憩いの森

安らぎと憩いを求めて!

退院後のリハビリ計画開始・・・Alinco AFB4309WX コンフォートバイク・・・ファーウェイヘルスケアアプリ+Band 4

2020-04-23 10:29:47 | 医療・介護
(4月26日に追加投稿)

●4月26日(日)

 今日たまたま、1年前に遡って我が家の歴史記録を更新するために手帳の日誌を見ていたら、何と1年以上も前に今回の心筋梗塞で入院した病歴のきっかけを発見したのである。

 それは2019年2月20日のことで、午前~午後とアルバイトのチラシ配布を済ませた後に発症した記録が残されていた。その内容は、左胸痛みで夕食抜きで夜中まで寝込んだ。

 翌日かかりつけの内科でレントゲン検査を受けたがどこにも異常なしの診断だった。熱はなし。その日はスーパーの弁当を、夜はロールキャベツとフランスパン梅干しを食べたことになっていた。

 今考えると、左胸の痛み、発熱無し、翌日は食欲はまあまあ回復していた。吐き気は記録なし。しかし、その後、3月以降で似たような病状では、胸の痛みではなく吐き気に変わっていた。

 2か月おきに吐き気症状がみられたのは、今思うに心筋梗塞の始まりだったのではないかと考える。しかし、その時点でまさか循環器系等の重大な疾患とは思いもよらぬことだった。

 つまり、今回の急性心筋梗塞の兆候は1年以上も前に現れていたということだった。やれやれ1年以上も気が付かずに危ないところだった。((+_+))

%%%%%%%%%%%%%%%%%%%%%%%%%%%%%%%%%


(4月23日投稿)

4月9日に青葉病院を退院して今日で早くも2週間となった。 外はもうすっかり5月の陽気が始まっているかのように暖かい。しかし、日本ではコロナウィルス感染が最悪状態になってきたのでのんびり自宅療養を楽しむという雰囲気ではない。

休業を余儀なくされた会社や労働者のことを考えると気持ちが引き締まる。親族だっていつ仕事がなくなるか心配している人もいるだろう。

ところで今日のニュースでタレントの岡江久美子がコロナ感染で亡くなったと報じていた。まだ63歳の若さだったので一回りも年老いていてしかも血管損傷のある自分はもっと危ないわけで他人事ではないと感じた。

来る5月の連休明けも非常事態宣言は継続される見込みなので予断を許さない。それどころか、ウィルスが下火になるまであと1年以上かかり、延期された東京オリンピックも中止となるだろうというニュースまで聞こえてくる。スーパーの買い物の行列も東京では海外でと同様に密集をさけるため規制がかかるようで益々大変なことになってきている。

ともあれ、我が身は早くリハビリ生活を確立しなければならない義務があるので、青葉病院での指導に従って、まず天候に左右されず自宅でできるようにサイクリング式の機器を購入した。

価格は¥21,000、 思ったより品質も良くがっしりとできておりコンフォートバイクという商品名だった。まあ一般的には「フィットネスバイク」と呼ぶとわかりやすいようだ。

昔わが両親が使っていたアナログの走行メータの付いたバイクと違って最新の電子機器で設計されていて走行距離はもとより、電子機器の簡易心拍計をみながら安全に自転車漕ぎができる。

この手の機械はネットで沢山の製品があり購入に迷ってしまうが、基本的に青葉病院に設置してあった種類に似た製品を探し出した。それは腰痛防止のために背もたれが付いていて背筋を立てた姿勢でも使える製品で「背もたれなし」と比べて若干高額になるがやむを得ない。

今回の製品はアルインコ株式会社の製品で、実は当方もずっと昔からトランシーバーでお世話になっていた会社だった! もっとも今は出番がなくタンスに大事にしまってある!

あとは、入院中の記事にも書いたファーウェイのスマートウォッチ(バンド)である。高機能の製品は2万円近くするが、今回は脈拍と睡眠の質の観察だけで良いので安価なBand4という3500円のものにした。

↓リハビリで使用を開始したフィットネスバイクだが、当面は時速10kmで日に6回、走行距離10km/日、月に約300kmの走行計画でやってみることにした。ペダルの重さは1~8段階の5でセットした。






↓配送された時の各パーツ類、 中国で梱包された段ボール箱は予想よりコンパクトだった。






↓ファーウェイ Babd 4 はAMAZONで¥3,500だった。安い! 今回は心拍数の監視をするのが目的なので不要なGPSによる記録機能は無しでコスパを考慮すると価値ある製品だ。ついでに睡眠の質を測定してくれる機能が意外と面白かった。役にたちそうである。



↓シャオミと違ってバンドを引き抜くと片側がUSBプラグになっており、シャオミの製品よりこちらのファーウェイ製品の方が専用ケーブル不要で使い勝手が良いと言える。




↓右下の❤マークのアプリが純正のヘルスケアアプリで、P30Liteスマホに最初からインストールされていたので相性は良い。睡眠の深さを見るのは面白い。他に手入力にはなるが、グラフ表示で体重管理もできる機能もあるので今まで使っていた他の体重管理アプリは用済みとなった。




↓Band4とブルートゥース接続で同期をとると活動記録をスマホで閲覧できる。






「家ほどいい所はないわ」・・・オズの魔法使

2020-04-18 18:37:45 | 医療・介護






心筋梗塞で入院~退院して、早10日ほど過ぎた。 「家ほどいい所はないわ」というセリフがピッタリの今日この頃である。

このセリフは、戦前1939年のアメリカ映画である「オズの魔法使」で最後に少女ドロシーがしゃべったセリフである。元は1900年の文学作品であると書いている。

この「家ほどいい所はないわ」の環境が素晴らしいことを再認識した。 (#^^#)



*****************************************

※ 『ウィキペディア(Wikipedia)』

『オズの魔法使い』(オズのまほうつかい、The Wonderful Wizard of Oz)は、ライマン・フランク・ボームが著し、W. W.デンスロウが挿絵を担当した児童文学作品。1900年5月17日、アメリカ合衆国イリノイ州シカゴのジョージ・M・ヒル・カンパニーから初版が出版され、以降何度も再版された。

1902年のミュージカル『オズの魔法使い』(The Wizard of Oz )、1939年の映画『オズの魔法使』(The Wizard of Oz )から『The Wizard of Oz 』という題名が定着した。

退院しました。HUAWEI Band 4 活動量計の使用開始

2020-04-13 14:07:49 | 医療・介護
★4月15日以降のその後の記録を最後部に追加掲載しました。

やれやれ、3月31日に心筋梗塞で死に損ねて生還! やっと退院しました。 最初は胃痛・吐き気で気分が悪くなって3日目に自宅のかかりつけ医を受診~心電図異常で急遽、まさかの救急搬送~千葉市立青葉病院へ入院~即カテーテルとステントによる血管拡張手術~安静~24時間点滴と心電図監視

とはいってもたった10日ほど! の入院で帰してもらったので主治医の先生や多くの看護師さん、そしてリハビリ指導の先生には大変お世話になりました。あらためて感謝申し上げます・



↓緊急入院した千葉市立青葉病院





↓青葉病院でのネット利用に自分用のUQ WiMaxモバイルルーターを妻に持ってきてもらった。回線速度は十分だった。 (早朝6時頃)



↓心筋梗塞で塞がれた心臓冠動脈血管をカテーテルによりステントを右手首血管から挿入して手術は成功





↓入院翌日の昼食はハンバーグで空腹だったので美味かった。しかし美味かったのはこれだけでその日の夕食から吐き気と微熱、それに糖尿病食で極端な薄味おかずで退院近くまでご飯150gはほとんど残した。このため退院時には体重が4kgも減っていた。



↓以降まず食べるのは果物になってしまった。














↓近くに見える千葉大学付属病院の建物



↓歴史的建造物である千葉高架水槽、目的は不明!




↓洗面所とトイレ、尿の排出量は毎回軽量カップで測って記録した。




↓夜間のナースセンター、看護師も真夜中頑張ってくれている。






↓朝食後に飲む薬のうち、血液をサラサラにする重要な錠剤が2つある。これから退院後も毎日服用する重要な薬である。



↓退院間近の病室・外の風景




↓青葉の森公園等






↓ナースセンターの職員に介護されながら車椅子で妻の車を待つ。



↓退院してからのリハビリ用、HUAWEI Band 4 活動量計の利用を開始した。 医師の勧めでリハビリとして自転車漕ぎを勧められており、今後軽いサイクリングで使いたい。








【入院退院の記録・2020年3月】  ★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★

●3月27日(金)・・・3/24東京オリンピック1年延期~3/26米国がコロナウィルス感染者数合計で世界一に、

 (曇~雨)通常生活~皮膚科~マルエツへ買い物とイートインで菓子パンと珈琲
 夜テレビ「チコちゃんに叱られる」


●3月28日(土)・・今日の夕方まで健康な?1日だったが・・・夕方に突然異変が★★

 (寒い雨)花見禁止など東京都の外出制限始まる。朝食はマルエツの菓子パンと珈琲ゆで卵バナナ、昼食カップ麺とかき揚げ、夕方に突然胃痛鈍痛と吐き気と右腕のしびれ? 指圧したが治らない?夜はそのまま夕食抜きで寝込み、でも体温計は36度台で異常なし。


●3月29日(日)・・・何と関東で初雪、千葉もポッカリと車に積雪

 (寒雨~雪)前日からの胃痛鈍痛と吐き気が増大! カルピス、パイナップル、キャベツ、らっきょ、酢玉ねぎだけの食事で終日寝込み、体温は正常!


●3月30日(月)

 (曇、寒い)胃の痛みと吐き気は治らず、歩くのが辛いが近くのかかりつけ内科医へ~血液検査、エコーで内臓検査、しかし異常なし?? 胃痛と吐き気の原因は何?
牛乳少々果物少々けんちん汁少々~終日寝込み、
体温は正常?

●3月31日(火)・・・・・運命の日!

 (晴れ)11時頃に昨日の血液検査の結果を聴きに医者へ、団地の4階から下山!して医者までたったの150mの距離を歩くのがシンドイ?・・・今考えると、通常の胃痛・吐き気とは違うのは明らかだったので、この時点でおかしいと気づくべきだったが・・・

 かかりつけの医者も、昨日血液監査とエコー検査で内臓に異常はなしなのに胃痛の症状が消えないなぜ? 不審に思った医者は、ふと心電図を見てみましょうと検査開始、ところが心電図の波形をを見た途端に医者の顔色が変わったような記憶があります。

 それまで3日間吐き気と胃痛でまさかの心臓冠動脈が詰まったなんて思いもかけないことだった。何と消化器系の異常ではなく生死に関わる急性の心臓循環器系異常だったのです。

(医者)すぐに今救急車を呼ぶのでそのままで・・・今から奥様に連絡を入れてすぐに来てもらいますから、・・・ところで青葉病院はご存知ですか?  (僕:知っています) (医者)良かった。・・・

 その後、ほどなく大慌てで駆けつけてパニック状態の妻と救急車が医院の前に到着~ズボンと上着を脱がされストレッチャーに乗せ替えられて妻と共に救急車へ~青葉病院まで約20分程度?病院の救急受付へ到着~妻と救急隊員と共にすぐにHCU(重症患者用のICUではなかった)室に入り、ただちに手術に取り掛かるために処置がいろいろ始まった。

 処置室で手術の前準備処理が始まった。まず衣服をすべて脱がされ、病院専用浴衣?に着替えさせられた。24時間血液サラサラにする点滴装着、排尿ができなくなるため尿道口にバルーンという細いチューブを押し込む。

 その前にチンポの周りの毛をシェーバーで剃られたのち、まだ20代の若い女性看護師が僕のチンポの先をぎゅっと引っ張って「少し痛いけど我慢してね!」と声かけしてくれたがその痛みで思わず「ギャー」と恥ずかしいはしたない声を挙げてしまった。(@_@。

 同時に点滴のセット取り付け、24時間心電計の装着(これは退院の前日まで付けていた。無線で親機と同期して記録データをリアルタイムに監視できるのでリハビリ中も医師が確認していた。)

 あとは酸素マスク(両鼻に差し込む)が付けられた。その後隣のレントゲン室に入った記憶があるがもう詳細は覚えてはいない。

 手術は局所麻酔を右手首にしてその動脈からカテーテルという細いチューブを挿入してゆくが、全身麻酔がかかっているわけではないので右腕がズーンとちぎれそうなほどの鈍痛でしびれ、それから〇〇分、ときどき先生が声をかけてくれるが終わるまで長い時間他の楽しいことを一生懸命考えようと努力した。

 その日は1階のHCU室で睡眠、腕の痛みで眠れず、翌昼まで絶食。喉が渇いて腹も減った!!

 救急車の乗り心地が劣悪!だったので!横向きで片隅に同乗していた妻はすっかり救急車内で車酔いしてしまったと後日談。結局、死に損なった危ないところを無事生還できたというのが真実でした。

もしカテーテルによる手術ができなかった昔は胸を開いて大掛かりな心臓冠状動脈血管バイパス手術を行うことになり生還率は少なかったことでしょう。


●4月1日(水)

 ようやく昼食から食事開始で空腹感でみぞれハンバーグは美味しく完食。 夕方に一般病棟へ移動した。朝一番で空腹時血糖値を測るため指先を針でチクリ、血を一滴採取。

 血液検査も毎日あった。こちらは、かなりの量の血液をとられる。

 夕食は始まった微熱のせいで頭痛と吐気のためかなり残した。夜は微熱頭痛のせいで身体が熱くて眠れず。明日以降も夜は発熱で困った。


●4月2日(木)

 尿道バルーンの除去がまた痛かった! 立ち上がるリハビリ、 朝食は半分 昼食は2/3は食べられた。両足血圧検査 胃と脚のレントゲン撮影

 夕食は!?やはりおかずだけしか食べられない。夜9時ごろに発熱37.5℃で頭痛、解熱剤と頭の冷却剤を処方、以降3日程夜は氷枕を使って冷やしたが寝汗を大量にかいた。


●4月3日(金)

 3食で朝のみご飯を半分以上、午前中に廊下を30m程歩く。昼に妻が着替えと依頼品を届けてくれた。懐中電灯とドルツ電動歯ブラシ、モバイルルーターを妻が持って来てくれたのでラインやメール、YouTube
の通信がやりやすくなった。
 部屋のトイレを使う許可が出た。午後から部屋にトイレのある隣の部屋に移動。午前中に1階でCTスキャナ撮影。夜は消灯の9時前に頭痛薬と氷枕を先手を打って看護師に依頼した。

 懐中電灯が届いたので21時消灯で真っ暗になつても安心。夕食前に胃の薬を飲む。


●4月4日(土)  ・・・土日はリハビリはお休み

 昨夜は9時に氷枕と頭痛薬を処方して貰ったので夜は寝汗大量でも今朝は気分良好、軽く洗髪、朝食は大半はクリア、今日初めてテレビを利用、昼食も完食、

 家族友人のほとんどにラインで現況報告と食事の写真提供、千葉の気温は20℃、東京都でコロナ感染100人超え、夕食はごはん食べず、おかずも一部は残す、夜は微熱が出て吐き気が残りいつものように看護師に氷枕を依頼


●4月5日(日)     ・・・土日はリハビリはお休み

 体温37.0、吐気あり、ごはんは夕食で美味い牛肉の甘辛煮が付いて殆ど食べたが他はご飯を含めて駄目、大半を残した。 おしっこは2〜3時間毎で快調、明日からは200m歩行リハビリが始まるまで退屈


●4月6日(月)

 (快晴) 体温37.0、吐気あり、ごはんは半分?おしっこは2〜3時間毎で快調、今日からは200m歩行リハビリが始まる。リハビリOK
 16時2つ隣りの部屋へ移動、窓の向きが反対側でルーターとテレビのアームも逆セット、明日は夕方にシャワー予約予定


●4月7日(火)

 朝食完食、500m✕2回は合格、昼食はご飯食べられず、 夜に安倍総理がコロナ緊急事態宣言、微熱が続いて夕食もご飯は駄目で殆ど残した。 


●4月8日(水)

 (快晴、温かい) 微熱は無くなり気分良好、階段登り降りと自転車漕ぎのリハビリ合格、リハビリ室から見る外の八重桜が5部咲きで美しい。夕方に念願のシャワー浴びた。洗髪も終ってさっぱり。


●4月9日(木)・・・無事退院・・・長期自宅療養

 (朝はまだ晴れ、爽やか、でも夜は一転して冬の嵐!、今日の退院で良かった。)  
後の検査血糖値検査と朝食は良好、妻の迎えは10時、それまで洗面トイレ着替えと荷物まとめを済ませた。妻も同席で最後の栄養指導があった。

 その後エレベーターで1階に降りて千葉銀行で15万円下ろし、会計約12万円を自動精算機で支払った。荷物をまとめ、ナースステーションの女性に介護をお願いして、1階に車椅子で降り、妻が駐車場からマイカーを出して無事にマイカーに乗り女性にお礼を言って青葉病院をあとにした。

 運転するのは妻だった。ナビで何とかこの病院まで辿り着いたのは息子の支援もあった。今回は息子の支援無しで来れたのは進歩だった! 

帰宅しても階段の登りは医師の指導どうり1階段ずつ休みゆっくりやった。やはり心臓へ負担がかかる事が分かった。

 やっと4階の自室に生還できた喜びは大きい! 荷物の半分を片付けた。サラダと食パン1/2の昼食を済まして昼寝、夕方にベッドで血圧と体温を計測、健康人に戻った。

 体重は74.1から 69.9kgに痩せてしまったので少しだけ体重を増やすように?との指示だった。夕食は妻の介護食だった。

不思議に思うのは、心臓病では水の摂りすぎは良くないので1日1000ml 以下に制限、しかし、糖尿病ではできるだけ水分を摂るように、しかも炭水化物も、食欲が無くても最低量は摂るよう指示されているので今後は矛盾しているのではないかと思われる疑問を調べてゆくつもりだ。

 退院した昼頃は暖かい快晴だったのに夜は冷たい雨、冬の嵐!寝るまでに体温と血圧を何回も測定したが、正常値で安心した。



●4月10日(金)

 以降、妻の手料理によるリハビリ食は、病院で指導を受けた指示による減塩低血糖の食事だったがよくできていて病院の糖尿病食よりうまかった。

 ただ、3食の献立を作るのにもう精神的にくたびれてきているようなので、自分でも料理を考えてゆかねば長期戦には持ちこたえられそうもない。今後の悩ましい課題である。

●4 月18日(土)

 退院から約10日程過ぎたが、体力は徐々に回復している。でも、4階の階段の下山登山?は、まだ息切れがひどいので慎重に1階段毎に休みながら行っている。

 階段と自転車は今回のリハビリの推奨事項になっている。今日のような嵐の天候でもリハビリを続けるために、医者が推奨したサイクルマシンを発注して室内で運動出来るようにしたい。

 入院で極端に低下した筋力の回復を目指して、まずは1年後の体力回復を目指して頑張ろうと.......!!!

 これは決して冗談ではなく、それほど体質が変わったということです。なるべく速く筋力を回復させたいけど、心臓への急激な負担は、血管の再梗塞が起きる可能性があり、危ないので心拍計を見ながらの調整が難しい。

 現在は食事の直後は確実に心拍数が10~20上がるので他の作業はやらないことにしている。血圧も食後は10~30上がっている。

 朝の起床時の血圧は平均110-60である。入院前は平均140-90程だったので今は昔のように健康体に戻ったと言える。

 今の自分にとって、体温計、血圧計、体重計、心拍計は、当面は重要な計測器となった。

●4月22日(水)

 退院後の初の再診である。レントゲン検査、血液検査、心電図測定を先に済ませた。しかし患者も多く1時間程度かかった。 空腹で病院の売店で売っていたミックスサンドと缶珈琲でおやつ? 旨かった。


●4月24日(金)

 昨日区役所で発行してもらった医療費の限度額認定証を持って再度青葉病院の支払い窓口を訪問した。
入院費用が11万円だったが、最終的には約3万円弱の金額を返してもらった。

 これは助かる。結局今回の入院費用は県民共済からの5万円と限度額超えの分約3万円を引くと、自己負担は約4万円だった。 ただし初回のレンタル衣服やスリッパ、食費は別である。長年支払ってきた医療保険がここで少し役にたった。


●4月26日(日)

 今日たまたま、1年前に遡って我が家の歴史記録を更新するために手帳の日誌を見ていたら、何と1年以上も前に今回の心筋梗塞で入院した病歴のきっかけを発見したのである。

 それは2019年2月20日のことで、午前~午後とアルバイトのチラシ配布を済ませた後に発症した記録が残されていた。その内容は、左胸痛みで夕食抜きで夜中まで寝込んだ。

 翌日かかりつけの内科でレントゲン検査を受けたがどこにも異常なしの診断だった。熱はなし。その日はスーパーの弁当を、夜はロールキャベツとフランスパン梅干しを食べたことになっていた。

 今考えると、左胸の痛み、発熱無し、翌日は食欲はまあまあ回復していた。吐き気は記録なし。しかし、その後、3月以降で似たような病状では、胸の痛みではなく吐き気に変わっていた。

 2か月おきに吐き気症状がみられたのは、今思うに心筋梗塞の始まりだったのではないかと考える。しかし、その時点でまさか循環器系等の重大な疾患とは思いもよらぬことだった。

 つまり、今回の急性心筋梗塞の兆候は1年以上も前に現れていたということだった。やれやれ1年以上も気が付かずに危ないところだった。((+_+))


憩いの森 入院のお知らせです。

2020-04-06 07:43:42 | 医療・介護
おはようございます!!

実は3月末に救急車で青葉病院に入院中です。

病名は心筋梗塞、カテーテルによるステント挿入手術を受けて生還しました。

今日で丁度1週間過ぎました。微熱頭痛がまだ残っている他はまぁまぁの回復状況です。

退院は多分今週の何処かになりそうです。

やつれた顔は出せませんが少しだけスマホによる写真を掲載しました。

とりあえず事後報告です!