ひとり旅への憧憬

気ままに、憧れを自由に。
そしてあるがままに旅の思い出を書いてみたい。
愛する山、そしてちょっとだけサッカーも♪

南八ヶ岳縦走 「文三郎尾根」

2022年12月28日 22時19分21秒 | Weblog
赤岳山頂からは、文三郎尾根ルートで下山を開始した。

開始と共に気付いたことは風をあまり感じなくなってきたことだった。
「ラッキーだね」
「助かりますね」
もちろん慎重に下りなければならないことに変わりはないのだが、気分が幾分楽になったことは確かだった。

「文三郎尾根」
この区間の下山にも苦い思い出がある。
何故か苦く辛い思い出ばかりの様かも知れないが、これはたまたまである。

もう10年ほど前のことで、単独で挑んだ厳冬期赤岳。
山頂からこのルートで下山を開始したが、上から分岐点を見下ろした時とてつもなく嫌な予感がした。
積雪はそれほどでもなかったのだが、明らかにほぼアイスバーン状態であることが見て分かった。
「こりゃぁよほど慎重にかからなきゃ危ない」
言葉にして出さなかったが、そう心の中で呟いたことを今でもはっきりと思えている。


その時の画像で、山頂直下にある分岐点から尾根ルートを見下ろした画像。
一挙手一投足に集中し、慌てず確実にホールドとスタンスを繰り返した。


少し下ったあたりのポイント。
アイスバーンが何ともいやらしい。

幸いにクサリが見えているのでルートを間違うことはなかったが。
この直後のことだった。
覚えているのはクサリをまたいだ時、アイゼンの爪をクサリに引っかけてしまったこと。
何回転したかは覚えていない。
何ら抵抗することができず、前のめりの姿勢で体がぐるぐると回り、為す術無く転落していった。

おそらくは左の赤い矢印に沿って転落したのだと思う。
全くの偶然、全くの幸いだったのは、途中にある岩かクサリにぶつかるかひっかっかて体が停止してくれたことだった。
「ドスーン!」という鈍い音を覚えているので、岩にぶつかったのだろうと思う。
右の矢印方向に落ちて行ってしまっていたらどうなっていたか・・・
考えただけでゾッとする。

慎重に動いたつもりであったが、結果として転落する羽目になってしまったあの時。
アイゼンの爪やピッケルの先端で自分の体を刺してしてしまうこともなく、数カ所の打ち身で済んだのが信じられない。
この区間に来るとどうしてもそのことが頭を過ぎってしまうが、N君には言わずに下山した。



文三郎尾根を下るN君。
今日は雪面が程良く固まっており、爪が良く噛んでくれている。
ゆっくり下りれば問題はないだろう。


阿弥陀岳との分岐点まで下りてきた。
ここまで来れば危険区間は終わったようなもの。
もちろんまだまだ斜度のある下山ルートなので気は抜かないが・・・。

さて、実を言えばこの先の尾根ルート、そして樹林帯の下りが最も体にきつかった。
俗に言う「膝が笑う」って状態になってしまった。
シリセードで下ることも考えたが、それはやめにした。
N君がまだ十分に安全なシリセードを会得していなかったこともあり、自分一人でそれをやってしまうことはやめた方がよいと判断した。

急斜面の下りでの踏ん張りがきつい。
大腿部で踏ん張る筋力の「脆さ」を感じている。
樹林帯に入れば斜度は徐々に緩くなってくるから、なんとかそれまで頑張らねばなるまい。
歳を感じた瞬間だった。


ここまで来れば行者小屋までもう少しだ。
もう少しで休憩が取れる。
そこで最後の休憩をしてテン場へ帰ろう。

テン場に着いたのは16時少し前だった。
夕食は各自で作って食べることになっていたので、それまで仮眠することにした。
アイゼンを外し、アルパインブーツを脱いだ。
ほぼ11時間近く履きっぱなしだったこともあり、開放感に浸った。

18時を過ぎ夕食を作り始めた。
今夜は簡単にレトルトカレーなのだが、思わぬ事になってしまった。
カレーとご飯が温かかった(熱かった)のは、食べ始めのほんの数分だけで、あっという間に冷めてしまい、結構冷たいカレーライスを食べることになってしまった。
それでもかなりの空腹だったので美味かったのは事実だ。

食後に珈琲を飲みながらN君と明日の下山について確認した。
夜は爆睡だったなぁ(笑)。

三日目、下山当日の朝は5時起床。
昨夜に内にできる限り下山の準備をしておいたので軽く朝食を済ませれば後は楽だ。
・・・と思っていたのだが、なんと! 朝食時に使用する予定だった水が完全に凍っており、大きな氷の固まりとなってしまっていた。
これには少し焦った。
準備万端で眠りに就いたと思っていたが、ついうっかり水の入ったサーモフレックスパックをテントの中に出したままにしてしまっていたのだ。
冬期においては、水の凍結を防ぐために何重にも衣類などでくるみ、できればシュラフの中に入れ体温で温めておくのが常識。
それを忘れてしまっていたのだ。
小屋に行けば水はいくらでももらえるのだが、時刻はまだ早朝5時。
開いてはいない。
さてどうしたものかと・・・

下山用の行動水が2.5リットルある。
それを使うことにした。
万が一を考えてやや多めに準備しておいたことで助かった。


スライス状の餅を茹でてお汁粉の準備。
残ったお湯で珈琲を飲んだ。
あまり美味しくはない珈琲だったが、体は暖まる。

テント撤去終了。
7時に予定通り下山を開始した。


鉱泉小屋を出発。
美濃戸口までは3時間もあれば着くだろう。

「下山したら風呂に入りたいね」
「お昼には何か美味い物が食べたいですね」
そんな会話をしながら美濃戸口を目指した。


美濃戸口の手前。
駐車場まであと5分だ。


あと何回あの山を登れることができるだろうか・・・。
体力や持久力を考えればそう回数はないだろう。
いや、せめて赤岳だけでも冬期に登りたいと考えている。

大自然の雄大さを肌で感じ、そして愛でるのは、やはり冬なのだといつも思う。
人は少なく、リスクの高い冬期縦走。
天候や積雪状態に恵まれ、自分を過信しなければ、山は暖かく迎えてくれると思っている。

南八ヶ岳縦走 「昼食そして赤岳へ」

2022年12月24日 22時58分11秒 | Weblog
赤岳展望荘に着いたのは正午頃だった。
途中の休憩を多く取ったとは言え、ほぼ予定通りで無理のないコースタイムだ。
しかし、どうにも両足の土踏まず辺りに疼きを感じてならなかった。
靴ずれの一歩手前のような感覚であり、このまま縦走を続ければ悪化してしまうことは経験から言って必至であると感じていた。

展望荘の建物を風よけにして腰を下ろした。
先ずはお湯を沸かす準備に取りかかる。


題して「赤岳を前にいざラーメン!」

お湯が沸くまでの間、アルパインブーツとソックスを脱ぎ症状を確認した。
予測していた通り、両土踏まずはピンポイントで皮膚が赤くなっていた。
原因はソックスにあると判断し、皮膚にキネシオテープを三重に貼り付け、予備のソックスに履き替えた。
「これで大丈夫(のはずだ)。もう少しもってくれよ。」

数年前の冬期谷川岳登攀時においても、似たような事が起きた。
あの時の原因がソックスの「へたり」にあったことで、今回もおそらくは同じだろうと思ったのだ。
「まだ大丈夫だろう・・・」と思っても、現場はそう甘くはないということだ。
予備のソックスを入れておいて正解だった。
それにしてもほんの数分素足となっただけで指先の感覚が鈍くなってしまうほどの寒さには参った。
風を遮っているとは言え、体感的にはー20°くらいはあるだろう。
(帰宅したら新しいソックスを買わなければ・・・)

さてやっとのこと昼食にありつける。
この寒さであればメニューは「汁物」に限る。

大盛りカップ麺(醤油味)。
途中の行動食だけではきつかったなぁ(笑)。
風は強いが、好天の雪山山頂付近で食べるラーメンは日本一美味いと感じた。


N君は「リゾッタ」の味付きごはんとスープ。

食後に珈琲を飲んでいると、赤岳から下山してきた方達と出会った。
これから自分たちが進む下山ルートである「文三郎尾根」の状況について聞きてみると、状況はまずまずで積雪はかなりあるとのこと。
ただし西風が強いので、下山となれば体に対し真正面からの向かい風になるので注意してくださいとありがたいアドバイスを頂いた。
自分の予測していた通りの状況であり、ある意味ホッとした。

いざ、主峰「赤岳」へ向け出発!


ここから約一時間をかけ登攀する。
基本は尾根道だが、冬期においては雪とアイスバーンのルートとなっているため、臨機応変なルートファインディングが求められる。

今日最後の厳しい登攀ではあるが、エネルギーを充填したこともあり意欲的に登ることができている。
やはり「飯」は大切だ。(笑)

途中で縦走してきたルートを振り返る。
展望荘が下に見え、横岳と硫黄岳が遥か遠くに望めた。


南八ヶ岳をバックに一枚。
赤岳山頂までもう少しだ。


同じポイントで自分も一枚。

冬期におけるこの縦走ルートが何度目になるのか忘れてしまったが、今度は三十数年ぶりに夏か秋に訪れてみたい思いがした。

風は常に西(右側)から強く吹き付けており、時折体が左へと持って行かれそうにもなった。
アイゼンとピッケルで踏ん張りながらの登攀が続く。


N君が後方から撮ってくれた画像だが、よく見るとピッケルをステイクポジションで用いているのがわかる。
斜度がそれなりに厳しかったこともあり、それで正解だ(と思っている)。


遂に赤岳頂上山荘が視認できる標高まで登ってきた。
嬉しい瞬間でもあり、N君に「ほら、あそこ。もう少しだ!」
「おぉ~遂に来ましたね!」
小屋と山頂方面を示す指標もはっきりと目視できる。
意欲は増すが焦らず登り続けよう。


山頂小屋から見た頂上付近。
他の登山者の姿は見えなかったが、ここからの一歩一歩はN君に譲った。

13時34分、八ヶ岳主峰「赤岳」山頂。
標高2899m、快晴なれど風強し。


しばし360°の風景を眺め感動に浸った。
記念写真を撮り合い、一服した。

ここでも幾つもの思い出がある。
嘗て単独で挑んだ一月下旬の厳冬期。
天候は悪く、風雪とガスで見通しが利かなかった。
デジカメのバッテリー充電は100%でスタートしたはずだったが、せめて何枚か写真だけでもと思いたった5分程度外に出していただけでバッテリーの目盛りは赤になってしまっていた。
あまりの低温のために電圧が落ちてしまったのだ。


極度の疲労困憊でへばってしまった・・・のではなく、一服しながら下山ルートの再確認をしているところ。

テン場には遅くとも16時までに・・・。
できれば15時30分頃に戻れればというのが予定のコースタイムだ。
もうそろそろ出発しなければなるまい。




下山前に登頂のお礼と下山の安全を祈願した。

ここからの文三郎尾根は、最初の30分ほどは少し危険性が高く、慎重に下りなければ転落事故に繋がる区間だ。
そう、過去にやってしまったことがあるからだ。
あの時は雪面ではなく、カッキンカッキンのアイスバーンで覆われた下り斜面だった。
何度来てもそのことを思い出してしまう尾根だ。


南八ヶ岳縦走 「日ノ岳ルンゼを下って昼飯だ!

2022年12月22日 20時19分33秒 | Weblog
日ノ岳手前へと登り切り、ここからは日ノ岳の東側に位置する大ルンゼを一気に下る。

このルンゼは逆方向、即ち赤岳方面から登攀したことが何度かあるが結構きつい登攀だった。
しかも時期が厳冬期だったということもあり、雪質状態はサラサラのパウダースノー気味で、いくらアイゼンの前爪を強く刺しても「ズズー・・・」と空しく後戻りしてしまう。
それだけではない。
ピッケルも同様で、将に「糠に釘」だった。
息を切らせ、厳冬期に大汗をかきながらの辛かった登攀を思い出す。


ルンゼを下り終えてからの画像。
赤いラインが安全に下るルートで、先ずは東側(画像右手)から西へとトラバースし、岩壁に近い位置で左に折れて下る。

今日は積雪状態が良く、それなりに雪も締まってくれている。
これなら初めてのN君でも問題はないだろうと思い、ルンゼ下りを先行してもらった。


西に向かってトラバース開始。
この辺りは安心できるエリアだ。


岩壁に近づいたら南(左)へ折れて一気に(ゆっくり)下る。
それなりに斜度はあるので、アイゼンワークとピッケルワークを正しく行えば大丈夫。
もしトレースがあれば、遠慮無く使わせてもらうことで安全性が高まる。
慌てずマイペースで下ろう。

N君に続き自分がルンゼを下る。
いつも思うことは同じで「やっぱりここは下りに限るなぁ・・・」
と、しみじみ感じながら二十三夜峰へと向かった。


滑落に注意し下る大ルンゼ。
このポイントは体の西側に岩壁があり、強風を遮ってくれている。
距離にして100mあまりだが、ありがたい存在だ。

二十三夜峰の手前でのトラバースポイントに着いた。
ここでは苦い思い出があり、命の危険さを痛切に感じた場所だ。


ちょうど自分が立っているポイントあたりになるだろうか。
嘗てサラサラのパウダースノーがこれでもかと積もっており行く手を阻んでいた。
しかも降雪中であり、トラバースして進みたいが徐々に体は埋もれ、胸近くまで雪の中となってしまった。
何とかしなければと、動けば動くほど体はさらに雪の中へと沈んで行く。
「俺、落ちるのか・・・」
泣きたい思いと焦りだけになり、手詰まり状態に陥ってしまった。
全くの偶然でその日携行していた「アイスバイル」があることを思い出しそれを用いた。
ほぼ氷壁となっていた壁に打ち込み、先ずはセルフビレーを優先した。
体の向きを岩と氷のミックスした壁に変え、所謂ダブルアックスで何とかトラバースに成功した。
あの時は単独縦走だっただけに、本当に何とかしなきゃと泣きたい思いで必死だった。

画像の赤いラインがこれから進む予定のルート。
体のすぐ左手の緑○が「二十三夜峰」であり、ルートの道標的存在となってくれている。
その先の赤○が「赤岳展望荘」であり、現在は休業中だがそこで昼食を食べる予定だ。
小屋が見えた途端、猛烈に腹が減ってきた。(笑)


二十三夜峰を巻くようにして下るN君。
小屋まであと15分もあれば着くかな?


「地蔵の頭」の指標が見えてきた。(赤○)
あのポイントは行者小屋からスタートしている「地蔵尾根ルート」との合流ポイントで、もしコースタイム的に厳しかったり体調不良があれば、迷うことなくそこから下山しなければならない。
うん、今日は問題なし!(今のところ・・・)
縦走を続けよう!


地蔵の頭でほんの一息。
お互いかなり体力も使い、早朝4時頃の朝食だっただけに腹の虫が疼きっぱなしだ。
展望荘はもう目の前だ。

サッカーWC2022が終了

2022年12月19日 22時07分11秒 | Weblog
予測できない試合結果が幾つあっただろうか・・・
それは良い意味でも悪い意味でもあった。

大会前には人権問題や施設設備の建設において、6000人以上もの方々が亡くなられたという信じられない出来事や問題もあったが、それらについては敢えて触れずサッカーそのものだけに的を絞りたい。

ジャイアントキリングについては前に触れたが、ドイツとベルギーが予選落ちということに関しては全く考えてはいなかった。
いや、考える事自体が自分の中ではナンセンスだったと言える。
余談になるが、イタリアが今大会に出場できなかったことも悲しく淋しい限りで、ヨーロッパのサッカーレベルの高さ、即ちヨーロッパにおける予選突破の難しさを物語っていよう・・・

今大会に限らず、自分が楽しみでならなかったチーム(国)は、数十年変わらずヨーロッパの国々だった。
ドイツは言わずもがなで、オランダ、イングランド、クロアチア、セルビア、ベルギーといった各国。
(何故かフランス、スペイン、ポルトガルは、昔からそれほど興味関心がなかった)
それらの国々のサッカーがこの短期間の間に何度も観ることのできる幸せと歓び。
これだからWCはたまらん!

特に楽しませてもらったのはクロアチアとセルビアだった。
理由は唯一つ、旧ユーゴスラビアであったということ。
1990年のWCにおいて一大旋風を巻き起こしたユーゴスラビアチーム。
ピクシーことストイコビッチの創造性溢れるプレーには心底魅せられた。
今でも忘れられない一つのプレー(シュート)がある。
敵ゴールマウスの前で味方からの短く高いクロスボールが彼の足元に落ちてくる。
当然ピッチ上の誰もがダイレクトボレーで打ってくると考える。
敵味方関係なく、アナウンサーまでもが「来る!」と予測していた。
それがどうだ、彼はシュートを打たず、瞬間ボールをトラップしピッチ上で止めたのだ。
「何やってるんだよ!」と言いかけたその時、敵キーパーは全くの予想外のトラップにかかり横っ飛び。
ゴールマウスは「どうぞお好きなところにシュートを打ってください」と言わんばかりの状態。
そして余裕綽々でシュート・・・GOAL!!!

暫し口を開けたまま放心状態だった。
なんであんなことができるんだ。
なんであんなことを瞬時に考えることができるんだ。
将に鳥肌が立つ思いだった。

更にもう一つ。
ユーゴスラビアチームの特徴の一つだと思えるトラップの巧さがあった。
受け難いパスボールに対して、軽々とやってのけるトラップ。
まるで彼等の脚には衝撃吸収剤が埋め込まれているんじゃないかとさへ思ってしまった。

その後のことは誰もが知っての通り、内戦の勃発により国は分裂し、WCそのものへの参加もできなくなってしまった。
しかし、今回改めてクロアチアとセルビアのサッカーを観させてもらい思ったことがある。
やはり血は受け継がれている・・・と。
それだけに予選グループで日本とドイツが一緒になり、トーナメントでいきなり日本対クロアチアとなってしまった事においては正直辛かった。

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さて、我らが日本について少し触れておかねばなるまい。
あくまでも個人的見解なので、その点は御了承いただきたい。

強豪国を相手にする時どうやって戦うか・・・。
先ずは引いて粘って粘って粘り強く守り、カウンターで一気に攻め上がりチャンスをものにする。
実際に対ドイツやスペイン戦がそうだった。
それが日本のまぎれもない現状だろう。
はなからまともに打ち合いをやって勝てるだけの力はまだ・・・ない。

そう言えば、某辛口サッカーコメンテーターがこんなことを言っていた。
「ドイツやスペインを相手に戦うんじゃ、守ってカウンターしかないんじゃないですか。それしか方法はないでしょうね」と。
そしてその通りの結果が出たらこんなことを言っていた。
「こんな勝ち方しかできないんじゃ進歩はないですよ」
「それっておかしんじゃない」と思ったのは自分だけではないはずだ。
現在の力がそれなのだからそれでいいんじゃないの。
進歩は次のWCに向けての四年間じゃないの。

今後の課題は、サッカー協会や強化委員会の方々が今大会の「総括」を基にどうすべきかを考え実行に移すだろう。
強いて自分が素人なりに考えていることは、「個」のレベルアップだろうか。
ある意味、幸いにして今の若い選手達は「ドーハの悲劇」を知らない。
あの悲劇はあくまでも過去の歴史の出来事であって、目の当たりにしたわけではない。
若い選手達にはそれがいい意味で教訓としてのみ語り継がれている。
だからメンタルに「悲劇」として影響を及ぼすことはない。
教訓として心に焼き付け海外のチーム(特にヨーロッパ)へ移籍し、テクニックに優れ体のでかい奴らを相手し己を磨く。
これから先もっと多くの若い芽が育ち、海外のチームでしか得られないものを習得して欲しい。
(そのためにはやはりJリーグのレベルアップだろう・・・)
世界中から集まってくる強豪選手達と日々戦い競い合い、リスペクトし過ぎることなく、臆することなく、強豪選手と戦うことがごく当たり前になって、その上でWCでも戦える選手がもっと輩出してくることを望んでいる。
そして日本代表チームに欠かせない存在となって欲しい。

もう一つ監督について。
監督が外国人が良いのか日本人が良いのか意見は分かれている。
自分もどちらが良いのか分からない。
何故なら一長一短だし、決定的なことは何もない様な気がしてならない。
強いて一つだけ言いたいのは「日本人監督だからこそのメリット」だ。

よく言われているのがコミュニケーションの重要性である。
それを自分なりに考えるなら「言葉の持つ強さと本当の意味」ということ。
「強さ」とは、感情の様なもので、例えばある言葉を大声で怒鳴るように言えば監督が怒っていると感じるだろう。
しかし、そこは日本人同士。
怒鳴っているだけではなく、どんな思いで言っているのか、心底にある積み重ねてきた何らかの思いがあるのではないかということが見え隠れし、ただ怒鳴られているだけではないという思いが生まれてくる・・・のではないか。
長い合宿生活における日々の中で培われてきた、日本人同士のコミュニケーションだからこそ分かるものがあるのではないだろうか。

「本当の意味」とは。
例えば英語で自分のことを “I・My・Me” と言うが、それを訳せば「私、わたくし、あたし、自分、僕、俺、我が輩、儂、拙者、それがし」などと幾つにもなる。(さすがに「拙者・それがし」は無いか・・・笑)
外国人の監督が「自分はこう思う」と言い、それを通訳の方が訳す。
果たしてどう訳すのか、「私」なのか「僕」なのか、それとも「俺」なのか・・・。

つまり、日本語には一つの同じ意味を表す言葉が幾つも存在していると言うことで、更には類義語までもが多く存在している。
どの言葉を用い、どんな感情で言うのか、そしてその言葉をどう受け止めるのかはやはり日本人同士でなければどこかにズレが生じてくるのではないかと考えている。
一つの言葉や単語が持っている伝えたい思い。
それは思いだけに留まらず、感情であり重さであり、願いでもあると思う。
それらを真にわかり合えるのは日本人同士なのではないだろうか。

最後にもう一つだけ。
「おい、メディア! いい加減にしろ!!」
と、4年前のWC時にも言ったが、今回も「またか・・・」という悲しい思いにさせられた。

どの番組かまでは言わないが、第一戦の対ドイツ戦に勝利し、日本中が「勝った勝った!」で浮かれている時だった。
タイトルは、なんと!
「もっと言いたいあの感動を!」だった。

視聴率を上げたいのは分かるが、何を今更だ。
明日は第二戦のコスタリカ戦だっていうこの時に、なにがもっと言いたいだ!
しかもそれを言うのは、元代表選手のそうそうたるメンバーだ。
(おそらくは彼等だって本音ではそうは思ってはいないはずだと信じたい)
「もっと言いたい」ではなく、TV局が「言わせたい」だけなのだろう。

「おい、もう明日だぞ。なんでこんな低俗な内容なんだ。」
呆れかえるよりも悲しくさへなってきた。
本気で日本サッカーを盛り上げ、レベルアップを願うのなら頼むからやめて欲しい。
メディアの責任て、結構重いんだぞ!

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今回の大会で、目標であるベスト8には届かなかった。
ドイツに勝利し、スペインまでも破った日本代表。
素晴らしい戦いであった。
感動した。
だが、目標を達成したわけではない。
次のWCまであと三年半しかない。

もう一歩、もう一段階上へ登る為の戦い(闘い)はもう始まっている。
自分には応援することしかできない。
祈ることしかできない。

だから、愛してるぜ日本代表!