ひとり旅への憧憬

気ままに、憧れを自由に。
そしてあるがままに旅の思い出を書いてみたい。
愛する山、そしてちょっとだけサッカーも♪

久々の雪山テン泊:フロントポインティング

2017年04月27日 23時24分05秒 | Weblog
大した距離でもなく、大した難易度でもないが、先が読みにくく、ましてや雪の下がどのようになっているのか十分にわからない。
不安はあるが、それでもこの先がどうなっているのだろうという期待感の様なものが勝っていた。


ルートはここしかないというポイントを選び、ピッケルを刺して雪の状況を確かめる。
確実に確保できるポイントに刺し、次にアイゼンの前爪を蹴り込む。
「何とかキックステップで・・・」と祈る思いだったが、どうしてもフロントポインティングでしか登れないピンポイントがあった。

一端自分が上まで登り、そこからフロントポインティングの場所を指示するしかなかった。
フロントポインティングは、AM君は二度目、OC君は初めての経験となる。
道具(アイゼンの爪)を信じなければ絶対にできない登攀技術だと思う。


AM君が登ってきた。
先ずは、刺したピッケルが確実に動かないことを確認してから次の動作に移るよう指示した。
大丈夫だ。彼ならできる。


次にOC君の番だったが、この場合、登る順番を間違えてしまった。
経験値から言えば二番手はOC君で、AM君を最後にすべきだったと反省している。
つまり、ほぼ初心者のOC君を間に挟み、何かあった時に前後のどちらかからでも対応できるようにしなければならないということだ。


距離はいたって短いが、斜度のきついルートが続く。
ここでも数カ所はフロントポインティングでの登りとなった。
今度は岩の窪みに前爪を引っかけてのフロントポインティングだ。
しかし考えようによっては、他の二人にとって技術や経験値を高めるにはお手頃のポイントであるには違いない。
とにかく距離が短いことが幸いしているのだ。


ザイルは無かったが、この程度であればOC君でも登ってこられるだろう。


ピッケルの刺し方がまだぎこちないが、それも「慣れ」だ。


少し距離のある急斜面の登りとなった。
それでも荷物が無く身軽である分楽な登りだろう。
「赤岳になったら、これくらいの斜度の登りがずっと続くし、風だってかなりの強風だからね。」
上からそう言い、AM君を励ました。


「ガンバー! 三点支持でゆっくりと確実に登れば大丈夫だから!」
顔では笑っているが、こんな経験はOC君にとって生まれて初めてのことだろう。

何とか三人とも登り切った。
だが、残念なことにここより先へと進むことは叶わなかった。
何故なら、この先は全面ほぼ絶壁に近い状況であり、最低でもザイルがなければどうすることもできない。
できればスリングやカラビナも欲しいところだ。


「う~ん、残念! もう少し行ってみたかったなぁ・・・。」
時間にして僅か1時間程度のルートだったが、全くの初ルートは楽しいものだった。


これから氷柱ポイントまでもどり、再度滝壺へと向かう。
今回の予定はそこまでだが、下山後の楽しみが三人を待っている。

久々の雪山テン泊:新ルート?

2017年04月25日 01時34分06秒 | Weblog
雪山の山中とはいえ、標高は2000mにも満たないだけに、外気温はマイナス15°程で済んだ。
これは非常にありがたく、厳冬期の雪山としては暖かい方だ。
夜中もほぼぐっすりと眠ることができた。

翌朝は6時過ぎにのんびりと起床し、目覚めの珈琲を一杯。


外へ出てみると一切の雲もなく、将に冬晴れピーカンそのもの。
女峰岳方面の岩肌は、それなりのモルゲンロートになっていた。

朝食は谷川岳の時と同じでスライス餅のおしるこ。
数ミリの薄切り餅をお湯でしゃぶしゃぶすればすぐに食べられる。

餡がなかり甘く、そう大量には食べられなかったが、寒い朝に熱々のおしるこは嬉しい限りだった。

「谷川の朝よりも今日の方が寒い感じがしますね」
と言いながらも嬉しそうに食べるAM君。
「時期的にも今が一番寒いし、それに谷川の時は完全防風の小屋の中だったからね」
そう言いながら自分も6枚程食べた。

8時過ぎにテント場を出発。
今日は、昨日発見したポイントへと向かう。
そして雲龍瀑へはその後にもう一度向かう予定だ。


早朝の氷柱群は見事だった。
だが、第一の目標はここではなく渓谷の奥地だ。
いつもであれば滝壺へ向かう急斜面を登るのだが、氷柱からそのまま真っ直ぐ渓谷に沿って奥へと進んだ。

もう何年も、何度も訪れている雲龍渓谷だが、このルートは初めてだ。
果たしてルートと呼べる程のものか否かわからないが、行けるところまでは行ってみたい。


どこをどう進めばよいのか・・・。
一見行けそうでも、雪の下はどうなっているのか全くわからない。
歩けそうなポイントを探しゆっくりと進んだが、やっぱりここは自分がトップとなるんだろうなぁ(笑)。
踏み抜きや踏み外しが怖い。
「OC君、トップをやってみたい?」と聞いたが「いえいえ、遠慮しておきます。」
と、予想通りの答えが返ってきた。
AM君にも視線を送ったが、ニヤッと笑って視線をそらされた(笑)。

はいはい、わかってるって。
ここはやっぱり俺の出番だろうなぁ。
頼りにされて嬉しいような怖いような。
ちょっと複雑な思いだった。

最深部と思われるポイントまで来たが、そこにも小さな滝があった。
表面は完全に凍っていたが、よく見ると氷の奥に水が流れ落ちているのが見えた。

実に新鮮な気持ちだった。
ルートとは言えないルートだが、自分でそれを探し出して進んで行く。
ちょっとした探検気分だった。


これ以上は絶対に行けないポイントでパチリ。
AM君、御満悦♪


いまにも崩れ落ちそうな大岩だが、探検気分、バリエーション気分を味わうことができる。

この滝から奥へは行けないのだが、少し戻ると右側に登れそうな斜面があった。
果たしてこの先がどうなっているのか・・・不安と楽しみが混沌としている。

久々の雪山テン泊:SURPRISE!

2017年04月22日 22時49分02秒 | Weblog
海鮮鍋と海鮮雑炊で十分に空腹を満たしたが、「何かちょっとした口直しがあれば・・・」と、雪山の中ではあまりにも贅沢すぎることを考えていた。

「えっへっへ、持ってきたんですよ♪」
と、AM君がザックから取り出したのは、なんと! コーラだった。
これには自分もOC君もビックリだった。

缶コーラ3本分と言えば、重さにして約1㎏になる。
普段の生活では1㎏の重さなど気にすることの程ではないが、でかいザックを背負っての雪山ともなれば1㎏の意味は大きく違う。
本当にありがたいサプライズに唯々感謝するばかりだった。


早速「カンパ~イ!」
恥ずかしい話しだが、もったいなくて一気飲みなどできなかった。
一口ずつ「ゴクリ」と味わいながら飲んだ。
これも非日常的環境、空間ならではの思いだ。

時刻はもうすぐ20時になろうとしている。
いつものテン泊であればそろそろ就寝時間にしなければならないところなのだが、今夜に限ってはまだ早い。
明日は6時に起きて朝食を食べ、8時頃から活動開始。
午前中一杯活動しても、14時頃には下山することができる。
ということで、酒盛り開始ぃ~!

お互いに持ち寄った酒と酒肴。
自分とAM君はバーボン、OC君は缶酎ハイ。
狭いテントの中でささやかな宴が始まった。

あまり飲み過ぎると夜中に喉が渇き、どうしても水が飲みたくなってしまう。
貴重な水をそうは無駄にはできない。
チビリチビリとゆっくりと飲んだ。

仕事のこと、山のこと、学生時代の思い出、ちょっとだけ恋話(笑)。
男三人が雪山の山中で、しかもテントという狭い区間であれば、お互い隠し事もなく腹を割って話し合える。

こうして夜はゆっくりと更けていった。
時刻は22時をまわった。
後片付けをし、シュラフに頭まですっぽりとくるまり体を横たえた。
外気温は何度なのか・・・。
気になるところだったが、酒も手伝ってか一気に眠りに就くことができた。

久々の雪山テン泊:待ってました~!!

2017年04月19日 00時40分35秒 | Weblog
外はすっかり暗くなってきた。
いよいよ厳冬期雪山の洗礼を受ける時間帯へと突入だ。
だが、これからしばらくはバーナーを使うことで暖を取ることができるし、何よりも食事で体を暖めることができる。

幾つかの注意点もあるが、先ずは「酸欠」だろう。
入り口付近にいたOC君には申し訳なかったが、入り口のファスナーは1/3程開けたままにしておくことで酸欠防止とした。
そしてもう一つは、コッヘルをひっくり返さないこと。
調理中は必ず誰かがコッヘルの取っ手を持っていることにした。
いくらバーナーの下に板を敷いているとはいえ、不安定なパウダースノーが大元にあるわけだから、コッヘルがちょと斜めになっただけでもひっくり返ってしまうことが考えられる。
腹ペコ山男三人が一番楽しみにしていた晩飯は、何が何でも守らなければなるまい!


最初にアルファ化米用のお湯を沸かした。
この僅かな炎でさへ、あまりにも冷え切った指先をじんわりと温めてくれた。

今夜の鍋料理用に持参してきたコッヘルだったが、一気にすべての具材を入れて煮るには少し小さかったようだ。
「男三人分じゃやっぱ無理だったか・・・」
そう言いながらもみんな笑っていた。
楽しくて、嬉しくて仕方がないのだ。
雪中テント泊をしない人たちから見れば、何を好きこのんでくそ寒い厳冬期の雪山の中でテント泊などを・・・と思うだろう。
だが、雪崩や猛吹雪などの危険性が無い限りは、テント泊において雪中テン泊ほど楽しいものはないと思う。
確かに「不便だ、寒い、身動きがとりずらい」等々ネガティブに思える部分もあるし、あまりにもこぢんまりとしたスペースの中ですべてをこなさなければならない。


「それが楽しいのだ!!!(笑)」


不便を不便と思わず、非日常的な世界で衣食住をこなす。
たとえコッヘルが小さくて一度に作れなくても「それがどうした。順番で入れて順番に食べれば済むこと。」
だからみんな笑って過ごすことができる。

今夜の海鮮鍋、第一弾は「野菜君達」。

スープはマイルド豆乳味。
具材は、白菜・ニラ・エノキの三種のみだが、これがまた美味かった。
エノキの歯ごたえが不思議と食欲をそそり、スープが喉を通る度に体の中に温かさがじんわりと伝わってくる。
一口食べる度に思わず笑みがこぼれた。

第二弾、と言うよりメインは海鮮類。

かに味噌味のスープを足して、更にワタリガニを入れた。
ワタリガニの味が十分に出た頃合いで具材を投入。

ホタテ、エビ、白身魚、魚肉のつみれをドドーンと大量に煮た。
もうテントの中は魚介類のにおいで満ちあふれだした。
「あ~たまんないです。早く食べたいです」と、OC君。
「もうちょっと待て。一応生ものだからね。」と、自分。
しかし「やっぱ、もういいか。食べよう♪」


「美味いです。本当に美味いですねぇ~」と、OC君。
「雰囲気もあるだろうけど、やっぱここまで頑張って担ぎ上げてきたことも美味さなんですよね。」
AM君の一言にOC君が大きくうなずいた。


海鮮の具だけで三杯もおかわりができてしまった。
ちょっとした幸せ気分だった(笑)

さて、鍋の〆はやっぱりこれでしょう。

白米を入れての海鮮味雑炊。

でもって忘れてならない生卵を投入。

生卵を入れ、ゆっくりとかき混ぜればできあがり。
雪中テン泊でなんとも贅沢な夕食だ。

十分腹もふくれ、体も芯から暖まった。
今居る場所が、誰もいない雪山の中で、しかもテントの中であることを忘れさせてくれる程の気分だ。

後は酒を飲んで寝るだけ・・・と思っていたら、なんと! AM君から口直しのサプライズの差し入れが登場した。
「えっへっへ、みんな喜ぶと思って口直しを持ってきたんですよ♪」

ガサゴソと、ザックから取り出したのは・・・。

久々の雪山テン泊:テントが・・・どうする!?

2017年04月17日 00時16分21秒 | Weblog
さて、何はなくとも今夜の宿を作らなければならない。
男三人と大型ザックが三つともなればそれなりの大きさのテントが必要となるわけだが、職場のスタッフ仲間から借用してきた「クロノス♯4」であれば問題ない。

先ずは「雪面ならし」と意気込んだのは良いが、雪がどうにもこうにもサラサラで一向に固まってくれない。

三人並んで「1・2・1・2」と踏み固めたのだが、全くと言って良い程効果無し。
「さて困ったぞ・・・。まぁしょうがない、少しかき出してあとはパウダースノークッションで我慢するか。」
自分がそう言い出し、とりあえずスコップでかき出し、可能な範囲で押し固めた。

「いやぁ全然ダメですね」と、AM君。

自分が心配しているのは寝る時の体勢などではなく、水作りや調理時のコッヘルの安定性だった。
もしもの事を考えて、ベニヤ板とアルミ板との二つを持ってきたのだが、結果としてそれが役だってくれた。

ペグはもちろんお手製の竹ペグだ。
しかしこのサラサラ雪だけに、いつもより深く掘って埋めなければならないだろうということは予測できた。

いつもであればせいぜい30㎝程度の穴を掘るのだが、今回は50㎝程の深い穴を掘りベグダウンした。

「Our Houseの完成だぜぃ!」
お湯を沸かし、珈琲を飲んでくつろいだ。
だが、そう暢気にしてはいられない。
まだまだやることがたくさんあるのだ。

とりあえずゆっくりとできるのは「水作り」を終え、夕食の準備を済ませてからだ。
できるだけ綺麗そうな雪面を探し、レジ袋に詰め込んでテントへと持ち帰った。
「大変かもしれないけど、やることだけやっておけば後は楽だから。」
やることはやらねばならないが、四国の南国育ちのOC君にとっては、これだけの寒い銀世界は初めてだろう。
しかし、本当の寒さはまだこれからだ。
日が落ち、深夜から明け方にかけての時間帯が最も気温が下がる。
すべてが人生初の体験になると言っても過言ではない。


まるでテロリストのような格好だが、このバラクラバ(目出し帽)をしていなければ、とてもじゃないが過ごすことができない程気温は下がっていた。

「よっしゃ、作るぞー!」
自分が融雪を担当し、OC君は濾過を担当してもらった。
AM君は遊撃手として二人の間に座ってもらい、融雪と濾過の補助。

雪はほぼ水になればOKで、すぐに珈琲のドリップペーパーで濾過した。


今夜の調理分、明日の朝食分、そして明日の行動水。
それを三人分としてどんぶり勘定し、更にプラスα分を作らなければならない。

今回の水作りでは、年末の谷川岳の時の反省を生かし、ドリップは2個準備してきた。
これで倍のスピードで作ることができる(はずだ)。

ドリップ2個は大正解だった。
予定していた以上の短時間でかなりの量の水を作ることができた。
だが、バーナーを使用しているとはいえテントの中は寒く、手はとっくにかじかんでいた。
「どうOC君、この寒さはかなり堪えるだろう?」
「そうですね、愛媛じゃあり得ないですね。へっへっへ」

夜の寒さに対する準備は十分に教えてきたが、それでも実際にその状況になってみて初めてわかる辛さがあるだろう。
「まぁ飯食えば体は暖まるから大丈夫だ。それに酒もあるしね♪」

今夜のメニューは贅沢なまでの「海鮮鍋」だ。
汁はもちろんかに味噌で、エビ、ホタテ、白身魚、かに(と言ってもワタリガニ)、すり身のつくねがメインになっている。
今こうして思い出しても、あの時の海鮮鍋は本当に美味かった。

久々の雪山テン泊:なかなかいい感じ♪

2017年04月10日 23時21分11秒 | Weblog
氷柱群。
通称「神殿」に近づくにつれ、初めて訪れた三人は興奮してきたようだ。
「おっ、おぉ~~!!!」
「わぉ~、すっげぇー!!!」
次々に感動の言葉が出てき、言葉の後には幾つもの感嘆符が付いていそうだった。


事前にネットの画像で今期の状況を調べておいたが、「今年もちょっといまいちかな・・・」と思ってはいた。
しかし、想像していた以上の張り具合に安心した。

ここへ来たら先ずはこの位置からの雲龍瀑を見せてあげたかった。

氷柱の裏側から見る雲龍瀑。
凍った滝の全体像がよく見えるだけでなく、氷柱の裏側という隠れたポイントでもある。


「僕の故郷じゃ考えられない光景ですよ。冬になればつららはできますが、せいぜいこんな物じゃないですかねぇ・・・。」
と言って、親指と人差し指の二本だけを伸ばした。
OC君、あまりのスケールに大はしゃぎだった。

このポイントで最も注意を必要とするのは足下ではなく「上」だ。
つまり、突然氷柱が崩れたり折れたりすることがあり得るということ。
それだけではない。
真下に伸びかけた太いつららが途中で折れ、「氷の槍」となって襲ってくることもある。
事実、滝壺に向けてスタートし始めた時、数メートル後ろで太さ30~40㎝、長さにして1.5mはあろうかというつららが落ち、その不気味な音に全員ビビってしまった。

滝壺へ出発する前に全員でポーズ!

氷柱ポイントから滝壺までは約20分程で行ける。
いきなりの急登攀となったが、ここは慌てなければ問題はない。

さすがAM君はもう慣れたもの。
谷川岳での経験が役立っている。

雲龍瀑そのものは見事に凍っていてくれた。
残念なことは、滝の周囲の張り具合が十分ではないこと。
暖冬ということだけでなく、その年その年によって多少の違いがあるだけに残念なことだ。

初めて訪れた三人は、どうしても氷の塊に近づきたいらしいが、氷柱同様にここも危険ポイントであることに違いはない。
時折岩壁や氷が崩れ、落石・落氷となって襲ってくるのだ。

滝に向かって左側に少し登ることのできるポイントがある。
自分は登ったことはないのだが、あきらかにトレースがあり行ってみることにした。

高いポイントからの雲龍瀑。

「へぇー、なかなかいいね♪」
と、感心していると、AM君からの質問。
「こっちは行けないんですか?」
彼が指さした場所は、雲龍渓谷の最深部に近い場所で、自分たちが登った高いポイントの裏側だ。
「さぁ・・・行ったことがないし、行けるかどうかもわからないなぁ。 明日になったら行けるところまで行ってみようか。」

果たしてどこまで詰めることができるのかわからない。
ルートを探し少しずつ登って行くしかないだろうし、積もった雪の下がどのようになっているのかもわからない。
(空洞になっていて、落ちるかも知れない)
危険と言えば危険なルートだろう。
楽しみ半分、不安が半分と言いたいが、やや楽しみが上回っている。

滝壺で昼食を食べ、テン場へと戻ることにした。

Oさんはこれから完全な下山となり、残った我々はテント設営をしなければならない。
名残惜しいが雲龍瀑ともお別れだ。


久々の雪山テン泊:先ずはお手頃ポイントで

2017年04月06日 01時16分59秒 | Weblog
2017年。
年も明け、次第に厳冬期へと入って行く。
栃木県の日光の奥地にある「雲龍渓谷」そして「雲龍瀑」への期待が徐々に高まってくるのもこの時期だ。
もちろん今期も雲龍へは行く予定だが、職場の若手にはまだ行ったことのない者もいた。
誘ってみたところ「是非とも!」という返事をもらい、早速計画を立てたのだが、「男三人で日帰りかぁ・・・。なんかもったいないぞ。」と思い始めた。
幾つかの計画を立て、その中の一つに「テント泊」を入れてみた。
若手スタッフ二人からは「楽しそうですね」と言われたこともあり、今年は「雲龍渓谷・雲龍瀑テント泊」を決行することになった。

幕営地をどこにするかで悩んだが、まぁ男三人もいるのだから、安全であれば「どこでも・・・」となった。
一応の候補地はあったのだが、実際に現場に行ってみなければ安全性を確認できないこともある。
とりあえず荷物を背負い出かけた。

初日は知人のOさんも一緒。
Oさんは仕事の都合で泊まることはできなかったが、雲龍瀑までは一緒に行動する。


全員見事なまでの「プライマリーブルー」一色のハードシェル。
おそらくは自分の真似をしたのだろうと勝手に思ってはいるが、実際に最初にこの色でこのジャケットを購入したのは自分である。
まるでどこかの山岳会か遭対協のメンバーの様だった(笑)


他の三名にとっては初めての雲龍渓谷だ。
今年は昨年よりも積雪があり、ポイントよっては足が埋まってしまうこともあったが、雪が少ないよりは楽しいものだ。

どうせ一泊だから。そしてどれほどザックが重くてもせいぜい3時間も登ればいいだけだ。
そう思い、食材はちょっと贅沢な程のものとなった。
けっこうな汗をかく程の天候でもあり、上りはそれなりにきつかった。

「もうすぐ幕営地の予定ポイントだから、もうちょっとだけ頑張ろう。」
みんなに言うだけでなく、自分にも言い聞かせるようだった。

通称「展望台」と呼ばれているポイントに着きザックを下ろした。
展望台の下にも幕営候補地があったのだが、雪はたっぷりあってもその下は河原であり、見えていないだけで川も流れていた。
「やっぱりここにしよう」と、テン場は展望台に決定した。

アタックザックだけを背負い、「友知らず」「氷柱」そして「雲龍瀑」を目指した。

展望台から下り、少し歩けば「友知らず」と呼ばれる氷の壁のポイントに着く。
距離はやや離れてはいたが、「う~ん、ちょっと淋しいかな・・・」と思える氷の張り具合だった。


Oさんや若手スタッフは間近で見る氷の壁に感動しっぱなし。
ましてやスタッフの0C君は四国の南国育ちであるだけに、このような光景は生まれて初めて見るものだ。
そりゃぁ言葉も失う程だろう。
であれば、この先の氷柱や凍った滝を早く見せてあげたい。

数カ所の渡渉を越え、氷柱ポイントへと近づいた。

「な・なんですかあれは!」
OC君から思わず出た言葉だった。
とんでもなく太くてでかいつららが落ちてくることもあることから、真下で留まらないことだけを注意し氷柱へと向かった。
OC君の表情が次第に変わっていった。

シーズン一発目!:思わぬ出会い!

2017年04月04日 23時31分35秒 | Weblog
避難小屋へと戻り、下山に向けてのパッキングを終え後は山を下りるだけとなった。

「なんかもう一泊したいくらいの天気ですね」
「そうなんだよ、わかるよその気持ち。天気の良し悪しってそれくらい気持ちが左右されるんだよなぁ。」
何度登っても、何年登り続けてもモティべーションは天候で左右されやすい。
ましてや100%のピーカンともなれば尚のことだ。


小屋の入り口に立てられている指標。
「エビの尻尾」が見事なまでに発達していた。
それだけ風が強いポイントであることの証拠なのだが、昨日到着した時には見落としてしまっていた。


10:30分に下山開始。
たった一泊の避難小屋であったが、どれほどの強風であっても一切の風の侵入を許さず、快適にそして安全に一夜を過ごさせてくれた。


今日はかなり暑くなりそうだ。
12月の年の瀬間近ともなれば、平地でも日中は手がかじかむ程の寒さだが、たとえ雪山であっても動いている時は相当の大汗をかく。
そして休憩時ともなれば汗冷えに襲われる。
常にその繰り返しなのだ。


「墨絵」はモノトーンの描写だが、もし青い墨汁があればその一色の濃淡だけで描くことができそうな世界だ。
幾重にも重なっている峰峰が美しく、思わず見とれてしまった。

と、その時だった。
「○○さ~ん!と、自分の名前を呼ぶ声が聞こえた。
「ん?AM君はまだ俺の上にいるし・・・誰?・・・どこから?」
周囲を見回していると再び「○○さ~ん!」と自分を呼ぶ声。
それはこれから登ってくる登山者の呼び声で、下の方からだった。

手を振っている。
顔は・・・よく見えない。
自分も近づいてみると・・・。
「えっ! えっ! Tさん?! Tさんじゃないですか!」
山仲間とも言える知人のTさんが単独で登ってくるのがわかった。

彼は登山をこよなく愛しているだけでなく、山そのものを愛し、畏怖心や畏敬の念までも持っている正真正銘の山男だ。
それだけではない、山に関わる人たちへの感謝の気持ちも決して忘れないジェントルマンでもある。

「いやぁー昨日から一泊で登るって知ってて、ひょっとしたら会えるかなぁって思ってたんですよ。良かった良かった! 会えて良かったです!」
自分も嬉しい。
自分と彼だからこそ分かち合える山での出会いが、これほどまでに嬉しいものなのかとしみじみと思った。

Tさんは日帰りでここに来たそうだ。
名残惜しいが、お互いに逆方向に向かって別れた。
別れてしばらくしても、不思議な清々しさが残った。

山頂のロープウェイ駅に着きアイゼンを外した。
ゴンドラの窓からつい数時間前に自分たちがいたポイントがはっきりと目視できた。

AM君にとっては初めての雪山登山だった谷川岳。
本来であればもう少しレベルを下げて挑むのが筋であろう。
しかし、敢えてここを選んだことで見えてきたものもある。
「ひょっとして彼なら八ヶ岳も・・・。しかも北横岳とか天狗岳とかじゃなくて、思い切って赤岳とかでも・・・。」
単独ではまだ無理だろうが、自分が一緒で彼の体力と技術習得の早さであれば・・・。
そんな思いがした。

雪山の事故について思う

2017年04月01日 01時27分15秒 | Weblog
3月22日~23日にかけて、職場の後輩を連れ南八ヶ岳を縦走してきた。
22日は先ずテン場まで行き、テントを設営後に赤岳登頂。
翌23日は硫黄岳に登り、そこから横岳~鉾岳~日の岳と縦走した。
まずまずの天候にも恵まれ、充実感一杯の思いで帰ってきた。

だが、その直後に起きたあの山岳事故。
しかも自分の地元の高校生と引率教員。
複数の高校の山岳部による合同合宿で起きたあまりにも痛ましい雪崩による死亡事故は、自分にとっても衝撃の大きいものだった。
自分の住んでいる市にある高校の山岳部も参加していたのだ。
ましてや、嘗ては自分の親父はその顧問教師でもあった。
自分は山岳部ではなかったが、決して他人事では済まされない程に胸が痛い。

そしてもう一つ。
事故現場以外の雪崩の状況が気になりネットで調べてみたが、ゾッとする程血の気が引く思いになった。
3月23日、「赤岩の頭(かしら)」直下で雪崩が起きたとのこと。
「ちょっと待て、23日って・・・俺たちが登った日じゃないか。ましてや赤岩の頭の直下を登ったじゃないか・・・。」

「赤岩の頭」とは、テント場から硫黄岳へと向かう途中にあるポイントで、標高は2656m。
横岳に登るにはどうしても避けられないルートでありポイントでもある。
もちろんその付近は雪庇が発達しやすく、雪崩の危険性が高いことも承知だった。
過去に雪崩により死亡者が出ていることも知っていた。
だからこそ気温の低い朝の内にそこを通過してしまおうと計画を立てたのだ。

赤岩の頭直下を登り始めたのは7:30頃のはずだった。
ということは、雪崩が起きたのはその後の時間帯ということになる。
何時頃に起きてしまったのかは不明だが、外気温などの気象状況によっては自分たちが巻き込まれていてもおかしくはない。

一緒に行った後輩にラインで連絡を入れた。
彼もすぐに調べたようで、「あんな事故があっただけに、自分たちが今生きていることに感謝したいです。運が良かったと言ってしまえばそれまでですが、生きていることが何か不思議な気がします。」
と、返事が来た。

「生きている」「生かされている」「偶然」「必然」
いろいろな言葉が頭の中を駆けめぐった。

もしあの時、もう少し時間がずれていたら・・・。