戸上信義先生のこと
戸上信義先生は、移民となってブラジルへ渡った日本人たちのために宣教師として1965年から1982年まで働かれた。ブラジルのジャングルの奥地まで、できかけて行って宣教された。その間、ときどき帰国されては、日本の各地で、ブラジル宣教の報告をされた。
私も、鹿児島教会の時代に、戸上先生が来られて報告された内容をおぼえている。アナコンダの話や暴漢に襲われたときの話など、今思えば、まるで、パウロがいろいろ苦労したが、そのようなスペクタルな感じを受けたように思う。顔かたちは、もみあげを米ロック歌手のプレスリーのようにしていたということもあり、ブラジル人と間違える人も多かったと言っていた。
10月21日(土)に85歳で召天され、26日(木)に福岡教会で葬儀が行われた。説教は、ご友人の藤田英彦先生がされた。おそらく、戦後に、国外で、ストレートにその国に住む人々に伝道をされたのは戸上先生が始めてだったのではないだろうか。今は、出向いた国と宣教協約を結んで、あちらの要望に応える形でしか、宣教活動を展開できなくなり、専ら神学校の先生を務める宣教師が多くなった。
戸上先生のように、直接あちらの人や日系人に出会って、キリストにある救いを伝えて欲しいと思うが、最近は、どうも間接的な伝道しか許されないようで、ちょっと残念に思う。神様は戸上先生を通して、連盟の国外伝道の一時代を築かれた。その働きは多くの人々におぼえられている。
平良 師