ひとり旅への憧憬

気ままに、憧れを自由に。
そしてあるがままに旅の思い出を書いてみたい。
愛する山、そしてちょっとだけサッカーも♪

雪山への序章:暗闇の中で・・・

2013年01月29日 22時42分55秒 | Weblog
たった一枚のチョコレートを食べただけだというのに、この活力感は不思議としか言いようがなかった。
糖分が即効性を有していることは知っていたが、これほどまでとは・・・。
山において初めてシャリバテによる危機感を覚えたことにより、初めて知った糖分の即効性だった。

時刻は5時を過ぎてしまっていた。
三つのヘッドランプだけが暗闇の中に浮かぶ唯一の灯りだ。
つい10分ほど前までは返事もすることができないほどうつむいたままの自分は何処へやら・・・。
仲間と会話をしながらの下山となっている。
こうなれば俺もいい加減なもので、「あぁしょっぱい物が食べたい!」とか何とか言って、迷惑と心配をかけておきながらわがまま放題だ。


「いやぁこんな経験なかなかできないし、結構楽しいかも♪」
などと優しい言葉をいただいた。
本当に申し訳ない。
そして情けない。


下山途中で休憩を入れた。
その時にOさんからの差し入れで頂いたせんべいの実に美味かったこと!
空腹、大量の発汗、そして日本人であるからこその美味さだった。

ゴンドラリフトの駅まで来れば後はしめたもの。
ゲレンデのコースに沿って下ればそのままゴールとなる。
レストハウスの灯りも見えている。

19時15分。
無事、何とか無事下山することができた。
午前中の長すぎた休憩や道迷いのロスを差し引けば、本来であれば16時頃には下山しているはずだった。
一年前に登頂できなかったことへのリベンジもあったが、初級冬山コースであるはずの安達太良山はある意味「鬼門」となってしまった。
もちろんその「鬼門」を作り出したのは他ならぬ自分たちだ。
シャリバテは自分だけが原因だが、地図を無視しての何の根拠もない勝手な思い込みによる雪山のルートファインデングがどれほど恐ろしいかを、みんなが戒めとして強く心に刻まねばならない。

雪山への序章:チョコレート

2013年01月25日 19時35分40秒 | Weblog
一つ手前の尾根が視界に入っている。
そしてかなり薄暗い銀世界の中に標識らしき十字の杭が見えた。
そこまでの距離はわずかに30メートルほどだった様な記憶がある。
標識は見えてはいるのだが、その30メートルが300メートルもあるように思えてならなかった。

足が上がらない・・・。
スノーシューが重くて仕方がない・・・。
引きずるようにして数10㎝ほどずつやっと前へとずらし歩き出す。
下山ルートを見つけたことへの安心感は確かにあったのだが、その喜びを声に出し、表情で訴えることすらできずにいた。
完全にバテていた。
登山で言うところの「シャリバテ」であることは明白な事実。
自覚もあった。

「シャリバテ」とは、シャリ(ごはんなどの食物=カロリー)が不足してバテてしまうことを言う。
栄養学的に言えば「低血糖症」のことであり、それによりへろへろになって動けなくなってしまうのだ。

標識を発見してくれた仲間への感謝の言葉さえ言えなかった。
申し訳ないと感じつつも、口から一切の言葉を発することができないほどへろへろになってしまっていた。
標識のすぐそばにあった岩の上に腰を下ろした。
「大丈夫?」の声に、僅かに腕を上げて応えた。

岩に座り、うなだれながらもあることを思い出していた。
以前読んだ山の雑誌に掲載されていたコラムの内容だった。
嘗て三浦雄一郎氏が雪山において自分と同じようなシャリバテに陥ってしまった時、ポケットの中にしまっておいた「あめ玉」を数個舐めた。
そしてそれにより、一時的ではあるが体調を取り戻し再び歩き出すことができたというもの。

(「甘い物・・・そうか、チョコレートがあったっけ・・・。」)
ゆっくりと手を動かし、行動食用の小型ポーチの中からチョコレートを取り出した。
甘さとハイカロリーだけを重視し、山用にと購入した外国製のチョコレートだ。
寒さでかなり固くなっている。
口に入れてかじったが、なかなか割れてくれない。
少し舐めてからかじり割り、口の中で溶かしながら飲み込んだ。
とんでもない甘さのチョコレートだ。
普段だったら絶対に買うことはないだろう。

一口、そしてもう一口。
半分ほど食べ終えた頃だったろうか。
自分の体に驚くべき変化を感じ始めた。
体の奥深くから徐々に漲る活力のようなものをはっきりと感じ取ることができた。
まるでユンケル10本を一気飲みしたかのような感覚だ。
(実際にやったことはないが・・・)

うなだれていた首が真正面を向くことができる。
「あっ、すごい」と、声に出すことができる。
ザックを開け、ボトルに入った水を飲むことができる。
つまり、それだけ体を動かすゆとりが出始めたのだ。
嘘のような本当の話だ。

今までにも何度かごく軽いシャリバテになったことはあるが、特に甘い物ではなく、何らかの行動食を口に入れ事なきを得ていた。
だが、これほどの低血糖症に陥ったのは初めてだった。
三浦氏のコラムを読んだ時はにわかに信じられなかったが、自分で体験してみてこれほど速攻で効果が得られようとは・・・。
今思い返しても驚愕の事実だ。(もちろんそうなる前に何らかの手だてをこうじるべきなのだが・・・)

仲間には心配をかけてしまったが、下山ルートも分かり体もOK!
ヘッドランプを灯し、尾根道を下り始めた。

雪山への序章:過信

2013年01月21日 23時28分55秒 | Weblog
くろがね小屋を経由して安達太良山へと登り、スキー場方面へと下るには、PEAKから一端北に向かって下り、途中から東へと緩やかに下って行く。

自分たちがとった行動は、北へとは下らず頂から直接東方面へと向かって下っていった。
「確かこっちの方角だ」
という極めて曖昧で、己の記憶を過信した判断だった。

東方面にもルートはある。
トレースもしっかりとついており、途中にはルートを示す棒が刺されており、その棒には赤い布が巻かれ風になびいていた。
「あぁよかった。大丈夫このルートだ」
皆がそう思った。

30分ほど下ったときだった。
何かがおかしい・・・何か変だ。
そう思いながらも下っていった。
「何か変だ。おかしいぞ。」と思った時には、必ず立ち止まり地図を広げ周囲の状況を確認すること。
これは山行における基本中の基本。
大鉄則といってよい。

「変だ」と感じながらも足を止めず斜面を下って行く。
次第にトレースも無くなり、雪で覆われた低い樹木にスノーシューが絡み始めた。
そのため思うように前へと進むことができず、ルートらしき場所を探しながらジグザグに進むしかなかった。
体はバテていた。
当然空腹であり、何となくふらつくような感じだった。

左手には尾根が見えたのだが、その尾根は実際のルートよりも一本先の尾根だった。
そのことに気づくまで約一時間近くも過ぎていた。
通り過ぎてしまった尾根まで戻るしか下山する術は無い。
今下ってきた斜面を今度は登ることになる訳だ。

ルートらしいルートなど何処にも無い。
凹凸の激しい樹木の上をスノーシューで無理矢理にでも登って行くことになった。
スノーシューが樹木にからみつき、一歩一歩がきつい。
もがくようにして足を引き抜き前に倒れながら一歩。
そしてまた倒れながら一歩。
ずっとその繰り返しだった。

きつい・・・厳しい。
体の自由が言うことをきいてくれない感じだった。
バテているなぁと分かっている自分だったが、とにもかくにも一つ手前の尾根までは戻らなければならなかった。

倒れながら数歩進んでは雪の中にうずくまるようになってしまった。
うずくまりながら息を整える。
だるい・・・。
たまらなく体がだるい。
思考能力や判断力が低下してきている。
そんな気がしてならない。
いや、そう思えるだけまだ判断力は残っていた。
ただ、仲間からの呼びかけに対して、返事をすることができなかった。
雪の中でうずくまりながら手を振って「OK」の合図はするが、声に出して返事をすることがどうしてもできなくなってしまった。

(「これって、シャリバテかも・・・」)
そう思わざるを得ない。
(「でも行かなきゃ・・・戻らなきゃ・・・」)
僅かながらにもそう考えるだけの思考力はあった。

雪山への序章:海老の尻尾

2013年01月20日 01時11分15秒 | Weblog
PEAKへの稜線上はほぼ全面に氷が張っているような状態だった。

太陽は出ているのだが、南からの猛烈な強風に煽られながら歩く。
時折更に突風となり体ごと左側へともって行かれ、何度も横転した。
(「やっぱりこの場はアイゼンだよな・・・」)
分かっていながら取り替えるのが面倒だった。

稜線に出る前の外気温はマイナス10℃。
人間が立っていられないほどの風がおよそ風速15mだから、今の体感気温はマイナス25℃あたりだろうか。
この状況をなんとか記録に残そうとデジカメを取り出そうとするが、アウターのジッパーをうまく指で挟むことができない。
オーバーグローブを外せば少しは楽にできるのだろうが、それすら面倒・・・と言うよりは、外気温の寒さにオーバーグローブを外す勇気が無かった。

地表は大小様々な「海老の尻尾で」覆われている。
「海老の尻尾」とは冬山における気象現象の一つで、確か「霧氷」の一種だったような記憶がある。
樹木や岩肌に付着した雪や氷が風の流れに沿って少しずつ風上側に成長していったもの。
これがちょうど海老の尻尾の様な形状となっているわけだ。


なんとかこの一枚だけ写真に収めることができた。

PEAKはもう目の前。
やっとここまで来たという安堵感はあるのだが、とにかく足下が滑る。
そして転倒を堪えるために筋力を使う。
風にも煽られ続けており、横転を避けるために全身の筋力を使う。
この数時間でかなりの体力を消耗したような気がした。

前進を妨げられながらも、やっと頂の真下まで来た。
時刻は15時。
予定していた時刻よりも数時間も遅れをとってしまった。

岩陰にザックをデポし、頂へと登った。
PEAKに立てられている石碑は雪と氷で覆われ、石碑の形を僅かに残しながらも文字は全く隠れてしまっていた。
本来であればここで三脚を立て、みんなで肩を組み写真を撮りたかったのだが、あまりの強風で三脚が吹き飛ばされてしまった。
もとより雪面が固く三脚の脚が突き刺さらない。
互いにシャッターを押し合い、個々の写真を撮った。


Kさんの後ろ姿。
思わずガッツポーズ!


Oさんの決めポーズ。
ここまで大きく足を広げ踏ん張っていないと吹き飛ばされてしまう。


俺。
一応正面を向いている。
ピッケルのリーシュがなびき、風の強さを伺わせている。

写真だけを撮り、早々に引き上げた。
少しでも早く下山しなければヘッドランプを点灯しての雪中となることは明白だ。
だが、今の時刻から計算すれば下山途中からヘッデンのお世話になることは間違いないだろう。

時間的な焦りがあったのは事実だ。
そしてその焦りとは裏腹に、「この山は知っている」「凡そのルートは頭に入っている」「こんな強風と寒さの中で、わざわざ地図を出して確認することが面倒だ」
そんなあまりにも甘い思いが脳裏を掠めていた。
基本中の基本を疎かにした愚行と言ってよい。

その愚行は、数時間後に今まで経験したことのない代償となって自分に襲ってきた。

雪山への序章:適材適所

2013年01月17日 21時09分15秒 | Weblog
今回自分が用いた地図は国土地理院のHPからプリントアウトしたものだった。
後日分かったことだが、国土地理院の場合、地形図は空中写真を基に作られるらしい。
それ故に写真には写っていないような道幅の狭いルートは地図には落とされていない場合があるようだ。
また、植生との境界線がルートと誤認されて載せられていることもあるという。
やはり登山用の山岳マップやガイドブックに記載されている地図を用いることがより安全な登山への道標となる。
このことは大いに参考になると共に反省すべきことでもある。

さて、くろがね小屋ではかなり時間を割いて休憩をとった。
トイレなども含めての休憩だったが、1時間近くも居座ってしまった。

暖房費として200円の料金がかかったが、冬季ならではのことでもあり致し方あるまい。
現在の時刻は10時30分。
ここで行動食を摂ったのだが、この後17時まで食べ物を口に入れることはなかった。
このことがとんでもない結果となって現れるのだが、そんなことはまだ予測できずに気軽に煙草などを吸っている自分であった。


アイゼンを装着して登攀を再開した。
標高が上がるに連れ風が強くなってくることは分かっていたことでもあり、「バラクラバ」も着けた。
今季初めてのアイゼン歩行となる。
ゆっくりと慎重に登った。

ところどころ岩肌が顔を見せており、意図的に岩の上も歩いた。
岩の上を歩く時は足首が全く曲がらないこともあり捻挫をしてしまいそうになるような久しぶりの歩行感覚だ。


稜線に出るまでにはまだ距離はあるのだが、風が強くなり始めたこともありゴーグルを装着し高度をかせぐことにした。

トラバースしながら進むが、横風に煽られそうだ。
また積雪もかなりあり、固まっていない積雪に進行を妨げられた。
ラッセルとまでは行かないのだが、膝上までズボッと埋まりながらでは距離も時間も稼げない。
話し合い、ここでスノーシューに付け替えることにした。
それはそれで正解だったのだが、自分の性格からかどうにも面倒で仕方がない。


雪山では、春から秋までの3シーズンとの大きな違いの一つに「装備の重装化」がある。
ウェアに始まり、グローブ、帽子、ブーツ、ゴーグル、バラクラバなど、身につける物の一つ一つがわずかながらにも重くなってくる。
一つ一つの重さの差はわずかでも、数が揃えば身体に感じる負担も大きい。
更にはアイゼン、ピッケル、スノーシュー、予備のウェア、予備のアルパイングローブ、アルパインソックスなど、夏山では不要なギアがここでは絶対必要なギアとなり、総重量は比較にならない。
休憩時に煙草を吸うにも、分厚いグローブをはめたままアウターのファスナーを開けることが夏山とは比べようもないほど面倒になってくる。
もちろんライターの着火操作も容易ではない。
雪山は、自分のような面倒がり屋には本当に不向きだといつも思っている。

煙草を吸い、水分補給をしたまでは良かったのだが、今にして思えば何故この時行動食を摂っておかなかったのか悔やまれる。
いつでも手軽に食べられるようにと、ザックに外付けした小さなポーチの中にあったのに、何も手をつけなかった。

再スタートし、PEAKに向けた稜線へと近づく。
風は向かい風と変わり、一層強さを増してきた。
スノーシューに履き替えたばかりだというのに、地表は雪からほぼ氷へと変わっていた。
本来であればここではアイゼンが適切なのであろうが、つい先ほど履き替えたばかりであり「面倒がり屋」の性根が邪魔をした。

稜線に近づくにつれ風は強さを増すばかり。
バラクラバとゴーグルで顔全体を覆い進む。
今、肌を空気に露出している部分は何処にもない。

雪山への序章:再びあの山へ・・・

2013年01月17日 01時04分38秒 | Weblog
ほぼ一年前のこと。
正月早々に登った冬の安達太良山は、様々な失敗故に登頂を断念した山だった。
たかだか安達太良山と見下していた「つけ」がまわってきたのだった。

年末になり、そろそろ今年も雪山シーズンへと突入。
足慣らしとリベンジを兼ね、福島県の安達太良山へ登ることにした。
メンバーは、KさんとOさんとの3名。
どうやら今シーズンは例年よりも降雪が早く、そして積雪も多いと聞いた。
前回の反省を踏まえ挑んだ冬季の安達太良山。
登頂を目指すことはもちろんだが、アイゼン、ピッケル、スノーシューの足慣らしもしたい。
結果として登頂はできた。
できたのだが、基本を疎かにしたとてつもない代償を支払ってのつらい下山となってしまった。

12月13日。
車中で前泊し、8時に登山口をスタートした。
今回のルートは「くろがね小屋」を経由して山頂を目指す。

天候は予報通りで申し分ない。
風もなく絶好の登山日和となった。
スタート開始時は、Kさんはスノーシューとトレッキングポール。
自分とOさんはつぼ足とトレッキングポールだ。
緩やかな雪の登山道を登り始めた。
会話も弾み和やかに進む。
汗をかくほどのハードさも無く、軽いスノーハイクという感じだ。


途中に流れていたせせらぎの様な小川は完全には凍結しておらず、何本もの長く鋭いつららを形成していた。

徐々にではあるが傾斜が出てきた。
同時に樹林帯の中を登る。
ちょっとつぼ足では厳しいルートともなってきたが、まだアイゼンを装着するほどでもなく選択が難しい。

地図を確認しながら登って行くのだが、どうもおかしい。
実際には地図に表記されていないルートがあるのだ。
幾たびと分岐点や合流ポイントに遭遇し、その度に地図で確認しても、そのルートが表記されていない。
幸い標識が立っており雪に埋もれていなかったおかげで「くろがね小屋」方面へと進むことができた。
また、同行したOさんが詳細にルートを知っており事なきを得た。
それでもどこか消化不良のままであり、一抹の不安を抱きながらの登攀となった。


「勢至平」へと出た。
ここでも地図で現在地を確認するが、どうにも納得が行かなかった。
地図で示されているポイントとずれが生じているようにしか思えなかったのだ。
それともただ自分の読み取りに誤りがあっただけのことかもしれない。
いずれにせよ不安を取り除くことができないままの状態は未だ続いている。

左前方、遠くに山頂を目視することができた。
はっきりと見えたのはいいのだが、あまり見たくない物までもが見えてしまった。
激しく雪が舞っているのだ。
つまりはこんな遠くからでもはっきりと山頂付近の強風が手に取るようにわかるということだ。
「う~ん・・・大丈夫かなぁ。かなり強そうだな。」
おそらくは誰もが思ったことであり、それを口に出して言うか言わないかのことだった。

山陰のルートとなり、固くしまった雪面を歩く。
ここまでなんとかつぼ足できたが、そろそろアイゼンのお出ましかな。
と思っていると、山の麓に一軒の小屋が見えてきた。
「やった! あれがくろがね小屋だ」
あそこまでならルート上も安定しているし、つぼ足で行けそうだ。

この写真からでも分かるように、稜線上は雪が舞っている。
小屋で休憩した後の登攀はまだいい方で、登り切った後の稜線歩きになってからは強風との闘いになりそうな予感がした。


高校サッカー準決勝

2013年01月12日 22時29分49秒 | Weblog
ずっとこの日を楽しみにしていた。
毎年行われる冬の高校サッカー全国大会。
そして何よりも国立のピッチで繰り広げられる準決勝二試合。
この試合は何としても生観戦に限る。


準決勝のチケット
左下に写っているのは大会記念のピンバッジ


今日の準決勝二試合で、強烈な印象を受けたのは第一試合の「鵬翔(宮崎)VS星陵(石川)」だった。
特にどちらを応援している、贔屓しているという訳ではなく、あくまでもレベルの高い高校サッカーを純粋に観戦したいという思いだった。

観戦した場所は国立競技場メインスタンド近くの自由席で、どちらかと言えば鵬翔サイドの席だった。
これは単に太陽が十分に当たるため、寒さ対策の一つという意味でそこに座っただけなのだが(笑)。

試合は実に好ゲームだった。
一進一退の攻防だったが、常にゲームをリードしていたのはどちらかと言えば星陵高校だ。
バックスタンドの応援も凄い。
さすがは甲子園常連校であり、ブラスバンドやチアリーディングをはじめとし、その応援人数も含めて鵬翔を圧倒していた。

前半先ずは星陵が先制した。
自分のすぐ目の前でのGOALであり、迫力があったなぁ。
自分の記憶が正しければ、今大会で鵬翔が先制されたのは初めてではないだろうか。
しかし鵬翔の焦りは見えなかった。
名前は忘れたが、特にNo6とNo8。
この二人のドリブルが凄く、同点に追いついたNo8のフリーキックは実に華麗だった。
相手の壁(頭)のギリギリを越える低い弾道かと思えば、そこから鋭く弧を描きゴール左隅のネットを揺らした。
蹴ったのは右足だが、まるで中村俊輔のフリーキックを彷彿させるようなあまりにも華麗な弾道だった。
そしてそのまま1-1で前半を終了。

後半開始早々は星陵のボール支配率が幾分高かったように感じた。
2点目を先にたたき出したのも星陵だった。
やはり主導権は星陵なのかな・・・。
と思っていると、その直後に鵬翔の強烈なGOALが再び自分の目の前で炸裂した。
熱い!
なんて熱い試合なんだろう。
このままずっと観ていたいと思うほど素晴らしい試合だ。

だが、こんな試合に限ってよくあるのが「PK戦」。
ひょっとしてこの試合もそうなってしまうのだろうか・・・。
雌雄を決するにはあまりにも残酷なルール(大会規定)ではあるが、なんとなくそうなってしまう様な気がしてきた。
PK戦に備え、急ぎ座席を反対側のゴール裏に移動した。

前後半の戦いが終わった。
2-2の同点・・・予感が的中した。

PK戦においても星陵がリードし鵬翔が追いつくパターンだった。
そして5人が終わっても決着が着かず遂にサドンデスとなった。

「サドンデス」・・・これほど一個人にスタジアムの全視線が集中する場面はない。
いや、「責任」と言っても致し方あるまいか。
結果として、わずか二十歳にも満たないたった一人の少年に全責任がかかってしまっている。
勝利か敗北かの全責任が、たった一人の高校生にのしかかってしまうのだ。
もちろんそれが間違った考えであることは分かっている。
分かってはいるのだが、試合が終わったロッカールームで「俺だ。俺のせいで負けたんだ!」と床に突っ伏し号泣している姿は今まで何度も見てきた。


PK戦になっても常に先制され続けた鵬翔高校。
その鵬翔が、最後の最後で勝利をものにした。

ゴール裏のスタンドの片隅で、両校に拍手をおくった。
勝者にも、結果として負けた星陵にも大きな拍手をおくった。

ダメだね、おじさん泣いちゃったよ。

秋、燕へ:燕ブレンド

2013年01月04日 21時29分01秒 | Weblog
「燕ブレンド」という名の珈琲がある。
とは言ってもコミック漫画の世界の話であって、実際にその名の珈琲があるわけではない。
いや、ひょっとして本当にあったりして(笑)。

「岳」の第5巻に掲載されている物語に出てくる珈琲のことではあるが、数年前にこれを読んだ時から、いつか本当に燕岳のてっぺんで珈琲を飲んでみたいという思いにかられた。
まったくもって子供じみた憧憬とも思ったが、十分に達成可能なことであり、山の頂で珈琲を飲むことなどいつもやっていることだった。

風は強い。
山頂には花崗岩がそこここにあり、防風効果の高い場所を選んだ。
一応ウィンドスクリーンでストーブを囲みお湯を沸かした。
手がかじかむなぁ・・・。
薄手とはいえ、グローブをしていると何かと操作がしにくいわけで、ちょっとした微調整が難しい。
それでもやっとここで珈琲が飲めるのはことのほか嬉しい。

強い風のため上手く注げない。
だが、この日この場所で飲む珈琲は味よりも「思い入れ」だろう。


燕のてっぺんで劔岳に向かって乾杯!

美味いなぁ、暖まるなぁ。
俺だけの「燕ブレンド」、なんて贅沢なんだろう。
できることならりょうちんと一緒に飲んでみたかった。

燕山頂ではかなりゆっくりし過ぎてしまい、1時間半も居座ってしまった。
わかってはいたがやはり北アルプスの峰々との別離はつらく淋しい。

テント場へと戻りザックを背負った。
食料が減ったその分軽く感じたのではなく、やはりメンタル的な部分でそう感じたのだと思う。
それなりの重さはあっても、これだけの絶景に包まれながら一夜を過ごし、てっぺんで珈琲を飲んだというそれだけのことで重さを重さと感じなくなった。


今度北アルプスへ訪れるのはおそらく来年の夏。
早くてゴールデンウィークの残雪期だろう。
下山を前にしてもう一度振り返った。
「珈琲美味かったよ。じゃぁまた・・・。」

下山の足取りは軽かったのだが、むしろ下山してから車で帰宅することがやや億劫になっていた。
「おそらくは途中のSAで仮眠かな・・・。」


登攀時にはあまり気付かなかった紅葉にも目が行くようになった。
あれだけ辟易していた同じ樹林帯であるはずなのに名残惜しさを感じる。
すれ違う登山者にも「もうすぐ第○ベンチですよ」などと気軽に声をかけ、自分のいい加減さを改めて思い知らされた。


14時04分、無事下山した。
いつもの通り女房にCメールを送信。
「無事下山。帰宅は遅くなる。夕食食べて帰る。」
味も素っ気もない文面だが、無事が伝わればそれで良し!

車に乗り「安曇野IC」へと向かった。
事前にアクセスを調べている時にどうしても気になっていたポイントがあり、シャッターを押した。

「北穂高交差点」
地元の人達にとっては生活の一部にとけ込んでいる風景であり名前でもあるのだろうけど、自分にとってはとっておきの交差点の名前だ。
そしてもう一つ。

「穂高駅」
いい響きだ。
何とも優しい響きの駅名だ。
そう勝手に思いこんでいるだけなのだが、どうしても帰りに寄ってみたかった駅だった。

今回の燕テント泊はわずかに一泊だったが、多くの意味で経験値を増やすことができた。
これからの冬季登攀において、特にテント泊をする上で何をどれだけ準備すればよいのか。
もちろん雪中テント泊ともなれば今回以上に用意周到でなければならないことは明白だが、食事の準備から寒さ対策まで、失敗と成功の実例を参考にすることができる。

実のところ、女房には内緒で先日雪山用のフライシートを購入した。
先ずは比較的安全が確約されている山小屋のテント場から始めよう。

秋、燕へ:アオイジャケット

2013年01月03日 00時44分42秒 | Weblog
夜はぐっすりと眠ることができた。
足下と背中に貼ったカイロが功を奏し、殆ど寒さを感じることもなかった。

5時過ぎに目が覚めたが、「もう少しだけこのままで・・・」。
まるで寒い冬の朝、暖かな布団から出たくないとだだをこねる子供のような気分だった。

となりの二人の会話が聞こえてきて、徐々にはっきりと目が覚めてきた。
ぬくいシュラフから身体を出し、テントのジッパーを開ける。
一気に寒気がテント内に入り込み、嫌でも目が覚めてきた。

「おはようございます」と言い、挨拶を交わした。
先ずはお湯を沸かし珈琲を飲もう。
本来であればドリップの苦い珈琲なのだが、この時ばかりは少しでもカロリーを摂るためにスティックタイプのインスタントで甘いものにした。


東の空に向けカップをかざしおはようの一杯。
かなり冷え込んでおりダウンジャケットを着込み、手袋をした。
吐く息も白い。

テントへ戻り簡単な朝食を摂った。
お隣さん達が外へ出ており、ごく自然と山の話題で会話が進む。
ほんのひとときの、そして多くの場合が一期一会なのだろうが、こんな時の流れがたまらなく好きだ。
互いの身の上話などを交え煙草を吸う。
もう会うことは無いかも知れない。
いや、ひょっとして何処かの山で偶然再会するかも知れない。
それは誰にも分からないが、山ならではの出会いに感謝し、記念写真を撮った。


燕への山頂に行くため、アタックザックに必要最低限の物を詰め込んだ。
デジカメ、三脚、地図、珈琲豆、火器、そしてマイカップ。
30分も歩けば山頂にたどり着く。
ちょっとした早朝の散歩気分だった。(それにしてはあまりにも贅沢な散歩)


振りかえれば遙か南方に富士が見える。


そして穂高・槍。
昨日の到着時より明らかに空気は澄んでおり、くっきりとした稜線、そして山肌までもが鮮明に確認できた。
これなら間違いなく劔も見えるはずだという確信がもてた。


有名な「イルカ岩」だ。
写真では何度も見ていたが、なるほど確かにイルカだ(笑)。

山頂への登りの少し手前で嬉しい出会いがあった。
雷鳥だ。

昨年から、北アルプスに来る度に雷鳥との出会いがある。
偶然と言えばそれまでだが、やっぱり嬉しいね♪
ここ(北アルプス)に来なければ会えないわけだし。
来たからといって必ず会えるという確約もないわけだし。

少し身体も暖まってきたころ山頂に着いた。

ここは標高2763メートル。
さすがに風が冷たい。
だが気分はいい。

まずは地図を広げコンパスで方向を確認した。
何はなくとも「劔岳」を見たかった。
槍の頂ではわずかに雲がかかり目視できなかっただけに、なんとしてもこのチャンスを逃したくはなかった。
「おそらくはあれかな・・・」
と思っていると、後から登ってきた方が「間違いないです。あれが劔ですよ」と教えてくれた。

劔を見るチャンスは今までに何度もあったのだが、その度に天候に邪魔され、その全容を見ることはなかった。
29年前に、白馬から杓子への縦走時に見ているはずだったのだが、残念なことに記憶にはない。
それ故、遥か彼方とはいえ劔の全容を見たのはこの時はが初めてと言ってもよい。
「来て良かった・・・。本当に来て良かった。」
昨日の登攀時はあれほど嫌気がさし、低かったテンションのことなどすっかり忘れている自分だった。

数人の外国の方々が登ってきた。
確か少し離れたテント場にいたグループの人達だ。

三脚で撮ろうとしていたら、片言の日本語で「トッテアゲマス」と言ってきた。
数枚撮っていただき御礼を言うと、何とも嬉しい言葉を言われた。
「オー アナタ ジャケットガトテモスバラシイ。アオイロトテモニアイマス」
いやぁー自分にとっては最高のほめ言葉だ(笑)。
朝から気分が乗っちゃうね♪

さて、ここからが今回の山行最大の目的である行動に移る。
風よけに持ってきた「ウィンドスクリーン」が大いに役立ちそうだ。