ひとり旅への憧憬

気ままに、憧れを自由に。
そしてあるがままに旅の思い出を書いてみたい。
愛する山、そしてちょっとだけサッカーも♪

猛暑の劔岳:大岩での再会

2018年08月29日 23時37分22秒 | Weblog
慣れたルートとはいえここは劔岳、そして前剱の極めてガレた急登攀ルート。
一瞬の気の緩みは滑落へと直結する。
程良い緊張感をもって登り始めた。


新たに一眼レフカメラを購入したAM君。
風景や人物は当然ながら、高山植物をかなり撮りまくっていた。
花を愛でる余裕は大切だし、何よりもより登山の幅が広がる。

とにかくガレ場続きの急登攀であり、息もそこそこ切れやすい。
前剱のてっぺんまではそう時間は要さないが、最も滑落事故が多発している区間だけに焦らず急がず登り続けた。


途中で振り返ってみた。
剣山荘あたりはもうずっと小さくなっている。

徐々に暑さを感じるようになってきた。
「今日は(肌が)焼けるし、長丁場になるから水のがぶ飲みだけは気をつけようや。」
「了解です!」

そんな会話をしながら登り続けていると目の前に大きな岩が・・・。
「おぉ~もうここまで登ってきたか。」
前剱ルートの途中にある「大岩ポイントである。


「よっしゃ、ここまで来れば2/3くらいは登ったことになるし、もうちょっとだ。」

前剱の急登攀ルートさへ越えれば、剱のてっぺんまで急な登りはない。
あるのはアクロバティックな岩場だけ。

大岩を越え、後から登ってくるAM君を待っていた。
「はい、こっち向いてぇ~!」と言いながらカメラのディスプレイを見てみると、「あれまっ! 昨日の・・・」。
そう、昨日別山乗越で会ったスイス人夫妻がAM君のすぐ後方にいるのがわかった。



「後ろを見てごらん。」と言うと「ちょっと驚いたようだったが、思わずスマイルのAM君だった。


先ずは奥さんから。


そしてご主人。

お互い握手で再会を喜んだ。
休憩を兼ねて行動食を食べたが、自分の持っているチョコレートを「Please eat itと言って渡した。
しかし、チョコレートって日本の物よりもスイスの方が本場だったことを後になって思い出した。
まっいいか。これも国際交流の一つだ。(笑)

自分が背負っているアタックザックにくくり付けてあるピッケルを見て不思議そうな表情をしていた。
しかも2本も装着しているし・・・。
何と言ったのかよくは分からなかったが、おそらくは「何故こんな物を持っているんだ?」っぽいことを聞かれた。
はて、なんて答えれば通じるのか・・・。
とりあえず単語を並べてみた。
「Snow valley climbdown」と言うと、「Oh~great!」と言われたので、たぶん通じたのだろうと思ってホッとした。
後日自宅に戻り調べてみると、正しくは「snow」ではなく「snowy」らしかった。

大岩のポイントに少し頑張れば登れそうな小さな岩峰があった。
ご主人が登った後、自分に向かって「Try!」の一言。
「これも国際交流の一環だ」とばかりにトライしたが、思っていた以上に楽に登れた。


ちょっと逆光になってしまったが、大岩のポイントにこんな楽しい場所があっただなんて、何故今まで気付かなかったのか・・・。
次回は時間をかけてじっくりと登ってみるのも楽しいかもしれない。

スイス人夫妻は今日中に室堂まで下山する予定なので先を急いだ。
それにしても夫婦してポジティブで、誰とでもすぐにうちとけられるフランクな方達だ。
自然が、山が、登山が好きでたまらないのがよく分かる。
英語が達者であったなら、もっと楽しい会話ができたんだろうなぁと思った。
海外の人と登山の話ができたらなんと素晴らしいことだろうか。

だからといって今更英会話を習うつもりはない。

夏の終わり

2018年08月22日 20時20分29秒 | Weblog
毎年8月のこの時期、「あぁもう夏が終わるんだなぁ」と独りつぶやくことがある。

100回記念の夏の甲子園大会が終わった。
ありきたりの言葉だが、幾つもの筋書きのないドラマが展開された。
最も注目されたのはやはり大阪桐蔭高校だろう。
しかし終わってみればむしろ準優勝校の金足農業高校ではなかったか。

誰もが感じたこと。
それは絶対王者vs雑草軍団の構図だろう。
自分自身「判官贔屓」的視線でずっと応援していた。
地方だから。
まだ優勝チームのない東北だから。
公立農業高校だから。
選手が全員地元出身だから。

どちらかと言えばどこにでもいる「素」の高校生集団のような気がしていた。
だが、試合を重ねるにつれその思いは変わっていった。

練習と努力の賜だ。そして熱い思いと強い精神力がある。
そこに「仲間」という、とてつもないスパイスが加わっている。

優勝こそ逃したが、そこには選手層の薄さに限界があったと感じた。
「もうこんな高校の優勝はできないのかなぁ。圧倒的な資金力と選手層の厚さのある私立でなけりゃ無理なのかなぁ。」
選手、特に投手の疲労蓄積と将来を考えて投球制限や大会期間を延ばすといったことは以前から言われてきた。
様々な意見があることは知っている。

これは間違った考えかも知れないが、できればこのままの大会規定で継続して欲しいと思っている部分がある。
理由はいたって簡単だ。
高校生の流した汗と涙だ。
古くさい考えだと一笑に付されるだろうが、真夏に流すあの汗と本気の思いが感動を呼ぶ。

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大会期間中、夜は必ず「熱闘甲子園」を観ている。
観ている者に涙を誘うような構成だと分かっていながらやっぱり泣く。

*もうすぐ今日が終わる
*やり残したことはないかい
*親友と語り合ったかい
*燃えるような「野球」をしたかい
*一生忘れないような出来事に出会えたかい
*かけがえのない時間を胸に刻み込んだかい

逆転さよなら満塁ホームランで敗れた星陵高校の監督が、選手におくった歌(メッセージ)だった。
本当は「燃えるような恋」なのだが、そこを「野球」と代えて涙声で歌っていた。

いい歳して素直に泣くことができた。
そして彼等の若さと一途さを羨ましく思う。

甲子園が終わった。
夏の終わりを告げている。

猛暑の劔岳:朝焼けの中で・・・

2018年08月20日 00時41分16秒 | Weblog
夜は20時前にはランタンの灯りを消しシュラフにくるまった。
昼寝をしなかったおかげか、早く眠りに就くことができた。
しかし、なんと23時頃に寒さで目が覚めてしまった。

毎年この時期、剱沢に持ってくるシュラフは決まっており、夏山用の薄手のものだ。
今まで寒さで目が覚めた事など一度もないのに何故・・・。
ましてや今年の夏の暑さと来たらとんでもないものであり、まさかであった。

寒さを感じたのは下半身だけであり、眠い目をこすりながら半ば「しかたない・・・」と諦め、トレッキング用のズボンの下にサポートタイツをはいた。
少々きつさはあったが、薄手のサポートタイツだったので睡眠に支障はきたさなかった。

午前2時。
目覚ましの音が鳴り目が覚める。
「だぁ~ねむい~」と思いながらも4時出発のためには当然の起床時刻である。
テントから外を見る。
当然真っ暗闇ではあったが、星が輝いていた。
思わずニンマリだった。

お湯を沸かし珈琲を飲んだ。
ゆっくりと体内から起こさせるために、外へ出て涼しい空気に触れながら飲んだ。
朝食はいつものフリーズドライの雑炊・・・ではなく、同じフリーズドライでも今回は少しだけリッチにチーズリゾットとした。
「こちらの方がカロリーが高かっただけ」というのがその理由である。
しかし、明け方と言うよりは深夜の2時過ぎの朝食は本音を言えばそれ程食欲は湧いてこない。
「食べなきゃもたない」から食べただけだ。

3時過ぎには後片付けも終わりザックに必要なギアを詰め込んだ。
今日は12時間くらいの長丁場となり、途中で水を補給できるポイントもない。
足りなくなるよりは少しでも余った方が良いと思い、水は昼食用も含めて4.5リットルとした。
「ピッケル2本OK、20mザイルOK、ストックいらない。」
敢えて小声で言葉として発しながら最終チェックを行いパッキング終了。
時刻は3時40分となった。
外へ出て出発前の一服。
AM君もスタンバイOKのようだ。

午前4時ジャストにテン場を出発した。
他の幾つかのテントには灯りがついており、自分たち以外にも早めのスターを切る人がいるようだった。

ヘッドランプの明かりだけを頼りに剱沢雪渓へと下る。
幾つかの雪渓をトラバースするのだが、二つ目あたりの雪渓の時に東の空が朱色に染まり始めたことに気付いた。


ストロボ撮影のためか、実際の朱色や空の色よりも薄くなってしまった。

「もう少し高いところに登れば、たぶん朝焼けの中に鹿島槍がシルエットで写っているかもね。」
「是非見てみたいですね♪」
同感である。
スリップに注意しながらヘッデンの灯りだけで先を急いだ。


予想した通り、鹿島槍がシルエットとなりくっきりと見えた。
二人で暫し見とれてしまう美しさだった。

「やばいよやばいよ! あまりのんびりし過ぎちゃやばいよ。」
と言いながらも、ついつい目線は東の空へ・・・。


東の空が尚一層朱色に染まる。
「やっぱりこれは見ておくべき大自然の美しさだ。」
そう思い、二人で勝手に納得しながら暫し目に焼き付けた。
「綺麗だなぁ。他に言葉が見つからない。」
素直にそう思える山脈に映える朝焼けだった。

「そろそろ行こうか。」
一服剱に向け登攀開始だ。

次第に朱色が落ち着き始め、銀色金色へと変わっていった。
登りながらもその空の変化に見とれてしまっていた。

5時10分、一服剱に到着した。
なんと、ここまで1時間10分もかかってしまった。
「ちょっと朝焼けに見とれ過ぎたけど、あれは絶対に記憶と記録に残さなきゃね。」
「はい、そう思います。」


一服剱からの朝焼け。


同時刻の西の空の朝焼け。

朝焼けと夕焼けの美しさのどちらかに軍配を上げるとすれば、・・・・・難しい。
それぞれに良さがあり、違った美しさを見せてくれるだけに、選べないなぁ(笑)。


一服剱で一服しながら朝焼けを見つめる。
「今年も剱かぁ。やっぱりこの山は特別な気がする。」
そう思った。

空は完全に白み始め、もうヘッデンは不要となった。
一服剱をスタートし、いよいよ前剱のガレたルートの急登攀となる。


先ずは大岩のポイントまで登る。
見事な朝焼けの美しさともお別れし、岩との格闘に入った。

猛暑の劔岳:ひととき・・・そして夕焼け

2018年08月18日 01時01分24秒 | Weblog
テントへと戻り珈琲タイムの準備に取りかかった。


剱沢の雪解け水で入れた珈琲はことのほか美味い!
本来の香りと味を楽しむために、一杯目はブラックで。
そして二杯目は疲れた体を少しでも癒すために砂糖を入れる。


先ずは一日目お疲れさんでした。

剱を見ながら、標高2500mの新鮮な空気と一緒にレギュラー珈琲の香りを楽しむ。
自分の足でここまで来なければ味わうことのできない贅沢だ。

この時明日の縦走予定ルートの確認作業をした。
不確実なポイントが何カ所かあること。
そしてそこをどれだけの時間で通過できるかによりコースも微妙に変わってくること。
「危険。絶対に無理をしてはならない。」と判断したら潔く諦めて戻ること。
熱中症には注意し、こまめな水分と塩分補給を忘れないこと。

そんなことを確認しあった。

明日は午前4時に出発予定。
ってことは、2時過ぎには起床となる。
ってことは、できれば20時には眠りに就きたい。
さっさと夕食の準備に取りかかろう。

夏場のテン泊で頭を悩ませていることの一つに食事のメニューがある。
雪山登山と比べて圧倒的にメニューに制限ができてしまうのだ。
理由は簡単で、生鮮食品が日持ちしないということ。
今回の夏山も例年通りで、一泊目はテント、二泊目はいつもの劔沢小屋とした。
もちろんテントでの連泊の方が安上がりなのは分かっているが、劔沢小屋だけは外せない。
ご主人の佐伯新平さんをはじめ、小屋のスタッフに会わないわけにはゆかないのだ。

ということで、今夜のメニューはレトルトのビーフシチューとした。
しかしながらそれだけでは些か淋しいので、コンビーフを用いて牛肉の増し増しとした。


レトルトは二袋でルーはたっぷり。
そこにコンビーフを入れて茹でる。


お~なんともいい匂いがたまらない♪


AM君はレトルトのカレーだ。


今日は僅か4時間程度の縦走とはいえ、腹はかなり空いている。
ではいただきます。 m(_ _)m

コンビーフの肉増しは大正解だった!
これからもやってみよう。

食後にもう一杯珈琲を飲んでさっさと後片付けをした。
寝る前に明日のアタック準備の最終チェックをしなければならないが、19時前にはすべてが終わり、あとはシュラフにくるまるだけとなった。

徐々に剱の西壁あたりの色が変化し始めた。
「こりゃぁ綺麗な夕焼けが期待できるかな・・・」
そんなことを思いながら、ゆっくりと色が移り変わる岩肌と西の空を見つめていた。


剱がシルエットとなり、夕焼けの色が一層際だっている。

自然は美しい。
そしてその美しさは厳しさの中からしか生まれてこない。

これは映画「劔岳 点の記」の中にある台詞の一つだが、将にその通りであろう。

明日は朝焼けの中の登攀になるに違いない。
そうなって欲しい。

猛暑の劔岳:剱沢警備隊派出所

2018年08月15日 22時23分15秒 | Weblog
やっと別山乗越にある建物が見えるポイントまで登ってきた。
「あと5分か・・・」
そう思うと足取りも軽いし、あとは下るだけだ。


画像に写っている白い壁の建物は公衆トイレ。
よく見ると、その壁に二人の人物が写っている。
近づいてから分かったことだが、ついさっき追い越していったスイス人の夫妻だ。

乗越まで登り切ると、スイス人の二人が椅子に座り休憩していた。
自分たちの方を見てニッコリ♪
すれ違いざまに「Hello」ではなく、今度は親しみを込めて「Hi♪」と声を掛けると手を挙げて「Hi♪」。
嬉しいものだ。
国は違っても山に来れば思いは同じだと思った。

何はなくとも先ずは剱を見たい。


一年ぶりに見る剱の全容。
美しい・・・唯々美しい。
今年もあの頂へと登ることができる。

ザックを下ろし少し休憩した。
スイス人夫妻のところまで行き、「明日は劔岳ですか?」と聞いた。
答えは聞くまでもないと思ったが、これから剣山荘まで行きたいのだがルートがよく分からないらしい。
奥さんが地図を持ち出しルートを教えて欲しいと言ってきたが、よく見ればその地図には剣山荘が載っていなかった。(途中で途切れてしまっていた)
はてどうしたものか・・・。
そこで自分の地図を持ってきて、現在位置と剣山荘までのルートを説明した。
自分は同じものを複数枚コピーしてきているので、その地図をあげた。
よくよく考えてみれば地図に不足があるだなんてちょっと危なっかしい二人だと思ったが、それ以上に自分の英語がよく通じたものだと驚いた。
まぁいずれにせよ地図が役に立ってくれた事が嬉しい。


「ビクトリノックス(Made In Switzerland)」のナイフを見せてくれた。


二人を見送り、軽く昼食を済ませ我々もテン場へと出発した。
40分も下ればテン場だが、標高2700m以上もある乗越が暑くてたまらない。
テン場の標高はおよそ2500mだから、現在位置よりも僅かに暑いのだろう。


チングルマと劔岳。

色とりどりのテントが見えてきたが、思っていた以上にテントの数は少ない。

すぐ横に見える雪渓に横たわりたい思いに駆られる程体中が火照っている。
「テン場の水はかなり冷たいだろうから、着いたらがぶ飲みしたいね。」
「ビールを冷やして飲みたいですけど、それは明日まで我慢します(笑)。」

やっとテン場に着いた。
どこに張ろうかと見渡したが、偶然去年と同じポイントが空いており、そこに設営することに決めた。

受付を済ませ早速設営開始。
入り口のファスナーを開ければすぐ目の前には劔岳。

なんと贅沢な設営ポイントだろうか。

湯を沸かし珈琲を飲もうということになったが、その前にどうしてもやらなければならないことがあった。
一年前に言い忘れていたお礼の言葉をどうしても伝えたかった。

一年前の8月。
北方稜線縦走の為、剱沢警備隊派出所へ立ち寄り直前の現地情報収集をした。
その時の自分はといえば、北方稜線単独行への不安ばかりが募り自信を無くしていた。
たまたま外でトレーニングをしていた警備隊の方に声を掛け、可能な限り事前に調べたルートポイントとプリントアウトした画像を見せながら危険箇所の確認をした。
「素晴らしいですね。ここまで事前に調べたんですね。」
お褒めの言葉を頂いたことは素直に嬉しいのだが、それ以上に嬉しい言葉、いや、大切な言葉を去り際に頂いた。

「大丈夫ですよ。どうぞ楽しんできてください。」

そう、本来は趣味である登山。
だから楽しむべきものなのだということをすっかり忘れてしまっていた自分だった。

その一言でどれだけ気分が楽になったことか。
危険な縦走登山であれば確かに緊張は必要だ。
しかし、必要以上に緊張することもないし、緊張感だけではかえって危ない。
良い意味での「楽しむ」ことが大切なのだ。
だからたとえ一年を経てしまっても、あの時言い忘れていたお礼をどうしても言いたかった。

派出所へ行き、その場にいた方に経緯とその時の警備隊員の話をすると、おそらくはMさんという人だろうと言われた。
時々ここ(剱沢派出所)にも来るが、現在は黒部警察の方で勤務しているということだ。
ご本人に会えなかったことは残念であるが、胸につかえていた言葉をやっと伝えることができて自分でも嬉しい。

ついでではあったが、明日の縦走予定ルートについて確認をした。
「よし、行けるぞ!」
小さく握り拳を作った。


剱沢警備隊派出所
鍛え上げられた精鋭達がここにいる。

警備隊の方々にお礼を言ってテン場へと戻った。
美味い珈琲が飲みたい。

猛暑の劔岳:うだる!

2018年08月14日 00時08分44秒 | Weblog
石段を下って行くと、道端にコイワカガミが目立ち始めた。


チングルマとのコラボレーションショット。

「おぉ~可愛いね♪」などと花をのんびりと愛でることができたのもこのあたりまでで、この先の雷鳥坂では「だぁ~暑っ・・・」という言葉しか出ない程の猛暑に襲われた。

雷鳥平キャンプ場で一服した。
室堂で汲んだ湧き水はまだ十分に冷たく、思わずグビグビと飲みたいところだが、大量に飲んだところで体内に吸収される水分量には限界がある。
気分はいいだろうが、無駄に飲む水程馬鹿げた行為はない。
それは初心者がやる愚かな行為だ。


「晴れは嬉しいけど、三日間も続いたら肌がやられるかもね。日焼け止め持ってきた?」
「いえ、まさかですよ(笑)」
「俺もだ(笑)」
本来であれば日焼け止めローションが必要なのは分かってはいるが、未だ殆ど使ったことがない。

橋を渡り、いよいよ雷鳥坂へと突入した。
坂の入り口に当たる雪渓はかなり溶けており、去年とはまた違った景色を見せてくれた。

風は僅かに西から吹いている。
しかし登り始めの尾根道はその西風を遮るように樹林帯が延びており、樹林帯を挟んで東側を登攀しなければならない。

「早くここを越えて風に当たりたいもんだなぁ。」
そんなことをずっと考えながら一歩一歩登って行く。


左手にある低い樹林帯が西風を遮ってしまっている。
このあたりは本当にきつかった。
帽子のつばからポタリポタリと汗が止めどなく滴り落ちて行く。
水分補給と塩分補給だけは欠かさなかった。
この時ずっと思っていたことがあった。
「塩味以外の塩分(しょっぱさ)が欲しいな・・・」

塩あめの大切さは分かってはいるが、こればかりだと飽きてくるのだ。
「次の休憩時にはあれを食べるか。」
「あれ」とは、格安ながらとっておきの行動食のことである。

やっと岩稜地帯まで登ってきた。
「ふぅ~、やっと風が当たるね(笑)。 少し休んで食べるか」
「やっぱり塩あめだけだと飽きてきますね。」

先ずは一服のAM君。


とりあえず一服の自分。

標高2600mに吹く風は微風だが心地よい。
そしてこの時食べたのがいわゆる「駄菓子」というもので、菓子名が「蒲焼きさん」だったか「蒲焼きくん」だったか忘れたが、一枚10円の駄菓子だ。
ついでに「焼き肉さん」とかいう物も食べた。
カロリーこそごく僅かなものだが、このしょっぱさと甘辛さが満足感を与えてくれるのだ(笑)。

行動食は、一年中登っていると「飽き」がこないための工夫も必要になってくる。
塩分、糖分、カロリーも大切だが、そればかりにとらわれすぎてしまうと「飽き」に襲われ、時には食べる気にさへならなくなってしまうこともあるのだ。

さて、乗越を目指し再出発だ。

元気も出れば周囲にも目が届く。

今日やっと出会えた「タテヤマリンドウ」。
一般的なリンドウとは違い、小さく可憐な花だ。
「タカネツメクサ」同様に自分の好きな高山植物である。


「おぉー! 遂にここまで登ってきたぞ!」
やっと石段のルートとなってくれた。
ここまで来れば乗越までそう遠くはない証拠だ。


「トウヤクリンドウ」
目立つような色合いではないが、可愛い花である。

な~んて花に見とれていると、いきなり後方から「Hello♪」と言って自分たちに追いついてきた登山者がいた。
とっさのことであったが「Hello」と言って挨拶を交わした。
まだ若い男女の二人組で、おそらくは欧米人だろうか。

「どこから来ましたか?」(もちろん英語で聞いた)
「スイスから来ました。日本の山に登りたかったんです。日本の山は本当に美しいですね。」

片言の英語でこんな会話をしたが、軽装備で身軽な二人は乗越を目指して自分たちを追い越していった。
「スイスからって・・・絶対スイスの方がいい山が多いよなぁ・・・。」
「そうですよね。なんでまた日本の山なんかに・・・」

まぁ彼等には彼等なりの思いや憧れがあってのことなのだろう。

実はこの二人、後に夫婦だとわかった。
そしてこの後も、翌日の劔岳でも二度も会うことになる。
とにかく明るいキャラのご主人であり、元気をもらった。

猛暑の劔岳:贅沢言ってたらきりがない

2018年08月13日 00時03分24秒 | Weblog
何ということだろうか。
7月早々に梅雨が明けてしまったではないか。

例年夏山に登るのは7月の最終週と決めていた。
理由は一つ、「山に登るなら梅雨明け十日」と昔から言われているからに他ならない。
これには根拠がある。
梅雨が明けるのは7月20日前後であり、その直後の十日間が最も天候が安定しているからだ。
夕立も殆ど無く、絶好の登山日和に恵まれる確立が極めて高い。
だが今年に限っては天候が全く読めない状況となってしまった。

「梅雨明けがこんなに早いんじゃ7月最終週なんて言ってもあてにできない。」
とは言え既に仕事のシフトも決まっており、今更変更はできない。
あとは天気の神様に祈るしかなかった。


さて、今年の劔岳は7月24日の仕事終了後に車で一路扇沢まで行き、いつもの車中泊。
25日は室堂からテン場までであり、実際のアタックは26日となっている。
いくつもの天気予報サイトで週間予報を確認したが、まずまずの天候に胸をなで下ろした。

扇沢の駐車場に着いたのが深夜の3時頃だったが、無料駐車場が比較的空いていたことに少々驚いた。
いつもはほぼ満車状態であるだけに、ラッキーというよりは拍子抜けである。


朝一番のバス(?)に乗り込みいざ室堂へ出発。
まだ眠い・・・。
でかいあくびが何度も出てしまった。
なにせ今日は緊張感のないテン場までの縦走だけに、「よっしゃ!」と気合いが入るはずもなかった。


黒部ダムの放水を見てもあくびが出るばかり。
情けないと思いつつも出るものは出てしまう。

まだ8時前だというのにダムの上を歩けばコンクリートの照り返しがきつかった。
「暑くなりそうだなぁ。雷鳥坂でバテそうだ。」
そんなことを考えながらケーブルカー、ロープウェイを乗り継ぎ、9時には室堂に到着した。

細かな登山計画書を提出し、表へと出た。
「暑っちぃ~!」
夏は暑くて当たり前であるが、その当たり前の暑さが今年に限っては半端ないものとなっている。


天然の湧き水をハイドレーションに入れ9時30分にターミナルを出発。
「どこか途中で朝飯を食べよう。」
AM君にそう言い、いつもの石畳の道を歩き始めた。

歩き始めてまだ5分も立たぬうちにもう汗が落ち始めた。
「こりゃ雷鳥坂は厳しくなるな・・・」
そう思っていると、なんとも可愛い子供達の声が聞こえてきた。
山を見ては「うわぁー」、花を見ては「きれー(綺麗)」。
そのはしゃぐ声に癒されながら歩く。

実はこの子供達、扇沢からずっと一緒であり、「可愛いなぁ」と思っていた子達である。
その子達の両親に承諾を得て、後ろ姿の写真を撮らせてもらった。


無辜な幼子の写真ほど愛らしいものはない。

「どこまで登るんですか?」
お父さんから聞かれ「今日はあの山の向こうのテント場まで行き、明日は劔岳を越える予定です。」
そう言って指さしたのはごく小さく見える「剱御前小舎」。
「え~っ、あの山を越えるんですか! その大きなリュックを背負って・・・」
登山をやらない人から見ればとんでもないことに思えるのだろう。
「まぁいつもの事ですから。写真撮らせていただきありがとうございました。おかげで癒されました。」
お礼を言いお辞儀をして分かれた。
子供達に向かい手を振ると、小さな手のひらを小さく振って応えてくれた。
「おっしゃ! 元気もらったかな♪」

すぐにミクリガ池へと到着した。

思っていた以上にまだ残雪があり、ホッとした。
ミクリガ温泉の建物には「ソフトクリーム」の旗が靡いている。
何とも魅惑的な文字にそそられたが下山まで我慢だ。

ほどなくして剱の姿が見えてきた。
「このあたりで飯を食べようか」
朝起きてから既に4時間近く過ぎてしまっているだけに腹が空いている。
おにぎりとパンだけの朝食だが、ハイドレーションの水はかなり冷たく乾いた喉に嬉しかった。


「今年も来たでぇ~!」

剱に登る回数はもう二桁となっている。
飽きない。
何度挑戦しても飽きのこない山だ。

それにしてもこの暑さ、何とかならないものだろうか・・・。
そりゃぁ贅沢言ってたらきりはない。
ないけど「ここまで・・・」と思わざるを得ない暑さは初めてかも知れない。
「まっ、降られるよりはいいけどなぁ。」

あくびは相変わらず出る。
次第に足元に高山植物が見え始めたが、それでも眠いものは眠かった。

バリエーションルートに思うこと

2018年08月11日 23時08分36秒 | Weblog
7月下旬、今年も懲りずに劔岳へと足をのばした。
今年のルートは一年前から計画していたルートであり、「いよいよか。一年は長かった。」としみじみ思えた。

予定では『剱沢テン場→剱沢雪渓→長治郎の出会い→長治郎谷→熊の岩→右俣→池ノ谷乗越→池ノ谷の頭→劔岳→ヨコバイ→平蔵谷→剱沢雪渓→剱沢テン場』とした。

出発の数日前になり、雪渓の状況を確認するため剱沢警備隊派出所へ電話を入れたところ、驚くべき回答をいただくことになった。
「今年はこの猛暑で雪解けが早く、長治郎谷は入山禁止になっています。雪渓がズタズタ状態であまりにも危険なんです。もちろん佐俣も同じです。」

ガ~~~ン!!!
何ということだ。
一年間も待って、この期に及んで入山できないとは・・・。
将にトホホであった。

まさか警察の注意を無視してまで予定していたルートで臨む気はない。
「はてどうすべかぁ・・・。」
地図を持ちだしにらめっこが始まった。
「ここをこう行って、ここに出て。でもってこうすれば・・・。う~ん、でもなぁ。」

最終的に決めたルートは、先ずは別山尾根ルートでてっぺんを目指し、そこから一気に北方稜線へと突入する。
できれば池ノ谷乗越まで下り、そこから北方稜線を往復。
最後はヨコバイを越えて平蔵谷から下山するというものだ。

それでも全ルートの2/3程はバリエーションルートとなる。
さっそく同行するAM君に連絡を取り了解を得た。

コースタイムは休憩を含めて最長で12時間を予定したが、これはあくまでもすべてが順調に進んだ場合のこと。
バリエーションルートの割合が多くを占めるコースにおいては「順調」という言葉はあまりあてにできないだろう。

詳細は順次アップするが、結果から言えば9割は急遽変更したルート通りで縦走することができた。
では残った1割はと言えば・・・。
あるポイントを通過するのにあまりにも時間を要してしまい、途中で引き返さねばならなくなった。
それでも14時間近くかかってしまった。

バテた。
最後にテン場に戻った時にはもうバテバテだった。
おそらくは「熱中症」的な症状となってしまい、テントを撤収することがことのほか辛かった。
立っていることができず、膝立、或いは座り込んでの姿勢でやっと撤収作業を終えることができた。
天候に恵まれたことを恨むわけではないが、これほどまで暑さにしてやられたのは初めてのことだった。

***********************

嘗てバリエーションルートが掲載されている書籍(ガイドブック)を探しまくったことがあった。
一冊だけ見つけることができたが、「えっ、こんな程度しか解説されていないのか」と愕然としてしまった。

ベテランの山男であれば「今更何を言うのか」と一笑に付されてしまうだろうが、今回のバリエーションルート縦走を終えてみて分かったことがある。
いや、やっと気付いたことがある。

「バリエーションルートのガイドブックなどあるはずがない。」ということだ。

劔岳を例にとるなら、劔岳のバリエーションルートは幾つかあって、単独で行けるコースであれば既に何度も縦走している。
その経験が推測の甘さを生んでしまった。
「去年あのルート、あのポイントを越せたのだから、今回も同じルートで行けばいい。」
そんなあまりにも軽率な考えが通用しないのがバリエーションルートなのだ。

当たり前のことだが、バリエーションルートは一切整備されていない。
どれほど岩雪崩が起きていようと、土砂崩れが起きていようと整備はされない。
ましてやクサリ、ボルト、鉄梯子などあろうはずもなく、ペンキマークや指標とは一切無縁のルートだ。
だから、前回通ることができたあのポイントが今回も通れる保証などどこにもないのだ。

「バリエーションルートのガイドブックなどあるはずがない。」
極めて当然の摂理である。

事実、今回のルートで最も手こずったポイントは「長治郎の頭」であった。
剱の頂上から北方稜線へと入り、先ずは長治郎のコルを目指した。
その途中で何度も落石が起きた。
自分で起こしてしまった落石も何度かあった。
「ここは3度登っているけど、下るのは初めてだ。視界に入るルートが逆だとこうも違うものなのか・・・」
そう感じながらやっとコルへと下ったが、この先の頭でかなり手こずってしまった。
去年のコースが、ポイントが通れないのだ。

見覚えのあるポイントを探し出し、「よし、ここだ。」と思って足を踏み入れてみると、崩れ落ちた砕石に行く手を阻まれた。
じゃぁ別のルートを探さねばならない。
「ここは行けそうだ。」と思い、僅かに数メートル登りかけるが、「だめだ。このポイントは登ることはできても、往復となればここを下るには危険すぎる。ここもだめだ。」
そんなポイントが幾つもあり、頭を越えるだけでかなりの時間を費やしてしまった。

本音を言えば不安の連続であった。
「何とか越せたけど、ここを戻るのか・・・戻れるだろうか・・・。」
カップラーメンを食べている時でも、常にその不安はつきまとっていた。

バリエーションルートに挑むのであれば、体力、持久力、バランス感覚、危険察知力、判断力、決断力、知識、技術、過去の経験、そして正常バイアスに絶対に陥らない平常心が必要。

あらためて思う。
そのすべてが試されるルートだった。


「長治郎のコル付近にて」

阿弥陀岳:ナイフリッジそして下山

2018年08月10日 23時37分10秒 | Weblog
久々に阿弥陀岳を再開したい。
決して怠けていたわけではなく、仕事とプライベートの登山で多忙であり、やっと落ち着ける状況となってくれた。


さて、阿弥陀の山頂であまりにものんびりと過ごしてしまったが、これから行者小屋へと下山する前にどうしても立ち寄ってみたいピンポイントがあった。
バリエーションルートのナイフリッジである。


誰かのトレースがあり、そこまで迷うことはなかったが、今までの雪の状態とは違っていた。
柔らかいのである。
想定していた以上に足を取られ埋もれた。
斜度はそれなりにあり、滑落したらとんでもないことになる。
ましてや東向きの斜面であり、早朝からずっと日が当たっている。
斜面が緩んでいても何ら不思議ではない。

きりりと切り立ったナイフリッジではなかったが、雪の緩みを考えればあまり長居はしたくない場所だ。
さっさと写真だけを撮り下山することにした。



再びフェイスインのダブルアックスで下りた。
AM君にとってはダブルアックスの練習にはもってこいの山だ。

夏道であれば、中岳のコルから一気に文三郎道へと下山できるエスケープルートを利用できるのだが、積雪期にこのルートを通ることはあまりにもリスクが高い。
雪崩だ。
頻繁にとは言わないが、この谷筋では雪崩の可能性が高い。


中岳の途中まで行き、その手前で幾本かのシリセードの跡を見つけた。
「結構やっているんだな・・・」
迷うところだ。
何故ならこのエスケープルートを利用すれば、距離も時間もかなり稼ぐことができる。

「ちょっと調べてみようか」と言って、シリセードの跡周辺の雪質を調べた。
ここは思った以上に固かった。
「よっしゃ、これなら行ける(滑れる)ぞ。」

そうと決まればさっそく身支度だ。
余計な物はウェア表面には出さず、滑るコースを確認した。
かなりの斜度でもあり、スピードに乗ってしまっては止まれなくなってしまう危険もあった。

コースを読み、無理せず一定の距離だけを下った。
途中歩いたりもして、再びシリセードで一気に下山。
標高にして数100mは稼いだだろう。
それが証拠に、行者小屋までは歩いてすぐだった。

「さぁて飯だ!」


久しぶりに固形燃料でお湯を沸かし、フリーズドライのパスタを食べた。
量としては物足りないが、今夜の夕食は鉱泉小屋で食べることになっている。
それまでテントの中でのんびりと過ごせば空腹もまぎれるだろう。

鉱泉小屋へと戻りテントの外で珈琲を飲んだが、ダウンジャケットが不要なくらいに今日は暖かい。
のんびりと後片付けをし、明日の朝食の準備だけを済ませ昼寝をした。

鉱泉小屋で夕食を食べるのは久しぶりになる。
もちろんご飯と味噌汁はおかわり自由であり、目一杯腹に詰め込んだ。

食後に外のベンチでお湯を沸かし珈琲を飲んだ。
今回は鉱泉小屋の水を利用できるので融雪の作業は不要だった。
それだけでも結構ありがたいものだ。
雪山テン泊において、たった一杯の珈琲を飲むにも多くの作業が必要になる。
だから飲みたくなっても「あ~やっぱり面倒だ。まっ飲まなくてもいいか。」
そんなことも何度かあった。

さすがに夜の冷えは半端ではない。
手に持っていたカップの温かさなど、あっという間に冷めてしまった。
あすは6時起床の7時30分出発予定。
テントに戻り荷物の再確認をして21時頃には眠りに就いた。

下山日、今日もそこそこの好天となった。

テン場を後にし、美濃戸へと下山開始。
のんびりと約3時間歩いたが、暑かったこともあり「あ~コーラが飲みたい。ソフトクリームが食べたい」と、いつもの下山愚痴が始まった。


「美味いね~♪」
やっとありついたソフトクリームにご満悦。

ちなみに後ろに写っている店舗は「J&N」という店で、いつの日か立ち寄ってみたいと思っている。
美味しそうなイタリア料理のレストラン兼宿泊もできる店なのだが、ちょっと高そうなのでまだ入ったことがない。
次回こそは「J&N」で下山のお祝いを!