ひとり旅への憧憬

気ままに、憧れを自由に。
そしてあるがままに旅の思い出を書いてみたい。
愛する山、そしてちょっとだけサッカーも♪

アウトドアーに思うこと(2)

2010年05月31日 23時02分29秒 | Weblog
テントを利用してキャンプを体験したのは、小学校時代の林間学校が初めてだったと思う。
夕食はおきまりの「カレーライス」。朝食は缶詰類が主だった。
それでも無性に楽しくて楽しくて仕方がなかったことをはっきりと覚えている。
シュラフなんてものは無く、全員毛布一枚かぶっただけ。
就寝時間が過ぎても誰も眠ろうとはせず、「好きな娘は誰だよ」なんてひそひそ話に花が咲いた。

中学でも林間学校でテント泊だった。
高校では希望者だけを募ってバンガロー泊。この時は班ごとに好き勝手なメニューを設定でき、無茶苦茶なメニューだったが気の合った仲間同士で大いに盛り上がった。

親父は高校の教師をしており、当時「ワンダーフォーゲル部」の顧問をしていた。
それ以前はサッカー部の顧問だったらしいが、自分が幼い頃のことで記憶にない。
年に数回、部員を連れて登山へと出かけて行った。
あの頃は「キスリング」と呼ばれる横幅の広いザックが主流で、現在のような縦長タイプはまだ出回っていなかった。
部屋一杯に各種アイテムを広げ、順次ザックに詰めていた姿が印象的だった。
「そんなに楽しみなの? 山登りってつらいだけじゃないの?」
「植物が好きだからね。山にしか生息していない植物は貴重なんだよ。」
そんな会話をした覚えがある。
それから十数年後、ザックを買い、登山靴を買い、いつしか山の頂を目指している自分がいた。
約一週間の縦走の後、下山し帰宅。
その度におふくろから「もう来年は行かないんだろうね」と言われた。
登山事故の心配は親父だけでたくさんだったらしい(笑)。
親父は16年前に他界。
当時、親父が愛用していた登山道具がまだ残っている。
年季のはいったピッケル。かび臭いシュラフ。ボロボロのザック。
そして錆び付いた登山ナイフ。
この登山ナイフは、一年前偶然見つけた。
持ち帰り研ぎ直した。
ステンレス製等というけちな代物ではなく、れっきとした鋼のナイフだった。
買えば間違いなく数万円はする物だろう。
時間をかけ、丁寧に納得の行くまで研いだ。
今年の夏はこのナイフを持ち山を ノ・ボ・ル。




アウトドアーに思うこと(1)

2010年05月30日 21時34分08秒 | Weblog
「子供は外で遊んでこ~い」
「いつまで遊んでいるんだ。早く家に帰ってこなきゃだめじゃないか」
そんな相反するような言葉をよく言われたものだった。

幼稚園の頃、家の近くに「小倉山」と呼ばれる小さな山があった。
(その後引っ越した)
30分もあれば山頂まで行け、山頂からは町並みが一望できた。
当時「ペットボトル」などというものは無く、「缶ジュース」は子供の小遣いでは高価で買えなかった。
「キンカン」と呼ばれる小さな柑橘類を数個ポケットに入れ、近所の友達と何度も登った記憶がある。
山頂に着いて腰を下ろし、苦いキンカンを食べ、その種をどこまで飛ばせるか競ったものだ。

家から数分の所に建築資材置き場があった。
ガキ共にとっては最高の遊び場であり、その中でも「コンクリートブロック」が背丈の何倍もの高さに積まれている箇所があった。
至るところブロックの高さが違い、その凹凸を利用した部分は絶好の「秘密基地」的存在だった。
崩れれば危険などという意識はほとんど無く、「敵が攻めてきたぞー! 撃てぇ~!」
地球防衛軍だったが騎兵隊だったか忘れたが、○○ごっこをするには最適な遊び場となっていた。

もう一箇所忘れられない遊び場があった。
歩けば1時間はかかっただろうか。
通称「インディアンの山」と呼んでいた。
関東ローム層の地層がむき出しになった場所で、テレビで見ていた西部劇の風景にどことなく似ていたところから付けた名前だった。
もちろん正確には似ても似つかないのだが、子供の視点にはそう見えたのだろう。
そこでも「インディアン対騎兵隊」のおきまりの遊びをした。

部屋の中でも遊んだ記憶はある。
しかしすぐに思い出されるのは屋外で遊んだこと。
今では秘密基地跡には家屋が建ち、インディアンの山は整地され道路が通っている。
残っているのは「小倉山」だけだ。
山頂へのルートは忘れてしまったが、自分にとってのアウトドアーの原点に何十年かぶりで行ってみたいと思う。

いい湯だな♪(10)

2010年05月29日 00時06分00秒 | Weblog
通称「西吾妻スカイバレー」。
桧原湖へ向かう下りはヘアピンカーブの連続で、かなりのワインディングロードだった。
桧原湖のほぼ北先端に位置する「早稲沢」まで着き、湖畔で休憩をとった。
ちょうど日が沈みかけており、夕陽が湖面に反射、光彩陸離そのものだった。
「こんなところでのキャンプもいいね」
「来年のツーリングキャンプはテントにするか」
そんな話をし、再び湖畔沿いの道を走った。

帰路は磐越道を経て東北道。
混雑が予想された。
磐越道に乗る前に愛車に「メシ」を食べさせた。
すでに日は暮れかけており、テールランプに浮かぶ黄昏時の高速路を東へと向かう。
途中、東北道のSAで夕食を済ませ、その後SU氏と別れた。
高速を下りてから最後の休憩地点までの総走行距離、約500㎞。
一日にしてはかなり走った事になる。

このメンバーで走ることはしばらくは無いだろうが、また来春の楽しみとしてとっておきたい。
そして、一年間で最大のイベントとなる夏のツーリングが心待ちだ。

いい湯だな♪(9)

2010年05月26日 22時43分37秒 | Weblog
なんて飛ばしやすい、いや、走りやすい道なんだろう。
緩急のあるコーナーリング、しかも適度に道幅があるだけでなく見通しがきいている。
だから思い切りバンクできる。
全身で爽快感を浴び、峠へと向かった。

さて、この辺りでいいかな。
下りに入る前にちょっと休憩。
さっそくいつもの珈琲ブレイク。
9月も半ばになれば、もう肌寒くも感じる。熱い珈琲が本当に美味かった。
「今日は何をやる?」
「4人だとバリエーション豊富ですよ!」
いくつか候補があった中で、今回選んだものはこれ(笑)
初めは正面から撮り、ブログ用にと後ろ姿も撮影した。
同じ駐車場にいた家族連れが大笑いしていた。
まぁいつものことだし、いいじゃないか♪

いい湯だな♪(8)

2010年05月25日 22時03分38秒 | Weblog
このひと月、ブログをさぼっていた。
書くことがなかった訳ではなく、PCをつかっての検索作業に追われての日々だった。

さて、「いい湯だな♪」シリーズがまだ書き終わっていないことに気付いた。
今更ながらではあるがツーリングの思い出を追ってみたい。

時は今、将に「直江兼続」ブーム。
我々の予想は的中。上杉神社は参道から大混雑だった。
バイクを駐車するスペースをやっとのこと見つけ、参道を歩き出した。
参道の両脇は、便乗商売の店で賑わっていた。
長い列に巻かれるようにして進み、やっと本殿近くまで辿り着いたのは良いが、お目当ての「愛」の文字を打ち込んだ甲冑を展示してある会場までは、更に行列が続いていた。
「別にいいかな・・・」お互いに顔を見合わせ苦笑い。
本殿の外から柏手だけを打ち、戻ることにした。
せめてここへ来た証にと、謙信像の前でパチリ。
気分としてはもう十分だった。

ここからの帰りのルートは、楽しみにしていた「主要地方道2号線」。
このルートは米沢から南下し、桧原湖畔へと抜ける峠道。
道幅も広く、かなりのワインディングを楽しめる絶好のルートだ。
途中の展望台からは桧原湖や磐梯山を目にすることができる。
ワクワクしてきたぞー♪