憩いの森

安らぎと憩いを求めて!

年を取ったらカロリーをとりなさい???

2022-03-11 18:18:57 | 健康・福祉
標題の文言は「PRESIDENT2022.4.4号」(電子雑誌ドコモマガジン)28頁からの引用である。

本題に入る前にわたし事で恐縮だが、3日前に散歩で歩いたら自宅から往復6kmを歩いてしまい、自宅に戻ってから負担をかけたらしい右足首が相当に痛くなり夕方には杖を使わないとトイレもゆけない関節炎になってしまった。

結局翌日も歩けずに終日ベッドで休養!半年前の腰椎骨折で入院した悪夢が戻ってきたか? 仕方がないので湿布薬を十分に貼り今朝はかなり歩ける状態まで戻った。やれやれ!

安静にしていたのは散歩当日の午後から翌々日の今朝まででまる2日間だった。幸い腰痛は出てなく右足の関節炎だけであるが危なかった。やはりもう60代の身体ではないことを思い知らされた。今後は連続の歩きは往復3km以内に留めることにした。
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さて話を標題に戻すと、「カロリーを取りなさい」と先生が勧めている内容はわたしもなるほどと思えるところもあるのでブログの記事にした。

まず当方の食事は通常の三食だが夜は余ったカロリーが脂肪に化けやすい炭水化物のご飯や麺類は抜いて肉魚のタンパク質と野菜を中心にとっている。おおむね妻が作っているものを食べる。食事の種類と量を一番多く取っているのは実は朝食である。

最近の入院で益々健康管理には気を遣うようになったが、困るのはちまたに偽情報が多くどの情報が正しい?いや自分に合っているのだろうかと迷うことが多い。ちなみに2年前に心筋梗塞で市立病院に10日入院したことがあったが、退院時に栄養指導があって、当時病院食が食べられなくて73kgから67kgほどに激やせしていた体重をまた70kg程度に増やすようにと言われた。??

えぇ?ウソでしょう、先生の指導は「もっと体重を減らしなさい」ではなかったのである。!!!今回のPRESIDENTの記事にも合致している部分があるから不思議だ。

友人の中には1日2食だけにしている夫婦がいるし、有名なタレントの中には何と1日1食主義で健康を維持している人もいるそうだ。

何回に分けて食べるのが良いのかは決まっていないようだ。要はその人のライフサイクルの中で良い方法をみつけるしかないのかも知れない。

そして雑誌PRESIDENTの記事の中で日本の高齢者は脂肪と蛋白質を取らなさすぎであると書いてあるが、この意見は私の父が読んでいた古い健康本にも書かれていたのをよく覚えている。

しかし、現在毎日服用している心臓病対応薬には高脂血症予防薬も含まれていてやはり揚げ物は控えておいた方が良さそうだと悩んだり、しかし、好物のカツ丼はときどき食べたいしで悩むのである。

現在の体重は退院時のBMI適正値であった60kgから少し戻して62kg以上になっているがむしろ体調はよい。60kgの時は筋肉がまるでなしの「ヨボヨボ」だったが今は団地の階段も4階まで余裕で登れるようになった。

雑誌PRESIDENTの記事の中では、BMIはむしろ多いポッチャリ型の方が圧倒的に長生きしているのはもう当たり前の事実だそうである。BMIの数値を有難がっているのは日本人ぐらいで??

まあ、それでも63kgまではせっかく買い替えたジーンズの腹囲が安全圏にあるのでそれ以上には増えないように気を付けている。(^^;


↓雑誌PRESIDENT 28頁からの引用記事である。それって本当??の内容がショック!!







散歩 (宮野木スポーツセンター~千葉北高校界隈)

2022-03-09 15:03:37 | 健康・福祉
今日も気温良し、北風なしOKでリハビリ散歩に出かけた。場所は近隣の宮野木スポーツセンターに接する宮野木中央公園から緑ヶ丘中学校、そして県立千葉北高校までである。

この界隈は東関東自動車の南側に接しているが神社仏閣が少ない場所である。東関東自動車道のすぐ北側には長福寺や三社神社があるのだが。

今日は思ったより長い6kmの散歩になってしまい帰宅した今右の足首が痛い。湿布を貼っておいた。

歩いている間に通った高校や自分の団地の梅の花を見つけて撮影した。神社は地元のささやかなものが2か所あったので一応記録撮影しておいた。


↓まずときどきお世話になっているケーヨーデイツーから散歩開始、昔はここはスーパーかわちがあった。駐車場の隅にはたぶんNTT Docomoと思われる基地局の鉄塔が建っている。



↓宮野木スポーツセンターは現在改修工事中である。以前失業中のときに求人があって非常勤職員に応募したことがある。自宅から歩いて行ける施設だったので受かれば良かったのだが・・・、隣は立派な宮野木中央公園になっているが花島公園のように手入れが出来てなく神場公園のように水の流れる小川が作られていたのに現在はさっぱり風化しているのは残念だ。ドッグランと桜の見物には良い公園なのだ。






















↓緑ヶ丘中学校は坂道の下にありグランドの奥は東関東自動車道に接している。50年前に千葉に来たときはこの辺りはこの緑ヶ丘中学校と先の県立千葉北高校と工場らしきものしかなかった。林と畑がある寂しいが静かな場所だった。





↓坂を登ったところは近年できた宮の杜のまちとなった。その入口交差点にできたセブンイレブンがある。



↓県立千葉北高校はかって偏差値が高い秀才が集まる有名高校だったが今はどうなっているか? 梅の花を見つけたので撮影





↓千葉北高校の隣にある寺、駒形千軒奥之院(元観音堂)  (沿革:奥之院は長沼・本村の西端に位置し、長沼新田が開発される以前から、ここにあった。付近は駒形千軒と呼ばれ、何軒かの農家が点在していたと推測される。元和6年(1620)秋、徳川家光が大納言の時、元服して間もなく、東金へ鷹狩りに行き、その途中、この辺りで愛馬が傷つき死んでしまった。地元の農民らがこの馬を供養したのが奥之院の始まりといわれる。
 本尊は馬頭観音で、御成街道沿いの駒形観音堂も、この馬頭観音を分霊、勧請して創建された。ここが「元観音」と呼ばれる由縁である。お堂は、元禄6年(1693)の建立当初の面影を残しており、長沼の寺社の中でもっとも古い。出典:KRC)









↓御瀧神社は徳川家康が東金(とうがね)〈現、千葉県東金市〉への鷹狩りの途中、御成街道の千葉市稲毛区にあった滝で喉を潤した場所と言われる。(出典:歴史さんぽ) 読み方は「みたきじんじゃ」で良いのだろうか?





↓千葉北高校入口のミニストップ千葉北高校前店でコーヒー休憩、さすがに3km以上ぶらぶらしてしまったのでくたびれた。昔からミニストップはイートインのあるコンビニとして実績がある。コーヒーの味もセブンイレブンと変わらず美味い。



↓ケーヨーデイツー敷地からすぐの場所に建つ鉄塔、こちらもキャリアは不明だがかなり昔から鉄工所の敷地内に建っていた携帯電話基地局だが何とも武骨なデザインだ。最近は建設費がかかる自立鉄塔をやめてできるだけマンションやビルの上を借りて設置するケースが多いようだ。



↓やっと自分の団地に戻ってきたが、かねてから撮影しておこうと思った梅の花を激写! ついでに夏みかんの写真も!






↓今日のワークアウト結果、6km歩いて足首が痛くなった。寝るまでの今日1日の歩数は13,000歩になりそうだ。やはりやりすぎだったかも!




「60代からの小さくも豊かな暮らし方」とは?

2022-03-08 13:58:51 | 健康・福祉
かって妹から紹介されて毎月購読しているドコモマガジンは、読書好きな人間には大いに役立つ知識を提供してくれるので有難い。

ドコモマガジンはもともと雑誌が中心の電子雑誌であるが定期的に見ているのは週間誌では、「アスキー」「ダイヤモンド」「東洋経済」「エコノミスト」「Forbes」「新潮」「文春」「朝日」「サンデー毎日」「AERA」「現代」「ポスト」「NEWSWEEK」「日経TRENDY」などである。

その他では、「家電批評」「日経PC 21」「MACFAN」「MONOQLO」「GOODPRESS」「MONO」「GETNAVI」「MotorMagagizne」「ベストカー」「LEVOLANT」「CG」「CARトップ」「GENROQ」「EGIN」「鉄道ファン」「CAPA」「PRESIDENT」「趣味の園芸」「今日の健康」「Casa」「NHKガッテン」「LDK」「男の隠れ家」・・・

である。随時出版されるものを含めると雑誌は約40種類に目を通している。むろん目立った記事だけを読むことが多いが、週間アスキーや日経PC21、ManFanなど現役時代に関わりのあった業界紙は隅まで読むことが多い。

ところで晋遊舎からの臨時発行雑誌であるが、目についた記事があったので少し触れたい。  ------------------------

標題は「60代からの小さくも豊かな暮らし方」というもので取材した人物の中で何と70歳を過ぎてからプログラマーを目指し現在86歳の現在もITの知識を生かして講師やNOP法人で活躍している女性だ。

もともとは東京教育大学を卒業後三菱銀行に勤めていたようだ。

著作権の関係で全文の引用はできないがわれわれシニア世代にも励ましを得られる内容なので一部を引用させてもらう。









サイクリング( 福壽院・稲荷神社・佐川グローバルロジスティクス・亥鼻橋周辺)

2022-03-05 13:26:33 | 健康・福祉
暖かくなって春一番? リハビリのサイクリングに行ってきた。今日のコースは千葉に来てから約50年も経つのに一度も足を踏み入れたことのない花見川対岸である。

御成街道の広尾十字路から天戸大橋を渡って花見川河畔寄りの農家の集まる旧道を散策した。このコースには高い崖の上に建つ寺の福寿院やこんもりとした森に囲まれた稲荷神社など歴史ある建物が存在する。高台の台地は広い畑が広がっておりまだまだ里山の風情が残る貴重なエリアと言える。

ジョナサン~広尾十字路~御成街道~天戸大橋~花見川沿いの農家~真言宗 豊山派 福壽院~十二社大権現神社~稲荷神社~佐川グローバルロジスティクス株式会社 千葉北営業所~セブンイレブン 千葉天戸台~亥鼻橋~花見川~神場公園

徒歩と自転車で走った距離は約9kmだった。気温もかなり上がったのでかなり汗をかいた。

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1 広尾十字路左折れして御成街道へ、天戸大橋を渡る。





5 天戸大橋から下の花見川とサイクリング道路を望む。



7 花見川沿いの北側の旧道を行くと農家の庭先に早咲きの桜が見られた。







13 真言宗 豊山派 福壽院は小高い崖の上に建っている立派なお寺である。
【沿革】 出典:猫の足跡:福壽院の概要 真言宗豊山派寺院の福壽院は、不動山薬師寺と号します。福壽院の創建年代等は不詳ながら、明応年間(1492-1500)頃に千葉氏の家臣亘内蔵之丞永行が、天神七代・地神五代を祀る十二社神社に因み、十二神将を従える薬師如来として、千葉家七佛薬師の一体を安置して創建、十二社神社を当寺近くに遷座させたと伝えられます。千葉寺十善講八十八ヶ所霊場40番です。














25 十二社大権現神社






30 稲荷神社付近の台地の農家に咲く桜等






35 稲荷神社








42 天戸台交差点に近年できた巨大倉庫の佐川グローバルロジスティクス、最初の写真は稲荷神社側から見た裏側の写真である。付近はまだ里山の雰囲気が残る。






50 御成街道と古木「椎の木」、(看板は写真をクリックすると拡大します)






44 亥鼻橋に近い農家の庭先に咲いていた桜?





58 以前シルバー人材センターに勤務していた時のお客様、障害者の支援をしている社会福祉法人「栗の木」


55 天戸台交差点とコーヒー休憩したセブンイレブン 千葉天戸台店



48 花見川亥鼻橋、桜のアーチが咲くのも近い。



↓今日のワークアウト結果




↓参考近隣衛星写真 (地図をクリックすると拡大します)


サイクリング (母と妹のゆかりの地、花見川と柏井町)

2022-03-01 09:54:31 | 健康・福祉
「母と妹のゆかりの地」という標題にしたので読者の方にはあまり面白くないかもしれませんが悪しからず。母の思いでの残るコースだったので2004年頃以降の記憶が蘇ってきて懐かしい。

今日のサイクリングは以前のコースと重複してくるがあちこち動くと最初は「グー」の言葉通り近隣のファミレス・ジョナサンから始めることになる。

ジョナサン~広尾十字路~三角町~花島橋~花見川サイクリング道路~柏井橋~三叉路~介護老人保健施設ゆうあい苑~八千代台パークハイツ~花見川団地~マクドナルド花見川店~花島公園~花見川大橋~広尾十字路~ジョナサン

走った距離は約13kmだった。天候もよく気温も上がった上アップダウンもかなりあったので少し汗をかくほどだった。

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↓今日は気温も上がって絶好の行楽日和だ。いつものジョナサンから北を目指してサイクリング出発した。


↓ラーメンたかし屋と牛丼すきやの店を通って広尾十字路を真っすぐに花見川へ沿って行く。


↓ヤマト運輸のある広尾十字路を直進


↓巨大倉庫会社の工事のY字路を右折れして鉄工団地のある三角町へ


↓昔からある米飯工場のいくたつ


↓コンビニファミリーマートと犢橋電話局、Docomo携帯電話の基地局用アンテナも見える。



↓このあたりは鉄工団地のそばで大型トラックが通り細い歩道では危ないので自転車は降りて押して歩く。


↓鉄工団地の三角町入口交差点、花島観音に下る坂の近くだ。


↓坂を下ると花島橋があるが未だに車のすれ違いができない。歩道は出来ている。





↓花見川の上流方面に向かう。






↓柏井橋の付近にある謎の施設、キャンプ場にしては小さい。1袋100円ですと書いてある草のようなものは何? 火を起こす草なのか? わからない。


↓架け替え工事中の柏井橋だが一体何10年前からやっているのだろうか? 下流の亥鼻橋も架け替え工事中だが、毎年予算がついた分だけ少しづつ工事をやっているのだろう!





↓柏井橋から少し離れたところに橋の上に登る小道がある。あとで登ることにする。



↓柏井橋のたもとには謎の鳥居と小さな祠(ほこら)がある。古いものではなく平成の日付が鳥居に刻んであった。



↓架け替え工事中の柏井橋から上流方面を眺めた景色は手つかずの自然が残されていて美しい。


↓北柏井町に登る坂道の農家の庭先に見えた桜?桃?蕾の花、植物に疎いオジサンは名前が分からないが春の到来を感じた癒しの景色であった。





↓柏井橋から登ってきてたどりつく花見川団地や八千代台に行く柏井橋三叉路、付近には柏井高校やファミリーマート、セブンイレブン、花見川スイミングクラブ、柏井ゴルフセンター練習場がある。



↓三叉路にあったファミリーマートでコーヒー休憩したが大きなイートインに飾ってあった花は目を引く。ただし造花だが!



↓かって母が骨折リハビリのため入所していた最成病院が新築した介護老人保健施設「ゆうあい苑」はニチイに移るまで約半年間お世話になった。2006年5月のことであった。



↓柏井ゴルフセンターは古くからある練習場だ。茶色の建物は花見川スイミングクラブ。



↓骨折入院する前に母が住んでいたマンション、別の棟だが妹も同じマンションに住んでいて母の面倒を見ていた。





↓以前のサイクリングと同じくマクドナルド花見川店でハンバーガーランチ休憩、安いチョウマックシリーズの「スパビー」である。包装紙を見るとスパイシービーフバーガーの略、ちなみに今までよく食べたのは「スパチキ」だが、マクドナルドは似たような短い名前を考えだす達人だ!


↓帰りは花島公園の横を通って、ついでに花壇の写真を少し撮影させてもらった。








↓花見川大橋から見た上流方面の花見川の景色は、いつもながら地味ではあるがのんびりゆったりのイメージである。



↓今日のサイクリングワークアウト結果、約13kmの旅であった。



↓(参考衛星写真) 花島観音(左上)のたもとにある花島橋、今でも車はすれ違い不可で困った道だ。



↓(参考衛星写真) 未だに工事中の柏井橋周辺、右上の方角が柏井橋交差点に至る。左上に最成病院が見える。


サイクリング (花見川・検見川神社・京成検見川駅・JR新検見川駅)

2022-02-21 18:36:06 | 健康・福祉
北風が強くて寒かったが朝一番の歯医者で治療が終わって少し暖かい日差しが出た11時過ぎに今日もサイクリングに出かけることにした。地元の歴史も調べながらブログに残しておきたい。

今日のコースは前回の続きで花見川区役所から検見川神社と京成検見川駅~JR新検見川駅でコーヒータイムして終了。約10kmのサイクリングであった。

(自宅~花見川消防署畑出張所~瑞穂の杜~花見川区役所~花見川サイクリング道路~瑞穂橋~浪花橋~検見川神社裏のJR地下トンネル~検見川神社裏~京成検見川そば踏切~真言宗豊山派 寳藏院~検見川神社急な石段登り~神社の裏から見学~新検見川駅とスーパー西友~マロンドでコーヒーとパン休憩~西小中台団地付近経由~スーパーマルエツ~帰宅)


↓花見川区役所入口のセブンイレブンのある交差点



↓その交差点のすぐそばにある大賀ハス発祥の地の碑文、苔むした色あせておまけに歩道の陰に隠れて目立たない。碑文はスマホの10倍以上のデジタルズームと手振れで画質低下!




↓花見川区役所→ピンク色の建物 (1992年(平成4年)4月1日 - 千葉市の政令指定都市移行に伴い当区を設置。)沼地を埋め立てた広大な土地の花見川沿い一角に建てられた。



↓花見川区役所から花見川にでるとそこは花見川サイクリング道路である。





↓瑞穂橋は新しく作られた橋で区画開発中の幕張町へ渡れる。川の下流側を望む。遠く右手に海浜幕張地区の高層ビルが見える。



↓浪花橋のそばにある碑文。「千葉市長荒木和成終焉の地」と刻まれている。



(参考文献)
1972年1月14日、千葉市議会特別委員会が機動隊に守られながら航空燃料輸送パイプライン埋設賛成を強行採決した。新東京国際空港公団と消防署や公民館等の環境整備費11億円の支払いの密約を交わした荒木は、3月15日に工事のための道路占用許可を出した。

しかし、工事が開港に間に合う見通しが立たなくなったことから、空港公団は同年7月に開港までのパイプライン稼働を諦めて鉄道を利用する暫定輸送の方針を出した。千葉市への支払いが行われないままなされた空港公団の方針転換[注 1]に激怒した荒木は、工事をさし止めたうえ原状復帰を命じ、更に密約の存在を暴露して「以後、空港公団は相手にせず」と声明を出した。

これ以降パイプライン工事が停滞することとなり、開港が大幅に遅れる要因の一つとなった[4][8][9][10]。その後、パイプラインと暫定輸送(千葉市は千葉港からの鉄道ルートの経由地でもあった)の問題を抱え込んだ荒木は、国や市との板挟みの複雑な立場に置かれ、選挙が近づく中で航空燃料輸送問題の決断を迫られている最中に急死した[4]。 出典: Wikipedia

ちなみに我が家が千葉に移住してきたときに成田空港へ航空機燃料を運ぶ巨大パイプラインの建設反対が近隣の団地も含めて起こっていたのを覚えている。パイプライン完成までは幕張駅を通って国鉄の貨物タンク車で輸送していたのである。


↓浪花橋、すぐそばをJR総武線が走っている。



↑二股の左の道はJR新検見川駅へゆくグリーンベルトに出る。右側(警備員の姿のある方)の道を進むとJR線路に沿って検見川神社のそばの地下道に行ける。








↓そこはもう検見川神社の西参道に登る入口である。





↓先を進むと京成電鉄千葉線の踏切に出る。そこは検見川神社の正面入り口で本殿に登る急な階段が見える。





↓すぐそばに真言宗豊山派の寺、寳藏院(ほうぞういん)がある。(出典:猫の足跡、宝蔵院の創建年代等は不詳ながら、宥秀法印が開祖となり寛永5年(1628)に開基(中興開基)したと伝えられます。)




↓京成電鉄の「検見川駅」、昔ながらの線路を渡って駅舎にゆく造りである。ちなみに国鉄の「新検見川駅」ができたのはここよりずっと後であり、それゆえに駅名に京成という文字は付されなかったとある。検見川界隈はまさに京成電鉄によって栄えたと言える。



↓検見川神社の急な石段を登って本殿に向かう。かなりの高台にあり検見川浜が埋め立てられる以前は東京湾の海辺がすぐそばまで来ていた。またこの神社は当方が49年前に千葉に移住してきたときは、「八坂神社」と名乗っていた。(沿革を参照)







●沿革:元和2年(1616年)、検見川を領有した幕府旗本の金田正明が一族が崇敬していた宇迦之御魂神を、更に寛永年間(1624年~1644年)に当地にあった神社(応永16年(1409年)創建)の祭神である伊弉冉尊を合祀した。 昭和62年(1987年)に「八坂神社」から「検見川神社」へ改称。 (出典:Wikipedia)


↓神社のお守りは9つとある。




↓トンネルはJR総武線をくぐるものだが、40年以上前はまだ開かずの踏切がこの浪花町にあって車は不便だった。この切通が掘られて陸側から海岸へ抜けるルートが便利になったが検見川神社の周りは急な崖として残ったのである。(資料:1981.7.6 津田沼~千葉間複々線化開業)








↓検見川神社改名に尽力したとされる宮間宮司の彫像
(出典:1987年12月に八坂神社から検見川神社に改称し現在に至り検見川神社のその発揚に尽力された宮間宮司の顕彰銅像です。→https://ja.foursquare.com/v/%E5%AE%AE%E9%96%93%E5%B5%93%E5%A3%AB%E7%BF%81%E9%A1%95%E5%BD%B0%E5%83%8F/5986ad6b35f98307710271c8)





↓新検見川駅前の老舗パン&カフェのマロンド(川島屋)、ここで美味しい焼きたてのパンとコーヒーで休憩、以前はここのコーヒーは本格的な抽出ですばらしかったがここ10年は機械で自動抽出になりコンビニと同じになってしまったのが残念だ。客がくつろげる席も多数あるがすべて古くなってしまった。また新検見川駅構内には昔は3階にレストラン、ホームに立ち食い蕎麦屋、構内に天丼のてんやなど変遷があったがすべて潰れた。今は近年できた軽食喫茶やコンビニがあるが駅としての利便性はまあまあである。




↓スーパー西友、1972年に千葉に来てもう49年たつが当初は西友前の駅舎踏切が開かずの踏切で困った。のちに東京方面から帰宅する客用に降車専用改札ができたのを覚えている。この西友は当時わたしが勤務していた中堅ゼネコン(藤田組:現フジタ)が1970年代後半?に建設したもので商品種類もデパート並み?開業後は屋上にファミリーレストランと機関車のレールがある遊園地が作られていてまさに地域住民の社交の場で自慢の西友であったのだ。写真のスロープは陸側と海側を自転車でも渡れるようにした回廊だった。むろん地下道はあったが自転車はむりだった。


↓建物は6Fまであるが正面入口は実は3Fで後ろの崖から下に食品売り場の2~1Fがある。



↓現在の新検見川駅裏側と新検見川駅開業時の姿(1951年7月)当時の建物があった場所で方向を合わせて撮影 (出典:千葉市の昭和、いき出版、千葉県教科書販売株式会社 2011/9)

↓昭和40年代の新検見川駅、49年前に千葉市に移住して当時代々木にあったゼネコンまで通勤するのに約2時間を要した。当時はまだ複線で快速急行貨物も混在通行しており車両の故障も多くまさに「痛勤」であった。( ;∀;)

↓跨線橋の両側の土手には桜が植えられていて春は美しい景色だったが今は失われて残念だ。ちなみにホームから当時は南側に見えた電電公社の無線局の巨大アンテナがあった。太平洋戦争時は戦艦や潜水艦との交信に使われたようだ。

当時は付近の鉄道はまだ京成電鉄千葉線しかなくまわりは田んぼだったと記されている。



↓現在の新検見川駅南口全景、美しいロータリーは昔と変わらないが駅前には近年移転してきた葬祭業のセレモの建物も見える。近年は北口ともどもエレベーターも設置されてご老人には有難い駅となった。





↓検見川神社とJR新検見川駅の衛星写真 (地図をクリックすると拡大します)





↓新検見川駅前のマロンド店で周りに飛んでいた電波を受信したWi-Fiのチャンネル画像(2.4GHzと5GHz帯、Wi-Fiアナライザーアプリ使用) さすがに近年はWi-Fiサービスを実施する店や事業所が増えている。店のWi-Fiのkawashimayaらしきものが確認できます。




↓今日のワークアウト結果、歩数は20時現在4477歩だった。




サイクリング (千葉市畑町・田畑・神社仏閣)

2022-02-17 15:10:34 | 健康・福祉
今日は北風が強いが昼になれば暖かさも戻ってきそうだったのでリハビリのサイクリングを強行した。

コースはさつきが丘団地から西の田畑と神社仏閣の多いエリアを行くことにした。このエリアは千葉に移り住んでから近隣なのに一度も足を踏み入れたことがない道がかなりあるのだ。自転車を押して歩いた時間も長いが走った場所はおおむね下記の通りである。

さつきが丘団地~台地の畑~低地の水田地帯~十二社神社~巨大な屋根の農家群~台地の畑~畑派出所~清凉寺~東京電力変電所~子安神社~セブンイレブン瑞穂の森で休憩~ガーデンプラザ新検見川~花見川区役所~花見川サイクリング道路~汐留橋~亥鼻橋~神場公園~さつきが丘団地

移動距離(自転車+徒歩)は約10kmだった。歩数はスマートウォッチのカウンターは15時現在で3,100歩である。


↓さつきが丘団地の西側台地から走り始める。


↓大地を降りる裏道は小さいが休耕田が増えた中でまだ田植えしている貴重な田んぼだ。低地で団地の姿も見えないエリアなのでまさに田舎の雰囲気が残るエリアだ。しかしこの道は周辺道路の渋滞を逃げる裏道になっているため1980年代以降は車が頻繁に通って危ない。昔は舗装も中央部だけで見通しも悪く車の事故が絶えない場所だった。






↑坂を登るとまた広大な畑が続く台地に出る。



↓この近くにある神社が十二社神社だ。地味な装いで小さい神社のため目立たない。ネットでは権現神社という別名もあった。






↓坂を下ると団地の西側の台地に登る道が見える。




↓坂を下らずにまた引き返して12社神社の脇を西側に進むと畑の台地に出る。この辺りは千葉に来て初めて歩く道だ。小さな墓もある。進むと亥鼻橋に向かう県道72号線に出る。







↓県道を横切ってまた畑のある丘に出ると日蓮宗の清凉寺がある。ここは創価学会の会員がいるのか? 信者が寺の掃除をよくやっているのを見かけたことがある。実はコースで外れてしまったが亥鼻橋に近いところに真言宗豊山派 神照山 長林寺があってなかなか立派な寺である。







↓この付近にある畑小学校の碑文で明治6年に花輪小学校として開校されたと書かれている。歴史ある古い小学校だ。




↓遠くに花見川を渡る亥鼻橋と南側に広がる農家群や畑小学校、京葉道路の北側にある子安神社周辺地図(南側から俯瞰した衛星写真)





↓千葉の電力を担う東京電力の変電所(東京電力パワーグリッド株式会社 花見川変電所)、49年前に千葉に移住したときはもう既に建っていた。



↓子安神社(こやすじんじゃ)、千葉には子守神社(こもりじんじゃ)というのもあるので間違えやすい!周りはうっそうとした森に囲まれていて昼なお暗き場所である。
沿革:口伝によれば、第50代桓武天皇の御宇、平安時代初期の延暦年間(782年-806年)、この一帯を支配する豪族により築かれた子安古墳のお山を御神体として、五穀豊穣の神として創祀された。(https://www.buccyake-kojiki.com/archives/1050717992.html)










↓台地の中を切通で京葉道路が走っている。子安神社の境内が高台にあることがわかる。






↓坂を下りると昔は葦の茂る沼地だった瑞穂の杜エリアに出る。ここには花見川区役所と鹿島建設が建てた巨大高層マンションが立ち並ぶ。






↓セブンイレブンと東大グランド




↓この街のスーパーであるサミットストアと花見川区役所




↓花見川区役所脇の千本桜エリアは春の桜見物の新名所となった。




↓区役所前のマンションと駐車場に大きな携帯電話基地局アンテナができていた。近年できたものだ。



この後はいつものように花見川サイクリング道路を上流に向かって走り、汐留橋~亥鼻𣘺~神場公園~団地に帰宅した。約10kmの自転車の旅であった。


↓ワークアウト結果 ********* 地図をみると辿ったコースは団地から花見川区役所方面に弓なりに抜けて花見川サイクリング道路へ出て右回りに団地へ戻ってきた印象だ。






↓Googleマップ (記事参考広域地図、地図をクリックすると拡大します)



↓Googleマップ (神場公園から東京電力変電所と子安神社の森へ移動、地図をクリックすると拡大します)









↓ほかの参考衛星地図(芝生の東大検見川総合運動場と右側の大賀ハスで有名な東京大学旧緑地植物実験所、花見川区役所と赤い屋根の鹿島建設のガーデンプラザ新検見川マンション、新検見川駅に近い初詣人気の検見川神社が見える)







↓1972年に入居開始の旧住宅公団建設の巨大さつきが丘団地を囲む京葉道路と東関東自動車道、交差する宮野木ジャンクション、特に東関東自動車が湾岸道路から延長されて成田飛行場まで敷設されたのは我が家が千葉に移住してからずっと後であった。京葉道路だけが完成していたが、穴川ICから蘇我ICまで延伸したのは1980年と書かれている。(地図をクリックすると拡大します。この記事には出ていないエリアですが今後の参考のためにアップしました。)


散歩(さつきが丘団地東側・農家・ゴルフ練習場・犢橋小・長福寺・マロンド・三社神社)

2022-02-09 18:09:06 | 健康・福祉
明日から関東は悪天候、もしかしたら千葉でも雪が降るかもしれないという気象情報だったので10時ごろは晴れて暖かくなってきたチャンスにリハビリウォーキングに出かけることにした。

コースは最近ご無沙汰しているさつきが丘団地から東のエリアの田園地帯を含めて東方面を目指す。ここには近年建設された三井物産グローバルロジスティクスの倉庫やアコーディア・ガーデン千葉北ゴルフ練習場がある。

この練習場は友人が海岸側から毎週通っているそうである。ちなみに当方は千葉に来た当初は別の練習場で妻と共に練習していたことがあるが、東金市の新千葉カントリーで2、3回ほど会社の同僚とコースに出ただけで1年ほどでやめてから今はルールも忘れかけている。

犢橋(コテハシ)小学校の周りは40年の昔は畑の中にポツンと建っていたものだが、ゴルフ練習場や千葉市のゴミ処理場が出来て景色が随分変わったものである。

長福寺や三社神社は名刹とまではいかないものの古くからの地元での信仰の場である。特に三社神社はこの界隈では間違いなく標高の高い場所にある。さつきが丘の神場公園の高台より高いかもしれない。深い森に囲まれた境内は静かな環境に恵まれている。

三社神社の裏には近年できた介護老人保健施設「ほうゆうの杜」がある。表側から見ると牛丼の吉野家とコメダ珈琲店のそばになる。近年は花見川区も多くの老人有料ホームや特別養護老人ホーム、グループホームが出来て母親もお世話になっていた。

三社神社の向かいにはパン屋マロンド(川島屋パン事業部)の工場と米飯工場があるが、千葉に移り住んだ45年前頃は現在のような直売店はなくて守衛所で格安の作りたて食パンを売っており私の知り合いも大勢遠くから買いにきたものである。

今日歩いたコースはすべて昔の農道を中心としたのどかなエリアでお墓もあるがふるさとの味を楽しめる場所でもある。


↓ファミレスジョナサンに向けて散歩開始



↓ジョナサンの前の坂を下りトンネルをくぐる。





↓「国境の長いトンネルを抜けると雪国であった。」 (川端康成著)!!!立派な豪邸農家が並ぶエリアでゴルフ練習場への抜け道でもあった。





↓地味だが春の訪れを告げる菜の花が可愛い。




↓細い道をさらに進むと近年建設された三井物産グローバルロジスティクスの巨大倉庫とゴルフ練習場のネットが見えてくる。






↓倉庫とゴルフ練習場のそばを通る船橋~四街道の御成街道に出る。






↓友人が通うゴルフ練習場のアコーディア・ガーデン千葉北、ゴルフアカデミーは会員制ミニコースがあるようだが詳しいことはわからない。







↓御成街道、三井の倉庫、崩れかけたボロボロの空き家、犢橋(こてはし)小学校付近はゴルフ練習場の裏側にあり千葉北清掃工場の煙突がすぐそばに見える。







↓小学校のそばで見かけた太陽光発電装置。広大な畑を発電設備にしているのは八街市でたくさん見かけたがこの界隈は少ない。



↓犢橋(こてはし)小学校付近は45年前は畑だけの見通しのよいエリアであったが今は工場、住宅などで徐々に変化している。





昔の小さなガソリンスタンドはかなりつぶれてしまった。ここもその一つであり牛乳販売店になった。犢橋郵便局がすぐ近くにあるエリアだ。




↓セブンイレブン 千葉花見川消防署前店でコーヒーとパンで休憩した。コロナ禍のためせかっくイートインスペースがあるのだが使えないように囲ってあった。それでもゴミ箱の前で休憩した。




↓セブンイレブンの店の脇には竹藪が残っているが近くの家の庭に梅の花が咲いていたのでちょいと撮影させてもらった。ちなみに黄色の花は蝋梅(ロウバイ)だろうか?








↓急に空き地が! 以前は古い農家があったはずだが徐々に家も無くなってゆく? 曲がり角の急坂を下ると長福寺がある。




↓弘法大師修行像がある長福寺の本山は、和歌山県の長谷寺といわれる。





↓マロンド工場~三社神社の森~広大な田園風景(だった休耕田)~長福寺墓園








↓田園地帯の中央を流れる本郷橋、




↓昭和57年10月に竣工した土地改良事業の記念碑は三社神社の入口に立っている。




↓三社神社:御由緒、創立勧請の年代は明らかでないが、往古より土神一社を産土神として崇敬した。一方郷中では男子が15歳になると、必ず伊勢神宮に参詣し、帰路相州鎌倉八幡宮に詣でて、始めて男子の仲間入りをする習慣があったが、中古の国乱によって参詣がままならず、伊勢・相模の両宮を勧請し土神と併せ祀って三社神社と称した。千葉県神社庁公式サイトより。(http://www.komainu.org/chiba/chibasi/hanamigawa/SanshaKotehasi/sansha.html)















↓三社神社の向かいにはパン屋マロンド(川島屋パン事業部)の工場と米飯工場があるが、千葉に移り住んだ45年前頃は現在のような直売店はなくて守衛所で格安の作りたて食パンを売っており私の知り合いも大勢遠くから買いにきたものである。ライスセンターの工場は後にできた建物か?




↓三社神社の裏には近年できた介護老人保健施設「ほうゆうの杜」がある。表側から見ると牛丼の吉野家とコメダ珈琲店のそばになる。近年は花見川区も多くの老人有料ホームや特別養護老人ホーム、グループホームが出来て母親もお世話になっていた。



↓三社神社の裏の急坂を降りるとトンネルにつながる道に戻る。昔はジョナサンの近辺が大渋滞しているときはこちらの坂に逃げてきたものだ。





↓馬頭観音? 馬に乗った観音様という記事もあり千葉の各地にみられるようだがゆかりはむつかしい!



↓散歩の終了、最初に歩いた道に合流してトンネルをくぐり帰宅




↓GoogleMaps 今日歩いた団地の東エリア(地図をクリックすると横1920ピクセルに拡大します)


↓ゴルフ練習場付近


↓GoogleMaps 三社神社界隈-下記写真の左側の森の部分(地図をクリックすると横1920ピクセルに拡大します)


↓GoogleMaps 前回歩いた団地の北側にある広尾十字路付近(地図をクリックすると横1920ピクセルに拡大表示します)



↓今日のワークアウト結果(シャオミMIウォッチ、同期スマホはOPPO Reno3A) 今日の歩数は20時現在で11,905歩だった。






さつきが丘団地北側農家と広尾十字路付近リハビリ散策

2022-02-06 13:38:55 | 健康・福祉
今日は朝から風無しで穏やかな気候になったのでリハビリを兼ねて団地近辺の広尾十字路付近を回る散歩に出かけた。途中で犬を連れた老夫人が挨拶してくれたのでこりらも犬とご婦人にご挨拶した。

もしかしたら近所の農家の方なのか気さくで嬉しい。天気も良くのどかな田園風景と高低差のある台地、風情のある坂道など49年前の風景はかなりそのまま残っていた。時間がゆっくり流れて癒される風景である。

30~50代は極めて多忙で自分の近隣をゆっくり眺めている余裕がなかったが今はこれらの風景が有難く感じられるのである。


↓さつきが丘団地を出発、北側の農家のあるエリアへ降りることにする。



↓近年建った賃貸住宅「ビューアイランド2号館」はきれいで住みやすそうだ。



↓さつきが丘団地北側の田園風景、団地が建ったときにこの田畑も大規模な土地改良工事が行われたと歴史記録にある。



↓鉄塔があるそばに古くから弁財天がひっそりと鎮座している。→ゆかりは・・・




↓近年建った戸建住宅群、かってはここに住宅公団の職員住宅2棟があった。その住人の2家族は後日親友家族になったが長い期間が過ぎて職員住宅が解体された後は九州と北海道にそれぞれ移住していった。今どうしているだろうか?



↓りっぱな農家が並ぶ。この辺りは「鶴岡」姓の家が多い。






↓竹林の崖を下って農家の道に降りる近道、この49年通ったことはないが!誰かが今降りていった。



↓かってはこの農家の裏の崖にはすばらしく大きな竹藪があってみどころだったが最近解体してしまったようだ。確かに維持管理がむつかしかったに違いない。写真の急坂を登るとヤマト運輸や日本キャタピラ、生協の配送センター、ラーメン屋、牛丼すきやの店がある広尾十字路付近にたどり着く。




↓田んぼ側から南側のさつきが丘団地を望む。ここには恐らく20年以上も来ていないはずだ。










↓墓の並ぶ台地付近



↓天理教犢橋分教会、千葉に来た49年前からここに建っていた。



↓広尾十字路付近にあるラーメン屋でかってはここはセブンイレブンの店だったがファミレスジョナサンの先に移転したので後釜に入った店だ。このあたりは農家のあった場所から急坂を登ってきた台地の高台にあり今は交通の要所である。



↓スキヤの店ももうできてから長い。近くには精米の無人店舗もまだ存在している。







↓戦時中は旧日本陸軍鉄道第一連隊が鉄道敷設訓練に使ったこの長い坂を下ると向こう側に見えるファミレスジョナサンにたどり着く。今日の散策は2.6km、昼時点の歩数は約7,000歩だ。





↓参考衛星写真(地図をクリックすると横1920ピクセルに拡大表示します)
・・・さて、わたしはどこを散策していたのでしょうか? 鉄塔そばの弁財天はどこ? ちなみに広尾十字路付近のセブンイレブンは今はラーメン屋に変わっています。お墓のあった場所はどこ? 友人の行くゴルフ場はどこでしょうか? コメダ珈琲店はどのあたりでしょうか。







↓スマートウォッチの記録画像
(OPPOスマホでの健康管理アプリ画面←シャオミMIウォッチより同期)




↓コメント関連画像: 千葉市ふるさと農園

ボケ防止、漢字の書き取り

2022-01-26 12:12:44 | 健康・福祉
ときどきiPADのペンシル練習とボケ防止を兼ねて四字熟語の漢字書き取り練習をしている。

しかし、PC入力やスマホ入力が増えて文章手書きの習慣がなくなり、四字熟語の漢字を書くと書き順は元より漢字そのものをかなり忘れてしまっていた。特に画数の多い部首など現在の小学校の「書写」をもう一度勉強する必要がありそうだ。ちなみに昔は「書き取り」と呼んでいたはずだが?

これではまずいのでなるべく手書きの練習を続けるつもりだ。元々はiPADで絵やイラストもどきをやるつもりでペンの使い方に慣れるようにするつもりだった。

ネットの情報ではiPADの保護シートなしでは滑りすぎるので〇〇社の保護シートを使うと良いなどのお薦めはあるが今のところはガラス画面のままで使っている。元々iPADのガラスは強化ガラスで気を付けていれば簡単には傷はつかないのだが適当な摩擦があると書きやすいとある。

以下は定番の手書きノートアプリ「GoodNotes」で書いた現在までの四字熟語である。100文字程度ある。同じ画像だが原図と拡大した画像を3画像掲載した。



↓手書き文字、紙に書いても下手くそになっている。








↓4文字熟語の人気文字












小春日和の神場公園で丘に登る。

2022-01-22 13:25:49 | 健康・福祉
今日は風もなく天気も晴天、自宅で寝ころんでいたらリハビリにならないのでいつもの神場公園で久しぶりに丘に登ってみることにした。

神場公園の奥の丘には畑と携帯電話の基地局の塔があるのでそこにも足を伸ばした。千葉市も公園に割り当てる予算がないのか、公園が開設されて早40年、かってはわが息子も3歳頃に完成した公園の遊具で遊ばせていた思い出があるが今は荒れるばかりである。

完成した頃の美しさを保っていたら花島公園のように花見川区の憩いの場としてもっと活用されていたに違いない。花島公園と同じような清流のせせらぎは今は水も流れず池にはゴミも浮いて汚い。残念である。

帰りはかって4年半住んだ戸建賃貸住宅のそばを通ったのでついでに写真撮影しておいた。外観は18年以上経っているにも関わらずきれいだった。大家が建てた3DKの家は断熱材が少なかったのか、冬場の1階は寒かった。窓ガラスの結露もひどく公団賃貸住宅にいた時と比べて灯油代が1桁多くなってまいった。

家賃もそれまで住んでいた公団賃貸の5万円程度から9万円の贅沢生活になったが、幸い父親の死亡で5年後に母を妹の近くに移してわが家族がリフォームして移り住んだので長期の賃貸料金を支払うことはなかった。

北九州で生まれて父親の転勤で三重県~東京~千葉と移り住み千葉市在住歴はすでに49年になる。そして現在の団地が終の棲家になったがわが棟の近所に住んでいた近年知り合いの経験談を思い出す。

その知り合いが小学生のころ東京大空襲で火の粉が飛ぶ中を命からがら逃げたという話をきいたことがあるが、自分の場合はそこまで不幸な経験はせずにここまで生きてこれたのは嬉しい。団地も商店街も枯れてきたがまあまあ住めば都に思える程度は満足できると感じる。


↓団地住民の憩いの場である神場公園(カンバコウエン)





↓公園脇の小道を登ってゆくと裏山の丘に出られる。畑が広がっていて遠くに昔のJフォンの携帯電話基地局鉄塔がある。関連記事はこちら→
秋晴れのプチ富良野?と携帯キャリア基地局散歩


























↓神場公園の丘に登るとゲートボールのできる広場がある。








↓ここから眺めた四方の景色はすばらしかったが、今は木々が高くなって見えないのと足元の説明版も金属部分が盗まれたりして台無しになった。



↓公園の丘が高いのはこの階段をみるとわかる。



↓40年前は息子も遊んだ遊具、昔はもっと種類が多かった。



↓40年前の公園付属の水洗トイレはきれいになった。外観は汚いが!



↓かって23年前から4年ほど住んでいた新築戸建賃貸住宅で1棟に2軒が入る特殊設計だった。見栄えは持ち家の戸建に見えた。冬場は暖房代がかかったが洗面所と浴室はチープながらも自動で湯張りできる給湯機の恩恵に浴せたのがありがたかった。



↓今日のリハビリアウトワーク


菊間千乃(きくま ゆきの)氏から受けた勇気? ・・・徹子の部屋

2021-10-05 18:25:19 | 健康・福祉
昼にいつも見ている徹子の部屋、今日はあいにく知らないタレントの話かと思ったら見てゆくうちにこれはすごい人生を送った人だとテレビに釘付けになった。

アナウンサーから弁護士へ? えっ!そんなことができるの?と番組を見てゆくと転落事故で死に損ねて何と2年もリハビリを続けて、幸いファンの励ましもあって人生を考え直したという人生だ。

以下はウィキペディアの情報と今日のテレビ朝日の人気番組である「徹子の部屋」で放映された画像である。


●菊間 千乃(きくま ゆきの、1972年3月5日 - )
菊間 千乃は、日本の弁護士、フリーアナウンサー。弁護士法人松尾綜合法律事務所所属。学位は先端法学修士、法務博士。 タレント・アナウンサー活動ではノースプロダクションが窓口。元フジテレビアナウンサー。 ウィキペディア
生年月日: 1972年3月5日 (年齢 49歳)
出身校: 早稲田大学法学部; 大宮法科大学院大学; 早稲田大学大学院法学研究科
テレビ番組: 発掘!あるある大事典、 めざましテレビ


↓画像出典: Yahoo! JAPAN




※その後1998年のニュース記事を調べたらもっとビックリ!

当時の菊間アナウンサーは当方と同じ第1腰椎圧迫骨折で全治3ヶ月だったことがわかり親近感が湧いたのである。(^_^;)
しかも厚さ50センチのウレタンマットレスの上に転落して、なおかつ、上半身の骨13本を折ったことがクッションになったので死亡事故にならなかったのだ。
一般的に捻挫や打撲より骨折したほうが治りは早いという話を聞いたことがあるが菊間千乃アナの場合はそのまま当てはまるケースだった。
いずれにしても全く幸運が重なったラッキーな経験と言えよう。


帰れマンデー帰り隊!

2021-09-25 13:01:27 | 健康・福祉
標題は間違いではない! テレビ朝日の月曜番組「帰れマンデーみつけ隊」を自分流にパロディ化したものである。まあ、別にマンデーつまり月曜日の出来事にかぎらないのだが、リハビリで4km歩くのがまだ辛いので早く帰りたいという心の叫びなのだが?

今日は気温が下がって日差しもあまりない散歩にはうって付けの日和なので迷うことなく花見川サイクリング道路の歩き散歩に出た。途中に咲くささやかな花々の写真を撮りながら歩くのだが、元々ここはサイクリング道路なので今まで歩いて散歩はあまり実施したことがなかった。

とりあえず、自転車でもよく行く亥鼻橋を目指すことにする。自転車ならすぐそこという距離なのだ。しかし、2か月の入院でリハビリ中の我が身にとっては予想外に厳しい工程に思えた。

筋肉が萎縮しているため杖を使っても真っすぐには歩けない。ふらついてしまうが体力が戻らない当面はやむを得ない。家を出るときにスマートウォッチでワークアウトという機能を開始してGPSの機能で歩いた軌跡を記録させるが、途中で酸素が足りなそうだとウォッチ画面に警告が出る。

以下は買い物を兼ねた今日のリハビリ散歩の写真である。


↓今日の散歩のGPS記録




↓花見川サイクリング道路の説明看板、地味だが千葉市も一応最低限の維持管理はしているようだ。市の予算がもっとあれば沿岸の店や施設と連携して大勢の人が楽しめる観光場所にできるのだが難しいか?





↓近隣の神場公園から花見川サイクリング道路に降りてゆくのだが、その途中の農道にも花が咲いている。







↓サイクリング道路の花々たち

















↓花見川の流れは最近はずっと汚れもなくきれいな川になっている。遠い昔はこの下流の汐留橋で家庭排水による洗剤の泡が渦巻いていた時代があったのだが。




↓2km近くを歩いてきてやっと亥鼻橋に到着、ささやかだが休憩用のベンチがあるので休憩10分、いつも思うのだが千葉市はこのような休憩用の場所が少ない、というか公園以外の場所は予算不足のためか冷遇されている。われわれシニア族にはもっとたくさん作って欲しい施設だ。




↓いまだに工事中の新亥鼻橋はいつ完成するのか?





↓亥鼻橋の脇にできたレンタルサイクルのサービスだが、どれだけ利用者があるのか? でも自転車に雨や埃は被っていなかったのでちゃんと整備されているようだ。










秋晴れ? 今日もリハビリウォークしてきました。

2021-09-19 14:37:24 | 健康・福祉
休眠中のCM掲載防止のために!久しぶりに投稿しました。

今日は久しぶりの快晴天気、気温も湿度も低く絶好の布団干し日和! 家事を済ませてリハビリがてら近隣の公園と大型スーパーマルエツ店に歩いて行って買い物と5カ月ぶり?にイートインで美味しいカレーパンとコーヒーを味わってきました。

公園はコロナ禍でやはり人影はまばらでしたが日差しがたっぷりで木々の緑が爽やかに感じました。その後スーパーマルエツへ歩いてゆく途中、団地の道路が京葉道路を高架でまたぐのですが下の京葉道路が大渋滞でした。

三連休の中日ですがこの好天気で外出組の家族も多いとみられます。午前11時過ぎですが午後1時前に帰りに通った時もまだ大渋滞でした。今頃下りで混雑は実家に帰省する家族もいるのかもしれません。

他人の心配はともかく自分の体調ですが、6月中旬に腰椎骨折で入院して転院と約2か月の入院、その後自宅でリハビリ開始して現在継続中ですが、腰の痛みはもうなく外を歩くのもやりやすくなりました。

しかし、まだ腹を締めているコルセットは9月末まで着用を義務付けられています。外出時にトイレに行くには身体障害者の使うトイレがあれば優先して使います。小便でもコルセットをはずさないと用足しは難しいからです。外したコルセットを床に置けないのでどこかに載せる台か、ぶら下げるフックを探します。まあそれもあと10日程度の我慢ですが・・・(#^^#)




↓団地の隅にある神場公園(カンバコウエン)は今日も静かだった。



↓大渋滞の京葉道路下り線(左側向こう側奥が東京方面で右側手前が木更津方面)、宮野木ジャンクション付近、東関東自動車道との分岐点である。


↓今日のリハビリウォーキングは3.21kmだった。



今後は暇つぶしも兼ねて入院中のよもやま話を小出しに掲載しようと考えています。