憩いの森

安らぎと憩いを求めて!

納得のゆかない介護認定

2006-09-21 20:54:49 | 健康・福祉
1人暮らしの母が今年の3月中旬に突然背骨の圧迫骨折で緊急入院した。1か月半の治療の後、リハビリ施設で4ケ月以上入院治療してきた。介護保険もすぐに申請して「要介護3」の判定で治療に専念してきた。

そして半年後の更新調査で出た判定は何と「要支援2」で施設のマネジャーも我々親族も唖然!! 「要介護レベル」でないとこの施設からでなくてはならないのだ。その期限は今月末、まだ骨折の後遺症で母は歩くのもシルバーカーを使っているし、事情があって自分で料理を作ることもできないし、部屋の掃除も満足にできないし、自宅2階マンションの階段を降りるのが危ないのである。

面接時に調査員にちゃんと説明したのにどういうことであろう。この判定で現施設側も別の行き先をあっせんするために尽力してくれているが、この判定は半分はコンピュータープログラムによる判定とはいえ、現実にようやく施設に慣れてきてここで長く治療したいという母の希望を踏みにじるものである。

こんな現実を無視した介護保険ならない方がマシといいたい。親族も施設の担当員も対応に振り回され、次の施設で払わざるを得ない高額の入所金などに母の貯金はこれからもっと減るばかりである。この半年間、介護保険制度やケマネージャー、福祉の実情を知るにつけ腹が立つことばかりである。

こんな弱い者いじめをする介護保険を誰が作ったのか、厚生労働省の役人に問いたい。「要支援2」の判定に千葉県へ不服申し立てする前に介護保険の再認定申請をすることをケアマネージャーから勧められたので即申請した。

「要介護」のランクでないと介護保険での助成額が全然違って自己負担が多くなるばかりか受けられるケアサービスの回数も業者によってはわずかの回数しかダメという現状である。84歳の母の国民健保からも介護保険を取られているのに貯金のない者は介護サービスは受けるなという印象である。

誰がこんな馬鹿なシステムを作ったのか、来月上旬に再審査に区役所から担当者がくるが前回審査に来た人と同じなら腹いせに顔を一発殴ってやりたい!!(この書き込みだけで犯罪になりそう・・・)

自宅に戻ってきても子供たちの間で母と同居して引き取れる環境にある者が誰もいないので、やむを得ず母を施設に入れる案を模索している。しかしもう時間がないので急きょ先週末から母を移し替える施設をいろいろ見学してようやく行き先が決まりつつある。このために僕と妹の1人と仕事を犠牲にして動いているが自分の家族は犠牲にして対応している。

会社の仕事もこれから忙しくなるのに母の施設移動がショートステイと老人ホームへの入所を計画しているので準備や手続き、引越作業、健康診断書の作成、・・・リストしただけでも平日を空けなければならない日も多い。

介護認定で不公平判定がかなりあることが下記のホームページでも紹介されている。

●http://www.urban.ne.jp/home/haruki3/sien5.html

さらに下記の政府の回答が白々しく感じるのは小生だけではないだろう。


************ 厚生労働省 介護保険制度 Q&Aのページから *************
Q2
介護保険制度の創設によって何がどう良くなりますか。


《利用しやすく公平で効率的な社会的支援システムの実現》

* 介護保険制度は、老人福祉と老人医療に分かれている高齢者の介護に関する制度を再編成し、利用しやすく公平で効率的な社会的支援システムを構築するものです。

 ・利用者本位の制度として、自らの選択に基づいたサービス利用が可能となります。
 ・高齢者介護に関する福祉サービスと医療サービスの総合的・一体的な提供が可能となります。
 ・公的機関のほか、多様な民間事業者の参入促進が図られ、効率的で良質なサービス提供が期待できます。
 ・社会的入院の是正などにより医療費のムダが解消されます。

東京オリンピック

2006-09-02 09:37:17 | ニュース
【オリンピック招致】立候補都市は東京都に決定!
8月30日、東京都内で2016年の第31回オリンピック競技大会の国内立候補都市選定委員会が行われ、国内立候補都市は東京都に決定した。(JOCのページより)

実は小生は1964年10月10日に開かれた第18回東京オリンピックの開会式に出席した思い出がある。当時としては東京オリンピックはアジア初のオリンピックであり喜びもひとしおであった。

ちなみに開会式のあった10月10日は、1966年(昭和41年)から1999年(平成11年)まで国民の祝日体育の日として親しまれてきたのである。

1964年の開会式出席は事前にはがきで申し込みをして抽選で当たった人が出席できた。当時5枚ほど家族の名前で開会式と閉会式に申し込み、そのうち1枚がラッキーにも抽選に当たったのである。

小生は当時、関西から親の転勤で東京に引っ越してきて2年目、大学1年生の夢開くベストな時期だったのである。このような幸運な思い出を残す行事に出席できたのは嬉しいことだった。1964/10/10は開会式にふさわしい気持ちの良い快晴であった。元々開会式の日程は気象が晴れの特異日を選んで決められたという話を覚えている。

2016年にもし東京でオリンピックが再度開催されるときはもう一度見たいものであるが、赤字財政の都政に莫大な費用をかけるのが得策なのか疑問ではある。2016年は小生はもう70歳に達しているのだが、さてさて、それまで生きていられるか!

●東京都の資料:http://www.metro.tokyo.jp/INET/OSHIRASE/2006/05/20g51201.htm

写真は1964年に東京国立競技場で開催された東京オリンピック開会式のようすである。小生もこれを競技場の席から眺めていた。(JOCの資料より)