ひとり旅への憧憬

気ままに、憧れを自由に。
そしてあるがままに旅の思い出を書いてみたい。
愛する山、そしてちょっとだけサッカーも♪

高校時代のひとり旅(?)その2

2007年10月31日 23時06分29秒 | Weblog
このブログの自己紹介で、「多趣味。昔やれなかったことをしているだけ」と書いた。
中学高校とやりたくてもできなかったこと。それは「バイク、ギター」である。
とにかく厳しい父親。「音楽?フォークソングやロックなんて麻薬と同じだ!」
「バイク?必要ない!おまえが今成すべき事はなんだ?」
ましてや深夜放送などもってのほか。バレたらただごとでは済まされないのはわかっていた。
ギターは友達の家に行きこっそりと練習し、ついでにレコードを聴いた(CDではない)。もちろんバイクも借り、時々無免許で・・・。
一度深夜放送を聞いているのがバレて、目の前でラジオをぶっ壊されたことがある。
「こんなもの!こんなもの!」と言って涙を流しながら叩き壊された。
それでもほとぼりが冷めればまた聞き始めていた。なんと親不孝な息子だったことか。
そんな親に、DJに会いたいから東京へ行きたいなど、口が裂けても言えるわけがない。

想いはつのる。
一計を案じた。
とは言っても17歳の子供が立てた計画などたかが知れている。みごとなまでに実行後にバレた(笑)。

まず、決行曜日を決めた。誰に一番会いたいか。
悩んだ。「落合さんは書店へ行けば会えるかもしれない。ならばよくリクエストカードを読んでもらっている那っちゃん(野沢那智さん)しかいない」
いざ、木曜日に決行!!

宇都宮から電車に乗り、上野へ。
まだ夕方で時間はあった。「そうだ、文化放送へ行ってみよう」
誰に会いたいというのではなく、放送局がどんなのもなのか見てみたい。将にお上りさんの典型であった(笑)。
文化放送ビルの外観だけを確認し、記念に写真を撮った。次はいよいよTBSだ。
赤坂までどう行けば良いのかなど全くわからなかった。家で事前に見た地図を思い出し、
たぶんこっちの方・・・。すでに外は真っ暗。東京のネオンの眩しさに感動しつつ、確か「アビーロード」的な道を歩いたのを覚えている。
「おぉ~ビートルズじゃん!」なんて言いながら、親に嘘をついて家を出てきた罪悪感など微塵も感じず心ウキウキ、はなの東京ひとり旅ぃ~!
だがやはり道に迷った。(当たり前)
結局なけなしの金を使いタクシーでTBSラジオまで到着。
あとは那っちゃんが来るのを待つだけとなった。

高校時代のひとり旅(?)その1

2007年10月30日 21時02分29秒 | Weblog
家を出てみたい(家出ではない)。
つまり、ある種の独立心的なものだったのだろうか。

中学生になって、ラジオの深夜放送を聞くようになった。
当時深夜放送全盛時代。友人にも同じような奴が何人もいた。
高校生になって、それはますますエスカレートする一方だった。
今でもよく覚えている
月曜深夜:文化放送「セイヤング」DJ:落合恵子さん
火曜深夜:文化放送「セイヤング」DJ:谷村新司さん
水曜深夜:文化放送「セイヤング」DJ:甲斐よしひろさん、他
木曜深夜:TBSラジオ「パックインミュージック」
     DJ:野沢那智さん、白石冬美さん
金曜深夜:TBSラジオ「パックインミュージック」
     DJ:山本コータローさん
土曜深夜:ニッポン放送「オールナイトニッポン」
     DJ:笑福亭鶴光さん(当て字)
日曜深夜:各局の音楽番組(ロックとフォーク)

確かこんなスケジュールだった。
慢性的睡眠不足は授業中の居眠りで補った。
部活動で疲れた体。それでも睡眠欲より、聞きたいという欲求が勝っていた。
そして何よりも、自分で出したリクエストカードや投稿した葉書が読まれるかも知れないという期待感。
読まれた翌朝は、教室では誰もが内輪のHEROだった(笑)。

高校2年の初夏のこと。
友人の一人が、落合恵子さんの経営する書店に行ったら、偶然彼女がおり書籍にサインをしてもらった。
うらやましい。実にうらやましい限りである。
「俺も会いたい。好きなDJに会ってみたい。」
しかし、栃木の田舎しか知らない自分にとって、東京へ一人で行くことへの不安は大きかった。
更には、「親にはなんて言おうか? いや言ったところで許してくれるはずがない。」
そう思えば思うほど、会ってみたい気持ちはつのるばかりだった。
そしてその想いは、やがて高2の夏休みに・・・。

薩摩という国

2007年10月29日 23時21分49秒 | Weblog
これは勝手な持論ということを前置きにして。

日本の歴史の中において、必ず「ターニングポイント」的な一瞬があった。
その一瞬には「薩摩」の存在があった(と思っている)。
関ヶ原の戦い然り。時は流れ文久3年。薩英戦争で敗れ、その経験を知恵とし、核となって進んでいった戊辰戦争。そして10年後の西南の役。
更には太平洋戦争における特攻基地。まぁこれは本土最南端という地理的要素が大きいのだが。
いずれにせよ「戦いの歴史の中に薩摩あり」と言っても過言ではない(と思っている)。

薩摩人気質について、司馬遼太郎氏の本で読んだことがある。
その象徴の一つが「示現流」。
「肉を切らせて骨を断つ」。つまりは前進あるのみの超攻撃型剣法である。
また「武士の名誉は、一に戦死。二に負傷。三に生還」という言葉がある。
こんな言葉、自分の地方じゃ聞いたことがない(笑)。

今回の鹿児島への旅は、歴史好きの自分にとってたまらない魅力で一杯だった。
現在の人たち誰もが、そのような気質を持っているとは言わない。
しかし市内を歩いているだけで、すれ違う人みんなが彼等(薩摩武士)の末裔に思えてしかたがなかった(笑)。

大学時代の先輩に鹿児島市内を案内していただいたとき、立ち並ぶビルと共に、その合間から桜島が見え隠れしていた。そして、そこここで聞こえてくる鹿児島弁の混じった日常会話。
多くの戦で数多の命が失われた。優秀な人材も失われた薩摩という国。
旅の気分と南国情緒を味わいながらも、この薩摩という国の歴史の中に身を浸している自己満足と錯覚を覚えた。

西大山駅って・・・

2007年10月28日 20時48分25秒 | Weblog
本当に何もない、自然の風景があるだけ。
田舎育ちの自分でさえ、ただそこにいてボーっと
開聞岳を眺めているだけで、贅沢な時間の流れを感じた。

しかし、かつて知覧から飛び立った特攻兵にとって、この開聞岳は
最後に見る日本本土の景色だったそうだ。
どんな思いでこの開聞岳を見下ろし、操縦桿を握ったのか。
まだ二十歳前後の若人よ・・・


花瀬望比公園

2007年10月28日 04時59分34秒 | Weblog
今年の夏、鹿児島へ行った。
懐かしい人との再会、偶然の出会い。
全てが感謝のひとり旅だった。

最終日のこと、目的の一つだった「西大山駅」へ行った。
鉄道における日本最南端の駅。しかも無人駅。
ホームがあり、ベンチがあり、一本のレールが伸びているだけ。
しかし駅からは、開聞岳が雄々しい姿を見せていた。
昨日見学した「特攻平和会館」の語り部の方の話を思い出した。

駅には誰もいないと思いきや、夫婦らしき方が簡易テーブルを広げ自分を見ていた。
「麦茶が冷えてますよ~。どうぞ飲んでいってください」と。
(「いったい誰なんだろう? こんな真夏の炎天下で何をやっているんだろう」)

冷えた麦茶を頂きながら会話をした。
その方たちは、仕事を退職すると同時に、横浜から夫婦でここへ(指宿)引っ越してきたという「K夫妻」だった。
「この駅はなかなか人気があってねぇ。鉄道マニアやアマチュア写真家がよく来るんですよ。せっかく来てくれるんだから、何かもてなしができないものかと思って始めたんですよ」

なんて素敵な夫婦なんだろう。第二の人生にこの土地を選び、そして見知らぬ人たちへの気配り、というか完全ボランティア。
こんな人生もあるんだなぁと、しみじみ感じた。

鹿児島へ来た理由を話すと、「それだったら開聞岳の麓にある『花瀬望比公園(はなせぼうひこうえん)』へ行った方がいいですよ。案内しますよ。」とあまりにも気さくな一言。
初めて会った自分に何故こんなにまで親切にしてくれるのだろう。不思議だった。

「花瀬望比公園」。そこは遙か太平洋を望む薩摩半島の南端。開聞岳の麓だった。
太平洋戦争におけるフィリピン戦線で、戦死した方々の御霊を弔う意味で建てられたらしい。
慰霊碑、古びた鉄兜、機関銃、兵士の像、平和と鎮魂を願う鐘、そして生きて日本へ帰って来ることを願い、海を見つめている母と子の像があった。

西大山駅には、写真を撮るためだけに来たはず。
K夫妻との出会いと花瀬望比公園を知ったことは全くの偶然に過ぎない。
なんとも嬉しい素敵な誤算だった。

ひとり旅について

2007年10月27日 20時25分34秒 | Weblog
一応管理人としての名前が必要だった。
せっかくだからカッコイイ名前を・・・と考えたが
やはりいつもの『TAKA』にしよう(笑)

さてタイトルの「ひとり旅への憧憬」。
ブログを始めるにあたって実は何も考えていなかった。
つまり、いざ立ち上げとなり、名前を決めなければならないことなんて知るよしも無かったわけである。
それだけネットやPCに関しては素人ということ。
ましてやPC自体も年代物で、環境設定もギリギリの状態。
果たしていつまで続くことか・・・。

おっと忘れていた。
そう、何故このタイトルにしたのか・・・。
思いつき、と言えばそれまで。ちょっとボーっとしながら自分が一番したいことを考えていたら、この言葉が真っ先に思いついた。
事実、バイクや交通機関を利用して何度も「ひとり旅」には出かけた。
決してリッチというわけにはいかないが、昔から行ってみたかったところに行き、写真を撮り、絵を描き、地元の人たちとお国訛りの会話を楽しむ。
景色がよければ、ただそこに座り時間をも忘れ「よし、今日はここで野宿だ!」と。
家族がいるだけに、これはある意味かなり贅沢なひとときである。(自己満足)

ひとつの夢として、退職したら「日本一周鈍行列車の旅」を考えている。
それはただの憧憬に終わるかも知れないが、気ままにフラッと出かけ、夜行列車の中や駅の待合室、夜露がしのげればどこでもいい。
そんな想いからこのブログを始めた。
                      by TAKA

何故こんな自分が・・・

2007年10月27日 14時39分16秒 | Weblog
こんないい加減な自分がブログなんてものを立ち上げてみた。
自身の書き込みにも、管理にも自信はない。
ただ、昔から、そして日頃思っていること。
それは喜怒哀楽であり、勝手な妄想であり、夢や憧憬でもある。
そんなわがままな気持ちを文字として思い切って残してみようと・・・。
だから現在進行形で起きていることよりも、むしろ過去にさかのぼって自分が経験したことや感じたことも書こうと思っている。