古代山陽道をちんたら歩きながら
紹介していくこのシリーズ。
↓古代山陽道については、こちら↓
「ひろしま八区ぐるっと散策「みち」めぐり 古代山陽道」広島市公式ホームページ
前回は、
安芸中野駅から砂走(すなばしり)橋まで
についての話をさせてもろうた。
↓前回については、こちら↓
安芸中野駅から砂走橋まで~古代山陽道を歩く(その1)
今日は、
砂走橋から畑賀(はたか)小学校まで
についての話でがんす。
前回は、
安芸中野駅から出発して、
県道274号瀬野船越(ふなこし)線を
海田(かいた)広島方面
(上の写真で船越方面)
に向かって歩いた。
砂走橋を渡ったところで右に曲がり、
県道84号東海田広島線を通って府中へ。
ここまで西国街道だったが、
ここから先が古代山陽道になる。
そして川沿いに進んできた道が、
これからは山沿いの道を行くんじゃの。
JRガード下をくぐって…、
右手に畑賀川を見ながら歩く。
おぉ、こんなところにも
カープ坊やがおるんじゃの。
影橋を渡ったあたりから、
坂がキツくなってくる。
右手に安芸市民病院が見える。
左手にコスモ石油がある
交差点に出る。
県道84号線と古代山陽道は
ここを左に曲がり、
甲越(こうごえ)峠を越えて府中町へ。
今回は、畑賀小学校に寄りたいので、
古代山陽道から外れて
この交差点を直進する。
ここは県道85号下瀬野海田線で、
この道を進むと瀬野にある
スカイレールタウン みどり坂
に着くんじゃの。
芸陽バス畑賀線
本郷バス停。
本郷バス停から少し上ったところに
畑賀小学校があって…、
↓畑賀小学校については、こちら↓
広島市立畑賀小学校
その角に畑賀村道路元標がある。
この石柱は高さ約80センチメートル、
縦横約25センチメートルで、
明治時代に畑賀村の道路の中心に
置かれたものじゃそうな。
畑賀小学校の校門から
畑賀村水害碑が見えた。
これを見たいために来たんじゃが、
これほど大きい物とは思わんかった。
この水害碑は、
1926年(大正15年)9月に
広島で起こった豪雨災害の時のもの。
9月11日の未明、
連日続いていた豪雨で
呉娑々宇(ごさそう)山周辺で
土石流が発生。
呉娑々宇山は、広島市東部にある
海抜682.2メートルの山で、
そのふもとにある
畑賀川で安芸区畑賀が、
榎(えのき)川で安芸郡府中町が、
温品(ぬくしな)川で東区温品が、
それぞれ被害を受けた。
↓1926年豪雨災害の災害碑についての関連記事は、こちら↓
水害記念碑 安芸郡府中町
水害記念碑 広島市安芸区中野
↓2018年西日本豪雨の被害については、こちら↓
「2018年西日本豪雨災害」畑賀学区連合町内会
畑賀小学校校門からは、
最近、見かけなくなった
二宮金次郎像を見ることがきた。
畑賀村水害碑も見たので、
コスモ石油の交差点まで戻ろうと
振り返ると、そこに
ナガイのパンの看板を見つけた。
この看板も久しぶりに見たのう。
ここから先にある甲越峠を越えて
府中町へ。
訪問日:2022年4月30日
今回は、
砂走橋から畑賀小学校まで
についての話をさせてもろうたでがんす。
次回は、
甲越峠の予定じゃ。
ほいじゃあ、またの。