平和1丁目 ~牧師室より~

福岡市南区平和にあるキリスト教の平尾バプテスト教会の週報に載せている牧師の雑感

2008年1月20日 かくれキリシタンにまつわる歴史

2008年03月31日 17時38分53秒 | Weblog
  かくれキリシタンにまつわる歴史

 昨年11月末、亡くなった姉(2005年3月11日死去)が、30年以上にわたってお世話になった天草の本渡市出身の看護士さんを訪ねた。姉が、診療所をやめたあとも、身の回りの世話をして下さったからである。私は、以前牧師の夏の研修会の集まりで、バプテストの天草伝道所(南圭生牧師)に行ったことがあるが、この度、変わった風習に気がついた。
 それは、天草下島西北方面の海岸線に沿っていくつかの記念館や教会を見学した時のことである。民家の玄関の門戸の上に、11月末にしては珍しく、注連縄(しめなわ)が、掲げられているのが、数多く目についた。タクシーの運転手さんに聞くと、天草では、島原の乱(農民一揆・1638年、約380年前)以来、自分の家はキリスト教ではないという証拠を示すために、正月を過ぎても一年中しめなわを門戸に飾る習慣があるのだそうだ。
 佛教の家はみんなそうするわけではないが、ざっと数えて10軒に2~3軒は、しめなわがみられた。農民一揆すなわち徳川幕府の領主、松倉重政の重税と圧政にキリスト禁制がからみ、島原の乱の約10年前に行われた26人聖人の十字架刑(1627年)の殉教などを考えると、なんとも厳しい時代であったことが偲ばれる。
 五万人を数えた信徒には、弾圧が加えられ、長崎奉行によって「絵踏」の制度、磔刑、斬首、穴吊りなどの処刑法が用いられた。「五人組合」を強制し、相互に監視させることにし、長崎の全町民がすべて佛教徒になったといわれる。
 このような歴史を経て、なおこの地においてキリスト教が継承されていることに、私たちは現在の自分の信仰について、あらためて問いなおさねばならないのではないだろうか。


松村祐二郎師

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