憩いの森

安らぎと憩いを求めて!

サイクリング (花見川・検見川神社・京成検見川駅・JR新検見川駅)

2022-02-21 18:36:06 | 健康・福祉
北風が強くて寒かったが朝一番の歯医者で治療が終わって少し暖かい日差しが出た11時過ぎに今日もサイクリングに出かけることにした。地元の歴史も調べながらブログに残しておきたい。

今日のコースは前回の続きで花見川区役所から検見川神社と京成検見川駅~JR新検見川駅でコーヒータイムして終了。約10kmのサイクリングであった。

(自宅~花見川消防署畑出張所~瑞穂の杜~花見川区役所~花見川サイクリング道路~瑞穂橋~浪花橋~検見川神社裏のJR地下トンネル~検見川神社裏~京成検見川そば踏切~真言宗豊山派 寳藏院~検見川神社急な石段登り~神社の裏から見学~新検見川駅とスーパー西友~マロンドでコーヒーとパン休憩~西小中台団地付近経由~スーパーマルエツ~帰宅)


↓花見川区役所入口のセブンイレブンのある交差点



↓その交差点のすぐそばにある大賀ハス発祥の地の碑文、苔むした色あせておまけに歩道の陰に隠れて目立たない。碑文はスマホの10倍以上のデジタルズームと手振れで画質低下!




↓花見川区役所→ピンク色の建物 (1992年(平成4年)4月1日 - 千葉市の政令指定都市移行に伴い当区を設置。)沼地を埋め立てた広大な土地の花見川沿い一角に建てられた。



↓花見川区役所から花見川にでるとそこは花見川サイクリング道路である。





↓瑞穂橋は新しく作られた橋で区画開発中の幕張町へ渡れる。川の下流側を望む。遠く右手に海浜幕張地区の高層ビルが見える。



↓浪花橋のそばにある碑文。「千葉市長荒木和成終焉の地」と刻まれている。



(参考文献)
1972年1月14日、千葉市議会特別委員会が機動隊に守られながら航空燃料輸送パイプライン埋設賛成を強行採決した。新東京国際空港公団と消防署や公民館等の環境整備費11億円の支払いの密約を交わした荒木は、3月15日に工事のための道路占用許可を出した。

しかし、工事が開港に間に合う見通しが立たなくなったことから、空港公団は同年7月に開港までのパイプライン稼働を諦めて鉄道を利用する暫定輸送の方針を出した。千葉市への支払いが行われないままなされた空港公団の方針転換[注 1]に激怒した荒木は、工事をさし止めたうえ原状復帰を命じ、更に密約の存在を暴露して「以後、空港公団は相手にせず」と声明を出した。

これ以降パイプライン工事が停滞することとなり、開港が大幅に遅れる要因の一つとなった[4][8][9][10]。その後、パイプラインと暫定輸送(千葉市は千葉港からの鉄道ルートの経由地でもあった)の問題を抱え込んだ荒木は、国や市との板挟みの複雑な立場に置かれ、選挙が近づく中で航空燃料輸送問題の決断を迫られている最中に急死した[4]。 出典: Wikipedia

ちなみに我が家が千葉に移住してきたときに成田空港へ航空機燃料を運ぶ巨大パイプラインの建設反対が近隣の団地も含めて起こっていたのを覚えている。パイプライン完成までは幕張駅を通って国鉄の貨物タンク車で輸送していたのである。


↓浪花橋、すぐそばをJR総武線が走っている。



↑二股の左の道はJR新検見川駅へゆくグリーンベルトに出る。右側(警備員の姿のある方)の道を進むとJR線路に沿って検見川神社のそばの地下道に行ける。








↓そこはもう検見川神社の西参道に登る入口である。





↓先を進むと京成電鉄千葉線の踏切に出る。そこは検見川神社の正面入り口で本殿に登る急な階段が見える。





↓すぐそばに真言宗豊山派の寺、寳藏院(ほうぞういん)がある。(出典:猫の足跡、宝蔵院の創建年代等は不詳ながら、宥秀法印が開祖となり寛永5年(1628)に開基(中興開基)したと伝えられます。)




↓京成電鉄の「検見川駅」、昔ながらの線路を渡って駅舎にゆく造りである。ちなみに国鉄の「新検見川駅」ができたのはここよりずっと後であり、それゆえに駅名に京成という文字は付されなかったとある。検見川界隈はまさに京成電鉄によって栄えたと言える。



↓検見川神社の急な石段を登って本殿に向かう。かなりの高台にあり検見川浜が埋め立てられる以前は東京湾の海辺がすぐそばまで来ていた。またこの神社は当方が49年前に千葉に移住してきたときは、「八坂神社」と名乗っていた。(沿革を参照)







●沿革:元和2年(1616年)、検見川を領有した幕府旗本の金田正明が一族が崇敬していた宇迦之御魂神を、更に寛永年間(1624年~1644年)に当地にあった神社(応永16年(1409年)創建)の祭神である伊弉冉尊を合祀した。 昭和62年(1987年)に「八坂神社」から「検見川神社」へ改称。 (出典:Wikipedia)


↓神社のお守りは9つとある。




↓トンネルはJR総武線をくぐるものだが、40年以上前はまだ開かずの踏切がこの浪花町にあって車は不便だった。この切通が掘られて陸側から海岸へ抜けるルートが便利になったが検見川神社の周りは急な崖として残ったのである。(資料:1981.7.6 津田沼~千葉間複々線化開業)








↓検見川神社改名に尽力したとされる宮間宮司の彫像
(出典:1987年12月に八坂神社から検見川神社に改称し現在に至り検見川神社のその発揚に尽力された宮間宮司の顕彰銅像です。→https://ja.foursquare.com/v/%E5%AE%AE%E9%96%93%E5%B5%93%E5%A3%AB%E7%BF%81%E9%A1%95%E5%BD%B0%E5%83%8F/5986ad6b35f98307710271c8)





↓新検見川駅前の老舗パン&カフェのマロンド(川島屋)、ここで美味しい焼きたてのパンとコーヒーで休憩、以前はここのコーヒーは本格的な抽出ですばらしかったがここ10年は機械で自動抽出になりコンビニと同じになってしまったのが残念だ。客がくつろげる席も多数あるがすべて古くなってしまった。また新検見川駅構内には昔は3階にレストラン、ホームに立ち食い蕎麦屋、構内に天丼のてんやなど変遷があったがすべて潰れた。今は近年できた軽食喫茶やコンビニがあるが駅としての利便性はまあまあである。




↓スーパー西友、1972年に千葉に来てもう49年たつが当初は西友前の駅舎踏切が開かずの踏切で困った。のちに東京方面から帰宅する客用に降車専用改札ができたのを覚えている。この西友は当時わたしが勤務していた中堅ゼネコン(藤田組:現フジタ)が1970年代後半?に建設したもので商品種類もデパート並み?開業後は屋上にファミリーレストランと機関車のレールがある遊園地が作られていてまさに地域住民の社交の場で自慢の西友であったのだ。写真のスロープは陸側と海側を自転車でも渡れるようにした回廊だった。むろん地下道はあったが自転車はむりだった。


↓建物は6Fまであるが正面入口は実は3Fで後ろの崖から下に食品売り場の2~1Fがある。



↓現在の新検見川駅裏側と新検見川駅開業時の姿(1951年7月)当時の建物があった場所で方向を合わせて撮影 (出典:千葉市の昭和、いき出版、千葉県教科書販売株式会社 2011/9)

↓昭和40年代の新検見川駅、49年前に千葉市に移住して当時代々木にあったゼネコンまで通勤するのに約2時間を要した。当時はまだ複線で快速急行貨物も混在通行しており車両の故障も多くまさに「痛勤」であった。( ;∀;)

↓跨線橋の両側の土手には桜が植えられていて春は美しい景色だったが今は失われて残念だ。ちなみにホームから当時は南側に見えた電電公社の無線局の巨大アンテナがあった。太平洋戦争時は戦艦や潜水艦との交信に使われたようだ。

当時は付近の鉄道はまだ京成電鉄千葉線しかなくまわりは田んぼだったと記されている。



↓現在の新検見川駅南口全景、美しいロータリーは昔と変わらないが駅前には近年移転してきた葬祭業のセレモの建物も見える。近年は北口ともどもエレベーターも設置されてご老人には有難い駅となった。





↓検見川神社とJR新検見川駅の衛星写真 (地図をクリックすると拡大します)





↓新検見川駅前のマロンド店で周りに飛んでいた電波を受信したWi-Fiのチャンネル画像(2.4GHzと5GHz帯、Wi-Fiアナライザーアプリ使用) さすがに近年はWi-Fiサービスを実施する店や事業所が増えている。店のWi-Fiのkawashimayaらしきものが確認できます。




↓今日のワークアウト結果、歩数は20時現在4477歩だった。




サイクリング (千葉市畑町・田畑・神社仏閣)

2022-02-17 15:10:34 | 健康・福祉
今日は北風が強いが昼になれば暖かさも戻ってきそうだったのでリハビリのサイクリングを強行した。

コースはさつきが丘団地から西の田畑と神社仏閣の多いエリアを行くことにした。このエリアは千葉に移り住んでから近隣なのに一度も足を踏み入れたことがない道がかなりあるのだ。自転車を押して歩いた時間も長いが走った場所はおおむね下記の通りである。

さつきが丘団地~台地の畑~低地の水田地帯~十二社神社~巨大な屋根の農家群~台地の畑~畑派出所~清凉寺~東京電力変電所~子安神社~セブンイレブン瑞穂の森で休憩~ガーデンプラザ新検見川~花見川区役所~花見川サイクリング道路~汐留橋~亥鼻橋~神場公園~さつきが丘団地

移動距離(自転車+徒歩)は約10kmだった。歩数はスマートウォッチのカウンターは15時現在で3,100歩である。


↓さつきが丘団地の西側台地から走り始める。


↓大地を降りる裏道は小さいが休耕田が増えた中でまだ田植えしている貴重な田んぼだ。低地で団地の姿も見えないエリアなのでまさに田舎の雰囲気が残るエリアだ。しかしこの道は周辺道路の渋滞を逃げる裏道になっているため1980年代以降は車が頻繁に通って危ない。昔は舗装も中央部だけで見通しも悪く車の事故が絶えない場所だった。






↑坂を登るとまた広大な畑が続く台地に出る。



↓この近くにある神社が十二社神社だ。地味な装いで小さい神社のため目立たない。ネットでは権現神社という別名もあった。






↓坂を下ると団地の西側の台地に登る道が見える。




↓坂を下らずにまた引き返して12社神社の脇を西側に進むと畑の台地に出る。この辺りは千葉に来て初めて歩く道だ。小さな墓もある。進むと亥鼻橋に向かう県道72号線に出る。







↓県道を横切ってまた畑のある丘に出ると日蓮宗の清凉寺がある。ここは創価学会の会員がいるのか? 信者が寺の掃除をよくやっているのを見かけたことがある。実はコースで外れてしまったが亥鼻橋に近いところに真言宗豊山派 神照山 長林寺があってなかなか立派な寺である。







↓この付近にある畑小学校の碑文で明治6年に花輪小学校として開校されたと書かれている。歴史ある古い小学校だ。




↓遠くに花見川を渡る亥鼻橋と南側に広がる農家群や畑小学校、京葉道路の北側にある子安神社周辺地図(南側から俯瞰した衛星写真)





↓千葉の電力を担う東京電力の変電所(東京電力パワーグリッド株式会社 花見川変電所)、49年前に千葉に移住したときはもう既に建っていた。



↓子安神社(こやすじんじゃ)、千葉には子守神社(こもりじんじゃ)というのもあるので間違えやすい!周りはうっそうとした森に囲まれていて昼なお暗き場所である。
沿革:口伝によれば、第50代桓武天皇の御宇、平安時代初期の延暦年間(782年-806年)、この一帯を支配する豪族により築かれた子安古墳のお山を御神体として、五穀豊穣の神として創祀された。(https://www.buccyake-kojiki.com/archives/1050717992.html)










↓台地の中を切通で京葉道路が走っている。子安神社の境内が高台にあることがわかる。






↓坂を下りると昔は葦の茂る沼地だった瑞穂の杜エリアに出る。ここには花見川区役所と鹿島建設が建てた巨大高層マンションが立ち並ぶ。






↓セブンイレブンと東大グランド




↓この街のスーパーであるサミットストアと花見川区役所




↓花見川区役所脇の千本桜エリアは春の桜見物の新名所となった。




↓区役所前のマンションと駐車場に大きな携帯電話基地局アンテナができていた。近年できたものだ。



この後はいつものように花見川サイクリング道路を上流に向かって走り、汐留橋~亥鼻𣘺~神場公園~団地に帰宅した。約10kmの自転車の旅であった。


↓ワークアウト結果 ********* 地図をみると辿ったコースは団地から花見川区役所方面に弓なりに抜けて花見川サイクリング道路へ出て右回りに団地へ戻ってきた印象だ。






↓Googleマップ (記事参考広域地図、地図をクリックすると拡大します)



↓Googleマップ (神場公園から東京電力変電所と子安神社の森へ移動、地図をクリックすると拡大します)









↓ほかの参考衛星地図(芝生の東大検見川総合運動場と右側の大賀ハスで有名な東京大学旧緑地植物実験所、花見川区役所と赤い屋根の鹿島建設のガーデンプラザ新検見川マンション、新検見川駅に近い初詣人気の検見川神社が見える)







↓1972年に入居開始の旧住宅公団建設の巨大さつきが丘団地を囲む京葉道路と東関東自動車道、交差する宮野木ジャンクション、特に東関東自動車が湾岸道路から延長されて成田飛行場まで敷設されたのは我が家が千葉に移住してからずっと後であった。京葉道路だけが完成していたが、穴川ICから蘇我ICまで延伸したのは1980年と書かれている。(地図をクリックすると拡大します。この記事には出ていないエリアですが今後の参考のためにアップしました。)


またまた雪景色!

2022-02-11 09:38:39 | ニュース
先月1月6日~7日にわたって千葉市としては久しぶりの大雪が降った。もうこれで今年の雪は見納めだろうと思っていたら、例年大雪が降ることの多い建国記念の日である2月11日にまさしく2度目の雪の洗礼を受けることになった。

団地では体力に自信のある人が雪かきをしている。今日も早朝から2~3人が汗を流していたが当方はまだ骨折リハビリ中なので欠席している。しかしマイカーの上だけ除雪しておいた。今日は太陽が当たればこの季節はいつものことで早く雪解けするだろう。


↓深夜の雪景色 2月10日の午後から本格的に降り出した雪は11日の夜明けまで降り続いた。東京の積雪は千葉より少なく思ったほどは増えず意外と茨城県は多かったようだ。



↓早朝の雪景色 (公式発表の積雪4cm)



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↓先月1月6日に降った雪景色、撮影時刻のズレはあるが今回2月10~11日の積雪量とあまり変わりはないようだ。これで今年の雪景色はたぶん見納めになるだろう。



散歩(さつきが丘団地東側・農家・ゴルフ練習場・犢橋小・長福寺・マロンド・三社神社)

2022-02-09 18:09:06 | 健康・福祉
明日から関東は悪天候、もしかしたら千葉でも雪が降るかもしれないという気象情報だったので10時ごろは晴れて暖かくなってきたチャンスにリハビリウォーキングに出かけることにした。

コースは最近ご無沙汰しているさつきが丘団地から東のエリアの田園地帯を含めて東方面を目指す。ここには近年建設された三井物産グローバルロジスティクスの倉庫やアコーディア・ガーデン千葉北ゴルフ練習場がある。

この練習場は友人が海岸側から毎週通っているそうである。ちなみに当方は千葉に来た当初は別の練習場で妻と共に練習していたことがあるが、東金市の新千葉カントリーで2、3回ほど会社の同僚とコースに出ただけで1年ほどでやめてから今はルールも忘れかけている。

犢橋(コテハシ)小学校の周りは40年の昔は畑の中にポツンと建っていたものだが、ゴルフ練習場や千葉市のゴミ処理場が出来て景色が随分変わったものである。

長福寺や三社神社は名刹とまではいかないものの古くからの地元での信仰の場である。特に三社神社はこの界隈では間違いなく標高の高い場所にある。さつきが丘の神場公園の高台より高いかもしれない。深い森に囲まれた境内は静かな環境に恵まれている。

三社神社の裏には近年できた介護老人保健施設「ほうゆうの杜」がある。表側から見ると牛丼の吉野家とコメダ珈琲店のそばになる。近年は花見川区も多くの老人有料ホームや特別養護老人ホーム、グループホームが出来て母親もお世話になっていた。

三社神社の向かいにはパン屋マロンド(川島屋パン事業部)の工場と米飯工場があるが、千葉に移り住んだ45年前頃は現在のような直売店はなくて守衛所で格安の作りたて食パンを売っており私の知り合いも大勢遠くから買いにきたものである。

今日歩いたコースはすべて昔の農道を中心としたのどかなエリアでお墓もあるがふるさとの味を楽しめる場所でもある。


↓ファミレスジョナサンに向けて散歩開始



↓ジョナサンの前の坂を下りトンネルをくぐる。





↓「国境の長いトンネルを抜けると雪国であった。」 (川端康成著)!!!立派な豪邸農家が並ぶエリアでゴルフ練習場への抜け道でもあった。





↓地味だが春の訪れを告げる菜の花が可愛い。




↓細い道をさらに進むと近年建設された三井物産グローバルロジスティクスの巨大倉庫とゴルフ練習場のネットが見えてくる。






↓倉庫とゴルフ練習場のそばを通る船橋~四街道の御成街道に出る。






↓友人が通うゴルフ練習場のアコーディア・ガーデン千葉北、ゴルフアカデミーは会員制ミニコースがあるようだが詳しいことはわからない。







↓御成街道、三井の倉庫、崩れかけたボロボロの空き家、犢橋(こてはし)小学校付近はゴルフ練習場の裏側にあり千葉北清掃工場の煙突がすぐそばに見える。







↓小学校のそばで見かけた太陽光発電装置。広大な畑を発電設備にしているのは八街市でたくさん見かけたがこの界隈は少ない。



↓犢橋(こてはし)小学校付近は45年前は畑だけの見通しのよいエリアであったが今は工場、住宅などで徐々に変化している。





昔の小さなガソリンスタンドはかなりつぶれてしまった。ここもその一つであり牛乳販売店になった。犢橋郵便局がすぐ近くにあるエリアだ。




↓セブンイレブン 千葉花見川消防署前店でコーヒーとパンで休憩した。コロナ禍のためせかっくイートインスペースがあるのだが使えないように囲ってあった。それでもゴミ箱の前で休憩した。




↓セブンイレブンの店の脇には竹藪が残っているが近くの家の庭に梅の花が咲いていたのでちょいと撮影させてもらった。ちなみに黄色の花は蝋梅(ロウバイ)だろうか?








↓急に空き地が! 以前は古い農家があったはずだが徐々に家も無くなってゆく? 曲がり角の急坂を下ると長福寺がある。




↓弘法大師修行像がある長福寺の本山は、和歌山県の長谷寺といわれる。





↓マロンド工場~三社神社の森~広大な田園風景(だった休耕田)~長福寺墓園








↓田園地帯の中央を流れる本郷橋、




↓昭和57年10月に竣工した土地改良事業の記念碑は三社神社の入口に立っている。




↓三社神社:御由緒、創立勧請の年代は明らかでないが、往古より土神一社を産土神として崇敬した。一方郷中では男子が15歳になると、必ず伊勢神宮に参詣し、帰路相州鎌倉八幡宮に詣でて、始めて男子の仲間入りをする習慣があったが、中古の国乱によって参詣がままならず、伊勢・相模の両宮を勧請し土神と併せ祀って三社神社と称した。千葉県神社庁公式サイトより。(http://www.komainu.org/chiba/chibasi/hanamigawa/SanshaKotehasi/sansha.html)















↓三社神社の向かいにはパン屋マロンド(川島屋パン事業部)の工場と米飯工場があるが、千葉に移り住んだ45年前頃は現在のような直売店はなくて守衛所で格安の作りたて食パンを売っており私の知り合いも大勢遠くから買いにきたものである。ライスセンターの工場は後にできた建物か?




↓三社神社の裏には近年できた介護老人保健施設「ほうゆうの杜」がある。表側から見ると牛丼の吉野家とコメダ珈琲店のそばになる。近年は花見川区も多くの老人有料ホームや特別養護老人ホーム、グループホームが出来て母親もお世話になっていた。



↓三社神社の裏の急坂を降りるとトンネルにつながる道に戻る。昔はジョナサンの近辺が大渋滞しているときはこちらの坂に逃げてきたものだ。





↓馬頭観音? 馬に乗った観音様という記事もあり千葉の各地にみられるようだがゆかりはむつかしい!



↓散歩の終了、最初に歩いた道に合流してトンネルをくぐり帰宅




↓GoogleMaps 今日歩いた団地の東エリア(地図をクリックすると横1920ピクセルに拡大します)


↓ゴルフ練習場付近


↓GoogleMaps 三社神社界隈-下記写真の左側の森の部分(地図をクリックすると横1920ピクセルに拡大します)


↓GoogleMaps 前回歩いた団地の北側にある広尾十字路付近(地図をクリックすると横1920ピクセルに拡大表示します)



↓今日のワークアウト結果(シャオミMIウォッチ、同期スマホはOPPO Reno3A) 今日の歩数は20時現在で11,905歩だった。






さつきが丘団地北側農家と広尾十字路付近リハビリ散策

2022-02-06 13:38:55 | 健康・福祉
今日は朝から風無しで穏やかな気候になったのでリハビリを兼ねて団地近辺の広尾十字路付近を回る散歩に出かけた。途中で犬を連れた老夫人が挨拶してくれたのでこりらも犬とご婦人にご挨拶した。

もしかしたら近所の農家の方なのか気さくで嬉しい。天気も良くのどかな田園風景と高低差のある台地、風情のある坂道など49年前の風景はかなりそのまま残っていた。時間がゆっくり流れて癒される風景である。

30~50代は極めて多忙で自分の近隣をゆっくり眺めている余裕がなかったが今はこれらの風景が有難く感じられるのである。


↓さつきが丘団地を出発、北側の農家のあるエリアへ降りることにする。



↓近年建った賃貸住宅「ビューアイランド2号館」はきれいで住みやすそうだ。



↓さつきが丘団地北側の田園風景、団地が建ったときにこの田畑も大規模な土地改良工事が行われたと歴史記録にある。



↓鉄塔があるそばに古くから弁財天がひっそりと鎮座している。→ゆかりは・・・




↓近年建った戸建住宅群、かってはここに住宅公団の職員住宅2棟があった。その住人の2家族は後日親友家族になったが長い期間が過ぎて職員住宅が解体された後は九州と北海道にそれぞれ移住していった。今どうしているだろうか?



↓りっぱな農家が並ぶ。この辺りは「鶴岡」姓の家が多い。






↓竹林の崖を下って農家の道に降りる近道、この49年通ったことはないが!誰かが今降りていった。



↓かってはこの農家の裏の崖にはすばらしく大きな竹藪があってみどころだったが最近解体してしまったようだ。確かに維持管理がむつかしかったに違いない。写真の急坂を登るとヤマト運輸や日本キャタピラ、生協の配送センター、ラーメン屋、牛丼すきやの店がある広尾十字路付近にたどり着く。




↓田んぼ側から南側のさつきが丘団地を望む。ここには恐らく20年以上も来ていないはずだ。










↓墓の並ぶ台地付近



↓天理教犢橋分教会、千葉に来た49年前からここに建っていた。



↓広尾十字路付近にあるラーメン屋でかってはここはセブンイレブンの店だったがファミレスジョナサンの先に移転したので後釜に入った店だ。このあたりは農家のあった場所から急坂を登ってきた台地の高台にあり今は交通の要所である。



↓スキヤの店ももうできてから長い。近くには精米の無人店舗もまだ存在している。







↓戦時中は旧日本陸軍鉄道第一連隊が鉄道敷設訓練に使ったこの長い坂を下ると向こう側に見えるファミレスジョナサンにたどり着く。今日の散策は2.6km、昼時点の歩数は約7,000歩だ。





↓参考衛星写真(地図をクリックすると横1920ピクセルに拡大表示します)
・・・さて、わたしはどこを散策していたのでしょうか? 鉄塔そばの弁財天はどこ? ちなみに広尾十字路付近のセブンイレブンは今はラーメン屋に変わっています。お墓のあった場所はどこ? 友人の行くゴルフ場はどこでしょうか? コメダ珈琲店はどのあたりでしょうか。







↓スマートウォッチの記録画像
(OPPOスマホでの健康管理アプリ画面←シャオミMIウォッチより同期)




↓コメント関連画像: 千葉市ふるさと農園