとき、冷静且つ公平に思考し、的確な判断を下し、誤りのない行動のもと、必要以上に危険を冒すことなく無理のない山行であったか。

一 「山に恥づることなかりしか」
山をはじめとした自然と登山者に対し、登山を愛好する者として、登山にかかわり合う者の一人として恥ずべき行動をとることはなかったか。

一 「感謝に悖るなかりしか」
たとえすべて単独での登山であっても、決して自分独りだけの力で登頂し下山できたわけではない。
自然に、人との出会いに、登山者の安全を願う人たちに、そして無事の下山を願う人たちに感謝の意をもつことができたか。

*自分が勝手に真似て作成したものなので、文語体などが正しいか否かは不明。
 まぁお堅いことは抜きにしてください。 m(_ _)m


シーズンを締めくくる:「シーズンを締めくくる」

2016年06月25日 12時56分42秒 | Weblog
奥穂高岳の頂上を目指すルートは、今回で6回目となる。
ただし、5回目までは夏ルートだ。
つい3年前の夏にもこのルートは一往復してはおり、参考までにとその時の画像を家でじっくりと脳裏に焼き付けてきた。
当たり前のことだが、夏ルートと雪のルートは違う。
すべてが違うわけではないが、ここまで何度かルートを見失いかけたのは事実だ。
それでも雪解けが早かったおかげで、明らかにルートである区間は幾つか見分けることができた。

高度計を見た。
正確ではないにしろちょうど3200mを表示している。
時刻はスタートして1時間を少しだけ経過している。
「もうそろそろなんだけどなぁ・・・」
胸を締め付けられるような不安の中で真っ白なガスの世界を見渡した。
「もう少しだけ登ってみるか」
登ることができると言うことはまだてっぺんではないという証拠。
だが、せめて祠とか指標とかが目視できてもいいはずだ。

5分程登っただろうか、再び周囲を見渡した。

安堵感に包まれた瞬間だった。
西穂高岳方面を示す指標と、山頂の祠が目視できた。

長い1時間だったが、指標に向かって進む足取りはついさっきまでと比べて軽くなっていた。

当初の計画では、ここから「馬の背」までは行ってみようと考えていたのだが、この悪天候のためそれはやめにした。
今日中に上高地まで下山しなければならないし、彼のこともちょっと気になっていた。

3年振りの奥穂高岳のてっぺんは誰一人もいなかった。
しかしそんなことはもう慣れっこになってる。
雪山であればそう珍しいことではない。

せっっかくだからピッケルだけでなく、アイスバイルも一緒にセットした。
ここまで1時間24分かかってしまった。
「まぁいろいろあったしね(苦笑)」

とてつもなく雨風が強く、煽られながら頂に立った。
やっとリベンジができたことの嬉しさや達成感、そして充実感を噛みしめた。
ほんの数分程度の山頂だったが、それで十分だった。


「さぁて戻るか・・・」
再び緊張のルートとなったが、小屋までのルートにおいても一度ルートを間違えてしまった。
間違い尾根に入り込んでしまったわけではないが、僅かに右寄りに進んでしまい、腰まで雪に埋もれてしまったのだ。
まともに抜け出すことなどできるはずもなく、ピッケルで少しずつ雪をかきだし、片足ずつ抜いていった。
「大丈夫、慌てる事じゃない。」
今までの経験がそう言っている。

間違い尾根の手前まで来たが、既に彼は居なかった。
「下山したんだな。いや、下山できたのかな・・・」
心配になったが、今は自分のことを心配すべき時だ。
フィックスロープの位置を確認し、もう一度間違い尾根を見た。
「確かにこれじゃ間違う人がいるはずだ。」
そう確信できる程のハッキリとしたルートに見えた。

雪壁を下りる時は、右手にピッケル、左手は岩をホールドして下りた。
去年の夏、劔岳の平蔵谷雪渓でのシュルンドでも似たようなポイントはあったが、高さが違う。
だが、あの時の経験も役に立っていることがありがたかった。
「経験を積む・・・か。なるほどなぁ・・・」

鉄梯子を下り、小屋に戻った。
まだすべての山行が終わったわけではないが、ホッと一息付ける状態となってくれた。
アイゼンを外し小屋に入る。
「わぁー良かったです! 無事登られたんですね!」
黄色い声にちょっと照れながら「ありがとうございます」と返事をした。
びしょ濡れのグローブを外し、煙草に火を付けた。
美味い。安堵感の味がした。

スタッフの女性がお茶を入れてくれた。
冷え切った体には本当にありがたい心遣いだった。
(本来であれば、お茶も有料なのだ)

ポケットに入れておいた荷物をザックに詰め替え、すぐに下山した。
「ハチローさんによろしくお伝えください。あなたのアドバイスのおかげで無事登頂し、戻ることができましたと、くれぐれもよろしくお伝えください。」

白出のコルから涸沢まではちょうど1時間だった。
途中休憩することなく涸沢まで来たが、緊張感から解放されたためか、左足の疼きが再発した。
いや、おそらくは今朝から疼きはあったのだろう。
まぁここまで来てしまえば、もう急斜面を下ることもないし、あとはのんびりと上高地を目指すだけだ。

事故の報告は無いことから、彼は無事だったと思う。
無謀だと言えるし、本当に一人で登れると思ってきたのだろうか。
何とかなると思っていたのだろうか。
どれだけ事前に調べたのだろうか。
どれだけの経験を積んできたのだろうか。
そして、どれだけ自分自身のことを知っていたのだろうか。
知ろうとしたのだろうか。
事故に遭わなかったことを最大の幸運と思って欲しい。
己の実力ではなく、ただの幸運であったと思って欲しい。

涸沢から白出のコルを振り返るが、何も見えない。
もちろん奥穂高岳もガスの中。
ガスの中にあるであろう頂を見つめながら、雪山シーズンのラストはちょっと複雑な思いに駆られた。
が、それなりに満足できる山行となってくれた。

さて、今度は癒しを求めてのんびりと花を愛でに登ろう!

シーズンを締めくくる:締めくくりたい想い

2016年06月21日 00時06分07秒 | Weblog
翌朝は4時過ぎに目が覚めた。
真っ先に窓を開け天候を確認するが、予想通りの風雨となっていた。
しかも西からの風は強く、大粒の雨が室内に入ってきた。

「独りか・・・」
こんな悪天候の中、てっぺんを目指そうとするのは自分独りくらいだろう。
分かっていたことではあるが、やはり「今回もか・・・」という気持ちになった。
しかし再び一年も待つ事への嫌気もあった。

先ずは朝食だ。
往路も復路もほぼ1時間程度のルートタイムであることもあり、腹八分目とした。
そして荷物の最終チェック。
昨夜決めた超軽量作戦が果たして正しいのか否か・・・。
不安は大きい。
こんな最低限の荷物だけでアタックすることは初めてのことだ。
だが、これほど身軽になるとは驚いた。
「よし、やっぱりこれで行こう!」
小屋の女性に見送られ、6時30分玄関を出た。

登り口手前に来ると、右側からの風雨に時々体を煽られた。
ほぼ垂直に見える岩肌を見上げながら昨夜言われたハチローさんからのアドバイスを思い出した。
「とにかくアイスバーンには要注意です。アイゼンとピッケルをしっかりと効かせて一歩一歩ゆっくりでいいから進んでください。それとくれぐれも『間違い尾根』には入らないこと。わかっていても入ってしまう人が多いんです。」


岩肌の雪が少ない分、アイゼンの爪が岩をこする音が聞こえた。
だがその音さへも風の音でかき消される。

鉄梯子が見えた。
爪が引っかからないよう足下を見ながら一歩ずつ上り詰めた。


なんと、人がいたではないか。
よく見ると、昨日ザイテングラードの途中まで一緒だった男性だった。
一言だけ挨拶を交わすと「行くんですか?」と聞かれた。
当然返事は「YES」だ。
「僕、ルートがよく分からないんです。一緒について行ってもいいですか?」と驚くようなことを言ってきた。
「私も夏道以外での登攀は初めてです。すべてを知っているわけではないので責任は持てませんよ。」

何となくぎこちない関係ではあったが、結局彼は自分の後をついてくることとなった。
迷惑とは言わないが、正直足手まとい的にも感じてしまった。
今回だって自分のことだけで精一杯だし、ましてや他人頼りの登山者だなんて、本来であればここに来るべき実力ではないだろう。

アイスバーンをトラバースするように登った。
そして見上げるような雪壁にぶち当たった。
逐一彼の様子を確認することはなかったが、アイゼンワーク、ピッケルワーク、バランス感覚などは危なっかしいものであった。
アイスバーンの斜めトラバースでの登りでは、ピッケルを持つ手が谷側であり、靴(アイゼン)も向きは並進であった。
「やめた方がいいですよ」と言ってあげることが彼自身のためであるとも思えた。

自分が先に壁を登ったが、念のためにと持ってきたこともありダブルアックスで登攀した。
壁の上から「どうぞー」と大声で言うが、彼はなかなか登ってこようとはしない。
「ゆっくりで大丈夫ですから、一歩ずつ。」
風雨の音で声がかき消されているとは思えない。
もう一度「どうぞー!」と、怒鳴るように言うと「無理です、登れません。」
と、声が返ってきた。

俺もお人好しというかお節介というか、ほっといて先に進んでしまえばいいものを、「まったくしょうがねぇなぁ・・・。だから身の丈に合っていないんだよ。」
と、声には出さないまでも、わざわざ壁を下りていった。

自分が下からアドバイスをし、彼を先に登らせることにした。
「両手を同時に出しちゃダメー! はい、次は左手を伸ばしてー! 岩をホールドしてー! ダメーっ、もっと強くキックステップー! 斜め上からじゃなく、壁に対して90°に蹴りこむ感じで強く蹴るー!! もっと強くー!!」

山においては、いざというときはお互い様であることは分かってはいるが、なんで俺はこんなことをこんな場所でしなければならないのか・・・。
決して雪山は上級者などではない。
そんな驕りもないし、俺だって初めての雪の奥穂高なんだから・・・。

ここを登り切ったら下山するよう言った方が彼のためだと確信した。


彼が撮ってくれた写真だ。
これだけはありがたかった(笑)。

この後、似たような雪壁ポイントがあったが、ダブルアックスで登攀したのはここだけで済んだ。

「どうしますか? 行きますか?」
彼に聞いたが、どうしても登りたいそうだ。
嫌な顔はできない。
迷惑だとはっきりとは言えない。
そこが自分の弱いところなのだろう・・・。
「もう一度言いますが、少しなら技術は教えられます。でも雪の奥穂高は私も初めてです。この先ルートファインディングのミスがあるかも知れませんよ。責任は持てません。それでもいいですか?」
やや強めの口調となっていた。


時々彼がシャッターを押してくれた。
しかし、カメラに向かってポーズをとる余裕はなかった。
暴風雨とまでは言わないが、一瞬体を持ち上げられる程の強い風に何度も襲われた。
下半身が僅かに浮きアイスバーンの上に着地するが、アイゼンの爪が効かず体が氷の上に叩き付けられた。
瞬時にピッケルを思い切り氷に打ち込む。
深く、確実に刺さってくれた。
「良かった、テクニカルタイプのピッケルで良かった。」
涙が出そうになる程嬉しく、道具という物がこんなにもありがたい物であることを改めて感じた。
同時に彼のことが心配だった。
一挙手一投足がどこか心もとない感じだった。

ルートを確認しながら登攀を続けた。
トレースは100%当てにしない。
かなりガスってはいたが、周囲の状況、ペンキマーク、地図、コンパス、そして自分の判断力で登り続けた。

怖い、やはり雪山は怖い。
何度登っても怖い。
だが、せめてシーズン最後はてっぺんまで行きたい。
ルートを見失いかけることがあっても、何とかここまで来ている。
怖いけれどてっぺんへ辿り着きたい。


彼が撮ってくれた写真は、これが最後になった。

「僕、ここで待ってますから行ってください。」
そう突然言われた。
本音を言えばちょっと気が楽になった。
「いや、待っていない方が安全です。私だって確実に登頂できるかどうか分かりませんし、もし・・・もし万が一何かあったら待っていることの方が危ないです。
とにかくゆっくりいいから下山してください。
それと、さっき確認した間違い尾根だけには入らないように。いいですか、ぜったいにダメですよ。ちょっと振り返ればフィックスロープが見えたでしょ。あれを目印にして下山してください。」

彼と別れ、本来の単独登攀となった。
「あの人大丈夫かな・・・」
「完全に実力以上の山だな」
「やっぱり待たせておくべきだったのかな・・・」
自分に責任があるわけではないのだが、どうにも気になって仕方がなかった。
もし下山中に彼に何かあったら俺も責任を問われるのだろうか。
いや、それは無いだろう。
自分のことだけで精一杯だっていうのに、こんな悪条件の時になんでこんなことを考えなきゃならないのか、それがバカらしくも感じた。

「ダメだ。集中しよう。」
今はルートファインディングと技術に集中すべきであることは明白な現実。
それでなくても、すでに何度かルートを見失いかけている。

高度計は3200m近くの数字を出していた。
そして小屋をスタートしてからほぼ1時間が経過していた。
「そろそろなんだけどなぁ・・・。途中でいろいろあったしなぁ・・・。」

てっぺんは間違いなく近い・・・はずだ。

 

シーズンを締めくくる:アドバイス

2016年06月10日 23時34分40秒 | Weblog
待ちに待った夕食の時刻となった。
かなり腹は減っている。
今日は朝と昼でおにぎり3つと行動食のみで約10時間の縦走登攀だっただけにカロリーは相当量消費しただろう。
また痩せてしまうかな(笑)。


お~~なんと美味しそうなこと♪
ごはんとみそ汁はもちろんおかわり自由だし、「足りなかったら言ってくださいね。」というありがたい言葉を頂戴した。
結果はおひつにはいったご飯はすべてたいらげ、みそ汁も3杯。
「これは詰めすぎたかな・・・」と思える程だった。

食事の途中でハチローさんが来てくださった。
「どうも初めましてハチローです。ブログを読んでくださっているそうでありがとうございます。」
ちょっと無愛想な表情で、ちょっと怖そうであったが自分にとっては実に光栄な出会いだった。

ハチローさんについてちょっとだけ説明すると、コミック漫画「岳」の第14巻に「岳天山荘」の管理人「宮川三郎」さんという方が登場している。
そのモデルとなっているのがハチローさんなのである。
絵をよく見てみるとわかるのだが、岳天山荘は穂高岳山荘そっくりであり、宮川三郎さんもハチローさんそっくりである(笑)。

この時は、明日の天候やルートについていろいろと聞きまくった。
(「ハチローさん直々に一対一でルートの説明を事細かに受けることができるだなんて、俺はなんて贅沢なんだ。」)
しみじみと思いながら真剣に耳を傾けた。

僅か10分足らずの時間であったが、最後に握手をしていただき一緒に記念写真まで撮っていただいた。
後で画像を見てみると、ハチローさんは親指を立てポーズ。
ただただ嬉しい限りだ。


明日の天候が悪いことは明らかだが、どの程度まで悪くなるのかの予測は難しいとのことだ。
現時点では小屋から上の稜線ルートはかなりの風雨であることには違いないらしい。
準備だけはしっかりとしておき、自分の中では「決行、いざアタック!」とほぼ決めていたのだが、最終決断は明日の朝とした。

一つだけ気になることがあった。
ハチローさんからのアドバイスで言われたことだが、例年より雪解けが早いその分、根雪となっていた部分のアイスバーンがいたる所でむき出しになってしまっているらしい。
そのアイスバーンポイントで滑ってしまい、多くの滑落者が出てしまっているのだ。
事実、昨日もアイスバーンで滑落し、ヘリで搬送された人がいるとのこと。
実を言えば、TVや新聞では報道されていないだけで、滑落による怪我人は相当数になっているとのことだった。
「間違い尾根」や垂直に近い雪壁では細心の注意が必要なことは当然だが、今年に限って言えばアイスバーンがかなりやっかいらしい。
決心を鈍らせるアドバイスではあったが、むしろ要注意ポイントを個人的に教えていただいたということに心から感謝したい。

食後、ゆっくりと珈琲を飲みながらハチローさんからのアドバイスをもう一度かみ砕きルートの確認作業をした。
「明日はまたいつものように俺独りだ。小屋から頂まではたった1時間だが、おそらくは長く感じるだろう。アイゼンワーク、ピッケルワーク、ルートファインディング。そして俺自身の気持ちが折れないようにしなければ。」
何度もそう思った。

もう一つ気になること、決めかねている事があった。
アタックザックの中に何をどれだけ入れて行くかということに迷いがあった。
何故この期に及んでまだ迷っているかというと・・・。
例えば救急薬品類にしても、いつもであればワンセットとして持参するのだが、今回もし滑落してしまったら、自分の持っている救急薬品など殆ど意味を成さないだろうという推測が十分できるからだ。
この程度の救急薬品類で一体何ができるのか・・・。
だったら止血のためのテーピングテープ1本だけでいいだろう。
そのぶん身軽になって上を目指すことができるのではないか。
それがその理由である。

部屋へと戻り、アタックザックの中身をすべて取り出した。
ギア類をじっくりと見て考え想定した。
「絶対に滑落はしない」ということが前提ではあるが、もちろんそれでも絶対などあり得ない。
だったら、滑落してしまった場合に最低限必要と判断したものがこれだ。
・テーピングテープ
・水(1リットル)
・行動食:チョコレート3つ
・ヘッドライト
・バンダナ
・笛
・スリング:2
・ツェルト

これだけならジャケットのポケットにすべて入れることができる。
身軽さと行動性を優先し、アタックザック無しで登頂を目指すことに決めた。



シーズンを締めくくる:ハチローさん

2016年06月08日 23時48分41秒 | Weblog
小屋へ入る前に一枚だけ自撮りでパチリ。

かなりの疲労感はあったが、それよりも安堵感の方が気持ち的には上回っていたこともあり落ち着いて周囲を見渡すことができた。
そして小屋の前にはかなりの積雪があり「この高さからならジャンダルムも・・・」と思っていたのだが、濃いガスのためその不気味なまでの岩の塊を拝むことは叶わなかった。

入り口の前でアイゼンを外し中へ入った。
約3年振りに利用するが、GWも過ぎましてやこの悪天候である。
最も賑わうであろう談話室でさへガラーンとしたものだった。

「お疲れ様でした。この天気の中でよく来てくださいました。」
丁寧に挨拶をされ、先ずは受付を済ませた。
「今日は何人くらい来ているんですか?」と聞くと「何人かの予約はあったんですが、天候不順もあって事前にキャンセルをされました。今夜は○○さん一人なんですよ」
おっと、俺一人かぁ・・・。
何故か申し訳ない思いになってしまった。

乾燥室を教えていただき、早速濡れたアルパインジャケットとパンツ、ヘルメット、グローブなどを干した。
今夜の部屋は二階であり、ザックを背負い階段を上がった。
部屋に入って驚いた。
何と、10畳間だったのだ。
「こんな広い部屋に俺一人かぁ・・・。贅沢すぎるな(笑)。」

ザックからすべての荷物を出し、着替えた。
そして明日のアタックに向けアタックザックに入れる荷物とに分けた。

この部屋の窓はおそらくは西側を向いているのだろうと思い、窓を開け外を見るがやはり真っ白なガスの世界。
天候さへ良ければ、ここから間違いなくジャンダルムが屹立しているはずだった。


一通り準備を済ませ、煙草を吸いに一階へと下りた。
やっと、やっと今日一日が終わった。
ゆっくりと一服できることが幸せにも思えた。

こんな静かな談話室は初めてだった。
そりゃそうだ、今夜の利用者は自分一人きり。
だが、それがかえって申し訳ないくらいに感じる。

地図を見ながら、今日一日の出来事を思い出しメモした。
どこのポイントか、何時頃か、どんなことがあったか、何を思いどう感じたか、何故そう感じたのか等々を箇条書きで記すことで自分なりの山行記録としているし、後日こうしてブログにアップすることにも役立つ。

小屋の方に聞いてみた。
「今日はハチローさんは居ますか? ブログを欠かさず読ませていただいているんですが、お会いすることってできますか?」
「あっ、はい。大丈夫ですよ。伝えておきますのでもう少し待っていてください。」
やった! あのハチローさんに会えるぞ!

ハチローさんとは、一言で言うなら「奥穂高岳の主」だ。
この人抜きで奥穂高岳を語ることはできないだろう。
ハチローさんがアップしている「ぼちぼちいこか」というブログがあり、今回のアタックに際しても大いに参考にさせていただいた。
それだけではない。
山岳事故の恐ろしさ、惨さをブログを通して伝え安全登山を願ってやまない人でもある。
また、雪山ならではのルートファインディングなどを画像もアップして詳細に教えてくれているありがた~い人なのだ。
特に今回は通称「間違い尾根」と呼ばれているポイントの細かな説明がアップしてくれていたこともあり、大助かりだった。

夕食までもう少し時間があった。
持参したスティックタイプのココアがあることを思いだし、お湯を頂いて飲んだ。
「腹へった。早く食べたい。いや、ハチローさんに会いたい」
熱いココアが胃に染みわたって行く。

シーズンを締めくくる:ザイテングラード

2016年06月06日 20時32分29秒 | Weblog

涸沢ヒュッテと白出のコルがはっきりと見えてきた。

ここまで来ればヒュッテまでもう一息・・・と言いたいところだが、ここからが思ったよりも時間がかかる。
だがそんなことは何度も経験済みであり、大凡の到着時刻は見当が付いた。

去年までは涸沢ヒュッテ到着で一日目が終わってくれた。
今回は着いてからが大変で、最も体力を必要とするザイテングラード登攀が待っている。
「ヒュッテまではできる限り時間を掛けたくない。その分ザイテンは時間をかけゆっくりと登ろう。」
そう決めての計画だった。

涸沢ヒュッテ到着時刻、12時13分。
上高地から休憩を含めて6時間23分での到着となったが、実質5時間30分ってところだろう。

涸沢のテン場で一服する間もなく先ずは昼飯とした。
おにぎり、行動食、水だけのごく簡単なものだったが、今夜は穂高岳山荘での夕食が待っていると思うとそれだけで十分だ。

食後の休憩は煙草一本のみとし、すぐに装備を整えた。
アルパインパンツ、ジャケット、グローブ、ヘルメット、そしていよいよここからピッケルとアイゼンの登場となる。
予定では30分ほど休憩しザイテンへ向け出発したかったのだが、40分以上となってしまった。
テン場にはテントが一張りのみで、装備を整えていると「これから上ですか? 天気が崩れてきますから気をつけて。」と言葉をかけられた。
分かっている。
天候が徐々に悪くなることは十分に分かっている。
それが証拠に、ごく弱い雨が降り出しジャケットの表面には幾つもの弾かれた水滴が確認できた。
「じゃぁ行ってきます」
ほぼ13時00分、涸沢を出発。


スピッツェの先に見える白出のコル。
夏期は何度も上り下りしているが、雪のルートは初めてだ。

当初はルート通りにザイテンを右から巻いて登ろうと計画したのだが、右からは登らず直登することにした。
これも僅かでも時間を短縮したいからだ。
そして岩稜の第一群ポイントまで、できれば1時間で到着したい。
「ガツガツじゃなくて小幅で行こう」
ごく1分程度の小休止をこまめに取るが、そのかわり10分などという休憩は取らない方式で登攀することにした。

実はこの時、自分よりも少し遅れて登ってきている人がいた。
おそらくは今夜の宿は同じであろうと推測した。

何枚かの写真をお互いに撮り合った。

まだこの時点では症状は軽かったのだが、左足の「疼き」が気になっていた。
「この先、踏ん張りが効くかどうか・・・。」
そんな不安を抱いたまま登攀を続けた。

雨は涸沢をスタートした時よりも強くなってきていた。
寒さはそれほどないが、防水ジャケットとは言え、あまり濡れたくはないのが本音だ。

予定していた第一群へは14時15分の到着となってしまった。
斜度が増してきているし、フラットフッティングだけでは厳しく、キックステップとの併用でなければ登攀できない。
この時点で遅くとも16時までには小屋に到着するという計画は無理に近い。
しかも左足での踏ん張りがきつい。
「痛くはないんだけどなぁ。」
そう思いながらも、疼きの原因が分からないままピッケルを左手に持ち替え、左足をカバーしながらの登攀を続けるしかなかった。


時折、左手から雷鳥の鳴き声が聞こえてきた。
そして岩の先端にその姿を目視することができた。
雷鳥を見ながら5分間だけ休憩を取った。
行動食を口に入れ雷鳥を眺めながらも気持ちは少し焦っていた。
「時間通りには無理かな・・・。足に力が入らないなぁ・・・。」
そう思っていると、「僕は今日はここで下ります。すみません。」
そう言って名前も聞いていなかった彼は涸沢へと下っていった。
理由はいろいろとあるのだろう。
人それぞれで良い。

いよいよもってガスと雨が強くなってきた。
白出コルは真っ白なガスの先で見えないが、標高は2800mを越えてきている。
「よっしゃ、もう少し」
踏ん張りのあまり効かない左足であったが、高度計を見て残り僅かである標高差に安堵感が生まれた。

時刻は16時を少しまわってはいたが、遂に白出コルに上り詰めた。

高度計は3000mを越えていた。
本当の標高は2983mあたりなのだが、合わせるのは後回しでもいい。
とにかく小屋は目の前だという現実が嬉しかった。

穂高岳山荘。
ここを利用するのはこれで二度目になる。
小屋のすぐ左手には、明日登頂を目指すためのルートが見えた。
嘗て夏山では何度も利用した鉄梯子だが、何故かこの時だけはこのルートがほぼ垂直のルートに見えた。

奥穂高岳山頂は、ここから見える頂の先のそのまた先あたりだ。

「休憩を入れてここまで10時間かぁ・・・。俺もずいぶんと体力が落ちたなぁ。」
それでも歳の割にはまぁ頑張った方かなと思う。

シーズンを締めくくる:雪がない!

2016年06月01日 22時02分09秒 | Weblog
徳澤園には7:15分に到着した。
ここまで1時間20分だから、結構早く到着したことになる。
いい感じだ。
ザイテンでの登攀時間を考えれば、今はこれくらい早いほうが良い。
天候も気になるところだし・・・。


ここで朝食を食べた。
とは言っても、前夜にコンビニで買ったおにぎりと、エスビットの固形燃料でお湯を沸かして飲んだコンソメスープだけ。

約20分の休憩の後、横尾に向けてスタート。
さっそく春ならではの植物に目がとまった。

「ヤマエンゴサク」
淡い青紫色の可憐な花だ。

昨年の夏あたりから高山植物の名前を覚えようと少々頑張ってきてきた甲斐もあり、自然と周囲に視線が及ぶようにもなった。
もちろん確実に覚えたのはせいぜい30種程度だが、登山の楽しみ、幅が広がったのは明らかだ。
職場ではいまだに「らしくない」と言われてはいるが(笑)。


横尾に到着してすぐに目に入ったのがこの二つの建物。
どうやらどちらもトイレのようだが、去年までは手前の建物しかなかったような気がする。
壁も塗り替えられているようだし・・・。
おそらくは去年の夏山シーズン前に新たに建てられたのだろうか。
まぁいずれにせよ気持ちよく利用させていただいた。

10分だけ休憩し、本谷橋へ向け出発。
・・・雪がない。
例年であればぼちぼち残雪のお出迎えポイントなのだが、一向に見えてこなかった。
そして左手に「屏風岩」が現れても、そこさへも残雪は殆ど無かった。
本音を言えば少し淋しい気がする。
無ければないで歩きやすくもなるのだが、こうも溶けてしまっていると物足りなさを感じる。


屏風岩と北穂高岳。
二年前に登った北穂高岳。
今期は奥穂高岳周辺の方が事故や遭難救助の件数が多い。
多すぎると言った方が正しい程だ。
「北穂にするかなぁ・・・」
そんなちょっと弱気になりそうな自分であったが、「いやいやダメだ。俺にとってはリベンジなんだ」と目的を思い返した。


1時間程で「本谷橋」へ到着したが、唖然とした光景だった。
事前の下調べである程度は分かっていたが、まさかここまで雪が無いとは・・・。
本来であれば残雪の谷ルートに沿って涸沢まで向かうのだが、これから先も夏ルートで進むことになる。
途中で谷ルートと合流するらしいが、アイゼンを装着するかどうか迷った。
小休止を入れ橋を渡り、夏ルートを登った。
すれ違う人にアイゼンのことを聞いたが、答えは人それぞれであって明確ではなかった。
やはり自分の経験と勘で装着を決めることにした。
とりあえずまだ未装着で登攀。


しばらく進むと谷ルートを見下ろせるポイントまで来た。
今進んでいるルートは、残雪期の谷ルートと比べれば斜度はそれほどでもない。
むしろやや登るような感じのトラバースだ。

振り返れば南岳とおぼしき山が見えた。
「大キレット」を越えなければたどり着けない南岳。
4年前が懐かしく思えた。

アイゼンはまだ不要と判断し、涸沢へと登り続ける。
「そろそろかな・・・」

前穂高岳を目視できるポイントまで来た。
吊り尾根も見える。
もう少し行けば「白出のコル」も見えてくるはずだろう。
まだ疲れはないし、最後のザイテンが待っているだけに涸沢まではこのままやや急ぎ気味での登攀をするべきだ。

一つ気にかかることがあった。
左の臀部あたりから大腿部にかけて朝からずっと「張り」の様な違和感を感じていた。
痛みがあるわけではないのだが、右足と比べて力が入らず踏ん張りが効かない。
ここまでそれほどの斜度ではないことで助かってはいるが、ザイテンのラストになればかなりの急斜面となる。
気にはするまいと思っているが、踏ん張らなければならないポイントになるとどうしても右足に頼ってしまっていた。
「嫌な感じだなぁ・・・」
不安を伴ってのザイテンとなりそうだった。