ひとり旅への憧憬

気ままに、憧れを自由に。
そしてあるがままに旅の思い出を書いてみたい。
愛する山、そしてちょっとだけサッカーも♪

紅葉と岩稜:HOPE

2016年11月28日 20時20分22秒 | Weblog
今年の夏前に若いスタッフが一人増えた。
登山経験はまだまだ浅いが、仕事のみならずプライベートでのテント泊や雪山登山に夢を抱いている。
特に雪山登山への憧れは人一倍強く、「こりゃぁいい若者が来てくれた。今年の冬が楽しみになりそうだ(笑)」と、一人でニヤニヤしていた。

夏が過ぎ、恒例の秋のテント泊をどこにしようかと考えていたが、ふと「彼も一緒に連れて行ってみたい。」と思い誘ってみた。
「是非お願いします!」と即答。
「何処か行ってみたいところってある?」と聞いたが、まだよくわからないらしい。
自分が幾つか候補地を挙げてみたところ、その一つである「ジャンダルムに登ってみたいです」と言ってきた。
う~ん、ジャンかぁ・・・。
正直言ってまだ彼の実力がどの程度のものが計り知れていない。
わかっていることは体力と運動神経は問題ないということ。
そこで高所恐怖症について確認したところそれも大丈夫。
「そればらば」となり、二人でジャンダルム行きが決定した。

涸沢をBCとし、テントで2泊が基本。
二日目をジャンダルムアタックとするが、台風の影響がどの程度までになってしまうかが不透明だった。
無理であれば北穂高岳でもOKという承諾を得て、10月2日の夜に沢渡を目指し出発した。

学生時代を松本で過ごした彼がいたことで、松本市内の通過は非常に楽だった。
機械のナビに頼らず、人間ナビでスムーズに通過し、予定よりも早く沢渡へと到着。
おかげで3時間以上車の中で仮眠をすることができた。

早朝の沢渡バスターミナル。
平日ということもあり、駐車場はガラ~ンとしたもので、上高地へと向かうバスもかなり空いていた。

ややウトウトしながらだったが、大正池あたりでやっと目が覚めてくれた。

湖面にもやがかかり、その先には吊り尾根が見えた。
今日の天気はやがて雨の予報。
果たしてどのあたりまで持ってくれるか心配だったが、せめてテント設営時まで降ってほしくはないのが本音だ。


上高地バスターミナル。

秋にここを訪れるのは何年振りのことだろうか。
紅葉の涸沢に行きたくても、教員時代の頃は休日を利用するしかなく、とてつもない混雑だったことを覚えている。

7:05に上高地をスタートした。
まだそれほど空腹でなかったこともあり、朝食は途中の徳澤園あたりで食べることにした。


はい、おきまりの場所でおきまりの写真を一枚。

吊り尾根方面を指差しながら、「あれが奥穂であそこがジャン。明日はあそこまで登るよ。」と言うと、少々ビビっているようだった(笑)。
「大丈夫、俺がいるんだから」
などと、いかにも「ベテランに任せとけ!」的なことを言ってしまった。
まぁそれで彼の不安が解消しれくれれば良し。


樹林帯の中を進む。
途中猿の群れとすれ違いながらのんびりと歩いた。
この時期ともなればさすがに高山植物(花)は淋しいものだが、それよりも涸沢の紅葉が楽しみだ。

徳澤園で朝食を兼ねて小休止とした。
「帰りにはここで絶対ソフトクリーム食べよう」
と約束をし、横尾を目指した。

いつ雨が降ってきてもおかしくはない空模様だった。
「こりゃぁ涸沢まではもたないかも・・・」
雨天時でのテント設営や撤収は何度経験してもいいものではない。
だが今日は二人だ。
テントはそれぞれだが、二人で一つのテントを設営すればかなり時間のロスも少ないし、スムーズにできるだろう。

横尾で休憩していると、ついにポツリポツリときてしまった。
まだレインウェアを着る程ではなかったが、この後どのくらいまで強くなってしまうかが心配だった。



「どうかこれ以上雨が強くなりませんように」と祈りつつ、HOPEと一緒に「本谷橋」に向け出発した。

今年の劔岳は・・・:ひとり旅のような登山

2016年11月24日 21時32分22秒 | Weblog
外孫に当たるYさんに丁重に御礼を言い、長治郎さんの眠る墓所へと向かった。

暑い・・・。
歩いて僅か6~7分程度の距離しかないのだが、汗が止めどなく流れ落ちる。
「水分補給しなきゃなぁ」と思いつつも、自販機を見かけることはなかった。
だが、それよりも墓所へ行くことの方が気持ちの中では遙かに優先していた。

共同墓地に着いた。
地図を頼りに奥へと進んだ。
「宮本金作」氏のお墓はすぐに見つけることができた。
そしてその二つ隣には「先祖 宇治長治郎」の文字が彫られた墓石が・・・。
「やっとここに着くことができたか・・・」
言葉は出なかった。
ただ静かに佇んで両手を合わせ、祈るように自分の思いを、感謝の想いを伝えた。
飾る言葉はいらない。
シンプルに、そして無骨なまでに淡々と今までの想いを伝えた。

失礼とは思ったが、写真も撮らせて頂いた。

あくまでも個人の墓所であるので、トリミングしたものを掲載する。

ここから再び千垣駅まで歩いて戻らなければならない。
体が干からびそうな程水分が失われている様な気がする。
それでも気持ちだけは清々しさで満ちあふれていた。

橋を渡ると道路沿いにガソリンスタンドがあったことを思い出した。
「あの店なら自販機はあるだろう。あってほしい。」
店に入り、ジュースだけを買いたいことを伝えると、不思議そうな顔をされた。
「これから立山ですか?」
「いえ、昨日劔から下山してきたんです。今日はちょっと駅の近くまでお墓参りに行ってきました。」
「ひょっとして宇治さん?」
さすが地元である。
たったそれだけの会話で分かってしまうのだ。

墓参りの理由を聞かれた。
「よほどなんですねぇ、そうでなきゃわざわざ・・・ねぇ。」
ちょっと照れながら笑って「はい」とは言ったが、自分にしてみれば神様のような存在と言っても過言ではない。

喉も潤い復活!
千垣駅目指して出発した。


無人駅である千垣駅。
冬になればこの辺り一帯も雪に埋もれることだろう。
雪景色が絵になりそうな駅に思えた。


鉄道会社の方が電話で事故対応のやりとりをしている。


単線、無人駅、ローカル線。
いいねぇ(しみじみ)
久しぶりにひとり旅に出てみたくなる衝動に駆られた。

30分程待ち、富山行きの列車に乗った。
車内はあまりにも快適すぎて、富山駅まで眠ってしまった。

翌日は富山から大宮まで初の北陸新幹線となった。


自分と同じでかいザックを背負った登山者が何名かホームにいた。
座席に落ち着くと、ふと今回の劔岳登山を思い返すことがあった。
夜行バスでの到着直前のアクシデント。
玉殿の洞窟。
数年振りの別山ルートでの往復。
台風の合間をぬうような好天。
青年との出会い。
踏切事故。
そして長治郎さんのお孫さん、お墓参り。

北方稜線ルートに挑戦できなかったことは、今こうして思い出としてブログに綴っていても、少しは悔しさが残っている。
だが、今回の登山は「ただ登ってきた」だけに終わらない、まるでひとり旅のようだった。

今日は11月24日。
関東の平野部でも降雪があり、50数年振りのことらしい。
今年の冬は積もるかな・・・。
そうなってくれれば、来年の夏は確実に雪渓を利用して北方稜線に挑戦できる。

今年の劔岳は・・・:お孫さんとの出会い

2016年11月12日 22時22分35秒 | Weblog
北方稜線縦走の計画を立てたのが、実を言えばもう3年前になる。
バリエーションルートでの劔岳単独登頂を目指すにあたり、徐々にバリエーションルートの難易度を上げ、その仕上げ的な意味で北方稜線を選んだ。
またこの3年の間、相も変わらずDVDで「劔岳・点の記」を十数回は観た。
小説も数回読んだ。
そうしている内に、自分の中でふとある想いが芽生え始めてきた。
「長治郎さんにお礼を言わなきゃなぁ・・・」

これほどまでに劔岳を好きにさせてくれた、その感謝の想いを伝えたかった。
「伝えなければならない」とまで思うようになってきた。
映画や小説でしか知らない先人達の命懸けの苦労があって、現代に生きる自分は登山を楽しんでいる。
こんなにも劔岳を好きにさせてくれた「宇治長治郎さん」に、せめて一言感謝の言葉を言いたかったのだ。

去年の秋のことだった。
宇治長治郎さんの墓所をネットや書籍で探していたのだが、ある程度のポイントまでは絞ることができた。
しかし、そこから先が全く不明であり、お手上げ状態となってしまった。
「あれだけ有名な人でも無理なのか・・・」
半ば諦めかけてはいたが、ひょっとしてと思い墓所の近くにある「立山博物館」に連絡を取ってみた。
するとそこの学芸員である方が教えてくださったのだ。
将に感謝、ひたすら感謝であった。
ただ「有名な人ですけど、一般の方のお墓ですから、関係の方に一言おことわりを言っておいた方がよいかもしれませんね。」と言われた。
もっともである。
学芸員の方からは、長治郎さんの外孫に当たる方がすぐ近くに住んでいることや、そのお孫さんの名前も教えていただいた。
ここまで教えていただければ、後はすべて自分でなんとかできよう。

つい一昨日のことになる。
室堂に到着してから、長治郎さんの外孫に当たる方の家に電話を入れ、事情を説明し、お墓参りの許可を頂いた。
だが、実際の墓所については内孫に当たる方が地主であるため、その方に連絡を取った方がよいのではないかと言われた。
名前と電話番号を教えていただき、早速「宇治Tさん」に電話をした。
少々緊張した。
Tさんにとって自分は全くの赤の他人であり、ただの山好きな他人がなんで・・・。
そう思われても当たり前だろう。
ところがいざ話しをしてみると、かえって恐縮されてしまったではないか。
「わざわざ栃木からありがとうございます。長治郎もきっと喜ぶと思います」
そんなことを言ってくださった。
これで安心して御礼を言うことができる。



有峰口駅からYさん宅(店)までは、歩いて5分程だった。
店はすぐに見つけることができ、中に入った。
それらしきご老人が出てきてくださった。
先ずは自己紹介を・・・と思ったのだが、自分の名前を言う前に自分の格好を見るやいなや「一昨日電話で話した人ですか?」と聞かれてしまった。

「ありがたいですねぇ。こんなところまで来てくださって。長治郎さんもきっと喜んでいます。」
そう言いながら広い共同墓地の地図を書いて下さり、具体的な場所まで教えて下さった。
「二つとなりには、あの時一緒だった案内人の宮本金作さんのお墓がありますよ。」と教えて下さった。

丁重に御礼を言い店を出た。
ここから墓所までは歩いて7~8分だろう。
ダラダラと流れ出る汗を拭い、墓所を目指した。

今年の劔岳は・・・:そして有峰口へ

2016年11月10日 02時11分16秒 | Weblog
室堂に近かったこともあり、翌朝は8時過ぎにミクリガ温泉を出発した。
この日も天候はまずまずで、8月下旬とは言え暑くなりそうだった。

室堂ターミナルでお土産を購入し、美女平行きのバスに乗車した。
車窓からは雲にかかった劔岳を垣間見ることができた。
「北方稜線縦走かぁ・・・」
ふと淋しさと悔しさがこみ上げてくるが、それでも今日は特別な日になりそうだった。


美女平駅からケーブルカーに乗り立山駅まで行く。
そこからは富山地方鉄道に乗り換えて二駅目の「有峰口駅」で下車の予定だったのだが・・・。

「エアコンの効いた車内は快適だなぁ」などとお気軽ムードだったのだが、立山駅を出発してすぐ車内放送があった。
なんと、一駅目の「本宮駅」の手前で踏切事故があったというのだ。
トラックが踏切内で横転し通行止め状態だとのこと。
30分近く電車は停車したままとなり、やむなく立山駅まで引き返すはめとなった。
「事故じゃしかたないけど、今日の予定が・・・」
とは言え、起きてしまった以上は文句を言おうが何も解決はしない。
こんな時、人それぞれの性格(人間性)が出てしまうものだ。
駅に戻るやいなや、鉄道会社の人たちにくってかかり「金を返せ!」とか「○○時までに富山まで連れて行け!」とか大声で怒鳴りちらしている人たちがいた。
気持ちは分からないでもないが、怒鳴っても何も解決はしないだろう。
何とかしなければならないことを一番分かっているのは鉄道会社の人たちだ。

自分としても焦っていなかったわけではないが、「おそらくはバスによる代行輸送になるんじゃないかな」なんてポジティブに考えていた。
考えていたら本当にそうなった(笑)。
バスが来るまでに少し時間があったため、休憩室で珈琲を飲んで過ごした。

しばらくして案内があり路線に影響のない「千垣駅」までバスで移動するとのこと。
千垣駅からは鉄道が動いているのでそこから富山方面へ行けるというのだが、ちょっと待ってくれ、自分が降りたい駅は有峰口駅であって、千垣は有峰口の一つ先になってしまうじゃないか。
じゃぁ一駅分歩いて戻れってこと?
このでかく重いザックを背負い、疲れた体で、しかもこの暑さの中を歩いて戻れってこと?
冗談じゃないよ!
そう思い、関係の方に事情を説明したがどうにうもならないらしい。
そこで、千垣駅から有峰口駅までは歩いてどれくらいかかるかを聞いた。
「そうですね、20分くらいでしょうか」と言う返事。
へっ、20分。たった20分なの?
ちょっと拍子抜けするほどの僅かな時間であったこともあり、「なら大丈夫です。歩いて戻ります」と答えた。
疲れているとはいえ、たったの20分。
登山と比べれば散歩のようなものだ。楽勝楽勝♪

公共交通機関などが突発的な事故などにより交通網が遮断されてしまった場合、そこにはそれぞれの目的とそれぞれの事情を持った不特定多数の利用者たちがいて、そのすべての人たちの事情を個別に解決できる策は絶対にあり得ない。
だから怒鳴っても怒っても無駄なのだ。
自分の場合、今回に限っては時間にゆとりもあり、ましてや20程度の徒歩で問題が解決できる。
他の大勢の人たちの事情は分からないが、「あ~怒鳴らなくて良かった」と思いながらも、怒鳴ってしまいそうだった自分を恥じた。

バスに揺られ千垣駅に到着した。
駅には鉄道会社の方がおり、携帯電話で会社の本部と連絡をとっていた。
その方に有峰口駅までのルートを確認してから歩き始めた。

アスファルトの道は照り返しが強く、すぐに大汗をかき始めた。
だが、一歩一歩の「歩」と共に、少しずつ胸にこみ上げてくる静かに湧き上がる想いがあった。
「もうすぐだ。もうすぐだ・・・。」
額から流れ出る汗は、頬を伝いやがてあごからアスファルトの道へとしたたり落ちて行く。
「もうすぐだ。もうすぐ会える。」
不思議な感情だった。
それは高校や大学時代に感じた覚えのある、懐かしくも若さ溢れる感情に似ていた。


道路から右に逸れ、橋を渡った。
おそらくは有峰口駅であろうと思える場所には列車が停車していた。
そしてよく見てみれば、そのすぐ近くにはこれから向かう目的地も見えていた。
「たぶんあそこだろう・・・」
しばし橋の上で佇み、その場所を見つめた。
事前に十分に下調べを済ませており、自信はあった。


ここが有峰口駅。

ローカル線の小さな駅だが、趣のある駅舎だった。
嘗て、駅舎のある風景の写真を撮るためだけに出かけた山陽本線「神代駅」や愛媛の「下灘駅」を思い出させてくれた。
記念の切符を買いたかったのだが、駅員は不在で・・・と言うより無人駅だった。

「さて、先ずは一言挨拶を言わなきゃ」
駅からすぐの所にあるであろう、とある店を探しに行く。
その店も事前にネットで調べてある。
ご本人が不在でなければいいのだが・・・。

学生時代に感じたあの感情は、緊張感へと変わりつつあった。




今年の劔岳は・・・名残惜しきかな

2016年11月05日 00時24分12秒 | Weblog
初めて劔に登り、初めてカニのヨコバイを通過した時と比べれば、ペンキによる目印や注意書きは明らかに増えている。
後ろ向きの姿勢のままで右足を下ろし、その右足だけで見えないスタンスポイントを足探りするのだが、ご丁寧なことにスタンスポイントとなっている岩の窪みは、その周囲を赤いペンキでなぞられていた。
「なにもここまでしなくても・・・」
とも思ったが、これも滑落事故を少なくするための配慮であることは確かだ。
それと同時に、山を、劔を甘く見すぎている登山者が多いということなのだろう。
ろくに下調べもせず、「何とかなるだろう」程度の輩は嫌という程見てきている。
事故は少しでも減って欲しいが、自分を中級レベルだと勘違いしている登山者も減って欲しいものだ。


カニのヨコバイを通過。


やはり何度通ってもあの時の膝の負傷のことが脳裏を掠めてしまう。


ハシゴを下り平蔵の頭を登る。
もう少し下山してしまうと、劔の本峰は姿を隠してしまう。
本峰をバックに最後の記念写真を撮り合った。

一服劔で休憩を取り、剣山荘へ立ち寄った。
彼はここで昼食を摂ってから下山するとのこと。
名残惜しくはあるが、彼とはここで別れた。
ガッチリと握手をし、「また何処かの山で会うかもしれませんね。そして是非もう一度劔に登ってください。この山は本当にいい山ですよ。登る度にいろんなことを教えてくれるし、挑戦状を叩き付けてきますから。じゃぁお元気で!」
確かこんな事を彼に言って別れた。

劔沢小屋に着き、軽く昼食を食べ荷物の整理を済ませた。
帰り際に新平さんをはじめとし、スタッフの方々に御礼を言って小屋を出発した。

いつもであればここにもう一泊してから下山するのだが、今年は下山後の予定があり、今夜の宿は「ミクリガ池温泉」となっている。
明日はできるだけ早い時間帯に富山側へと下山しなければならないためである。
自分にとっては特別な思いの詰まった予定なのだ。


別山乗越の手前でふり返った。
「いい出会いだったなぁ・・・」
北方稜線は叶わなかったが、しみじみと嬉しさがこみ上げてくる出会いだった。

15時40分、ミクリガ池に到着した。
ちょっとだけ通り越して、劔をバックに宿の写真を撮った。
例年であれば、ここの売店で必ずソフトクリームを食べるのだが、今日は風呂に入ってから食べることにした。

夕食まではまだかなり時間があった。
荷物の整理をし、タオルと着替えを持って「さぁ風呂じゃぁ!」
広い湯船の中で思い切り足を伸ばした。
硫黄の香りが温泉気分を盛り上げてくれている。
髭も剃りさっぱり。
となれば、これしかない。
湯上がりのソフトクリームの味は格別だった(笑)
そしてついでに缶ビールも一気のみだった。

ゆっくりと一日をふり返る。
「一人だったからこその出会いなんだろうなぁ。いい青年だったなぁ。」
そう思いながらも、明日の予定に心は躍っていた。

今年の劔岳は・・・:試練と憧れ

2016年11月02日 23時42分08秒 | Weblog
初めて劔岳を登る人にとっては、この山は将に「試練」であると思う。
「登りたい」「登ってみたい」という憧れはあれど、そう容易くはないのが劔岳だ。

彼は、今将にその試練の真っ只中にいる。
タテバイの下から見上げながら「大丈夫。行ける。登れる。もうちょっと」と、幾たびと心の中で叫んだ。
そしてみごとカニのタテバイを登り切った。
あれだけの重いザックを背負ったままで「よくぞ!」という思いだった。

さて、今度は自分の番となった。
特に緊張も焦りもなかったが、登りながら「これで何度目なのかなぁ」と思い起こしてはみたがハッキリとは分からなかった。

タテバイの核心部に入った。


股関節がもう少し柔らかければもっと楽に登れるのだが・・・


核心部クリアまでもう一歩


何度クリアしてもここは充実感で一杯

「いやぁーさすがですね!」
と言われたが、「いつかまたもう一度ここを登る時はもっと気持ちが楽になっているから、スムーズに通過できるはずですよ」と答えた。

早月尾根との分岐点あたりまで来ると、日本海(富山湾)が更に一望できるようになった。

空が青い、海が碧い、そして太陽がことのほか眩しい。
山頂まではもうほんのひと登りだ。
「ほら、あそこに見えるのが山頂の祠です。もうちょっとですよ。」
彼の目が尚のこと生き生きとしてきた。

8時42分、劔岳登頂!!!
往路の所要時間、途中休憩を含めて3時間10分ってところだろうか。
実質2時間30分というタイムはそう悪くはない・・・かな(笑)。

山頂では行動食を食べ、40分程休憩をとった。
360°絶景の北アルプスは、何度見てもため息が出る思いだった。
彼にも十分堪能してもらい、そろそろ下山とした。


下山前に一緒に記念撮影。

祠の裏手には明治40年に測量隊が登頂した時、修験者の錫杖の先端部が発見されたとする跡地がある。
もっともこの跡地には諸説あるようだが、自分が聞いた話ではこの窪地ではないかということだ。

「こんど劔岳のDVDを観てみますね」と彼が言った。

「さぁて、てっぺんの感動はここまでですよ。ここからすぐカニのヨコバイが待っていますから気持ちを引き締め直しましょう。」

憧れは半ば憧れではなくなったが、再びの試練が彼を待っている。