フッフッフの話

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「月のしずく」

2008-06-19 21:49:16 | 
 浅田 次郎著 短編集 
 月のしずく、聖夜の肖像、銀色の雨、花や今宵、
ふくちゃんのジャックナイフ、ピエタ、琉璃想が入っている。  

   聖夜の肖像
 書き出しは、「時間の経過は、年齢と共に加速するものだ。…………」
43歳の島崎久子は、まだ艶やかさがおとろえたとは思っていない。
スピーカーから「きよしこの夜」が流れている。
今夜はイブである。夫から表参道に行こうと誘われる。
夫は、平和と安息を与えるのが使命だと思っているような人で、
女が望みうる限りの至福を与えてくれた。
しかし、久子はいつも20年前の恋人と夫をくらべている。
そしていつも夫は惨めに競り落とされている。 

 ”今夜は特別な夜”という夫の言葉を信じて、
パリでの出来事を話す。
久子は美大を卒業した後、父の反対を押し切って、パリに留学した。
そして、サン・ミッシェルのメトロ駅近くのアパルトマンに住む。
一緒に住んでいた恋人・純一郎は、モンマルトルのテルトル広場で、
似顔絵を描いて生活していた。そのことが父にばれて、
別れの言葉も交わさず、東京に連れ戻された。
その時久子のお腹の中には、純一郎の子供がいた。
あれから20年間、彼を愛し続けてきた。
しかし、彼の消息は、何も伝わってこない。

 夫は久子の言葉を、震えながら、
怒りと嘆きをあらわにしながら聞いたが、
立ち上がり歩き出した途端に、忘れたように装い、
その笑顔には悲しみの色はなかった。
久子は、一番信じている夫を、一番愛したいと祈った。

 表参道には、
大道画家が一列に並んで店開きをしている場所があった。
夫は一枚描いて貰うように勧める。
中年の画家が、カンバスの陰から顔を出した。
面差しに見覚えがあった。「笑ってください、マダム」
男はほとんど久子の顔を見ないで、鉛筆を走らせる。
その間、久子は心の中で男に話しかける。
20年間、片時も忘れたこともなく、愛し続けた男である。

 夫がコーヒーカップを2つ持って現れた。
「今夜は特別な夜ですね」夫は、男の胸から画板を引き離した。
そこに描かれた”聖夜の肖像”は、23歳の久子の顔であった。
男は、「今日はこれで看板です」といって、店じまいをする。
男は別れの言葉を言う。「アデュー さよなら」
久子は夫の胸に顔をうずめる。広くて温かい胸である。
言いたいことが山ほどある。しかし、今は一つだけ。
「あなたのこと、愛している。ものすごく」
コメント
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