ひとり旅への憧憬

気ままに、憧れを自由に。
そしてあるがままに旅の思い出を書いてみたい。
愛する山、そしてちょっとだけサッカーも♪

最後は3000m越え:反省(教訓)を生かして

2015年05月30日 22時38分53秒 | Weblog
去年のこの時期、本谷橋から約2時間をかけて涸沢ヒュッテまで登った。
予定していたルートタイム通りと言えば聞こえは良いのだが、結構きつかった覚えがある。
それはザックの重さの影響もあるだろうが、予定時刻通りに到着することにこだわり過ぎ、オーバーペース気味での登りだったからだ。

今回はザックの重さはやや軽いが、予定は予定としゆっくり目でのペースを守った。

カールを見渡せるポイントまで来て、奥穂高岳がはっきりと目視できるようになっても慌てずのんびりと歩き続けた。
きついことはきつかったのだが、バテるまでには至らずヒュッテまで到着することができた。
時間にして2時間15分だった。

「おぉ~まだまだあるなぁ・・・」
思わず出た言葉だった。

まだ途中ではあろうが、おそらくはヒュッテの方が除雪機を使ったのだろう。
見た目で積雪8mはあるだろうか。
「設営はこの上かな」
まず小屋へ行き受付を済ませた。
設営場所を考えたが、今のところ自分を含めてテントは4張りのみで、どこでもOK状態。
風向きと、僅かでも設営と壁の跡を利用できるポイントを選んだ。

風は緩く、北から西にかけての吹き下ろしだった。
早速設営を始めた。
雪山の場合ペグは当然「竹ペグ」のような物を用いるが、問題は予めテントから伸びている張り綱とに結びつけるロープ(ひも)の素材を何にするかだ。
去年は「麻ひも」を用いたのだが、残雪期における設営には不向きだということが分かった。
時期が初冬や厳冬期であれば麻ひもでも良いのだが、水分を多く含んだ残雪期ともなれば、麻ひもでは脆く切れやすくなってしまうのだ。
幸い去年は夜間を通して風は殆ど無くテントが飛ばされそうになる心配はなかった。
しかし、撤収となりいざスコップで掘り起こし麻ひもを引っ張って竹ペグを抜こうとしたら、ごく僅かな力しか入れていないにも関わらずあっけなく紐が切れてしまったのだ。
「これじゃぁ風が強かったらテントは飛ばされてたかも・・・」
麻ひもがいかに水分に対して脆いかが分かった。

では代わりに何を用いるか・・・いろいろと考えてみた。
もし、残骸として残さねばならない事になった場合、環境への影響をも含めて考えた。
丈夫さと環境との両立は大切なことではあるが、この時期であれば凍って掘り起こせなくなってしまうことは殆ど無い。
であれば丈夫さを優先すべきだと思い、ナイロン製の紐を用いた。

どこの家庭にもある荷造りに用いるものだが、耐水性は麻ひもと比べるまでもなく強い。
結果としてこの紐にしたことでテントと自分が助けられることになろうとは、この時は想像も予測もできなかった。

設営時間は約30分程だった。
穏やかな風であったこともあるが、、積雪期のテント設営にもかなり慣れてきたと思う。

一つ気になることがあった。
この写真には写ってはいないのだが、お隣さんのテントの向きが風上になっていたのだ。
つまりテントの入り口が風上に向けられており、他人とはいえ心配だった。
「まぁ今のところ風は大丈夫だろう。」
そう思い声は掛けなかった。

やはり暑い!
だが、これ以上汗をかくような予定はない。
ゆっくりと一服しながら早速お湯を沸かし珈琲を飲んだ。
涸沢は、標高で言えば地元の男体山とほぼ同じになる。
「そっか、俺は今、男体山のてっぺんで珈琲を飲んでいるのと一緒なんだな・・・」
何度もここで飲んだことはあるが、あらためて男体山のてっぺんと同じと思うと、涸沢の高さが身に浸みてきた。

明日登攀予定の小豆沢ルートを見上げた。
まだ時間は十分にある。
「散歩がてらちょっと行ってみるか。」
そう思い、何も持たず登ってみた。
雪は緩いが、つぼ足でも途中までなら登れそうだった。
トレースもしっかりとついているし、これなら大丈夫だろう。
そう、この時はそう思ったのだ・・・が。

テントへと戻り、夕食と明日のアタックの下準備をした。
「まだ(夕食)には早過ぎるなぁ」

シュラフにくるまりささやかなお昼寝タイムとした。

最後は3000m越え:台風が心配

2015年05月27日 00時48分33秒 | Weblog
「涸沢テント村」とはよく言ったもので、今年のGW期間中も北アルプスの涸沢は色とりどりのテントで溢れかえったようだ。
ネットで調べたり、山仲間からの情報では今年は雪解けが早く、テンションはやや下がり気味となっていた。
それでも一年前から立てていた計画を実行。
今年の雪山の締めくくりは「奥穂高岳」だ。
この山を登れば、雪山登山における標高の自己記録を更新できる。
しかし、台風の接近によりどれだけ山が荒れるかが懸念された。
「まぁ無理せず登れるところまでは・・・。」

5月11日の早朝5時30分に上高地入りした。
肌寒かったが、天候はまずまずで一安心。
軽く朝食を食べ登山届けを提出、そして準備運動をし5時50分ターミナルを出発。
久々の20㎏越えのザックは堪えるなぁ(苦笑)


定番の一枚を撮った。
まだだれも河童橋にはいなかった。
あまりの静けさに嬉しさがこみ上げてきたが、日中ともなれば観光客の喧騒で賑わう場所だ。
今だけこの刹那の静寂をじっくりと感じていたい。

遙か遠くには残雪の北アルプスの峰々が屹立している。
この風景を何度眺めたことだろう。
初めてここに来たのは自分が26歳の時だった。
登山を始めてまだ3年目であり、山の怖さなどろくに知らない生意気な青二才だった。
そんなことをふと思い出しながら、梓川沿いを歩く。
新緑の上高地は本当に気持ちが良く、足取りも軽い。(だがザックは重い)

明神を過ぎて昨年とほぼ々ポイントで猿の群れに遭遇した。
ここの猿たちはいたって大人しく、えさを求めて人を襲うことは無い。
むしろ人間なんて無視しているかのような素振りだ。

心を和ませてくれた猿たちと別れ徳澤園に着く頃、なんとこんな樹木を見つけた。

花や樹木にはとんと疎いが、これって「桜」か?
殆ど葉桜にはなってしまっていたが、間違いなく桜の木であろう。
「へぇ~・・・」っと感心しながら徳澤園に到着した。
ここまでちょうど80分。
最初の休憩を入れた。

GWも終わってしまえば登山者は極めて少なく、途中大きなザックを背負っている人とすれ違ったのは僅かに2名だけだった。
ここで休憩している人も、自分を含めて3名だけ。
日本屈指の登山ルートとしては少し淋しい気もする。

横尾では行動食を食べた。
背中にはうっすらと汗を感じていた。
「ここから先がまた汗をかくんだよなぁ・・・」

ババ平(槍ヶ岳)へと向かう人がおり、雪の少なさと台風の影響について話をした。
「もう一日早ければねぇ」と、お互い苦笑い。
安全登山を願いここで別れた。

ジャケットを脱ぎ、残雪の前穂高を見ながら再びスタート。
樹林帯の中は蒸し暑い。
徐々に積雪が目立ってきたが、やはり昨年よりも少なめであることは明らかだった。


屏風岩を見ても雪は少ない。
北穂を見ても同じ。
なんかテンションが更に低くなってきそうだ。
この先、本谷橋を過ぎてからが今日一日の中で最も体力を必要とするルートとなるのに、こんなテンションで大丈夫か?
自分で自分が心配となってしまった。

この辺りから多くの下山者とすれ違うようになった。
これから先のルートや奥穂高岳の最新の情報を仕入れることができた。
やはり山自体の積雪は少ないらしい。
う~ん、なんとか気持ちを盛り上げて進みたいところなのだが・・・。

本谷橋で小休止。
時刻はまだ昼前だし、今日は急ぐ必要はない。
のんびりと休憩をし、アイゼンを装着した。
「このアイゼンを使うのもこれで最後か・・・。」
だからこそ良い思い出を作りたいし、なんとしても登頂したいものだ。


斜度が徐々に厳しくなってきた。
と言うより「暑い!」
だらだらと汗がしたたり落ちてくる。
「ここから先が長いんだよなぁ~」
延々と続くような雪の斜面をひたすら登り涸沢へと向かった。(「暑っ!!!」)

花に想う・・・

2015年05月15日 01時32分25秒 | Weblog
GW明けの先日、今期最後の雪山登山として「奥穂高岳」を目指した。
台風が接近している情報はあったが、まぁ無理せず行けるところまで・・・と思い、計画を実行した。

詳細は後日アップすることとして。

5/11
肌寒い上高地を6時にスタート。
順調に進み、約4時間で「本谷橋」へと到着した。
ここでいつも通り簡単に昼食を摂った。
ここからの約2時間がきついのだ。
テントを詰めたザックの重量が痩せた肩に「これでもか!」と食い込んでくる。
見上げた一面雪の斜面はたいした斜度には見えないが、振り返って見ればかなりの斜度であることが分かった。
かなりきつい。
去年もそうだった。
だから、今回は絶対に飛ばさずに登ることにした。
だが、やはり最後が最もきつい。
50歩登っては一息つくようになってしまった。

テントの設営後はのんびりと明日に向けての予備調査を行った。
30分程度だったが、明日の予定ルートを登ってみた。
「雪が緩いなぁ・・・」
一応地図を用いて磁北線の他に方角線を一本記入しておいた。
ほぼ直登ルートだけに、ある意味助かった。
後はコンパスを頼りに登ればOKだ。

夕食後アタックに向けた荷物の最終チェックをした。
早めに眠りに就いたのだが、23時頃に目が覚め、テントから顔を出し夜空を見上げた。
星空が美しい。
これなら明日は大丈夫かな。

しかし、やはり天気予報は正しかった。
フライシートに雨粒の当たる音で目が覚めた。
時刻は午前1時を過ぎていた。
風も強く、時折テントが飛ばされるんじゃないかと思う程の強風となった。
眠れない・・・。
大雨の中アルパインジャケットとパンツをはいて外へ出た。
ヘッドランプの灯りが雨を照らすと、大粒の雨が自分の目の前をほぼ真横に飛んで行くのが分かった。
「この風かよ。きついなぁ」
体を煽られながら、何とか刺した竹ペグの上に雪を詰め直した。
張り綱もチェック。
これで眠れる・・・と思ったが、あまりの風の強さに不安が勝り、結局ほとんど眠ることができなかった。

幸い夜明け前に雨は止んでくれたが、まだ風だけは強かった。
行くか止めるか悩んだが、行けるところまでと決め、アタックザックを背負った。
ガスが濃く、視界も極端に悪く短い。
おまけに大雨のせいで、昨日よりも更に雪は柔らかくなってしまっていた。

「はて、トレースが・・・」
そう、雨で表面が溶け、確実なトレースが分からなくなってしまっていたのだ。
一応トレースらしき痕跡はあるのだが、それが足跡なのか。それとも唯の凹凸なのかがはっきりとした確証が持てなかった。

地図とコンパスで直登ルートを探した。
方角は間違いないだろうが、一抹の不安は残る。
「行けるところまで・・・」と思ってはいても、極端に濃いガスで先が殆ど見えなかった。

約1時間程登っただろうか。
雪面の緩さでアイゼンの爪が利いてくれない。
ピッケルも同様だった。
なのに斜度は増してきている。
そして、遂には落石の洗礼を受ける羽目になった。
雪山の落石ほどいやらしいものはない。
音を立てずに落ちてくるのだ。
雪面が雪で柔らかいため音がほとんどせず、聞こえた時には自分のすぐ目の前とかの状況になってしまっているのだ。
それだけではない。
この濃いガスのために、どこから落ちてくるのかさへも分からなかった。

つい先日、隣の前穂高岳で落石事故で人が亡くなっていることを思い出した。
「止めよう。今回は止めた方がいい。」
自分としては意外ときっぱりとあきらめがついた方だった。
これも1月の横岳縦走の一件があってこそだろう。

テントへと戻り、お湯を沸かした。
インスタントだが、甘いチャイを飲んだ。
飲みながら思った。
正直に言えば悔しい。
それでも、今までの悔しさとは少しだけ違っている。
素直に登攀を諦めることができただけ経験が生きているのだ。

再びテントを担いで山を下りた。
途中驚いたことに、ルート上の雪面一帯には折れた樹木の枝が一面に広がり落ちていた。
先へ進むと、今度は枝だけでなくかなり太い樹木までもがなぎ倒されたかのように何本もルートを遮っていた。
両脇の斜面から折れて落ちてきたのだろう。
昨夜の風の強さがこれほどまでとは・・・。

横尾で一休みをし、徳澤へと向かった。
お楽しみである徳澤園のソフトクリームが待っている(笑)。
これがまた実に美味いのだ!

あと2時間もかからずに上高地へと着く。
今夜はここでのんびりとテント泊だ。
慌てることもないのでスピードを落とし、ゆっくりと歩いた。
ゆっくりと歩けば、周囲に目も向いてくる。
足下には真っ白な花が群生を成し咲き乱れていた。
「チングルマか・・・、葉はハクサンイチゲに似ているけど・・・。」
そんなはずはなかった。
チングルマもハクサンイチゲも、両方とも夏の高山植物だからだ。

花に詳しくない自分がちょっと恥ずかしかったが、足を止めその場に座り込んでまでその花を見ていた。

陽のほとんど差し込まない場所に咲く白い花。
つい数時間前、滑落と落石に身の危険を感じていたことが嘘のようだった。
それらを忘れさせてくれる花だった。

「もう少し花の名前を覚えなきゃな・・・(苦笑)」

再びの横岳縦走:小さな登山者

2015年05月07日 21時52分09秒 | Weblog
地蔵の頭を目の前にし、下ってきたルートを振り返った。
碧い空に残雪の岩稜群が映える美しいルートだと思った。
時に泣き出したくなってしまう程の苦しさと辛さを与え、時に感動と充実感を与える。
すべては天候や己の技術、経験によってその違いはあからさまとなるが、今回は山の神様が微笑んでくれたようだ。


地蔵の頭で行動食を摂り小休止とした。
再び横岳方面を見上げ、そして赤岳も・・・。
赤岳の山頂から下山してくる登山者が数名目視できた。
できることなら赤岳をも含めての縦走としたかったが、目的はあくまでも横岳。
今日はこれでいいと満足できた。

地蔵尾根ルートにはやはりみごとなナイフリッジの雪庇があったが、前回よりも雪は溶けており、スムーズな下山となった。
行者小屋までの下山時間は30分だった。
おかげでかなり時間を稼ぐことができ、ここでも小休止をとる余裕ができた。

越えてきた横岳をもう一度振り返った
「今日もすれ違ったのは一人だけだったなぁ・・・。」
そんなことを思いながら煙草を吸う。
あとは美濃戸口までの樹林帯をのんびりと戻るだけなのだが、リベンジを果たしたという嬉しさよりも、天候に恵まれた事の方が遙かに嬉しかった。
「さぁ、帰ろう。」

行者小屋をスタートしてほどなく、一人の登山者と出会った。
今日出会った二人目の人で、これから小屋まで行きテント泊をするそうだ。
赤岳へは明日登頂を目指すのだが、実はソロではなかった。
なんとまぁカワイイ!

名前は忘れてしまったが、とても人なつっこい柴犬だ。
明日は共に登るそうだ。
「頑張れ、しっかりとね」
そう何度も言いながら頭を撫でたのだが、ふいに宗次郎のことを思い出した。
「あいつには無理だろうなぁ。(笑)」
そんなことを思いながらも、早く家に帰り宗次郎に会いたくなった。

行者小屋から美濃戸口まで休憩を入れてちょうど2時間で着いた。
予定よりも早く戻ることができたが、どっと疲れが襲ってきた感じだった。
緊張感が切れた証拠だろう・・・。
ヘッドランプの灯りを頼りにザックを開け、荷物の整理をした。
「腹が減った。ブーツを脱いで足を伸ばしたい。風呂に入りたい。」
そんな欲求が次から次へと頭をよぎる。
娑婆へ戻ればいつもこんな感じだ(笑)。

次なる目標は奥穂高岳。
今期最後の雪山登山として締めくくりたい。