憩いの森

安らぎと憩いを求めて!

難聴生活その後

2022-03-12 09:58:53 | 医療・介護
思えば難聴者になったと気づかされたきっかけは、いろいろ調べてみると時を遡ること東日本大震災が起きる前、12年前の2010年夏頃だった。年齢はまだ66歳だったのである。その頃勤務していた国立行政法人の団体でやった健康診断だった。判定は片耳が軽度難聴だった。

今でもそうだが人間ドックを含む団体検診では時間のかかる難聴検査は中音と高音の2つの周波数で耳の感度を調べるだけにしか過ぎないが、この時点で要精密検査と判断されると実際はもうかなり聞こえが悪くなっているのである。

その後最初の補聴器OMRON AK-04を使い始めたのは、ずっと時が過ぎて2018年3月で73歳だった。つまり難聴と分かってから7年以上も後のことだった。難聴になって自分の声が大きくなる難聴者の癖が職場で問題になってうるさいと叱られた歴史もある。でもまあ、実際問題としてまだ仕事をするのに難聴である不都合があまり顕在化しなかったので補聴器採用が遅くなったと言える。ただし妻の意思の疎通が問題になっていたけど!!

現在は77歳だがその後は難聴が加速して後で述べる進んだ感音性難聴も引き起こしてしまい両耳で100万円もする高価な補聴器を持ってしても対応できない難聴になってしまったのである。妻は当方との意思の疎通を図るためにメモに書いてよこすのが日課になった。

書いてはすぐに消せる電子ボードも買ったが見えにくいという妻の不満で中止になった。耳鼻科の医者は奥様にゆっくり喋ってもらうようにしたら?とアドバイスを受けているが妻はそんな面倒なことはできないと実現していない。

昨年の骨折入院2か月の時は古い耳穴式の補聴器を再利用してそのまま現在まで使っていたが電池の寿命もあるので1年半前に買った新しい耳掛け型の補聴器に戻して使用している。コロナ禍が続く今もマスクをはずすときによく補聴器が耳から外れて落ちてしまうので気を付けてはいるが、やはり中度難聴用に作られているので感度は良く耳穴式の軽度難聴用機種と比べてよく聴こえる。感度が低い耳穴式の補聴器も予備用としてまた入院した時には取り扱いが便利で重宝するので使い分けしたい。

今回は自分の難聴履歴を整理するつもりで過去に掲載したブログ記事を引用して思い起こしたい。閲覧している方にも少しは参考になれば幸いである。

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↓2019年に購入した補聴器はまだAMAZONや楽天で販売されていた。いわゆる眼鏡屋で扱う高価な純正機種とは違うが探せば安くてもまあまあ使える外国品は多いので貧乏な年金生活にとっては有難い。ただし難聴の知識はよく知っておくことが求められるので体験もしないで難聴の親に薦めることはやめた方が良い。事情が分からない健常者が難聴者に推薦するのはこの世界では結構難しいのである。



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↓補聴器OMRON AK-04はアナログ式だが音質もよく価格も安かったが後日片耳だけ故障?してデジタル式の機種を購入することになった、価格はアナログ式の倍だった。


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↓難聴が中度まで進んで妻の不満が募ってきたので2019年11月に安いが高感度の機種を探してこれになった。




↓タブレットの楽器再生アプリでドレミの和音がちゃんと聞こえなくなり補聴器の業者にも相談したがいわゆる「感音性難聴」になってしまった場合はもう高価な補聴器を使っても対応はできないことを知った。音が耳に入ってきて鼓膜から蝸牛の中にあるコルチ器に入って聴覚神経を通して脳の聴覚野に入るまでに音程も狂ってしまうらしい。残念だが現代医学では治せないとのこと。




昔からレコード所有者として音楽鑑賞の楽しみが趣味だったのに現在は全く疎遠になってしまった。特に好きだったバロック音楽でビバルディの四季のレコードは演奏者の違うレコードを聴き比べていた時代が花だった。今はオーケストラの楽器は高調波が多いのでギャーギャーと雑音としてしか聞こえず残念だ。好きな歌手の音程が狂って人間の声域が小さくしか聞こえず、低音の太い音はよく聴こえるが濁って聴こえる。楽器らしく聴こえる唯一救われるのはピアノのソロ演奏だけである。

今時点で自分の耳が健常者だったら、たぶんハイレゾ音楽に傾注していたことだろう。大学時代は音響工学にも関心があったので50Hz~20,000サイクル(現在はヘルツ)の正確な周波数を記録した検定レコード?のようなものも持っていたのである。高価な米国製レコードだった。

音楽の趣味だけは復活させて欲しいと願う爺さんでした。"(-""-)"

花見川団地と花島公園リハビリサイクリング

2022-01-24 16:33:16 | 医療・介護
昔妹や母が一時住んでいた花見川団地に行ってみたくなったので天候が回復したのを見ておもむろに自転車でサイクリングに出かけた。



↓さつきが丘団地を出て旧陸軍鉄道連隊が使った道を花見川団地方向の北へ向かう。





↓近年できたKDDIの携帯電話基地局、KDDIの鉄塔はさつきが丘団地の西側にもあった。





↓このバス停のそばにかっては大きなパチンコセンターがあったのだが遠い昔に閉鎖、今は近隣のヤマト運輸が従業員用の駐車場に使っているようだ。奥に見える鉄塔はKDDIの基地局である。この界隈はこの40年いろいろ企業や店の変遷が激しい。





↓御成り街道の天戸大橋へ




↓花見川団地へ



↓介護施設では老舗の特別養護老人ホームの晴山苑




↓かっては母親が入院していた最成病院から花見川に降りてゆく道路がある。





↓花見川沿いに歩ける花島公園は市民の憩いの場である。面積もかなりあり入口に近い方には井戸水から流れるせせらぎも作られているので夏場は子供連れの家族で賑わう。









↓昔の花島橋は歩道がなくて車がくると恐ろしい場所だった。写真に写ってはいないが現在は左側に別途歩道が作られているので安全だ。




↓花島公園にはレンタル自転車があるので花見川サイクリング道路を下って幕張メッセの近くに行くこともできる。




↓最成病院と並んで花見川団地の中核病院である老舗の平山病院



↓帰路に就く前にマクドナルド花見川店でランチ休憩、200円のちょいマックと100円コーヒーで疲れを癒す。






↓さつきが丘団地につながる花見川大橋は、元々旧陸軍の鉄道連隊が線路敷設の訓練に使っていたルート上にある。






↓広尾十字路脇にあった巨大なパチンコセンターの跡地に巨大倉庫会社ができるようだ。近隣では別のパチンコセンターも閉店して近くのヤマト運輸が従業員用駐車場として使っている。近くに巨大団地があったのに住民の高齢化のせいでパチンコ人口が急減したのだろうか?




↓何だかんだで13km近くも俳諧してしまったが、途中で1時間のマクドナルド休憩もあってあまり疲れはなかった。自転車を押して歩いていた時間が多いように思ったがスマートウォッチの歩数計は今日1日でわずか1400歩となっていた。そんなものか?




活用していなかったリハビリの補助具の復帰と最近のセブンイレブンの冷凍食品

2022-01-20 13:10:12 | 医療・介護
骨折入院後のリハビリは順調に継続中です。標題が少し意味不明で申し訳ない。

まず、数年以上も前に買ってすっかり3日坊主になっていた運動用具の1kg×2のダンベルと1kgの足首に巻くおもり(リストウェイトと呼ぶようだ)の話題である。このうち、実際にリハビリ病院(富家千葉病院)でも同じおもりを足首に巻いて階段の登り降りをやっていた。

若い理学療法士のお兄さんやお姉さんは、倍のおもりである2kg×2を付けてわたしと同じく階段を登り降りするリハビリに付き合ってくれたものである。

理学療法士が寝て筋肉をもんだりしてくれている時は自分の両手が空いているので脚に巻く1kgのダンベルを両手に持って顔の上で上げ下げしていた。退院したら自宅にすでにあったこの道具を使うつもりだったが、いつもの怠け癖でとうとうズルズルと復活が遅くなってしまっていたのである。回復状況が良好なことが分かったのでそろそろ元に戻さねばいけない。

今日は昼頃に「秦運動具工業 リズミーファイター」 →訂正「メーカー不明!リストウェイトの1kg ×2を付けて買い物に出かけた。遠くのマルエツ迄行くつもりだったが途中で息切れして途中にあるいつものセブンイレブン店で何か弁当を買おうと思った。

すると塩分取り過ぎにならないために買っていなかったラーメンの冷凍食品が目に入った。すると野菜や焼き豚の具材付きなのに税込みで価格がたったの¥213、これは安い!一度食べてみようと思って購入した。最近のコンビニ食品はヒット商品が沢山生まれていると雑誌などで見ていたのであまりコンビニを使わないオジサンが試してみることにした。

ちなみにセブンイレブンで最近好物なのは昔の顧客が製造している牛丼弁当と牛皿(冷凍)、そして牛カルビー(冷凍)である。早速帰宅してレンジでチンするだけでできたラーメンを試食した。

結果は200円台でこの内容と味は素晴らしいと思った。ただし、2年前の心筋梗塞再発を考えて塩分の多いスープはうまいが残念ながら半分を捨てて終りにした。でも満足な一品だった。また牛肉類と同じく家計に響かない程度でときどき買ってこようと思っている。


↓足に付けて負荷をかけたウォーキングのできるおもり(リストウェイト)1kg×2、自宅でも外さずに寝るまでこのまま使用する。




↓エレガントなデザインで持ちやすいダンベル、1kg×2



↓セブンイレブンの冷凍ラーメン、出来上がりの写真、量は少ないものの焼き豚とほうれんそうが付いているのでレンジでチンしてすぐに食べられる。



愉しみとリハビリの共存を目指す。?

2022-01-14 09:54:54 | 医療・介護
辞書では
>楽しむ・・・与えられたこと(物理的に)に対して楽しく過ごすこと。
>愉しむ・・・自分自身の気持ち、思いから感じ生まれるたのしい状態。
らしい。



先日は千葉市花の美術館(三陽メディアフラワーミュージアム)のレストランで会食会を行った。オミクロン株の猛威が迫ってきて急遽強硬実施したものだった。

親友の自宅がそこに近いのでわが団地の自宅から海岸側へ愛用のママチャリ自転車で7km、リハビリのためのんびり行くので所要時間は約50分でさほど疲労はしない。ちなみに当方は10年?程前に膝関節炎を患ったとき整形外科で自転車を漕ぐリハビリをやっていた。

さらに昨年の腰骨の骨折でやはり有酸素運動でもあるフィットネスバイクで階段の登り降りと併用でリハビリを続けていたのでその延長でもある。つまりリアルバイクでの運動であるがこれが自分には向いている。

友人の近くの7-11店内で暖まりながら朝のコーヒーを飲むのも楽しい。場合によってはクッキーのような甘味物も食べることがある。いずれにしても何か楽しみとセットで行うリハビリ(当方の場合は心臓病と骨折での入院筋肉退化を治療するためである)は継続できるために大いに役だっている。

↓友人宅までサイクリングした片道記録(往復で14km) 下記の記録は稲毛海岸駅に少し戻った距離まで含まれているので片道の距離はほぼ7kmである。当日の天気は快晴だったが帰りが予定より夕方になって寒風で手袋が冷えて辛かった。



脊柱管狭窄症とは???

2021-12-19 10:00:36 | 医療・介護
今日ドコモマガジンで配信された記事のうちこれは分りやすいと永久保存版にした記事である。

週間現代は通常は連載漫画を読むのが楽しみであるが、病気に関する記事も最近は高齢者が増えた日本では編集記事に採用されることが多いようだ。

標題の病名の読み方は「せきちゅうかん・きょうさくしょう」である。たぶん読めるが自分で漢字で書けと言われると書けない。

今回の週間現代の記事は「プレミアム」となっているので臨時増刊なのかもしれないが、著作権侵害に当たらない程度で記事を引用させてもらった。

実は我が身も約50年前にこの「脊柱管狭窄症」で入院治療した経験があるので古くからの付き合いとも言えるのである。 病名は「椎間板ヘルニア」である。

20代はコンピューター業界で徹夜残業が当り前の世界に住んでいて27歳の婚約中に発症した。洗面所で顔を洗っていてギクッとやったのである。そのときは約1週間ほど仕事を休んだと思った。会社の同僚には「婚約者に何か悪いことをやったんだろう!」といじられたものだ。(^^;

ところで今回の週間現代の記事には体系的に整理された図形を駆使した表現で記事がかかれており大変分かりやすい。6月に骨折で入院してから今までいろいろネットで骨折や腰痛に関する情報を集めていたがこれは一番永久保存版情報にしていいなと感じた。

最近団地の住人で同じ階段に住む80代の男性が杖をついて奥様の介助で歩いているのを見た。あとで尋ねたらやはり腰痛らしい。骨折したのかもしれないが奥様の話では長期の入院をきらって自宅で療養中だそうである。

他も骨粗しょう症で胸椎を何本か折って入院した奥様もいる。80歳台だと骨粗しょう症で入院する例が多いようだ。

今回の週間現代の記事も病気にならないための予防策はたくさん紹介されている。我が身がリハビリ病院でこってりと訓練された体幹を鍛える「ドローイン」というリハビリ体操?も紹介されていた。

以下は記事の一部である。


















リハビリ・サイクリングで入院証明書を受け取りに?

2021-11-01 18:19:52 | 医療・介護
今朝は早朝から地震警報で起こされてしまった。千葉市は震度3で特に問題なし。!

朝10時前に富家千葉病院から電話がありかねてから申請していた入院証明書ができたそうなので早速愛用自転車で出かけた。今日は寒くもなし眩しくもなしでリハビリを兼ねたサイクリングには好都合だ。

入院証明書はもう一つの青葉病院の分は先週受け取りにいったのでこれで県民共済へ申請する保険還付請求書に必要な2病院で32日の入院証明書が揃った。帰宅後申請資料をチェックしてコピーを取った。明日郵送する予定である。〇〇万円の保険金がいずれ振り込まれて物入りで懐が寒かったのが解消できるのは有難い。

ところで青葉病院からは10月以降の自転車利用許可が出ていたので買い物から利用開始した。やはり徒歩だけでは団地のスーパーでの買い物程度ならいいが遠い店に行くとなると荷物が重いとやはりきつい。自転車だと5km程度のお出かけは体力的にも無理ながなくちょうど良いのである。

今回の用事も片道5km程度であった。実は10月29日も人間ドックを受けた山王病院に追加の検便を届けに行ってその帰り道に近くにあった富家千葉病院に証明書が出来ているか立ち寄ったが体力的には何も問題なかった。ちなみに書類の出来上がりは青葉病院は2週間、富家千葉病院は3週間かかった。

富家千葉病院から帰宅するには、国道16号線の千葉北警察署を通り千葉市北清掃工場から花見川消防署を抜けて帰るのが近い。途中には桜並木や50年前と変わらない農家、神社、仏閣、田畑の風景が広がっていて現役世代を離れた現在では改めて見ると懐かしい景色に感じる。昔の景色がそのまま残っているのは今見ると有難い。


↓3日前のサイクリング履歴、千葉北高校~国道16号~長沼原交差点~山王病院~富家千葉病院~千葉北警察署~千葉市北清掃工場~花見川消防署



↓今日(11/1)のサイクリング履歴、三角町~犢橋公園~千葉北警察署~富家千葉病院~北警察署~清掃工場~花見川消防署



↓千葉市北清掃工場、手前はコンビニのミニストップである。工場には温水プールがあり昔は孫を連れてきたこともある。


↓清掃工場の脇にある桜並木、この先には花見川消防署がある。



↓近年にできた花見川消防署



↓反対側から見た花見川消防署には災害訓練用の鉄塔が設置されている。右側の遠くには千葉北清掃工場の煙突が見える。



↓さつきが丘団地の近くには東関東自動車道や昔から変わらない田畑と耕作放棄された?水田風景が広がっている。遠くには親友が通っているゴルフ練習場も見える。



退院後の人間ドック、昼食レストランから見たものは?

2021-10-28 17:45:05 | 医療・介護


今年も今は恒例となった夫婦での人間ドック受診、今日は雨上がりの秋晴れで山王病院10F展望レストランからの景色は一段と素晴らしかった。年一度なので受診当日に遠くまでくっきりと見える機会はなかなか少ない。

料理は写真にあるとおり人間ドック専用和食で毎年同じ美しい出来上がりでこれを食べるのが楽しみで山王病院にくるという人が多いそうだ。特に巨大エビフライはこれだけで腹一杯になりそうで実にうまい。

最後にコーヒー等の飲み物も付くが種類が多い。ご飯は美味いし量が結構あるのでこれらの食事で今日1日分の栄養は取ってしまった。夕食はなしで今日は1食でOK。

まあ、人間ドックは千葉市の助成金を使うので今は約19,000円程度だが、昔はさらにこの半額の4分の1の費用で済んでいたので家計の助けになっていた。むろん通常の健康診断だけでも良いが検査項目が少ないので夫婦で人間ドック受診をすることにしている。

むろん老後の人間ドックなんて不要という雑誌の記事も多い。人間ドックで金をかけてわざわざ病気を発見してしまうからまだ軽い症状なのに無駄な高額治療をする羽目になるのだ、老後は病気になったらそのとき対応すればよい、癌でも終わりを素直に認める、・・・という考え方である! なるほど!

話は変わるが、今年7月~8月に入院していたリハビリテーション専門の「富家千葉病院」が山王病院の展望レストランから見えていたので料理と共に記念にカメラに収めておいた。

今年6月に不覚の腰椎圧迫骨折で救急搬送され市立青葉病院~富家千葉病院と2か月の手術・療養を受ける羽目になったがこれもまた経験で家庭での実際的なリハビリ方法などの習得で大変役立ったのも事実である。

その長期入院のせいで体重が60.5kgに落ちて身長165cmに対するBMIも22と念願の正常値になっていた。とりあえず長年のメタボ体質からは解放されたのである。その他胃カメラ、肺レントゲン、心電図、内臓エコー、眼底検査も正常であとは後日郵送される血液検査を含む総合診断結果を待つだけである。


↓山王病院の人間ドック受診者専用和食料理


↓山王病院10階展望食堂からの眺望、今日は抜群の快晴で千葉市のゴミ焼却工場など遠くまでよく見えていた。苦節の入院だった富家千葉病院もここから見ることができた。手前に見えている建物は外来棟と看護学校である。



昨日は腰椎骨折手術の退院後の再検査だったが・・・

2021-10-05 17:53:46 | 医療・介護


6月から2つの病院を退院してリハビリ中の我が身もはもう入院から約4か月が過ぎようとしている。昨日は予定通りレントゲンの再検査を受けてきたが幸い問題はなかった。カルシウムを補足する服薬ももらった。

しかし頑張って4kmも歩くリハビリをやったりしたことを話すと途端にお叱りを受けた。まだそんなことができる状況ではないらしくせっかく痛い目をして詰めた骨が砕けたりすると後が面倒なことになるようだ。

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↓ 友人とのブログに投稿した記事
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■先生からお叱りの言葉

上記の執刀医先生のお言葉・・・「歩いてもよいですが、途中で必ず休憩を取るように、まだ骨はコンクリートのように完全には固まっているわけではない。?」はあとでいろいろ入院中の記憶などをたどると、たぶん骨にセメントを注入する手術の前に説明を受けて同意書に署名したに違いないのです。


■手術で挿入した骨セメントは固まるのに時間がかかる??

しかし昨日見せられたセメント骨の硬化速度のグラフ?らしき資料は初めて見たような気がする。それとも見せられてもひどい腰痛でそれどころではなかったのかもしれません。それに難聴の身で先生の話が半分も聞き取れていなかったことも考えられます。


■コルセットは3か月着用,しかい長い時間や大きな負荷を腰にかけると(骨が砕けて?)取り返しがつかなくなる恐れがある。

自分の記憶の中では、リハビリの富家千葉病院の主治医の話でも注入されたセメントが固まるのは手術から3か月であると言われていたのでそれまではコルセットは使うようにとの指示だったと認識していました。

それが10月になってようやくその呪縛から解放される喜びに浸っていたのだが、その前からコルセットを着用義務を守りながら4kmも花見川へ歩き散歩をやっていた。これは先生の話ではダメだったと言わたのと同じだった。


■まず手術から次の節目である半年後の来年1月5日の再検査までは(自制するように)。

ではいつまで待てばいいのか、建築のコンクリートが固まってその中に重量のある内装を作っていっていいのか? コンクリートと違ってその時間がゆっくり進行すると考えなくてはならないようです。

たぶんまだ腰痛が感じられるか、腰に負担がかかりそうな作業の前は自発的にコルセットを一時的に着用することも考えています。

昨日の先生の話では来年1月5日の再検査で手術からちょうど半年、その時までは絶対要注意というものでした。どうやらこの期間の話は手術の時にわたしに話した警告だったらしいのです。


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↑ 友人とのブログに投稿した記事
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もう一度時間をかけてかっての手術の注意事項を記したかなりの量の説明書を読み直してみるつもりである。

骨折入院中のよもやま話(入院費用の話)

2021-09-30 12:15:32 | 医療・介護
今日は喜ばしい話題が2つある。1つは長かった緊急事態宣言も今日で終わりになることだ。もう一つは我が身を締め付けていたコルセットの着用義務が今日までで終わりになることだ。

明日からはコルセットなしでよいことになっているが、実際腰の手術をした患部の痛みはゼロかというと実はまだ若干痛みが残っている。腰を曲げると痛みが感じられる。幸い10月4日に再検査で青葉病院に行くことになっているがレントゲン検査とその後に久しぶりに会う主治医の先生に今後の対応を相談してみるつもりである。

さて本題の件について以下に記した。


●2つの病院を渡り歩いた!入院費用は 約18万円だった。


さて、今回の入院にかかった費用を集計しなければと思いつつも、面倒な作業が嫌でのびのびになっていたが、いよいよ県民共済の保険還付手続きのために重い腰を上げざるを得なかった。

実は1年半前の心筋梗塞での保険還付請求は青葉病院のレントゲン写真や診療費請求書のコピーを県民共済へ郵送してたぶん10日ほどで預金口座に振り込まれた記憶がある。

しかし今回は病気ではなく事故、怪我なので県民共済指定の用紙に2つの病院の入院証明や手術の資料を添付しなければいけないようで実際に病院の窓口で申請して後日資料が自宅に送られてくるので2つの証明資料を改めて県民共済へ送り返すという面倒な作業になった。しかも病院側から送り返される資料は日数が2週間から1か月以上かかるとのことだった。

やれやれ(>_<) 嫌だけど何万円?戻ってくるか分からないが、1年半前の心筋梗塞での入院時は10日の入院で5万円還付されたので、今回は病気での還付ではないものの、60日の入院期間なので10万円は還付になって欲しいものだ。出費はそれ以上だったからである。たぶん来年春までに後期高齢者としての高額医療還付も期待しているが振り込まれるのは忘れた頃であろう。

ところで、入院費用の集計を分析するときに本来なら出費していたであろうとみられる毎日の食費に注目した。入院したために自宅での食費はゼロ?になった。その他光熱費などの違いは妻が自宅で生活していてあまり節約はできなかったはずだ。従って食費だけは除外しておかないと生活費としての集計は正確ではないと思ったので法定の食費代を別途計算表に記載した。参考資料として役立てて欲しい。



↓腰椎骨折入院の2病院での費用集計、県民共済の還付金はまだ先のことなのでこの集計表にはゼロ円で記載してある。あくまで腰の骨を折ったらこれだけ入院費用が掛かりますとという参考資料になれば幸いである。筆者は後期高齢者なので保険自己負担は1割である。



↓1年前の心筋梗塞で10日間入院した時の入院費用集計である。こちらはすでに受け取った県民共済からの還付金5万円も記載した。こちらの集計には昨年12月に心筋梗塞の再発だと思って診察を受けた急性肺炎の診療費用も加えた。この時は入金分析ができなかったがいろいろ妻の還付金も混じってして見かけは入院費用なしに見える。(^^;  筆者は後期高齢者なので保険自己負担は1割である。



※たった1年半の期間に物入りな入院2回(3回?)とリハビリが長く続く不始末をやらかしてコロナ禍と共に歩んだ人生だった。まだこれから筋肉増強のリハビリが続くのである。"(-""-)"

骨折入院中のよもやま話(富家千葉病院)

2021-09-27 10:12:40 | 医療・介護
●入院第3段の話題は青葉病院から転院させられた?リハビリの話題です。
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↓リハビリ担当の病院へ転院した。経営者は南国愛好者らしくポりネシアの石像やヤシの植木など凝った飾り付けが多く、インテリアも落ち着いたこげ茶の配色でやや暗い印象がある。通常は白い明るい内装にするところだが年齢により好みは分かれそうだ。リハビリ室は青葉病院のそれよりは狭いが備品は新しく部屋も和室コーナーのある設備だった。リハビリ病院はマイカーでないと不便な立地に多いがこの病院も山王病院や国道16号に近いもののバスでも不便だ。




4人部屋だったが幸運にも空いた部屋が窓側だったようで良かった。内装は床頭台なしで立派な家具がはめ込みになっているが、持ち込み荷物の量の制限が厳しくて棚は当初はがら空きだった。青葉病院から手配された介護タクシーで転院してきたらすぐに車椅子に乗ったまま駐車場でPCR検査を受けて15分後に陰性確認後無事に病室に移された。問題はそのあとである。

同行者来た妻と息子は待たされた挙句、青葉病院から持ってきた飲料や塗り薬、LEDライトほか化粧品や物品の大半を持ち帰らされた。それらは飲料を除いて重要な皮膚薬も含まれていて妻たちが持ち帰ってしまったことに気が付いてあとで看護師長や薬剤師等とおおもめになった。「なぜ家族を唆して!毎日使う重要な薬剤を持ち帰らせたのか、勝手なことをしないでくれ」と怒鳴った。後日正式に看護師長などと会合を持ち「なぜ患者の意思を確認しないでこのような仕打ちをするのか?」

これに対して病院で過去に不適切な持ち込みがあってそれ以来も持ち込み物品を厳しく制限するようになったとのことで謝罪があった。入院前にこの病院の評判を調べていたら今回自分が遭遇した経験とほぼ同様なトラブルの書き込みがあって注意はしていたのだが・・・
おかげで妻とは「病院側のいう通りにしたのに怒られるのは心外だと」一時は家族分断の原因になった。

しかし、この病院の名誉のためにも良かった点も掲載しておく。その後物品はすべて回収して自分の病室に持ち込み病院側とのトラブルは解決している。1日3回、3時間のリハビリを担当する理学療法士、作業療法士は笑顔で挨拶も丁寧で若い20代の療法士が多いにもかかわらず教育が行き届いている印象だった。患者の立場に沿った対応も十分で他の教育機関からの研修生も毎日受け入れていて若手の世代に期待をかけているようだ。この業界は素人なので分からないが人材難なのかもしれない。

↓病室はテレビが無料で見られるように自由にテレビを支えるアーム付きで寝ながら閲覧できて娯楽の少ない閉じ込められた環境下では大変ありがたいサービスだった。





↓青葉病院より分類が細かいが患者の行動能力を表すカード?で 退院間近のカードで昼夜共にほとんどの行動が自立、つまり自分でできる患者であることを示す。



↓入院初日からのリハビリ予定表、理学療法士と作業療法士が半分程度?初日はいろいろ体調や体力を見る検査的なリハビリが多かった。青葉病院で別れてから結局妻と息子には会えないまますぐに昼食~午後に1時間×3回のリハビリをすぐに受けた。初日は超過密スケジュールだったのである。退院時も午前に3回のリハビリが入ってこれも過密だった。週2回の風呂(入浴)も組み込まれていた。



↓食事は青葉病院よりかなり良く、おかずの切り刻みはなく煮魚も全体の形のまま出されるので美味しく食べられる。さらに良かったのは食欲がなかったご飯を昼だけ毎日麺類(ほぼうどん、たまに冷やし中華)に変更で来たことである。朝食は青葉病院と同じく食パンにした。食欲が戻ってきたことで青葉病院1か月で6kgやせた現象を止めることができたの筋肉増強のために役立ったはずだ。食べられないと何もできないことがしみじみわかる。おかずをトッピングして胃に流し込んでいる。!




↓談話室にある書庫から漫画本を借り出して暇つぶしをした。特にまだ読んだことがない号の「ゴルゴ13」が多数あったので1週間くらい楽しめた。もうかなり昔の漫画だが今でも続いているものもあって良かった。「こちかめ」は息子が好きだった漫画だ。

ところで「ゴルゴ13」は武器反対の御仁には嫌われるだろうが最新の世界情勢を話題にして描写表現の質も素晴らしい。しかし、著者のさいとうたかを氏はつい先日の9月下旬に膵臓がんで亡くなった。残念だ。

他に?年前の週刊誌も! 劇場版映画でも有名になった「3丁目の夕日」も独特の人物描写が特徴でほのぼのさせる癒し感がある。





骨折入院中のよもやま話(青葉病院 その2)

2021-09-26 11:12:11 | 医療・介護
●その2の話題は腰椎骨折の手術をした部分です。
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事故ったのは2021年6月11日でしたが翌日入院してすぐに緊急手術したかというとそうではなく、何と手術は7月1日まで待たねばなりませんでした。その理由は、2つほどありました。

まず患者である当方が1年半前に心筋梗塞で毎日血液サラサラにする強力な薬剤を服用していたため、腰に穴を明けると大量出血する可能性があるからです。その為2種類の薬剤を段階を追って減らす期間が必要で手術は入院後3週間経過したところに決められました。それまでは痛みに耐えて過ごすしかありません。

もう一つの理由は、手術後は人口骨を入れると骨の柔軟性?が損なわれる副作用があるためできるだけ自分の骨が再生して壊れた骨を埋めて復元させる方がよいのですが、手術でセメントを埋めるより回復に時間がかかるということです。どの程度長くなるかは人それぞれらしいので明確な数値はだせないようです。

当方の場合は主治医と相談して入院後1週間たっても腰の痛み度合いが変わらないのであれば自己責任で手術に踏み切るという判断をしました。手術の前には主治医+執刀医+麻酔医にそれぞれ同意書を署名して提出し決定しました。


↓青葉病院で車椅子の次に使っていた歩行器



↓看護師に撮影してもらった7月1日の手術の傷跡写真、写真の肌は穴を開けた背中で薄いフィルムが貼ってあり、その上に患部が直接肌にくっつかないようにい10cm程度のハニカム状のスポンジが貼ってある。まだ抜糸前の写真で手術のときの黒い糸が見える。まだ痛みは変わらない。



↓腰椎の説明画像(CGアプリ) 腰椎はあばら骨のすぐ下から第1~第5腰椎まであり今回圧迫でつぶれたのは一番上の第1腰椎である。





↓つぶれた腰椎に人口骨のセメントを入れて固める手術の事例 (出典:東京腰痛クリニックの事例)




↓手術方法の説明と使う道具




↓リハビリ病院(富家千葉)で退院直前の8月上旬に撮影した筆者のレントゲン写真、白く見えるのが背骨に入れたセメントの残っている状態らしい。来月またレントゲン写真をとれば1か月半後の変化がわかる。正面から見た画像と横から見た画像を比べるとセメントの入った位置が分かりやすい。










●●●●● 素朴な疑問? ●●●●● 

今回は当方が心臓病のため血液サラサラの薬を服用していたためすぐに手術に入れなかったのだが、もしすぐ手術で来たのであれば、この記事の手術事例の病院のように長期入院による筋肉退化のリスクを負わない早い退院に向けた診療方法の方が良いのではと思っている。

今回退院して困っているのは、しゃがんで地べたの物を拾うのさえ困る筋肉退化の体になってしまったことである。良かったのは病院食が食べられなくて一挙に痩せてBMIが正常値になってしまったことである。長い間のメタボ体質が続いていたが今は痩せて履いていたズボンは胴回りがマイナス6cmになりすべて廃棄処分することにした。痛い出費だが新たにジーパンも含めて3本を買い直した。

もう現役引退で出番がないが仕事で使っていた背広は1着だけ残してあとは処分した。極端な話、今回の長期入院は自分の生活を大幅に変えてしまったががっかりしているわけにもゆかないので新しい門出だと思って次の生活様式を探してゆくことにした。

骨折入院中のよもやま話(青葉病院 その1)

2021-09-24 14:14:32 | 医療・介護
よもやま話とは四方山話と書くらしい。

【「よもやま(四方山)」に「山」と付くのは、「やも」が「やま」に変化した後に当てられたもので、「よもやも(四方八方・四面八面)」の音変化と考えられる。よもやまは「四方八方」の意味から、「あちこち」「さまざま」「いろいろ」「世間」などの意味になり、そのような話題の話を「よもやま話」というようになった。なお、四方山には「四方にある山」の意味もある。この意味においては、「よもやも」の音変化ではなく、そのまま「四方(よも)の山(やま)」である。(出典:アジアランゲージセンター)】

2021年6月に救急車で運び込まれて後に手術をしてもらった急性期治療の病院に1か月入院と、その後転院してリハビリ専門病院に移って1か月入院治療した2つの病院には大変お世話になった。合計2か月にわたる入院対応であらためてここで2病院にお礼を述べたい。

そもそも急性期の○○なんて言葉は今回の入院で初めて聞いた知識でこと国の保険施策には疎い自分であったが色々調べて勉強になった。最初の手術した病院でそのまま居座れば転院という家族にも大きな負担がかかる面倒なことはないのだが、リハビリはやはり専門に特化した病院に任せる方が医師も患者も長い目で見て良いのであるという仕組みである。

この件に関しては自分が実際に治療を体験したので些細なことは別としてなるほどと思える感想はある。それはともかく、今回腰の骨を人口骨というセメントで埋めるなんてどういう風にやるのか興味深々であったがこの記事についてはまた後日ブログに掲載したい。

今回はまず手術を担当した青葉病院のよもやま話から始めたい。ここは1年前にも不覚にも心筋梗塞で救急入院した病院でまたしても舞い戻ってきてしまったとはトホホの至りである。(>_<)


↓入院食は以前入院した時の内容とおおむね変わりはないようだ。当初約2週間は体をベッドで起こすと激痛が襲ったため横を向いても食べやすいようにごはんはおにぎり2個に変えてある。味噌汁は横に寝て食べるためお椀から具を出して汁だけ介護士や看護師に吸い飲み!に移し替えてくれたがあとで吸い飲みの容器を洗うのが面倒だったようだ。



↓ごはんはあまり食欲がなかったのでその後朝食はパンが選択できる日はパンに変更した。しかしこれも焼いたトーストではなく大量まかないのためレンジでチンした冷凍食パンなのでジャム等の小袋はついているが美味しいとは言えなかった。3週間後あたりから痛みはあるものの車椅子に座って食べるようになってようやくまともな食事風景にすることができた。入院当初はしばらく点滴や心電図のケーブルが体に付けてあって身体的にも不自由な生活を強いられていた。



↓病室のすぐ前には青葉の森公園の野鳥の森が見える位置で毎日眺めていた。早くあの森に行ってみたいと思ったものだが、まだ現在もリハビリ中でかつ千葉市も緊急事態宣言が明けていない現在では実現できていない、



↓胸腰仙椎装具(コルセット):体幹装具とも呼ばれる。元々前かがみになる姿勢を金属枠で受け止めて体幹を真っすぐに保つ道具だが、トイレに行くたびに外さなくてはならないのが大変だった。解禁になる9月末まで今もまだ続けているが、ネットで検索するといろいろな形式の装具の写真を見ることができる。当方が利用したのはこの写真の形式だった。イージーオーダー形式らしく業者の対応が早くて採寸して入院後翌日?に作ってくれた。フレームの金型はステンレス素材でできているように感じた。後に市役所に還付請求して9割が戻ってくるが一時的に代金65,000を現金払いした。一番最初に発生した費用である。



↓患者がどのような動作制限を受けているのか看護師や介護士、理学療法士(作業療法士)に知らせるピクトグラムである。青葉病院では10種類程度のカードを使っていたようだ。このカードは移動は歩行器を使う患者ですとお知らせしている。昼間のカードはない? 転院したリハビリ病院では昼間と夜間別々でもっと細かい指定ができる多数のカードが使われていた。



↓かなり長い間使った車椅子である。青葉病院が平成15年3月に現在地に建て替えられてもう18年以上、設備も備品もかなりくたびれている。(平成15年に旧市立病院は閉鎖)



↓青葉病院4Fの食堂は携帯電話の利用場所と飲料調達や家族との面会場所になっている。テレビカード、Wifiカードの販売機、無料の給湯機と給茶機、無料の給氷機が置いてある。図書棚には古い週刊誌も置いてあったりする。




↓当方の病室写真、標準的な床頭台を備えた部屋でテレビは有料なのでNHKも含めてスマートフォンで閲覧できる無料テレビサイトが役にたった。ベッドには夜間に利用していた尿瓶が役にたった。



↓まだ新しいスマートウォッチに孫の写真を埋め込んで毎日眺めて癒されていた。スマートウォッチはこの後リハビリ病院に転院してからも心拍数の把握や血中酸素飽和度を測定して大活躍してくれた。




久しぶりの千葉駅前訪問?

2021-09-20 15:48:38 | 医療・介護
当方はコロナ禍で世の中が緊張しているときに2021年6月上旬、不運にも腰椎骨折で2か月の入院~退院後は自宅療養中の身であった。

ところが、不運はまた続くもので緊急事態宣言が千葉でもまだ続いている最中に何とまだ半年しか使っていない中国製OPPOスマホがまさかのご臨終!! スクリーンショットをしたら途端に画面が消えてそれ以降全然電源が入らなくなった。



いろいろトライしてもダメで故障時の新品交換保険には加入していなかったので初期不良で修理に出すことを考えた。そこでメーカーの修理窓口に電話したが平日にもかかわらず何度かけても電話が全く繋がらずWebサイトから入口を探してみたらあった。

しかし、販売店の証明書添付や症状を詳しく文書にすることと宅配便で修理センターに送付するように指示されていた。問題は修理期間約10日間かかりそうでそれまで電話もラインも使えないことだ。Webページにはユーザーのスマホが修理センターに届いてから5日後までには返送開始と書いてあるが宅配便で発送しても何だかんだで約10日ほどかかりそうだ。

そこで今日は急遽近隣駅までバスで出てかねてから計画してした理髪を約4カ月ぶりに済ませ、その足で千葉駅に出て前日にスマホ修理の相談にのってくれた店にお礼を言うのと、千葉そごう店にあるスマホキャリアの楽天ショップへ行ってみることにした。そこは予約客のみ対応で受付不能、ここでの相談はやめた。その後ヨドバシカメラ千葉店に寄って買い替えを相談してみることにした。

いろいろ考えたが今日中に代わりのスマホ調達するために相談したヨドバシカメラ千葉店の親切なお姉さんの提案に従ってみることにした。
今は型落ちで値段が2/3に下がっているし同じ機種を調達して古い機種は下取り?に回すことにした。故障でも後日下取り先で部品交換して元通りになると値段がつくことがあるそうだ。

というわけで約1時間で手続きと設定が終り無事同じ機種を買い直して持ち帰ることができた。うーん、いろいろ手続きが面倒だが10日間我慢して初期不良で無料交換の可能性は高かったのだが!!!入院で物入りだったのにまた出費! 馬鹿な対応かもしれない!!

ところで、何カ月ぶりだろうか? 千葉駅に来たのは。 すると駅前の再開発事業が進んでビルの外側は完成していた。しかし内装などの細部の工事はまだあと1年以上かかるようだ。完工は2022年の秋の予定だ。

あと風景が変わっていたのは、旧三越(旧ニュー奈良屋)と隣接する駐車場でどちらも今は写真のように更地になっていた。当方も千葉に住むようになってから約50年、かっては旧そごう店、旧ニュー奈良屋に買い物にきたことはある。さすがに時代の移り変わりは大きい。

↓千葉駅前再開発ビルの現在



↓トンネルを抜けた裏側の風景


↓再開発工事計画の看板、完工はまだ先だ。



↓旧三越千葉店の跡地と更地になった隣接駐車場跡



↓昨年10月に出た千葉日報の記事から




退院しました。

2021-08-11 18:39:44 | 医療・介護
(親族友人共通)

妻のマイカーで今日8月11日の午後に無事退院しました。青葉病院で腰椎骨折手術〜富家千葉病院で回復期リハビリと丁度2ヶ月の旅!でした。

入院中は皆さんからたくさんの激励の言葉をいただきありがとうございました。

帰りにスーパーで買物をして2ヶ月ぶりに4階の我が家へ帰ってきました。

久しぶりの我が家は懐かしいですが、机の上は大量の郵便物とカタログでいっぱい!エアコンのリモコンを探したり忙しいです。明日からボチボチ荷物の整理をしようと思っています。

今日も午前中は3時間のリハビリがあって疲れていたのと、通販で買った浴室用の介護椅子の組立で少し腰痛になりました。しかしシャワーを浴びて夕食後は腰痛も回復しました。

まだ病院から引上げてきた物品がそのまま床に転がっている有り様ですが、もう今日はこのまま早寝しようと思います。

お世話になった皆さんにあらためて感謝します。

憩いの森