平和1丁目 ~牧師室より~

福岡市南区平和にあるキリスト教の平尾バプテスト教会の週報に載せている牧師の雑感

2014年4月27日 良い道が用意されている

2014年05月03日 21時47分08秒 | Weblog
良い道が用意されている

 信仰を持たない人々は、事を成し遂げるためには、強靭な精神力が必要だと言うであろう。己の力だけが頼みだ。努力、忍耐、その他諸々。しかし、強靭なだけに、ぽきっと折れることもある。私たちは、信仰があるから、ある程度のところまで来ると、あとは神様にお委ねしますと、己を捨てる道を知っている。それでも、自分にしがみつくことから解放されることは難しい。
 もちろん、社会的には、その立場にある者は、最後までしっかりと責任をとらねばならないが、内面的には、キリスト者たちは、そのように神様にお委ねできるのである。私は、神様から示されたと信じることを遂行しようとするが、それが、行き詰まりを見せるときがある。そうすると、後は、神様がよきようにしてくださる、と信じるのである。
 すると、すっと進むべき道が示され、閉じられていた扉が開かれることは少なくない。そのような経験をキリスト者たちは幾つも持っている。これが証しである。叩け、そうすれば開けてもらえるであろう。求めよ、そうすれば、与えられるであろう。しかしながら、すぐにそれがそうなるときもあれば、いくら叩いても、求めても、そうならないときもある。
 私たちは、扉が開かないときは、叩き続けるか、開かないのが御心なのだろうと考える。もし、開かない扉であると判断するならば、そこに第三の道が用意されていると考えたい。私の予想だにしなかった良い道が用意されている。良い道である。


平良師

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