昨日(4月15日)の朝5時50分ころ、
NHKラジオである歌が流れた。
死んだ兵士の 残したものは
こわれた銃と ゆがんだ地球
他には何も 残せなかった
平和ひとつ 残せなかった
朝5時50分といえば、
出勤前の慌ただしい時間。
ラジオは片手間で聞いているが、
初めて聞く歌ということもあって、
思わず聞き入ってしまった。
歌が終わった後に、
「高石ともやさんの
「死んだ男の残したものは」でした」
という紹介があった。
↓高石ともやさんの「死んだ男の残したものは」については、こちら↓
「死んだ男の残したものは」YouTube
今日は、
「死んだ男の残したものは」という歌
についての話でがんす。
「死んだ男の残したものは」という歌は、
どういう経緯で作られたんじゃろ?
谷川 俊太郎(たにかわ しゅんたろう)の作詞、武満 徹(たけみつ とおる)の作曲による歌。ベトナム戦争のさなかの1965年、「ベトナムの平和を願う市民の集会」のためにつくられ、友竹正則(ともたけ まさのり)によって披露された日本の反戦歌の1つである。
「死んだ男の残したものは」ウィキペディア
集会の前日、
詩人の谷川さんが作曲家の武満さんに、
「明日の集会で歌えるよう、
この詩に曲をつけてほしい」と依頼。
武満はその夜のうちに作曲し、
曲を渡すときに、
「メッセージ・ソングのように
気張って歌わず、
『愛染かつら』のような気持ちで
歌ってほしい」と伝えたという。
この歌は反戦歌ということもあり、
また、合唱曲に編曲されている
こともあって、
たくさんの人が歌っておられます。
YouTubeでいろいろと聞いてみたんじゃが、
気張って歌っていない、
ボサノバ調にアレンジされた
石川セリさんのバージョンを
紹介してみようかの。
↓石川セリさんの「死んだ男の残したものは」については、こちら↓
「石川セリ 死んだ男の残したものは」YouTube
以下、余談。
この歌は、
「ベトナムの平和を願う市民の集会」
のために作られたものと紹介したが、
皆さんは「ベトナム戦争」を
ご存じじゃろか?
ベトナム戦争は、
第二次世界大戦後に分断された
南北ベトナムの統一をめぐって行われ、
今から47年前の
1975年4月30日に終わった戦争。
冷戦時代の代理戦争ともいわれた。
「冷戦」という言葉が出てきた。
このころは、
アメリカの資本主義・自由主義陣営と、
ソ連の共産主義・社会主義陣営が対立し、
世界を二分しとった時代。
この対立を「米ソ冷戦」とか
「東西冷戦」と呼んどったんじゃの。
ベトナム戦争も、表向きは
北ベトナムと南ベトナムの戦争だったが、
本質的には、
共産主義対資本主義の戦争じゃった。
この歌が作られた1965年は、
アメリカが北爆(ほくばく。
北ベトナムに対する爆撃)を行い、
ベトナム戦争に介入を始めた年でもある。
そして、日本が太平洋戦争に負けてから
20年目にあたる年でもある。
戦争の傷あとが、
生きている人の記憶の中に
はっきりと残っている時代でもあった。
そんな時代に作られた歌が、
「死んだ男の残したものは」
だったんじゃの。
以下、さらに余談。
「死んだ男の残したものは」
を最初に歌った友竹正則さんは、
広島県福山市の出身で、
国立(くにたち)音楽大学声楽科卒業。
わしは存じあげんのじゃが、
女房は、料理番組『くいしん坊!万才』で
レポーターを務めていたときの
友竹さんを知っとった。
↓友竹正則さんについては、こちら↓
「誠之館人物誌「友竹正則(友竹辰)」」福山誠之館同窓会
今日は、
「死んだ男の残したものは」という歌
について話をさせてもろうたでがんす。
ほいじゃあ、またの。
NHKラジオである歌が流れた。
死んだ兵士の 残したものは
こわれた銃と ゆがんだ地球
他には何も 残せなかった
平和ひとつ 残せなかった
朝5時50分といえば、
出勤前の慌ただしい時間。
ラジオは片手間で聞いているが、
初めて聞く歌ということもあって、
思わず聞き入ってしまった。
歌が終わった後に、
「高石ともやさんの
「死んだ男の残したものは」でした」
という紹介があった。
↓高石ともやさんの「死んだ男の残したものは」については、こちら↓
「死んだ男の残したものは」YouTube
今日は、
「死んだ男の残したものは」という歌
についての話でがんす。
「死んだ男の残したものは」という歌は、
どういう経緯で作られたんじゃろ?
谷川 俊太郎(たにかわ しゅんたろう)の作詞、武満 徹(たけみつ とおる)の作曲による歌。ベトナム戦争のさなかの1965年、「ベトナムの平和を願う市民の集会」のためにつくられ、友竹正則(ともたけ まさのり)によって披露された日本の反戦歌の1つである。
「死んだ男の残したものは」ウィキペディア
集会の前日、
詩人の谷川さんが作曲家の武満さんに、
「明日の集会で歌えるよう、
この詩に曲をつけてほしい」と依頼。
武満はその夜のうちに作曲し、
曲を渡すときに、
「メッセージ・ソングのように
気張って歌わず、
『愛染かつら』のような気持ちで
歌ってほしい」と伝えたという。
この歌は反戦歌ということもあり、
また、合唱曲に編曲されている
こともあって、
たくさんの人が歌っておられます。
YouTubeでいろいろと聞いてみたんじゃが、
気張って歌っていない、
ボサノバ調にアレンジされた
石川セリさんのバージョンを
紹介してみようかの。
↓石川セリさんの「死んだ男の残したものは」については、こちら↓
「石川セリ 死んだ男の残したものは」YouTube
以下、余談。
この歌は、
「ベトナムの平和を願う市民の集会」
のために作られたものと紹介したが、
皆さんは「ベトナム戦争」を
ご存じじゃろか?
ベトナム戦争は、
第二次世界大戦後に分断された
南北ベトナムの統一をめぐって行われ、
今から47年前の
1975年4月30日に終わった戦争。
冷戦時代の代理戦争ともいわれた。
「冷戦」という言葉が出てきた。
このころは、
アメリカの資本主義・自由主義陣営と、
ソ連の共産主義・社会主義陣営が対立し、
世界を二分しとった時代。
この対立を「米ソ冷戦」とか
「東西冷戦」と呼んどったんじゃの。
ベトナム戦争も、表向きは
北ベトナムと南ベトナムの戦争だったが、
本質的には、
共産主義対資本主義の戦争じゃった。
この歌が作られた1965年は、
アメリカが北爆(ほくばく。
北ベトナムに対する爆撃)を行い、
ベトナム戦争に介入を始めた年でもある。
そして、日本が太平洋戦争に負けてから
20年目にあたる年でもある。
戦争の傷あとが、
生きている人の記憶の中に
はっきりと残っている時代でもあった。
そんな時代に作られた歌が、
「死んだ男の残したものは」
だったんじゃの。
以下、さらに余談。
「死んだ男の残したものは」
を最初に歌った友竹正則さんは、
広島県福山市の出身で、
国立(くにたち)音楽大学声楽科卒業。
わしは存じあげんのじゃが、
女房は、料理番組『くいしん坊!万才』で
レポーターを務めていたときの
友竹さんを知っとった。
↓友竹正則さんについては、こちら↓
「誠之館人物誌「友竹正則(友竹辰)」」福山誠之館同窓会
今日は、
「死んだ男の残したものは」という歌
について話をさせてもろうたでがんす。
ほいじゃあ、またの。