ひとり旅への憧憬

気ままに、憧れを自由に。
そしてあるがままに旅の思い出を書いてみたい。
愛する山、そしてちょっとだけサッカーも♪

雪の降る夜:やることいっぱい(2)

2013年03月30日 00時29分29秒 | Weblog
腹は減ってはいても、まだやっておかねばならないことがある。
荷物の整理やら水作り、夕食の準備など結構忙しい。

雪中テント泊の場合、できる限り雪をテント内に入れてはならないのだが、どんなに気をつけてはいても僅かながら入ってしまう。
荷物の整理をするためにやっとできあがったテントに入ったが、体に付着していた雪を払いのけたつもりでもやはり雪は入った。
だが、氷点下の気温が幸いし、雪が溶けて水になってしまうことが無かった故にテント内が濡れてしまうには至らなかった。

さて、水を作らなければならない。
現在の総水量は約1.5リットル。
夕食と明日の朝食分、そして明日の行動水を考えると、できればあと3リットルほどの水が必要となる計算だった。


テント入り口前に段差を作り、そこをキッチンとした。
幸いに殆ど無風であり、寒冷地用のカートリッジガス(EXP)であれば問題ないだろう。
水の作り方は知ってはいたが、実際にやってみて分かったことがあった。
コッヘルに一気に雪を詰めるよりも、「呼び水」を含めて半分程度までとした方が早く溶けるような気がした。
そして完全沸騰による「煮沸消毒」ではなく、ぬるま湯程度で十分であること。
ただし、行動水として予定している分量だけは煮沸消毒をした。

これは槍ヶ岳で知り合った「腹ペコ山男さん」から後に教えていただいたことだが、雪を溶かして作った水の場合、調理時や行動用のお湯(サーモス用)であるならば、後々必ず沸騰させることになるので、作っている時にわざわざ沸騰させなくても大丈夫であるということだ。
なるほど確かにその通りだ。
自分の場合、単にガスの燃料消費が惜しくて沸騰させなかっただけだった。


「じょうご」に濾過用の紙と化繊綿を詰め、それに通して集めた水。
約2リットル分の水ができた。
もうちょっとだ。

しかし、この時点でかなりの雪が降り始めていた。
「やばいなぁ。こりゃぁ調理は中かな・・・。」
調理というほどのものではないのだが、「換気」や「吹きこぼれ」などを考慮すれば、できればテント外での調理が望ましい。

雪は一向に止む気配もなく降り続いている。
外での調理を諦め、用具を中に入れて食事の準備を始めた。



今夜のメニューはこの通りで、すべてFDで済ませた。
ザックの総重量を少しでも抑えるためだが、カレーうどん、えびピラフ、そしてかに汁は空腹と冷え切った体にはこの上ない贅沢メニューだ。

一酸化炭素中毒の危険性があるため、ダクト用の風穴だけでなく、出入り口も1/3ほど開けたままでの調理となった。
体は冷えてはいるが、コッヘルに両手を近づけているおかげで指先だけは暖かい。
さっきまでかじかんでいた指先が、嘘のように自由に動いてくれることが嬉しかった。

沸騰したお湯の中に麺を入れ、カレースープと一緒に煮た。
テント内に何とも言えないカレーの良い匂いが充満し始めた。
「早く食べたぁい!」
独り言が何度も出るようになってしまった(笑)。



ではいただきます。 m(_ _)m

カレーうどんを食べている合間にFDのえびピラフができあがる。
ささやかながら、実に至福のひとときだ。

かなり腹も満たされ、ゆっくりと食後の珈琲を飲んだ。
このとき煙草を吸いながら飲んだのだが、テント内に煙草の煙と臭いが充満することを避けたかったため、外に顔だけを出し吸った。

顔面に雪が降り注ぐ。
「明日は(登頂は)無理かなぁ・・・」
心細くなってきたが、天候だけはどうすることもできない。

さぁて、後は荷物の整理とお酒と寝るだけだ。
シュラフに入る前に、テントに積もっていた雪を払い落とし、明日の朝食の準備、アタックザックの中身をもう一度確認した。
シュラフとカバーの間には水の入った容器を入れた。
水の凍結を避けるためである。
そしてつま先、腰、背中にそれぞれ使い捨てカイロを貼り、バーボンをチビリチビリとやりながら、持ってきた本を読んだ。
内容は雪山遭難に関する書籍。
今思えば、もっと楽しい本にすべきだったと反省している。

時折「ドサッ!」という音が聞こえた。
おそらくは樹木の枝に積もった雪が下へ落ちた音だろう。

不気味なほど静かに、そしてスローな・・・そんな雪の降る夜が更けて行く。


雪の降る夜:やることいっぱい(1)

2013年03月28日 00時30分02秒 | Weblog
30分も休憩をとってしまったが、おかげで十分に体力を回復することができた。
・・・が、ここからがまたまたきつい登攀となった。
目的地の「黒百合ヒュッテ」までは1時間ちょっとで到着することができたのだが、何時間も要したような気さへした。

ザックのショルダーハーネスが肩に食い込む。
ダブルストックで一歩一歩登る。
とてもじゃないが周囲の状況や景色を見るだけの気持ちのゆとりはなかった。
だが、それではいけないことも分かってはいた。
どれほどつらくとも時折周囲を見渡し、目立つ地形が視界に入ればそれを基に地図で確認をする。
雪山であればそれは尚のこと重要な作業となってくるのだ。

今日の前半の登攀時は「5分・・・5分登ったら1分だけ休憩しよう」と決めて登攀を続けた。
しかし、今この時はもっときつさを感じていた。
5分の登攀さえもきつかった。
「よし、100歩だ。100歩登ったら30秒だけ休もう」
情けないかな、そう自分に決めて足を進めた。

ある程度トレースは踏みしめられているとはいえ、「体重+ザック」の重量で膝近くまで雪に埋もれてしまう。
額から流れ出る幾筋もの大粒の汗が頬を伝い、やがて口の中へと入ってくる。
汗のしょっぱさが嬉しい。
「いけねぇな。水分と塩分の補給しなきゃ。」
そう思い、水を飲みポケットにしまってあった塩飴を数個口に入れた。
何度かその繰り返しであったが、初めに決めた100歩でさえ、次第にその歩幅が短くなってきた。

「だぁーっ! きつーうっ!」
思わずでかい声で独り言が出てしまった。
どうせ誰もいないし・・・まぁいいか(笑)。

ふと左右を見ると、針葉樹林の合間から小高いPEAKが目視できた。
先ずは地図で確認。
現在地の標高、すぐ横にPEAKが見えるポイント、そしてPEAKまでの距離から推測し、地図で「これだ」というポイントを確認した。



「よっしゃぁ~! 目的地まで直線距離で(たぶん)あと300メートルくらいだ。」
そうとなれば一服しよう!

事前の調べでは、鉱泉分岐点から小屋までの雪山ルートタイムは1時間10分となっている。
あれだけゆっくりと登り、休憩時間を含めてちょうど1時間10分だった。
ということは、平均してもっとゆっくりと登ってのルートタイムということになる。
へぇ~あれだけゆっくりと来たのに・・・(笑)。



黒百合ヒュッテに到着し、すぐに受付を済ませた。
本当なら温かな珈琲を飲み、ゆっくりと煙草を吸いたいところであったのだが、今の天候は決して良好とは言えない。
いつ崩れてきてもおかしくなかっただけに、やや焦りはあった。
そう、これからやるべき事が山積みなのだ。

さっそくねぐら作りの開始だ。
場所を決め、ザックからスコップを外して整地をしなければならない。



ある程度は安全が確約されている小屋のテント場とは言え、単独で雪山でのテント設営は初めてのこと。
嘗て一度だけ経験はあるが、あの時は教えてもらいながらちょっとした手伝い程度のことだった。
書籍や人から聞いただけの知識しかない自分の力が試されることになる。

極力フラットに仕上げるため、スコップで雪をかきだした後、自分の足で表面を踏み固める。
そしてスコップの面で叩き、表面を締める。
それでもなかりの凹凸が目立った。
次にスコップで表面を削りながら仕上げるのだが、一見フラットに見えても叩きと締めが甘く、足がズボッと埋まってしまうポイントもあった。
そのポイントに雪を足し、再び叩いて締める。
最後は斜度の確認だ。
水平器などあるはずもなく、これは見た目の「勘」で行った。
斜めの雪面にテントを張ってしまうと寝心地にも影響するわけだし、「勘」ではあったがまずまずの出来映えだ(と思う)。

いよいよテントを張る。
自作の「十字ペグ」のお出ましだ。
竹刀の竹を切り電動ドリルで穴を開け、そこに麻縄を通しただけの物だが、自宅に電動ドリルなどあるはずもなく、近所のホームセンターの工作室で作った。

十字ペグを使用したのは四隅だけで、後の残りは一本の竹ペグを横に置き雪の中に埋め込んだ。



ここまでの所要時間は約1時間だった。
いや、1時間も要してしまったと言った方が正しいのかも知れない。
それでも今夜のマイホームの完成は嬉しかった!



荷物をテント内に入れ着替えた。
だが、まだゆっくりとはできない。
荷物の整理、水作り、夕食作り等々まだやらなければならないことが残っている。

衣食住のすべてを一人で行う。
3シーズンのテント泊よりも体力は使うし、やることが多い。
それにしても腹減った・・・。

雪の降る夜:チャンポンが食べたい

2013年03月24日 20時24分29秒 | Weblog
久しぶりに「雪の降る夜」を再開する。


「八方台分岐点」までの急登攀は確かにきつかった。
ザックの重さを恨むほどに汗がしたたり落ちる。
かといって不必要なギアは何一つ無い訳で、恨むのであれば自分の体力と根性の無さだろう。

全くの無音の世界に、「ハァハァ」という息切れ寸前の呼吸音がやたらと響いた。
後は雪を踏みしめるアイゼンの音だけ。
「あと5分・・・5分ガンバだ。」
そう思いながら何とか登り続けると急にルートがフラットになった。
そして視界が開け、数十メートル先には標識と思える十字杭が見えた。


「あぁ・・・やっと八方台分岐点か。」
言葉には出なかったが、最初の難所を越えたという安心感から思わず笑みがこぼれる。
一に水分、二に塩分、三に糖分、四にカロリー。
でもって五にニコチン。
これが休憩時における自分流の行動食摂取順だ。(煙草は行動食ではないが・・・)
わずか10分間だけの休憩時にこれだけのものを摂取しなければならない訳で、座ってはいるが結構せわしい休憩なのだ(笑)。

ここから先の「唐沢鉱泉分岐点」までは、地図によればゆるやかな登り坂となってはいるが、雪山であればトラバースに近いのではないかと、ささやかな願いがあった。
「自分で決めて自分でここまで来ておきながら、何を勝手にわがままを願っているんだ。」
そうは思っていてもわずかでもフラットなルートは正直言ってありがたい。

実際次の分岐点まではほぼフラットなルートだった。


森の中の雪道を静かに歩く
トレースはしっかりとついており安心できるが、だからこそ何度も地図を広げコンパスを活用して現在地を確認しながら進んだ。
安心できる状況であるが故に、安心してルートファインディングもできる。

唐沢鉱泉分岐点につくと、なにやら楽しそうな笑い声が聞こえてきた。
「こんにちは!」とお互いに挨拶を交わす。
「昼飯ですか?」と尋ねると「えぇ、ついでにどっちのバーナーが先に沸騰するかタイムを計ってるんですよ。」

よく見ると方や省エネNo1「ジェットボイル」
方や機種が豊富な「プリムス」だった。
結果はすぐに出た。
わずかに30秒差で「プリムス」の方が先にお湯が沸いたようだった。


そういえば時刻はもうすぐ13時になろうとしている。
気付けば腹も空いてきたなぁ・・・。

一人はラーメン、もう一人の方はチャンポンを作り始めた。
いい匂いがマイナス15℃の凍み渡った雪の世界に広がる。
だぁーっ!!! なんて美味そうなチャンポンなんだ!
行動食だけでは腹の虫が鳴き止みそうにないぞ。

この二人とは話が盛り上がってしまい、30分もここに留まってしまった。
別れを惜しむかのように握手を交わし、今日の目的地に向け最後の登攀を開始した。

ここからがまたきつい登攀が続く。

グループ登山・・・「山を愛する」という事

2013年03月22日 22時21分48秒 | Weblog
厳冬期における本格的雪山登山シーズンが終わりを告げ、季節は既に残雪期の雪山登山へと移行し始めている。

今季の雪山登山は日数にして10日に過ぎなかったが、それなりに中身の濃いものとなった。
つらいことも多々あったが、良い意味で過去にない経験値を積んだと思える。
*自分の体質に合ったウェアとレイヤリングの発見。
*ギアの選択。
*行動食摂取の重要性。
*地図活用の徹底。
*アイゼン、ピッケルを用いての歩行術と滑落停止。
*雪中テント泊術。
*単独とグループとの違い。

夏山を中心とした3シーズンとは違い、雪山登山は仲間と一緒に登ることが多かった。
雪山は危険と考えられるケースが桁違いに多く、それだけグループでの登攀がベターとされる。
例えば・・・。
滑落などの万が一の時、仲間がすぐ救助にあたることができる。
また、救助が困難であっても、救助を求めるために下山し連絡することができる。
これが最大のメリットと言っても良いだろう。

そしてグループ登山においては「絶対的なルール」が存在する。
「仲間の誰かが怪我や体調不良により登攀困難となった場合は、全員が一緒に下山をする」ということだ。
(もちろんごく軽傷などであればその限りではないのだが・・・。)
大袈裟に言えば「安全第一。人命最優先」と言っても良い。
そんなことは当たり前のことのようだが、今回の赤岳登攀において、自分が当の本人になって初めて思い知らされたことだった。

いまでも思い返すことがつらい。
誰もが楽しみにしていた赤岳への登頂。
「ここまで来たのに・・・」
そんな思いは微塵も見せず、「また今度みんなでアタックしましょう!」
と笑顔で返ってきた言葉。
それがつらい・・・。

過去のグループ登山において自分がリーダーをしていた時、仲間の体調不良で全員一緒での下山を決断したことがあった。
だがそれは当然のことであり、何の悔いもなく即座に決めたことだった。

立場が変わって初めて知った「つらさ」だった。

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このブログに書き込みをしてくださっている「asagao007さん」のひと言が重く響いた。
「山を愛する事ってこう云う事なんですね」

何気ない言葉がズシリと来た。
自然や環境や道具、ルールやマナー等々ばかりに目を奪われがちであった自分に、グサリと突き刺さる言葉だった。

厳冬期雪山登山が終わる。
その最後に、最も大切で最も基本となることを教えていただいた。
心から感謝である。

グループ登山・・・4

2013年03月20日 23時53分20秒 | Weblog
最初に休憩をとった小屋に戻る手前に何カ所かの岩場があった。
あったのだが、かなり大きな岩場であるにも関わらず、まったく視野に入ってはいなかった。
その時はそれほどまでに体調がすぐれず、真下を向いたままでの下山となっていた。

大岩の真下で休憩をとったが、アウトドア好きの面々がこのまま大人しく引く返すことなどあり得ない(もちろんいい意味で)。
せっかく持参したザイル、ハーネス、カラビナ、コントロールデバイス等々のギアをこの場で活用しようということになった。

残念ながら今の自分には、それに参加できるほどの気力はなかった。
樹木に倒れるようにもたれかけ、持っていた胃薬とビタミン剤を飲み、雪の中に埋まるようにしてしばし目を閉じた。
体は寒い。
寒いが、このまま唯じっとしていることが最も楽な様な気がした。

途中、Mさんが「何か中間着を着なきゃだめですよ。」と言ってくれ、思わずハッとした。
そう、背中がゾクゾクするほど寒かったのだ。
寒いことが分かっていながら、身動きをすることが億劫になってしまっていた。
それこそ低体温症の第二段階へと、まっしぐらに進んでいるさなかだった。

ありがたいひと言に危機感を覚えながら、アルパインジャケットを脱ぎミドルジャケットを一枚着込んだ。
背中からじんわりと温もりが伝わってくる。

再び目を閉じ、しばし雪の中で眠るように安静にしていた。
みんなの声だけははっきりと聴き取れた。
ザイルを用いて下降訓練をしているようだった。

どれほど目を閉じていただろうか。
時間は分からないが、Mさんが特製の珈琲をいれてくれた。
砂糖の甘さの効いた珈琲だったが、この時の甘さはこの上なくありがたかった。
そして体の中から温まってくるのが分かった。
「五臓六腑にしみわたる」とは将にこのことだろう。

体調もそれなりに楽になった(ような気がする)。
吐き気もかなり治まり、みんなの活動の様子を見ていた。
わずかでも体調が戻れば自分なんぞはいい加減なもので、「俺もやってみようかな・・・」などという思いに駆られる。

握力が中途半端に戻っていないことが気がかりだったが、まぁこれくらいであれば何とかなるだろう。



二度目まではザイルのみの「懸垂下降」であり、ウン十年ぶりのチャレンジだった。
三度目にハーネスとコントロールデバイスを用いて降りたが、これがまた何という「楽」!そして「安全!」。
やはり道具は「使ってなんぼ」のものだとしみじみ思えた。

グループ登山・・・3

2013年03月18日 23時46分28秒 | Weblog
Kさんとは約一年振りの再会で、自分にとってどれほどこの日を待ちわびていたことか。

自分にとって将に「師匠」的存在であり、「二度と山なんか登るものか・・・」と、そう決めかけていた時に出会った人だ。
この人と出会っていなかったら今の自分はいない。
それほどの人なのだ。

そのKさんに言った。
「おそらくこのまま登ることは無理だと思います。たとえ登れたとしても、自力で下山できるかどうか・・・わかりません。
トレースはしっかりとついていますから道に迷うことはありません。今なら独りで小屋まで下山できます。どうかみなさんはこのまま登攀を続けてください。自分は小屋で待っていますから。
自分なら大丈夫です。
それに自分の登山はリベンジの登山ですし・・・。」

確かこんなことを言った覚えがある。
Kさんはしばし考え、他のメンバーからも意見を募った。
全員一致で出した答えはたったひと言だった。

「またみんなで来ましょう。みんなでリベンジしましょう。」

もちろん素直に受け入れられる答えではなかった。
「自分なら独りで下山できますから、どうか登頂を目指してください」
何度も言ったが、みんなの答えは変わらなかった。

つらい。
下山をすることがこれほどつらい山は初めてだった。
「申し訳ない」とか、そんなありきたりの言葉では言い尽くせない思いだった。

過去に登頂を断念した登山は何度かあった。
だがそれは、天候の悪化、下山予定時刻に間に合わない、他のメンバーの怪我や疾病などが主な理由だった。
グループ登山において、自分の疾病が原因で全員が登頂を断念し引き返したのは今回が初めてのことだった。

自分が原因で引き返すことがこんなにもつらいとは・・・。
立場が違って初めて知ったことだった。

誰も自分を責めなかった。
責めるなどあろうはずがない。
それがグループ登山の基本ルールであることをみんな百も承知であるからだ。
それがつらい・・・。

引き返すときの足取りは、下りであるはずなのにとてつもなく重かった。

せっかく集まったこのメンバー。
せっかく都合をつけて集まったこのメンバー。
「また今度・・・」といっても、それがいつの日なのか。
次のシーズンであったとしても、その日が天候に恵まれるとは限らない。
せっかくのチャンスを自分一人のせいで潰してしまった。
やはり言うべきではなかったのか・・・。

同じ言葉がグルグルと脳裏を駆けめぐる。

最後尾を歩き、何度か嘔吐しながらも言ったことを後悔した。

グループ登山・・・2

2013年03月17日 23時39分56秒 | Weblog


これは前日に登った時の写真だ。
足慣らしとしてはちょうど良かったかな。
天候にも恵まれ、体調も万全。
「これなら明日の赤岳もOKだ!」

そう、この時はそれだけ確信を持てる自信があった。



まだ完全に夜が明けきらぬ雪道。
ザックの中身は余分な荷物は一切入れず、水さえもいつもより500ccほど少ない。
それでも何故か重く感じた。

日が昇り、次第に周囲が明るくなり始めた。
「そろそろヘッドランプは不要かな」
そう思い、ザックにしまった。
ついでに水分を補給しようと思い、スポーツドリンクを数口飲んだのだが、この時もまた「うっ!」と嘔吐感に襲われた。

「大丈夫。まだ行ける(だろう)・・・」
何の確証も無かったが、せっかくこのメンバーで来ることができたという充実感だけが自分を支えてくれてたような気がする。

途中の山小屋近くで休憩をした。
嘔吐感は限界だった。
みんなに一言断り離れた場所で吐いてきた。

ややスッキリはしたものの、胸や胃のむかつきが治まったわけではない。
「大丈夫です。行きましょう。」
そう言ってザックを背負い雪道を歩き出した。

5人中、自分のポジションは最後尾だった。
グループ登山の場合、最後尾は隊長がとるポジションとなっている。
自分が隊長のはずなどあるわけがない。
ただ単に登るペースが遅れているだけなのだ。

登りながら時折両膝に手を当て、前屈みの姿勢をとった。
とりながら息を整え、大きく何度も深呼吸をする。
呼吸がつらいのではない。
心臓がバクバクしているのでもない。
気持ちが悪く、吐きたいだけなのだ。
最後尾であることが幸いし、誰にも気付かれてはいない。

そんなことを何度も繰り返し登り続けた。
そしてこのあたりから「先」のことを考えた。
「このまま登り続けたとして体がもつだろうか・・・」
「気力だけで登頂できるだろうか・・・」
「登頂できたとして、下山の体力は・・・」

今までの経験や、読んだ専門書に綴られていたいろいろなケースを想定してみた。
そして自分なりに下した決断は、正直に自分の体調不良を伝え、自分は下山し、みんなにはこのまま登頂を目指してもらうというものだった。

・・・のだが。



グループ登山・・・1

2013年03月04日 01時21分28秒 | Weblog
テントを利用しての登山ともなれば、限られた荷物の中で衣食住のすべてを山で営むことになる。
即ち、通常の日常生活を「登山」という名の下で送るわけだ。
そうなれば、普段ではすぐに解決できるありきたりのことが、山では緊急的なこととなって襲いかかってくる。
「あっ、箸がない。どうするか・・・。」
「予備の着替えを雨で濡らしてしまった・・・。」
「あの薬を忘れてきてしまった・・・。」
もう数え上げたらきりがないくらいだ。

先月末に、ここ数年の自分としては珍しくグループ登山へと出かけた。
登頂を目指す山は八ヶ岳連峰の主峰である「赤岳」だ。
赤岳を目指す前日に、軽い足馴らしとして昨年暮れに登った「北横岳」に行った。
天候にも恵まれ、頂からは「南・中央・北アルプス」の峰峰が一望できた。
お手頃雪山の割りには最高のロケーションだった。

また、今回のメンバーはと言えば、自分にとって怖いくらいのスペシャリストの面々が揃った。
あまり詳細は綴れないが、自分にとって「師匠」的存在の面々であり、今まで自分がやってきた山行なんぞ何の意味も成さないほどの強者揃いだ。
それだけに自分がお荷物にならないだろうかという不安もあった。

2月27日(水)。
まだ夜が明けきらぬ午前3時に起床。
体は完全に起きてはいない状態であったが、飯を食わねば体がもたないわけで、何としても胃袋に詰め込む必要があった。
もちろん行動食もいつも以上に多めに準備し持参する。

どことなくではあったが胃の具合がおかしい。
胸もムカムカする。
そんな自覚症状があった。
「どうしても米は無理だなぁ・・・。」
そう感じ、前日に購入しておいたパンを2個食べた。
いや、食べたと言うよりは飲み物で無理矢理胃袋に流し込んだと言った方が正解だろうか。

嫌な予感がする。
まさか、こんな大切な日に・・・。

準備は万全だし、登頂意欲もバリバリだ。
あとはいつもの体調であってくれれば問題なし・・・のはずだ。

「美濃戸口」を目指して車で出発。
前日の夜半から降り続く雪に手こずり、途中の駐車スペースまでしか車では入れなかった。
約1時間ほど歩く時間が増えるが致し方ない。
ザックを背負い、ヘッドランプを灯してスタートを切った。
今までとはちょっと違う装備に本音を言えば緊張している。
「ヘルメット・アイゼン・ピッケル」までは今までの雪山装備と同じだが、今回は新たにザイル、ハーネス、スクリューカラビナが加わった。
経験者であれば「そんな物当たり前だ」と思うギアが、自分にとってはまったく違う意味を持つギアとなっている。
情けないかな、自ずと口数も少なくなってきていた。

スタートしてまもなくだった。
やはり胃の具合がおかしい。
昨夜酒は飲んだが、たかが缶ビール1本とバーボンの水割り4杯程度だ。
いくら酒に弱い自分でも、その程度でおかしくはならないことくらい経験で分かっている。

それでも時折「うっ!」となりそうな気配がしてきていた。