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市主催の原爆追悼式典を 三次市三良坂町

2011年05月19日 | 広島の話題
「三次市で、市主催の原爆追悼式典を開催して欲しいと、市長に要望書が提出されたそうじゃ」



三次市原爆被害者協議会は16日、市主催の「原爆追悼式典」を8月6日朝に開くよう求める要望書を増田和俊市長に提出した。

市内では1991年から昨年まで、同市三良坂町(みらさかちょう)の「三良坂平和を願う会」が追悼の集いを三良坂平和公園で開催してきた。
要望書はそれを市主催とし、市長が参加するよう求めている。

協議会の末国孝副会長(84)=同市作木町=は「年をとり、広島に行きづらくなった被爆者も多い。三良坂なら参加しやすい」と要望書を手渡した。
増田市長は「重みのある要望。前向きに検討したい」と回答した。

(「三次市主催で原爆式典開催を」中国新聞 2011年5月17日)




「今年で原爆投下から66年になるんじゃね」

「被爆当時10歳としても、今年で76歳じゃ。被爆者が歳をとられて、足腰が弱ってきとってんじゃのう」

「広島に行きづらくなった、というのもわかるよね」

「平和記念公園の原爆慰霊碑前には、今年の8月6日の原爆慰霊祭に合わせてスロープを設置しよってじゃけんの」



↓平和記念公園のスロープ設置については、こちら↓

「平和記念公園慰霊碑前でスロープ設置工事を行います」広島市





「三次市で追悼の集いを毎年しよっていうのは、知らんかったよ」

「三良坂町は、今は三次市になっとるが、それまでは双三郡(ふたみぐん)じゃったよの」

「2004年(平成16)に合併したんよね」

「その三良坂町は1986年(昭和61)に、「恒久平和への誓い-三良坂町非核自治体宣言-」を決議されたんじゃ。ほいで、1990年(平成2)に三良坂平和公園を、翌1991年(平成3)には三良坂平和美術館を整備されていったんじゃ。追悼の集いを主催されとる、三良坂平和を願う会は…」



1986年に三良坂町が「恒久平和への誓い-三良坂町非核自治体宣言-」を行ったことにともない、この宣言を実行あるものにするために結成されました。
核保有国の核実験には抗議の座り込みを行い、毎年8月6日には「すべての原爆・戦争犠牲者を追悼する集い」を開催しています。
被爆60周年の集いでは、「わたすの母子像」英訳詩の除幕や男鹿和雄(おが かずお)さんの絵画「平和の広場」の披露、被爆二世の会記念植樹などが行われました。

三良坂平和を願う会」キラリ三良坂




「非核自治体を宣言するだけじゃのうて、実際に活動されとるところがええよね」

「会報『百日紅(さるすべり)』を年2回発行したり、2003年(平成15)6月には、俳優の吉永小百合さんを迎えて原爆詩の朗読会をされたりしたそうじゃ」



↓三良坂と平和への取り組みについては、こちら↓

「三良坂 つなぐ8・6 <上> 百日紅」ヒロシマ平和メディアセンター 2008年8月3日

「三良坂 つなぐ8・6 <下> 平和を願う会」ヒロシマ平和メディアセンター 2008年8月3日






「追悼の集いが行われとる三良坂平和公園には、どんなものがあるんかね?」

「敷地内に三良坂平和美術館と三良坂コミュニティーセンター、母と子-わたす像とその詩碑などがあるそうじゃ」



わたすの母子像
栗原貞子

インド砂岩の白い裸像の母は
白い裸像の子どもに
何をわたそうとしているのだろう

夕暮れの平和公園の広場には
白い灯ろうがいく百も置かれ
五濁(ごじょく。この世が悪くなるときの5つの濁り)の世を清らかに照らしている
像の前に集まった人々は
母が子どもにわたそうとする願いを
胸に燃やして手をとりあっている

ここ平和公園の白い灯ろうの灯は
いまも絶えない世界の戦火を
しずめようとする祈りの灯
裸像の母が子どもにわたそうとするもの

わたすの像よ
世界中の母と子にわたしてください
わたしたちの願いを




「栗原貞子(くりはら さだこ)さんは、「生ましめんかな」という詩を作られた方じゃね」

「この詩碑は、1994年の夏に建てられたそうじゃ」



↓三良坂平和公園については、こちら↓

「三良坂平和公園」キラリ三良坂





↓三次市についての関連記事は、こちら↓

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「今日は、三次市三良坂町について話をさせてもらいました」

「ほいじゃあ、またの」
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