平和1丁目 ~牧師室より~

福岡市南区平和にあるキリスト教の平尾バプテスト教会の週報に載せている牧師の雑感

2018年10月21日 人のなかにイエス様を見るとき

2018年11月20日 22時06分21秒 | Weblog
人のなかにイエス様を見るとき

 この私のために、ほんとうに自分のことを犠牲にして仕えてくれる人がいるとき、その人のなかに私はイエス様を見る。その人は、こちらがして欲しいことをしてくれる。それもしぶしぶではなく、快く、願っていることをしてくれるのである。まさに、献身的な行為のように映る。
 イエス様は、人の願っていることを してくださった。病を癒して欲しい人には、そのようにしてくださった。友が欲しい人には、そのようにしてくださった。真理を欲している人には、それを教えられた。イエス様の己を犠牲にしてなさる行為に、人々は神様の愛を感じた。イエス様は、仕えられるためではなく、人々に仕 えるために来たと言われたが、まさにそうであられた。
 私は、つい先日、そのように私のために動いてくださった方の姿を見て、その人のなかにイエス様を見た。心からありがたいと思った。 私は最近とても疲れていると思うことがある。心労をおぼえるときがある。年齢的な衰えもあるのかもしれないが、教会以外の仕事の責任を幾つか負っていることもあるのだろう。そのようなとき、人の親切や情けは、とてもうれしく、感謝で胸が詰まりそうになる。
 これから、私も自分に親切にしてくださったあの人のように、人々に親切にしたいと思う。それは、イエス様の願っていることだと思うから。イエス様の愛を具体的に感じるのは、やはり、人を通してなのだと思った。その人の中に、イエス様が宿っているのだ。


平良 師

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