ひとり旅への憧憬

気ままに、憧れを自由に。
そしてあるがままに旅の思い出を書いてみたい。
愛する山、そしてちょっとだけサッカーも♪

赤岳と横岳:おめでとう!♪

2017年05月30日 02時08分43秒 | Weblog
山頂直下の分岐点を示す指標までAM君が登ってきた。
「さぁて、あとほんの一息だ。この小さい岩峰を登れば赤岳山頂だから。」
お互い寒さで顔をバラクラバで覆ってはいたが、AM君の顔が僅かに微笑んだ様な気がした。
「でも、落ちると最低でも骨折だから十分気をつけて。前に少し練習したフロントポインティングの技術が必要になるけど、三点支持を確実に守れば大丈夫。」
「わかりました。ゆっくりついて行きます。」
「いや、俺はもう何度も雪の赤岳を登ってるから、ここから先の最後の5分間はAM君にあげるよ。最後はトップで感動を味わってくれ。」

少し驚いたような感じだったが、すぐにそれは嬉しさへと変わったようだ。
「えっ、いいんですか? 本当に先に登ってもいいんですか?」
大きくうなずき、彼にトップを譲った。


アイゼンの前爪2本(或いは4本)だけを岩の窪みに引っかけて登る「フロントポインティング」。
引っかけるポイントを見極める判断力と道具を信じる気持ち、そして何よりも冷静さを必要とするテクニックだ。
下から見ていたがどうやら大丈夫のようで安心した。

岩峰を登り終えると、すぐ目の前には山頂を示す指標と祠がある。

「さぁ、あと10歩だ! ゆっくり(思いを)噛みしめて登って!」

後ろから声を掛けた。
一歩一歩てっぺんへと近づく。
2899mを示す指標の前に立った時、拳を握りしめ小さくガッツポーズをした彼の後ろ姿が印象的だった。

「遂にやったね! おめでとう!」
「ありがとうございます。○○さんにこんな所まで連れてきてもらって・・・。これ、一生の思い出です。」
「いやいや、頑張ったのはお互いだから。」
雪山のてっぺんでガッチリと握手をし抱き合った。
本当におめでとう。(^o^)

赤岳のてっぺんから見る360°の雪の絶景を堪能しているAM君。

彼の嬉しさはよくわかる。
苦労や辛さや危険が大きければ、それ以上の感動と充実感を得ることができるからだ。

「やばいよやばいよ。花ちゃんに送る画像を撮らなきゃ」
そう言ってスマホでパチリ。

この画像は、下山後に電波が通じるポイントですぐに花ちゃんに送信した。
(花ちゃんとは、職場のスタッフ仲間のお子さんで、登山が大好きな小学校2年生の女の子)

本当はここでゆっくりとしたいところなのだが、時刻は既に15時を過ぎてしまっていた。
これから地蔵尾根を下ってテント場まで戻らねばならないことを考えれば、感動もそこそこに下山を開始だ。
と、その前にせっかくなので自分も一枚。


これから先には、地蔵尾根のナイフリッジが待ちかまえている。
気持ちをリセットしなければ危険だ。

赤岳と横岳:今までにない緊張感

2017年05月24日 00時44分24秒 | Weblog
今日の前半戦において最も気を引き締めてかからねばならない、将に核心部へ突入した。

トップは当然ながら自分が努める。
・・・緊張感が走った。
それはこのルートを単独以外で登攀することが初めてのことであるからに他ならない。
単独では何度も経験している雪の文三郎尾根だが、仲間と一緒に、しかも自分がトップとして登攀するのは初めてだ。

(「何かあったらどうしよう・・・」)
(「トレースはしっかりとあるが、それだけに頼ってはならない」)
(「アイゼンワーク、ピッケルワークは事前に十分に説明し練習もしたが、想定外の技術を使用することにならないか・・・」)

胸騒ぎというか、どこかネガティブになってしまいがちな心境だったことを覚えている。
もっと大袈裟に言い換えるなら「責任感」というものが、どど~んとのしかかってきたのだ。

「いや、これじゃだめだ。リラックスとまでは言わないが、もっと楽しんで登ろう。集中し、真剣に取り組めばいい意味での緊張感をもてるはずだ。」

気持ちを切り替え登り始めた。


登攀している時はあまり感じなかったが、ふり返ってみると結構な斜度であることが改めてわかった。
AM君もいいペースでついてきている。
体力に問題はないから、技術とメンタルだけに気を配ればいい。


時間はかかってもいいから、二人同時に登るのではなく、所謂「スタカット方式」で登攀するようにした。
「スタカット方式」とは、互いに並んで、或いはごく近距離で同時に進むのではなく、トップが一定の距離を進んだら(登ったら)そこで停止し、相手が自分の所まで来るのを待つという方法のこと。
砕けていえば「尺取り虫方式」だ。
ガイドの方が、雪のこのルートは初めてだという人を連れて登る時、アンザイレンをしながらとる方法らしい。
今日はアンザイレンこそしてはいないが、雪の状況を確認しながらより安全に登るにはこの方法が良いと判断した。
時間はかかってしまうが、危険箇所においては安全確実を最優先したい。


やっと左ルートと山頂を示す分岐点の指標が目視できた。
ここまでくればもう一息ってところだろう。


少し落ち着けるポイントがあり、ちょうど下山者の方とすれ違ったこともありシャッターをお願いした。
ここから先でこんなことができるポイントは山頂に着くまでおそらく無い。

更にスタカット方式で登攀した。

AM君も調子が良さそうだ。
「ゆっくり! ここから先は特にゆっくり登って!」
怒鳴るような大声でアドバイスをした。
ここはクサリが埋もれてしまっており、それを利用することができない。
ピッケルとアイゼンの爪だけが頼りだ。

AM君が合流した。
「もうほんの少しだから。あの指標ポイントまで登れば5分で登頂できる。ペースは今までと同じ。慎重にそしてはやる気持ちだけは抑えること。」


二年振りの雪の赤岳登頂に嬉しさがこみ上げてくるのがわるだけに、はやる気持ちはむしろ自分の方かも知れない。
しかし今回は自分ひとりじゃない。
自分はガイド的立場であり、インストラクター的立場でもある。
決して急がず、慎重にあらゆる事を見極めながら登らねばならない。
ましてや雪の赤岳ともなれば尚のことそれが必要となる。


指標手前でAM君を待った。
実はここから先の最後の5分間において、ちょっとしたサプライズを計画しているのだ。

赤岳と横岳:やっと分岐点へ

2017年05月19日 23時52分18秒 | Weblog
10分程休憩を入れ再び登攀を開始した。
今はひたすら上へ上へとアイゼンの爪を雪面に噛ませるだけだ。

少し登って行けば僅かながらフラットなポイントがあることを知っている。

確かそのポイントには石碑が建っていたはずだ。
雪に埋もれていなければ必ず目印になるほどのものだったと記憶している。

黒い御影石のような石碑があったが、刻まれた文字はまだ読んだことはない。
近づいてその文字を読んでみた。
詳細はわからないが、どうやら亡くなった登山仲間の死を悼み建てたものではないかと推測した。
おそらくはこの付近で滑落死亡した友のためであると・・・。

ちょっと暗い気持ちになりかけたが、核心部はこれからだ。
気落ちしてはいられない。


阿弥陀岳との分岐点に近づいてきた。
今日は指標がはっきりと目視できる程に視界は良好だ。
このままくさりを辿って行けば10分程で分岐点となる。


エビの尻尾は思った程発達してはいなかったが、さすがにここは風の通り道。
いままであまり感じることの無かった強風が襲ってきた。
「これから先はどこを通ってもいいけど、右を目指すようにして登ればOK。ただし寄りすぎると落ちるから気をつけること。」

今はザレ場的な石や岩が少し見えているが、この石がルートファインディングのミスを防いでくれているのは確かだ。
全面が雪で覆われ、ましてやズボズボの状態で、更にはガスっていたりすればこの先のルンゼ登攀に向けて迷いやすいだけにザレている今日はありがたい。

AM君には事前に何度かルートの説明をしておいた。
これから先の大凡のルートを地図で再説明し、スピッツェで「あそこだ」と指した。
「手っ取り早く言えば、先に見えている岩峰の裏側を攻めるってこと。これからが文三郎の核心部だから、慌てず時間を掛けてもいいのでゆっくりと確実に登ろう。」
そう言った。
もちろんこのことは事前に何度も言ってはいたが、いざ現場に来れば再確認をする必要性が高いことなのだ。


風が強い。
ルンゼに入れば少しは岩壁が風を防いでくれるかなとも思ったが、山頂に近づけばそれだけ強風になることなど当然のこと。
心配なのはAM君だ。
碧空が覗いているとはいえ、雪山でこれだけの強い風を経験するのは初めてのことだし、メンタルの部分でめげなければいいが・・・。


いよいよ岩稜地帯に突入した。
ここで少しだけ休憩を取った。
核心部へ入って行くことへの再確認が必要だと思ったからだ。

下山する人がいた場合の交互通行の仕方。
ピッケルワーク、アイゼンワークの確認。
クサリがあれば遠慮無くそれを活用すること。
そして何よりも一歩一歩ゆっくりと登ること。
煙草を吸いながらそれらを再確認した。


さぁて、文三郎尾根の核心部だ。
楽しみだけど、今日は自分ひとりじゃない。
ちょっとだけいつもと違う緊張が走った。

赤岳と横岳:えっ! シャリバテ?

2017年05月15日 22時16分07秒 | Weblog
鉱泉小屋から行者小屋まで45分程かかった。
「腹減ったぁ~」という言葉を何度か言った覚えがある。
あるが、まだシャリバテになる程ではないという確信はあった。
それは経験値から出た思いであり、自信でもあった。
しかし、力が十分に発揮できていないという自覚もあった。
「いや、そんなことはない。そんなはずはない。」という思いで行者小屋に着いたが、体は正直だった。
「一応何か食べておくから」と言って、小さな5個入りのあんパンと魚肉ソーセージ、そしてBCAAを飲んでおいた。
速攻で効果が現れることはないが、食事休憩だけを取りすぐにスタートした。

天候はまずまずで、このあたりでは風は殆ど無い。
赤岳頂上付近の雲の流れを見ればやや風はあるが、強風という程ではないことがわかった。

今日のルートは文三郎尾根コースで登攀し、地蔵尾根から下山する予定だ。
昨年の三月にこのコースから登頂を狙ったが、季節外れの大雪警報であと30分程で頂上だというポイントで断念した。
リベンジという意味も含めて何としても登頂したい。

スタートはしたものの、相変わらずだるさのようなものを感じる。
「体調不良かな・・・」とも考えたが、その原因として真っ先に思いつくのは完全な寝不足だ。

数日前に降った雪が十分に固まってはおらず、膝程まで雪に埋もれた。
一歩一歩上に登るための足が重い。
やがて樹林帯の中へと進んだが、次第に厳しくなる斜度にペースは遅くなる一方だった。
「悪いなぁAM君、なんかまだ調子が出ないんだ。ローペースでいいかな?」
本当に申し訳ない思いだった。
俺がしっかりしなければならないことは当然のこと。
ましてや今日のターゲットは赤岳だ。
決して初級コースなどではない、それなりに体力も技術も知識も経験も必要な雪山だ。
「俺がリードしなきゃ。俺が登らせてあげなきゃ。」
ずっとそう思いながら何とかローペースで登り続けてはいた。


50歩登ったらほんの一息つくというペースをしばらく繰り返した。
だが、その50歩でさへもきついと感じる。
やがて30歩に減らし、うつむいたまま息を整えた。
「大丈夫ですか? もっとゆっくりでいいんですよ」
AM君のありがたい言葉だったが、これ以上のローペースでなければ登れないようだと、むしろ登頂を断念するべきだろう。
「ありがとう。なんとかこのペースで行けるよ。ホント心配かけてすまない。」
顔では笑っているが、力の入らない自分の体が情け無かった。


自分が先頭をきってはいたが、AM君にしてみれば「じれったい」というのが本音だろう。
「抜かして登ってもいいんだよ」とも言いたかったが、ルートの状況説明と判断ができるのは自分の方だ。
その俺がこんなざまでは・・・。

もうそろそろ森林限界線かというポイントまで登った時だった。
体が急に楽になった。
「行者小屋で食べた時刻から考えて、糖分がエネルギーに変わるとすればそろそろか・・・」
つまり、やはり単なるシャリバテだったということだ(笑)。
「いやぁーやっと力が出るようになったよ。もう大丈夫! たぶんシャリバテだったんだろうけど、そんな自覚はなかったなぁ。 本当に申し訳なかった。さて、ガンガン行こうか! 遅れを取り戻さなきゃね。」

こうなると単細胞であるが故に、ペースが一気に上がった。

カメラを向けられてもニッコリ(笑)。

「ここを登り切れば少しフラット気味のポイントあるからそこで一服しようか。」
アタック開始から初めてまともな休憩を取ることにした。
本当は、体調不良(シャリバテ)から座り込んでしまいたいこともあったのだが、ローペースで登攀することで何とか持ちこたえていたのだ。


カロリーが満たされればこっちのもの。
体調のことは気にせず、ルート状況だけに注意を払い登攀すればよい。
後は時々行動食さへ取っていれば大丈夫だろう。

「この先もひたすら登りにはなるけど、しばらくはそれほど危険はないから。分岐点を左に曲がってルンゼっぽくなってきたら危ないけどね。」

あまり不安を煽るような言葉は言いたくなかった。
先ずは自分が手本を示し、安全確実に登頂を目指すことが大切だ。
技術的なことのアドバイスはもちろんだが、優先すべきは安全だ。


赤岳と横岳:寝不足はつらい

2017年05月13日 01時53分27秒 | Weblog
2月に単独で横岳縦走に挑んだが、とんでもない荒天に遭遇し、硫黄岳手前で登頂を断念した。
予報では稜線付近は風速30mとのこと。
行けるところまでは行こうと決めたが、赤岩の頭を過ぎたあたりで猛烈な西風に煽られた。
前に進むと言うよりは、立っているだけの体勢を何とか維持し、僅かな隙を見て一歩前へ・・・。
周囲は完全なホワイトアウト状態。
途中何度も体ごと左側に飛ばされ転がった。
立ち上がることさへ厳しく、僅か10m進むことがこれほど厳しい状況の悪天候は久しぶりのことだった。
「やめよう・・・無理だ。これ絶対にやばいぞ。」
そう思い撤退開始。
今度は左側からの風速30mに襲われた。
ついさっき付けたばかりの自分のトレースがみるみるうちに消えて行く程の降雪。
視界も極端に悪い。
嫌なことが頭をよぎる。
「早く樹林帯に戻らなきゃ絶対にやばい!」
「遭難」の二文字が浮かんだ瞬間だった。

登ってきたルートと少しずれてはいたが、やっとの思いで樹林帯の中へと戻ることができた。
「ふぅー・・・きつかったなぁ・・・。」
それ以上は言葉にこそ出さなかったが、あれ以上無理をしていたら雪山遭難へとまっしぐらだったろう。


さて、そう言うわけで、3月に入り残雪期となった八ヶ岳を楽しんできた。
もちろん先月のリベンジをも含めてのことなので、今回は赤岳のみならず横岳縦走も含めた欲張りな計画とした。

今回は単独ではなく、スタッフのAM君を連れての雪山だが、AM君は、何と!初めての八ヶ岳が雪の赤岳・横岳なのだ。
普通に考えればこれってあり得ないこと。
ある意味すっげぇーこと。
「まぁ俺がいれば大丈夫だから」なぁんて偉そうなことを言ってしまったが、内心は天候次第のところもあった。
しかし、彼なら大丈夫だろうという確信に近いものもあった。

21時に仕事を終え、そのまま自分の車で一路「美濃戸口」へと向かった。
途中夕食を済ませ、美濃戸口駐車場に着いたのが午前3時過ぎ。
できれば5時には出発したいので、眠れるのはせいぜい一時間程度だろうか。
眠るというよりは、刹那的仮眠と言った方が当たっている。

車中で毛布を被り体を横たえるが、ウトウトするだけで僅かでも眠りに就いたという覚えはなかった。
気付けば一時間なんてあっという間のことで、スマホのアラームが鳴り出した。
「しょうがない、起きるか・・・」
今この時が無性に眠くて仕方がなかった。
やっと来てくれた睡魔だが、今更来てもなぁ・・・。

身支度を整え準備完了。
アイゼンはまだ装着せず、暫くはつぼ足で歩くことにした。
予定よりやや遅くなったが、5時30分にスタートした。

まだ薄暗くヘッデンを灯して歩くことになったが、それも30分程で済んだ。

ザックは70リットルの大型ザックだけに、背中にずっしりと来るものがあった。
喉が渇く・・・でもってまだ眠い。

美濃戸に着き小休止したところでやっと眠気が取れてきた。
阿弥陀岳の穂先が見えたので、AM君に説明した。
「赤岳はまだ見えないんですか?」
「鉱泉小屋に近づくまでは残念ながら見えないんだよね。でも今日の午後は嫌でも赤岳にへばりつくことになるから(笑)」


北沢コースを辿り、赤岳鉱泉小屋を目指した。
なんとなく体に力が入らない。
やはり睡眠不足がたたっているのだろう・・・。

緩やかな上り坂が延々と続く。
途中で下山してきた大人数のグループと出会った。
高校の山岳部らしい。
彼等の数人がやたらと話しかけてきた。
「これからどこへ登るんですか? このルートはかなり積雪がありますから云々・・・。なんでまだアイゼンを付けないんですか?・・・云々。雪崩が云々・・・。アイゼンを使っての歩き方は云々・・・。」
よくよく話を聞くと初めての雪山登山合宿らしく、硫黄岳に登ってきたとのこと。
生まれて初めての雪山登山にテンションが上がっているようだった。
おそらくは無事登頂し下山できたことで嬉しくて仕方がなかったのだろう。
可愛いもんだと感じた。

「はい、一応わかっているつもりですが、アイゼンはこの辺りで装着したことはまだ一度もありません。必要ないですよ。でも忠告はありがたく受け取ります。」
と言うと、口をポカ~ンと開けて「はぁ・・・」と言う返事。
去り際に、引率と思える教師の顔を見て「それじゃ失礼します」という意味で一礼をしたが、申し訳なさそうな表情をしていた。

自分でも彼等の気持ちはわかる。
初めて雪山に登り、無事登頂し、無事下山できたときの自信はかなりのものだ。
自分自身が一つも二つも大きく成長できたような感覚になる。
今の彼等がそうなのだろう。


「やっぱり少し眠いですね」
「睡眠不足での登山って危険だからなぁ。でも赤岳はアタックザックだけだから、かなり楽になるよ。」
そんな会話をしながら進んだ。

ほどなくして堰のあるポイントに着いた。
ここで朝食を食べ、アイゼンを装着した。


雪が深くなってきた。
「いいね、いよいよ雪山って感じだね」
数日前の降雪が落ち着き、いい感じでアイゼンの爪がかみついている。
ベストに近い感じでアイゼンワークが楽だ。

「ほら、見てごらん。あれが横岳だ。」

何度見ても横岳の荒々しさは美しい。
「いやぁー、ネットの画像と実際に見るのとじゃ全然迫力が違いますね。なんか怖くなってきました。」
「あそこを直登する訳じゃないから大丈夫。まぁかなり危険なピンポイントもあるけどね(笑)」

横岳の岩稜群が見えてきたと言うことは、鉱泉小屋が近いと言うこと。
だが、さっき食べたばかりだというのにもう腹が減ってきていた。
でもって何となく怠さを感じる。
さっさと小屋に着いてザックを下ろしたい。


見事なアイスキャンディーだ。
碧空をバックに、これだけでかい氷の塊だと尚のこと映えて見える。
「着いたぞー! お疲れでした。」

テン場に着き一服。
設営ポイントを決めたらとにかく張ってしまおう。
後は必要な物だけをアタックザックに詰め替えて「いざ赤岳へ!」

受付を済ませ、行者小屋方面へと登りだした。
さっきまでとは嘘のように身軽だ。
しかし、どうにも力が入らない。
「一体どうしたんだ俺は・・・。いくら腹が減っているとはいえ、つい数時間前には朝飯を食べ、途中行動食も摂った。なのに何故こうにもだるい。力が入らない・・・」

シャリバテの可能性も考えた。
寝不足の影響も考えた。
それでも答えが出なかった。
経験値からいって、その両方ともあり得ないと判断したのだ。
だがその答えは、行者小屋を過ぎ、樹林帯を登っている時に出た。
まさかの答えだった。


久々の雪山テン泊:最後はやっぱりこれっ!

2017年05月11日 23時27分55秒 | Weblog
登れるところまでは登った・・・。
あとは戻ってもう一度滝壺まで行くことにした。
画像では十分に伝えることはできないが、ここは結構な急斜面であり、下りは無理をせずフェイスインスタイルで下りることにした。


AM君もOC君もフェイスインでの下り方はひょっとして初めてかも知れない。
であれば尚のこと経験値を積むにはもってこいのポイントだ。
先ずは自分が手本を示し、後からゆっくりと下りるよう指示した。


OC君、膝をついてしまってはいるがまずまずだ。
AM君はさすがに問題なく下りてきた。
近々行く予定の赤岳・横岳縦走の時にもきっと今日の経験が役に立つはずだ。

滝壺では三人で記念撮影をしただけですぐにテン場へと戻ることにした。

AM君「いやぁ腹減りましたね。早く『俵屋』に行きたいですよ♪」
もちろん自分もOC君も同意見だ。

「俵屋」とは・・・。
自分の勤務先近くのラーメン屋のことだが、友人知人には絶対お薦めの店だ。
味は「佐野ラーメン」系のあっさり醤油味だが、とにかく美味い!
OC君は自分と何度か行ってはいるが、実はAM君は今日が初めてなのだ。
それだけに早く行きたいという思いは強い(笑)。

テントを撤収し、約2時間かけての下山。
そこから車で1時間30分もあれば「俵屋」へ着く(だろう)。

二日間とも好天に恵まれ、男三人の雪山テント泊を十分に楽しむことができた。
さぁて、いざ俵屋へ向かって下山開始!

15時頃には店に着いた。
ここのラーメンの味は一種類のみで、そこにチャーシューかネギをお好みでトッピングするだけのいたってシンプルなメニューだ。
もちろん餃子もある。
味が一つのみということは、たった一つの味だけでやっていけるという自信の裏返しだろう。


いやぁー美味い! 実に美味い!
月に一度は食べたいラーメンだ。
AM君、OC君、そして自分も満足のラーメンだ。
また餃子も美味いんだな、これが!
皮が厚く、肉汁がしたたり落ちる。
かなりニンニクを使っているため、家に帰ってからすぐに歯磨きをしないと結構やばいことになる。
翌日の仕事にも影響があるかもね(笑)。

最後の〆は俵屋で正解、大満足だった。

避けては通れないもの

2017年05月02日 22時12分26秒 | Weblog
GWを挟んだこの期間、今年も山岳事故が相次いで起きてしまっている。
それは雪山に限ったことではなく、岩山でのクライミングにおいても例外ではない。

群馬県にある妙義山は、山岳クライミングのメッカであり、多くのクライマーで集う山だ。
その岩場で70歳を過ぎた方が滑落事故で亡くなった。
「70を過ぎてなにもクライミングなどという危険を冒さなくても・・・」
そういった意見があるのは事実だ。
確かに年齢からくる身体能力の衰えは歪めない。
しかし、だからといって本人を止める権利は誰にもない。
趣味で登るのであれば、あくまでも自己責任の世界。
それが「山」だ。

自分は亡くなられた方を知っている。
「知人」とまではいかないが、クライミングギアに関して何度か相談されたことがあり、その時にお互いに山談議に花が咲いたものだった。
「今度はどこへ登るのですか?」
「そうですねぇ、○○にでも行ってみようかと思っているんですよ。いやぁでもこの歳だから大したことはできませんけどね(笑)」
そんな会話をしたことを覚えている。

まさかあの人が・・・。

期待と希望と夢を持って笑っていたあの時の顔が忘れられない。

自然を相手にするスポーツである以上は、自然の力に逆らうには限界がある。
そして道具を駆使して登るということは、その道具を使いこなす知識と技術がなければ怪我につながる。
自然を熟知し、畏怖し、道具を知り、自分自身の体を知っていても避けては通ることができないことがある。


もうすぐ今期最後の雪山に登ることになっている。
今日は、そのための準備に追われた。
一つ一つのギアのチェックをしながらも、その人のことを思い出していた。
そして「俺だけは大丈夫だ」などという愚かな考えを改めて自己否定した。
山が怖くなった。
今までとは少し違う怖さだった。