ひとり旅への憧憬

気ままに、憧れを自由に。
そしてあるがままに旅の思い出を書いてみたい。
愛する山、そしてちょっとだけサッカーも♪

新たなサッカーとの出会い

2008年04月27日 22時16分47秒 | Weblog
以前、職場の後輩がサッカーを引退したことを書いた。
JFLという、日本におけるアマチュア最高峰レベルで活躍した彼。「セミプロ」と言っても良い。
そんな彼が、4月から新たな職場でサッカーを始めた。職場のサッカーチームに所属したのだ。
もちろんレベルは数段低い。リーグとしても、チームとしても、個人としても差は歴然としている。
今日、彼の試合を見てきた。
約1か月ぶりに彼に会った。元気そうでなにより!
昨日も試合があり、久々のサッカーで「筋肉痛だぁ~!」と笑っていた。

試合の方は私が予想した通りの展開となった。
彼のポジションはFW。いくら3か月近くサッカーから遠ざかっていたとはいえ、走り、テクニックは周囲と比べものにならなかった。
だが、逆を言えば彼を生かすだけのパスが前線まで届かない。ボールが来たと思えば、ほんのちょっとした接触プレーで相手選手が倒れ、ファールをとられてしまう。正直言って見ていて歯がゆい思いだった。
それでも「さすが」と思える場面は随所にあった。
相手チームも彼のことはよく知っている。

(当然だ。栃木でサッカーをしている奴なら、彼の顔と名前を知らない奴はまずいない。)

マンマークは当たり前として、彼がボールを持つと、3人がかりで囲みボールを奪い返しに来る。そこをテクニックと速さと強引さで突破し、ゴールへと・・・。
彼の代名詞である「泥臭さ」を久しぶりに見せてもらった。熱いものがこみ上げてきた。
同時にいろんなことが頭を掠めた。
彼にとってあのチームを辞めたことは良かったことなのか。
今のサッカーで、このチームで満足しているんだろうか。

試合終了後、敢えてこのことを聞くことはしなかった。
彼がチームメイトと勝利を分かち合い談笑している姿を見て、どこかホッとした気持ちになった。
彼自身が決めたことじゃないか。俺は何を勝手わがままに考えているんだ。

また見に(応援に)行こうと思う。


娘と京都へ・・・3

2008年04月27日 02時35分33秒 | Weblog
阪急大宮駅で下車。歩いて5分程度のところに目指す寺はある。
「光縁寺」。そこには隊規である「局中法度」により切腹した数多くの新選組隊士の墓がある。
息子との京都旅行でも書いたが「山南敬助」が有名だ。
だが、今回の参拝では思わぬ超ラッキーな出来事が起きた。
境内に入り、御朱印帳を書いてもらおうと住職に「ここは5度目なんですよ」と、今までの御朱印帳を見せながら何気に言ったところ、「ひょっとしてあなた、数年前に息子さんと来はりませんでしたか?」
これには自分の方がびっくりだった。
「いえね、昔の御朱印帳を見て思い出したんですよ」

こんなことってあるんだなぁ・・・。
確かに4年前の春、息子とこの寺を訪れた。が、まさかそれを覚えていてくれたなんて。こっちが感謝だ!

「そうですか、今度は娘さんと一緒なんですか。家族で歴史好きだなんてねぇ。」
そう言うと、奥からとある一冊のノートを持ってきて見せてくれた。
「なんども遠くから来てくれてはるんだし、特別にお見せしましょう。」
まさかが続いた。そのまさかの書物だった。
「過去帳」だ!!!
もちろん当時の物ではなくコピーをしたものだったが、まさかまさかである!
元治○年、新選組○○○○
慶応○年、新選組○○○○

埋葬した確かな証拠を目の当たりにした。
特別だからと言ってくれたが、これには感動。新選組ファン、歴史好き数々いれど、これを見た人は全国でもそうはいないはずである。
初めて来た娘のなんとラッキーなことか!
でも、過去帳を見ることができたという価値はわからないだろなぁ・・・。
正直私は恥ずかしながら興奮しっぱなし。もう墓への参拝のことなど何処へやら。

落ち着きを取り戻し、山南さんの墓標へ線香を手向けた。
出発前に、家で新選組のビデオやDVDを見て、事前学習をたっぷりとさせてきた。
「この下にあの人が眠っているんだ・・・」と娘がポツリ。
娘なりに考えや想いはあるんだろう。

痛みがひかない・・・

2008年04月25日 21時34分36秒 | Weblog
う~ん、どうしたんだ。いっこうに腰痛が治らない。
針灸治療は確かに効く。でも痛みそのものは未だ残っている。
治療時に聞いてみた。
「どれくらいの深さまで刺しているんですか?」
「んん・・・6㎝くらいですね。いったいどうしたんですか?こんなに深く刺すことなんてまずあり得ないですよ。」
どうしたんですかと聞かれても答えようがない。
ん?ちょっと待てよ。 ろ・6㎝?
こんな痩せた体で背中から6㎝だなんて、内蔵にズブリじゃないの!
急に針治療が怖くなった。

持病が再発!

2008年04月15日 23時57分23秒 | Weblog
ここ2週間ほど何となく腰が重い。
腰が重いと言っても「動きたくない」という訳じゃなく、持病の腰痛が再発したようだ。
バレーボールに明け暮れた大学時代の日々。
バレーボラーとしてはあまりにも身長が低く、178㎝しかなかった。おまけに体重は58㎏という痩身。
そう、スポーツをするには筋力が少な過ぎたのだ。
その頃から日常的に腰痛と膝の痛みに悩まされた。
「関節を保護するための筋肉が少ないですね。このまま続ければ間違いなく体中の関節を痛めますよ。」
医者から常々言われた言葉だ。
そんなことはわかりきったことだった。
だからといって、先のことを考えて手を抜くようなことだけはしたくはなかった。
「今燃えなくていつ燃える。負けてたまるか!」
あまりにも純粋にそう考えることができた年頃だった(笑)。
おかげで左足首の腱断裂。左膝半月板損傷。右肩腱断裂という、検査を含めれば計7回も体にメスを入れることになった。
そして腰は「椎間板症」と「脊椎分離症」。
もうどうにでもなれ・・・一時期はやけになりかけたこともあった。
今回の腰痛も「またか・・・」という程度にしか感じない。
昨日今日と針治療で何とか痛みと重みは和らいだが、それなりに治療費はかかる。

あの頃、先のことを考えて手を抜くようなことはしなかった。
だが、学生時代に無理をしたツケが、30代半ばを過ぎた頃から一気に襲ってきた。そして家族に心配をかけ、職場に迷惑をかけてしまったのも事実だ。
むろん反省はしている。
だが、後悔は一度もしたことはない。


娘と京都へ・・・2

2008年04月13日 22時05分56秒 | Weblog
まずはじめに「伏見稲荷」を参拝した。
伏見へは何度も行っているが、ここは初めてだ。
娘のリクエストで訪れたが、噂に聞く「千本鳥居」。朱色の鮮やかなトンネルには圧巻! 山頂までを往復すると約2時間もかかってしまうそうなので、千本鳥居の往復だけで勘弁してもらった(笑)。
鳥居の一本一本の隙間からの木漏れ日が眩しい。
それにしてもすごい数だ。途中、近鉄バッファローズ時代の梨田選手の名前が刻んである鳥居を発見。それなりの金はかかるんだろうなと思いながら本殿へ戻った。

奈良線で「東福寺」へ。
本来なら「東福寺」や「泉涌寺」お目当ての参拝者が殆どなのだろうが、ここでは元新選組幹部の「藤堂平助」の墓所である「戒光寺」を目指した。
事前に当寺を調べてわかっていたことだが、現在は彼等の墓所へ直接参ることはできなくなってしまっている。
それは単なる興味本位やいたずらで墓所を荒らす不心得者がいるからだそうだ。
まったくもって許せない行為である。
*おっと、かつては龍馬の墓石を削ろうとした不心得者もどこかにいたような。

少し距離はあったが、それでも藤堂平助の墓所を見学し、合掌してきた。
駅へ戻る途中でちょうど昼時。娘にとって初めての京都、関西。関西風味を味わうには「うどん」がもってこいだ。
どこにでもあるような店だったがのれんをくぐった。たかがうどん。でも私にとって娘と二人だけでの外食なんて何年ぶりのことだろうか。
幼い頃は当たり前のように二人きりでの外食をしたものだ。味そのものよりも、懐かしさのようなものを味わっていたような気がする。

京都駅へ戻り、バスで四条河原町へ。ホテルでチェックインし、壬生方面へと電車に乗った。午後はいよいよお目当ての新選組関係だ。


娘と京都へ・・・1

2008年04月12日 00時11分57秒 | Weblog
この春中学3年になる娘と1泊で京都へ行ってきた。
気むずかしい年頃で、それなりに反抗期的な言動や態度も出てきている。
頭ごなしに叱っても逆効果で、筋を通し、起承転結を付け、理路整然と諭すように言わなければ決して納得はしない。
まぁ成長している証だろう・・・。

さて旅行だが、1泊しかできないこともあり、日中を有効につかうため早朝家を出発した。東京駅発7時過ぎの「のぞみ」に乗車。9時半頃にはもう京都駅だった。
もう何度目の京都になるか。
だが今回も見学先はほぼ今までと同じ。少々物足りない気もするが、娘にとっては初めての京都。嫌な顔はできないなぁ。
それでも息子の時とは全く違った思いだ。今までは食事なんてのはどうでもよかった。幕末維新に浸ることができればお互いそれで十分だった。
今回は「京懐石料理」なんぞにも凝ってみた(笑)。
ある意味新鮮かな・・・。

そうだ 京都へ行こう・・・7

2008年04月08日 20時19分23秒 | Weblog
京都3日目の朝。朝食は「湯豆腐」をメインにした和食だった。
庭を眺めながら、なんとも落ち着いた雰囲気で食することができた。
宿の女将さんにお礼を告げ、バスで京都駅まで行き荷物をコインロッカーへ。
ここから嵯峨野線に乗り「花園駅」まで行く。
途中、車窓から「二条城」を見ることができた。そして、そこここで桜並木が目に入ってきた。
花園駅から徒歩ですぐ、「妙心寺」へ到着。今日の予定は妙心寺と竜安寺。どっちも息子の希望だ。
妙心寺では「八方にらみの竜」を見学した。さすがに「デカい!」「見事!」されど荘厳だった。首が痛くなるほど天井を見つめていた。
妙心寺の境内を抜け竜安寺へ行こうとしたが、どこかで見覚えのある道だった。
そう、時代劇ではよく撮影に使われている場所だ。
あとでわかったことだが、俳優の中井貴一が主演した映画「壬生義士伝」の中でも、間違いなくここがロケ現場だった。

竜安寺にある「鏡容池」沿いに歩き、おきまりの「石庭」へ。
日本史の教科書などでは何度も見たことはあるが、正直「あれっ?」と思った。
「こんなに狭いんだ・・・」と言うのが本音だった。
と言うより、人・人・人でものすごい混雑ぶりだ。上手く石庭だけを写真におさめることが難しかった。
確かに見学者が少なければ「わび・さび」というものも感じ取ることはできたろう。だがこんなに多くちゃね。(まぁ自分もその一人だが・・・)
市内へはタクシーを利用した。運転手さんが気さくな方で、京都の生活についてあれこれと教えてくれた。
「おばんざい」・・・観光客にとっては何となく憧れてしまう京料理のようだが、実は何でもない日々の家庭料理を指して言うのだそうだ。つまりは焼き魚であれ、カレーライスであれ「おばんざい」なのだそうだ。(へぇ~知らなかった)
「御朱印帳」・・・「なんでそんなお若いのに御朱印帳なんて・・・」と言われた。信仰深い人や、宗教的な意味合いを持つ場合は別として、一般の人が記帳して回ること自体、かなり珍しいことだそうだ。「そんなん年寄りだけですわ」と笑われてしまった。

息子にとっての初めての京都。おきまりのコースもあれば、ググッと的を絞ってのコースもありだった。
正直、何度来てもいいところだ。
何か感じ取ることはできただろうか。 


またまた京都へ行ってきた

2008年04月01日 23時52分46秒 | Weblog
息子との京都日記を書き終えないうちに、娘と京都へ行ってきた(笑)。
一泊だったが、早朝に出発し帰りは夜中だったので、丸二日間有効に使うことができた。
そして夜は祇園で京懐石と「清水寺」のライトアップ。やや肌寒かったが、日本の美を堪能することができた。
これからぼちぼち書いて行こう。