通でがんす

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(旧ブログタイトル:通じゃのう)

安芸中野駅から砂走橋まで~古代山陽道を歩く(その1)

2022年05月04日 | 見て歩き
今回から、
何回かかるか分からんが、
古代山陽道をちんたら歩きながら
紹介していく予定じゃ。


↓古代山陽道については、こちら↓

「ひろしま八区ぐるっと散策「みち」めぐり 古代山陽道」広島市公式ホームページ



今日は、
安芸中野駅から砂走(すなばしり)橋まで
についての話でがんす。




JR山陽本線で、
広島駅から4つ東側にあるのが
安芸中野駅(あきなかのえき)。
ここからスタート。


↓安芸中野駅については、こちら↓

「安芸中野駅 駅情報」JRおでかけネット



安芸中野駅の西側を通っているのが
県道274号瀬野船越線で、
この道が江戸時代に定められた
西国街道(さいごくかいどう)になる。
ここから西国街道を進んで、
海田町(かいたちょう)にある
砂走橋から古代山陽道に入る予定じゃ。

駅を出て左に曲がり、
県道274号を海田・広島方面に
向かって歩く。



駅を出てすぐの所にあるのが
駅前食堂。
再開発前の広島駅前にも、
同じ名前の食堂がありましたのう。
立ち寄ってみたかったが、
まだ朝の8時50分。
腹も減っとらんかったんで
またの機会ということに。
店の前の看板によると、
朝7時からの営業で、
モーニング・朝定食を
やっとってのようじゃ。



京田(きょうだ)第3踏切から
安芸中野駅を見る。



踏切を渡って瀬野川沿いに出ると、
中野砂走出迎えの松が見える。






広島市指定史跡
中野砂走の出迎えの松
指定 昭和49年2月18日
広島市安芸区中野一丁目80番地地先

旧街道沿いに立ち並ぶ松並木は、江戸時代の西国街道にかつて植えられた街道松の名残りです。胸高幹囲1.2~2.4m 樹齢100~250年と推定されるこれらのクロマツは、それほどの大木ではありませんが、市内に残る数少ない街道松として貴重なものです。
江戸時代になると 人や物流の流通が盛んになり、全国的に街道の整備の必要性が高まってきました、そのため幕府は、1604年に江戸を中心とする五街道の整備を行うとともに、1635年に出された武家諸法度の中で、諸大名にも交通運輸施設の整備を命じています。芸備地域では、1633年の幕府巡検使の巡察を契機として、急速に領内の交通網の整備が進められました。当時五街道に次いで重要な公道であった西国街道についても、道幅が2間半(約4.55m)に定められその沿道には一里塚や杉、松などの並木が植えられました。当時の旅人にとって沿道の松並木は、疲れた体をいやす憩いの場として役立ったことでしょう。
「出迎えの松」の名は、当時参勤交代の責を終えた安芸国の藩主を、家来や村の有志たちがこの松あたりまで出迎えたという言い伝えに由来しています。

昭和61年3月 広島市教育委員会

(案内板より)




りっぱなクロマツの並木が
今も残る。



おー、乾電池の自動販売機なんて、
久しぶりに見るのう…。

ちなみに値段は、
単一2個で300円、
単二2個で220円、
単三4個で300円じゃった。





旧山陽道蓮華寺(れんげじ)
登口跡案内柱と、
旧砂走橋の石柱。
石柱の右側には、
「大正七年三月架橋」
と刻んであった。

標高374メートルの蓮華寺山
にある蓮華寺は、
大同(だいどう)元年(806年)、
弘法大師が開いたそうじゃ。


↓蓮華寺については、こちら↓

「第三十六番 八葉山 名峰院 蓮華寺」広島新四国八十八ヶ所霊場



砂走橋を渡ったところで右に曲がり、
安芸中野駅から歩いてきた
県道274号に別れを告げ、
ここから県道84号
東海田(ひがしかいた)広島線へ。

ここまで西国街道じゃったが、
ここから先が古代山陽道になるんじゃの。



訪問日:2022年4月30日



今日は、
安芸中野駅から砂走橋まで
についての話をさせてもろうたでがんす。

次回は、
砂走橋から畑賀小学校まで
の予定じゃ。


ほいじゃあ、またの。
コメント
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