「JR広島駅南口からマツダスタジアム(Mazda Zoom-Zoom スタジアム広島)まで約800メートル、歩いて約10分のカープロードを、今年も紹介していきます」
「前回はマツダスタジアムの球場紹介じゃったが、今回は広島カープのかつての名選手、黒田博樹投手・北別府 学投手・山本浩二選手(元監督)・衣笠祥雄選手・野村 謙二郎選手(前監督)・前田智徳選手を紹介していきますけぇの」
■黒田博樹投手
■北別府 学投手
■山本浩二選手
■衣笠祥雄選手
■野村 謙二郎選手
■前田智徳選手
【黒田博樹(くろだ ひろき)投手】
1997年~2016年
快速球を武器に1年目から活躍し、2000年代の低迷期に絶対的エースとして奮闘。
メジャー移籍後は7年間で通算79勝をマーク。
2014年オフ、メジャーからの高額オファーを断りカープに電撃復帰を果たすと、カープファンのみならず全国の野球ファンの感動を呼んだ。
2016年には精神的支柱としてチームを25年ぶりの優勝に導き、現役生活にピリオドを打った。
「「低迷期」という言葉があったが、1998年から2012年まで、Bクラスが15年間続いた時期を「低迷期」と考えると、黒田投手がカープにおった(=所属していた)時代と重なるんじゃ」
「2008年、黒田投手は米大リーグのドジャースへ、新井貴浩(あらい たかひろ)選手は「優勝したいから」と阪神へ移籍していかれたんよね」
「2015年、その2人が広島カープに復帰して、翌2016年にカープは25年ぶりにV7を達成したんじゃの」
【北別府 学(きたべっぷ まなぶ)投手】
1976年~1994年
抜群の制球力を武器にした投球スタイルから「精密機器」の異名を取り、投手王国と呼ばれたカープ黄金時代にエースとして君臨。
1982年には20勝を記録し、最多勝、初の沢村賞を受賞。
1986年にも2度目の沢村賞に輝くなどリーグ優勝に大きく貢献し、MVPに輝く。
1992年には球団初、20世紀最後となる通算200勝の偉業を達成した。
「V5を達成した1986年は、MVP、沢村賞以外にも、最多勝利投手(18勝)、最優秀防御率(2.43)、ベストナイン、ゴールデングラブ賞を受賞されとってんじゃね」
「優勝を決めた試合(10月12日。対ヤクルト戦)は北別府投手が先発して、リリーフエースの故・津田恒実(つだ つねみ)投手が締めくくったんじゃの」
【山本浩二(やまもと こうじ)選手】
1969年~1986年
カープ黄金時代、不動の4番打者として5度の優勝、3度の日本一に貢献した「ミスター赤ヘル」。
1977年から5年連続40本塁打以上を記録し、その間本塁打王3回、打点王3回と球界を代表するスラッガーとなった。
1984年に球団2人目となる通算2000安打をマーク。
1986年にチームを優勝に導き、40歳で現役引退。
背番号8は球団初の永久欠番となった。
「山本選手は、広島カープの8回の優勝のうち、選手として5回(1975年、1979年、1980年、1984年、1986年)、監督として1回(1991年)の優勝を経験されとってんよ」
「初優勝の時、今はなき後楽園球場のお立ち台で男泣きするコージ(山本選手)の姿は忘れられんのう」
【衣笠祥雄(きぬがさ さちお)選手】
1965年~1987年
豪快なフルスイングと強靭な体で「鉄人」の愛称で親しまれ、黄金時代の主軸として山本浩二と共にチームを牽引した。
1984年には打点王に輝くなど優勝、日本一に貢献しMVPを受賞。
1970年から現役最終年の1987年まで当時世界記録となる2215試合連続出場を果たし、球界2人目の国民栄誉賞を受賞。
背番号3は球団2人目の永久欠番。
「国民栄誉賞といえば今年、将棋棋士の羽生善治(はぶ よしはる)さん、囲碁棋士の井山裕太(いやま ゆうた)さんが受賞されたのう」
「2014年のソチ、今年の平昌で2連覇した、フィギュアスケートの羽生結弦(はにゅう ゆづる)くんも受賞が決まったよ」
「最近、乱発気味の国民栄誉賞は、今から41年前の1977年、王 貞治(おう さだはる)選手に贈られたのが始まり」
「王選手のは、ホームランの世界新記録達成(756本)を祝ってのものじゃったね」
「衣笠選手の国民栄誉賞(1987年)も、連続試合出場の世界新記録達成(2215試合)を祝ってのものじゃ」
「山本選手・衣笠選手のYK砲は、巨人の王選手・長嶋選手のON砲にも引けを取っとらんよ」
「初優勝した1975年のオールスターゲーム、山本選手・衣笠選手の二打席連続アベックホームランは今でも語り草じゃのう」
【野村 謙二郎(のむら けんじろう)選手】
1989年~2005年
俊足巧打のショートとして活躍し、チームリーダーとしても長年チームを牽引。
1991年には初の打率3割、盗塁王に輝くなどV6に貢献。
1995年は打率.315、32本塁打、30盗塁を記録し、史上6人目のトリプルスリーを達成。
2005年に通算2000安打を記録。
2010年から5年間一軍監督を務め、2013年には16年ぶりのAクラスに導き、連覇への基礎を築いた。
「V6を達成した1991年は、最多安打(170安打)と盗塁王(31盗塁)、ベストナインを獲得されとってんじゃ」
【前田智徳(まえだ とものり)選手】
1990年~2013年
ストイックに打撃を追求し続けるその姿から「孤高の天才」と称された。
1年目から抜群の打撃センスを発揮し、2年目にレギュラー定着。
1992年から3年連続3割をマークするも、1995年以降はアキレス腱断裂など故障との戦いが続く。
強い精神力と卓越した打撃技術で幾度も復活を果たし、2007年に通算2000安打達成。
晩年は代打の切り札としても活躍した。
「V6を達成した1991年といえば、前田選手がプロ入りして2年目の年」
「先発出場した開幕戦では先頭打者ホームランを記録、これがプロ入り初アーチじゃった。この年、2番に定着、ゴールデングラブ賞を受賞された。ゴールデングラブ賞は1994年まで4年連続で受賞されとってんじゃの」
(中國新聞 2018年3月5日)
「ここで左手に愛宕踏切(あたごふみきり)が見える」
「いわゆる開かずの踏切」
「愛宕踏切を渡って200メートルくらい行くと、マツダスタジアムへ野球観戦に行く前、ファンが必勝祈願をしていく愛宕神社がある」
「愛宕神社には火伏せの神が祀(まつ)られとって、ピッチャーが炎上するを抑えるといわれとるんじゃったね」
「シーズン開始前には必勝祈願祭をされっとってんじゃが、今年は球団初の3連覇を祈ってのものじゃった」
訪問日:2018年3月4日
「今日は、広島カープのかつての名選手、黒田博樹投手・北別府 学投手・山本浩二選手(元監督)・衣笠祥雄選手・野村 謙二郎選手(前監督)・前田智徳選手を紹介について話をさせてもらいました」
「次回は、緒方孝市監督と、新井貴浩選手・石原慶幸捕手・ブラッド・エルドレッド選手・赤松真人選手・天谷宗一郎選手を紹介する予定じゃ。ほいじゃあ、またの」
「前回はマツダスタジアムの球場紹介じゃったが、今回は広島カープのかつての名選手、黒田博樹投手・北別府 学投手・山本浩二選手(元監督)・衣笠祥雄選手・野村 謙二郎選手(前監督)・前田智徳選手を紹介していきますけぇの」
■黒田博樹投手
■北別府 学投手
■山本浩二選手
■衣笠祥雄選手
■野村 謙二郎選手
■前田智徳選手
【黒田博樹(くろだ ひろき)投手】
1997年~2016年
快速球を武器に1年目から活躍し、2000年代の低迷期に絶対的エースとして奮闘。
メジャー移籍後は7年間で通算79勝をマーク。
2014年オフ、メジャーからの高額オファーを断りカープに電撃復帰を果たすと、カープファンのみならず全国の野球ファンの感動を呼んだ。
2016年には精神的支柱としてチームを25年ぶりの優勝に導き、現役生活にピリオドを打った。
「「低迷期」という言葉があったが、1998年から2012年まで、Bクラスが15年間続いた時期を「低迷期」と考えると、黒田投手がカープにおった(=所属していた)時代と重なるんじゃ」
「2008年、黒田投手は米大リーグのドジャースへ、新井貴浩(あらい たかひろ)選手は「優勝したいから」と阪神へ移籍していかれたんよね」
「2015年、その2人が広島カープに復帰して、翌2016年にカープは25年ぶりにV7を達成したんじゃの」
【北別府 学(きたべっぷ まなぶ)投手】
1976年~1994年
抜群の制球力を武器にした投球スタイルから「精密機器」の異名を取り、投手王国と呼ばれたカープ黄金時代にエースとして君臨。
1982年には20勝を記録し、最多勝、初の沢村賞を受賞。
1986年にも2度目の沢村賞に輝くなどリーグ優勝に大きく貢献し、MVPに輝く。
1992年には球団初、20世紀最後となる通算200勝の偉業を達成した。
「V5を達成した1986年は、MVP、沢村賞以外にも、最多勝利投手(18勝)、最優秀防御率(2.43)、ベストナイン、ゴールデングラブ賞を受賞されとってんじゃね」
「優勝を決めた試合(10月12日。対ヤクルト戦)は北別府投手が先発して、リリーフエースの故・津田恒実(つだ つねみ)投手が締めくくったんじゃの」
【山本浩二(やまもと こうじ)選手】
1969年~1986年
カープ黄金時代、不動の4番打者として5度の優勝、3度の日本一に貢献した「ミスター赤ヘル」。
1977年から5年連続40本塁打以上を記録し、その間本塁打王3回、打点王3回と球界を代表するスラッガーとなった。
1984年に球団2人目となる通算2000安打をマーク。
1986年にチームを優勝に導き、40歳で現役引退。
背番号8は球団初の永久欠番となった。
「山本選手は、広島カープの8回の優勝のうち、選手として5回(1975年、1979年、1980年、1984年、1986年)、監督として1回(1991年)の優勝を経験されとってんよ」
「初優勝の時、今はなき後楽園球場のお立ち台で男泣きするコージ(山本選手)の姿は忘れられんのう」
【衣笠祥雄(きぬがさ さちお)選手】
1965年~1987年
豪快なフルスイングと強靭な体で「鉄人」の愛称で親しまれ、黄金時代の主軸として山本浩二と共にチームを牽引した。
1984年には打点王に輝くなど優勝、日本一に貢献しMVPを受賞。
1970年から現役最終年の1987年まで当時世界記録となる2215試合連続出場を果たし、球界2人目の国民栄誉賞を受賞。
背番号3は球団2人目の永久欠番。
「国民栄誉賞といえば今年、将棋棋士の羽生善治(はぶ よしはる)さん、囲碁棋士の井山裕太(いやま ゆうた)さんが受賞されたのう」
「2014年のソチ、今年の平昌で2連覇した、フィギュアスケートの羽生結弦(はにゅう ゆづる)くんも受賞が決まったよ」
「最近、乱発気味の国民栄誉賞は、今から41年前の1977年、王 貞治(おう さだはる)選手に贈られたのが始まり」
「王選手のは、ホームランの世界新記録達成(756本)を祝ってのものじゃったね」
「衣笠選手の国民栄誉賞(1987年)も、連続試合出場の世界新記録達成(2215試合)を祝ってのものじゃ」
「山本選手・衣笠選手のYK砲は、巨人の王選手・長嶋選手のON砲にも引けを取っとらんよ」
「初優勝した1975年のオールスターゲーム、山本選手・衣笠選手の二打席連続アベックホームランは今でも語り草じゃのう」
【野村 謙二郎(のむら けんじろう)選手】
1989年~2005年
俊足巧打のショートとして活躍し、チームリーダーとしても長年チームを牽引。
1991年には初の打率3割、盗塁王に輝くなどV6に貢献。
1995年は打率.315、32本塁打、30盗塁を記録し、史上6人目のトリプルスリーを達成。
2005年に通算2000安打を記録。
2010年から5年間一軍監督を務め、2013年には16年ぶりのAクラスに導き、連覇への基礎を築いた。
「V6を達成した1991年は、最多安打(170安打)と盗塁王(31盗塁)、ベストナインを獲得されとってんじゃ」
【前田智徳(まえだ とものり)選手】
1990年~2013年
ストイックに打撃を追求し続けるその姿から「孤高の天才」と称された。
1年目から抜群の打撃センスを発揮し、2年目にレギュラー定着。
1992年から3年連続3割をマークするも、1995年以降はアキレス腱断裂など故障との戦いが続く。
強い精神力と卓越した打撃技術で幾度も復活を果たし、2007年に通算2000安打達成。
晩年は代打の切り札としても活躍した。
「V6を達成した1991年といえば、前田選手がプロ入りして2年目の年」
「先発出場した開幕戦では先頭打者ホームランを記録、これがプロ入り初アーチじゃった。この年、2番に定着、ゴールデングラブ賞を受賞された。ゴールデングラブ賞は1994年まで4年連続で受賞されとってんじゃの」
(中國新聞 2018年3月5日)
「ここで左手に愛宕踏切(あたごふみきり)が見える」
「いわゆる開かずの踏切」
「愛宕踏切を渡って200メートルくらい行くと、マツダスタジアムへ野球観戦に行く前、ファンが必勝祈願をしていく愛宕神社がある」
「愛宕神社には火伏せの神が祀(まつ)られとって、ピッチャーが炎上するを抑えるといわれとるんじゃったね」
「シーズン開始前には必勝祈願祭をされっとってんじゃが、今年は球団初の3連覇を祈ってのものじゃった」
訪問日:2018年3月4日
「今日は、広島カープのかつての名選手、黒田博樹投手・北別府 学投手・山本浩二選手(元監督)・衣笠祥雄選手・野村 謙二郎選手(前監督)・前田智徳選手を紹介について話をさせてもらいました」
「次回は、緒方孝市監督と、新井貴浩選手・石原慶幸捕手・ブラッド・エルドレッド選手・赤松真人選手・天谷宗一郎選手を紹介する予定じゃ。ほいじゃあ、またの」