登山もしたことがないこのおじさんが3連休を利用してシニア仲間5名で1泊2日の尾瀬ハイキングツアーに行ってきました。 日程:2007/10/6(土)-7(日)
印象はまず日頃のなまけ生活が響いて体力不足を認識してきました。心配性で不要なものまでザックに詰め込み重量が重装備の荷物が仇となって自滅しました。(-_-メ)
しかしこの秋で最高潮とも言える秋晴れの週末3連休で尾瀬の自然がどこを見ても素晴らしく怪我もなく無事帰宅できて!結果的に良い思い出ができました。
尾瀬に何度も行っている仲間が先生となって数あるツアーから選びましたがコースは以下の通りでした。
【初日10/6】 新宿午前8時:JTBツアーバスで出発~関越自動車道~沼田IC~戸倉~鳩待峠(はとまちとうげ)~山の鼻~(尾瀬ケ原)~牛首分岐~竜宮十字路~見晴十字路~檜枝岐小屋(ひのえまたごや)・・この山小屋で宿泊
【2日目10/7】 檜枝岐小屋~白砂峠~沼尻(ぬじり)~(尾瀬沼の南側を行く)~三平下~尾瀬沼ビジターセンター~大江湿原~沼山峠~御池(みいけ)・・・昼食、ツアーバスで出発~会津田島~(工事渋滞)~塩原温泉~西那須野塩原IC~(東北自動車道、渋滞)~池袋~新宿(22時、予定より1:30遅れ、トホホ!)
今回の旅は万歩計をつけて行ったので歩数を記録できました。初日は自宅から山小屋で寝るときまでで約23,000歩、2日目は山小屋から帰宅まで約25,000歩で思ったより多くはなかったのですが、尾瀬の歩きはアップダウンも多かったので1歩当たりの消費カロリーは2-3倍はあったような印象でした。
※ 以下に尾瀬ハイクの写真を一部掲載しました。写真の上にマウスポインターを置いて手のひらアイコンになる画像はクリックすると拡大表示します。
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↓①2007/10/6(土)戸倉でおいしい山菜おにぎり弁当を受け取り車内で食べる。我々の乗ったバスは小型のせいか、通常は戸倉で小型のシャトルバスに乗り換えるのだが今回はそのまま鳩待峠へ直行した。
13時頃にとうとう尾瀬ケ原への代表的な入口である標高1,591mの鳩待峠の休憩所へ到着。大勢のハイカーが出発前の休憩を取っていた。ここから先は車は入れず徒歩のみとなる。
↓②さあ、いよいよ憧れの尾瀬ハイクへ第1歩開始、大勢のハイカーと共にぞろぞろと行列を成して緩やかな峠を下ってゆく。この混雑ではゆっくりと景色を見る余裕は無く行列に連なってどんどん歩いてゆかねばならない!
でもここは木道が整備されていて歩きやすく北側の沼山峠から入るコースと並んでシニア向き(初心者向き)コースとなっている。
しばらく下って行くと川上川の橋を渡る。携帯電話は圏外になった。以降、尾瀬地区にいた間はすべて携帯電話は3キャリアとも圏外であった。ついでにテレビもワンセグはもちろん、アナログテレビ放送も駄目、ラジオはAM放送のみかろうじて少し受信できた。
↓③鳩待峠を下ると標高1,400mの山の鼻の休憩所に到着、すぐに目の前に素晴らしい尾瀬ヶ原の眺望が開ける。正面に尾瀬沼の北にそびえる東北地方で最高の標高2,356mを誇る燧ケ岳(ひうちがたけ)が美しい。
↓④尾瀬ヶ原のあちこちに見られる池塘(ちとう)と呼ばれる湿原、よそ見をして木道を踏み外したらずぶぬれで非常事態になってしまう! 気をつけて歩こう。
【注】池塘:wikipediaより
池塘(ちとう)は、湿原の泥炭層にできる池沼のこと。高層湿原が形成される過程において、堆積した泥炭層の隙間が水で涵養された部分ができる。これが池塘であり、周囲とは隔絶された環境であるため、独特の生物相ができる。池塘と池塘の間は地上、地下の水路でつながり、時に泥炭層の一部が浮島として浮遊することもある。
↓⑤尾瀬ヶ原をどんどん進む。ここは標高1,400m以上はあるのにこのところ温暖化で気温が思ったより高いせいか期待した紅葉はあまりなく、かといって高山植物の花は咲いていない。かろうじて紫色の可憐なサワギキョウの花が小さく咲いているのを見ただけ。
↓⑥燧ケ岳をバックに仲間に写真を撮ってもらう。
↓写真⑦燧ケ岳(ひうちがたけ)をバックに池塘(ちとう)と呼ばれる池が美しい。ちなみに遠くに見える林を拠水林(きょすいりん)と呼ぶのだそうである。
あいにく写真はないが、池のほかに木道の途中でいくつかの小川も渡ったが清らかな水に魚が泳いでいる様はのどかな風景である。
尾瀬の小川の水は集まって只見川の支流となり尾瀬ケ原北側の三条の滝を流れ下って奥只見湖へ向かう。
【注】拠水林:wikipediaより
尾瀬ヶ原の湿原は「拠水林」によっていくつかに分割されている。拠水林とは、湿原の外部から湿原を貫通して流れる川の両側に成立している林のことである。湿原の外部から流れてくる川は多くの土砂を運び、川の両側に自然堤防を形づくり、そこだけは樹木の成長が可能となる。ただし、全ての川に拠水林が成立するわけではない。小規模な川は湿原に流入直後の短い距離にしか拠水林を作れない川が多い。また、湿原内に湧き出た泉を水源とする川にも拠水林は成立しない。・・・
↓写真⑧途中で寒い風が吹いてきて厚着モード、持病?のメタボリックシンドロームが目立つ格好だ!
↓写真⑨牛首分岐にある標識板、左がヨッピ吊り橋や東電小屋へのルートだが予定が遅れているので竜宮十字路へまっすぐ行くことになった。
↓写真⑩歩きつかれて休憩、ところどころにこのような木のベンチが作ってあるのでシニアにとっては助かる。
↓写真⑪竜宮十字路付近にポツンと1軒だけ建つ竜宮小屋が見えてきた。わが宿は30分先の6軒ほどの山小屋が密集している見晴十字路付近・別名?尾瀬銀座というところにあるという。
↓写真⑫午後4時頃にたどり着いた今夜の宿は檜枝岐小屋(ひのえまたこや)、60年の歴史があるらしい。面倒見の良い髭のおじさんが管理人である。しかし、割り当てられた部屋は満員の客のために10畳部屋に10人という超過密状態で敷き布団は15cmほど重なり合って畳は見えず。
風呂はざっとつかる程度で環境保全のために石鹸の類はだめであるが汗をながすだけでもすっきりした。21時には消灯時刻で発電機を止めるので部屋の蛍光灯は消えて真っ暗となる。
しかし廊下とトイレは非常灯が点灯しているので懐中電灯は夜中にトイレへゆくときだけ部屋の中で必要なのだ。となりの爺さんがわがいびきよりすごそうなすごいいびきで眠れず!
↓写真⑬午後5時半頃だったか、夕食となった。100人近くがこれまた狭い食堂でぎゅうぎゅう詰め状態で食事をした。脇をしめながら食べないと隣の客の腕にぶつかる有様。
メニューはコロッケやかぼちゃ、煮物など思ったより良かった。でもこれらの食材はすべて「ボッカさん」という運送人により背中に担いで運ばれてきたものだそうである。有り難く心して食べた。
10/7(日)は4時45分頃起床、朝食は午前5時20分頃だった。朝食も品数が結構あったのには感心した。出発は午前6時すぎだった。早い客は食後にはもう早々に出発していた。
【注 】歩荷(ぼっか、ボッカとも)は、運送形態の1種で、背中に荷物を背負って人間が目的地まで直接徒歩で運搬すること。
↓写真⑭2007/10/7(日)山小屋から見た早朝の夜明け風景、夜中は三日月と星がキラキラを輝き、久しぶりにクリーンな星空を見ることができたのは嬉しい。
↓写真⑮午前5時半頃の朝もやに煙る尾瀬ヶ原
↓写真⑯山小屋のそばで朝もやの尾瀬ヶ原に写真撮影をする人が大勢出ていた。南西方向の遠方にかすむ標高2,228mの至仏山(しぶつさん)が美しい。
↓写真⑰いろいろな記念写真が掲示してある檜枝岐小屋(ひのえまたこや)の談話室。暖炉には火がともっていた。昨日の昼間は暑かったが早朝はやはり秋、外は霜が降りていて寒いので暖炉の熱は心地よかった。
↓写真⑱早朝の檜枝岐小屋(ひのえまたこや)全景、たしか100名収容でき60年の歴史を誇る貫禄がある。3階は屋根裏部屋があり極端に低い斜め天井で、今どきはなかなか見られないガラス格子つき障子であった。
↓写真⑲白砂峠への道の途中で見かけた不思議な格好の木、この峠は急坂もあり岩石ゴロゴロの山道を行くので急激に疲労が増してスタミ不足をモロに露呈した。
年齢が近い他の友人たちは元気だ、小生1人だけが遅れてしまう。それに気温も高く大粒の汗が噴出し心臓が限界になってしまった。何度も立ち止まって後ろから来る人を追い越させて休憩した。
この後さすがに暑さのためにブクブク上着のフリースは脱いだが遅かったようだ。疲労が蓄積してしまったか。
↓写真⑳登りにてこずった白砂峠の標識、ここを過ぎると尾瀬沼へ下ってゆく。下りも岩ゴロゴロの坂が多くてこづった。