憩いの森

安らぎと憩いを求めて!

中規模断捨離作業を終了、和室もベランダもすっきり

2020-10-15 13:47:04 | 衣食住
大げさに言うと5年ぶりの不用品整理を今日ごみ処理業者への依頼でやっと終えることができた。トラック1台と3人作業員が来たが時間にして20分程度だった。費用も3万円強で済んだ。

ごみの中身は、料理用のフライパンや圧力鍋、古い着物の道具一式、衣装ケース、使い古した重い園芸用の鉢や砂利もあり、扇風機ガスストーブなどの電化製品、大量のVHSビデオ、家具の解体板切れ、衣装ケースなど、かなり雑多でとても心臓病の身体で4階の階段から降ろすだけでも大変だったので今回の業者の作業は非常に有難かった。

5年前に自室を畳敷の和室からクローゼットのあるフローリング洋室へリフォーム工事を準備した頃からの懸案であった。その時は元の息子の部屋に押し込んだ不用品は実はそのままだった。

結婚した息子が以前使っていた北和室は、ずっと倉庫のような納戸として不用品が溜まっていた。2年に1回くらいは、プチ断捨離をしていたが、園芸用の鉢などがまた増えて量は増えていった。

しかし、半年前の自分の心臓病入院で断捨離の決心がついた。リハビリを続ける中で少しづつ整理を続けたが、猛暑の夏は作業中断、ようやく涼しくなってきた最近で一挙にけりをつける時がきた。

テレビで断捨離の番組も放映されているが、ひどい状態になる前に少しづつ片づけていたので今回の断捨離はわがやとしては中規模のものだった。

今後は園芸はさやかな実内での観葉植物だけにしてときたま春の花を1鉢程度育てる程度にした。かくて長いベランダはすっきりと整理することができた。

残る大荷物はミニアルバムの写真で、納戸の収納スペースはあるのでこれは将来当方の遺品を息子が処分するまで置いておくことにした。


↓Before






↓園芸用の砂利等


↓衣装ケースと古い衣装



↓After(2020/10/15)



↓ベランダの奥の園芸用品収納庫の前にあった大きな重い素焼きの鉢数鉢もたぶん20年ぶりに廃棄した。



************ 2020/10/18 追加更新 ***********


↓昨日は雨でベランダ水洗するのに都合が良かったので意を決して半年ぶりに清掃を決行、泥や苔で汚れたベランダの溝と人工のタイル地が綺麗になって気持ちがよい。なぜ雨の日がよいかというと、我が家は団地の4階なので晴れの日に水洗すると階下の洗濯物に水しぶきをかけてしまうからである。ただし、重労働で腰痛気味になってしまった!!




↓ホームセンターで分別取集用のゴミ箱と水洗用のホースや清掃道具を保管する収納する収納庫を調達して滅びかけていた古いゴミ箱も一挙に交換した。非常にすっきりしてこのまま自分の人生の終わりまで使うことになりそうだ。
(Before)
(After)


↓水洗用ホースキット、乾燥させてから青い後部の収納庫に保管しておく。



今回多量のゴミを団地の4階から下へ下して処分してもらい、業者には感謝するとともに重い肩の荷を下ろすことができて非常に良かった。今後は不必要に所有物を増やさないように気をつけて残る短い(たぶん!)人生を過ごす決心である。

昔自分も抱いていた夢を実現した埼玉県のアマチュア無線家JA1UTS氏(朝日放送ポツンと一軒家再放送)

2020-10-13 15:53:04 | 秋葉原

↑東京杉並区に移住してきた大学1年の時の当方のすまし顔! 写真には高校時代の自作ラジオとSTAR社のアマチュア無線受信機が写っているが、オンボロ送信機は別途ラックに入れていた。
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(ここからが本題です!)

いつも見ている評判の番組だが、2年以上前に放送された「ポツンと一軒家」のその後の様子を取材した番組が先日放送された。その中にアマチュア無線一筋で生きてきたオジサンの話が若いころに自分も持っていた夢を実現したうらやましい方で今回録画再生して番組の記録から記念に静止画を残しておことにした。

アマチュア無線技士の資格取得は、大学1年生になった1964年で東京オリンピックの年であった。その後機器やアンテナを揃えて無線局の申請をし、コールサインはJA1URUを割り当てられた。驚くのは番組に出た方のコールサインはJA1UTS、コールサインは地域別に英字の順番に付けられるのでJA1は関東でわたしと同じ1964年に資格取得されたことがわかる。

無線局の設置で当時は両親と共に杉並区に住んでおり、家の軒先に小さな50MHz帯の八木アンテナを立てて地域クラブのハム仲間と交信したり遠くはオーストラリアの仲間と片言の英語で交信したりした。当方は大学でも無線クラブで活躍していた懐かしい思い出がある。卒論もアマチュア無線の435MHz帯のテレビ送信機製作と通信実験だった。

当時たしかNHKの人形劇「ひょっこりひょうたん島」で怪しいスペイン語をあやつる藤村有弘氏もハム仲間でBANSA FUJIMURAの名前で有名だった。1960年代当時でもセットで100万円以上した米国製の高級送信機受信機群を使っていてうらやましい限りだった。一度無理やり交信に割り込んでQSLカードをおねだりしたことがあったが、その記念のQSLカードはもうとっくに処分してしまった。

ところで、話を戻して番組のその方であるJA1UTS氏は中学を卒業してすぐにアマチュア無線の資格を取られたそうで当方のわずか前に取得されたのである。巨大なアンテナを立てて世界中のハム仲間と交信してQSLカード(交信した証明として交換するグリーティングカードのようなもの)を集めるのが夢だった。

当方は結婚して千葉の団地に住むようになって、一度公団事務所に申請許可をもらい、21MHz帯も使えるアンテナを設置したが、やはりいろいろ運用は無理になり、アマチュア無線の趣味は仕事の忙しさもあって愛用していたHF帯トランシーバーTRIO(現KENWOOD)製品の機器は売り払って精算してしまった。

時代が過ぎて仕事でコンピューターの世界を歩くようになり、インターネットの幕開け時代からデジタルの趣味の世界に移り独自のホームページとSNSの世界で小さなグループも作って交流する経験もした。すっかりアナログのアマチュア無線のことは忘れていた。

そのようなデジタル全盛の世界になっているのに、いまだにアナログのノイズのある電波を使って更新するという趣味は、何と贅沢なものであろうか! 今はアマチュア無線の機器の価格は、アンテナも設置しなくてはいけないのでパソコンよりはるかに高額でなんとも贅沢な趣味になっているのである。

それゆえ、現在アマチュア無線を続けている人は非常に少なくなっている。ときどき秋葉原で散策するときは、必ずアマチュア無線の機器を販売しているロケット商会によって最新機器や機関誌を見て時代の趨勢を感じている。

以下はポツンと一軒家で再放送された番組の画面を掲載した。80コマほどになってしまったが閲覧される方、悪しからず!!


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↓リンゴよりも大きな真空管は送信用の機器に使うもので大変高価であった。当方も卒論でこのような真空管を東芝の先輩から安く手に入れた記憶があり非常に懐かしい。


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↓画面に映っている機器類で高価なアメリカ製を含めて垂涎のリグ(機器)が並んでおり一体いくら趣味にお金をつぎ込んだのか!驚くばかりである。奥様がおられるようだが、ここまでお金をつぎ込む夫を許してくれているのか、または、あきらめているのかは聞き逃した!


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10 ↓わたしも高校時代に似たような5球スーパーラジオを自作したが、この方は小学校6年生で自作したというからすごい!完全にオタクといえる。お金もかかるので部品購入代のお小遣いはどうしたのか不思議である。






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********** ここからは当方のささやかなハムの歴史写真を掲載 ********

↓高校時代に制作した自作ラジオ、5球スーパーで配線図から設計した。


↓アマチュア無線が趣味だった頃の写真です。1964年~




↓杉並区世田谷区付近の地域クラブの面々で年齢性別もいろいろだった。


↓大学時代のマイクロ波無線実験の合宿(千葉冨浦付近?)


******* 長々とご視聴ありがとうございました。 m(_ _)m  ********


55?年ぶりに小物部品の大整理作業を終了

2020-10-09 09:53:18 | 衣食住
今回のテーマは、皆さんにはあまり面白くはないのだが、一応記録として残しておきたかった話題である。

発端は60年ほど時間を遡る。高校時代からラジオの自作をやっていてその部品である抵抗やコンデンサー、真空管等を数多く所有するようになった。

父親の転勤で東京に移住して大学時代はアマチュア無線クラブに所属し、ハムの送受信機を作るようになって益々電子部品が増えてきたので何か整理できる保管箱が必要になってきた。

うろ覚えの記憶によると東京オリンピックの開催年である1964年頃に抵抗やコンデンサを種類別に保管するのに写真のようなA4判の木製書類箱を購入したと思う。

以降、IT企業などに勤めて結婚、千葉県への移住で自作することはなくなり、A4書類箱はネジビスボルトナットなどのDIY部品の保管箱に変わっていった。

ネジの整理に使ったのが透明で中が見える富士フィルムの丸いネガフィルムケースだった。ネジなどの種類やサイズ別にフィルムケースに入れてA4ケースに横向きに並べて収納した。

DIYのたびにすぐに欲しい部品を探せたが、フィルムに入らない長いものや太いものなどは、別箱に裸で転がして置いたりしたので同じようなネジを重複して買っていたりして段々整理が難しくなってきた。

最近家の中の物を断捨離作業中だが、50年来手をつけなかったこのネジ類の木箱を市販の部品収納プラケースに一挙に移し替えることと古いネジ類を捨てる断捨離を決めた。やっと重い腰を上げる気になったのである。

整理に当たって事前にネットで「モノタロウ」が扱っている部品箱を4箱発注しておいた。仕切り板が自由に移動できるものでかつ丈夫そうな日本メーカーのものを選んだ。エンジニアのKP-03Kというポリプロピレン製品である。収納規模に合わせて各種製品がある。

このような部品の整理は、仕事が現役時代はおっくうな作業で断捨離を覚悟するには隠居した身分になったのでようやく決心できたものである。大げさだがやはり55年の歳月が流れてしまったのは意志薄弱だったのかも!

とにかく年老いてからのリフォームや引っ越しは多大なエネルギーが必要で妻ももう引っ越しはご免と言っていたが当方も同様である。ましてやこの春に心臓病を患ってからは息切れがひどく大きな運動や決心を伴う作業はもう難しくなったのである。

今回の整理で古いネジ類などをかなり処分して新しいプラケース4箱にコンパクトに収納できた。以前の木製A4整理箱と比べて体積で5分の1以下になったと思う。もうあまりDIYすることは少ないかもしれないが必要な部品を探すときも透明なケースですぐに見つけやすくなった。

通販で欲しいものが見つけやすくなったのと、探すために遠くの店に買い出しにゆくという苦労がなくて良い時代になったと思う。

以下は整理したネジ類の箱の写真である。


↓購入した伝票類




↓ネジ類を整理するのに使っていた富士フィルムのネガケースで半透明で中の部品が見えた。総数は定かでないが100本以上はあったようだ。



↓新しいケースの仕切板で、整理しながら数十個ほど抜いていった。かなり丈夫に作られている。抜いた仕切板はまとめて袋に入れていつでも使えるようにした。


↓55年?前に購入した木製A4書類整理箱は頑丈な作りだった。



↓新しく購入したプラケースにネジ類を整理した様子、仕切りの板を抜いて長いネジが入るように自由に調節できるので有難い。蓋をカチッと閉じるとそのまま持ち歩いてもなかのネジ類がぐちゃぐちゃになることはなかった。しかし突然蓋が開いて大量のネジが散らばる大惨事を避けるために幅広の安全ゴムバンドでくくることにした。


↓木ネジ類、形状とサイズで入れる場所を適当に決めていったら若干チグハグにはなったものの、何とか整理できた。考えながらどこに入れるか廃棄するか、考えながらやるので非常に時間がかかった。(^^ゞ


↓同じくビスナットボルトの整理を行う。これも考えながらのチンタラ作業になった。(^^ゞ


↓釘やワッシャーやスペーサー、蝶番、スプリング、フック、等々雑品の選別


↓同じく雑品類、ゴミのように見えるがDIYの時に突然役立つことがある。



↓4段積み重ねた体積は以前の木箱の5分の1になったと思う。とはいえ、大きなDIY部品は以前から別途大きな収納箱を使っている。



久しぶりの亥鼻橋探索サイクリング

2020-10-03 15:40:05 | 旅行・趣味
気候も良くなり昨年はまだ工事中だった花見川の亥鼻橋はどうなったか、新車の自転車でリハビリがてら見物サイクリングにでかけた。

結果はコロナのせいか工事はストップしたまま? 現在の亥鼻橋は架け替えのための仮の橋脚になっている。新しい橋の基礎部分はすでに完成しているがこれでは完成まであと何年かかることやら!

それはともかく、今年の桜はコロナと入院騒ぎで花見どころではなかった。満開の姿がどうだったのかは定かではない。来年は桜見物したいものだ。

以下は9年ぶりに新調した自転車と近隣の公園を経て花見川にかかる亥鼻橋まで探索に行った景色を掲載した。


↓先日ジョイフル本田で現品限りの値引き自転車をゲット、26インチ内装3段変速、暗くなると自動点灯するオートライト付き、錆びないステンレス籠、ディンプルキーのロック等やや高級なグレードを選んだ。これであと数年載って80歳台まで運転したい。






↓神場公園ではシニアの方がゲートボールに興じていた。花見川に出る道端には秋の花がひそかに咲いている。




↓仮の橋に行くのに道路は大きくくねっている。今日の花見川は風もなく川面は静かな佇まいであった。