ひとり旅への憧憬

気ままに、憧れを自由に。
そしてあるがままに旅の思い出を書いてみたい。
愛する山、そしてちょっとだけサッカーも♪

限界を感じて・・・トラバース

2015年02月18日 23時32分08秒 | Weblog
このルートは過去に二度通ったことはあるが、それは二十年以上も前の夏道だ。
だから、むしろ初めのルートと言ってもいいだろう。

本来の縦走は、硫黄岳から横岳へと南下するコースを辿ることになっていた。
そのための詳細なコースガイドを作成したのだが、結果としてその逆のコースを北上する形での縦走となってしまった。
頭の悪い自分にとって「東側→西側」「登る→下る」となった真逆の縦走は不安だった。

横岳に向け一歩を踏み出す。
すぐに膝まで新雪に埋もれ軽いラッセルとなった。
それにしてもあまりに強い風だった。
体が右へ右へと煽られ続け、積もった新雪が空に舞い、刹那のホワイトアウトとなる。
トレースのないルートは、刹那のホワイトアウトでさえ不安を増長させるには十分すぎた。




岩稜リッジを越えるには二つの方法がある。
まともにリッジを登り越えるか、左右のどちらかをトラバースするかだ。
コースガイドだけに頼らず、先ずは自分の目で見てどうするかを判断した。
しかし、中にはある程度リッジを登ってからトラバースしなければならないポイントもあった。
高さにして僅かに3m程だろうか。
ホールドポイントが何処にも無く、つかんだとしてもすっぽ抜けてしまうので、ピッケルの先端を岩に引っかけ、次にアイゼンの前爪だけを岩にかけ登った。
早い話が「フロントポインティング」での登攀だった。
怖い・・・。
僅か3m程度の岩の壁を登ることがたまらなく怖かった。
一つ一つの動作に集中しなければならないのだが「落ちたらどうしよう・・・」という怖さが頭から離れなかった。
フロントポインティングは初めてではない。
練習も含め何度も経験はあるが、怖いものは怖い。
「大丈夫! アイゼンの爪を信じよう。」

またまたリッジを越える。
踏みとどまり、どうやって、どちらから越えなければならないか考えた。
西側はスパッと切れ落ちた崖。
岩の直登はどう見てもあり得ない。
となれば、おのずと東側のトラバースだけが唯一のルートとなる。
見るからにいやらしいサラサラの新雪が積もっていた。
しかも半端じゃない斜度で、真下は見事な谷だ。
「ここを越えるのか・・こんな新雪じゃ・・・。」
それ以上言葉が出てこなかった。

恐る恐る足を踏み入れる。
音もなく足が膝上くらいまで埋もれた。
「やっぱりな・・・」
そして何歩目だったか忘れたが、いきなり体が雪の中へと一気に沈んだ。
ちょうど自分の腰あたりまで沈み止まってくれた。
本来であれば、ここで無理には動かず次にどうすれば良いかを考えるべきだったのだが、急に埋もれてしまった焦りから、もがくように体を動かしてしまった。
その結果、体は更に新雪の中へと引きずり込まれてしまった。
「俺は落ちるのか!」
一瞬そう思った。
幸い胸までで止まってくれたが、体が硬直しているのが自分でも分かった。
それはまぎれもない「恐怖心と焦り」からだ。
とにかく微動だにせずじっとしていなければ・・・。
いや、動こうにも恐怖心で動けなかったというのが本当のところだ。
真下は谷底で、戻るにしても体の向きを変えなければならない。
情け無いことだが、どうしたら良いのか分からなかった。

本当に焦っていた。
泣きたくなるくらい焦ってしまっていた。
手の届く範囲には、ホールドできるポイントがどこにも無い。
半端じゃない斜度の新雪の中で、まるで直立不動の姿勢のように硬直した体でじっとしていること以外何もできなくなってしまっていた。
「どうする。どうしたらいい。何ができる。何をしなければならない。」
ただそれだけを考えることで、ほんの僅かだが気落ちが落ち着き始めた。
「そっか、先ずはビレーだ。」
この体勢で、しかも一人できるビレーを考えた。
ザイルは無理・・・ホールドポイントも無い・・・。



今回、もし使えそうな場所があれば使ってみようと、そんな何気ない思いつきで持ってきたギアがある。
特殊なギアであり、雪山でもそうは滅多に出番はないものだ。

「アイスバイル」
氷壁登攀の時に用いるものであるが、状況によってはピッケルの代用にならなくもない。
そのアイスバイルをハーネスに引っかけての縦走だった。
「これしかないか・・・」
そう考え、ゆっくりとハーネスから外した。
もちろんバイル本体とハーネスとはスリングとカラビナで連結させているから、万が一手から離れてしまっても大丈夫だ。

体は進行方向のままで、左手でバイルの先端を握りリッジに引っかける。
つまり、バイルのピンポイントの先端だけが自分の体を支えてくれている唯一のビレーだ。
他に方法は無かったのかと、後になって考えても何も思い浮かばなかった。
あの時できるビレーの方法はそれだけだったと今でも思っている。

左手でバイルを持ち、岩壁に引っかける。
そして右手でピッケルのスピッツェの方を握り、ピックとブレードで新雪を少しずつ崩しては押し固める。
もちろん足は動かしてはならない。
一歩分の距離だけ雪を崩し、ある程度雪が固まったら片足だけ動かし、その足で更に雪面を固めて一歩分のルートを作って行く。

「うまく行くかな・・・」
やってみるしかなかった。

限界を感じて・・・地蔵の頭へ

2015年02月08日 23時25分49秒 | Weblog
行動食を摂り水分の補給。
そしてサーモスに入れておいた熱いチャイを数口程飲んだ。
冷え切った体の中を熱いチャイが胃袋へと流れ落ちて行く感覚がはっきりと分かった。
これは雪山のベテランである「腹ペコ山男さん」から、砂糖を多めに入れた紅茶が良いというアドバイスを頂いたことから始めたことだ。
普段は甘ったるくて飲めやしないだろうが、この冷え切った体には何よりだ。
ましてや糖分は疲労回復の即効性がある。

「よし、行くか・・・」
再びザックを背負いハーネスをきつく締めた。
きつく締めなければ、この強風で体を持って行かれそうだった。
風で体がふらついた時、ザックのハーネスが緩いとバランスを崩しそのまま滑落をも免れない。
それが怖かった。


ここまで予定していたルートタイムより30分以上遅れてしまっていた。
やはりラッセルで時間を費やしてしまったのだ。
しかし焦りだけは禁物だ。
この先はナイフリッジの登攀となるわけで、そのポイントで焦りから急いでしまうことだけは絶対に避けなければならない。
昨年の記憶が正しければ、登攀時におけるナイフリッジは右側が切れ落ちているはずだ。
焦りからリッジの右側には間違っても足を踏み入れてはならない。

ナイフリッジを見上げた。
去年の同じ時期よりも明らかに積雪量は多く、そして想像していたよりも距離は長かった。
だが、このナイフリッジの縦走こそが雪山登山の醍醐味ではないだろうか。
危険であることは当たり前だが、「俺は今雪山に来ている。そして雪山を登っている。」
そんな充実感のようなものを感じることができるのだ。

なぁ~んてことを感じているうちはまだまだ甘い。
その充実感を完膚無きまでに叩きのめされてしまう「危険」が、この後待ち受けていることなど思いもよらなかった。

ただ充実感を感じつつ地蔵の頭へと登り続けた。
トレースがある。
ありがたい・・・本当にありがたい。
そして何よりもここだけは雪が固かった。
アイゼンの爪が、心地よい程に雪を踏みしめる。

目の前には地蔵の頭の道標が目視できた。
「やっとここまで来たか・・・。」
強風で煽られながらもささやかな嬉しさを感じていた。

稜線へと辿り着いたということは、ここからいよいよ本格的な岩稜地帯へと入ったということだ。
しかしそんなことよりも、先ずはお地蔵様にお礼を言わなければ。

去年初めてこの場に着いた時、無意識でひざまずきお地蔵様にお礼を言っていた自分だった。
今回は無意識ではなかったが、去年以上の感謝の思いで一杯だった。
ひざまずき両手を合わせ、深々と頭を下げ感謝の言葉を言った。
ある意味、もっとメンタルが強ければそんな行為をすることなどないだろう。
どれほど天候やルートが厳しく苦しい登攀であったにせよ、すべては自分独りの実力で登り切ったのだから、そう割り切ればいいだけだ。
つまりはそれだけ自分はメンタルが弱いということに他ならない。
普段は神仏に手を合わせる行為など滅多にない。
初詣とか、おやじの命日とかお彼岸とか、そんな程度だ。
都合の良い時だけ感謝の言葉を言うこと自体、自分自身の弱さをさらけ出しているのではないだろうか。


南(右手)を見た。
赤岳はガスで全く見えない。
しかしトレースだけはしっかりとついていた。
おそらくはさっきの人のものだろう。
「このまま赤岳に登った方が楽なんだろうなぁ・・・。ルートは分かっているし、横岳縦走よりも危険度や難易度は低いしなぁ・・・。」

北(左手)を見た。
岩稜群のリッジが幾つも見えた。
トレースは・・・見えなかった。
どこを探しても見つからなかった。
「そっか、ここからまた完全に単独か・・・。」
単独が嫌なのではない。
トレースが無いことが不安でならないのだ。
事前の下調べはかなり綿密に行った。
地図だけでなく、画像や動画を何度も見てポイント毎にその状況や越え方をメモし資料を作成した。
されど雪山は怖い。
そして今、最も感じている怖さは「風と新雪」だった。
体が持ち上げられそうになる程の強風は何度も体験している。
それでも今感じている風は今まで体感したことのない強風だ。
どこかにしがみついていなければ飛ばされそうになってしまう風だった。


この風の中、新雪に埋もれたリッジを越えなければならない。
厳冬期の雪山に慣れている人にとっては、こんなことは当たり前過ぎるのだろうが、今までに感じたことのない「嫌な感じ」を覚えた。
それはゾッとするような身の危険だった。

限界を感じて・・・ラッセル

2015年02月04日 23時32分40秒 | Weblog
行者小屋に着き、すぐ地蔵尾根への分岐点を見た。
正直言って驚愕した。
そして唖然としてしまった。
トレースの一切が消えていたのだ。

地蔵尾根と言えば、赤岳への登攀(或いは下山)として利用するメジャールートであり、ほぼ確実にトレースはあってしかるべきだと考えていた。
昨夜の降雪があったとしても、そのトレースに期待していた。

果たしてどこまで埋もれてしまうのだろうか。
果たしてこの先、樹林帯を抜けてからのルートファインディングは大丈夫だろうか。
真っ先にこの二点が脳裏に浮かんだ。

一歩足を入れてみた。
膝まで埋もれた。
「これからずっとこの調子か・・・」
予定していたルートタイム通りになど行くはずもないことは容易に推測できた。

幸いに新雪であり雪面はいたって柔らかい。
そして樹林帯の中に限って言えばルートはほぼはっきりしていた。
問題はやはりこの先だろう・・・。


樹林帯が途中で途切れれば一瞬戸惑う。
確実なルートを見極めるために立ち止まり先を読む。
尾根道であれば当然谷もあるわけだし、落ちないためにも読む力は必要だ。

それにしても雪が深かった。
雪が柔らかいその分、大したことのない斜度であっても状況によってはキックステップのお世話にならざるを得なかった。
また、一ヵ所だけかなりの斜度のポイントがあり、5~6m程度登っては息が切れた。
膝程度のラッセルとは言え、やはり体力は相当使っているのだ。

樹木がまばらになり、いよいよ森林限界線を越えようかという標高に来た。
予測していた通りの状況となった。
ルートが全く分からない、見えない。
いや、落ち着いて見れば何かヒントとなるポイントがあるはずだと思い、目を凝らしてみた。
ガスの先に鉄パイプの手すりらしき物が目視できた。
はっきりと目視できた訳ではないが、何となく自分の記憶にもあったものだ。
それでもそこに辿り着くまでがこれまた大変だった。
今度は胸まで埋もれてのラッセルとなった。
交代要員などいるはずもなく、当然すべて自分独りでこなさなければならない。
「そういえば、去年もここは吹きだまりでラッセルしたっけなぁ・・・」
そんなことを思い出した。

階段の手すりに用いられている鉄パイプが僅かでも雪面から覗いていればまだ良い方で、何らルートファインディングに役立ちそうな物体が目視できないポイントもあった。
もちろん地図とコンパスと高度計で現在地点を確認しながら登攀してはいるが、それでもこのまま稜線にそって真っ直ぐ登れば良いのか、それとも何となくではあるが右に変えるべきなのかかなり迷ったポイントがある。
「常識的に考えればこのまま真っ直ぐなんだけどなぁ・・・」

もう一度だけ周囲を見渡した。
一本の木の枝のようなものが20㎝ほど突き出ていた。
それとも鉄の杭か・・・。
鉄の杭であれば助かるのだが・・・。
右に7~8mほどトラバースし、突き出ている黒い棒状の物に触れてみた。
鉄の杭だった。
「あぁ~助かった・・・」
雪をかき分け大きく右にトラバースしながら進むことができた。

何カ所目もの鉄パイプを目印に登攀を続け、小休止をしている時だった。
「いやぁ良かったです。人がいてくれて助かりました。」
思わず振り向くと、緑色のアルパインジャケットを着た男性が一人下山してきたではないか。
「自分も助かりました。トレースがまったく無くて苦労しましたよ。」

これでこれから先はお互いがつけたトレースを目印に登下山すれば良いのだ。
「もうちょっと登ればナイフリッジがあります。ちょっと長いナイフリッジですけど、そこを越せば地蔵の頭ですよ。」
本当にありがたい言葉だった。
そして自分も「雪が深かったのでかなりはっきりしたトレースになってますから大丈夫ですよ。」

お互いの作ったトレースがお互いの安全のために役立つ。
この時の状況下においてこれほどありがたいことはなかった。
お互いにカメラを交換し写真を撮りあった。

この日、山で出会った人間はこの人だけだった。