ひとり旅への憧憬

気ままに、憧れを自由に。
そしてあるがままに旅の思い出を書いてみたい。
愛する山、そしてちょっとだけサッカーも♪

春を背負って:三姉妹

2015年06月29日 01時04分36秒 | Weblog
「春を背負って」という山小屋を題材とした映画が去年の今頃公開された。
今回の山行のタイトルがどうしても思いつかず、映画からパクらせて頂いた。
                                  m(_ _)m

毎年12月の暮れから5月の残雪期までの約半年間は、ほぼ単独で雪山に登っている自分だが、夏山と比べて体力は比較にならない程使っている。
精神的にも結構厳しく、好きだから登っているとは言え心身の疲労は蓄積する。

5月中旬に最後の雪山を終えると、その疲労を癒す意味で身近な低中山へ登る。
恥ずかしい話だが、目的は「春の花」だ。
今年も例年通り花を愛でる山行を計画した。
栃木県と群馬県の県境にある「袈裟丸山」をターゲットとした。
この袈裟丸山は、5月になるとツツジやシャクナゲが咲き乱れ、多くのハイカーや写真愛好家で賑わうそうだ。

5月になり、職場で袈裟丸山の地図(1/25000)を見ていた時だった。
若い男性スタッフが「おっ、今度はどこに登るんですか? またアルプスですか?」と聞いてきた。
「いや、今回は袈裟丸山と言ってどちらかと言えば低山に近い山なんだ。」
「へぇ~、珍しいですね。雪はどうなんですか?」
「いやいや、ツツジを中心とした花を見に行くんだよ。」
「へっ! ぷっ! 花・・・ですか・・。笑っていいですか。」
と、いいながら笑っていた。
「やっぱり、俺の柄じゃないよなぁ(笑)」

そんなやりとりがあった。

花の名前は知らなくとも、この時期限りの花に彩られた山に登ることは楽しみだ。
メンバーは自分の他に、なんと女性が3名も。
登山に慣れた女性もいれば、自称「山の乙女」まで経験は様々だが、見方によっては「父親と三姉妹」と言った風にも見えなくもない。
まぁ少々無理は承知だが、三姉妹を連れていざ花の袈裟丸山へ!

5月29日。
曇り空ではあったが、日中の天候は心配ない。
車で日光方面から旧足尾方面へと走らせ、登山口へと向かった。

準備体操と入山届けを済ませ、スタート。
標高は僅かに1878mだ。
そう、今日は珍しく日帰りの軽トレッキング。
マイナス30°の銀世界とはうって変わってのカラフルな世界だ。

スタート直後は樹林帯の中を緩やかに登って行く。
若葉の優しい緑に囲まれて足取りも軽い。
と思いながらカメラを向けると・・・。

即、こんなポーズを決めてきた。
おっ、さすが自称「山の乙女」かな(笑)。

ゆっくりではあるが標高を上げて行くと、ポツリポツリと目を引くものが点在し始めた。
やっと出会えたツツジに迷わずシャッターを切った。

この半年間、赤やオレンジ紫といったカラーは、山の中では先ずお目にかかった記憶がない。
あるとすれば、ごく稀にすれ違った登山者のアルパインジャケットくらいだったろう。
そんなことを思い出した。

樹林帯を抜け、稜線へと出た。
左手奥には、今日の目的地である「袈裟丸山」と思えるやまなみが目視できた。
山に向けシャッターを切る。
ついでに三姉妹も。(いやいや、ついでではない)

若いから反応が早いのか、それともカメラ慣れしているのか、カメラを向けると瞬時にポーズをとってくれる、それともとってしまう(体が即反応してしまう)。
いずれにしても一枚一枚が思い出に残るものとなってくれた。

最後尾をお願いしたKさんだが。
実を言えば、彼女の歩き方(登り方)こそ自分が目指している登攀技術の一つだ。
決して急がない。決してペースを乱さない。
常時一定のペースを保ち安定している。
だから地図に示されているルートタイムとほぼ同時間で進むことができるのだ。
そのかわり小休止も最低限のみ。
自分のようにガツガツしたのは本来はよくないのだろうと思っている。
ついつい「早く予定ポイントに着けば、それだけ休憩時間を長く取れる」
そんな欲ばかりかいているのだ。

見習うべきこと(人)は、すぐ身近に存在しているのだ。

最後は3000m越え:ニリンソウ

2015年06月26日 23時08分04秒 | Weblog
力なくテントへと戻り、アイゼンを外した。
煙草に火をつけゆっくりと煙を吐いた。
「ふぅー・・・」と大きく吐きながら奥穂高岳と推測する方角を見上げた。
もちろん何も見えない。
ただ真っ白なガスのぶ厚いカーテンだけが視界に入って来るすべてだった。
「しょうがないよなぁ・・・。」
落石に当たらなかっただけでも良しとしなければならない。

今日は上高地まで戻ればいいだけだし、慌てて撤収する必要もない。
お湯を沸かしチャイを飲んだ。
諦めはついているが、心の何処かに悔しさを感じていた。
チャイは甘い。
その甘さが染みるだけに、僅かな悔しさは苦かった。

昼近くになりテントを撤収し下山を開始した。
途中何度か涸沢を振り返るが、どこもかしこも真っ白なガス。
「また来年だなぁ・・・」
そう思いつつも、頭の中では突如として目の前に姿を現す落石を思い出していた。
やっぱり怖い。
「コロコロ」或いは「ゴロゴロ」と落ちて来る程度であれば、当たっても膝から下だけで済むだろう。
しかし、時には途中でバウンドして上半身あたりの高さまで跳んでくるものもあった。
もしあれが頭部に当たっていたら・・・。

「やっぱりこれで良かったんだ」
自然に逆らうには限界がある。
その限界を越えてしまうことで結果がどうなるのかは言うまでもあるまい。

本谷橋までもうすぐという所に来て、ルート状況の急変に驚いた。
「なんじゃこりゃぁ。これって昨夜の風か? 風でこうなってしまったのか?」
確かにテントが飛ばされてしまいそうな程の猛烈な強風であったことには違いないが、この変わりようには驚かされた。

両側の樹林帯から風で飛ばされてきた気の葉や小枝が散乱していたのだ。
いや、小枝だけではなかった。
まさかこんな太いものまで・・・と思うものがルートを塞いでいた。
「こんなに強い風だったんだ・・・。 よく(テントが)飛ばされずに済んだものだ。」

テントの撤収時に気付いたことだが、実はテントポールが曲がってしまっていたのだ。
幸いに折れることはなかったが、風で曲がってしまったテントポールを見て、「補強作業をやっておいて良かった」としみじみと思った。

本谷橋でアイゼンを外し小休止をした。
この日涸沢を目指す登山者達とすれ違う。
明日は晴れそうだし、きっとてっぺんからは良い景色を見ることができるだろう。

徳澤園に着きここでも小休止。
今回のソフトクリームは「残念賞」的な意味もあるかな(笑)。
でも美味い!!!

もうすぐ上高地だ。
何ら急ぐことなど無い。
のんびりと歩こう。
ゆっくりと歩くことで、周囲に目が向くようになった。
日の差さない樹林帯の中、樹木の下には真っ白な花が群生となって咲いていた。
「あれっ、来る時は気がつかなかったなぁ・・・」

小さく可憐な花だった。
名前は分からない。
そこここに群生となって咲き乱れているその花に見入った。

自分らしくもない行動をとった。
道端にしゃがみ込み、じっとその花を見つめた。
花を見ているという自分が不思議だった。
自分らしくない行動が不思議なのではない。
それは、つい数時間前の自分は、ホワイトアウトの様なガスの中で息を切らせ、落石の恐怖に怯えていた。
だが、今の自分はどうだ。
こうして可憐な花の群生に囲まれるようにして道端に座っている。
あまりにも極端であるにも関わらず、どちらも同じ自分であることが不思議でならなかったのだ。

写真は撮ってこなかったが、花びらや葉の形は目に焼き付けた。
帰宅してネットで調べてみたところ「ニリンソウ」という花であることが分かった。
「あの花はニリンソウって言うのか。忘れられないなぁ・・・。」
そして後日、何と高山植物の本を購入した。
これこそ自分らしくない行動だろう。(笑える)

あれから時々ではあるが、その本を開き一つ二つと花の名前を覚えた。
もちろんすべてを覚えるなどといったことは自分にはあり得ない。
今回の様な出来事があり、その日その時のインパクトでもなければ本気で覚えることはないだろう。

まぁ気長にやって行こう(笑)。


最後は3000m越え:・・・越えられず

2015年06月25日 02時51分09秒 | Weblog
急ぎ朝食を済ませ、身支度を整えた。
眠い、だるい・・・。
だが、行けるところまではと決めていた。


テントから出るも360°周囲は真っ白なガス。
そのガスの中にポツリポツリとテントがあるといった感じだった。
「行くんですか?」
隣のテントの方が聞いてきた。
「そうですねぇ・・・行けるところまでは行ってみます。」
「僕は今日は諦めてここでのんびりしますよ。気をつけて。」

おそらくはその方が正しいのだろうということは分かっていた。
残雪期であり、明け方までの豪雨からしても雪面は相当緩んでしまっているに違いない。
ということは、おのずと落石の危険性も高まってくるのではないか・・・。
そのくらいは予測ができた。
アイゼンの爪がどれほど効いてくれるだろうか・・・。
考えれば考える程不安はつのる一方だった。

もう一度小豆沢(あたり)を見上げた。
まったく何も見えない。
とぼとぼと歩き出すが、まだ幾分眠気が残っているようだった。

昨日ピンポイントで登り口を起点とし、地図上に一本の線を引いておいた。
あとはコンパスを頼りにひたすらその方角に向かって登れば良いだけだ。
もちろんトレースを・・・

そのトレースが消えてしまっている。
雨のせいだということはすぐに分かった。
トレースなのか、残雪期特有の雪面の凹凸なのか、その区別がつかなくなってしまっている。
トレースっぽくも見えるけど、確信が無い。
「地図とコンパスを信じよう。」

登り始めて20分程過ぎただろうか。
振り返るも、涸沢のテントなどとっくにガスで見えなくなってしまっていた。
そしてルートのすぐ横に、落ちかけて途中で止まっている石があった。
「落石かぁ・・・。そう言えば、去年の北穂の時も落石に遭遇したっけ。」
嫌なことを思い出してしまった。

本当に濃いガスの中だった。
そのガスの中を今は唯一直線に登攀するだけだ。
昨日あれだけ明瞭に残っていたトレースは分からない。
「地図とコンパスを信じよう。」
繰り返しそう何度も何度も思いながらの登攀だった。

徐々に斜度がきつくなってきている。
キックステップに切り替えるが、思っていた以上に前爪が効かない。
ピッケルのスピッツェはズブリと突き刺さる。
それだけ雪面が緩いということだ。
「まいったなぁ・・・まるで糠に釘だ。」

不満を並べたからと言って今の状況が変わるわけでもない。
自分の技術と判断力と経験でできることをするべきだ。
それでも愚痴が出る。

登攀開始から一時間程が経過した。
見上げても何も見えない。
右を見ても左を見ても何も見えない。
分かっているのは、自分は今急斜面を登っているという感覚だけ。
ある種の「ホワイトアウト」状態に近かった。

緊張感が増す。
「下りるべき・・・か・・・」
判断の迷うところだったが、迷いながらも一歩ずつ斜面を登っている自分だった。
だが、その迷いを払拭し、下山の決断を下す状況が起き始めた。

落石だ。

落ちてくるのは当然上からだが、上と言ってもあまりにも範囲は広い。
そしてホワイトアウトの様な真っ白いガスのせいで、どこから落ちてくるのか分からない。
更には音がしない。聞こえない。
突然自分のすぐ横を石が転げ落ちて行くのだ。
これには怖さを感じた。
「これやばい! 絶対にやばい状況だ!」
そう思っているとまた落ちてきた。
「下りよう。今ここでの無理な行動はただの蛮勇だ。」

しかし、背中を向けて下山することが怖かった。
背後からの落石は避けようがないからだ。
ナインオックロック、またはスリーオックロックの体勢での下山とした。
これなら体は真横を向いてはいるが、上もすぐに確認できる。
先ずは慌てないこと。
慌ててしまうとろくな結果に繋がらないことは、嫌という程経験してきた。
・・・が、やはり少しは急ぎ足になってしまった。(笑)

下山の途中でも、数回自分のすぐ横を落石が追い越していった。
「これって、運もあるよなぁ・・・」
そんな気がしてならなかった。



今回、割と早く下山の決断をすることができたのは、1月の横岳の経験があったからだと自分では思っている。
あのあまりにも苦く辛い経験があったればこそのことだ。
「状況からの判断・迷い・思考・予測」そこからの「決断・実行」。
登頂できないことは確かに悔しいし、「ここまで来たのに・・・」という思いもある。
それでも、あの時の決断は正しかったと今でも思える。

ガスの向こうに黄色いテントらしき物が見えてきた。

「しょうがない、また来年来るか。」

最後は3000m越え:眠れぬ夜

2015年06月17日 22時24分03秒 | Weblog
早めに夕食を済ませ、ゆっくりと珈琲を飲みながらテン場を散策した。
まだ日は落ちてはいないが、日中と比べれば肌寒さを感じる。

北穂を見上げた。
去年のちょうど今頃に登った山だ。
「最後の1時間が厳しかったなぁ・・・」
それでも、頑張って頑張って頑張って余りある360°白銀の絶景に言葉を失った。

「明日はどうかな。天気がなぁ・・・。」
今のところ崩れて来る気配はないのだが、予報によればあまり良くない。
「まぁ行けるところまでは行ってみよう。」
それだけは決めていた。

テントへと戻り、好きなバーボンをチビリチビリとやりながら本を読んだ。
テン泊において、食事の時も大好きなひとときではあるが、食事が終わり、明日の準備も済み、後は寝るだけとなったこの時の流れがたまらなく好きだ。
周囲の一切の音が消え、独りテントの中でシュラフに下半身だけを入れ足を伸ばす。
ゴロリとしながらヘッデンの灯りで文字を照らし、そして時々酒を口にする。
何となく睡魔が来れば、灯りを消して肩までシュラフにくるまりそのまま眠りに就く。
とは言っても、酒が入ればやはり煙草が吸いたくなるのは常。
ダウンジャケットを着込んで外へと出てみたが、いつの間にか漆黒の闇に包まれた涸沢カールには、涸沢ヒュッテと涸沢小屋と自分を含めた三つのテントの灯り以外何も見えなかった。


夜空を見上げた。
星が瞬いている。
標高2300mから見上げる夜空はことのほか美しい。
自分が住んでいるところは田舎ではあるが、その田舎の空でさへも都会と感じる程にここの星空は美しかった。

「さて寝るか」
シュラフにくるまり目を閉じた。
程よく心地良い酔いにまかせ、眠りに就いた。

夜中に目が覚めヘッデンで腕時計を照らした。
まだ23時を過ぎたばかりだった。
ちょっと天気が気になりテントから顔を出すと、相変わらずの星空に胸をなで下ろした。
「(天気予報は)外れかな・・・」
そう思い、安心して再び眠りに就いた。

バラバラバラ。
バタバタバタ。
そんな音で目が覚めた。
「あぁー来ちゃったか・・・」
深夜の1時過ぎになり、雨と風の音で嫌でも起こされてしまった。
まぁ仕方ないだろう・・・と、少々甘く見ていたのだが、風雨は音と共に次第にその強さを増してきた。
テントが煽られるようにばたつき始めた。
「やばいなぁ・・・」
急ぎ着替えて、入り口の横に刺しておいたスノースコップを持ち出しテントの補強作業に取りかかった。
壁を作ろうかとも思ったが、先ずは張り綱とペグのポイントを中心に雪を重ねた。
もちろん張り綱もチェック。
「(これで大丈夫だろう)」と思える程度の補強だった。

テントへと入るが、びっしょりに濡れたアルパインジャケットとパンツをそのまま中に入れる訳にも行かず、適当に水滴を振り払いビニール袋に入れた。

下半身だけシュラフに入り、ダウンジャケットを着込んで膝を抱え込んで目だけを閉じた。
眠気があり、ウトウトとしながら時が過ぎる。
雨あしと風は徐々に強くなってきているようだ。
分かってはいるが、眠い。
自分の背中側から強風でフライシートが押されているのが嫌でも感じた。
だが眠い・・・。
それでも「大丈夫だろう」という、何の確証も根拠もない勝手な思いを正しいと思い込んでいる自分だった。
それは単に「眠い」「これ以上の補強作業が面倒だ」「外へなんて出たくない」。
ただそれだけの理由に他ならない。
それでも「危険だ」「もう一度チェックしなきゃ」。
相反する考えもあった。

「葛藤」と言うには大袈裟だが、一時間以上もずっと考えていることがバカらしくなってきた。
少しでも安心して夜を越すためには、やはりもう一度外へ出る以外に解決策はなかった。
再びジャケットとパンツを着て外へと出た。
ヘッデンの灯りに照らされた雨粒は、自分の目の前で真横に飛んでいる。

今度はピンポイントだけの補強ではなく、フライシートの周囲全体に雪をかぶせ積み上げた。
スノーフライシートでは無いので「スカート」は無い。
だからと言って今更空気の対流がどうのこうのとか言ってられなかった。
とにかくテントが飛ばされないことだけを第一に考え雪を重ねるしかなかった。

テントに戻った時は、夜中の3時をまわっていた。
体が寒い。
バーナーでテント内を暖めようかとも思ったのだが、それだけは止めた。
予備の着替えをすべて着込み、行動食を食べ体の中からも熱を発するようにした。

今度はもう眠気など何処かへすっ飛んでいってしまった。
不安は完全に払拭された訳ではないが、「やることはやった」という安心感があった。
このままやり過ごせればありがたい。

時々ウトウトとしてはしまったが、空が白みかける頃には風雨は止んでくれた。
「良かった。何とかテントは持ってくれたようだ。」
そうなってくると、今度は安心感からか急に眠気が・・・。
「あぁ~これから眠れたらどんなに楽かなぁ。」

時刻は朝の4時50分。
先ずは珈琲で目を覚まさねば・・・。


最後は3000m越え:メニューを考える

2015年06月04日 00時02分34秒 | Weblog
残雪期のテント設営について、もう少し反省を踏まえて綴ってみる。

竹ペグに直接結びつけるロープを、ナイロン製の荷造り用のひもに換えたことは前述したが、実は去年の時は竹ペグ自体も別の物で代用していた。
それは「割り箸」だった。
僅かでも軽量化をしたいという考えがあり、主にインターネットで調べた結果、割り箸を用いている人が多かったのだ。
特にそれを用いたことでアクシデントに遭遇したなどと言うことは何も書かれていなかったため、「じゃぁやってみるか」と思ったのだ。

ところがだった。
穴を掘り、割り箸ペグを埋めたまでは良かったのだが、ちょっとテントとの角度が違ってしまったことに後から気付き、掘り起こした。
その時だった。
時間にして10分程度しか雪の中に埋もれていなかったにも関わらず、割り箸ペグは既に水分でふやけてしまっており、かなり脆くなってしまっていたのだ。
「ひょっとして・・・」と思い、少し力を入れてみたところ簡単に折れ曲がってしまった。
これには焦った。
もちろん予備の割り箸ペグを数本準備してはいたが、果たして明日の朝までもってくれるかどうかが心配だった。
翌朝懸念されたことは現実となった。
いざ掘り起こしてみたところ、すべての割り箸ペグが折れ曲がった状態で掘り起こされたのだ。
このような反省があり。雪山シーズンにはやはり竹ペグが一番適しているとあらためて思った。
真似をするだけではかえって危険な状況に陥ってしまうこともある。
軽量化を考えることは大切なことではあるが、失敗して初めて分かることも多い。

さてさて、今宵の夕食の時間がやってきた。
この時のメニューを2週間程前からずっと考えていた。
「食べたい物が食べたい」「カロリー計算は・・・」「何味が良いか」等々、いろいろと考えている時が心から楽しいと思えた。
量やカロリー、栄養などは登山において重要なことではあるのだが、それだけにあまりとらわれすぎてしまうと楽しみが半減してしまいそうなので、先ずは食べたい物を優先した。
「やっぱ肉かな~・・・」
要冷蔵の食品をここまで持ってくるには、時期としては今が限界だろうし、肉料理に決定した。
あとは如何に簡単で、如何に美味く、そして如何に合理的にできるかだ。
頭の中で家にある物を思い出しながら「あれとあれを一緒にすれば・・・」などと思い巡らし、同時に味付けも想像でしてみた。
「よし、これなら行けそうかも(笑)」
そして持参した食材はこのようになった。

・レトルトのミネストローネ(頂き物だが、帝国ホテル仕様!)
・豚の角煮
・固形コンソメ(今夜のポイントとなる隠し味)
・FDの炒飯
・FDのパスタ
・食後の珈琲(スティックタイプ)

調理時間は実質5~8分程で、先ずはお湯を沸かしFDの炒飯に入れ15分間待つ。
その間に、レトルトのミネストローネの中身を直接コッヘルに入れ、そして水を200cc加える。
何故わざわざ水で薄めるのかと言うと、これにより「スープ兼おかず」となってくれるのだ。
水で薄めた分、そこに固形のコンソメを入れれば味付けは十分となる。

軽く煮だってきたらメインの角煮を入れて更に5分煮て出来上がり。

本来であれば、事前に家で一度作ってみれば良いのだろうが、まぁぶっつけ本番料理であること自体、山ならではの楽しみでもある。
さてお味は如何に(笑)。

いやいや驚いた!
これが実に美味かった!
本来は洋風の味付けであるミネストローネとコンソメだが、そこに角煮の中華風味が加わり、絶妙なコラボレーション味となってくれた。

自分で言うのもなんだが、次回のテント泊でも是非作りたいメニューだった(笑)。

腹が減っていれば何でも美味いというが、家ではまず絶対に調理はしない(できない)自分が、登山となると作りたがる。
必要に迫られてそうなるだけだが、とは言え、今回の料理は大成功だった。