矢賀一里塚
西国街道
「先日、広島市東区矢賀新町(やがしんまち)あたりを通りよったら、矢賀一里塚(いちりづか)を見つけた」
「一里塚いうたら、むかしの街道に1里(約4キロメートル)ごとに築かれた塚のことじゃね」
「そこに松や榎(えのき)の木を植えて、旅人の目印にしたんじゃの」
「矢賀新町のバス停のすぐそばに矢賀一里塚があるんじゃね」
「向かって左側には、「平成二四年十月吉日」と刻んである」
「平成24年いうことは、今から2年前に建てられたんじゃね」
「このあたりは年に何度か通るんじゃが、この碑を見つけたのは今回が初めて。今まであったかいのう?」
「お父さんが気がつかんかっただけじゃない? トシじゃけぇ」
「トシじゃけぇは余計じゃ!」
「広島城下から東への最初の一里塚ってあるけど、スタート地点はどこになるん?」
「元安川(もとやすがわ)に架かる元安橋(もとやすばし)を渡ったところ、橋の東側に元標(げんぴょう)があって、ここが城下町広島からのスタート地点であり、ゴール地点でもあったんじゃ」
広島市道路元標(広島県里程元標)
(撮影日:2012年11月24日)
「そうか。今、平和記念公園があるところは中島(なかじま)と呼ばれて、広島にお城が築かれてから(16世紀末)は城下町の中心地になって、広島一にぎわっとったんよね」
「そこから東へ一里行ったところ、広島のご城下を出てから東へ最初の一里塚が、ここ矢賀一里塚になというわけじゃ」
「へぇ」
「ここから東側(広島)にある岩鼻(いわはな)から、西側(京都・東京)にある府中土橋(どばし)までを「大須往還」と呼びよったんじゃのう」
「長さが八丁って、どのくらいの距離?」
「丁(ちょう。「町」とも書く)」は約109メートル。ま、100メートルと考えたらええんじゃないんかの」
「ということは、八丁=800メートルか」
「地図で調べてみたら、岩鼻から府中土橋までが800メートル弱くらいじゃった」
「今の岩鼻から東側、あけぼの通り(広島県道70号)を見る」
「道路がアンダーパスになっとって、その上をJRの芸備線(げいびせん)、さらにその上の高架橋を山陽新幹線が走りよるんよ」
「福島正則(ふくしま まさのり)が広島藩主じゃったころ、西国街道を広島城下に通した。そのとき、岩鼻のふもとに広島城下への東側の入り口になって門が設けられたんじゃ」
「うちらが小(こ)まいころは、大きな切り立った岩が残っとったよね。今はそれがのうなって(=なくなって)マンションが建ってしもうたけど」
俗巌鼻とよぶ、全山奇巌重畳す、上古海涯にて山骨を露せしものと見ゆ
(『芸藩通志』より)
「府中土橋、現在の府中大橋(ふちゅうおおはし)より西側、あけぼの通り(広島県道84号)を見る」
訪問日:2014年10月11日
【参考文献】
『広島県の地名 日本歴史地名大系 35』編:下中邦彦、平凡社、1982年
「今日は、広島市東区の矢賀新町(やがしんまち)にある矢賀一里塚について話をさせてもらいました」
「ほいじゃあ、またの」