ひとり旅への憧憬

気ままに、憧れを自由に。
そしてあるがままに旅の思い出を書いてみたい。
愛する山、そしてちょっとだけサッカーも♪

そうだ 京都へ行こう・・・3

2008年02月23日 00時23分02秒 | Weblog
寺田屋では、さらにちょっとした出来事があった。
一通り内部を見学した後、外に出てみた。その時道の向こうから、な・なんと「舞妓さん」が二人歩いて来るではないか!
「おぉラッキー♪」と思ったが、「ちょっと待て。この界隈に舞妓さんの出番があるような店はない。はは~ん、なるほどね(ニヤリ)。」
そう、おそらくはと言うより、間違いなく「なりきり」ってやつだ。
つまり観光客が貸衣装を着て界隈を歩くプランだろうと確信した。
まぁそんなことは個人の自由だし、と思っていたところに息子からのタイムリーな、いやいや、言ってはならない一言。
「お父さん。すっげぇーブス!」
敢えて否定はしなかったが、「まぁまぁ。好きでなりきってるんだから・・・」

15時頃ホテルにチェックイン。しかし今日はまだまだ忙しい。
すぐに地下鉄に乗り、下車後「白峯神宮」へ向かった。
ここは「毱(けまり)」の神様をまつっている神社だ。
境内へ入り驚いた。Jリーグの各チームが参拝に来た形跡があった。
社務所でお守りを買うと、あの高原選手や、日韓ワールドカップ当時の日本代表チームが奉納したボールがあった。我々サッカーばか親子にとって超レア物である。
「触っていいですか?」と聞くが、返事をもらう前に親子でボールを奪い合うように触れたり頬ずりしたり(笑)。
参拝の後、境内の敷地に敷かれている白い砂を一握り内緒でもらってきた。
サッカー部に所属している息子は「これもお守り」の一言だった。

ここからしばらく歩いた。
途中「御所」に沿って南下。あの「蛤御門」に立ち寄った。「禁門の変」当時の弾痕がいくつもあり、激戦を物語っていた。
更に歩いてたどり着いたのが「池田屋(跡地)」だ。
石碑が残されているだけであるが、さすがに大河ドラマの影響か。以前にはなかった詳細な説明書きまでもセットになっていた。
三条大橋の欄干にもたれ、しばし休憩。ちょうど黄昏時とあって、木屋町の灯りが鴨川の水面に映され、なんとも京都らしさを満喫させてくれている。
「あのひとの姿懐かしい 黄昏の河原町。 恋は恋は弱い女を どうして泣かせるの」
かなり古い歌だが、無意識で口ずさんでいる自分だった(笑)。

京料理専門店で夕食を済ませたが、まだ息子には京料理の良さまではわからなかったようだ。「なんでこれっぽちの量しかないのに高いの?」「まったくだね」
私もそう感じつつも、地酒に満足していた。

「新京極」へ行き、おみやげを買うことにしたが、以前訪れた新京極とは明らかに様相が違っていた。活気がない。そしてみやげもの屋があまりにも少なくなっていたのである。
ある店に入り聞いてみたが「そうですね、かなり減りましたね。」とのこと。
これも時の流れか・・・。

最後に、坂本龍馬、中岡慎太郎が命を落とした「近江屋跡」へ立ち寄り、ホテルに戻ったのは夜の8時頃になっていた。今日一日で結構歩いたこともあり、早めの就寝。
明日は壬生へ行く。


そうだ 京都へ行こう・・・2

2008年02月19日 23時09分46秒 | Weblog
大学時代、卒業旅行として「九州→京都→浜松」へのひとり旅をした。バイトで貯めた金で念願の寺田屋へ三泊もしたのだ。
その時訪ねたのが「大黒寺」である。
寺の方に当時の「御朱印帳」と、今回購入した御朱印帳の二冊を見せた。
「あぁこれは住職の字ですね。はい、私の父です。そうですか、長い間持っていてくださったんですね。ありがたいことです。」
昔の御朱印帳を見ながら合掌してくれた。
住職は今もご健在であるとのことだが、あいにく留守にしていた。
「父が帰りましたら、このことを報告いたします。きっと喜ぶと思います。」
妙に照れてしまったが、私自身も懐かしさで一杯だった。

墓地へ行くと、九烈士の墓はすぐにわかった。騒動の後、西郷隆盛が建立したものである。
息子はまだ寺田屋騒動について詳しくは知らない。墓標の前で「精忠組」についてと、その同士による斬り合い。そして有馬新七の最期の言葉「おいごと刺せ!」等々を話した。
時代が時代とはいえ、あまりにもむごい出来事だった。

ここから歩いて数分のところにその「寺田屋」がある。が、その前に昼時ということで、有名な某酒蔵があったので立ち寄った。関西風のうどん定食を注文したが、地ビールの誘惑に負け、軽~く一杯。のつもりが、あまりにのどごしがよく、もう一杯。
なんで日本酒の酒蔵に地ビールが・・・?
とも思ったが、経営方針に口出しはするまい。うまけりゃそれで良し♪
ほんのり赤ら顔だったが、ここのうどんがまた美味かった!

さて、寺田屋に行くと。観光客で賑わっていた。
前述したが、学生時代と、社会人になって出張で京都に来たときに、二度ともお世話になった宿である。
残念ながら現在は建物の老朽化が激しく、昼間の一般公開のみになっている。
ここでも懐かしいと言うか、恥ずかしい記録がまだ残されていた(笑)。
学生時代に泊まったとき、部屋の中にある「屏風」に、いろんな落書きが書いてあるのに気づいた。おそらくは、龍馬に憧れ心酔していた私のようなバカどもが、宿を利用した際にその想い想いを勝手に書き綴ったものだ。
もちろん私もその中の一人とならせていただいた(笑)。
大学を卒業し、社会へと出て行くその直前。訳がわからぬまま大人になって行くことへの自分自身への不満。社会への不満。そして龍馬への憧憬。あまりにも真正直に書かれている(笑)。
読み返してみればみるほど「青かったなぁ~」。しみじみ感じた。
照れと気恥ずかしさと懐かしさが一気に蘇ってきた。
まさかこの屏風がまだ残っていたとは・・・。さすがにこれだけは息子には教えられなかった。見つからなくてよかった(笑)。

そうだ 京都へ行こう・・・1

2008年02月19日 00時55分07秒 | Weblog
娘との京都旅行はひとまず・・・。
このタイトル、どこかで聞き覚えがある・・・が、まぁ気にしないで書こう。

大河ドラマが始まると、ドラマに関係やゆかりのあるその土地が観光で賑わう。
息子と京都へ行ったときも、かなりのブームであった。
平成16年の春、恒例になった「親子で行く幕末維新への旅」として、京都へ出かけた。
京都へは、私が学生時代から何度も幕末維新を訪ね行っている。案内にはいささか自信があった。しかし、折しも新選組ブーム。おそらくは観光客で賑わっていることは容易に予測できた。
そこで事前の計画を二人で練りに練った。夜遅くまで観光ガイドブックや歴史物関係の書籍を読みあさり、「ここはちょっとレアだぜ」「ここは混雑するだろうけど、はずせないなぁ」などと語り合い、実施計画(案)を立てた。
できあがった計画案を見直すと、超マニアックな内容となってしまった(笑)。
おそらくは新選組ファンといっても、まさかここにはこないだろうという場所が何か所かあった。
「念には念を」を重ね準備万端。いざ京都へ!

第一日目、10時頃に新幹線で京都着。コインロッカーに荷物を預け「東寺」へ。
東寺は特に新選組とは関わりはないが、駅から一番近い寺で、「御朱印帳」が買える寺なので寄った。
五重塔がいかにも京都らしさを醸し出していた。
幹線道路を市内バスが走っている。バスのボディーには京都名物の広告が・・・と思いきや、なんと新選組の広告までも。嬉しいというより、ちょっと不思議な光景だった。
「御朱印帳」には、後日談があるが、東寺で記帳してもらいそのまま伏見方面へと向かった。
近鉄の最寄りの駅からかなり歩いた。タクシーを使えばいいのだが、見知らぬ土地を歩くのが我々のモットーだ。と言うより単に経費節約のため(笑)。
「鳥羽伏見の戦い開戦の地」を目指すが、なかなかたどり着かない。すれ違う人に聞いてもそんな場所は知らないという。おかしい・・・。何か間違えたかな。
後でわかったことだが、前述した通りあまりにもマニアックな場所なので、土地の人でさえよくは知らないのだそうだ。(なんてもったいない)
歩いて約40分。やっとのことその場所に着いた。
公園内には開戦について記された石碑があった。そして少し歩くとマニアックな「小枝橋」。さすがに観光客らしき人は誰ぁ~れもいない。写真を撮りまくっている私を「何をやっているんだろう?」という通行人の視線が痛いほど突き刺さったのをはっきりと覚えている。(気にしない気にしない)
ここからはさすがにタクシーを使った。さすがは国際観光地の運転手さん。気さくでサービスがいい。事細かな情報まで・・・と思ったが、「小枝橋まで来る人なんて、まずはいないですねぇ」と一言。これをどう受け取っていいのか迷ったが、まぁ気にするまい。
車は「大黒寺」へ着いた。そう、あの寺田屋事件で亡くなった「薩摩九烈士」の墓がある寺だ。
ここを訪れるのは実に20年ほどぶりになるか。懐かしい想いで境内へ入って行った。





意外な返事。嬉しいけど・・・

2008年02月13日 23時31分43秒 | Weblog
私も息子も幕末維新にどっぷりと浸かっている。
ここ数年、中学2年の娘もその傾向にある。
きっかけは私と兄の影響だが、「るろうに剣心」とかいうアニメの影響も大きい。なにせ中学にはいると、剣道部にまで入部してしまったほどだ(笑)。

先日、半ば冗談で「春休みに京都に行くか? 新撰組、龍馬、薩摩、長州あたりの史跡案内するぞ」と言うと「行く行く!! 連れてって♪」ときた。
まさかふたつ返事でくるとは予想できなかったなぁ(笑)。
父親と一緒に旅行だなんて、中2にもなれば間違いなく嫌がると思っていたのに。
逆に自分がなんだかんだで気を遣いそう・・・。
これって素直に喜んでいいものなんだろうか・・・。

外で珈琲が飲みたくなった。

2008年02月11日 23時13分09秒 | Weblog
自分で書いたツーリングの思い出ブログ。
書きながらやたら珈琲が飲みたくなってきた。いまこの部屋の中で飲んでもつまらない。そうだ、庭に行こう!
昨夜、夕食を済ませた後、ごそごそと物置を物色。「あったあった、これこれ♪」
昨年春に買ったアルコールランプである。アルコールランプと言っても、理科の実験で使用するようなものではなぃ、れっきとしたアウトドアー用だ。
ガスやガソリンバーナーと比較してしまえば、火力は圧倒的に落ちる。しかし、湯を沸かす程度なら数分だ。
特に、時間と気持ちにゆとりがあるときはこれに限る!
女房が「ま~た始まったわ」ってな顔をしている(笑)。

冬の夜の寒さは半端じゃない・・・が、それなりに着込んでしまえば、また楽しい。
釣り用の簡易イスに座り、煉瓦を適当に組み立てて小さなテーブルもどきを作った。照明はいつもの空き缶を利用したランタンが3つ。十分な明かりだ。
350㏄のお湯が数分で沸き、ドリップで入れ飲んだ。
「ほぉ~~」と息をはく。湯気と吐いた息の白さに冬の寒さが見える。
だが寒さを楽しむのもまたおもしろい。
中学2年の娘がやってきた。「飲みた~い!」と一言。
娘と二人で飲む冬の珈琲。美味かったぁ♪

トリプルなひとり旅・・・5

2008年02月09日 01時48分31秒 | Weblog
マットを敷いて寝たとはいえ、毎度のことながらさすがに石の上はきつかった。
背中がきしむように痛い。

朝食は、昨日買っておいたパン。そして珈琲だけ。
バーナーで湯を沸かし、ドリップする。
のんびりと風景を眺めながら飲む珈琲は、いつもと違った環境だけに、それだけで美味さが引き立つ。

閑話休題
仲間と一緒にツーリングに出かけるときでも、簡易バーナーとドリップ珈琲の準備だけは欠かせない。
観光地などの湖畔や道ばたにバイクをとめ、湯を沸かして飲む。
「あっ、美味しそうですね。こんなところで自分たちで珈琲を入れて飲むなんて素敵ですね♪」
すれ違う若い女性の観光客たちが声をかけてくる。

なんてことは一度もなかった・・・。

まぁ美味いのは確かだが、やはり雰囲気を含めて味わっているのだ。
さて、今日は「河井継之助記念館」だ。
10時の開館とともに入館するが、入館者は自分を含めて3人。
だが、おかげで静かにじっくりと見学することができた。
彼は長岡で脚を撃たれ、只見へと逃げてきた。
そして最期に息を引き取った部屋がそのまま残されていた。
彼の苦しい息づかいが聞こえてきそうだっだ。
複製ではあるが、「ガトリングガン」も展示されていた。当時の日本に3丁しかなかったこの世界初のマシンガンを、彼は独自で2丁も購入したのだ。
それが是か非かは別として、それだけでもまさに屹立した発想と行動力だったといえよう。
午前中一杯をかけ見学した。
土地のうどん屋で昼食を済ませ、家に帰ることにした。
再び「伊南川」に沿って走る。バイクをとめ振り返ると、只見の山々が見渡せた。
「八十里 腰抜け武士の 超す峠」
傷を負い、只見へ向かう駕籠の中で詠じた自嘲の句だ。
「八十里越」と呼ばれる道は今は無く、名だけが残っている。
あっちの方かな・・・と思いつつ、只見を後にした。
途中、塩原温泉付近で猛烈な夕立に遭った。
あまりにも突然で、雨具を着用する暇さえなく、わずか数分で全身ずぶ濡れになってしまった。
鬼怒川の竜王峡にある、いつも利用しているドライブインへ寄った。
「あれまぁ」と、あきれ顔のおばさん。「あれまぁ」と言いながらも、手にはバスタオル。本当にいつもながらありがたい。
夜、自分の部屋で数年ぶりにある本を開いた。
司馬遼太郎氏の「峠」だ。読むのは3度目になるが、胸が熱くなるほど新鮮な想いで読めた。

トリプルなひとり旅・・・番外編

2008年02月07日 00時58分59秒 | Weblog
「ソロキャンプ」についてちょっと書いてみたい。
私が一人でキャンプをする時、幾つかの優先事項がある。ケースバイケースにもよるが、第一は「安全対策」である。
安全対策と言ってもいろいろあり、「病気やけが」「自然災害」「動植物」「人間」などである。
ただ、安全を優先するばかりに、目的やムードをなくしたくはない。その辺のバランスは経験や体験でとっている。
今だから言えるが、ナイフをポケットに入れ、棒きれを抱きしめて眠ったこともある。(相手は動物・・・笑)
次に優先するのはテントを張る場所。
仲間と行くときはオートキャンプ場だが、一人の時はできるだけ「孤独」と「不便さ」を楽しみたい。故に自ずと人気のない場所を選んでいる。
川原、砂浜、山間の道から外れたちょっとしたスペースなどである。
次はアイテム作り。
空き缶を利用した「簡易ランタン」や枝で作った串、フォーク。時間があれば、なたで木を切り、ロープで組み立てた簡易テーブルなど、楽しくてしかたがない。でもこれって自然破壊行為かも・・・。
最後は食事作り。
メニューをあらかじめ考え、持参するものと途中で買い出しするものに分ける。
もれは某アウトドアー雑誌の情報がかなり役立っている。まぁレシピ通りにできるとは限らないが、どうせ一人だしね♪
とにかく「不便を楽しむ」こと。これが楽しいんだな♪
それと忘れてならないのが、周囲に迷惑をかけないこと。もし、近くに民家があった場合、「変な奴がテントにいるぞ」などと、不安を抱かせてしまわないようそれなりに配慮しなければならない。

平和であるからこそできる楽しみだが、ここでは書けない怖い思いや失敗談だってそれなりにある。それでもやめられない、わがままな中年ライダーだ。

トリプルなひとり旅・・・4

2008年02月05日 22時23分26秒 | Weblog
予定の時間よりもかなり早く只見に戻ることができた。
おかげでじっくりと「ソロキャンプ」をする場所を決めることができた。
といっても結局は地元の人に尋ね、安全そうな川原を選んだ。
「伊南川だったらいくらでも川原があるから」と言われ、行ってみると、なるほどそこにはかなり広い川原が何カ所かあった。
天気予報によれば、今夜と明日は晴天。雨の心配はないので増水もない。
バイクで入って行けそうな小石の多い場所を選んだ。
まずは買い出し。水、ヒレカツ、卵、野菜、ハム一本(笑)、ビール。
今夜のメニューは以下の通り。
カツ丼、チキンラーメン、珈琲、ビール、ジャーマンポテトもどき。そしてハム一本。
気をつけてバイクを走らせたつもりであったが、川原に入っての悪路のせいか、卵が割れてしまった。まぁどうせかき混ぜるのだから気にするまい。男の野外料理はワイルドで行こう!
テントを設営し、薪を集めに出かけた。すると小学生らしき数人が、川遊びをしていた。「こんなに木を集めて、このおっさん何をするんだろう?」ってな目で見ていた。
「それ何するの?」
「今からキャンプをするんで、薪を集めてるんだよ。火がないとご飯が炊けないからね」
「おもしれー。俺たちも集めようぜ!」
子供の好奇心とは、いつの時代も旺盛であり、冒険心に満ちている。おそらく立場が逆でも、自分も彼等と同じことをして一緒に集めたであろうことは間違いない。昔の自分を見ているようだった(笑)。
彼等のおかげでかなりの量を集めることができた。感謝である。
テントの横にあったバイクに乗りたがっていたが、それだけはできなかった。
タンデムでもさせてあげたいのはやまやまだが、他人のお子さんだ。けがをさせたら・・・。「またがるだけ」の約束で我慢してもらった。

まるで自分たちが主人公のような少年たちだった。
火をおこし、米をとぎ。料理活動に積極的だ。(「楽しくてしかたがないんだろうな」)
だが、この後どうするのか・・・。まさか自分一人だけで食べるわけにもいくまい。こんな展開になるとはちょっと予想できなかった。
「みんなも食べたいだろ?」と聞くと、一人前に遠慮しているではないか(笑)。
「一緒に食べようか」の言葉に白い歯がこぼれていた。
できあがったカツ丼は彼等に。結局自分はチキンラーメンだけとなった。
いいじゃないか。俺だって楽しくてしかたがない♪

日も暮れ始め、彼等は家路に戻っていった。
なんともワイルドでにぎやかな夕食だったが、これもまた旅の思い出が増えたと思えば心が和む。
焚き火の炎は小さく、その周りを優しく照らし出していた。バーナーランタンもあったのだが、今はこの炎に限る。
遠くには民家の明かりがぽつぽつと見えるだけ。静かな夏の夜だ。
さて、そろそろ始めるか!
買ってきたハムを5㎝ほどの分厚さに切り、薪をナイフで削って作った串に刺す。それを焚き火の炎で焼いて食べる。
昔何かのCMで見たことを一度やってみたかったのだ。でもこれって昼間の子供たちと同じ感覚(レベル)なんだろうな・・・まぁいいか。
つまみはジャーマンポテトもどき、そして焼きハム。川で冷やしておいたビールが美味い。ビールが空けば、空き缶をナイフで半分に切り、中にろうそくを立て、これまた簡易ランタンのできあがりだ。
たまに通る車の音が遠くに聞こえる。あとは川のせせらぎと、パチパチという焚き火の音。そして、見上げれば満天の星空。ゆったりとした時間の流れ。このまま寝てしまうにはあまりにも惜しい夜だ。
「流れ星でも見えないかなぁ。」なんて柄にもないことさえ思ってしまった。
小さな焚き火と、ろうそくだけの照明で本を読んだ。長岡で買った歴史ものだ。
やがて薪がなくなった。テントに入り、今度はろうそくだけの明かりで本を読む。ちょっと無理があった(笑)。
明日は「河井継之助記念館」へ行く。ろうそくの火を消し、眠った。



トリプルなひとり旅・・・3

2008年02月04日 00時41分32秒 | Weblog
2日目。今日は忙しいぞ。
せっかく払った朝食代なんだからと思い、バイキングではかなり腹に詰め込んでやった。ちと苦しいが、これも貧乏性の悲しい性か(笑)。
朝から暑い!そんなわかりきったことと思いながらも、やっぱり活動的な夏が大好きである。
まずは市内にある「招魂社」「栄涼寺」などへ行き、墓参りをした。
その時代の歴史に名を残した人の墓の多くは、何故かいくつもある。おそらくは戦いの中で散った彼等の大部分は、遺体さえはっきり残っていない人もいるだけに、「魂」だけの墓標とか、あるいは分骨された墓標、あるいは遺髪のみの墓標というようなことだと推測する。
だって自分が知っているだけで、河井継之助の墓は三箇所もあるし・・・。

時間があれば「山本帯刀」氏や「山本五十六」氏についても見学したかったが、昼前になんとしても朝日山古戦場に行かねばならない。バイクを飛ばした。
朝日山では徒歩が中心だった。はっきりとした戦痕が残っているわけではなかったが、会津藩戦死者の墓標がいくつもあった。
だがこれは昭和11年に建てられたもの。つまりは賊軍だったからである。死後60年以上も経てからやっと建てられたなんて。
賊軍として卑しめられた旧幕府軍の無名戦士の墓標は、全国的に見てもあきらかに粗末なものである。しかも死後かなりの歳月が経ってから建てられたものや、旧幕府軍とわからないように(ばれないように)名を変えて石に刻まれたものもある。
戦いとは常に虚しい。(合掌)

小千谷にある「慈眼寺」へと向かった。北越戦争が決定的となったあの「小千谷会談」が行われた寺である。
ここでもまた、憤りを感じる悲しい出来事があったのだ。
嘆願書を手に、中立を願い出た長岡藩筆頭家老の河井と、新政府軍の軍監「岩村精一郎」が会談したのであるが、岩村は新政府軍総督府へ取り次ぐことすらせず、「長岡賊なり」「長岡討つべし」と一方的に決めつけ、会談は決裂となった。
河井継之助42歳。岩村精一郎20代半ば。河井の立場が不利だとはいえ、もし、相手が若さ故の単純な高圧的態度をとることがなかったら。
もし、総督府にいたとされる「西郷従道」か「大山 巌」に連絡が届いていれば・・・。長岡藩の、そして北越全体の戊辰の歴史は明らかに違っていたと断定できる。
人の上に立つべき立場にある人間の器加減で、歴史は大きく変わって(歪んで)しまったのだ。
只見へ向かう途中、信濃川の橋にバイクを止め、遥か榎峠、朝日山を望んだ。

現在、その慈眼寺はあの地震により崩壊してしまった。

トリプルなひとり旅・・・2

2008年02月03日 00時47分44秒 | Weblog
R252の途中、ちょうど新潟との県境は長いトンネルだった。「六十里超トンネル」と呼ばれ、冬だったら「トンネルを過ぎるとそこは雪国だった」にふさわしいかも知れない(笑)。
長袖は着用していたが、さすがに標高が高くトンネルの中は肌寒かった。
それほどゆっくりと走ったわけではない。道が混んでいたわけでもない。予想していた以上の山間路だったのだ。
「このままじゃ夕方までに長岡には着かないかも・・・。」
そう、宿の手配をしていなかったのだ。
ひとり旅の気軽さと手軽さは、反面いろんなリスクを伴う。だが臨機応変であるのもひとり旅ならではだ。
いざとなれば2泊ともテントで野宿。まぁ初めからそのつもりではあったが(笑)。
それでも残念ながら夕方には長岡に到着した(してしまった)。
民宿を探したがなかなか見つからない。夕食代を別にすれば安いビジネスホテルとそれほど料金は違わないと判断。とにかくライダーブーツを早く脱ぎたかったのだ。
手頃なホテルを見つけチェックイン。部屋に入りお湯で濡らしたタオルで顔や首を拭くと、汗と車の排気ガスの汚れがべっとり付いていた。
「きったねぇ~」と思いつつも、久々の長距離ライディング。うん。満足!
駅前あたりを歩いた。土地の人間になりすました。
だが、荷物を最小限にするため履物はライダーブーツしか準備していない。どう見ても怪しげな風体だろう。確かにすれ違う人の視線が足もとに注がれていたっけ。
ラーメン屋に入っても「お兄さんどこから来たの?」と聞かれた。
店主さんらしき人と会話が弾む。おかげで貴重なネタを知ることができた。
河井継之助という人物への賛否両論だった。
確かに戊辰戦争において彼は歴史に名を残した。しかし、見方を変えれば、長岡という城下町を戦禍に巻き込んだ張本人であるというのだった。
その通りかも知れない。改めて歴史とは両刃の剣であると痛切に感じた。
ホテルに戻り、入浴後ちょっと贅沢にマッサージを頼んだ。
首と腰とふくらはぎが痛い。これも長距離ライディングゆえのことだ。
おばあさんのマッサージを受けながら、旅の目的や家族の話をした。
「ひとりで出かけられるなんて、そりゃぁ贅沢ですよ」と言われた。
反論できない(笑)。だんだん子供のことが気になってきた。女房はどうでもいい。子供たちは元気にしてるかな?
お土産は何がいいかな。やっぱり俺ってわがままなんだろうな。
気持のいいマッサージのはずが、気が滅入りそうになってしまった。
寝る前に、少し酒を飲みながら明日の予定を確認した。
酒・・・もちろん越後の地酒だ。冷で飲んだがこれがまた美味かった。
さぁ、明日は長岡郊外、小千谷、朝日山古戦場、そして再び只見まで戻らなければならない。