ひとり旅への憧憬

気ままに、憧れを自由に。
そしてあるがままに旅の思い出を書いてみたい。
愛する山、そしてちょっとだけサッカーも♪

秋、燕へ(本編):「洋風中華ごった煮」でござる

2012年12月31日 00時13分07秒 | Weblog
日が落ちた途端、急激な寒さを覚えた。
山の夕暮れ時における寒暖の差を知らなかった訳ではないが、夕日に見とれてしまっていたのは事実だった。
「さっさと支度を始めるか!」
そう思いテントへと戻った。

夕食のメニューに使用する野菜類をナイフで切っていた途中であり、その続きを始めたのだが、どうにも手がかじかんでしまい思うようにナイフを動かせない。
特にジャガイモの皮を剝く時が危なく、自分の左手を切ってしまいそうな程に手が震え始めた。
ここでつまらぬ怪我でもしたらそれこそ衣食住への影響は計り知れない。
ここは安全第一としてテント内で野菜を切ることにした。

テントの中は風が入り込まないその分暖かだ。
何とか手の震えも治まり、具材のすべてを準備し終えた。


ジャガイモ、にんじん、ソーセージ。
そして写真には写ってはいないが、「水餃子」が具材に含まれる。
これらを茹でて、中華スープと固形コンソメで味付けをすればできあがりだ。
メニュー名は「洋風中華ごった煮」としておこう(笑)

主食の米はFDだが、「しそわかめごはん」であり、いざとなればおかずは無しでも何とかなる。
お湯をパックに入れ、15分待てばできあがり。
その15分間の待ち時間ですべての調理をまかなえば、ちょうどいいタイミングで「いただきまぁす」となるわけだ。


コッヘルから沸き立つ湯気の暖かさが、かじかんだ手にありがたい。
後は野菜が柔らかくなるまで待てばよい。

そう思っていると、隣のテントの住人さん達(二人)がやってきた。
今日は早々にテントを設営し「大天井岳」まで行ってきたとのこと。
今から夕食の準備をするのだが、食材とは別に極めて大切な物を購入し忘れてしまったらしい。

「あのぉ・・・申し訳ないのですが、煙草を持っていましたら何本か売ってもらえませんでしょうか。」
本当に申し訳なさそうに言ってきた。
もちろん自分も喫煙者だ。
明日の分も含めてあと一箱以上残っている。
開けている箱には十数本が残っていた。
2~3本残っていれば十分であると思い10本ほどを渡した。
もちろんお金を受け取るつもりなど無い。
互いに山の話をし、共有したひとときを持てればそれで十分だった。

そうこうしている内に「洋風中華ごった煮」ができあがった。

コッヘルからコンソメと中華スープのコラボレーションの実にいい香りが漂っている。
この山飯は、本来であれば一週間前の尾瀬泊時に試すはずであったのだが、体調不良により早々に引き上げてきてしまった為、今日初めて食すことになった。
具材がたっぷり入っており、おかずとスープを兼ねた山ならではの優れもの!

にんじんが少々固かったことを除けば、自己満足とはいえ実に美味かった。
自炊をし、独りで食することは決して侘びしいことではない。
それが毎日続くのであればまた話は別だが、テントという日常では味わえない空間での食事だからこその楽しみがそこにはあった。

とにかく腹がふくれた。
だが、お楽しみはまだまだ続くのだ♪
残ったお湯で食後の珈琲を飲んだ。
カップを手にテントの外へと出てみる。
風が強い・・・。
ヘッドランプの灯りで、もう一度張綱とペグを確認した。


空を見上げれば月が美しい。
風にばたつくフライシートの音以外は何も聞こえない。
表銀座あたりがぼんやりとでも見えればと思い小屋の方へ歩いたが、周囲は漆黒の闇だった。
それでも安曇野の街明かりだけは綺麗で、寒さも忘れしばし見入っていた。


やっぱり寒いものは寒い!
それなりに防寒対策はしてきたが、「雪山対策」とまでは行かない。
テントに戻りシュラフに下半身を入れた。
じんわりと腰から下が暖まってくるのが実感できた。
今日がお初の「mont・bell ULSSダウンハガー♯0」だ。

時刻は19時を少しまわった頃で、そろそろいただくことにした。
夕方、小屋の売店で買った缶チューハイが二本。
酒肴は持参してきた乾き物がある。
冷えた身体を体内から暖めよう♪

18時頃の外気温が2℃ほどだったことから、すでに氷点下になっていることが十分に考えられる。
シュラフカバーをし、ソックスをアルパイン用に履き替えた。
そして熟睡のためにと思い持ってきた貼るタイプのカイロをシュラフの足の部分に貼り付けた。
自分の腰と背中にも一枚ずつ貼った。
ダウンジャケットは脱ぎ、フリースとインシュレーションで上半身を保温。
仕上げはネックウォーマーとイヤーウォーマー。
少し大袈裟かとも思ったが、寒さで寝付けなくなるよりはましだと考えての防寒対策だった。
また、念のために明日の分の水が入っているポリ袋をシュラフとカバーの間に入れた。


LEDのごく小さな灯りを消した。
暗闇に目が慣れるまでそう時間はかからなかった。
何となくではあるがフライシートのカラーが月明かりで透けて見えた。
時刻は20時過ぎ。
明日は朝食前に燕へ登り、そこで珈琲を飲むことが何よりも楽しみだ。
またそれが今回の最大の目的でもある。

相変わらず風を受けたフライシートが少しばたついているが、好天を祈り眠りに就いた。



秋、燕へ(本編):SUN GOES DOWN

2012年12月30日 00時09分48秒 | Weblog
12時40分、「燕山荘」へ到着した。

先ずはテント設営のための受付を済まそうと小屋へと向かったのだが、真正面に広がるあまりにも広大な北アルプスの稜線に完全に目を奪われてしまった。
見覚えのある峰々、登ったことのある山、未踏峰の山。
南は穂高・槍から北は鹿島槍・白馬までの180°の北アルプスが将に一望できたのだ。


夏に登った槍ヶ岳とはまたひと味違った北アルプスの大展望。
感動はあった。
確かにあったのだが、その感動とは明らかに違う何かに心を揺さぶられた。
知らず知らずの内に涙が流れてきてしまった。
(「あれっ、俺って一体どうしたんだろう・・・」)
何故涙が流れたのか自分でも分からない。
かといって、その理由を敢えて探し出そうとは思わなかった。

テント場を確認するが、今日はがら空きのようで何処でもOK状態。
だが、できるだけ好条件のポイントに設営するためにはやはり早い者勝ちだ。

小屋に入り受付を済ませた。
所場代500円なり。
いやぁ~実に安いものだ。
山小屋泊まりが一泊二食で9000円程度だから、この格安さは驚異と言ってもよい。
テントと言うごく限られたスペースではあるが、完全に自分だけのスペースであり、プライベートな極小空間。
いくら衣食住すべてを完全自立しなければならないとは言え、それはそれで登山ならではの楽しみとして捉えられる。
(まぁ天候にもよるのだが・・・)

テントの設営場所を決めるポイントは幾つかある。
できる限り地面が平らであり、且つ水平であること。
ペグダウンのし易さ。
風向きや陽当たり。
景観。
トイレには近からず遠からず。
隣に騒がしい輩がいないこと。

まぁこんなところだろうか。

ザックを置き、小屋前にあるテーブルへと向かった。
手に持っているのはガスストーブ(バーナー)と水、マイカップ、そして珈琲だ。
やや空腹感はあったのだが、それよりもこの絶景を見ながらドリップ珈琲が飲みたくて仕方がなかった。
もうそれだけで十分すぎるほど満足だった。

地図を広げてみた。
おそらくは燕岳に隠れているだけで、あの向こうには「劔岳」が見えているはずだ。
30分もあれば燕の頂へは行けることは知っていた。
だが、今日は敢えてこれ以上の行動はしなかった。
明日も間違いなく好天。
明日の朝、今よりももっと澄んだ空気の時間帯に劔を見ようと決めた。

テント設営は慌てることなくゆっくりと行えた。
そして選んだ場所はやや強い西風の影響を受けにくいところを第一とした。
できればテントの出入り口から燕を拝めれば申し分なかったのだが、長方形の設営地にテントの形状を合わせなければならない為、また、出入り口を風下としなければならない為それは叶わなかった。
それでも出入り口から顔を出し、ちょいと左を向けば目の前には燕だ。
これ以上は贅沢というもの。

設営を終えしばし周囲を歩いた。
特徴のある花崗岩が小屋の周りに点在していた。
富士も見える。
表銀座や裏銀座、後立山連峰もはっきりと見える。
ひとつ残念なことは騒がしいほどの人の声だった。
やたらとキャンキャラ声が響き渡っていたのだ。
山ガール達のいくつもの団体様が、あっちでキャーキャーこっちでキャーキャーと騒がしい。
楽しいのは分かるのだが、ちょっと勘弁してほしいほどの騒がしさだった。
まぁ彼女たちには彼女たちの世界があるわけで、俺は俺の世界に浸ることとした。

それでもあまりにもバカらしい喧騒に嫌気がさし、テントへと戻った。
何だかんだと言ってもやはり腹は減るもの。
夕食の時間にはまだ早すぎるのだが、非常食として持参してきたカップ麺を食べることにした。

燕を見ながら湯を沸かした。
沸点が低くすぐに湯が沸いた。

家で食べるラーメンと同じ物であるのに、まったく別物の様に美味い!
これも燕さんのおかげです。
燕さん、こんな美味いラーメンを食べさせてくれてありがとうね♪

17時。
そろそろ日が沈む頃だ。
急ぎカメラを持ち裏銀座方面を見た。

“SUN GOES DOWN”

稜線がシルエットとなり、空間を碧から黄、そして朱へのグラデーションへと染めて行く。
もう言葉などいらない。
わずかに数分間のグラデーションを愛おしみながら、沈み行く太陽を見送った。       

秋、燕へ(本編):いい加減なMOTIVATION

2012年12月20日 22時44分37秒 | Weblog
久しぶりに燕(本編)を再開したい。

登れども登れども樹林帯の中。
相変わらずテンションは低く、その分疲れも増しているような気がする。
時折振り返っては反対側の山を見るが、「まだこの程度しか登っていないのか・・・。」
一応高度計で確認はするが、ため息が出るだけで余計な動作に過ぎなかった。


天候には恵まれたが、まるで目標(目的)を失ってしまったような気怠さを感じたままの急登攀が続いた。

各ベンチで休憩をした。
その度、知り合った若いご夫婦と一緒になり会話が弾んだ。
唯一のカンフル剤と言ってもよい。

「早く視界が開けないものか・・・」
汗とため息と愚痴ばかりが出てくる。
情けないと思いつつも、足だけは上がっていた。

おそらくはもうすぐ「合戦小屋」というところに来てルート上に見慣れぬ岩が現れた。
「これが燕で有名な花崗岩かぁ」

若干ながらテンションが上がったような気がした。

岩肌に触れてみた。
ザラザラとした独特の触感が嬉しい。
「ひょっとしてもうすぐPEAKか・・・。」
そんな有りもしないことを願っている自分がやはり情けなかった。


11時。
合戦小屋に到着。
ここまで10分間の休憩を4回入れて3時間30分。
まぁゆっくりと来たからこんなものか・・・。

合戦小屋では、先に知り合ったご夫婦が自分の到着を待ってくれていたかのように話しかけてきてくれた。
疲れた体には何よりもありがたいことだ。


おかげで低かったテンションも回復し(笑)、登攀意欲がみなぎってきた。
とは言いつつも、ここでも会話が弾み、40分も休憩をとってしまった。
まぁあと1時間ほどで燕山荘だし、そうあわてることもない。
十分すぎるほど体力も気力も回復した。
さて、テント場に向けて頑張ろう!

しばらく登ると、彼方に見覚えのある山の頂が見えた。
「ん? あれっ? ひょっとして・・・。 いや間違いない。 『槍』だ。 あれは槍だ!」
遂に槍ヶ岳の頂が見えた。


つい2か月前に登ったばかりの槍が見え始めたのだ。
motivationは一気にMAX状態。
前半戦の気落ちした自分は何処へやら(笑)。
しばし槍を見つめ、あの夏の縦走を思い出した。
そしてここからは、先へ進めば進むほど槍の全体像がはっきりと目視できるようになってきたのだ。


「燕山荘」が見えるところまで登ってきた。
更には燕岳も見えた。
いや、それどころではない。遙か彼方には白馬連峰と思われる峰々までもがはっきりと目視できたのだ。

motivationなどとはいい加減なもので、たったそれだけのことで急に足取りが軽くなった。
ザックさえも軽く感じるほどで、ホントいい加減だなぁとつくづく思いながら小屋を、目指した。 

春を待つ

2012年12月10日 21時53分38秒 | Weblog
例年であれば11月中には花壇やプランターの花の総植え替えは済んでいるのだが、義母の入院と葬儀のこともあり今年は少し遅れてしまった。
今日は数週間遅れの花壇の植え替えをした。
天気は良かったのだが風が強く、そして冷たい。
指先がかじかむほどの寒さだった。

8月以来ずっと義母と一緒に生活をしてきた。
本来であれば一緒に住むことはないのが一般的であろうが、独り暮らしをさせることなど到底できぬ体であり、来春までの予定で日々を過ごした。

10月半ば頃まではまだ夏の花が咲き誇っており、「きれいだねぇ」と口癖のように呟いていたのをよく覚えている。
「春に向けてまた違う花を植えるから楽しみにね」
と返事をしたが、結局春に向けての花を見ることなく逝ってしまった。

いつもであれば無心で苗を植え続けるのだが、今年に限っては「きれいだねぇ」の言葉が脳裏から離れなかった。
土をいじることで嫌なことも忘れ無心になれたはずなのに、かえって思い出してしまうことばかりだった。

それでも春はやってくる。
今はまだ雪も降らぬ冬の走りだが、パンジーの咲き乱れる春を待っている。

看取った夜

2012年12月04日 22時17分00秒 | Weblog
義理の母は3年前に脳梗塞を煩った。
幸い後遺症は殆ど無く済んだが、それ以来急激に歳をとった感じだった。
この3年間は年に一・二度は入院をし、退院後は体調が完全に戻るまで一緒に暮らしていた。
今年の夏にも入院をし、8月下旬に無事退院となった。
その後はつい一週間前まで一緒に生活をしていた。

「今度はどこの山に行くんだい? ダメだよ気をつけなきゃね。」
口癖のように言っていた義母だった。
下山し帰宅すれば「あぁ~良かったよ、怪我もなくて。心配していたんだよ。」
ありがたいことだった。

つい一週間間のことだった。
急激に体調を崩し近くの総合病院に緊急入院となった。
昨夜仕事を終え、9時過ぎに病室へと向かった。
呼吸が荒く、酸素マスクをしている。
状態からして危篤であることは素人の自分でも分かった。
「今夜か明日かも知れないって・・・」妻が言った。
手を握り、肩に触れ耳元で語りかけると、一瞬だが明らかに目を開けた。

先ず自分が帰宅し夕食の買い出しをする。
入れ替わりで女房が帰宅し着替えてくることにした。
10時過ぎに病室に戻ると誰もおらず、義母一人だった。
どうやら女房とはどこかで行き違いになったようだった。

心拍数や脈拍数を示す装置を見ると、さっきよりも数値が低い。
5分ほど見ていたが、徐々に数値が減ってきているのが分かった。
そして黄色いランプが点滅し始めた。
急ぎナースコールをした。

数値は止まることなく減って行く。
手を握る。
何度も耳元で語りかけた。
「もうちょっと頑張って! もうすぐ○○が来るから、頑張って!」

透明な酸素マスクが息で曇ることはなくなった。
心拍数の数値は「0」を示し、黄色いランプから赤いランプの点滅へと変わって行った。
その数分後に女房が来た。
最期を看取ってやれなかったことを悔やんでいる。

「大丈夫。おばあちゃんは最期は独りじゃなかったんだから。」
それ以外に女房にかける言葉が見つからなかった。

冬への備え

2012年12月02日 22時35分55秒 | Weblog
冬への備え・・・。
と聞くと、日常生活上の備えと解釈するのが普通だろう。
だが、自分の場合は「山」という文字を敢えて抜いているだけのことであり、何のことはない「冬(山)への備え」という意味になる。

数ある昨シーズンの反省点を大まかに分類すれば「体力:持久力」「天候」「ルートに適したギアの選択」「ギア」の4つに分けられる。
体力面における年齢的な部分は別として、これは日々の積み重ねが肝心であり、ここでは省略させていただく。

「天候」については、できうる限り実施日に近い正確な情報を得ることが重要であると言うこと。
実施予定日の天候だけではなく、可能な限り当日、無理であるなら前日の現場の降雪状況を知ることだ。
それによってトレースの有無や持参すべきギアも予測できる。
近くのスキー場に直接電話をすることも大切である。

「ルートに適したギアの選択」
こればかりは経験と失敗が大いに生かされるものだ。
意地を張らず、無理せず、そして適切な判断を下す。
そうすることで無駄な体力や時間を浪費することもなくなってくる。
たとえ持っていったギアが無駄に終わっても、「持ってくればよかった」と後悔するよりはましだ。
スノーシューなのか、アイゼンなのか。
アイゼンならば何本爪にすべきか。
はたまた「つぼ足」で間に合うか。
ストックかピッケルか・・・等々、そのルート状況に適した選択の正確性を向上させたい。

最後に「ギア」。
最もつらかったのは「水分補給」だった。
ハイドレーションの管の内部が凍結してしまい、適宜水分補給ができなかったことだった。
どんなに喉が渇いてもどうすることもできなかった。
雪や氷(つらら)を口にしても、その量はたかが知れている。
あれは辛かったなぁ・・・。

そして冬山専用のアルパインブーツではなかったこと。
今シーズンはアルパインブーツを新規購入した。
それがこれだ。

「SCARPA:モンブランGTX」

多くのメーカー、何種類ものアルパインブーツを試し履きをし、消去法で最後に残ったブーツだ。
履き心地(フィット感)はどの靴も一長一短的なものであったが、このブーツが決めてとなったのは「二重構造のベロ」とでも言えばよいのか、通常一枚のベロであるのだが、更に内側にもう一枚のベロが付いており、このベロがマジックテープで移動可能となっている。
「道具に頼る」のではなく、「適した道具を生かす」ということだ。
写真ではよく分からないのだが、この二枚目のベロが「甲」の部分のフィット感を可能にしてくれた。
もちろん保温効果もアップだ。
また、ネオプレンを用いたカフも嬉しい
保温力の向上はもちろんだが、予想以上にスムーズに膝を曲げることができるのだ。
そして軽量さ。
片方の重さが約1㎏。
アイゼンを装着すればより重量は増すのは当然だからこそ、ブーツそのものの軽さはありがたい。


ハイドレーションについては、自作の保温カバーなどを装着したが、あまり意味を成さなかった。
悔しいが現実は厳しいね。

今シーズンはあくまでも試し的なことだが、他メーカーのインシュレーターを用いてみることにした。

どこまで耐えられるのか分からないが、やらないよりはまし。
幸い管が通ってくれたので、さっそく試してみたい。

ザックから管を外部にさらけ出す部分を少なくすれば、それだけ管の凍結を防ぐことができることは分かってる。
ジャケットの襟部分から入れ、脇の下を通すことで管を保温させることもできよう。
だが、問題は吹雪時にフードをかぶってしまった時どうするかだろう。
まぁ今のところそこまで心配しても仕方がない。

雪中テント泊や雪を溶かしての水作りなど、やってみたい・・・ではなく、仕事上やらなくてはならないこと、経験を積まなければならないことはたくさんある。
いきなりの雪中テント泊は場所にもよるが、先ずは無人小屋での一泊経験だろうか。

さぁて、スクワットでもするか。