人のなかにイエス様を見るとき
この私のために、ほんとうに自分のことを犠牲にして仕えてくれる人がいるとき、その人のなかに私はイエス様を見る。その人は、こちらがして欲しいことをしてくれる。それもしぶしぶではなく、快く、願っていることをしてくれるのである。まさに、献身的な行為のように映る。
イエス様は、人の願っていることを してくださった。病を癒して欲しい人には、そのようにしてくださった。友が欲しい人には、そのようにしてくださった。真理を欲している人には、それを教えられた。イエス様の己を犠牲にしてなさる行為に、人々は神様の愛を感じた。イエス様は、仕えられるためではなく、人々に仕 えるために来たと言われたが、まさにそうであられた。
私は、つい先日、そのように私のために動いてくださった方の姿を見て、その人のなかにイエス様を見た。心からありがたいと思った。 私は最近とても疲れていると思うことがある。心労をおぼえるときがある。年齢的な衰えもあるのかもしれないが、教会以外の仕事の責任を幾つか負っていることもあるのだろう。そのようなとき、人の親切や情けは、とてもうれしく、感謝で胸が詰まりそうになる。
これから、私も自分に親切にしてくださったあの人のように、人々に親切にしたいと思う。それは、イエス様の願っていることだと思うから。イエス様の愛を具体的に感じるのは、やはり、人を通してなのだと思った。その人の中に、イエス様が宿っているのだ。
平良 師