憩いの森

安らぎと憩いを求めて!

今日も手抜き筑前煮料理の出来映えは?

2021-12-29 14:21:19 | 料理もどき
今はやりの電気圧力鍋を買ったのは、当方が2020年の春に心筋梗塞で入院した後のことである。我が家は仕事をやめて完全な年金暮らしになった時もちょうどその入院後のことであったが、退院してから夫である当方のために妻が病院食に似た健康志向のメニューをしばらく作っていた。


↓電気圧力鍋(ShopJapan)





ちなみに当方は結婚する前も母親の作る食事を食べていたので自分で料理するのは好きでもないため必要があれば外食かコンビニ弁当かカップ麺で済ませる生活だった。だから逆に妻のために何か料理を作ってあげるという愛妻家にはなかなかなれないのである。(+_+)

病院食と同じような健康志向のメニューを作っていた妻だが、そのうち料理を考えるのが精神的に負担になり辛そうだったので朝食と昼食は自分で作ることにした。もともと朝食はパンなので以前から夫婦別々で自分で準備していた。また土日祭日も自分で調達するので平日の夕食だけ作ってくれればよいと伝えて現在その体制が続いている。

ところで今日の手抜きは

 ・有名割烹店の美味しい筑前煮レシピに合わせて電気圧力鍋を使わず具材は油で炒めた。
    (手抜きのために圧力鍋を買ったのに矛盾!)
 ・あらかじめ具材が水煮でパックされた筑前煮の素を2袋も使った。多すぎ!
    (にんじん、こんにゃく、ごぼう、たけのこ、れんこん)
 ・鶏肉は唐揚げ用を揃えたが別途味付き鶏肉団子のパックを使った。(邪道!)
 ・里芋の皮むきが面倒なので皮のむけたパック、しかも味付きを投入、これは駄目だった。

別途準備した具材は手抜きせず

 ・椎 茸 (味を染み込ませるための隠し包丁で切りこみを)
 ・絹サヤ(熱湯~氷水で緑発色)・・・ここは手抜きできない。
 ・泥付きごぼう(酢水で灰汁抜き後に油で素揚げ)追加具材

以上

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さいわい近年価格も手ごろになった電気圧力鍋を使って時短料理を作る人気が高まっていたので主夫業?として使えそうな道具に見えたので早速通販で購入した。1年半前のことであるが、自分の部屋でこっそり!作れるように料理に必要な小道具も買いそろえた。(どうも男は形から入るので当方も自然にそうなった(^^;)

この1年で見本に出ていた料理で好物の豚の角煮、筑前煮、肉豚じゃが、牛しぐれ煮、釜飯、ブリ大根、かぼちゃ等々である。ちなみにカレーやビーフシチューの類はレトルト食品を使った方が手軽なので試してはいない。電気圧力鍋は使用電力が700W程度のものが多く、炊飯器のように1500Wの高出力が出せないので炊き込みご飯はふっくらとした出来上がりは難しいようだ。

ところで妻が作る筑前煮は、正統派なのでうまい。それに比べて自分の作る筑前煮はお酢を使ったゴボウとこんにゃくのあく抜きや、事前に油で揚げて味を染み込みやすくさせるなどの具材の事前加工も通常はせず、水煮の加工具材(筑前煮、タケノコ、レンコン、ゴボウささがき)の一部組み合わせなど、手抜きをいろいろ試したが結果はすべて駄目だった。

それに加工具材を使うと原価も高くなるのでやはりコツコツと元の単品の野菜を選んで取りそろえるしかない。それと使う量もレシピ通りにしないと味も違ってくる。有名割烹料理店の吉兆の料理長が作るレシピをネットで見たがゴボウは事前に油で素揚げし、具材も投入する順番を守って強火の油でさっと炒めるのがコツと説明されていた。

そこでは煮しめと筑前煮とどう違うの?に答えている。元々筑前煮はその名の通り九州筑前が発祥と言われている。鶏肉を使い材料を油で炒めてから煮るのに対してかたや煮しめは、関西の料理で炒めることはないのと必ずしも鶏肉を使わない。

うーむ、それでは筑前煮では必ずしも電気圧力鍋の出番がないのである。まあ自分流で美味しく出来上がれば良いのであるが、料理の世界もなかなか奥が深い。

今回は水煮の筑前煮の元、肉の補充用!に鶏肉の味付き団子を加えたのでプチゲテモノ風の料理になってしまったが、味は意外と良かった。ただこれも味付きの里いもを煮込んだのでぬめりが結構出て筑前煮本来のサラっとした仕上がりにならなかった。

大好きな筑前煮なので初心に帰って地道な具材調達と正統派の料理法で今後も続けるつもりだ。今回も具材が多すぎたので大量に出来てしまったため一部は冷凍して朝食OR昼食用に10日ほどで食べる予定だ!


↓今日作った筑前煮は量の多い里芋のぬめりが出過ぎてべちゃべちゃで失敗・・また具材の量が多すぎた。10日かかって食べる?・・半分冷凍にする?

 ➡︎ 訂正です。クラシルの記事を見ていたら筑前煮はクッキングペーパーで落とし蓋をして混ぜずに途中で一度室温まで冷まして味を具材に染み込ませ、また中火で再加熱してだし汁を丁寧に具材に汁が無くなるまでお玉でかけてやることが美味しく仕上げるコツだそうです。混ぜると里芋が崩れてベチャベチャになった原因でした。orz







何と田舎のわが駅にもJRのシェアオフィスが出現!

2021-12-24 10:07:59 | ニュース
JR総武線新検見川駅にもシェアオフィスが!!!

隣の稲毛駅ならともかく乗降客の少ない新検見川駅にもできた。こんな場所で採算が取れるのだろうかと大きなお世話だが心配する。というのは、JRのコンビニと近年改装された喫茶店は客入りはまあまあなので今後も採算は取れるビジネスだろう。

シェアオフィスがあった場所はかって蕎麦屋やてんぷらの「てんや」があったのだがすべて5年と持たなかった思い出がある。駅の前にあった唯一の三井住友銀行も最近閉店して駅構内のATM設置になってしまったばかりである。

空いたスペースを遊ばせておくわけにはいかないというJRの懐事情が見えるようだ。あと交通系カードのスイカが入場券代わりに使えるようになったと案内が出ていた。


↓駅構内に新設されたシェアオフィス、さあ、今後どの程度利用されるか見ものだが横を通り抜ける人の視線が気になって入りにくい印象があるが結果はどうなるか?









↓JRのパンフレット



↓入場券にスイカOKの案内



懐かしの市川市役所新庁舎界隈散策

2021-12-22 09:52:00 | 地理・歴史・社会
2006年から4年間を非常勤職員として過ごした日々ももう遠い過去の思い出になっているが、もう退職しているはずの昔のあの課長さんや部長さんは今どうしているだろうかと思うときがある。

当時勤務していた頃は革新的な医者出身の「千葉」市長(名前が千葉なのにいちかわ市長とはこれ如何に!)は公用車を廃止したり部長の個室を廃止したり、当時としてはまだ目新しかった公共団体として情報セキュリティ監査の資格を得た有名な自治体であった。

わたしはその監査のための補助要員として情報政策部に配属されて4年間勤務したのである。監査以外にも市役所の情報管理委託業者の作ったシステムの種類を個別管理するソフトを開発して運用していたので市の電算業務がよく把握できていた。ネットワークの管理や古い基幹業務も常駐している富士通のSEから学ぶこともできた。

その市役所が長年のオンボロ!庁舎を職員市民の念願がかなって1年半ほど前に第1庁舎と第2庁舎が立替えられたのである。早く見学がてら見に行きたいと思っていたが、予想外の入院2回で散策が延び延びになっていた。

昨日は12月でも暖かい日和であったので思い切ってリハビリがてらの見学散策を実施したのである。前評判どおり革新的な第1庁舎(本庁舎)のデザイン思想は行ってこの目で見たらやはり素晴らしい近未来的で市民の利便性を考慮した市役所と言えるものだった。

また我が家の住む千葉市役所の本庁舎も相当オンボロ(失礼)だが仕事でいろいろお世話になった自治体でもあるので現在すでに立替工事が始まったのは嬉しい。市川市役所の庁舎のような思想を取り入れてくれると市民も有難いだろう。竣工予定は約3年後の令和7年1月となっている。

以下はJR本八幡駅と京成八幡駅を中心として庁舎を散策したときの写真と案内パンフレットである。またリハビリがてら歩いたスマートウォッチの健康記録も参考のために掲載した。


↓2019年3月の市川市第1庁舎建設中の写真(看板)



↓第1庁舎の俯瞰写真(GoogleMaps)









↓国道沿いにある第1庁舎は工事中は周辺が狭いスペースで苦労していたと思う。




↓第1庁舎裏の京成電鉄の踏切




↓竹林のある不知火神社



↓第1庁舎内の様子、天井は露出形で建設費を抑えたのかも! 事務室は6人一緒のOAデスクにゲーミングチェアの様な腰に負担の無い椅子が採用されている。部署によっては円陣のスタイルの配置もあり全体的に解放感に溢れているが、セキュリティを配慮する部署は市民や業者が簡単には入れないようになっていた。



↓京成電鉄の線路側が斜めに切り落とされ植物が植えられた奇抜なデザインが目印でその中は明るい庁内が拡がっている。




↓最上階の7階は職員や来庁者の休憩室になっているが伝統の食堂は廃止された。この下の階は市議会になっている。ガラス越しに見ることができる。




↓展示中の永井荷風の書斎 ・・・まあ、あまり誉められた人生とは言えないが波乱の人生を歩んで最後の食事は当方と同じ好物のカツ丼で死ぬとは!


永井荷風*******************************
1957年(78歳)、市川市八幡町四丁目(現八幡三丁目)に転居、これが彼の終の棲家となる。~1959年4月30日朝、自宅で遺体で見付かった。通いの手伝い婦が血を吐いて倒れているのを見つけ、最後の食事は大黒屋のかつ丼で血の中に飯粒が混ざっていた。胃潰瘍に伴う吐血による心臓麻痺と診断された。傍らに置かれたボストンバッグには常に持ち歩いた土地の権利証、預金通帳、文化勲章など全財産があった。中身の通帳の額面は総額2334万円を超えており[28]、他に現金31万円余が入れられていた[29]。
(出典:Wikipedia)
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↓第1庁舎の裏側にある葛飾八幡宮は、千葉県市川市にある神社で、八幡宮の1つ。~八幡の町名の由来となる場所である。(出典:Wikipedia)



↓随神門の随神(随身)




↓葛飾八幡宮の本殿と脇にある千本公孫樹 [国指定天然記念物]・・・立派で千葉市の千葉寺にある大銀杏を思い出す。





↓葛飾八幡宮の境内社、厳島社で宗像三神を祀ります。



↓八幡宮境内にある市川市八幡分庁舎




↓京成八幡駅周辺、ターミナルシティ内のガストでランチ休憩した。






↓JR本八幡駅に戻って来た。本庁舎とは線路を挟んで反対側の駅前に2006年から勤務していた市川市役所の情報政策部がある。重要なコンピューター室も今でもここにあるようだ。周辺にはこのようなタワーマンションがいくつも建てられている。都営新宿線の始発駅がここ本八幡駅なので都内に通う勤労者の住家となっている。





↓市川市の第2庁舎、JR本八幡駅からはかなり離れていて不便な場所であるが以前から所有していた土地である。本来は京成八幡駅裏の第1庁舎と合同で大きな庁舎が建設できれば良かったのだが諸事情で叶うことがなかった。



↓この日のリハビリ散策の運動量は下記のとおり、1日で約14,000歩、消費カロリーは630kcol、歩いた距離は2.57+2.61=5.2kmである。昼にガストランチして午後3時に駅のタリーズコーヒーでコーヒーと甘いものを食べた。大した距離は歩いてないが役所内をよたよた歩いて立ちんぼうの時間が長いので結構疲れた。でも昨夜はぐっすり眠れたので現在は回復した。





※4~5種類の衛星による位置計測は相変わらず非常に正確であり素晴らしい!
 ●スマートウォッチ:シャオミMIウォッチ
 ●同期するスマホ:OPPO Reno3A


♪♪ 当方の年内外出はたぶんこれでおしまい、元気なシニアの方はまだコロナ禍が再発する前にお泊りの旅行など楽しまれる方も多いことだろう。(#^^#)

脊柱管狭窄症とは???

2021-12-19 10:00:36 | 医療・介護
今日ドコモマガジンで配信された記事のうちこれは分りやすいと永久保存版にした記事である。

週間現代は通常は連載漫画を読むのが楽しみであるが、病気に関する記事も最近は高齢者が増えた日本では編集記事に採用されることが多いようだ。

標題の病名の読み方は「せきちゅうかん・きょうさくしょう」である。たぶん読めるが自分で漢字で書けと言われると書けない。

今回の週間現代の記事は「プレミアム」となっているので臨時増刊なのかもしれないが、著作権侵害に当たらない程度で記事を引用させてもらった。

実は我が身も約50年前にこの「脊柱管狭窄症」で入院治療した経験があるので古くからの付き合いとも言えるのである。 病名は「椎間板ヘルニア」である。

20代はコンピューター業界で徹夜残業が当り前の世界に住んでいて27歳の婚約中に発症した。洗面所で顔を洗っていてギクッとやったのである。そのときは約1週間ほど仕事を休んだと思った。会社の同僚には「婚約者に何か悪いことをやったんだろう!」といじられたものだ。(^^;

ところで今回の週間現代の記事には体系的に整理された図形を駆使した表現で記事がかかれており大変分かりやすい。6月に骨折で入院してから今までいろいろネットで骨折や腰痛に関する情報を集めていたがこれは一番永久保存版情報にしていいなと感じた。

最近団地の住人で同じ階段に住む80代の男性が杖をついて奥様の介助で歩いているのを見た。あとで尋ねたらやはり腰痛らしい。骨折したのかもしれないが奥様の話では長期の入院をきらって自宅で療養中だそうである。

他も骨粗しょう症で胸椎を何本か折って入院した奥様もいる。80歳台だと骨粗しょう症で入院する例が多いようだ。

今回の週間現代の記事も病気にならないための予防策はたくさん紹介されている。我が身がリハビリ病院でこってりと訓練された体幹を鍛える「ドローイン」というリハビリ体操?も紹介されていた。

以下は記事の一部である。


















人生最後の高齢者講習で感無量! (2021/12/16)

2021-12-17 10:02:10 | ニュース
人生最後の高齢者講習で感無量!



この標題は決して誇張ではない。思えば自動車運転免許を最初に取得した18歳の高校3年生の時から約60年の歳月が流れたのである。

人生最初に運転した機会は、大学時代に世田谷のラジオ組立工場でアルバイトをした時に乗ったトヨタパブリカ(800CC?)だった。当時トヨタの開発した国民車というお膳立てで運転しやすく品質もよく安価で買えたため人気が出た。その時は工場長の命令でお客様の送迎をしたので自分が免許取り立てで危ないことをしていた。むろん無事お客様を駅まで送ってゆくことができた。 (^^;

ところで今回受けた2時間の高齢者講習であるが、まあまあの成績だったので安心している。ただしその前の認知症検査は11月末に受けたが76点取れずに今回3,500円余計に払って1時間の追加講習となっていた。10名ほどの受講者のうち自分を含めて4名が追加講習を受けた。追加講習のない人は2時間で先に解散となった。

実車の講習は3年前と同じくハンドルが重く出足は強いタクシー仕様のトヨタコンフォートだった。以前にも思ったことだが実際に教習に使われているトヨタカローラ・アクシオと比べて古く運転しにくいのである。腕力のない高齢の女性には特に切り返しのある車庫入れで不向きだと思った。

それはともかく今回の実車の運転は、毎日運転していることも多かったことや、教習所のコースも毎回見慣れた場所なので特に問題なし。3年前は3名同時乗車で交代していたが今回は1人づつ個別に乗車して約20分の講習に変わっていた。

まあ、これでもうこの教習所にはくることもないだろう。2年後の80歳過ぎになったら免許返納を考えているからである。思えば千葉に移り住んでから妻の免許取得もこの稲毛教習所で行っているので夫婦で長くお世話になった。

あとは来年3月あたりで幕張の免許センターに赴いて人生最後の運転免許更新を受けるだけである。

高齢者講習の内容は下記の画像を見てもらうとわかるが自分の特に視力の検査結果で3年前より悪くなっているか自覚することができる。たぶん3年年前と大きくは変わっていないと感じた。






終の棲家20年の歴史に思うこと

2021-12-15 14:47:24 | 衣食住
先日ポストに来年再来年に行われる団地の大規模修繕工事について明日から開かれる説明会資料が届けられた。場所は来年で築50年を迎える1972年築の旧住宅公団分譲マンションさつきが丘西住宅である。

再来年は我が家が資産相続で引きついた両親のマンションに移り住んでからもう満20年になるのである。そこでこの20年の改修履歴を追ってみることにした。

●1972/12~ 父母と同じタイミングで東京から住宅公団さつきが丘賃貸住宅に引っ越してきた。当時我が家は新婚後だった。~ 25年経過 ~ その後民間戸建賃貸に4年住む。

●2003/6~ 父母の遺産を受け継いで西住宅に移転。ハーフ・リフォームして入居した。結局ここが終の棲家になった!

●2006/9~2007/1 外壁塗装や階段とベランダ防水被膜施工、郵便ポストの交換等

●2018/2~7   給水管と排水管全面交換工事(共用+専用)・・・外壁塗装は2022年以降に延期

●2022/10~2023/5(予定) 外壁塗装、屋上防水膜貼替、玄関扉の交換、階段灯のLED化等

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上記の改修歴史のうち最も住民に負担がかかったのは2018/2以降の大規模改修で8日間の在宅義務と騒音粉塵災害!で我が家は6月下旬の蒸し暑い時期に工事となったので夫婦共々疲労困憊した。

工事開始前の事前の家具移動が大変だった。1か月前から少しづつ仮移動させて工事終了後はまた元の配置に戻したのである。

水回りの改修でトイレ、洗濯機置場、洗面所の床は剥いで30㎜床が嵩上げされた。風呂場の給湯器はすでに耐用年数の10年をすぎて15年に達していたので渡りに舟で給湯器の全面交換と台所リモコン追加、不便だった洗面所も広い機種に交換した。

今後自分が生きている間はもう大規模修繕はないだろう。再来年の春には爽やかなさつき晴れのうちに美しく蘇った!マンションになっていることだろう。(^^;


↓東京から千葉県へ最初に移り住んだのは、補欠でようやく当たった住宅公団の賃貸住宅、このころ東京の高島平団地は都内とあって抽選が異常な高倍率の人気団地だった。千葉に来たけどバスの便も国鉄の運行本数も当時は少なく移転当初はとても不便な場所だったのである。




↓父母が持っていた東住宅分譲マンションの第3次追加募集パンフレット、当時の分譲価格は78㎡3LDKで約600万円台だった。




↓父母の家を相続して最初の大規模修繕、2006年の秋ごろだった。階段は美しい滑り止めの付いた樹脂を貼ったものでベランダも同じ素材でカバーされ気持ちが良かった。



↓歴代一番大掛かりだった大規模改修工事は、入院前で良かったと思うほど準備も含めて大変だった。説明会は全部で4回開催され最後の説明会で予想外の水回り床嵩上げバリアフリー化の設計変更が発表された。この辺の事情は3年前の当ブログで紹介させていただいた。




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↓明後日以降で交代の説明会が始まる来年~再来年の大規模修繕工事の案内資料 ***********************

















                   以上


11月は人生いろいろ、タブレットもいろいろ!だった。

2021-12-03 11:30:06 | コンピューター関連
病気でもなかったのにここ1か月自分のブログ更新をさぼっていた。(+_+)




■10月は義理の母が亡くなって葬儀も終り妻が義理の兄と残務整理を始めた月だった。納骨は無事先月下旬に済んだ。

我が身は、6月の骨折入院からすでに半年が過ぎようとしてしている。その体感速度はまさに「光陰矢の如し」である。

ブログをさぼっていたこの1か月自分は何をしていたのだろうか。行動活発な親友の一人はは毎週マイカーで外出していたが、我が身は?

カレンダーをみると一応いろいろ動いてはいたが、楽しかったイベントは11月中旬にコロナ禍で延期していた1年半ぶりの親友たちとの美術館見学+会食会だった。

あとは、単身で秋葉原散策、久しぶりの洗車とワックス掛け、入院の共済金還付請求で30万円ほど入金あり、親友、妹とのZOOMミーティング、妻のタブレット新調のためにヨドバシカメラに赴いたこと。

そして11月末は山場の運転免許更新の第一弾である認知症検査だった。しかし、脳細胞が劣化しているらしく試験勉強したのに76点が取れなくて第2レベル合格?で12月中旬の高齢者講習では追加講習が決まった。"(-""-)"

何だかんだで11月だけでも高校時代に好きだった島倉千代子の歌のようにプチ「人生いろいろ」だった。

※ 「・・・人生いろいろ男もいろいろ、女だっていろいろ咲き乱れるの・・・」TBSが同局で放送したテレビドラマ『三どしま』の主題歌制作を日音に依頼して制作された楽曲で島倉の代表曲でもある。・・・2004年には、当時内閣総理大臣の小泉純一郎が衆議院決算行政監視委員会で、民主党岡田克也の質疑に対して「人生いろいろ、会社もいろいろ、社員もいろいろ」と、本曲を使って答弁した。(出典:Wikipedia)

12月に入って日本のコロナ禍はウソみたいに沈静化している。しかし、これで年末年始は東京で一人暮らしをしている末の妹と久しぶりに会えるかなと思っていたら、アフリカで新しいコロナ株「オミクロン変異株」が見つかって日本も入国禁止措置になりかけた。

このオミクロン変異株は、WHO(世界保健機関)がギリシャ文字の順番で2つ飛ばして決められたと報じられている。順番としては「ニュー」「クサイ」だが「Nuは『new』と混同されやすい。Xiは一般的な姓であることから使用しなかった」。

発音は異なるものの、ギリシャ文字のXiは、中国の習近平(Xi Jinping、シーチンピン)国家主席の姓と似ている。・・・

※習近平(しゅう きんぺい、簡体字: 习近平、英語: Xi Jinping、拼音: Xí Jìnpíng、シー・ジンピン、シー・チンピン・・・(出典:Wikipedia)

なるほど、名前を決める人もここでも「人生いろいろ」だったようだ。!!

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■前置きが長くなってしまったが、今回の話題は、愛用していたファーウェイの10インチタブレットが壊れてしまったことでアップルのタブレットに乗り換えた経験談である。今年は入院で医療費がかかってなおかつ、愛用のOPPOスマホが半年で壊れて買い直し、今回はタブレットまで壊れて買い直し、Made in chinaの威光は地に落ちてしまった。"(-""-)"

ファーウェイのタブレットはまだ3年しか使用していなかった。あと1~2年は電池も大丈夫だったはずなのだが! それが何と言うことでしょう!!急にリチウムイオン電池が膨らんできて筐体がぱっくり割れてきたのである。

しかし起動は正常に行われるので電池交換だけすればいいのだが、近年はその費用が高額なのである。いずれは残りの部品も劣化してトラブルを起こす可能性は高くここはやはり新規で新しい機種に交換しておいた方が間違いない。

ここで不思議だったのは、当方の古いタブレットが故障する直前に何と妻から新しいiPADを買いたいと言い出したのである。まだ電池のふくらみが始まりかけた時だった。以心伝心という諺があるがまさにピッタリ当てはまったのである。ちなみに妻は聖書の宗教団体でオンライン集会と学習資料の収集勉強に使うIPADを2世代所有しており今回買えば3台めになる。

そこでなじみのヨドバシカメラ千葉店に買いにゆくことになり、この際当方がアップルのIOSの操作法をついでに習得するために当方と妻の分2台同じものを調達することにしたのである。

将来のことを考えて CPUが早いIPAD Air4の機種にしたのでかなり出費だったがこれは正解だった。後日実機を操作してペンの文字書きや画面遷移が評判どおりキビキビ動くのと自分がIOS15.1の操作法を勉強しながら妻の操作習得にいろいろ協力する羽目になったからである。

安価な無印iPad を薦める記事は多いが、ここはやはり液晶画面が格段に美しいiPad Airと追従性の高いペンや画面遷移の速さは眼精疲労の低減につながる良さを選んだ。

今回購入したiPad Airは接続ケーブルが今や世界標準と言ってもよいAndroidスマホやタブレットと同等のUSBタイプC型を採用している。いずれ無印のiPad を含め残りのアップル製品も独自のライトニングケーブルを捨ててUSBタイプCに変わることが決まっているので廉価版のiPadはやめたのである。

長い間、AndoroidタブレットでAsus Nexus7、SONY Xperia Z2、ファーウェイ MediaPad M5 Proと乗り継いできたのでアップルタブレットの操作と設定は分からないことが多かった。でも何とか不便に感じる操作も指使いのコツがわかってきて今は「住めば都」になりつつある。

ただし外部機器とのデータのやり取りは相変わらず当初の設計理念のとおりApple指定業者の作成するアプリを通してでないとファイルにアクセスすることはできないので不便である。セキュリティ管理上厳しくしているのであるがWindowsやAndoroid OSのように自由にファイル管理機能でデータを移し替えることができないのである。

そこでWindows10環境やAndoroid機器とのUSBによるデータ交換は、Windows版の無料「AnyTrans」というソフトを使ってWindows10上でIPADとUSB接続して使っている。使い勝手はまあまあで同様なソフトは他にもたくさんある。無料版はデータ移行やバックアップ機能がないがないだけで十分使える。

慣れていればDropboxやiCroud等のクラウドベースでやり取りするのも良い。ちなみに「AnyTrans」アプリは他にIOS版とAndroid版がありそれぞれ別アプリになっている。



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●↓リチウム電池のふくらみで筐体が割れたタブレット、まだ正常作動していた。





●↓ファーウェイタブレットの最後の画面記録











●↓近年のiPhone と同じくホームボタンがなくなった新しいApple iPAD Air4(第4世代)ケースと外観





●↓IPADとWindows10とのデータの送受信に使うWindows10ソフト「AnyTrans」




●↓久しぶりのApple製品はやはり操作方法がAndroidとかなり違うので迷う。(iOS15.1)






※続きの話はまた後日に?