通でがんす

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(旧ブログタイトル:通じゃのう)

「大州寮」完成 広島カープ

2011年03月07日 | スポーツ
「南区の大州(おおず)に広島カープの寮が完成したんじゃと」



広島東洋カープが広島市南区大州に建設を進めていた選手寮「大州寮」が28日、完成した。
従来の三省寮(西区)に代わり、若ゴイたちの新たな生活拠点となる。

鉄筋4階建て延べ約660平方メートル。
12の個室や食堂、浴室、用具庫を備えるほか、屋上に素振りができるスペースも設けた。

この日は午後から斉藤悠葵(さいとう ゆうき)投手が荷物を運び入れ、入寮一番乗りとなった。
「部屋は明るく感じるし、また頑張ろうという気持ちになれますね」と笑顔で話していた。
1軍メンバーに入った新人や若手投手たちも入寮を予定している。

球団は建設から50年以上が過ぎた三省(さんせい)寮の老朽化に伴い、マツダスタジアム(南区)から東に約1キロの場所を新寮の建設地に選定。
昨年7月に着工した。
総工費は約2億円。

(「若ゴイ新生活へ大州寮が完成」中国新聞 2011年3月1日)
http://www.chugoku-np.co.jp/News/Tn201103010054.html


大州寮


「なかなかよさそうな寮じゃん」





「今日は、「三篠合宿所」「大野屋内総合練習所」「広島カープ合宿所の歴史」について調べてみようかの」





【三篠合宿所】



広島市民球場にも近い距離にあるカープ三篠練習場とカープレギュラー選手専用の合宿所。
ここでは合宿する選手たちのための、宿泊施設とバッティング練習場が完備されています。

(「三篠合宿所」広島東洋カープ公式サイト)
http://www.carp.co.jp/facilities10/misasa.html




「大野に合宿所ができたけん、ここはないよなったとばっかり思うとったわい」

「三篠合宿所はいつごろできたんかいね?」

「1958(昭和33)年の7月に完成じゃいうけん、53年前じゃ」

「そりゃ、古いねぇ。旧市民球場から近いけん、ここに作られたんじゃろ?」

「ほうじゃのう。旧市民球場から直線距離で約2キロじゃ。そういや、旧市民球場がオープンしたんは前の年の1957(昭和32)年の7月じゃったよのう」

「そういや、新聞記事に「三省寮」いうて書いてあったけど、「三省」って何かいね?」



「入口に、そういう看板がついとったのう。三省とは、「自分の言った言葉と、自分の行った行動を、1日に何度も反省してみなさい」ということじゃ」



■出典:論語(ろんご)・学而(がくじ)

■意味:何度も自分の行為を反省する。「三」は、しばしば、何度もの意。

■原文:
曾子曰、吾日三省吾身、為人謀而不忠乎。与朋友而交不信乎、伝不習乎。
〔曾子(そうし)曰(いわ)く、吾(われ)日に吾(わ)が身を三省す、人の為(ため)に謀りて忠ならざるか。朋友(ほうゆう)と交わりて信ならざるか、習わざるを伝えしか、と。〕

■訳文:
曾子が言った。「わたしは毎日何度も自分の行動を反省する。他人の相談にのってやった際、真心をこめて接したかどうか。先生から習ったことで、十分納得していないことを受け売りで教えたりはしなかったか。」

■補注:出版社三省堂の社名の由来である。

(「三省」三省堂辞書サイト)
http://dictionary.sanseido-publ.co.jp/wp/2007/08/20/%E3%80%90%E4%BB%8A%E9%80%B1%E3%81%AE%E3%81%93%E3%81%A8%E3%82%8F%E3%81%96%E3%80%91%E4%B8%89%E7%9C%81/




「お父さんも今日から「三省」しんちゃいね」

「はい。って、わしだけか?」

「うん!」





【大野屋内総合練習所】

広島市街地から30分、日本三景のひとつ宮島の対岸に位置するカープ屋内総合棟習場とカープ若手選手専用の合宿所は、恵まれた自然とトレーニングのための設備の整った施設です。

(「大野屋内総合練習所」広島東洋カープ公式サイト)
http://www.carp.co.jp/facilities10/oono.html




「三篠は1軍の選手で、大野は2軍ということかね?」

「ほうじゃの。じゃけん、新人選手もここに入っとるんじゃ」



広島の新人9選手が11日、廿日市市の大野寮に入寮し、プロとしての第一歩を踏み出した。
野球道具や家電製品を部屋に運び込み、新生活がスタート。
12日からはマツダスタジアムで新人合同自主トレが始まる。

正午すぎ、ドラフト7位の弦本が一番乗り。「プロになる実感が湧いてきた」。
他の選手も次々に到着し、午後2時までに全選手が顔をそろえた。
道原寮長がプロとしての心構えや寮生活の注意点を説明。
新人選手は荷物整理などで慌ただしく初日を過ごした。

ドラフト1位の福井は両親とともに広島入り。
「年末は卒論や激励会などで予想以上に忙しく、練習不足。まずは体づくりをしっかりやりたい」とマイペースを強調した。
ドラフト2位の中村恭は少々緊張気味。
「楽しみ半分、不安半分。いろんな人から多くのことを吸収して勉強できれば」と謙虚さをのぞかせた。

育成ドラフト1位の山野は大分・明豊高時代に甲子園で使用したグラブを持参。
「高校の時の気持ちを忘れず、一日一日しっかり練習したい」と気を引き締めていた。

(「9新人が入寮 福井「まず体づくりを」中国新聞 2011年1月12日)
http://www.chugoku-np.co.jp/Carp/Cw201101120076.html






【広島カープ合宿所の歴史】

「三篠合宿所ができるまで、選手の住まいなんかはどうしよっちゃったんかね?」

「こんな話があるんじゃ」



合宿費が払えなかった。
当時、カープの若手選手は西日本重工業広島造船所(現、三菱重工業広島製作所)にあった3棟の社員寮のうち、1棟の10部屋を借りていた。
原爆の爆風で傾いたまま修繕もできなかった建物の家賃はいくらだったのか定かではないが、決して高額ではなかったはずの部屋代が払えず4月にはとうとう引き払うことになった。
家賃を請求されたわけではなかったが、居候(いそうろう)の身分はつらかった。

(「【1月15日】1950年(昭25) 金ナシ、寮ナシの広島カープ、原っぱでお披露目式」)
http://www.sponichi.co.jp/baseball/special/calender/calender_january/KFullNormal20080102009.html




「カープができたころいうのは、貧乏話ばっかりじゃねぇ」

「三菱の寮を出た後は、南区の皆実町(みなみまち)に合宿所を見つけたそうじゃ。皆実町の風呂屋にカープの選手が入りに来よったいうて、わしの親父が言うとったのう」

「合宿所に風呂がなかったんじゃ」

「あのころのことじゃけん、風呂は風呂屋に入りに行きよったんじゃないんかのう」





↓広島カープについての関連記事は、こちら↓

紙芝居「長谷川良平物語」
http://blog.goo.ne.jp/hiroshima-2/d/20110306

カープロード2011(その1)
http://blog.goo.ne.jp/hiroshima-2/d/20110227






↓広島カープ大州寮についての関連記事は、こちら↓

広島カープ 大州寮の日時計





「今日は、「三篠合宿所」「大野屋内総合練習所」「広島カープ合宿所の歴史」について勉強をさせてもらいました」

「今日もひとつ勉強になったでがんす」

「マエケン、昨日は3回を無失点じゃったね」

「ほいじゃあ、またの」
コメント
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