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一度、途絶えた生産の技術伝承に挑む、広島県の伝統工芸品は何?

2010年01月01日 | 広島の話題

各地に工芸品があるように、広島県にも広島県指定伝統的工芸品がある。
産業として成り立ち、発展しているものもあれば、後継者不足からその伝統・技術が途切れてしまうものもある。


【問題】
伊藤久芳堂、広島市などが研究会を発足させ、約2年前に途絶えた生産の技術伝承に挑む、広島県指定伝統的工芸品は何でしょうか?

1.一国斎高盛絵(いっこくさいたかもりえ)  2.銅蟲(どうちゅう)  3.三次人形  4.備後絣(びんごがすり)


【ヒント】
何千回何万回も表面を叩いて成型し、独特の鎚目(つちめ)を出して制作する。






【正解】
2.銅蟲


【解説】
400年の歴史を持つ銅を使った広島県の伝統工芸品「銅蟲」の復活を目指し、産学官が取り組みを始めた。
老舗メーカーの伊藤久芳堂(広島市中区)と広島市、広島市立大(安佐南区)などが研究会を発足させ、約2年前に途絶えた生産の技術伝承や販路開拓に挑む。
2008年1月、伝統製法を用いる唯一の業者だった伊藤久芳堂が東広島市福富町の銅蟲の工場を閉鎖し、生産が途絶えた。
企業や官公庁からの退職記念品などの受注が減り、職人も高齢化したためだ。
「広島「銅蟲」輝き復活へ」中国新聞社)


銅蟲(どうちゅう)とは、銅を槌でたたいて整形し、表面に槌目模様を施し、ワラでいぶしてヤニを定着させて油脂で磨き上げた銅細工のこと。

江戸時代のはじめ、広島藩主・浅野長晟(ながあきら)が、お抱え職人の清氏(きようじ)に作らせたのがはじまり。

清氏が銅細工に熱中する様子を見て、長晟が「銅の蟲のようだ」といったことから、「銅蟲」と呼ばれるようになったという。

江戸時代末期、製作法が一時途絶えていたものを、1902(明治35)年、伊藤琢郎(伊藤久芳堂の創業者)が研究・再興したものが引き継がれていた。


「蟲」という字を見ると、宮崎駿監督の映画『風の谷のナウシカ』に出てきた「王蟲(オーム)」を連想してしまうのは、わしだけじゃないはず。

「蟲」の常用漢字として用いられている「虫」は、もとは「蟲」とは別の字じゃった。
「蟲」は昆虫のように密集する小さな「むし」を、「虫」は蛇など爬虫類の形をいったそうじゃ。


わしが中学生の時、美術の時間に銅板を槌で叩いて卓上用ペンケースを作ったことがある。
あれも銅蟲を意識しての授業じゃったんかのう?


広島県指定伝統的工芸品には、以下のものがある。

一国斎高盛絵(いっこくさいたかもりえ)
銅蟲(どうちゅう)
矢野かもじ(やのかもじ)
三次人形(みよしにんぎょう)
大竹手打刃物(おおたけてうちはもの)
宮島焼(みやじまやき)
戸河内刳物(とごうちくりもの)
戸河内挽物(とごうちひきもの)
備後絣(びんごがすり)

広島ガイド(伝統的工芸品) 広島県


今日は、銅蟲について勉強をさせてもらいました。
何でもそうじゃが、始めるのは簡単で、続けるのは難しい。
一度終わらせたものを復活させるのは、さらに難しい。
それでもあえて挑む、ということに声援を送りたいと思います。
今日もひとつ勉強になったでがんす。


↓今回は、こちらを参考にさせてもらいました。感謝!↓
銅蟲 広島県指定伝統的工芸品


最後になりましたが、
新年あけましておめでとうございます。
今年もよろしくお願いいたします。


ほいじゃあ、またの。


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