お寺で講話は、「人生にどんな意味があるか」である。
大きな題であり、関心・興味もある題である。2日間居眠りもしないで聴いた。
浄土真宗の講話であるから、行き着く所は、「南無阿弥陀仏」の6字を唱える事になる。
だからわが胸にストンと落ちてこないのである。
例を上げながらの話は、心に納め実行しなければいけないことが多い。
「浦島太郎」の話。亀を助けたその恩返しに、竜宮城に招待されてと思っているが、
亀を助けたのではなくて、慙愧の気持ちを現わしただけである。
竜宮城の乙姫さんは、動植物の命を貰わないでは生きられない人間への復讐をしたのではないだろうか?
玉手箱を開けるとお爺さんになったのは、竜宮城での楽しい時間は短く思われるが、
実際には長い時間が経っていたのであろう。
V・E・フランクル著 「それでも人生にイエスと言う」を読みつつある。
精神科医でアウシュビッツで生き残った数少ない人の一人である。
この本はバックにキリスト教があるが、味わいながら繰り返して読むと、納得できる事が多い。
体力も脳力も衰えているので、何度も読み返す必要がある。
雨後の紫陽花は、活き活きしている。白のガクアジサイである。