憩いの森

安らぎと憩いを求めて!

サイクリング (稲毛浅間神社・稲毛公園と歴史)

2022-04-17 15:45:37 | 地理・歴史・社会
今日は実は久しぶりの団地のお掃除の日(クリーンデー)だった。最近のコロナ禍で中止になっていた行事だ。

早朝の掃除が終わって天候がまだ持ちそうだったので稲毛の浅間神社まで走ってみることにした。自宅の団地からは少し離れていて片道6kmはあるがやはり近隣の神社としては大きくかつ参拝者も多い。それに神社の隣の松林の公園はかって文人や有名人が歴史に登場する場所でありブログの記事で残しておきたかったからでもある。

この浅間神社や松林は、50年ほど前に千葉市に転入してきた頃たぶん自転車で見物に来ていたと思う。しかし当時は妻が小学生の時に臨海学校で稲毛海岸まで来たという話程度しか千葉の歴史については知ってはいなかった。

それに神社仏閣について興味も殆どなかったのが、ここ10数年で友人達と千葉の歴史に触れる機会が多くなって稲毛浅間神社もたまには訪問しておこうという程度だった。

しかし今回改めて松林のエリアも含めて散策して見るとやはり貴重な自然遺産としての良さが感じられた。神社の規模や京成電車でのアクセスも便利なのにマイカーでの訪問もやり易い参拝管理の良さを感じる。京成検見川駅の八坂神社(現在の検見川神社)と並んで地元の正月の訪問先として賑わっている。

以下の写真はスマートフォンで撮影した浅間神社と松林が拡がる稲毛公園、それに近隣でまつわる話題を添えた。今日は日曜日でもありお宮参りをする赤子を抱いた親族が多く見られた。

※ お宮参りとはその土地の氏神様に赤ちゃんが無事生まれたご報告と、今後の健やかな成長とご加護をお祈りすることが目的の行事です。初宮参り(はつみやまいり)、初宮詣(はつみやもうで)、宮参り(みやまいり)とも言います。生後一ヶ月の良き日を選んで神社にお参りをします。(出典:きものレンタリエ)


※ 浅間神社入口の鳥居は2つ並んでいるのだが、1961年から稲毛海岸が埋め立てが始まり工事は1980年頃までかかったらしい。以前は満潮時には海中にあった一の鳥居が今は国道の前で6車線の広い国道を渡らねば神社側にある二の鳥居に行けなくなり危ないので今は陸上にある一の鳥居に行く方は少ないとネット上では書いてある。

↓ 稲毛浅間神社の2つの鳥居 (出典:東京湾観光情報局)



↓ 千葉街道の国道側から見る二の鳥居は、実質上の浅間神社入口と言える。 (出典:GoogleMaps)



↓ 紳士服のコナカの横に建つ向こうの海側の一の鳥居と手前の陸側・神社側の二の鳥居 (出典:GoogleMaps)



10 稲毛浅間神社脇参道入口 (国道前の一の鳥居や二の鳥居よりこちらの鳥居の方が風情がある。)



12 厳島神社(様々な神々が合祀され、子育ての浅間神社本殿を囲むように配されています。それぞれお賽銭箱が備えられています。)




14 小御獄社(こみたけじんじゃ)



16 美しい松林が続く参道



18 八坂神社




20 大宮神社






22 古峯神社(小さくてもちゃんと賽銭箱が完備!)



24 三峰神社




26 本殿入口





28 本殿階段







30 社務所、本殿境内








32 周辺、本殿の境内まで急坂を車で登ることができるのは赤子を抱いたご婦人には有難い。







34 境内にはツツジの花などが美しく咲いている。

















40 境内の松林は隣の稲毛公園の松林と繋がっていて元海岸の風情が残っている貴重な場所と言える。






************* ここから稲毛公園 **************************************************

50 稲毛公民館は松林に囲まれた場所に建つ。



52 昔の海岸の風情を残す松林の稲毛公園













56 松林の根が凄い! 地上に上がって広く砂地を這いまわっている。








58 丘の向こうにある千葉市民ギャラリー稲毛への看板は旧神谷伝兵衛稲毛別荘だった。




60 旧神谷伝兵衛稲毛別荘、ワイン王と呼ばれた。(現在は千葉市民ギャラリーとして一般公開されている)



↓浅間神社隣の松林は歴史上著名な人物が登場する。(出典:千葉市ホームページ他)



↓中経出版の写真集「千葉県の昭和」より、明治大正昭和初期の絵葉書が伝える千葉県の昔~埋め立て前の稲毛浅間神社一の鳥居と文人たちに愛された松林の中の海の宿「海気館」




↓千葉県教科書販売㈱の写真集「千葉市の昭和」より記事抜粋



↓稲毛海岸のゆかりの話題(出典:千葉市ホームページ他)




70 浅間神社に最も近い駅、京成電鉄稲毛駅




72 今日のワークアウト結果、約12km走った。




花見川サイクリング (亥鼻橋周辺・長林寺・水神宮・信德寺・長作の里山風景)

2022-04-11 15:05:01 | 地理・歴史・社会
今日も亥鼻橋周辺の歴史散歩に出かけた。

回ったルートは、神場公園~花見川サイクリング道路~(亥鼻橋)~長林寺~水神宮(浅間神社)、三峯神社(ミニ)、観音堂~長作エリア里山風景~信德寺~亥鼻橋~神場公園

先月からさつきが丘団地を中心とした公園、神社、仏閣、花見川、等々をサイクリングや徒歩で散歩することができた。これでおおむね自宅の周りを千葉に来て50年ぶりに網羅できたのは嬉しい。

仕事がある現役世代ではなかなか動けない、あるいは興味がない、であまり知らない細道までくまなく動きまわった印象である。これで心臓病と骨折入院のリハビリに役立っていると確信している。ただしこれからの暑い日の散歩は熱中症の恐れもあるので難しいが、気温と相談の上、今後もできるだけ続けてゆきたい。


↓参考地図 水神宮の場所は浅間神社と表示されている。「社殿の右手にプチ富士塚があり」と書かれたWeb記事もあったので浅間神社は間違いないようだ。ただし社殿の左側に近年個人で寄贈された三峯神社というミニミニ鳥居があるので紛らわしい。 (地図をクリックすると拡大します)



10 ↓ 亥鼻橋に近い寺はこの長林寺である。たぶん20年ぶりにここへ来たと思うがいつの間にか改築リニューアルされていた。










15 亥鼻橋のたもとにある神社は、坊辺田水神宮(浅間神社)でこれも先日登った諏訪神社にも劣らず急な石段を登らねばならない。おまけにその石段の前後の踏みしろが浅く足首を横にして登らないと足を踏み外しそうで怖い。水神宮(すいじんぐう)は、水神を祭る神社。










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25 近年奉納されたミニ神社? 三峯神社と彫刻されている。Googlemapsではこの場所の画像リンクに浅間神社と出てくる場合があるがそれはこれとは別の水神宮の社殿のことである。




30 神社の裏側は? 竹やぶの向こうは高台の畑であった。






35 本殿の下に観音堂がひっそりと佇んでいる。脇の崖はそのうち崩れそうだ。












40 長作方面へ台地を登ってみるとそこは広大な畑が広がっていた。










50 畑の向こうに佐川急便の巨大倉庫がみえるが可愛い携帯電話の基地局もあった。どこのキャリアかは裏側も見たが機器に表示はなかった。最近大急ぎで追加建設している楽天の設備かもしれない。




52 長作の高台の住宅街にある法華宗信徳寺は現地では撮影しにくい場所だったので衛星写真をお借りした。隣の敷地で幼稚園も経営している。



55 長作エリアの風景は山あり谷ありでこんもりとした丘には神社仏閣が多く里山の雰囲気を味わえる散歩道が多かった。





↓ 今日のワークアウト結果、道を迷って長作エリアをウロウロしたが結局約12km走った。
丘を登るときは自転車を押して歩いたので積算高度の範囲や歩数もかなり伸びた。23:45現在の歩数は2,152だ。
実は昨日も美浜区まであるものを探してサイクリングしてきたが、16km走ったので昨日と今日で連続28kmも走った。こんなことはここ10年はなかった記録である。




↓ さつきが丘団地周辺地図 東京から千葉に来て50年、やっとサイクリングや徒歩で地元を本当の意味で散策できた。

花見川サイクリング (諏訪神社へ登る!)

2022-04-08 13:31:08 | 地理・歴史・社会
今日も天気は最高! かねてから登ってみようと考えていたあの丘の上の神社に行ってきた。

その名は諏訪神社、沿革は下記に記したが1600年代?らしい。

花見川沿いにあるのでついでに先日走ったサイクリング道路でまだまだ見られる桜の写真を再度撮影してきた。


↓4/1 前回の花見で撮影しておいた写真、川の向こうの小高い丘に写っている神社が諏訪神社である。





↓諏訪神社の沿革と彫刻(資料:Wikipedia) 寿老人(本殿左側)と向拝の龍の彫り物が目立つ。






ここから今日撮影した写真である。***************************

1 花見川亥鼻橋のたもとにはすでに散った桜の花びらが美しく溜まっていた。





2 諏訪神社周辺はのどかな里山の雰囲気で溢れている。遠くに花見川のサクラが見える。







3 諏訪神社へ登る。階段は思ったより急で心臓病患者なのでめまいがしそうで脇の手すりを掴んで登った。(^^;





4 鳥居は新しい?


 

5 急な石段を登ってゆくと素晴らしい眺望が開けてくる。朝日が昇る時が美しいと書かれている。





6 丘の上の諏訪神社境内は広くて静か、





7 まだ桜の花が美しく丁度良いときに訪問できた。



8 諏訪神社の沿革について




9 本殿と裏の風景






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15 向拝の龍の彫り物



16 周辺景色の案内、諏訪神社北側近隣に長作城山城があったことが書かれていてGoogleマップにも城跡として掲載されている。





20 古い字体で読みにくいが「日露戦争凱旋記念碑」と彫刻されているように見える。まあ千葉県だけでももっと立派な諏訪神社と日露戦争の記念碑が多数あるのには驚く。この神社は小さな素朴な諏訪神社と言える。





25 地元のシニアの人か? 急傾斜の階段を上り降りして運動をやっている方々を見かけた。がけ崩れ注意の標識もあった。





30 諏訪神社の西参道入口、



31 近隣の農家に咲いた桜は見事!



32 汐留橋から見た花見川の桜並木、右方向が上流八千代方面である。




↓ 今日のサイクリングワークアウト結果、花見川区役所まで往復したのと同じなので距離は約10kmだった。







懐かしの市川市役所新庁舎界隈散策

2021-12-22 09:52:00 | 地理・歴史・社会
2006年から4年間を非常勤職員として過ごした日々ももう遠い過去の思い出になっているが、もう退職しているはずの昔のあの課長さんや部長さんは今どうしているだろうかと思うときがある。

当時勤務していた頃は革新的な医者出身の「千葉」市長(名前が千葉なのにいちかわ市長とはこれ如何に!)は公用車を廃止したり部長の個室を廃止したり、当時としてはまだ目新しかった公共団体として情報セキュリティ監査の資格を得た有名な自治体であった。

わたしはその監査のための補助要員として情報政策部に配属されて4年間勤務したのである。監査以外にも市役所の情報管理委託業者の作ったシステムの種類を個別管理するソフトを開発して運用していたので市の電算業務がよく把握できていた。ネットワークの管理や古い基幹業務も常駐している富士通のSEから学ぶこともできた。

その市役所が長年のオンボロ!庁舎を職員市民の念願がかなって1年半ほど前に第1庁舎と第2庁舎が立替えられたのである。早く見学がてら見に行きたいと思っていたが、予想外の入院2回で散策が延び延びになっていた。

昨日は12月でも暖かい日和であったので思い切ってリハビリがてらの見学散策を実施したのである。前評判どおり革新的な第1庁舎(本庁舎)のデザイン思想は行ってこの目で見たらやはり素晴らしい近未来的で市民の利便性を考慮した市役所と言えるものだった。

また我が家の住む千葉市役所の本庁舎も相当オンボロ(失礼)だが仕事でいろいろお世話になった自治体でもあるので現在すでに立替工事が始まったのは嬉しい。市川市役所の庁舎のような思想を取り入れてくれると市民も有難いだろう。竣工予定は約3年後の令和7年1月となっている。

以下はJR本八幡駅と京成八幡駅を中心として庁舎を散策したときの写真と案内パンフレットである。またリハビリがてら歩いたスマートウォッチの健康記録も参考のために掲載した。


↓2019年3月の市川市第1庁舎建設中の写真(看板)



↓第1庁舎の俯瞰写真(GoogleMaps)









↓国道沿いにある第1庁舎は工事中は周辺が狭いスペースで苦労していたと思う。




↓第1庁舎裏の京成電鉄の踏切




↓竹林のある不知火神社



↓第1庁舎内の様子、天井は露出形で建設費を抑えたのかも! 事務室は6人一緒のOAデスクにゲーミングチェアの様な腰に負担の無い椅子が採用されている。部署によっては円陣のスタイルの配置もあり全体的に解放感に溢れているが、セキュリティを配慮する部署は市民や業者が簡単には入れないようになっていた。



↓京成電鉄の線路側が斜めに切り落とされ植物が植えられた奇抜なデザインが目印でその中は明るい庁内が拡がっている。




↓最上階の7階は職員や来庁者の休憩室になっているが伝統の食堂は廃止された。この下の階は市議会になっている。ガラス越しに見ることができる。




↓展示中の永井荷風の書斎 ・・・まあ、あまり誉められた人生とは言えないが波乱の人生を歩んで最後の食事は当方と同じ好物のカツ丼で死ぬとは!


永井荷風*******************************
1957年(78歳)、市川市八幡町四丁目(現八幡三丁目)に転居、これが彼の終の棲家となる。~1959年4月30日朝、自宅で遺体で見付かった。通いの手伝い婦が血を吐いて倒れているのを見つけ、最後の食事は大黒屋のかつ丼で血の中に飯粒が混ざっていた。胃潰瘍に伴う吐血による心臓麻痺と診断された。傍らに置かれたボストンバッグには常に持ち歩いた土地の権利証、預金通帳、文化勲章など全財産があった。中身の通帳の額面は総額2334万円を超えており[28]、他に現金31万円余が入れられていた[29]。
(出典:Wikipedia)
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↓第1庁舎の裏側にある葛飾八幡宮は、千葉県市川市にある神社で、八幡宮の1つ。~八幡の町名の由来となる場所である。(出典:Wikipedia)



↓随神門の随神(随身)




↓葛飾八幡宮の本殿と脇にある千本公孫樹 [国指定天然記念物]・・・立派で千葉市の千葉寺にある大銀杏を思い出す。





↓葛飾八幡宮の境内社、厳島社で宗像三神を祀ります。



↓八幡宮境内にある市川市八幡分庁舎




↓京成八幡駅周辺、ターミナルシティ内のガストでランチ休憩した。






↓JR本八幡駅に戻って来た。本庁舎とは線路を挟んで反対側の駅前に2006年から勤務していた市川市役所の情報政策部がある。重要なコンピューター室も今でもここにあるようだ。周辺にはこのようなタワーマンションがいくつも建てられている。都営新宿線の始発駅がここ本八幡駅なので都内に通う勤労者の住家となっている。





↓市川市の第2庁舎、JR本八幡駅からはかなり離れていて不便な場所であるが以前から所有していた土地である。本来は京成八幡駅裏の第1庁舎と合同で大きな庁舎が建設できれば良かったのだが諸事情で叶うことがなかった。



↓この日のリハビリ散策の運動量は下記のとおり、1日で約14,000歩、消費カロリーは630kcol、歩いた距離は2.57+2.61=5.2kmである。昼にガストランチして午後3時に駅のタリーズコーヒーでコーヒーと甘いものを食べた。大した距離は歩いてないが役所内をよたよた歩いて立ちんぼうの時間が長いので結構疲れた。でも昨夜はぐっすり眠れたので現在は回復した。





※4~5種類の衛星による位置計測は相変わらず非常に正確であり素晴らしい!
 ●スマートウォッチ:シャオミMIウォッチ
 ●同期するスマホ:OPPO Reno3A


♪♪ 当方の年内外出はたぶんこれでおしまい、元気なシニアの方はまだコロナ禍が再発する前にお泊りの旅行など楽しまれる方も多いことだろう。(#^^#)

筑波山、オンラインで登ってみた?

2021-11-06 15:02:44 | 地理・歴史・社会




親友おじさんは山登りが趣味でコロナ禍に負けずあちこちご夫婦で散策ハイキングを楽しんでいる。足腰が悪いわが夫婦とは大違いだ。

特に当方は6月に腰の骨を折って2か月の入院、それで退院してようやく3か月が過ぎようとしているがリハビリはまだまだ当面続いている。

それはともかく、その友人がまた筑波山に登ったブログ記事を見たので、はたとGoogleMapsでも見てみようと検索していたら当然のごとく登山ルートのストリートビューが見つかったのでたどってみた。

思えば1972年に結婚して東京杉並区から田舎の千葉へ引っ越してきてまもなくの1975年に当時排気量が360ccの中古軽自動車ホンダライフを購入して乗り回していた頃だった。

その後あの筑波山に360ccで登れるか試してみたのである。くねくね曲がるスカイラインの最後の急坂で1速でもぎりぎりの登坂、何しろ現在の660cc(0.6L)のターボ付き軽自動車と比べたら馬力もトルクも月とスッポンの差と言ってもよいほど非力だったのである。

その非力軽自動車は後日富士山のスバルラインも登ることになるのである。!!ほとんど1速か2速で2気筒のエンジンをガーガー回して登った記憶がある。今乗っている車は現行ヤリスに変わる前のビッツだが1.3Lでも登坂はたぶん静かで問題ないだろう。実に隔世の感がある。


・・・友人のブログ(Lab通信)


友人のブログに感想が書き込んであるがあまり高い山ではないにもかかわらず登山コースはなかなか厳しくて決して侮ってはいけないとある。

ストリートビューでは傾斜が分かりにくいがそれでもかなり急傾斜で登る部分もあるのがわかった。自宅に居ながらにしてプチ登山気分を味わうことができた。きっかけをいただいた友人に感謝!

最後に筑波山にいったのは前のマイカーを買い替えたので車の登坂テストとガラケー携帯電話の通信テストも兼ねて行ったのが2006年8月だった。たぶんそれ以降は出かけた記憶がないのでもう15年が過ぎてしまったようである。(^^;

・・当方、憩いの森管理人が筑波山へ行ったブログ記事(2006年)

友人のブログで登山コースは「神社裏よりの御幸ヶ原コースを登る」と書いてあるのでMAPを検索してGoogleMapsのストリートビューへの案内リンクが見つかったのでこれをたどって少し電子登山してみた。

この友人ブログの「神社」とはむろん「筑波山」神社のことである。ホームページには「筑波山神社は三千年以上の信仰の歴史を持つ霊峰「筑波山」を御神体と仰ぐ古社」とある。

御幸ヶ原コースは筑波山でケーブルカーで登るコースに沿っているがロープウェイの側とは離れている。当方はケーブルカーは利用したことがない。





むろん22インチのテレビモニター見るので現地の雰囲気は想像するしかないが、でも友人ご夫妻がたどったと思われる道を追いかけてかなり楽しむことはできた。かなり急傾斜の部分がありたしかに標高800m台の低い山ではあるが決して侮ってはいけないと書いてあった感想が理解できた。




↓ロープウェイ側のコースをGoogleMapsで見る





↓神社裏よりの御幸ヶ原コースを登る、岩がゴロゴロでたしかに険しい。最後は終点御幸ヶ原に近いのだろうか、ストリートビューが終わっていた。






↓ユーチューバーが提供している最近の筑波山登山ビデオは、子供同伴やドローンを使ったプロ仕様まで選り取り見取りで面白い。特に最初の「女性報道カメラマン」の映像はプロ仕様でビデオ編集をやる当方としては編集が参考にビデオだ。2番目の「あどちゃんねる」の女性は日本百名山の登山を目指している。3番目以降のビデオから子供連れはどうやら「おたつ石コース」が登りやすいことがわかる。特にリンクは掲載しなかったが標題からYoutubeを検索してみればすぐ見つかるはずだ。









千葉市花見川区さつきが丘・久しぶりの貝塚公園

2021-10-01 12:41:19 | 地理・歴史・社会
自宅から目と鼻の先にある距離なのに、買い物に寄るスーパーやウェルシアに隣接する貝塚公園は文字通り昔貝塚があり、昭和47年に旧住宅公団の巨大団地の中央にあって記念に残された丘の公園である。

1979年に息子が生まれてからは神場公園と共に特にお世話になってきた公園だ。しかしここに住むようになって早50年近くの歳月が流れ、子供は孫を設けて我が身は急速に病気怪我で生活様式は変化した。

2002年に亡くなった父親は、老後の棲家についてこう言っていた。賃貸でなく自宅を持つこと、生鮮食料品が手に入るスーパーが歩いて行けることだ。

これらは贅沢は言えないものの幸い親の公団分譲マンションを遺産相続して実現している。人口密度の高い町なので京成バスの便も急速に整備されて現在に至っている。

しかし、今年は我が身が腰の怪我で歩くのも不便になっているのでせっかくリハビリにぴったりな公園があるのを利用しない手はない。この貝塚公園と花見川に出る神場公園の2つが終の散歩コースとなるだろう。雨でない限り毎日どちらかの公園を目指すことにする。


↓自宅からの距離は1.3Km、100kカロリーも消費しない距離だが、スーパーに買い物ついでに公園を回って帰ればリハビリにかなり寄与できそうだ。犬の散歩が必要な方は否応なしに愛犬のために歩けるが、毎日同じ場所を回るのはついでの仕事がないと続きにくい。買い物つ・い・で・に・遠回りするのは必要なのだ。



↓南側の道路際には桜の林があって春は地味だが美しい。



↓なだらかな丘に草原が広がっていて天気の良い日は美しい。この日は台風16号接近で雨模様だったが雨が降り始める前に帰宅できた。





↓子供と遊んだブランコは40年前と同じ位置にある。



↓なだらかな丘に見える北東側



初夏を探しに習志野市緑地香澄公園へリハビリサイクリング

2021-06-02 19:10:35 | 地理・歴史・社会
↓香澄公園の紹介文言いろいろ


・【千葉】江戸花菖蒲やあやめが咲き誇る、習志野市「香澄公園」
・複合遊具とじゃぶじゃぶ池が待っている!谷津干潟を守るために作られた緑と水の公園
・習志野緑地は「香澄公園」、スポーツ施設中心の「秋津公園」、野鳥観察などができる「谷津干潟公園」の3つの公園からなります。
・香澄公園はJR京葉線新習志野駅から徒歩7分、無料の駐車場を完備している自然豊かな公園です。園内にある「とりでの丘」は木の遊具で冒険気分を味わえ、子どもがのびのびと遊べる「じゃぶじゃぶ池」もあります。
・「しょうぶ池」や「香りの広場」の綺麗な花や植物は多くの人の心を癒してくれます。

●沿革 沖合いに広がる遠浅の海岸は、戦後、伝統的な潮干狩りに加えて海苔の養殖で繁栄したが、1960年代に千葉県企業庁がこれを埋め立て、日本住宅公団が袖ヶ浦団地を造成した。また、1970年代の第二次の埋め立てでは秋津、香澄の住宅公団の団地や分譲住宅地の他、芝園・茜浜などに工業地が作られ、東関東自動車道水戸線の建設の際には緑地が作られた。このとき旧大蔵省管轄の土地が池状に埋め立てられずに残された。


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友人がつい最近訪れたという習志野市「香澄公園」に6月2日、曇空のまだそれほど暑くはない日に思い立って江戸花菖蒲を見に行くことにした。自宅からは往復21kmの距離で心臓疾患を持つ我が身にはちょっとした遠出のサイクリングになった。

今回のサイクリングの目的は5つあった。

 ①最近運動不足のためリハビリがてらのサイクリング
 ②かって勤務していた海浜幕張地区の風景の変化
 ③香澄公園の花菖蒲見物
 ④新しいOPPOスマートフォンのカメラ性能の確認
 ⑤シャオミのスマートウォッチのGPS性能の確認


以上欲張りな計画を実施した。「2兎を追うものは1兎をも得ず」という諺があるが、昔仕事の大先輩から教わったことに、「ついで商法」というものがある。交通費や手間をかけてどこかの場所に出かけるのなら1つの仕事だけではもったいないので他の仕事も一緒にやって帰るように計画せよ、という教えである。マルチ商法のようなものかもしれない。というわけで今回のお出かけもマルチ商法なのである。(^-^;

香澄公園の場所は南北を東関東自動車道で隔てられており、今回は海浜幕張地区から香澄公園方面に渡るのにJR幕張本郷駅から免許センターに渡る長い陸橋を迂回せざるをえないことになり、遠回りしてしてしまったが無事に美しい江戸花菖蒲に会うことができた。

細長い公園だが思っていたより園内は広い。大きな広場もあり地味ではあるが流れるせせらぎも作ってあるので千葉の花島公園のような印象がある。

花菖蒲田は大きくはないものの一応カメラを持って撮影する価値はある場所だ。ただ今日はもう満開を過ぎている印象だった。やはり思い立ったが吉日で今日見に来て良かった。

新しいOPPOスマートフォンのカメラ機能はなかなか優秀で以前使っていたファーウェイスマートフォンのカメラ機能もそうだったが、感度、オートフォーカス精度、逆光露出、彩度コントラスト、歪曲等どれをとっても優秀であり、デジカメはもう要らないね!の印象だった。今回はただ静止画だけの評価だったので動画のテストはまだ別の機会にやってみたい。



***** 花見川サイクリング道路紫陽花~海浜幕張地区~香澄公園~江戸花菖蒲 (カメラ:OPPO Reno3 A)*****


↓サイクリング予定MAP、実際は自転車では危ない道路を避けて走ったのでこのMAPとは違った道を走った。


↓まずは花見川サイクリング道路を下って花見川区役所付近の紫陽花を写真に収めた。千本桜の土手に群生しているが実はもっと下流の浪花橋付近の紫陽花が一番美しかった。





↓海浜幕張地区に来た。左のネットは幕張総合高校のグランドでこの界隈はあまり人に知られていない遊歩道がある。



↓右側のビルは以前勤務していた障害者支援の国立行政法人で左は幕張総合高校、正面にはつい最近完成した2棟のタワーマンションがそびえる。



↓建物の改修中だった。



↓以前は山王町の同組織でお世話になった職業訓練校のポリテクセンターである。




↓旧OVTA(一般財団法人海外職業訓練協会=OVTA(おぶた))は1982年(昭和57年)11月に設立されたが令和2年3月31日解散した。その後は東都大学と幕張国際研修センターが運営しているようだ。海浜幕張地区は社会のニーズの変動で幕張メッセも含めて企業、学校、団体も縮小が続いておりかっての賑わいを見てきた当方にとっては大変残念なことだ。





↓浜田川にかかる中浜橋にある大歩道橋から見える海浜幕張地区のビル群、すぐそばに幕張免許センターやJR京葉線の車庫、大きなイオンショッピングモールがある。










↓やっと広場のある香澄公園の東側入り口に着いたが目指す菖蒲田は一番西側奥の方だ。














































↓帰りはまた花見川サイクリング道路に戻って下流の浪花橋付近にひっそり咲いていた美しい紫陽花の姿を最後にカメラに収めた。








↓香澄公園の今昔(袖ヶ浦団地の今昔)**********************

↓ブログの記事から拝借しました。(http://vivit.blog.jp/archives/72186554.html)



















↓スマートウォッチでの往路移動経路(シャオミ MIウォッチ)**********************

当初に説明したとおり目的地の香澄公園に行く前にかっての勤務地であった海浜幕張地区に寄り道した。そのため香澄公園に行くのに高速道路を迂回せざるをえず、少し遠回りのサイクリングになってしまった。









↓スマートウォッチでの復路移動経路(シャオミ MIウォッチ)**********************




↓帰りは40mほど登ったことになっている。団地の階段3階分も含まれる。






↓JR幕張本郷駅から国道14号線に出た付近のガストでランチ休憩したが、GPSも自転車が国道から少し内側の駐車場に入った足跡を忠実に補足していた。



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※スマートウォッチの往復経路は、実際の地図とあまりずれがないことがわかった。元々この分野の知識はあまりなかったのでいろいろ調べてみた。例えばGPSをスマートウォッチ側もスマートフォン側も搭載している場合、両者がブルートゥースのテザリングで繋がっている間はどちらが主導権を握ってGPS座標を記録しているのか? 等々である。筆者はまだ理解していない。

いつも利用しているカーナビのGPSもそうだが、車が長いトンネルに入ったときGPS衛星の信号が受信できないので再接続されるまで加速度センターなどで物理的に移動した距離を推測して補足しているようだ。

また、スマートフォンの場合はGPS信号が一時的に受信できない場合は携帯電話会社の基地局の所在から簡易的に位置情報を補足するという記事もみたことがある。

しかし、GPSを搭載するスマートウォッチはキャリアのSIMカードを持っている機種は別としてGPS信号が受信できない地下街やトンネルの中はその間は位置を掴めない。

しかし傍にブルートゥーステザリングで接続されたスマートフォンがあればたとえ地下街にいてもスマホ側の信号から位置情報を得ることができる可能性が高い。このGPS計測の世界はとても複雑な連携で動いているようで調べると奥が深くて難しい。


↓GPS衛星の配置説明? (参考資料)



※オンボード GPS を検出する (参考資料)
ユーザーが GPS センサーを内蔵していないスマートウォッチを身に着け、ペア設定したスマートフォンを忘れてジョギングに出かけた場合、スマートウォッチ アプリは、テザリング接続を通じて位置情報データを取得することができません。アプリはこの状況を検出し、位置情報機能を利用できないことをユーザーに警告する必要があります。


「千葉市の昭和」懐かしい写真集

2019-08-14 11:27:15 | 地理・歴史・社会
皆さんこんにちは。

高校野球も気になりますが、Lab通信さんからお借りした写真集が今になって非常に懐かしいのでお礼がてらここに投稿させていただきました。




標記の写真集を初めてお借りしたのは、たしかもう8年も前のことになります。当時は一部のページの本を直接写真撮影して電子データにして保存して楽しませていただきました。

しかし、今回はこの8年間にシルバー人材センターや街の不動産屋に勤務した経験で、本千葉や新千葉を含む千葉市内のJRと京成電鉄の駅、そしてモノレールの駅、千葉市役所と各区役所、千葉県庁、裁判所、高速道路等、各所を回ることができ、今にしてこの写真集に掲載されている風景の子細がよくわかるようになりました。

千葉市に住んでもう既に46年の歳月が流れました。以前の東京船橋市川の勤務時代と違って千葉市で勤務するようになったのはまだここ10年ほどです。

しかし、今となってはこの写真集に見覚えのある場所の懐かしい写真が多いことがわかりました。それでこの記事で感想をいずれ追加更新しようと思います。

とりあえずはLab通信さんに高価な写真集をお借りできたお礼です。どうもありがとうございました。大切な本なので直接お返しに上がります。


↓通勤でお世話になった国鉄総武線新検見川駅、昭和26年に開業した。京成検見川駅が既に存在していたので国鉄の駅は新検見川と名付けられた。この旧駅は複々線化される前の駅で土手に桜が咲きメッセ周辺の高層ビルがまだ建つ前で木造の渡り廊下から幕張の浜辺が見えていた。当方は公団賃貸住宅よりバス~国鉄で約2時間かけて建設会社に通っていた。(昭和40年代)




↓銀座通りの七夕飾り、30年代当時は人通りも多かったようだ。(昭和32年)



↓親友たちと食事会をする三井ガーデンホテルは元千葉銀行本店で、その前に旧京成千葉駅があったが、昭和33年2月9日を最後に国鉄本千葉駅跡に移転した。狭い駅には木炭バスを含めて路線バスがひしめいた。(昭和25年)


↓移転した京成千葉駅の跡地に中央公園が作られた。現在の暑い広場ではなく当初はこのように中央は噴水で涼しげな風情だった。(昭和40年)



↓国鉄千葉駅の移転大改造の様子、東京から来た電車が本千葉方面に行くのにスイッチバックしなくても済むよう、千葉駅を総武本線と内房外房へ分ける三又の分岐場所に移転させた。右上に写っている扇型の蒸気機関車の機関庫は撤去された。新駅での北口と西口に通じる回廊が先に完成している。移転後の国鉄千葉駅の完成は東京オリンピック開催の前年の昭和38年4月28日である。このとき当方は三重県の高校を卒業して東京杉並区に転入したばかりの年だった。(昭和35年)



↓旧陸軍鉄道連隊の設営訓練の場であった広い跡地に造られた千葉公園は、千葉市で初めてボートの乗れる池が作られた。写真では高台に当時展望台があったことがわかる。まだ植樹された木々が小さい。現在は夏場に大賀ハスを見物する観光客で賑わう。



↓公園設営当初はあった千葉公園の展望台、いつ解体されたのか不明! ネットで見つけたものだがその投稿者も展望台が無くなった年は不明とのこと。


4年半使用の愛機のタブレットXperiaZ2がついに死んだ!

2018-11-12 08:51:06 | 地理・歴史・社会
2014年6月に購入したSONYの10インチタブレットはGoogleMapsや電子雑誌購読の他に近年Dマガジン電子雑誌購読に大活躍していた。

しかし、ここ2ケ月の間に再起動を繰り返す症状が出ていたXperiaZ2だったが、3回ほど再起動で正常に?戻っていた。

でも今日は様子が違いもうすでに再起動を1時間も繰り返しているが一向に止まる気配がない。

このタブレットは当時6万円弱していたが、当時SONYが本気で設計した防水で薄いケースの優秀な機械だった。まだ4年半だが購入当初から液晶が黄色くなる現象で初期不良修理を2度も行った問題児だった。

今では中国のファーウェイ性の10インチタブレットが半額で入手できる時代になった。むろんSONYはこの手のタブレットを生産中止にしている。


毎日のメール受信、ブログチェックとコメント投稿、Dマガジンを含む電子雑誌の読書、GoogleMapsなどの地図表示、SDカードに格納している写真や文書類の閲覧など、大半の作業をこの10インチタブレットが担っていたので、使えないと困る。

早急に10インチタブレットの調達を検討することにした。



【購入:2014年6月頃の記事】


一昨年の12月購入の初代Nexus7は当初は16GBで\19,800と破格な値段で実にすばらしいアンドロイドタブレットだったが、やはり故障も早かった。最初はイヤフォンの右チャンネルだけ回路が死んで聞こえなくなった。そして最近はときどき画面のタッチパネルが勝手に反応して画面がくるくる変わるようになった。
これを機会に雑誌や文書を楽に読める10インチのタブレットにするべくSONYの新型アンドロイドOSのタブレットXPERIA Z2(WiFi専用、RAM 32GB)を購入した。10インチ液晶にもかかわらずiPAD Airより薄くて軽く、かつ電池の持続時間も長く優秀である。
画面も高精細で美しいのはiPAD Airに引けをとらない。PCからの写真やビデオや文書、雑誌PDFデータがiPADのiOSではiTunesの同期でしか移せず自由が効かないが、アンドロイドOSでは自由にPC間とでフォルダーによる編集移動できるのも使い勝手がよくXPERIAを選択した理由の一つである。
今まで老人ホームに住む実母に写真や自分で編集したビデオを見せるのにNexus7を使っていたが、画面が7インチでは映像が小さくて老眼の母には見にくかった。それが今回10インチ画面になったことで大変見せ易くなった。

↓左は故障してきた初代Nexus7、右側が新しい10インチタブレットSONY XPERIA Z2 タブレット

鰻のい志ばし~道の駅(発酵の里こうざき)でプチ休暇 (2016年5月)

2016-05-05 16:05:34 | 地理・歴史・社会
5月の連休はどこに行っても混雑するので毎年自宅でのんびりとしているが、今年は5日のこどもの日に標題の店で久しぶりに鰻を食べた。鰻重を食べるのは何年ぶりだろうか!

↓うな重 \2,600 (2016/5現在、価格はときどき変動) 他の常連さんらしき人々は焼き鳥のような「きも焼き」をまず注文していた。これは早く出てくるのである。時間指定で弁当を予約しておけば待たずに入手できるそうだ。


ここは千葉県の印旛沼のほとりにある(千葉県成田市船形910-1)地味な店だが、友人に教えてもらってようやく夫婦で出かける機会が到来した。あらかじめ地図も確認、カーナビもあるので問題はなし、ただし、常に混雑するとの情報なので朝早めに千葉市を出たが、東関道も心配した連休の渋滞は全然なし、店に9時30分に着いたので、い志ばしの店員も1番札を当方に渡しながら「メニューを見て先に注文してください。開店時刻は10時半頃ですのでそれまでお待ちください」と言ってくれたので、「うな重\2,600」を2人前を注文した。

マイカーを駐車場に残して、開店時刻になるまで付近を散策することにした。店の前は田んぼで印旛沼も近い。9時40分には第2号の客が到着して2番札をもらっていた。天気は雲一つない快晴で気持ちの良い朝だった。店の前は国道464号線で車の往来は激しいが、少し沼に近いボート乗り場の看板のある方へ歩いてみたら、静かな農村風景の中を心地よい風が吹き抜け、鶯の声も聞こえていた。

10時ごろに戻ってきたら人も車も増えて、開店の10時半頃には10番札をもらった声が聞こえた。待っている客は30名近くに?

10時30分前に1番から4番の客まで狭い店内に誘導され客席に座ると1番札の客である当方夫婦にすぐに焼きたてのうな重が運ばれてきた。他の客は外でベンチに腰掛けたり、立ちんぼで待っている。

ネット上の評判では下記のようにほめるものや、少し変化しているような記事もあったが、貧乏人の当方は鰻を食べ比べるような贅沢はしたことがないので、素直に美味しかった。価格も高いのか安いのかわからない。ただ、芸能人やスポーツ選手たちが食べにきているという評判で、良くも悪くも野次馬的根性でここに来たのであるが、まあ、鰻の味は濃厚で端のややおこげ的部分はパリパリでうまかった!

【ネット上のい志ばしの評判事例】

「・・・ひと口食べるとすぐに他との違いが分かります。 口に入れた瞬間に濃いめのタレの風味が広がり、噛んだ瞬間に外側のパリっと焼かれた食感と、中のフワフワ感が丁度いいタイミングで口中に広がりました。 ・・・」

「・・・以前よりふっくら感が少なくなったように感じる、端の方が固い・・・・」


↓宗吾霊堂の方から国道464号線を北上してくると、このような景色の右側に地味な佇まいの「い志ばし」の店が見えてくる。右側の入口から入る駐車場は台数が少なく入りにくいので、建物のも向こう側にある別の駐車場に入れた方が良いと感じた。


↓田んぼの遠くから望遠レンズで「い志ばし」の店舗群を見ると茶色っぽい平屋の建物が鰻を焼いて客の食堂も兼ねるこじんまりした店舗である。左側の小さな建物では鰻をさばいているようだ。


↓こちらは「い志ばし」店の筋向いにあるやはり鰻の店「かどかわ」でいしばしと間違ってこちらに入る人もいるそうである。


↓店の前はこのようなのどかな田園風景で、朝10時前の風は爽やかだったが、午後は成田市は気温が26℃を超えたらしい。


↓ボート乗り場の看板があったので印旛沼の方に歩いてみることに。


↓行きどまりはボート乗り場(だったのか?)印旛沼の支流?が見える。


↓店に戻って外のベンチで待つ。この後に続々客が到着した。


↓メニュー


↓店内には過去に訪れたタレントやスポーツ選手の記念の色紙が飾ってある。(画像をクリックすると拡大)



↓入口の上の壁にもズラリと色紙が!(画像をクリックすると拡大)


待っている客のために少し早目に食事を済ませたら、次の訪問先の道の駅に向かう。国道464号を北上して利根川沿いの国道356号に入り、川沿いに佐原方面へ下ってゆく。


●↓道の駅 「発酵の里こうざき(千葉県香取郡神崎町松崎855)」に到着、利根川の土手添いに昨年できた新しい道の駅でかなりの客が来ていた。「・・・近年注目の高まっている発酵食品や発酵に関する情報を多く取り揃え、長い歴史の中で息づいてきた“発酵文化”を広く内外に発信していきたいと考えています。・・・」(公式ホームページの駅長の記事から引用)


↓昼~午後には気温がぐんと上がって26度を超えたようだ。


↓何と本物の軽飛行機が展示?されていた。


↓こちらはパンの店やレストランのある棟だ。メニューもいろいろ美味しそうなものが揃えてあった。


↓場所はこちら、最近完成した圏央道の神崎(こうざき)インターのすぐそばにあり、千葉市からだと東関道~大栄ジャンクション~圏央道~神崎インターで早く来られるのは便利である。


↓道の駅のこの連休特集パンフレット、ここで野菜や米麹、土産用の菓子類をゲット、千葉市の自宅に圏央道~東関道経由で帰宅した。気温は上がったが湿度が低く気持ちの良い行楽だった。

続いて妻の洋室クローゼット設置工事

2016-04-08 22:09:02 | 地理・歴史・社会
奥にある南8帖の部屋は13年前は母の家で畳のある和室だった。13年前に母からここを譲り受けて住むことになったとき、畳部屋をフローリングの部屋に変更し、妻の部屋として使うことになった。さらに費用の掛かるクローゼットはあきらめて奥の2間を天井から特注カーテンで仕切って、疑似的クローゼットとして布団ダンスや本棚、その他ガタラクタを隠していた!

しかし、長い年月が過ぎてカーテンも汚れて見栄えも悪くなり、使い勝手も悪くなっってきたので南6帖和室をリフォームするのに合わせてこちらもリフォームすることになったのである。以下はその工事記録である。


●13年前の妻の部屋、南8帖洋室の景色






●↓工事開始日の朝の様子、妻が家具や大量の荷物を半月かかって他の部屋に移動させ、すっきりとした8帖洋室の風景、左の家具は13年前購入した布団タンス、右は35年前購入のチェストで、自分で廃棄処分できないため工事業者に処分をお願いした。工事に合わせて今度は妻の荷物を他の部屋に追い出したので、再び北の6帖和室やリビングルームは家具で通路もないほどに密集状態だ!!


↓この本棚も30年は使用してきたが、この先も使う。本棚は他の部屋に置いておくスペースもないためこの部屋に残したままで工事を行う。




●工事が始まり、前回と同様ベランダも資材置き場になった。



●工事中の室内の様子、床は養生材料が敷き詰められ簡易作業台も作られた。



↓仕切壁や折れ戸を支える枠が付けられてゆく。










●工事中のリビングの様子、妻のベッドやテレビもこちらへ一時的に引っ越し



●2日で工事完了! 完成後の南8帖洋室写真(夜)、2間幅の空間をパナソニック製の鏡付き4枚折れ戸ユニットでクローゼット作成、これで南8帖洋室は完全に南6帖洋室と変化した。




↓洗濯物を室内に干すための道具「ホスクリーン(川口技研製)」も妻の部屋に設置


↓現行使用中の本棚と整理ダンスはクローゼット右側に置くために、クローゼットの右側部分は天井側面も加工せずに折れ戸パネルのみで、左側半分は天井壁をベニヤで覆い、電源コンセントの移設など2段の棚を付けた正規のクローゼットにした。






↓ベランダ側の壁は電源コンセントがあるため、細い手前の壁に移設した。ベランダ側の内壁は結露対策のために断熱材を入れた壁にしてもらった。


↓折れ戸の上の吊りレール部分、折れ戸は両端の固定金具は使用せず、自由に扉が移動できるようにしてもらった。


↓折れ戸の裏側は通常目で見ることはないため、化粧板ではなく、黒い色の板となっていた。



⚫工事は無事終ったが、妻が元の荷物を新しい家具やクローゼットに収納し直す作業はこれからも続くのである。来週までかかりそうだ。


Googleマップのストリートビューで旅行気分(その2 マチュピチュ編)

2015-12-05 23:18:10 | 地理・歴史・社会
最近、撮影が完了したと報じられたマチュピチュ遺跡をバーチャルハイキングした。起伏も激しいが、歩く距離もかなりありそうだ。

【出典:wikipedia】
マチュ・ピチュ(英語:Machu Picchu、ケチュア語:Machu Pikchu) は、アンデス山麓に属するペルーのウルバンバ谷(英語版)に沿った山の尾根(標高2,430m)にある[1][2]、15世紀のインカ帝国の遺跡である。


●↓マチュピチュ遺跡の地図(ペルーとボリビア:画像クリックで拡大)


●↓マチュピチュ遺跡のストリートビュー写真(よくぞ撮影してくれました!)





























Googleマップのストリートビューで旅行気分(その1)

2015-12-03 10:26:49 | 地理・歴史・社会
最近、街の不動産屋でアルバイトを始めたが、仕事で最近お世話になっているのが、GoogleのStreetViewサービスである。

当方の住む千葉県も小さな道を含めて、町の路地裏まで撮影が終了しており、GOOGLEの事業展開の速さには驚くばかりである。

ましてや、観光地の写真では道路ではなく、日本でも人手によるカメラで登山して撮影された富士山頂上までの写真は有名である。実際に富士登山しなくても晴れた富士山の頂からのかなり高画質なパノラマ写真を自宅にいて無料で見ることができるのは何と素晴らしい。旅行客個人撮影の写真もGoogleMapsにリンクしてあり、この時代まで生きていたことに感謝したいくらいだ!! (^_-)-☆

貧乏人の自分は海外旅行はあまりしていないが、親友たちが世界旅行したときの写真を見せてもらう機会が多く、そのときにPCやタブレットですぐにGoogleMapsを開いて現地のストリートビューを表示させ、友人といっしょにバーチャル旅行をすると、一緒に旅行しているかの錯覚に陥るほど話が弾むのである。

特にコルコバードの丘に建つキリスト像と眼下のリオデジャネイロの風景は素晴らしい。麓からの登山電車の駅も探索して楽しむことができたのは印象に残っている。

●↓眼下に見えるリオデジャネイロの街とコルコバードのキリスト像






●↓パリのエッフェル塔と個人撮影の展望台内の写真



●↓ロシアの赤の広場


●↓デンマークの人魚姫


●↓ロシアのバイカル湖