通でがんす

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(旧ブログタイトル:通じゃのう)

旧宇品線跡を歩く(その3)

2013年11月01日 | 見て歩き
「今は廃止線となった旧宇品(うじな)線跡をたどる今回のシリーズ」

「前回は、南段原駅(みなみだんばらえき)から上大河駅(かみおおこうえき)までを紹介したんじゃけど」

「今回は、下大河駅(しもおおこうえき)を紹介しようかの」







「…とその前に、前回紹介した上大河駅、今の広島大学病院の前にある狭い道を南へ進む」

「この道路のあたりを宇品線が走りよったんじゃね」







「国道2号線を渡って…」







「下大河駅跡に向けて、南へ進む。この右側(西側)、集合住宅の向こうに広島陸軍被服支廠の建物が残っとるんじゃ」

「ここに戦後、皆実(みなみ)高校と、広島工業高校(県工)が入ったんじゃね」

「もう少し西へ行くと、陸軍電信隊跡に入った進徳女子高校がある。これらの高校の通学に使われたのが、上大河駅じゃった。で、これから紹介するのは、下大河駅じゃ」





【下大河(しもおおこう)駅】

駅間距離/0.4キロ

広島駅からの距離/3.3キロ

1931年(昭和6年)11月29日/芸備鉄道が「大河停車場」を新設

1937年(昭和12年)7月1日/芸備鉄道が国有化され、駅名も「下大河駅」に改称

1966年(昭和41年)12月20日/廃止



【大河地蔵前(おおこうじぞうまえ)停留場】

駅間距離/0.0キロ

広島駅からの距離/3.3キロ

1931年(昭和6年)3月20日/芸備鉄道が「大河地蔵前停留場」を新設

同年11月29日/廃止




「これもまた、ややこしいねぇ」

「まず、大河地蔵前停留場ができた。が、その後、行き違い駅となる大河停車場を作ると同時に、大河地蔵前停留場を廃止にした、というわけじゃ」

「そうか。単線の宇品線で唯一の行き違い駅が下大河駅じゃったんじゃね」

「で、下大河駅があった場所に作られとるのが、ポッポ広場」









「名前の由来」

ここは旧国鉄(きゅうこくてつ)宇品線(うじなせん)下大河駅(しもおおこうえき)があった場所です。
下大河駅は、昭和6(1931)年11月から昭和41(1966)年12月までの35年間にわたり、通勤、通学などの多くの人たちに利用され、地域の中心としてにぎわいました。
平成13(2001)年12月、ここに地域の人たちと南区役所が協働で広場をつくりました。地域の人たちは、この地が鉄道の駅だったことを記念し「ポッポ広場」と名付けました。


お願い

ここは、地域の皆さんが一緒になってつくった「わがまちの広場」です。
楽しい憩いの場として、大切に使いましょう。


南旭町町内会・南区役所

(ポッポ広場にある看板より)








「花がきれいに咲いとるね」







(以下、撮影日:2013年4月27日)

「さらに南へ進むと、民家の塀にこれがかけてある」











「ここにもモニュメントが残されとるんじゃね」

「ここのモニュメントは、丹那駅(たんなえき)のためのものらしいんじゃが、実際の丹那駅は、ここから南側にある南警察署交差点を渡ったところにあったそうじゃ」





【参考文献】

長船友則『宇品線92年の軌跡』(ネコ・パブリッシング 2012年)






訪問日:2013年10月14日





「今日は、旧宇品線の下大河駅と、2つモニュメントについて話をさせてもらいました」

「ほいじゃあ、またの」

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